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自衛太鼓・彼らは如何にしてここまで来たか〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-12-02 | 自衛隊

第3章のタイトルは、

飛翔、昇りゆく挑戦。

です。
「君の名は。」方式というのか、最近タイトルに「。」を打つのが
ほんのりと流行っているようで、ここにもその傾向がありますが、
不思議なのは、序章の

「挑戦、始まる。」

と第3章以外は「海の挑戦〜繋がる、希望の海〜」とか
「終わらぬ挑戦」といった具合で統一されておらず規則性が全くないことです。

「。」も 何らかの意図があって用いているなら、
そのつもりで全部これを貫いて欲しい。と思いましたまる。

さて、重爆の隅をつつく(お約束)ような苦言は読み流していただくとして、
続いては自衛太皷です。

自衛隊音楽まつりでしか聴けない、大人数での太鼓の連打。
この地鳴りの中にあるような太鼓の響きに心を揺さぶられない人はいません。

今回、TOはわたしと同じ日に、地方防衛団体の会長でありながら
音楽まつり初体験という方とご一緒したそうですが、その人も
自衛太皷にいたく衝撃を受け、あれが一番感動した!と言っておられたそうです。

自衛太皷は北海道の幌別駐屯地を根拠に置く
「北海自衛太皷」が中心となって行われます。

この理由を、わたしは当日の朝、早くから開場を待つ列に並んでおられた
元自衛官という男性から初めて聴きました。

このかたは自衛官時代、自衛太皷で毎年音楽まつりに参加していたそうです。

そもそも太皷を自衛隊に導入したのは北海自衛太皷です。

もともと登別には、個人が祖となって起こした「北海太皷」という
太鼓の流派がありました。

昭和38年、北海道登別在住の大場一刀氏が「奥越太鼓」を基に編み出し、
太鼓チームを結成し、北海道の荒々しい風土と雄大さを表した郷土芸能が、
この「北海太皷」です。

北海流れ打ち

これが北海太鼓の代表的作品です。

程なく、大場氏の地元登別にある陸上自衛隊幌別駐屯地の自衛官有志が、
地元住民との交流のツールとして、そして隊員の士気高揚に役立てたい、
と、創始者である氏に直接手ほどきを受けて始めたのが

「北海自衛太鼓」

だったのです。

「北海太鼓」を演奏するため発足した北海自衛太鼓は、
その後太鼓が全国の基地駐屯地に波及し、その指導という役割を担うようになっても
自衛官としての任務とは別の、余暇活動という位置付けです。

楽器や衣装など、地元の寄付がある場合もあるのかもしれませんが、
基本自分たちで賄いながら活動しているのが現状だそうです。


北海自衛太皷が生まれたのは、創始者の大場氏が
北海太皷なる流派を編み出してからわずか2年後のことでした。

「北海太皷」と「北海自衛太皷」は共に歩んできた歴史があり、
両者はそれぞれのオリジナルを数多く世に出してきました。

2017年 りっくんランドオータムフェア  北海自衛太鼓 SL

例えば原野を走るSLを表した、こんな作品も。

その後自衛隊の和太鼓チームは全国の基地駐屯地に次々と誕生し、
今では200あまりもの太鼓クラブが存在しています。

如何に自衛太皷が一同に集まる音楽まつりといえども、
全チームを出場させるわけにいきません。

どうするかというと、毎年、出場を決める選考会があって、
それを突破した
チームだけが、日本武道館にくることが出来るのです。

うーん・・・これって何かに似ている。

そうだ、甲子園だ(笑)

今年はチームごとに演奏しているところを正面から撮ることができたので、
全チームを順番にご紹介していくことにしましょう。

八戸陣太鼓

海上自衛隊の八戸基地に行ったとき、飛行場を挟んで
向こう側に陸自の駐屯地があったものです。

ちなみに八戸陣太鼓のハッシュタグの中にこんなのがありました。

♯みんなでかます

元自衛太鼓の方によると、たくさんの中から選考をくぐり抜けてくるチームには、
甲子園の強豪校のように連続出場を可能とする「常連太鼓」があるそうです。
朝霞駐屯地の朝霞振武太鼓もその一つ。

朝霞振武太鼓は、もともと第31普通科連隊に所属していましたが、
平成14年から第1施設大隊に引き継がれました。

彼らを指導する「北海自衛太鼓」も実は幌別駐屯地の第13施設隊です。

これまでの音楽まつり(といってもわたしが参加するようになってからですが)
で初めて見る名前のような気がします。

名寄朔北太鼓

名寄。
確か札響の道内ツァーに付き合ったとき、
車で通り過ぎた覚えがあります。
(そんなことでもなければ一生行かないだろう稚内とか猿払なんてところにも)
近くの士別というところでご飯を食べていたら、お店の人に

「どこからきたの?札幌?やっぱり都会の人は違うねえ」

と好奇心満々で話しかけられたというくらい、とにかく人のいないところでした。

北海道中部で、名寄駐屯地の海外派遣以外の主要任務はバイアスロンではないか?
(しかも連戦連勝)というくらい雪深い地域です。

調べてみるとわたしの予想通り、朔北太鼓が音楽まつりに出場したのは
平成18年以来二回めでした。

善通寺十五連太鼓

香川県善通寺にある善通寺駐屯地。
戦前は陸軍の師団が置かれ、当時の煉瓦造りの歴史的建造物が残ります。

最近のツィッターによると、

「新しく入った人もいる中で、日本武道館に立つことが出来ました! 」

やっぱり武道館に来られるだけで嬉しいんですねえ。

はっぴの職人風、柔道着風と様々なユニフォームの中で、
紺色の袴着用なのは

小倉ひびき太鼓

北九州の小倉駐屯地に所属するチームです。

滝ヶ原雲海太鼓

静岡県御殿場にあって、自衛隊総火演ではおなじみの滝ヶ原駐屯地。
当チームが発足したのも平成14年のことです。
やはり立ち上げに際しては総本山の北海自衛太皷に指導を受けました。

信太菊水太皷

信太山駐屯地は、西南の役や日清日露戦争に名を馳せた
旧陸軍野砲兵第四聯隊が大阪から移駐して創設された
旧軍跡地にあり、ここは戦後アメリカ軍に接収され、
その期間は海兵隊の下士官養成学校に使われていたそうです。

旧将校集会場など旧軍時代の建物も多く残るとか。
うーん行ってみたい。

現在では第37普通科連隊とその支援隊が駐屯しています。
夏の広島豪雨災害では、呉市などに展開し、活動を行いました。

この体勢は腹筋のない人には無理(笑)

陸自駐屯地がほとんどの太鼓クラブですが、これも常連の
入間修武太鼓は、唯一の空自基地所属太鼓チームです。

ところで海自には自衛太皷のチームはありません。(たぶん)
どうしてかというと
海上自衛隊という「基礎が海の上」である業務の形態上、
太鼓を練習するという場所がなく、そもそも人が揃わないことが多い、
つまり練習ができないということではないかと思います。

さらに入間では空挺隊員を降下させるC-1の運用という点で
陸自とつながりがあることから発足したのではないかと想像されます。

チーム別の演奏のトリを飾るのはいつもの総本山、北海自衛太鼓。

音楽まつりの太鼓演技は当たり前ですが毎年内容を変えなくてはなりません。

演技を創作し構成するのが北海自衛太鼓の役目であり、それを全出演チームに
指導するのも、彼らのトップの責任なのだそうです。

元自衛太鼓の人とたまたま話をするきっかけがあったので、わたしは
此れ幸いと兼ねてから気になっていたことを聞いてみました。

「どうやってこの大人数であそこまでぴったり音が合わせられるんですか」

そのとき聞いた話をそのまま書いておきます。
今現在その通りかどうかは裏を取っておりませんので念のため。


まず、出演チームが決まるのは9月頭頃。

全国すべてのチームが応募してくるとは限りません。
人数不足で出演希望する段階に行かないチームもあるようです。

出場決定チームはオーディションのような形で決めるそうですが、
その際、万が一、隊員に誰か一人でも

不祥事を起こした人がいたら

出演は取り消されるのだそうです。

「うーん・・・やっぱり甲子園だ・・・・」

出演が決まったチームはいえええい!と快哉を叫び(たぶん)、
張り切って、代表者一人を登別の士幌駐屯地に送り込みます。

この代表者が北海道で演技内容を叩き込まれて帰って来るので、
チームのみんなは、それを元に練習をするわけです。

各チームは11月までに代表者が教わった通りの演舞を
体に叩き込んで覚えます。

「全員の音合わせは武道館が初めてなんですか」

「いやいや、そんなんじゃあれだけ合わせることはできませんよ」

そこで全員が集まることができるどこか(富士山の駐屯地だったかな)で
一週間の特訓を行い、朝から晩まで太鼓漬けになって演技に磨きをかけます。

「ちょっと待ってください。一週間ということはその間仕事は」

「しません」

「てことは公務扱いなんですね」

「公務です」

すげー!

自衛隊は、この太鼓演技を一般への広報活動と位置付け、
その完璧な仕上がりを任務達成目標としているってことなんですね。

でも、公務として太鼓合宿なんて、きっと皆楽しいだろうな。

・・・いやそんな甘くないか。バチを落としたり酷いミスをしたら、
腕立て伏せとかグラウンド3周とか、厳しい罰則がありそう。

陸自だし。

写真に撮って太鼓を打ち鳴らす各自の「面構え」といった面持ちをみていると、
ほとんど全員が額を汗でびっしょり濡らしているのに気づきます。

しなやかな腕の筋肉が躍動し、鍛えられた肢体は自在にその形を変え、
何と言ってもその眼差しは炯々と、獣のように鋭く一点を見つめています。

一年に一度のこの時期、武道館で彼らの太鼓が織りなす雷鳴のような響きに
身を委ねるたびに、同時にこの一人一人が、実は国を護る自衛官であることを思い、
なんと頼もしいことか、と、わたしは感動にうち顫える想いがするのです。

続く。