ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

”アーレイバーク提督記念食堂”で昼食を〜横須賀米海軍基地見学

2016-02-26 | アメリカ

わたしの所属する防衛団体のひとつから、ある日お知らせがきました。
真っ先に目に飛び込んできたのは、 

「ロナルド・レーガン見学」

の文字。
横須賀米海軍基地と海上自衛隊第2術科学校での研修見学企画で、
なんとメインは空母「ロナルド・レーガン」に乗艦見学をする、とあります。
昨年、RRが一般公開されたとき、わたしは観艦式で海の上にいたのですが、
もし日にちが違っていれば是非一度見たいと思ってはいたのです。

しかも、一般公開とは違い、今回はRR広報が説明してくれるというではありませんか。
喜び勇んで申し込み、当日を楽しみに待ちました。

待ち合わせは横須賀駅前。
高齢者が多い団体ゆえ、以前参加した横須賀基地見学のように、横須賀駅から
延々とヴェルニー公園の説明をしながらドブ板経由で歩いて行き、
広い基地内を全て徒歩で移動、という無茶はせず、バスを1台チャーターし、
中での移動も全てそれで行うというお大尽企画。
最後の懇親会まで含めて2食お酒付きで参加費一人1万円なら安いものです。


わたしは夜の懇親会会場になったホテルに最初から車を停め、タクシーで
きっちり海軍5分前に集合場所に向かいました。
駅前に停められたバスに全員が乗り込んだところ、ちょうど満席となる盛況振りで、
いかに防衛関係者のRRに対する関心が高いかがうかがえました。
後でお話しした方は福岡からわざわざこのために飛行機で来られたそうです。


参加にあたっては、

国籍がわかる身分証を必ず持参すること(運転免許はダメ)

スカート、ハイヒールは禁止

ドルが使えるので持ってきてください

ということが前もって事務局から告知されていました。
まさか軍艦に乗るのにハイヒールスカートで来る人はいないだろう、
というのは普通の人の考えですが、あとで事務局の人に聞くと、

「これだけ言ってもたまにそのどちらかで来る人がいる」

ということでした。
空母だから階段も広くて「ひゅうが」みたいにエレベーターに乗れるかも?
という甘い考えなのか、それとも自分だけは大丈夫だと思うのか。
このことが話題になったとき、周りのおじさんたちが、

「この間の観艦式でもミニスカートにハイヒールの女の子を見たけどさ」

とぷんぷんしながら言っていましたし、わたしもミニスカートではないけど
タイトスカート(階段の上り下りがさぞ大変だったことでしょう)一人を目撃しました。

本人が現場でどれだけ苦労しようと自業自得ではありますが、防衛団体としては
それで下手に転んで怪我でもされたら大変ですからね。
(と、ハイヒールでもないのに掃海艇の上で転んだわたしが言っても説得力なし)

バスは、米海軍基地のゲートの前で一旦停止。
そこで日本人の警衛係が乗り込んできました。

「このゲートの写真と、警備の隊員の写真は撮らないでください」

注意が入った途端、まわりから、

「あ、撮っちゃった」

という声が上がりました。
SNSやブログにあげたりしなければ、ってことだとは思いますが・・。


その後、バスの中で全員の身分証をちゃんと名簿と照らし合わせて確認し、

一人一人に「チェック済み」のシールを、体のどこかに貼るように渡されました。
これがないと、即追い出されても文句は言えません。(たぶん)
ちなみに、ゲートを出るとき、このシールは全員から徹底的に回収されました。



余談ですが、一度、民主党政権下ならではの「フィーバータイム」で、
なんと中国人記者が横須賀基地に入り、「ジョージ・ワシントン」の取材をした、
という前代未聞の出来事があったのをご存知でしょうか。

日本人であれば、厳しいなりにフリーパスで入れる米軍基地ですが、
これが中国人となると、
そもそも入ることを許されていません。
にもかかわらず、このときは民主党議員の口利きで
(誰だよ)
史上初、中国人が中に入り取材することができたのです。


このときの記者が書いた記事は検索したら出てきますが、それによると、
どうやらこのとき応対した米海軍の広報官は、中国人記者につきっきりで
一挙一動を監視し、(そうだろうなあ)ついでに、


「中国はなぜ洋上で拡張しなければならないのか。
中国の軍事力強化は、『ミドル・キングダム』が過去の朝貢システムの再建を
望んでいるのではないかとの疑念を呼んでいる。
そして西太平洋での米軍の最も根本的な任務は均衡の維持だ」

などという挑発(?)を行い、この記者を怒らせています。


さらには、

「英国など欧州諸国も同様に中国を侵略したのに、
なぜ中国は日本の侵略ばかりいつも頭にあるのか、私にはわからない」

と嫌味を言い(笑)
尖閣諸島については「この問題をめぐる両国間の言い争いは米国には関係ない」
とする一方で、極端な衝突が起きた場合に米国が巻き込まれるか否かについては、
「個人的にはそうだと思う」と述べて、記者をさらに挑発しています。


おそらく第7艦隊関係者は、「今度の日本政府は敵国人を潜入させやがる!」

とそのとき内心苦々しく思ったにちがいありません。
日本人が思う以上に
アメリカは中国をはっきり「敵」だと認識しているのですから、
自分たちがここにいるのがなんのためかわかってんのかよ、とその議員とやらには
文句の一つも言ってやりたかったのではなかったでしょうか。



というわけで、見学のときに日本人であることを確認するのは、当然のことです。

中国人を入れないために、とにかく入れるのは日本国民だけ、
と線引きをしておかなくてはいけないので、当然在日朝鮮人も入れません。



さて、そんなチェックに散々時間をかけ、バスは基地内に入りました。
前回結構な時間をかけて歩いてきたこのオフィサーズ・メスも
バスならあっという間に前に着いてしまいました。
ありがたやありがたや。

士官用飲食施設は

「アドミラル アーレイ・バーク コミッションド オフィサーズ・メス」

といいます。

このcommissionedは「委託された」の意でしょうか。 

大西洋艦隊駆逐艦隊司令官として日本に赴任中、自衛隊の創設に
尽力して日本政府から旭日勲章を送られたバーク提督の名前を冠しています。




接収後、もともと横須賀鎮守府敷地内にあったこういう「碑」の類を
何でもかんでも壊してしまうほどアメリカ人、特に米海軍は野蛮ではありません。

昭和16年に皇太后陛下(昭和天皇の母上)がご行啓されたときの
記念碑はかつてのままに姿をとどめています。



方位版には「サイパン」「パラオ」など、日本領の名前が見えます。
「ワシントン」を「華盛頓」などと書いてあるのは、日本の風習である、
という説明と共に、外側の英語表記部分は、1983年にどこかから「アーレイバークメモリアル」の
前に移転させたときに、わざわざ製作したらしいことが説明に書かれています。



前の基地見学の際には、ここも外から眺めるだけでしたが、今日はなんと!
中で食事ができるというではありませんか。
建物の中に入れるだけでも、今日は来た甲斐があったというものです。



アメリカの街角(大抵バス停の横とか)にはこんなスタンドがあって、
お金を入れるとドアが開いて、一部取るようになっています。
実は一回ドアを開けたら一部と言わず、中にある束を皆持っていけるのですが、
さすがに文明国のシステムなのでそこは良心に任せているようです。



扉を開けてすぐ、一階の大きなホール。
岩国もそうでしたが、和風のパーティションなどをあしらったりして、
そこここで日本の基地らしさを演出しています。



こちらはお昼で営業していませんでしたが、スポーツラウンジ。
大型のテレビが設置され、それで野球やフットボールの試合を見ながら
ビールを飲むのが、アメリカ男の楽しみでもあります。
当ラウンジはその名も「クロフネ」。
かつて自分の先祖が「クロフネ」に乗ってここ横須賀の浦賀に来たことから、
現在の日米関係に至り・・・などとは誰も考えたことはないと思いますが。



オフィサーズクラブ特製の保温ボトル、マグカップなどもあり。
また、当クラブは、太平洋地域での「ベスト・オフィサーズクラブ賞」を
取っております。



横須賀基地司令官であるリア・アドミラルと、自衛隊の海将の皆さん。
右下右から2番目「ヒロシ・ヤマムラ」バイスアドミラル(海将)は、護衛艦隊司令とあります。
その右が潜水艦隊司令の道満海将、山村海将の左は堂下横須賀地方総監。
左は顔も名前も写りませんでしたが、おそらく重岡自衛艦隊司令でしょう。

両軍の将官の写真の撮り方を見ても、全く文化が違うという気がします。
アメリカは「とにかく笑う。歯見せは基本」「袖は必ず見せる」
「かならず国旗と海軍旗をバックに撮る」。

歯はともかく、海上自衛隊も自衛艦旗と国旗をバックに写してはどうか。



会場は二階でした。
各ホールの前には、このようなハンガーが設置されていますが、
ほとんど全員が軍帽を置くため、帽子置きの付いた特別仕様となっています。



「キャビンルーム」と名前の付いたホールのドア。



会場のデコレーションは、季節を先取りして桜(の造花)。
というか、年がら年中これなのかもしれませんが。
造花の花活けに添えられた白い石にもそこはかとなく香るジャパネスク・・・。



一人一人のテーブルにはちゃんと形を整えたクロスナプキンが。
テーブルクロスのブルーは海軍施設ならではです。



食事はバッフェ方式で、並んでお皿に取ります。
わたしは最後の方に並んだので、他の人が食べながら「これ硬い」と言っているのを聞き、
ビーフを避け、メインはチキンだけにしました。

お味は、アメリカの平均的なこういうバッフェから見ると上の方ではありました。



案外いけたのがこのデザート。
アメリカ軍人も日本に来ると甘さ控えめを好むのか、
左のムースと右下のミルフィーユを頂いてみたら意外なくらい普通でした。

ここでの昼食時間は1時間と15分取ってあり、食べ終わった後も同じテーブルで歓談し、
ゆっくりと過ごすことができました。

ところで、この中のお手洗いに行った時に思ったのですが、岩国基地のように
ここも、どこにいっても「アメリカの匂い」がしました。
使っている洗剤やペーパー、食べ物のせいで、日本にありながらそこはアメリカでした。



食事が終わって外に出る前に、1階の「アーレイバークコーナー」を見学。

バーク提督の名前は「アーレイ・バーク」級ミサイル駆逐艦に残されています。
「こんごう」「あたご」の設計思想にインスピレーションを与えた艦でもあります。
先の観艦式には、この39番艦の「マスティン」が外国招待軍艦として参加しました。



ゆかりの品、写真などが飾られたガラスケース。
中段右はしのペッパーミルに見えるものは、ペッパーミルです。
誰から寄贈されたということしか書かれていないのですが、
バーク提督愛用のミルだったのでしょうか。



右上の賞状は、バーク提督が士官候補生の時のディプロマ。
右下は、奥さんのボビーさんと浜辺で撮ったらしい写真。
なんか二人揃って妙ないでたちですね。

念のために調べてみると、こんな画像が見つかりました。



海藻巻いて遊んでたみたいです。
っていうか、バーク提督の顔が真剣すぎて怖い。



さて、お昼ご飯を食べた後は、いよいよ「ロナルド・レーガン」見学です。

続く。