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バーキン片手に靖國神社

映画「ひめゆりの塔」の怖さ

2012-06-24 | 映画

一日遅れですが、沖縄戦から67年目の慰霊の日がここ米国東海岸時間では今日、
23日に行われたということで、この映画についてお話したいと思います。

 

エリス中尉が中学三年のとき、曽野綾子の「生贄の島」を読み、沖縄で何が起こったか、
自分と歳の変わらない女学生たちがどんな地獄を見てどう死んでいったかに衝撃を受けました。

「かんごふさん、かんごふさん」
身体が動かない傷病兵の傷にたかる蛆のたてる「しゃりしゃり」という肉を喰らう音。

若い娘の写った家族写真を拾い、それを彼らに返却するときの甘い幻想を描いていた米兵が、
死体となった同じ家族を塹壕の中に発見する話。

あまりに衝撃を受けた若き日のエリス中尉は、何を思ったか、よせばいいのに、
その秋の「読書感想文コンクール」にこの本を選びました。

ああっ!
恥ずかしい。
自分の中二病が、いや、正確には中三病が、はずかしいぃぃっ!

結果は皆さんもうすうす予想する通り。
中学一年のときのヘルマン・ヘッセ「車輪の下」二年のときのパール・バック「大地」と、
それまで校内の読書感想文コンクールの優秀賞を総なめにしてきたエリス中尉が、
初めてなんの賞ももらうことができず、屈辱の落選となりました。orz


今、タイムマシンがあったら、中学三年の夏に戻って、あの頃のわたしに言ってやりたい。
読書感想文コンクールの感想とは、あくまでも「創作物に対する感想」であって、
戦争に対する恐怖と疑問を述べること読書感想とは言わんのだ、ということを。
百歩譲ってこの本を選ぶとしても、作者の「対象に対するアプローチとその記述」
に対する感想を述べるのであれば、なんとかその範囲内に収まるのだけど、と。
そして、これを選ぶくらいなら、「秘密の花園」の方がずっとましだ、と。

(いや・・・、提出の遅れた男子が、先生に
『なんや、提出日過ぎとるぞ!・・・・で、読んだ本が秘密の花園やて?
なーにが秘密の花園やねん!だいたい秘密の花園ちゅう顔かオマエは!』
と皆の前で公開処刑されていた話を思い出したもので・・・)


それはともかく、この映画に見られる乙女たちの受難は、
「生贄の島」に描かれた悲惨をありありと思いだすに十分なものでした。

それにしても、当時の教師たちというのは、実際にもこの映画のように、わが身をすり減らし、
命の危険を冒しても生徒たちを守るために最後まで努力し、死んでいったのでしょうか。

「国に命を捧げる」と覚悟を決めた少女たちの純粋に思い詰めた清い死とともに、
この映画の先生たちの死は、教育者として崇高な使命を全うしたがための尊い自己犠牲で、
かれらを聖職者と呼ぶのにふさわしいものでありましょう。

この映画は、追い詰められて壕の中に逃げ込んだ沖縄県民と軍が、投稿勧告にも肯じず、
爆弾を投入されわずかの生存者を残して全滅した「第三外科壕」の勤労学徒の女子学生と
先生たちの戦いとその死を描きます。

ひめゆり学徒をテーマにした映画は、これを含めて六本制作されており、いずれの作品も
そこここに創作が加えられているために、事実とは違っているのだそうですが、
このことを調べていて、他のあることに気が付きました。

それは、沖縄、という文字通り生贄となった島の犠牲を語るとき、必ず「軍が」「国が」
島民を助けなかった、それどころか島民に死を強要した、ついには島民を殺戮した、
と声高に叫ぶ人たちの存在です。

彼らにとって悪は常に日本であり、軍であり、そして天皇です。
日本が戦争をしたことと、自決を強要するような精神訓育を国民に施したこと、
一億総玉砕と言いながら実際は沖縄だけが犠牲になったということも、それもこれもすべて、
未来永劫糾弾すべき許されざる所業、ということになるのでしょうか。

つまり、沖縄は犠牲になり、加害者は他ならぬ日本であると。

こういう意見を見ると、不思議でしかたないことがあります。
彼らは沖縄県民であったがゆえに酷い目にあった。これはわかります。
それでは、彼らを実際酷い目にあわせた、というか殺したのは誰か?ということなのですが、
これは、アメリカ軍ですよね?
日本軍は、沖縄県民ともに戦い、逃走し、彼らもまた「戦陣訓」の呪縛に投降することもできず、
やはり多くの兵が次々と死んでいったわけですよね?

軍が自決の強要をした、というのがサヨクな方々のお気に入りの日本悪玉論の論拠のようですが、
当時の日本人、ことに女性であれば
「生きて辱めを受けるならば自ら進んで死を選ぶ」というメンタリティを皆が持っており、
強要されずとも自決を選んだ者が多数であったことは、
サイパン島の投身や、真岡交換局の乙女たちの例を見るまでもなく明らかです。

では、そのメンタリティは誰が押し付けた、ということまでいいだすと、
江戸時代の武士社会における道徳や教育まで歴史をさかのぼらなくてはならないのですが・・。

そして、必ずしも軍人だけが自決を迫ったという構図ではなく、集団を率いるリーダーや、
あるいは家族の長によってそれが決断されることも多々あった、という記述が
「生贄の島」にあったと記憶します。

この件で、「日本悪玉論派」が、現地を実際に歩き回って取材をした曽野綾子の著書を
「印象操作の捏造」と決めつけ、一度も沖縄に行かず「オキナワ・ノート」を書いた
大江健三郎のことは全面的に肯定しているのも、わたしにとって不思議なことの一つです。



戦争という異常事態の中で、醜いものをむき出しにされた人間性がどんな形相を見せたか、
平和な現代に生きる我々には、到底想像の及ぶところではないと思います。
軍人と言えども、所詮は徴兵されてきた民間人でもあり、たとえ率いるのが士官であったとしても、
軍が一般人を見殺しにしたり足手まといにしたり、そんな例は確かにあったのでしょう。

しかし、現地の古老などは「立派な兵隊さんも多かった」などという証言をしているわけです。
左派が言うように「一人残らず悪の軍隊」「沖縄にいたのは悪い軍隊」
と決めつけるのは、あまりにも同じ日本人を貶めていませんでしょうか。

以前「日本のいちばん長い夏」について書きましたが、
あの対談に参加した紅一点の主婦は、激戦地沖縄の出身です。
彼女はアメリカ兵から自分を救おうとした兵隊が、次々と目の前で射殺されていった、と語り、
その直後、別の軍人が「戦争はもう終わったよ」と笑いを浮かべて言ったことに強く憤ります。
ではわたしたちを救うために死んでいったあの人たちは、何のために死んだのかと。

つまり、ここでも彼女はほとんど同時に見た二種類の軍人を語っているわけです。

左派の人々は、つねに「軍」「国」を、まるで全く自分たちとは別の、切りはなされた集団として
語り、断罪し、ことに職業軍人をまるで民衆を虐殺したかのように語ります。
(そして、今や本人たちは誰一人沖縄戦を経験していないらしいのも特色です)

そこで彼らにぜひ聞いてみたいことがあります。
軍人たちも公の人間であると同時に被害者であり、傷つき斃れ、或いは自決によって
亡くなっていったわけですが、このことは、彼らの「自業自得」なのでしょうか。

いや、責めているのは個人ではなく、あくまでも公の団体としての「軍」、マクロに見て「国」である、
とおっしゃるのならば、どうしてその怒りの先が決して直接の殺人者に向かないのでしょう。
どうして、ワシントンで沖縄戦の写真を掲げて、犠牲者たちのためのデモをしないのでしょうか。

わたしにはそれが不思議でたまりません。

アメリカに対しては、そこだけ妙に物分かりがよくなって、
「戦争だったから仕方がない」と納得してしまうくらいの度量をお持ちであれば、
日本が、そして軍が、沖縄県民に「酷いことをした」のも「戦争だったから仕方がない」
という同じ理屈で納得するべきではないのでしょうか。


日本の過去を悪にするという点において、つまり彼らは「親米」なのです。


たとえばある左翼な方は、ひめゆりの塔を見学し、語り部の語る「悲惨な話」
(蛆が人を喰らう音の話)を聴き、今まで以上に戦争の悲惨さに気づき、
今までの自分の認識は甘かった、とさえ思った、と御自身のブログに書いておられます。

語り部は「このように、戦争とはひどいものなのです」と言って 話を終わらせたのだそうですが、
ここで筆者は何故か、

「最近、あの戦争を賛美する勢力が台頭しつつあるが」

と、話をワープさせます。
戦争を賛美する勢力。それはなんでしょうか。
戦争を賛美し、「あの戦争は正しかった」と声高に叫ぶ人間がどこにいるというのでしょうか。

当時の国際情勢、日本を飲み込もうとする大国の謀略、それらを虚心坦懐に歴史として見つつ、
「なぜ日本は戦争をしてしまったのか」ということを、二度と同じことを繰り返さないために
解き明かそうとすることは、戦争を賛美することなのでしょうか。

その結果、彼らが望むような、そして終戦後の国民が信じ込まされてきたような、
「日本の野望だけが全ての原因で戦争は起こった。したがって日本は戦犯国である」
という単純なことではない、という説がでてきたとしても、これのどこが賛美なのでしょうか。

日本が戦ったら、終戦後、列強から、独立の気運が高まった植民地が全て独立してしまった、
その「事実」を言うことのどこが、日本の戦争を賛美しているということになるのでしょうか。


現在の日本で「もう一度戦争を起こそう」と公式に訴えている基地の外に属する団体は、
わたしの知る限りありませんし(あったら破防法対象よね)、
日本人は誰もかれも戦争などまっぴらごめん、という嫌悪感をDNAレベルにまで持っていますから、
サヨクな方々が心配するようなことは、今後も決して起こらないと保証してもいいのですが、
(わたしに保障されても仕方ないんだけど)そういうことじゃないんでしょうね。たぶん。

さて、映画について全く語る気無し。

というわけでもないのですが、もう、この映画、辛いんですよ。観ていて。
「勝利の日まで」なんて軍歌を天使のような声で歌う、清純な乙女たち。
仲間を助けるために銃撃の降り注ぐ夜道を「私が行きます」と皆が名乗り出、歩けない仲間を
担架で運び、泥と汚物にまみれて、ひとり、また一人と亡くなっていきます。
先生たちも、彼女らとともに、使命を果たすために命を失っていくのです。



ぬかるみを逃走して一夜明け、太陽を見ただけで心から幸せを感じる若い娘たち。
「オーソレミオ」(ああ我が太陽)をすきとおるようなソプラノで歌う、香川京子
水浴びしながらはしゃがずにはいられない純真な彼女らの微笑みが、胸を抉ります。



先生たち。
なんと、この右側の男性は、「ああわだつみの声」で東大仏文の助教授を演じた人では?
信欣三(しん きんぞう)という俳優です。
このころの戦争映画に、インテリ男性の役でよくお呼びがかかっていたようですね。
なんと、この人、戦前は「左翼劇場」というプロレタリア劇団に身を置いていたそうで。

お呼びがかかっていたと言えば、この俳優さんも。



原保美。この人も「きけ、わだつみの声」で、やはり陸軍中尉を演じていましたね。
ここでは見習士官ですから、今回は「わだつみ」で苛められていた方の学徒士官という設定。



先生の紅一点は、津島恵子
生徒たちは姉のようにこの美しい先生を慕います。

そして。

この地獄のような戦場で、人々は運命を共にするのですが、そのなかでも
心温まる人間の触れ合いが、当然ながら生徒たちと軍関係者のあいだにも存在します。



皆さん!藤田進ですよ!
軍人を演じさせたら(というか軍人以外の演技をわたしはいまだに観たことがないのですが)
天然なんだか演技かわからない独特の「抜け」をそのセリフ回しに持ち、
やたらに軍服が似合うので、何を演じさせても納得させられてしまう、藤田進

この藤田進が、乙女たちと同じ年の娘を持つ、温厚な、心優しい軍医を演じています。
病人の枕もとで沖縄民謡を歌ってやる少女たち。
にこにこしながら見守る軍医と先生。
このあと、コワイ婦長が叱りにきて歌は中止になります。



皆が追い詰められ、食べ物も乏しい中、軍医は貴重なパイナップルを分け与えます。
「そんな汚い手を出しちゃだめだ。はい、アーンして」
微笑みながら、パイナップルを口まで運んでやる軍医。



生徒が一夜を過ごした民家では、老人が一つしかない芋を皆のために供します。
「すみません」
心から感謝をする先生。

しかし、この後このあたりが爆撃にさらされ、爆弾にやられて息も絶え絶えの老婆から
「子供を連れて行ってやってほしい」
と何度も頼まれても、先生は返事をすることができないのです。
そして「着いていらっしゃい」と勝手に着いて来させた男の子を、壕の婦長は追い出します。

皆が、少しずつ、自分たちの生のために、他人を切り捨てる選択を余儀なくされていくのです。

そして、遂に最後のときは訪れました。
第三外科壕に籠る皆の耳に、米軍の投降勧告が聞こえてきます。

「日本の皆さん、日本の戦争指導者はもう降伏します。
皆さんは何のために戦っているのですか。
出てきてください。
この壕には誰もいないのですか。
もう少しだけ待ちます」

息をのんでそれを聴く壕の人々。

「戦意を喪失させるためのデマだ。信じるんじゃない」

軍医が低い声で叱責します。
このとき、軍医は「自分の娘にそっくりで特にかわいがっていた」香川京子の傍らで、
その肩を抱きしめてやっています。

しかし次の瞬間。



我慢できずに壕の外に走って行こうとする娘。
と、一発の銃声が響きます。

軍医でした。
冒頭画像は、娘を撃ったピストルを構えたままの軍医。



皆、感情を失ったひとのようになって、ただそれを見つめます。
津島京子の表情は、彼女がこのとき視力を失っていて何も見えていないという設定です。





海岸沿いを逃げる道を選んだ者たちは、皆海上から掃射されて全員が死に絶えました。


この映画において描かれた地獄、人が人でなくなる真の地獄をあらわすこのシーンは、
これが実際にあったことかどうかということ以上に、戦争の残虐さを伝えるのに成功しています。

心優しい軍医が、それまで抱きしめていた娘を射殺する。

「人が平時の常識や道徳、善悪も社会規範も、何もかもかなぐり捨てる瞬間」が、
人格者で温厚なこの軍医にも訪れたように、善良な一人の人間が修羅となりうる、
それが戦争の最も非情たる現実なのです。

仲間を見捨て、切り捨て、見殺しにする話も、わが身を呈して隣の者を庇う美しい話も、
一つの戦争の中に同時に起こり得る出来事です。

そこで、そこにいた中の「誰が悪い」という犯人探しをすることが、何を産むのでしょうか。
ましてや平和の世にぬくぬくと生きている者たち、その場にいもしなかった者たちに、
その死者の群れのなかからより罪深い者をを指さす資格が、果たしてあるのでしょうか。



この映画における藤田進は、これまでの「軍人タイプ」のどれとも違っています。
ここでの藤田は、今まで演じてきた戦史に残る高級軍人ではなく、「名の無い軍人」。

その直後、米軍が壕に投入する黄色弾によって死にゆく運命の、悪鬼のような形相の軍医。
藤田が硝煙の立ち上る銃を構える姿には、戦争に、命のみならず人間の尊厳さえをも蹂躙され、
非業の死を遂げた声なき軍人たちの無念が一身に体現されているようです。

この映画の、そして戦争の恐怖を、心から感じさせられた瞬間でした。