無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

権力は怖い

2007年10月31日 | Weblog
高知の白バイとスクールバスの事故のことで、色々なことを書きたいと思う。

まず、最初にテレビや新聞の報道の仕方の問題である。

■報道の仕方

「3日午後2時半ごろ、吾川郡春野町弘岡中の国道56号で、県警交通機動隊の吉岡力巡査長(26)= 高知市布師田=が運転する白バイが道路左側のレストラン駐車場から出てきた吾川郡仁淀川町の仁淀中学校のスクールバスと衝突。吉岡巡査長は胸を強く打ち、高知市内の病院に運ばれたが胸部大動脈破裂で約1時間後に死亡した。
バスに乗っていた同中3年生22人と教員3人にけがはなかった。土佐署はバスを運転していた仁淀川町森のタクシー運転手、片岡晴彦容疑者(52)を業務上過失傷害で現行犯逮捕。
業務上過失致死容疑に切り替えて調べている。同容疑者は「バイクは全然見えていなかった」と言っているという。
現場は荒倉トンネルの南約300メートルの片側2車線の見通しの良い直線。吉岡巡査長の白バイは高知市方面に向け通常走行していたとみられる。バスは土佐市方面へ向かうためレストラン駐車場から対向車線へ入ろうとしていたという。
白バイはバスの右前部に衝突しており、吉岡巡査長はバスをよけようと右側にハンドルを切ったが、よけ切れなかったのではないかとみられ、同署が詳しい事故状況を調べている。」

この事件を始めて上の報道で見た人は、どう思うだろうか? この報道の仕方では「バイクは全然見えていなかった」という言葉を「運転手の不注意」と受け取る人が多いのではないか。
さて、次のブログを見て下さい。全て読み、見られた方はイメージが変わるはずです。

冤罪事件進行中(高知の白バイとスクールバスの事故) http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737

「雑談日記」~10月30日http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2007/10/post_e82c.html

「きっこの日記」http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=200710

この中のKSB瀬戸内海放送の特集番組1~5のVTRを順番に全部見て下さい。

マスメディアに関することが出ているブログから、先に紹介します。

「世に棲む日々」http://critic3.exblog.jp/7638832/#7638832_1

どうしても言わなくてはいけないことが二点ある。一つは瀬戸内海放送の検証報道の素晴らしさである。これは実際に放送内容を見ていただきたいが、ジャーナリズムとして奮闘しているテレビ局の姿を久しぶりに見て感激した。瀬戸内海放送に大きな拍手を送りたい。
それともう一つは高知新聞が対照的な姿を見せている点で、これは一体どういうことだろう。権力ではなく人民の側に立つ自由民権の伝統の新聞だったが、変わったのだろうか。
なぜ高知放送やテレビ高知ではなくて、他県(高松)の瀬戸内海放送なのだろう。バスに乗っていた生徒たちが、全員、虚偽の証言をしているとでも言うのだろうか。理解できない。


「Good By! よらしむべし、知らしむべからず」http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2007/04/post_379.html

事故があった高知県のメディアがだんまりを決め込んでいたが、よその県の岡山・香川の放送局が連続して報道している。実に奇妙な事態になっている。
不可解な動きがある。その一つがもっとも重要なスリップ痕のことを8ヶ月も告げなかったことである。また事故発生時から一時間、片岡氏を現場から連れ去り実況見分に立ち合わせなかったことである。(その後の実況検分も車の中から…これは、おかしい!)
警察はなにをやろうとしていたのか?なにをやったのか? 大きな疑問がある。

ここのブログ「60km走行では衝突を回避できた 高知県警白バイ事故」http://c3plamo.slyip.com/blog/ も、有罪率99.9% こんな裁判所はいらない! 元凶の最高裁(同4月14日ブログ)も見て下さい。http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2007/04/post_379.html

次に、この「事件」を私なりに纏めて見ました。

(1)事故の状況(検察側と弁護側)http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737/651900.html

■警察・検察の問題(事故の状況について)

検察主張
1, バスの運転手(以下運転手)はレストラン駐車場より国道進入直前に一旦停止(A地点)をしたが、右方向をちらっと見ただけで反対車線を右折するために、国道に進入した。
2, 6.5m進行したところで、バスの右側面前部が白バイと衝突(B地点)。それと同時に衝撃に驚いた運転手は急ブレーキをかけた。
3, 3m白バイを引きずりバスは、右折車線、中央分離帯付近に停車した(C地点)。
4, 衝突時のバスの速度は、目撃者の証言と現場に残されたスリップ痕より測定すると時速10kmである。

 
弁護側主張
◎ 運転手の言い分、これは私が運転手や同乗していた人から聞いた話です。以下同文
1,バスは左右を十分に確認してから国道に進入
2,'''C地点'''にて停車し、土佐市方面へ向かう車の流れを確認している所で衝撃を感じた。

補足説明
 事故現場は片側2車線の国道の変則交差点で右折用の車線があります。歩道より第1車線まで3.5m 第2車線まで7m、右折車線までが10m。路側帯1m
横断歩道と点滅信号があります。バスはグローバルバイキングの駐車場(写真右手)から土佐市方面(写真下)へ向かうため交差点に進入を始めた。
 
 争点は・・・
 検察はバスが走行中に白バイに衝突、運転手は停車中に衝突されたと主張。これにつきると思う。
 車道前で一旦停止したと言うことは検察も冒頭陳述ではっきりと言っている
 真実はいずこ?。

(2)証言

検察側の証人:(片岡さん=被告の話)

一人目の方は、別の白バイ隊員の方で、亡くなられた隊員(Aさん)の対向車線を走行中に目撃した事を述べていました。
その白バイ隊員の証言によると、私のバスとAさん運転の白バイとを同時に確認したと言うことでした。(これは本当はありえないことです)
私のバスが5キロ~10キロの速度で、白バイの速度が60キロで、バスが国道に進入している時に、6m50cmのところで衝突し、2m90cm白バイを引き摺り停止した、という証言です。
その白バイ隊員は、私のバスとAさんの白バイが衝突する直前に、バスの運転手はどうして気がついてくれないのか、止まってくれ止まってくれと思った、と証言していました。
しかし、この白バイ隊員が走行していた場所というのは、私の大きなバスの姿さえ全く見えない位置なのです。
この方もまた、組織の中で無理な証言をさせられている犠牲者の一人だと思います。

二人目の方は、実況見分調書を作成した方です。
弁護士から、どうして(私を)逮捕したのか、と聞かれ、通常の逮捕理由には、証拠隠滅の恐れがある場合と、死亡事故の場合がある、と、そのような答えでした。
弁護士から、「今回は証拠隠滅の恐れはありませんね」と聞かれ「ハイありません」、「そしたら死亡事故だったからですか」と聞かれ「ハイそうです」と答えていました。
弁護士はさりげなく質問を変えて、判決の決め手になった、一番の争点のブレーキ痕の写真に移りました。
おたまじゃくしみたいブレーキ痕の写真を見せて、先端の濃い部分を指して、「これはどうしてできたのですか」と質問をしたところ、証言者は答えに窮してしまいました。
すると裁判官が、「バスを止めていた部分のタイヤの下に何かの液体がしみこんでいて、バスを移動してから、しばらくして乾いたんでしょうね」と、証言者に助け舟を出しました。
すべての流れが検察サイドに傾いているように思いました。

弁護側の証人:(控訴審では弁護側が提出しようとした証拠・証人を裁判官はその必要は無いと全て却下したこともあり、瀬戸内海放送での色んな証言・疑問点を載せます)…30分で即日結審

*白バイは時速60Kmで走行。

 ・自分の車でバスの後ろについていた校長の話「バスは停まっていた、こんなスリップ痕が付く訳がない」「白バイは時速100Km以上」

 ・近所の人の話、「白バイの訓練場所となっており、赤色灯やサイレンを鳴らさずに100Km~150Km/hの猛スピードで走っていて、危ないな、いつか事故が起こるのでは、と思っていた。」他の人は「100Km以上で頻繁にやられていた。」と話している。

 ・バスの破損状態を写真で見た自動車の板金塗装業の方の証言:「事故のバスの破損状態を見ると、時速60kmでは絶対にありえません。いくら白バイが重いとはいえ、せいぜい270kgがいいとこでしょう。
私の考えでは、時速100km以上でないと、あれだけ潰すのは不可能だと思います。
トラックやバスを直している修理屋にあの事故写真を見せて、大型バイクが時速60kmで衝突したものだと言ったら、どの修理工も全否定すると思います。」

 ・第三者が事故の直近に白バイが100Km以上の猛スピードで自分の車を追い越していったと証言。

 同報道では、この捏造疑惑には、その直近に本庁から「5年間で白バイ隊員が10人死亡、91人が怪我をしているので『事故を起こさないように』」との指示・通達が出ていたことと関連があるのでは?としている。

*バスは白バイに気が付かずに10Km/hで動いていて、ぶつかってから急ブレーキをかけ、白バイを3m近く引き摺って中央付近で停止、そこに証拠のブレーキ痕が1メートル~1.2メートルついている。

・私は車道に出る前に一旦停止した(これは検察側も認めている)バスが右折しようとして道を横切るときに出るスピードで急ブレーキをかけたとして、1メートル以上のブレーキ痕がつくとはとても思えないのですが、同報道での実証実験でも、30cmでほとんど痕がついていない。中に乗っていた人は前に大きくつんのめった。

*中に乗っていた中学生たちの証言

 ・「停止していたブレーキは感じなかった」「中央分離帯のところで停まったので写真を撮った」「反対車線の車をみていて、そろそろいけるかな、と思っていた時にぶつかった。」

 ・バスに乗っていた中学生がその日、家に帰り親に事故のことを話した、その親は子供の話と翌日の報道をみて「全く聞いた話と違う別の事故」と感じた。

*中学生の行動

当時、中学3年生だったバスの「お別れ会」のメンバーは、今は別れた高校の2年生になっているが、運転手の人が、一審で1年4ヶ月の禁固刑(執行猶予なし)が言い渡されたのを聞き「僕らが体験したことが真実だと思うので」と当時22人の同乗していた生徒のうち20名が集まり、愛媛県警 仙波敏郎氏の講演会場前で「私たちは急ブレーキなど体感していない」といった運転手の冤罪を訴えたビラを配った。

仙波氏は現役の警察官なのですが、次の様に言っています。

「子供たちがここに来る(集まってビラを配る)ということが、ある程度の真実を語っている、と思う。
もし、運転手の人が無謀な運転をしてぶつかった、にも拘らず、自分(その運転手)が非を認めない、と言うことであれば、彼らは来ないんじゃないか(集まってビラくばりはしないのではないか)と思う。

続けてこういっています。…明日に続きます。

「テロ」と「国際貢献」の虚構性…その2

2007年10月30日 | Weblog
昨日の続きです。

今日の言葉

◎虚偽がまかり通る時代には、真実を語ることは革命的行為である。(ジョージ・オーウェル)

これは、下記ブログのVTRに出ていた言葉です。

(3)ルッソ監督インタビュー http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=600415


活字で見たい人は「霊人のひとり言」を見て下さい。

真偽の判断は見た人に任せるが、政治の世界では陰謀の嵐が吹き荒れているので、一面だけで判断する態度は改めて欲しい。こういったこともあり得る、と考えて物事を多面的にみてもらいたい。
柳条湖事件(満州事変)や盧溝橋事件(日中戦争)やトンキン湾事件(ベトナム戦争)が全て戦争をしたがっている側のでっち上げであったことが後から判明しているので、「大逆転」等の傑作を作った監督が、癌に侵され、死を覚悟してのインタビュー(告白)であることから、あながちデタラメとはいえないと、私は感じるのだが…。(今年8月死去)


上記が載っていた「反戦な家づくり」より引用

(引用開始)
どんな立場の勢力でも、政治的な目的として暴力手段を行使する場合は、テロという。
その前提で言えば、ビンラディンもテロリストかもしれないが、当然ながらブッシュもテロリストである。…引用終り


日本では「テロ」「テロリスト」と言う言葉が毎日のように出てくるが、ブッシュ大統領が9.11の宣言に「これは戦争である」「アメリカに対する宣戦布告である」と言ったように、アメリカの戦争であり、今のイラク戦争は、アメリカとイラクの間の戦争なのである。それなのに政府・マスメディアは「テロ」「テロリスト」「テロ国家」と連発し、国際貢献といって、アメリカへの戦争に日本も家来として従軍する道を突き進んでいる。

つまり、戦争を肯定して、日本も戦争をしようとしている訳で、その大儀名分に「テロ」の撲滅、「国際貢献」を謳っているのであり、これは昔の「大東亜共栄圏」という国際貢献を謳ったときと同じである。

他の国では、テロという言葉をあまり使わないようにしています。現状のイラク戦争に相応しくないからでしょうが、あなたもこれからは「テロ」を「戦争」に置き換えて報道を見聞きして下さい。

いろいろな人のブログから勝手に引用してみます。

(引用開始)
(1)毎日のように与野党の政治家が給油の是非を論じているが、こんな問題は二次的な問題なのだ。
アメリカの戦争にこれ以上付き合っていくべきかどうかが問題なのだ。
アメリカの戦争に付き合うことが果たして世界が日本に期待している国際貢献かどうかと言うことなのだ。それを正面から議論すべきなのだ。

(2)http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20071006 「きっこの日記」~「国際貢献」という大ウソ http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20071006

テロ戦争の意図と現実~2007年9月11日 田中 宇

今日のタイトルと直接関係ないが、気に留めたブログを載せておく。

天木直人のブログ2 http://www.amakiblog.com/archives/2007/10/26/

高知白バイ事故2審判決のことが気になって、今日も難しそうなタイトル(テロと国際貢献の虚構性)が纏まらなかったが、眠くなったので、又次回に回すことにした。

「テロ」と「国際貢献」の虚構性…その1

2007年10月29日 | Weblog
今の世の中、特に政治は嘘の塊り嘘ばかり。
国民はその嘘に騙され、嘘だと気づいても「長いものには巻かれろ」と反抗しない怒らない。国はそれをいいことに、なし崩し的に民主主義を取り崩し、全体主義へと持っていこうとしている。この法案を出してみた→国民の反応=抵抗がない→では、国民を騙して次のステップに進もう→ネットのブログでは猛反発があるものの、国民の反対デモも大きくおこらない→では最後に憲法を改正して「権力にかせられたタガをはずしてしまえ!」である。

私は、憲法改正問題で「9条」ばかり騒がれているので、自民党の改正案をみると一つも国民にとって良くなる改正案は一つもないのに、と、国民が政府・マスメディアのデマに騙されて賛成することに対し、全国民が全女性が自分で自分の首を絞める行為だとの警告を発してきた。

自民党の憲法改正意見では、(以前ブログで書いたものを纏めます)

◆改正のポイント(1)

・自民党憲法改正意見1…婚姻の男女同権規定は家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべき=女性は産む機械

 (注)現憲法が出来る前のように「財産権」まで奪うことは無いでしょうが、女性は結婚したら「家庭にはいれ」でしょうね。国の育児制度等の不備・社会体制の不備を棚に上げて、昔の男性支配社会へ戻そうとしています。(今でもそうですが)

◆改正のポイント(2)

・自民党憲法改正意見2…「社会連帯、共助」→「公共的な責務」→国の防衛における国民の協力義務を設けるべき=隣組の復活

 新設改正案:新憲法案 第91条2項 地方自治は、住民の参画を基本とし、…住民は、その属する地方自治体の役務…の負担を…分任する義務を負う。

 (注)あなたは今地方が画策し行なっている色々な訓練を毎週でもやらされることになります。まず、連絡網から整備され、あなたは相互扶助(皆)の為に行なわれるこの訓練に参加しなければ法を犯す「犯罪者」となります。

 「災害避難訓練」→「災害救助訓練」→「国防訓練」→「軍事訓練」
  

◆改正のポイント(3)

・自民党憲法改正意見3…権利・自由と表裏一体をなす義務・責任→公と私の役割分担を明確化→憲法は「国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である」と言われているが、憲法が国民の行為規範=国民を縛り付けるものとして機能するよう考慮していく必要がある。

 新憲法案:国民の権利の制限
      現:「国民の福祉」に反しないように権利を行使。
      新:「国益」「公共の秩序」に反しない限りの国民の権利。

 (注)国益も公共の秩序も国が決めるもの。
   国の判断とは、海外派兵=国益にかなう、国民の軍隊によるデモ隊鎮圧=公共の秩序維持、である。 

◆改正のポイント(4)

・新憲法草案では軍隊の保有をうたい、改正案では軍隊に関することは全て「法律で定める」としている…憲法の枠から除外(いわば軍隊の憲法からの治外法権化)

◆改正のポイント(5)

・自民党の改憲意見:「特別裁判所の設置を禁じた日本国憲法第76条第2項に基づき、日本の自衛隊には、軍法会議は存在しない。よって、「有事の際、所謂『敵前逃亡』を正当に裁けない」という可能性も高い。憲法改正により、『軍事裁判所』を憲法で規定するべきである。」

 新憲法案 第76条3項 軍事に関する裁判を行なうため、法律の定めるところにより…軍事裁判所を設置する。

(注)「軍事裁判所」を辞書で引くと別名「軍法会議」とあり、「軍法会議とは軍法を根拠として主として軍人に対し司法権を行使する軍隊内の機関である。」とか「軍隊内において、一般の司法権からは独立した軍法に基づいて軍人などを裁き、懲罰を科す軍の刑事裁判。軍隊組織の安定と能力維持…のため、一般市民にとっては犯罪にならない行為も、犯罪として刑罰を受けるケースがある。」
憲法が改正になったら国民に「国防の義務」があるのですから憲法改正後まもなく徴兵制が布かれる可能性は99.9%であり、あなた又はあなたの家族・子供・親戚が入隊しアメリカの先兵として民主主義・自由主義・平和を守るためとの「正義」をかかげ、海外派兵に行かされるとき、「人殺しはいやだ」「死ぬのはいやだ」「戦争反対」といったら、この新憲法によって認められている「軍法会議」で処罰されることになるのです。
昔、「敵前逃亡」は軍法会議で死刑でした。(念のため)…以前のブログから引用

◆改正のポイント(6)

・現憲法で「政府は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」としているが、自民党改正案では「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育を行なってはならない。」と「社会的儀礼又は習俗的行為」であればOKとしている。

 (注)これは靖国神社に眠っている英霊を尊ぶ教育はしてもよい、ということ。

又、現憲法は、「公金その他の公の財産」を宗教団体に使ったり、利益供与等を禁じているが、新憲法案では「社会的儀礼又は習俗的行為」には国民の税金・財産を使っても良いとしている。

 (注)これは、靖国神社の公式参拝どころか、その奉納金に「国民の血税」が使える、ということ。

◆改正のポイント(7)

 ・自民党の新憲法案が通ると、国はいくらでも国民から税金を取り立てることが出来るようになる。
 
 新憲法案第83条(財政の基本原則)

   第1項(現行憲法と同じ)

   第2項(新設)財政の健全性の確保は、常に配慮されなければならない

 (注)国は、財政の「健全性」を確保するために、消費税を120%にすることも出来るわけです。憲法で財政の健全性を常に確保しろと言っているのですから、国家財政が「赤字」でいることは、一時たりとも許されません。従って、国は憲法を守るために仕方なく税金を上げるわけで、これには国民も文句は言えません。


何か、今日のタイトルと全く違った内容になってしまいましたが、憲法改正=自衛隊を軍隊として認めるか?集団自衛権を行使できるようにするか?といった憲法改正論議のマスメディアによる一点集中化といった目隠しにより、改正しようとしている全容が国民に伝わらないようにされ、上に挙げたように、よく見ると、国民のためになる改正条項が何一つもないのに、女性が国民が国の奴隷化されようとしているのに、よく「憲法改正に賛成」という国民がいるものだ、と不思議に思う。
 
これも、政府の宣伝・マスメディアの情報操作により「全体像」や「本当のところ」が国民に知らされず、目をそらされている為である。

今現在、国民の目がそらされ、情報操作により(言葉により)国民が騙されている事例の最たるものがタイトルの「テロ」と「国際貢献」である。…やっと本題に!

まず、政権政党が主張していることを朝日新聞政治部長が「代弁」して記事にしているので、「ヤメ蚊」さんのブログ http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20071019、から引用しておく。

(引用の引用開始)
毎日新聞の17日付朝刊一面より
ベトナム戦争さなかの60年代半ば、財界首脳の一人が「ベトナム戦争が終わると日本の景気が悪くなる」と口にしたことがある。同じアジアで同時進行中の戦争が「カネもうけ」の次元で語られた時代。それは、他者の運命への共感を、日本人が無自覚なまま欠いていた時代でもあった。

 あからさまな「一国平和主義」を公言して恥じない人は、もういないだろう。我々は湾岸戦争で「カネだけ」の国際貢献の限界を知った。9・11以降はテロという「見えない敵」とどう対峙(たいじ)するかを国際社会とともに考え、行動してきた。

 テロ集団を増殖させる破綻(はたん)国家を再びつくらない、貧困や宗教対立といったテロの温床となる問題の解消に各国が結束して取り組む--。自分たちの外の世界の不条理に対する怒りを共有することなしに、9・11以降の国際社会は立ちゆかなくなったのである。

 アフガニスタンにかかわる作戦に40以上の国が軍や文民を派遣しているのも、アフガンと世界の運命が不可分であることが、国際的コンセンサスとなっているからだ。日本も大国として、アフガンや周辺地域の安定に責任を負う。この一点において、自民党も民主党も共通の認識を持つ。

 ところが、両者の議論はかみ合わない。当のアフガンをはじめ多くの国が評価しているインド洋上での給油活動に民主党はノーだと言う。小沢一郎・民主党代表が提起した国際治安支援部隊(ISAF)への参加構想には、自民党から「危なくて無理だ」と大合唱が起こる。両者は相手の弱点ばかりつき、合意形成の努力は見られない。「現在やっている活動(給油)も、将来やれる可能性のある活動(ISAF参加)も与野党が互いにつぶしあって、日本は結局、国際的に孤立主義の道を歩むのではないか」。田中明彦・東京大学教授は懸念する。

 与党も野党も、アフガン安定や対テロ戦で行動が必要だという「政治的意思」を同じくしているのであれば、結果として何もやらないという選択肢はありえないはずだ。それは、国際貢献論議に名前を借りた国内政局の権力闘争である。日本の「不作為の政治」は、国際的にも無責任のそしりを免れないだろう。…引用の引用終り

ヤメ蚊さんは、この記事を「軍国主義を読者に勧めている記事」といい、「完全に論理が破綻している、ただの戦争推進記事だ」といって、「この記事を信じてしまう人もいるだろうから」と一節ごとに間違った理論を論破している。
ここでの全文紹介は省くので上記URLをクリックして読んで下さい。
私も、全くその通りだと思います。

ただ、少し私の考えを付け加えます。
確かに上の記事は政府・政権政党が進めようとしている全体主義・軍国主義国家を作るための理論そのものですが、この記事で分かる通り、間違った言動を指摘し、正しい意見を使って、それが、さも正しい結論のように持って行くやり方を政府・マスメディアは採っています。

第一に、「ベトナム戦争が終わると日本の景気が悪くなる」との発言は全く人間として間違った感覚で、確かに結果として日本は朝鮮戦争・ベトナム戦争での恩恵(特需景気)を被った事実はあるのですが、この人道無視の発言は許せません。
ただ記事に書いてある通り、これはあくまで「財界首脳の一人」の発言です。確か、この発言は当時、問題発言として話題になり、私を含め多くの国民のブーイングを受けたものと記憶している。
それを「日本国民全体がそういった考え方だった」時代と表現するのは読者への「詭弁」と言うしかない。

もう一度記事を読み返して欲しい。日本人のほとんどが眉をしかめた発言をとって
「同じアジアで行なわれている戦争を金儲けの次元で語り、他国(他者の運命)への思いやり・配慮(共感)が日本人に欠けていた時代」と決め付けている。当時の日本でもベトナム戦争反対の集会・大規模なデモが相ついで起こっており、「共感が欠けていた、そんな時代だった」といった過去形ではなく、今も昔も、「欠いている」と思わせるのは憲法改正に賛成し、戦争に賛成している政財界の一握りの人たちだけである。

また、もう一つ、正しい意見といえそうな記述は「テロ集団を増殖させる破綻国家を再びつくらない、貧困や宗教対立といったテロの温床となる問題の解消に各国が結束して取り組む」という箇所ですが、それが軍隊によるもの、海外派兵しか「国際貢献」の道が無い、と短絡的に結び付けている論理の飛躍に問題があるのです。

最初だけで長くなってしまったが、最初にこの新聞記事を「そうだな。その通り。」と思って読まれた方は、いまの私の話とヤメ蚊さんのブログを見て嘘に気付き、考え直してください。

この新聞記事は今の政府の主張そのもの(政府公報)ですので、嘘の塊りです。
これを元に、もっともっと意見を書きたいのですが、次の機会にします。

従って、今日のタイトルに「その1」を加えました。

下記ブログも参照してください。

テロと戦争http://homepage2.nifty.com/ToYamamoto/tkwarframe.htm 

テロをわざと防がなかった大統領~2002年1月24日 田中 宇 http://tanakanews.com/c0124wtc.htm

観客思考の人たち

2007年10月26日 | Weblog
他のブログ・サイトにずっと以前に書いたことを乗せておく。

ネットを見ていると、頭がおかしいのではないか?と思わせるブログに出くわす。

例1:「子どもが歴史の本を読んでいて,母親に『おかあさん,この世界大戦ってなあに?』と訊き,母親が『昔,世界中がお互いに殺しあって2000万人以上の人が死んだのよ』と答え,それに対して子どもが『ふーん,そんな馬鹿なことをしてたときもあったんだ』という、そんな時代が来るといいですね。」 という意見のブログ(?)に対し、「ご安心下さい。 そんな世界は人類が滅亡するまで来ません。あなたも子どもにそんな間違った教育をするのはやめましょう。」(言葉はもっと茶化した,汚く罵るような馬鹿にした言い方だったと記憶している)

例2:文字の変換を間違えたまま投稿(?)した人の意見に対し、「誤字があるような人の意見は間違っている」と,馬鹿にした汚い罵る口調で,その人の意見の内容には触れずに否定しているブログ。

例3:戦争はいけない、でも現実は…といって、現実を知らない、と戦争反対派を嘲笑し馬鹿にしているブログ。(前に載せた大学生のブログはまだマトモ)

現状を自分にかかわることとして捉えていない。「他の国を攻撃するという馬鹿げたことは今の若者はしない」といって国の手で行なわれることになった愛国心教育を危惧する声を「左翼」とか「日教組の自虐思想の影響」といい、自分が巻き込まれるとか組み込まれる、といった意識が欠如している。
全く「他人事」と見ている。傍観者的意見、即ち観客席から舞台の内容に意見を言っている様なものである。

何故、こういった頭がおかしい考えをするようになったのか。

(1)テレビは一方通行であり、ドラマにしても災害や戦争の実況中継にしても、その現場の痛み等の臨場感覚は伝わらないし、視聴者側から意見等のフィードバックも出来ない。赤ん坊のときからテレビを見て育ったからか? 

(2)テレビで視聴者参加番組やコント55号らのお笑い番組を見ていて明治生まれの親父から「そんな番組ばかり見ていると,一億総白痴(日本国民全員バカ)になってしまうぞ」とよくいわれたが、その世代が親になったからか?
……文章の一部に不適切な言葉がございましたが作者(当時の言い回し)の意図を尊重し,そのまま掲載しました。
(差別用語については,たくさん言いたいことがあるが,またあとで)

(3)どこかの学者が,ドラクエやFF等のゲームをやっている最中の子の脳波を調べたら「重度の精神障害者」(実は上と同じ言葉)の脳波と同じだったと発表していたが,子どもたちがゲームをやりすぎたせいか?
日本の子供の学力で「読解力」が41カ国中14位に落ちてしまったのは,そのせいか?

(4)速水氏のいうように「本来,努力して,しかし挫折して悲嘆に暮れている人に対して、援護的慰めと再起の言葉として向けられるべき『Only One』という言葉が、なんの努力もしていない人にまで蔓延して根拠の無い『仮想的有能感』をもってしまい、他人の能力や実力を先行否定することで、事前の自己防衛と位置的上位感を実現する。」といった人が増えているからか?

*仮想的有能感を持った人の特徴

 ・やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる

 ・根拠のない有能感に浸る

 ・自分に甘く、他人に厳しい

 ・努力せずに結果が欲しい

 ・「悪い」と思っても謝らない…以上、「他人を見下す若者たち」速水敏彦著

今の日本人(特に若者)の間違った考え方の例をいくつか挙げておく。

・(他のブログより)その日も昼休憩に一旦帰宅すべく駐輪場に向かうと、ウチの原付の近くに駐輪してある原付にまたがってなにやらしている女子高生が二人。
よく見るとミラーが取れたようで、必死で『なんでつかへんのじゃー』と言いつつ取り付け作業をしている。『あらら、取れたか。』と内心思いながら、我が原付へ。ふと気づくと、ウチの原付にあるはずのミラーがない。
周りを見渡すと、先ほどの女子高生二人組が目に入る。その手にしているのは間違いなくウチの原付のミラー。
ウチはその女子高生に詰め寄った。「こら!なんで人のミラー盗んで自分のにつけようとしているんだ」
女子高生二人はハァ?って顔をしてから「これ私らのや!!」とのたまわった。
「さっきから必死でつけてるみたいやけど、車種、メーカーともに違うヤツやから付く訳ないだろう!お前らの物って言うんだったら、そんな苦労しないだろうが!」そしたら、この女学生、こともあろうか。
「私これから用事があって行かなあかんねん。その為にはコレがいるねん!」
(あきれて、しばし沈黙)
それはお前の都合だろうが!
「それはお前の都合であって、俺の都合じゃ無いだろうが!!なんで俺がお前みたいなのに無償でミラー提供しなきゃいけないのか!」
それでも、一人の女学生の方は
「そんなん私には関係ないやん!」
あー、ダメ。同情する余地もなくなった。…以下略。

■万引きで捕まると「金払えばいいんだろ!」と開き直る若者が多いと聞く。「ジコチュウ」と罪の意識が無い。
自転車泥棒が多い。盗んだ人は上の女子学生のように罪の意識がないのだろうが、盗んだ人は、自転車を盗まれたことによって、「持ち主の人生が変わってしまうことも起こりえる」と考えたことはないのだろうか。例えば重要な待ち合わせを予定していた持ち主が、自転車で何分かかる、と予定して駅に着いたところ自転車が無い、携帯を持っていない、タクシーも来ない、お金も持っていない、等々で時間に間に合わなくてその持ち主の人生に大きな影響を与えることもあり得るのだ、と「罪の意識無く、盗んでいる人」は思わないのだろうか。気楽に盗んだことで、その持ち主が自殺に追いやられることも起こりえないとはいえないのだ。

昔、イタリア映画「自転車泥棒」を見た。内容は忘れてしまったが、アントニオが自転車を盗み、皆んなに追いかけられた時、子供ながらに「何とか逃げて!」と願ったものだ。捕まったときの親子のシーンが頭に残る。

ウィキペディアより「自転車泥棒」の内容紹介

第二次世界大戦後のイタリア(戦争に負けて不景気状態のイタリアの悲惨な日常)
2年間職に就けなかったアントニオ・リッチは、職業安定所の紹介で役所のポスター貼りの仕事を得る。
仕事に就くためには自転車が必要だと言われるが、生活の厳しいアントニオは自転車を質に入れていた。 妻のマリアが家のベッドのシーツを質に入れ、その金で自転車を取り戻す。
新しい職にうかれるアントニオを見て、6歳になる息子のブルーノも心を躍らせる。

ブルーノを自転車に乗せ、意気揚々と出勤するアントニオ。 しかし仕事の初日、ポスターを貼っている最中に自転車を盗まれてしまう。 警察に届けるも「自分で探せ」と言われる始末。 自転車がなければ職を失う。新しい自転車を買う金もない。アントニオは自力で自転車を探し始める。

友人のバイオッコに相談した結果、翌朝に広場のマーケットへ探しに行くことに。 ブルーノを連れて、マーケットへ向かうアントニオ。 広場には大量の自転車が売りに出されていたがアントニオの自転車は見つからない。 息子ともに途方に暮れている中、アントニオは犯人らしき男が老人と会話しているのを見かける。 男を追いかけるも逃げられてしまい、続けて老人を追う。 老人は「何も知らない」と言い張るが、食い下がり老人についていく。 老人は施しを行う教会に入った。 アントニオとブルーノも中に入って老人を問い詰め、さっき話していた男の住所を聞き出すが、目を放した隙に逃げられてしまう。 老人に逃げられたことをブルーノに責められ、アントニオはブルーノの顔をぶってしまう。

ブルーノを慰めるために、高級レストランに入るアントニオ。 周囲が豪華な食事をする中、肩身の狭い思いで食事をする。 ポスター貼りを続けられればもっと生活が楽になるんだ、だからなんとしても自転車を見つけたい、とアントニオは息子に語る。 昨日までインチキだとこき下ろしていた占い師にも頼ってみるが、「すぐに見つかるか、出てこないかだ」としか言われず何の進展もない。

貧民街で犯人とおぼしき男を見つけたアントニオは、激しく男を問い詰める。 しかし男は何も知らないと言う。 昂ぶった街の男たちに取り囲まれたアントニオの元へ、ブルーノが警官を連れてくる。 警官とともに男の家を捜索するが、自転車は見当たらない。 証拠もなく、証人もいなければこれ以上の捜査はできないと警官が言う。 アントニオはあきらめ、住民に激しくなじられながら貧民街をあとにする。

あてもなく歩き、サッカーの試合を開催しているスタジアムの前で座り込む二人。 目の前には観客が乗ってきた大量の自転車。 背後には人気のない通りに一台の自転車が止まっている。 アントニオは立ち上がり、何度も振り返って一台の自転車を気にする。 やがて試合が終わり、退場する観客で通りが混雑し始める。 何か思い立った表情のアントニオは息子に金を渡し、先に帰って待っていろと言う。 そして背後の通りへ恐る恐る歩いていく。

人気のないことを確認し、自転車を盗むアントニオ。 しかしすぐに気づかれ、追いかけられる。 数人の男に追われながら、必死に逃げるアントニオを、バスに乗り遅れたブルーノが見つける。 アントニオは捕まり、男たちに取り押さえられる。 泣きながら父にしがみつこうとするブルーノ。 男たちが警察に突き出す相談にしているところへ盗まれた持ち主が現れる。 ブルーノを見た持ち主は、今回は見逃してやると言い、アントニオを解放する。

弱々しく歩くアントニオ。次第に涙がこぼれ始める。 父の涙を見たブルーノは、強くアントニオの手を握る。 手をつないだまま、親子は街の雑踏の中を歩いていく。…引用終り

昔の子供は純粋だったのか、感情移入が素直に行なわれ、他人の気持ちになれた、気がする。

一例だけで終わってしまったが、次回に続きます。


人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っている

2007年10月25日 | Weblog
タイトルは岩波ブックレットNo.657に載っている吉永小百合さんの言葉です。

人がこの地球上の生命体の中で『万物の霊長』(驕りの言葉ですが)たり得たのは、「考える」ことが出来、複雑な感情・状況を「話すこと(言葉)」によって相手に自分を分かってもらい、又、相手を理解することが出来たからです。
この「考える」ことと「話すこと(言葉)」によって、人類は今の文明を築いてきました。

考えることと、話して相手にわかって貰う努力を「面倒臭い」と怠ると、人類の退化が始まり、文明は衰退し崩壊していきます。
言葉を使い話すこと=相手を理解する努力を怠ると「戦争」という事態も起こります。

吉永小百合さんの言葉を引用します。

(引用開始)…前の部分を略

「国際貢献のためには自衛隊の海外派兵が必要」と政府は言います。
なぜ武器を持った兵隊でなければ、国際貢献が出来ないのでしょうか。
世界中で戦争やテロが繰り返され、それを解決するという理由から、また大量の兵器が使われ、多くの犠牲者を生んでいるのが現状です。

人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく―――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが、『言葉』を持つ私たち人間の使命だと思います。

戦争とは、国が人に人殺しを命ずること。
命じられた人間は、選択の余地も無く、人を殺さなければなりません。
おそろしいことです。…中略…

今、日本は世界有数の軍事費を使い、戦争への道を進もうとしています。
私たちがしっかり考えて行動しなければ、大変なことになる。…以降略…引用終り

昔、「対話の時代」と言われた時代があった。「一人一殺」の過激右翼も「問答無用」ではなく「問答有用」と言い出した時代である。つまり相手の話を聞こう、という努力がそこには存在した。

今の飼い馴らされた日本人は「考える」ことを怠り、「言葉」による話し合い(=相手を理解しようという努力)を面倒臭いと放棄してしまっている。勿論、正義感とか、それから出る行動も持ち合わせていない。

昔は、立派な大人とは「弱きを助け、強きをくじく」と言った「正義感」を持った人だ、と教わってきた。
親から「弱いものいじめはするな」「悪いことはするな、見過ごすな」と言われて育ってきたのだが、ホームレス襲撃の例のように今は全く逆になってしまった。

現代の日本人の精神構造については、また別の日記に書くが、今日は吉永小百合さんの言葉に対して、次の「仏教の教え」を載せて筆をおく。(前にも出したが…)


憎しみに激怒で立ち向かうなら
戦いも争いも終わらない

許すことがすべての憤(いきどお)りと妬(ねた)みを終結し
あなたを永遠の至福に導く               (ダンマパダ)


ヤメ蚊さんの常駐ブログ

★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)



必見!天木氏のブログ

2007年10月24日 | Weblog
歳を取ると、本当に頭の回転が悪くなる。あとから見直すと同じことを何度も言っている。しかも「えっらそうに」である。同じことを書くのは物事をなるべく大きく捉え基本的なことを書こうとしているからでもあるが、まあ「偉そうに」は自分でも感じるが「説教はオジサンの権利である」との考えから大目に見てもらいたい。

自分の投稿が間に合わないので、天木氏のブログを載せる。久しぶりに書かれたせいもあって、今の日本の現状を纏めて捉えておられるので、私も今後は、この大きな纏めを毎回見ながら、日記を書いていきたいと思った。

天木直人のブログ10月24日http://www.amakiblog.com/blog/

引用するとなると全部になるので、今日は、これを見て頂けたらそれで終わりなのだが、…。スペースが空き過ぎるので…。(盗用の言い訳です)

(ほぼ全部引用)

折から紅葉の美しい季節である。日本の一番の宝は四季に恵まれた自然であるに違いない。その自然の美しさに身を置くとき心が浄化されていく気がする。
  それにしてもである。一週間たって政治状況はますます悪くなっている事に驚く。日本という国が壊れていく事に気づく。

  胸に手を当てて考えてみるがよい。参院選挙後の3ヶ月間、一体政治が国民に何をしてくれたというのか。
年金問題は何一つ解決していない。政治とカネの問題は、あまりにも多くの政治家の疑惑汚染が次々と明るみになったことにより、誰をどう追及していいかわからなくなってしまい、結局はうやむやになった。
  テロ特措法に至っては予想通りの展開になった。
毎日のように与野党の政治家が給油の是非を論じているが、こんな問題は二次的な問題なのだ。「米国のテロとの戦い」にこれ以上付き合っていくべきかどうかが問題なのだ。「米国のテロとの戦い」に付き合うことが果たして世界が日本に期待している国際貢献かどうかと言うことなのだ。それを正面から議論すべきなのだ。
  10月23日の毎日新聞「知られざる給油活動」がはっきり書いている。日本が給油活動をしていたことなど世界は何も知らないのだ。
大騒ぎをするのは日本と米国だけである。その米国はイラクの平和回復をあきらめ、ついに長期的な米軍駐留を言い始めた。
米国は給油よりも日本がイラクから手を引く事を許さないのだ。終わりのない米軍のイラク占領に日本を引きとどめたい、それだけなのだ。

  無能な政治のもとで日本列島に何が起きているか。
ここに書くまでもないだろう。官僚の犯罪的不正が次々と明るみになり、社会には凶悪犯罪や偽装事件が後を絶たない。
経済に目を転じるとインフレが忍び寄り、その一方で増税議論がまかり通るようになった。間違いなく国民生活は苦しくなっていく。

■無風注:◎政治は国民の生活のためにある。だから一般庶民の生活が苦しくなるような政治は悪なのである。
  
何も難しく語らなくても、政治の良し悪しがわかることは数多い。■注終わり

  なぜこのような日本になってしまったのか。なぜ自公政権ではもはや解決できないのか。
それは政権交代の起こらなかったこの国の政治が官僚組織と癒着しているからだ。その官僚組織が権力に安住して劣化いていったからだ。
司法も警察も検察もすべて官僚である。それゆえに正義が実現されず、官僚が政治に従属し、国民の幸せよりも権力の維持と組織防衛を優先するからだ。その結果巨悪が放置され、そのつけが国民に押し付けられてきたからだ。

  この現状を打開するためには一刻も早く解散・総選挙が行われるべきだ。一刻も早く自民党から民主党への政権交代を実現する必要がある。そして民主党でもまた山積するこの国の問題は解決できない。そのことがたちまち明らかにされる事になる。その時こそ、この国の政治が変わる時である。

  どのように変わるか、変わった後によい政治が実現するか、それは誰にもわからない。しかし少なくとも今のように自民党と民主党が、お互いに総選挙に勝つことばかりに奔走して、国民生活をないがしろにしている状況よりははるかにましだ。

一日も早い解散・総選挙をのぞむ、それだけである。それしか今の閉塞状況は打開できない。…引用終り

■権力は集中するか、長期化すると腐敗する。政権交代の無かった日本では、政官財民の癒着で、もう全体が腐ってしまっているので、出てくる問題すべて「氷山の一角」の感がある。前に書いた「賞味期限8日の生魚が60日も経った状態」を思い浮かべてみてください。(8日=アメリカ大統領の任期4年×2期まで8年、と60日=長期政権政党60年近い)

■あなたも、紅葉でも見ながら温泉で1週間~10日ほどマスメディアから離れて心の洗濯されることを勧めます。
そして、もう一度、この天木氏のブログを見てからテレビを見るようにして下さい。あれっ、変だな、と思うはずです。
この歳まで政治に全く無関心でテレビもあまり見ていなかった私が「教育基本法が改正されました」との報道から、内容が知りたい、でも、いくら見ても全く報道されない、与野党の攻防・カケヒキが「大々的に」取り上げられるだけ…“変だな?”と思ったのがブログを書くきっかけとなったのです。
1週間から10日ほどテレビを見なければ、マスメディアが行なっている国民の洗脳報道の中毒から解放されて、天木氏の言う、毎日のように与野党の政治家が給油の是非を論じているが、こんな問題は二次的な問題なのだ。「米国のテロとの戦い」にこれ以上付き合っていくべきかどうかが問題なのだ。「米国のテロとの戦い」に付き合うことが果たして世界が日本に期待している国際貢献かどうかと言うことなのだ。それを正面から議論すべきなのだ。がわかるようになります。




戦争か平和か…その2

2007年10月23日 | Weblog
私は憲法改正問題をなるべく九条以外に絞り、政権政党作成の新憲法案の問題点を取り上げてきて、「◎法作る人が権力握るなら、権力縛る法は消え行く」を説明し、国民が憲法改正に賛成することは「自分で自分の首を絞める行為である」といってきたが、やはり最大の争点は「戦争国家日本」にするのか「平和国家日本」にするのか、である。

自分の価値判断基準を持っていない人、悪いこと(不正)が行なわれているのに「正義感」の持てない人の逃げ道・言いわけは「世の中、そんなに単純じゃないんだよ」である。
複雑なことこそ、単純に見ないと結論を間違える。

人殺しはいいことか悪いことか」……自分の考え方を持っていない人はすぐに「正当防衛」や「緊急避難」を持ち出し、人殺しは悪いことだと言う人を自分が殺されそうなときに黙って何もしないでいるのか!そういった場合は相手(人)を殺しても罪にならないではないか!といって「考えが浅い」と馬鹿にし批判する。
こういう人たちは「ものの考え方」の原点が違っているのである。
人は自分が生きるために「人からされたら嫌だと思うことを人にするな」との自然法から「人を殺してはいけない」というルールをつくり社会生活を営んでいる。
ここから発想すれば、人殺しはいけないも正当防衛もどちらも理屈に合っているのである。

話は逸れるが、一つのことをやろうとすると、例外事例を盾にとって「それは出来ません」という人が多くなっている。(重箱の隅をつつくのと一緒)
昔、会社で生産管理をコンピュータ化して伝票・帳簿を打出すことになったとき、「コンピュータだと実際には、こういった『例外』があり、それが入れられないのでコンピュータ化出来ません。」という「従来の手書き伝票・帳簿」支持派が圧倒的に多かった。そしてコンピュータ化しようとしている人に「現実を知らないで」(=実際の作業内容・例外事例を知らないで)と批難が集中した。(私の体験談)
しかしコンピュータ化したあとは、不安で手書きの帳簿を引き出しに入れて二重手間を掛けていた事務員が多かったのだが、しばらくして皆無となり、作業効率は何十倍・何百倍にもアップしている。今ではどこでもやっていることだが、昔はこんな抵抗もあったのだ。今「手書きの帳簿をつけろ」と当時の現実を知らないと言って抵抗した人に言ったら、「なんでそんな大変な作業をさせるのか」と大反対されるだろう。
この「現実を知らない」「現実はもっと複雑」といって従来のやり方・方向性を改めたがらない考え方、良い方向に向かう努力をしない考え方は、「戦争」を肯定する考え方と似ている。

戦争をすることはいいことか悪いことか」……人を殺すことがいけなければ、「戦争」もいけないのであり、こういった基本的な(単純な)見方をしていかないと、前の載せたブログのように大学で講義を受け、勉強して知識が入れば入るほど、戦争は必要悪であり軍隊を持つのはやむを得ない、といった、戦争肯定論を展開することになる。基本の「自分が生きるためにはどう考えるべきか」、が詰め込まれた知識によって抜け落ちてしまい、頭でっかちの理論を振りかざし、“知らないだろう”と平和論者を馬鹿にすることになる。「日本が攻められてなくなるのを何もしないで見ている気か!」である。それこそ日本に生まれて良かったと思っている人が90%以上いるのに「愛国心教育をしなければいけない」との権力者に都合の良い考え方になって行く。

(数日前に引用した大学生のブログをもう一度引用)
誰しもが戦争って反対と思うんだけど、ちょっと本とかを読んで勉強した気になると戦争って場合によっては必要なのかもと感じることがある。一応最初に断っとくけど、俺ももちろんながら戦争には反対なわけで。じゃあなんでそんなこと考えるのかというと、世界情勢ってそう単純なもんでないってのが関係してるんだよね。
資本主義の基本的なこととして、”差”って考え方があると思う。皆平等なんてありえない。歴史上共和主義だっけ?俺の浅はかな知識でいうと、太平万国(だっけ?)みたいなもんは、最初は少しばかりうまくいってるような感じだけど、結局崩壊してるし。歴史に学ぶのであれば、やっぱり社会主義ってなりたたないんだよなぁ。
んじゃ世界を見渡してみて、その差ってどこに存在してんだ?説明すんの面倒だけど、まぁ簡単なところでいくと先進国と発展途上国みたいな。日本だって、俺らがこんな裕福な暮らしができてるのも、どこかで犠牲になってる人がいるからなんだよな。ほとんどの人そんなこと考えることないけど。っていうか考えてる余裕がない。こんな感じの世の中がうまく回るにはこの現状を維持していくために結構四苦八苦しなくちゃいけない。その手段の一つが、戦争

ひん曲がった考え方と自覚してるけど「戦争はんたーい!」って叫んでる人たちみると、なぜか素直に賛同できなくなる。自分も戦争反対なのに、なぜか一歩ひいてしまうっていうかなんというか。なんでだろ?って考えた時に、その理由となるのが、そういう人たちってじゃあなんで戦争反対なの?って聞かれたときに、あんまり納得のいく根拠ってものをあんまり持ってないように感じるんだよね

戦争は罪のない人たちを虐殺する、非人道的で許されることのできない行為だ!

うん、そんなの皆わかってんじゃん。でも戦争しないと世界はもっと混乱するんだよ、実はそうなったら命の数だけでいったら戦争で失われる数よりも多くなる可能性だってあるんだしそれってなんか偽善じゃない?誰だって戦争なんてしたくないよ。でも彼らも仕方なくやってるんだよ。しかたなくね。ある意味、先陣きって悪役を買ってでてるっていうようにも考えられない?
みたいな感じのことをついついシュミレートしてしまう。こんな自分に嫌気がさすこともしばしば・・・。でも実際望まれて起こった戦争なんて今まで一つもないっていう事実日本だって戦争してなかったら生き残れなかった戦争反対って声高に叫んで抵抗することもなく、そのまま滅んでいくっていう覚悟があるならそれは尊敬するけど、俺だったら絶対やだなぁ。自分のこと殺しにかかってくる相手に向かって、暴力はよくないよって言って殺されるのなんてまっぴらだし
な~んか話がだいぶ脱線した感があるけど、なんか戦争反対っていうことには、俺的には納得いく説明がされてないんだよね・・・。尊い命が失われること、それだけでこれ以上の理由なんてない。ってこと言う人もいるだろうけど、なんか感情的になってるような気もするし・・・でももっかい言うけど俺は絶対戦争反対。最近新書はアメリカとか戦争とか国際情勢に関するものが多く出版されてるけど、そんなのとにかく読んだのも、答えないかなぁってのがありましたよ。ええ。しかし、まだ納得いかん。
誰かすんごい論文ださないかな。核心を捉えまくった、もう有無を言わせないほどの理論を生み出してくれ~。そう願ってみたりする。こんなこと考えるにいたったのも、授業で9・11のことに関するものがあったからなんだけど、こうなると、大学の授業も結構捨てたもんじゃないのかもね。…引用終り

よくテレビで「大学教授」がいろいろな世界・社会情勢を政治・経済・軍事に亘り難しく解説しているのを見るが、全く政府の憲法改正・戦争への道の理論付けをしているだけの話が多い。この大学生が聞いた講義もその類だと言うのが分かる。
「9・11以降の日本の対応について」には、下記の様なものがある。(大学弁論部発表や岡本行夫氏の講演)

ここから「国際テロと日本」を見て下さい http://www.geocities.com/benronbu/n011104.htm

次の日記に続きますが、大学とは「自分で考える場」であり「受動的に知識を詰め込む場」でもなければ「教授や人の言葉を鵜呑みにし、知ったかぶりをして威張るところ」でもありません。
自分の「ものの見方・考え方」で自分の意見を持つよう心がけましょう。
引用したブログの大学生も、片側だけの理論ではなく、いろいろな意見・理論を調べて自分の意見を「理論武装」(私はこの言葉が好きではないが)しましょう。
あなたの「戦争はいけない」「人殺しはいけない」という「感情」には正しい理屈・「理論」があるのです。決して「感情的」な考えではないのです。色々なブログを見ているとそれが分かります。是非、努力(勉強)することを止めないようお願いします。


戦争か平和か

2007年10月22日 | Weblog
人様のブログを見ていると、あっ、これも書かなければ…これもあれも…と書きたいことが一杯あって、頭の中が混乱し、まとまりが付かなくなっている。
もっと調べて整理してから自分の意見として述べたいのだが、それだと月一くらいのペースになってしまうので、今まで通り、人様のブログをほとんどそのまま拝借して載せて行きたい。

今日は、一旦設定したタイトルを変えて下記ブログから引用して書くことにした。

天木直人のブログ~いまこそ日米軍事同盟の実態を直視する時だ

前回の日記の毎日新聞政治局部長の政府広報(戦争推進記事)を見ているとやはり、避けては通れないアメリカとの関係=日米安保という軍事同盟(戦争)と憲法9条(平和)の問題を書かなければならない。

上記ブログを略しながら紹介

(引用開始)
政治は一寸先は闇だ。「テロ特措法延長の是非」などという瑣末な議論から始まった国会論争であるが、この際共産党や社民党、あるいはその他の政党の真の護憲論者は、政治家としての信念を貫いて、今こそ日米軍事同盟の是非を巡る本質的論戦に挑んでもらいたい。
テロ特措法延長問題をきっかけに、本当の意味での政界大再編の総選挙、すなわち、単なる政権交代の総選挙ではなく、平和国家日本か戦争国家日本か、そのいずれを選択すべきかを問う政界大編成の選挙になる可能性が出てきたのだ。

真の政党政治とは、憲法9条改憲の是非、すなわち日米軍事同盟をこのまま一気に強化させていくのか、それともここで踏みとどまって米国から自主・独立した平和外交に舵を切るか、その根本問題に沿って正面から国会論戦ができるような政治状況にならなければ嘘だ。

日本は今猛スピードで戦争国家アメリカに従属させられようとしている

在日米軍基地が、日本を守る為の基地から米国の戦争の為の基地に再編されようとしている。

日本を守るはずの自衛隊が、日本とは無関係の米国の戦争の為に米軍に命令されて中東にかりだされていく。

この事は政局争いの為にする議論ではない。事実なのだ。

そしてその事実が(政局争いとして報道するマスメディアによって)国民の目から隠されたままで、深く・静かに・しかし猛烈なスピードで進んでいる

思えば1995年のナイ・イニシアチブから始まり、…中略…ついに2005年にブッシュ・小泉の手による米軍再編への全面的協力(日米同盟:未来のための変革・再編)によって、憲法9条が否定され、日本の安全保障政策が完全に米国の戦争の中に埋没してしまった。

この現実を今こそ国民の前に提示されなければならない。

政府が国民に真実を説明することなく詭弁を重ね続け、それを野党が国会で厳しく追及することも出来ず、従ってほとんどの国民が何も知らないままに、日本の防衛政策は米国の戦争に協力するものになり下がってしまった。もちろんこれは憲法9条の完全な否定である。

テロ特措法はそのような米軍への従属的な安保関連法の、ほんの一部である。
テロ特措法に違反して行われてきた補給活動は、数ある安保関連法の欺瞞の氷山の一角なのである。

その氷山の一角さえ満足に追及できない今の国会において、日米軍事同盟そのものの違憲性を正面から喝破できるできる政治家は今の日本にはいない。
そうであればこそ、少なくとも我々国民は、そのあまりにも膨大な憲法9条違反の積み重ねを、ここであらためて振り返り確認しておく必要がある。(といって、その過程・変遷・内容を纏めている。ここでは略すが、重要なので、本文の最後に載せておく。)
…中略…一連のわが国の防衛政策の対米従属の動きは、小泉首相の5年半で完成された。
そしてその間に9・11が起きて、米国が終わりのない「テロとの戦い」に突入して行った。
ブッシュ政権は米軍の再編を進め、在日米軍の再編と自衛隊の従属を小泉政権に求めてきた。小泉首相はこれをすべて丸呑みした。
  2001年10月、テロ対策特別措置法成立
  2003年12月イラク人道復興支援特別措置法成立
  2005年10月29日、日米安保協議委員会(いわゆる2プラス2)で「日米同盟:未来のための変革と再編」文書が採択される。

これは「テロ」と戦う米国の米軍再編に対する全面的協力であり、95年のナイ・リポートから始まる「安保再定義のフナーレ」である。本来ならば安保条約改定、憲法9条改憲という形で国会、国民の前で議論さるべき歴史的一大事を、政府間の合意文書で応じてしまった。
小泉首相が完成させた米軍への従属への置き土産は、安倍政権になって2007年1月9日、自衛隊法の改正という形で実現される。これは表向きには防衛庁の防衛省への昇格であるが、その実態は自衛隊の海外活動を「公認」し、さらにそれを「本来任務」としたことであった。

もはや日米政府に残された課題は憲法9条の破棄だけである。
しかも9条改憲はもはや急ぐ必要はない。
憲法9条の下で、憲法9条を完全に否定する事を粛々と進めていけばいいからだ。

大手を振ってどんどんと憲法9条違反が積み重ねられていく。
もはや憲法9条が有名無実となり、皆があきらめた時に論争なく改憲すればいいのだ。

■無風注:昔から「なしくずし」の手法がとられている。違憲・違法を少しずつ様子を見ながら行なっていき、国民に現状(よくブログに出てくる「現実」)がそうだから仕方が無い、もう実際にそうなっているのだから今更…といった感覚を刷り込んでいく方法。■(注終わり)

(結論)米国に従っていく事が正しいと、誰が本気で思うというのか。そういう国民がいるとすれば、それは自己欺瞞か売国者に違いない。

今の国会議員の中から一人でもいい。現れてくれないだろうか。
憲法9条を掲げて日米軍事同盟のこれ以上の進行を食い止める事の出来る政治家が。
斉藤隆夫や石橋湛山の如く、その言葉で平和を訴え、米国からの自立を国民の心に共振させる事のできる最強の護憲政治家が。…以上、引用終り

上記ブログを書かれた天木氏は、「テロ特措法」延長反対を民主党小沢代表が言い出したときに、アメリカとの対応、国連との関係等、与党との対応の具体策等を書かれており、しっかりと現実を見極めての意見を述べられている。むしろ、上記ブログの書き方(結論部)は珍しい部類に入る。

私の日記にもどすが、人は一人では生きられないので、社会を形成しルールを作って暮らしている。共通価値としての「お金」がいい例ではあるが、自分の為に自分の生活・安全の為に「自分がされたくないことを、人にするな」と言った自然法から始まり、モーゼの十戒の一番初めに「汝殺すなかれ」、仏教の教えでも「殺生はいけない」と説き、商オウによって作られ秦の始皇帝に引き継がれた複雑な法律を3つにして民衆の支持を得た劉邦が、その三つしかない条文の第一に挙げたのが「人を殺したものは死刑」であったように、社会の中で安全に安心して生きていくために人間が必要とする最初の基本ルールが、「人を殺してはいけない」である。

(「仏教講義」より引用)
仏教に「殺生をしてはいけません」という戒律がありますが、それは我々生きているものはみな等しく生きていたいという生存本能があって、自分だけ生きたいのではない、自分が生きたければ同じように相手もまた生きていたいという真理を教えるものですから、戒律といって何か束縛を受ける印象を持たれることが誤解であるということはお分かりでしょう。(戒律というと厳しいものと考えられ勝ちなために挙げた例)…引用終り

憲法の基本理念、国民主権主義から見ると「国家」は国民が投票によって選んだ代議士が国民の福祉のために国民から集めた税金「富」を公平に分配する「公僕」が国民の代表者として権力を行使する一つの集合体であり、「国家」に国民を越えた崇高な使命というものは無い、のである。「公益のため」≠「国民のため」であることは前に述べたが、今、この「公益のため」に国民主権主義がないがしろにされている。(憲法違反)

話はもとに戻って、人が社会の中で安全に生活していくために「法」があり、「人殺し」はいけないと、どの国でも、どの宗教でも、どの民族でも基本ルール(自然法・慣習含め)となっている。

「戦争」は「人殺し」である。「国際社会では人殺しOKだよ」ではない。
「戦争は人殺しと違う」という人は「人を殺さない戦争」の例でも挙げてもらいたい。(間違っても受験戦争とかの言葉の「戦争」は挙げないでよね)
「軍隊」はその戦争のためのもの、「自衛隊は人殺しの訓練をしている」(上田埼玉県知事が新入職員に対して行った訓辞)、その通りである。
その軍隊の行動が「軍事行動」であり、その戦争を共有しようというのが、軍事同盟(日米安全保障条約)である。
従って、「人殺し」はいけない、という人間としての理性があるならば、戦争肯定論は出てこないはずで、その為の「軍隊」も「軍事同盟」も否定されるべきものです。

ここから、常識として次の言葉が出てきます。
(何回目かの引用)
戦争は人が起こすわけですよ。原爆のスイッチも人が押すわけですよ。人が人を殺す、唯一無二の命を奪う、これはもう絶対悪だと思うんです。
それを机上の論理で、損得の論理で戦争を起こされてはたまらない。(中略)…(それなのに)憲法を「改正」して軍隊をつくり,次の戦争を起こそうとしている人たちがいる。
私は、そういう人に聞きたいんですよ。
どうして人を殺していいんだと思えるのかって。人を殺していいということは自分も殺されていいし、自分の子どもや親も殺されていいということです。
そう思う人だけが「改正」に賛成すべきですよ。
でも,もうどこの場所でもつぶして演習場にしてもいいという法律ができちゃってる。本当に戦争が起きたらどうなるか,想像がつきますよ。
だからこそ憲法が最後の砦だと思っています。(中略)
私が今言っているのは、反戦活動家(無風注:左翼)じゃなくたって誰でも思う普通のことですよ。
それを大声で言えなくなってしまっている今の日本は異常だと思います。
こういうことを言うと仕事がなくなる、と自粛しなければいけない。すでに戦前のニオイがするでしょ?…引用終り

天木氏のブログにあるように憲法特に九条がなしくずし的に「有名無実」にされて
います。
マスメディアの洗脳報道に騙されずに、もう一度、下の言葉の意味を考えてみて下さい。

◎法はあらゆるものに優る(まさる)贈り物である

最後に、天木氏のブログで略したところ(日米関係の歴史)を載せておくので参照してください。

(引用開始…一部ダブりあり)
前田哲男元東京国際大学教授は近著「自衛隊 変容のゆくえ」(岩波新書)において見事にこの作業を果たしている。その著書に敬意を表しながら、以下まとめてみる。米国に従っていく事が正しいと、誰が本気で思うというのか。そういう国民がいるとすれば、それは自己欺瞞か売国者に違いない。
  1951年サンフランシスコ平和条約締結によって、わが国は米国を中心とする西側自由主義陣営の一員として国際社会に復帰した。その同じ日に日米安保条約が署名された。以来、米軍駐留と引き換えに極東ソ連軍からわが国を守る、いわゆる日米安保体制がはじまった。
  冷戦構造を前提に作られたこの日米安保体制は、しかし、1989年の冷戦終結とともに根本的に見直される必要に迫られた。そしてこれに対応する米国の動きはすばやかった。
  1993年に発足したクリントン政権は「ボトムアップレビュー」と呼ばれる「軍事力と基地配置の全面的な見直し」をはじめる。
  1995年2月、クリントン政権の国防次官補ジョセフ・ナイ(国際政治学者)はナイ・リポート(イニシアティブ)と通称される文書を公表し、「日米同盟はアジアのみならず世界の平和と安定の維持という広範な利益をもたらしている」事に言及し、冷戦後の日米同盟のあり方について日本側に見直しを迫る。
  1996年4月、来日したクリントン大統領と橋本龍太郎首相との首脳会談で、「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」が発表される。この宣言は、ナイ・イニシアティブに沿って、地理的範囲を取り払った共同行動への移行宣言であった。つまり本来ならば安保条約を見直すべきところを、政策決定の形で安保再定義を行うという超法規的ごまかしの始まりであった。
  同時にこの宣言で1978年に合意された「ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)の見直しをはじめる事に合意する。
  1997年9月、「新ガイドライン」の最終報告が両国政府に報告、了承される。この新たな文書の中で、唐突に、「日本周辺における事態=周辺事態」という言葉が現れる。この周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものであるという、最後まで曖昧なものである。
  1998年4月、「新ガイドライン」の実効性を確保する為の「周辺事態法」が閣議決定され、直ちに国会に上程される。
  1999年5月 周辺事態法が成立。国会審議の過程において政府は最後まで周辺地域の地理的特定には応じようとしなかった。法案には自衛隊による米国軍への後方支援もあわせ定められた。交戦中の米軍を後方支援することは憲法に違反することはないと、政府は突っぱり続けた。
  2000年11月、船舶検査活動法成立。周辺事態法でいう後方支援活動の中に、政府は当初外国船舶の臨検も含めようとした。しかしこれは「国の交戦権」の行使に触れるきわどい支援活動であったため、国会論戦を切り抜ける自信がなかった政府は法案から一旦外した。しかし米国からの強い要請に抗しきれず翌年、名前を「臨検」から「船舶検査活動」に変えて成立させた。
  村山、橋本、小渕、森の間に進められた一連のわが国の防衛政策の対米従属の動きは、小泉首相の5年半で完成された。そしてその間に9・11が起きて、米国が終わりのない「テロとの戦い」に突入して行った。ブッシュ政権は米軍の再編を進め、在日米軍の再編と自衛隊の従属を小泉政権に求めてきた。小泉首相はこれをすべて丸呑みした。
  2001年10月、テロ対策特別措置法成立
  2003年12月イラク人道復興支援特別措置法成立
  2005年10月29日、日米安保協議委員会(いわゆる2プラス2)で「日米同盟:未来のための変革と再編」文書が採択される。

これは「テロ」と戦う米国の米軍再編に対する全面的協力であり、95年のナイ・リポートから始まる「安保再定義のフナーレ」である。本来ならば安保条約改定、憲法9条改憲という形で国会、国民の前で議論さるべき歴史的一大事を、政府間の合意文書で応じてしまった。

小泉首相が完成させた米軍への従属への置き土産は、安倍政権になって2007年1月9日、自衛隊法の改正という形で実現される。これは表向けには防衛庁の防衛省への昇格であるが、その実態は自衛隊の海外活動を「公認」し、さらにそれを「本来任務」としたことであった。

もはや日米政府に残された課題は憲法9条の破棄だけである。しかも9条改憲はもはや急ぐ必要はない。
憲法9条の下で、憲法9条を完全に否定する事を粛々と進めていけばいいからだ。

大手を振ってどんどんと憲法9条違反が積み重ねられていく。
もはや憲法9条が有名無実となり、皆があきらめた時に論争なく改憲すればいいのだ。

今の国会議員の中から一人でもいい。現れてくれないだろうか。憲法9条を掲げて日米軍事同盟のこれ以上の進行を食い止める事の出来る政治家が。
斉藤隆夫や石橋湛山の如く、その言葉で平和を訴え、米国からの自立を国民の心に共振させる事のできる最強の護憲政治家が。…引用終り



支配の構造

2007年10月19日 | Weblog
数日前、パワハラ訴訟(上司のパワーハラスメントで自殺した人の奥さんの訴え)が認められ労災の認定を受けた裁判があったが、当然の判決である。

新自由主義か何かは知らないが、ワーキング・プアと呼ばれる年収200万円以下の働く国民が5人に1人と大量に発生し、「おにぎりが食べたい」と書き残し餓死していく国民が出ている、この日本国では、生きていく・家族を養っていく、と言うことが日本人が直面している一番の問題点である。

資本主義の自由競争の原理は、行き着くところ1業種1社しか生き残れないことになり、その欠点を補うために「独占禁止法」が早々とつくられた。
それを政府は忘れたかのように、競争原理を持ち出して来ており、例えば教育でも「教育大学」と名のつく大学の補助金を軒並み減らし、東大・京大等に補助金を増やそうとしている。国がやることになった「教育改革」とは何なのか?

日産のカルロス・ゴーンに代表されるように、今までの日本的な需要供給における助け合い精神を忘れ、『資材を3割安くしなければ、他から買う』といって、赤字を黒字に転換、経済界は、いままでのしがらみに捉われない(日本的商習慣を排除した)合理的な経営手腕と、これを高く評価したが、黒字金額の80%~90%が、業者の値下げによるもので、あとの一割も資材値下げにより実現した製品価格の値引きによる売上増である。私はこれは、経営手腕というよりも大手企業の横暴であり、暴君の所業とみる。中小企業は生き残るために身銭を切ってまで、言うことを聞かざるを得ない状態であり、国であれば無茶な税金を取り立てる独裁専制君主下の国民である。

このため、いざなぎ景気を越える好景気期間が継続し、大企業の史上最高の利益計上が相次いでいるが、対照的に中小企業の社員の給料は上がらず、今でも倒産が増えている。中小のため負債額が大手のように大きくないので問題視されていないが、件数的には多くなってきている。

ここに、生活苦・パワハラ・健康面の不安(これも経済面から来ている)による自殺者が年に3万2千人を越え、自殺未遂者が年30万人もでる日本国となった。

少し横道に逸れた感もあるが、パワーハラスメントで分かる通り、今の世の中、上に立つもの=権力を持つもの、の力が大きくなっており、それが上司と部下、会社とその社員、企業と納入業者、大企業と下請け中小企業、だけではなく、国とマスメディアにも言える、ということを話したかったのだが…。世の中、上の言うことを聞くしかない、言うことを聞かないと生きていけない、時代となった。

マスメディアが政府に『殺生与奪の権』を握られていては、政府批判も何もあったものではない。
このマスメディアの現状については、「ヤメ蚊」さんのブログが私の教科書になっている。…以下、全て「ヤメ蚊」さんのブログより自分なりに意訳して借用。

詳しくは

NHKを権力者(政府)が掌握http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070518

放送法改正で日本の表現の自由は失われる http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070523

異種メディアの所有問題 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070413

メディアの財布を握る広告業界 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070414

非民主的なメディアの現状と解決策 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070417

日本の民主主義は死滅する http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20070420

(引用開始)
*テレビ朝日の椿発言以降、政府によってテレビ局の政治的中立が求められるようになった。
しかし、テレビ局に求められるのは「政府からの中立」であって、「政府による中立」や「政府のための中立」ではない!

*最近、考えることを楽しむ番組、政府・行政のあり方を厳しく批判するドキュメンタリーなどが減っていると思いませんか?「騒音近隣女性」なんかを取り上げるくらいなら、税金の使い道(年金盗難事件や駆けつけ巻き込まれ参戦発言)など、もっともっと深く追求しなければならないことはいくらでもあるはず…、それなのに…。

マスメディアが政府の支配下に置かれている理由は3つある、と「ヤメ蚊」さんは分析・指摘しています。

(1)放送事業が政府の免許制であること。(政府=支配者・権力者)

使用できる電波に限りがあるため、免許制とせざるを得ない。
それが政府の免許制であれば、その免許停止も支配者の思いのまま出来る。(免許停止をちらつかせた圧力をかけられる。)
テレビ局の「殺生与奪の権」を政府が握っているため、テレビ局はビビリ、権力監視の機能を果たせない。

そこで、民主主義の国(先進諸国)では、政府とテレビ局の間に「独立行政委員会」を置き(政府が選任)、そこがテレビ局の免許・指導を行なうことにしている。
独立行政委員会は政府が選任するものの政府と全く違った機関となり、テレビ局のビビリ方は少なくなり、先進諸国のテレビ局は『権力監視機能』を果たすことが出来ている。

(2)日本は民主主義の国で禁止している『クロスオーナーシップ』をとっていること

クロスオーナーシップとは、新聞・テレビ・ラジオといった「異種メディア」のオーナーが一緒であること、をいい、海外先進諸国では「言論の多様性の確保」のため、異業種メディアの所有は原則として禁止されている。
即ち、異種メディア所有禁止は、テレビ・ラジオ・新聞がそれぞれ独自性を持ち、お互いに批判しあって利権をなくし、政府との馴れ合いを防ぐ機能を果たすことを目的にしている。

日本ではご存知のようにテレビ・ラジオ・新聞が系列化し、読売新聞=日テレ、朝日新聞=テレ朝、毎日新聞=TBS、産経新聞=フジテレビというネットワークが完璧にできあがっているが、これは極めて異常な事態なのです。

(そのまま引用部分)
新聞、テレビ、ラジオなどのメディアは、それぞれが営利企業であり、当然、各業界としての利権がある。例えば、新聞は、再販制度、特殊指定で全国一律横並び価格でも独禁法違反を免れているし、政府からの広告収入の不透明さなどの問題を抱えている。テレビは、そもそも、免許制度だし、いま流行の地上デジタルだって巨額の税金が投入されている。ラジオだって、免許制度だし、政府広報の収入などの問題がある。

 つまり、テレビ局はテレビ業界としての利権があり、政府との関係が出来てしまう。その関係から政府に対して厳しく追及することが出来なくなる。
新聞社は新聞業界としての利権があり…というわけであり、その関係を断ち切り、政府ときちんと立ち向かうためには、新聞、テレビ、ラジオが互いに監視し、批判し合わなければならない。
それによって、各メディアの政府との「甘い」関係を断ち切ることができる。

 ところが、日本では、3つのメディアが一つの資本によって支配されているから、互いに批判することが出来なくなっており、結局、メディアは政府にしっぽ(はっきり言うと、財布)を握られたままとなっている。
そんなメディアに、政府を監視することを期待できるだろうか?
日本でも先進国並に実効性のあるクロスオーナーシップ規制を設けなければならない。

(3)メディアの財布が一部広告代理店に握られていること。(電通等一部広告代理店がメディアを支配)

広告代理店の一業種・一社制はグローバル・スタンダード(世界標準)である、と「ヤメ蚊」さんはいう。

(引用開始)
海外の広告業界では、広告代理店は一つの業種について、一社からしか受注できないというシステム(一業種一社制)をとっていることが多い。例えば、トヨタと契約したら、日産やホンダとは契約を締結することが出来ない、というシステムだ。同業者はライバルなので、同じ広告代理店と契約したら、情報が相手方に漏れるなどの恐れがあるし、他で没になったアイデアをそのまま使うといったような理由もあるため、先進国では、この一業種一社制がとられている。

しかし、日本ではこの制度は採用されていない。このため、電通のようなガリバー代理店が出現し、メディアの財布を握ってしまった。

 この結果、次のような問題が生じている。

 ①広告代理店もメディアも広告料金を下げたくはないので、値下げ競争が生まれない。そのため、消費者が高い広告料金を加算した商品を買わされる。

 ②メディアが大企業の不祥事などをスクープしようとした際に、広告代理店などを通じて圧力を掛けられる。

 ③政府についても、人気を回復させるためのニュースを流させるなどの圧力をメディアは掛けられているという。

そういえば、小泉のくだらないオペラ鑑賞などのニュースは以前なら、テレビには流れなかったのではないだろうか。また、メディアの財布を握っている電通などが政府公報をも受注していることがメディアの政府への矛先を弱めさせているであろうことは容易に想像できる。

 そもそも、メディアの収入部分が寡占による透明性の低い状態であることによって問題が生じないはずがない。あるある問題などにおける下請けシステムも、メディアの収入部分が不透明であること(リベートなどの問題が生じやすい)と無関係であるとは思われない。

日本でも一業種一社制を導入しないと、メディアが権力監視機能を発揮すること、例えば、政府・行政の問題点を追求するような記事を書くことは難しい。

『ヤメ蚊』さんは、自分の感情を押さえて押さえて書かれている、と私には感じられる。

『ヤメ蚊』さんは「世界の先進国家で、このような(日本のような)制度は存在しない。本当に市民にとって国辱的なシステムなのだ。」と憤慨しているが、そのことが言いたかったことではないか。私も全く同感である。

『ヤメ蚊』さんは、この3つの問題点と解決策まで書いてくれている。そして、

「民主主義を再生させるためにも、3つの問題を解消するよう、各政党に呼びかけていきましょう」(『ヤメ蚊』)

今日の『ヤメ蚊』さんのブログを見たら、政府支配の典型例を思わせる『毎日新聞』の記事が載っていたので、紹介しておきます。
本当に恐ろしい世の中になってしまったものです。

毎日新聞の「軍国主義への道を勧める」記事 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/fa7c26d17733eb8835dca68b0273d3f6

(新聞記事)
ベトナム戦争さなかの60年代半ば、財界首脳の一人が「ベトナム戦争が終わると日本の景気が悪くなる」と口にしたことがある。同じアジアで同時進行中の戦争が「カネもうけ」の次元で語られた時代。それは、他者の運命への共感を、日本人が無自覚なまま欠いていた時代でもあった。

 あからさまな「一国平和主義」を公言して恥じない人は、もういないだろう。我々は湾岸戦争で「カネだけ」の国際貢献の限界を知った。9・11以降はテロという「見えない敵」とどう対峙(たいじ)するかを国際社会とともに考え、行動してきた。

 テロ集団を増殖させる破綻(はたん)国家を再びつくらない、貧困や宗教対立といったテロの温床となる問題の解消に各国が結束して取り組む--。自分たちの外の世界の不条理に対する怒りを共有することなしに、9・11以降の国際社会は立ちゆかなくなったのである。

 アフガニスタンにかかわる作戦に40以上の国が軍や文民を派遣しているのも、アフガンと世界の運命が不可分であることが、国際的コンセンサスとなっているからだ。日本も大国として、アフガンや周辺地域の安定に責任を負う。この一点において、自民党も民主党も共通の認識を持つ。

 ところが、両者の議論はかみ合わない。当のアフガンをはじめ多くの国が評価しているインド洋上での給油活動に民主党はノーだと言う。小沢一郎・民主党代表が提起した国際治安支援部隊(ISAF)への参加構想には、自民党から「危なくて無理だ」と大合唱が起こる。両者は相手の弱点ばかりつき、合意形成の努力は見られない。「現在やっている活動(給油)も、将来やれる可能性のある活動(ISAF参加)も与野党が互いにつぶしあって、日本は結局、国際的に孤立主義の道を歩むのではないか」。田中明彦・東京大学教授は懸念する。

 与党も野党も、アフガン安定や対テロ戦で行動が必要だという「政治的意思」を同じくしているのであれば、結果として何もやらないという選択肢はありえないはずだ。それは、国際貢献論議に名前を借りた国内政局の権力闘争である。日本の「不作為の政治」は、国際的にも無責任のそしりを免れないだろう。…記事終わり

ヤメ蚊さんのブログ

(引用開始)

読めば完全に論理が破綻している、ただの戦争推進記事だということは一目瞭然だ。

しかし、この記事に共感を持つ人もいるだろうから、あえて、記事を順に検討したい。


【ベトナム戦争さなかの60年代半ば、財界首脳の一人が「ベトナム戦争が終わると日本の景気が悪くなる」と口にしたことがある。同じアジアで同時進行中の戦争が「カネもうけ」の次元で語られた時代。それは、他者の運命への共感を、日本人が無自覚なまま欠いていた時代でもあった】

では、対「テロ」戦争に参加することは、【他者の運命への共感を、日本人が無自覚なまま欠いていた】ことにはならないのか?「テロ」という言葉さえ、自覚的に使わないようにしている海外メディアと比べ、テロというと葵のご紋のように頭を下げ、なぜ、「テロ」が起きるのか、その真の原因を突き詰めようともしないで国際貢献を謳うことは、戦争が起きている現地の市民にまったく共感していないからではないか!

【あからさまな「一国平和主義」を公言して恥じない人は、もういないだろう。我々は湾岸戦争で「カネだけ」の国際貢献の限界を知った。9・11以降はテロという「見えない敵」とどう対峙(たいじ)するかを国際社会とともに考え、行動してきた。】…はぁ?誰かが一度でも、【あからさまな「一国平和主義」を公言】したのでしょうか?いわゆる平和主義者は、平和国家としてしか貢献できない国際協力があり、それをなすことこそが世界平和につながると主張しているのであり、自分のところは平和だからそれでいいんだ、なんて主張をしている人はいないでしょう。

【「カネだけ」の国際貢献の限界】…どういう限界なのか?具体的に説明したらいかがか?米国及びその三下が「良くやったね」ってほめてくれなかったことを指しているのだろうか?そもそも、「カネだけ」の貢献をしろとも言っていないのは、前述のとおり。平和主義国家としてできることに汗を流すべきだと言っている。

【テロという「見えない敵」とどう対峙(たいじ)するかを国際社会とともに考え、行動してきた】…見えない敵、まさにそうなんだよ。敵なのか、どうかさえ、分かっちゃいない、実態を把握していないんだよ。イラク戦争開戦のときの米国の口実がでっちあげだったことをどう評価するのか。毎日新聞はあのでっち上げ口実に乗せられたことについて、一度でも市民に謝ったことがあるのか!

【テロ集団を増殖させる破綻(はたん)国家を再びつくらない、貧困や宗教対立といったテロの温床となる問題の解消に各国が結束して取り組む--。】…ここはそのとおりだろう。しかし、どうしたら、この文に次の文が続くのか…

【自分たちの外の世界の不条理に対する怒りを共有することなしに、9・11以降の国際社会は立ちゆかなくなったのである】…【自分たちの外の世界の不条理に対する怒り】、あぁ、何という自己反省のなさか。なぜ、「テロ」行為が起きているのか、そのことに自分たち国の国際政治のあり方が関係していないのか?自分たちは「正義」で、相手が「悪」だと言い切れることの破廉恥さ。

【アフガニスタンにかかわる作戦に40以上の国が軍や文民を派遣しているのも、アフガンと世界の運命が不可分であることが、国際的コンセンサスとなっているからだ】…本気でそう思っているんでしょうか?国際治安支援部隊の加盟国37カ国のうち、非ヨーロッパ圏は、米国、オーストラリア、ニュージーランドのみ。つまり、アフガンにおける治安維持活動は、世界の一のテロ国家米国のほか、中東の利権に関心の高く、地理的にも近い国々及びそれにきわめて近い国のみが行っているのであり、【アフガンと世界の運命が不可分であることが、国際的コンセンサス】ではない。言葉遊びをするな!

【「現在やっている活動(給油)も、将来やれる可能性のある活動(ISAF参加)も与野党が互いにつぶしあって、日本は結局、国際的に孤立主義の道を歩むのではないか」。田中明彦・東京大学教授は懸念する】…平和国家としてなしうる貢献をすればよいだけだ。なんで、そこで思考停止するのか…。

【与党も野党も、アフガン安定や対テロ戦で行動が必要だという「政治的意思」を同じくしているのであれば、結果として何もやらないという選択肢はありえないはずだ】…ぜひ、平和国家としての貢献を行ってほしい。


平和国家としての貢献のひとつの提案が、JANJANの「【NGOが問う】アフガンでの対テロ戦争を見直せ~谷山博史JVC代表」という記事(※3)で紹介されている。

谷山氏は、【それをまとめるような新しい合意の枠組みがない。だれが敵かわからない対テロ戦争によってますます敵をつくっていて、先の見えない状況になっている。このようななかでは、なんら平和の展望はない。だから対テロ戦争そのものを見直さなくてはいけない】、【実をいうと日本の政府の支援は現地でとても評価されている。どこの国の支援が一番信頼できるかというと日本だ。それはアフガニスタンに軍隊を派遣していないからだ。どこの村に行っても長老は言う。日本の支援は軍事的な目的のためや自分たちの利益のためではなくてアフガニスタンのための支援だと思っていると。軍隊を派遣するところの国の支援はどうしても疑われる。結局自分たちのために占領するのでないかという。それはいままでの長い歴史のなかで培ってきた彼らの感覚だ】と述べたうえ、【国際社会のなかで日本がイニシャティブをとってもう一度和平の枠組み作りの仕切り直しする会議をおこなう。簡単なことではないが、日本はそれだけの外交的なイニシャティブを取ってしかるべきだしできることだと思う】と述べている。

具体的な提案は、谷山さんが代表を務める日本ボランティアセンター(JVC)の「アフガニスタンにおける対テロ戦争と日本の軍事支援の見直しを求める声明」(※4)に書かれています。


1.国際社会と日本政府はアフガニスタンで行われている対テロ戦争を見直し、敵対勢力やパキスタン、イランなど周辺国を含むすべての紛争当事者と包括的な和平のための協議を始めるべきです。*1

2.国際社会はすでにパキスタンやアフガニスタン一部地域で試みられた紛争当事者による休戦協定や和平協定の取り組みを検証し、このような取り組みが成果を積み重ね、和平の環境が地域から醸成されるよう支援すべきです。*2 *3

3.日本政府は「テロ対策特別措置法」を継続せず、アフガニスタンにおいていかなる形であろうと自衛隊による協力ではなく上記包括的な和平に向けた政治的なイニシアティブを発揮するべきです。同時にNGOや国連、アフガニスタン行政と協力して地域の融和と安定を促進する復興支援にこれまで以上に力を入れて取り組むべきです。

4.国連、NATOおよび各国政府は対テロ戦争との境界が失われた現在のISAFの役割と活動を見直し、治安の側面支援という本来のミッションに戻すべきです。

5.NATO/ISAFおよび各国政府は、PRTによる復興支援活動を止め、PRTの役割をISAFの本来のミッションの枠内での治安支援活動に特化すべきです。

小松浩政治部長さん、一度、現地を見に行ったり、JVCの人から話を聞いてみてはどうでしょうか?

あるいは、「驚愕! 防衛省からの回答 -「駆け付け警護」発言について-」(※5)に見られるような取材をしてはどうでしょうか?

そして、ヒューマンチェーン(10月23日午後6時半、衆院第2議員会館前集合)や、「武力で平和はつくれない!11・3市民集会」(11月3日午後2時半、日比谷野外音楽堂)などに参加している人の声を聞いてみてはどうでしょうか?

昔と違い、市民はインターネットなどでマスメディア以外の情報を入手することができる。戦争遂行を目指す提灯記事だけ書いていたのでは、そのうち、新聞は見捨てられる、そのことに気づかないのか。…引用おわり




憲法の基本理念

2007年10月18日 | Weblog
今日は、忙しくて書いている暇が無いので、兵庫県弁護士会の宣言を載せておく。
私の勉強させてもらっている「津久井進の弁護士ノート」より、丸ごと頂戴しました。

  日本国憲法の基本理念を堅持する宣言

 日本国憲法ができて60年がたちます。今、この憲法を改正しようという議論が高まっています。

 兵庫県弁護士会は、思想信条を越えた専門法律家団体として、2005年11月に日本弁護士連合会が行った「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」を全面的に支持します。

そして、憲法改正を議論する場合にも、次の二点をけっして忘れてはならないと考えます。
 第一に、憲法は、国民のために、国民の権利・自由が、権力によって抑制されたり侵害されたりすることのないように、国民を守るものとして、歴史的に確立されてきたということです。
これが立憲主義の基本であり、逆に言えば、この立憲主義無くしては民主主義国家とは言えないのです。

 第二に、、日本国憲法の根本理念として

① 政治を決める根源的な力は、国民のみに由来するということ。(国民主権主義

② 個人の基本的人権をあくまで尊重するということ。(基本的人権尊重主義

③ 平和を守るため、戦争を放棄すること。(恒久平和主義

の三つの基本原則は、憲法の改正としては許されないということです。


■無風老人の注:憲法前文「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」■(注おわり)

憲法改正を考える場合には、この三原則から出発すべきで、これらを変更する場合は、もはや「改正」とは言えないのです。
 
日本国憲法は、改正規定をもっていますから、改正の議論はあり得ます。しかし、以上の二点は、憲法改正にあたっても大前提となるものであり、これを無視しての「改正」はあり得ません。

思想的、政治的には、さまざまな立場と意見があるでしょう。
憲法改正に賛成の立場も、反対の立場もあるでしょう。
しかし私たちは、法律家として、賛否どちらの立場をとるにしても、これらの点だけは忘れてはならない、侵してはならない、と考えます。

 基本的人権を「公益及び秩序」で制約できるとの条文を盛り込むことは権力の座にある人たちが守りたいと考える利益と秩序のため、個人の自由や権利を制約してもよいという根拠にされる心配が大いにあります。
■無風老人の注:公の「宣言」ですので『根拠にされる心配が大いにあります』となっていますが、ここは私の日記で何回も書いているように、『根拠にされます』と変えて読みましょう。何で?と言う人は私の日記を読み返して見て下さい。■(注おわり)

今の憲法の規定にある「公共の福祉」が、人権間の調整の役割を担っているのとは質的に異なるのです。

■無風老人の注:全く別のものです。「公共の福祉」=国民みんなの幸せ、「公益のため」=国民のため、ではありません。海外派兵等、権力の座にある人の判断で公益が決まり、それに反対する自由は「公共の秩序」に反するため、全くなくなります。■(注おわり)

 また戦争こそは最大の人権侵害、環境破壊です。

戦争のない国際社会を築いていこうとする恒久平和主義は、我国が戦争をせず、戦争にまきこまれないという役割を果たしてきたもので、これを決して後退させてはなりません。

9条改正が必要かどうかは、この原則を守り、慎重かつ十分な国民的議論を重ねて判断されるべきです。

 憲法改正を議論するときには、「憲法」は国民を守る砦であるという歴史的使命と役割を十分に認識し、日本国憲法の三つの基本原則が堅持されなければなりません。

私たちは、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし、憲法と法にもとづいて活動すべき弁護士の団体として、以上のことを心から訴えます。

      2007年(平成19年)10月12日
                           兵庫県弁護士会
                           会長  道 上  明

■私が日記に書いてきたことを、キッチリまとめて表現してくれています。

 ただ、非常に大人しい表現のため注釈を入れてしまいました。アシカラズ。

「現状」と「現実」を取り違えている人たち

2007年10月17日 | Weblog
昨日の「プロパガンダにより洗脳された国民」の続きでもあるのだが…。

護憲派を「現実をみていない」といい、「平和憲法はいい、戦争もいけない、でも現実は国際紛争の解決手段として戦争がある」といったブログを書いている多くの人は、その「現実」を「現状」という言葉に変えて下さい。

上の「でも現実は…」と言って戦争反対派を馬鹿にしている改憲派は「現状容認派」「現状肯定派」であり「現実逃避派」である。

こういった人たちは、年金が役人に盗まれていたことや、参院選前に圧倒的多数の横暴でどんどん出来てしまった「悪法」も、それが施行されれば「現状」だから仕方ないですね、と容認、つまりどんなに悪いことでも「現実」として「現状」を認めてしまう、といった自分の価値観を持たない人たちである。

こういう人たちが、政府のプロパガンダ、マスメディアの情報操作によって洗脳されると、権力者の言いなりの国民になってしまい、あたかも自分の方が知っているといった態度で、ちょっと聞きかじった「太平洋戦争の真実」といった,とうの昔に否定されごみ箱入りしていた大東亜共栄圏理論を振りかざし、「知っていますか」と反戦派を嘲笑的に批判することになる。

・日本も戦争しなかったら生き延びられなかった。
・アメリカに基地を引上げられたら、攻められる。日本が無くなってしまう。
・今まで日本が侵略されなかったのは、アメリカに守られていたから。
・それなのにアメリカが攻められたのに黙って何もしないでいて義理が立つのか。
・貿易に頼っている日本がアメリカからストップを喰らったらすぐ潰れてしまう。
・ここぞとばかりに叩く、それしかやることのないバカ政治家たち=反対するしか能の無い野党→自民党はいったことはやる実行力のある責任政党。等々

全て、独裁国家・全体主義国家を目論む政権政党(権力者)の言っていることをそのまま信じての発言である。

下記ブログは、「そこまで国民は馬鹿ではないだろう」といっているが、福田内閣の支持率アップ等をみると、そうも言っていられないのではないか、と思ってしまう。

「きまぐれな日々」さんのブログから引用

(引用開始)
自民党の政治家たちがポピュリズム(*注)に走るようになってから、彼らの言動がずいぶん下品になった。

(*注)ポピュリズム=大衆迎合主義。 減税や補助金のバラマキなど国民受けする政策を行い、選挙を有利にしようという政治姿勢

自民党の言動例:
(1)「給油に反対するのはテロリストくらいなもの」テレビの政治番組で自民党の中谷元・元防衛庁長官
(2)「くれぐれも 北の走狗などと揶揄されぬように」週刊誌に「媚朝外交」を批判された安倍元首相
(3)「自民党が敗北すると改革が止まり、それで一番喜ぶのは民主党、二番目は北朝鮮だ」参院選の選挙戦終盤の塩崎前内閣官房長官

すべてがこの調子である。国民を馬鹿にし切っている。

これらの言動(彼らの論法)の特徴は下記の三つだ。

(1)まず、ありもしない幻想をふりまく。

「郵政民営化さえ実現すれば、改革がどんどん進んで良い世の中になる」といわんばかりの小泉のスローガン「改革を止めるな!」がその例だ。

(2)次に、「仮想敵」を作る。

それは北朝鮮だったり朝日新聞だったり民主党・社民党だったり「抵抗勢力」だったりする。そして被害者を装う。
安倍晋三は、NHKや朝日新聞の捏造報道の被害者であるかのように訴えたが、実際には安倍の方が嘘をついていた。

(3)最後にやるのが反対勢力に対する「排除の論理」だ。

ただ、これはコイズミが抵抗勢力を攻撃した頃には効果があったが、民主党を北朝鮮やテロリストの味方呼ばわりしても、自民党の下品さだけがクローズアップされて逆効果なのではないかと思う。
国民はそこまで馬鹿ではないはずだ。

しかし、給油継続の問題については、マスメディアを味方につけての自民党の世論操作が功を奏したかに見え、いまや世論も給油賛成派の方が反対派を上回っている。
こういう時こそ、自民党のよこしまな意図や、その論理のイカサマ性をつくブログの主張が求められるのだ。
ともに憲法違反の疑いがあるとして一緒くたにされがちな、自民党の主張する「給油継続」と小沢一郎の主張する「自衛隊のISAF参加」の質的な違いを指摘した当ブログは、残念ながらブログ界においては少数派だ。
なぜ小沢の意見に必ずしも賛成でない当ブログが小沢の立場を説明しなければならないのかと思ってしまう。…引用終り

話はもとに戻すが、「現状肯定派」は、戦争するのは良くない、でも現状がこうだから仕方が無い、とする無気力なアキラメ派であり、議論(ディベートの対象)にならない。

前にも書いたが、人間ならば「悪い・間違った現在の状態がある」→「どうしたら良くなるか、悪い状態を打破できるか」→「悪い現状に反対、悪くなる方向にむかうことを何とか阻止しよう」と考えるのが普通である。今の人には「正義」という言葉は死語になってしまったようである。
「弱きを助け、強きをくじく」といった精神は見られず、「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「見ざる聞かざる言わざる」(悪事を見なかったことにしよう、聞かなかった=知らなかったことにしよう、それを言葉に出して追求するのはよそう)「トラの威を借る狐」「赤信号みんなで渡れば怖くない」等々の自己チュウな無責任な無気力な無責任な考え方をしている。

間違って「悪法も法だ」と言ってくる人の為に、下記ブログを載せておく。

「悪法も法なり」だが・・・

(引用開始)
コミュニティができると,様々な物事のルールが決められることになる.そのような中で,決められたルールに対し,なにがなんでも自分は同意できず反対であるからそのルールには従わない,他の人はどう思うとその結果どんなことになろうと独自路線を貫く,という人たちがいる.このような人たちが出てくると,コミュニティ内での公平性が保たれなくなるなど,大変困った事態に陥ることになる.

自分が正しいと思う道を,妥協せずに歩もうとすることは,それはそれで大変結構なことである.しかし,自分が所属する様々な単位のコミュニティで,いったんルールが決まったら,まずはそれに従って物事を進めるべきであろうと,私自身は常々思っている.その意味で,私はまさに「悪法も法なり」の立場を取っているのである.そして,自分がそのルールに納得できないのなら,決められたルールで当面進めつつも,その不当性や不合理性を訴え続け,改める努力をすべきものと考える.

さていっぽうで,ルールは守られるべきであると,それだけを声高に叫ぶ人たちもいる.これは既に決められたルールだからの一点張りで,制度を維持しようとする人たちである.実は,コミュニティのルールを守らない人たちと同様,この人たちも大変困った人たちである.往々にしてこのような人たちは,そのルールの成り立ちや正当性,合理性を,深く掘り下げて考えていないように思える.なぜなら,そのルール自体についての話し合いが,この人たちとは成り立たないことが多いからである.

そもそも,ルールや方針作りの過程が大事なことはいうまでもないが,周囲の状況は時々刻々変わっていくのであるから,ルールや対する普段の検証や見直しも,同時に大事であると思っている.すなわち,「悪法も法なり」なのだが,同時に,当然のこととして「悪法であれば改められるべきもの」と,私は思うからである. …引用終り



プロパガンダの成果

2007年10月16日 | Weblog
政府・マスメディアによるプロパガンダの成果を挙げておく。

人気ブログから引用するが、こういった意見は、何もこの人だけに当てはまることではなく、多くの人が以下のような考え方をしているため、その典型例として挙げさせてもらった。

(引用開始)
イラク絡みで言いましょうか。小泉さんがアメリカを押したとき
国民みんなで非難しましたよね?
これね、正直間違ってますよ。みなさん。
たしかに戦争を押すのはいけないと思います。
じゃあね、アメリカに反対してアメリカ軍を日本から引かせられたら
誰が日本を守るんですか?
自衛隊じゃ国は守れませんよ
他にも輸入に頼りまくってる日本が
輸入を断ち切られたら、あっという間に潰れますよ。
みなさん、そういうこと考えてましたか?
ただ戦争はいけない!と、思って小泉批判した人
もう少し考えるべきじゃないでしょうか

ここぞとばかりに叩く、それしかやることのないバカ政治家たち
このことわかってるんでしょうかね?
日本の側にはキチガイ王国、北朝鮮がいるんですよ?
いつ攻めてくるかわからないんです
それを守ってくれてるのがアメリカなんです
たしかに莫大なお金は払ってますけど・・・・
でもですね、キチガイから身を守るには仕方無いと思うんです。
あのキチガイ国は、平気で
「核戦争はやってみなきゃわからない」と言ってしまうんですから。…引用終り

上のような意見が多いのですが、政府・マスメディアによるプロパガンダの成果です。

戦争はいけないことだ、でも…、といった考えを作り出すことに成功した典型例です。

もう一度、ヤメ蚊さんの常駐ブログ。

★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて、ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリングの証言)

上のブログ先と、その内容を下記に載せておきます。興味のある人は読んで見て下さい。(参考まで)飛ばしたい人は■から読んで下さい。

世の中の納得いかないこと

私思うんですけどね、やっぱり軍隊は必要なんじゃないですかね?
アメリカ任せに守ってもらってたって何もできないですよ。
アメリカ軍を養ってるお金を軍隊に回しても
当然足りないでしょうし、莫大なお金がかかるかもしれません。
でも絶対に必要だと思いますね。
戦争をしかけるための軍隊じゃなく
必要最低限自分たちを守れる軍隊をね。
それを非難する人に問います。
じゃああなたたちは借金があるからと
家の鍵が壊れた時に、鍵を直さないんですか?

やはり自分のことは自分で見ましょう。それが筋でしょう。
人任せだから、NO!と言いたいのに言えなくなってしまうんです。
まあね、軍隊持てば、また軍事国家になる気か!!!
などと、中国やら韓国やらが大騒ぎしますがね。
あそこはアホの国だからほおっておきましょう。相手にしちゃいかんです。
たしかに昔、日本は悪い事しましたよ。
でももう、50年以上昔のことをギャ~ギャ~言ってるたわけ国を
相手にするだけ時間の無駄です。
そのときは軍事国家でしたが、今は立派な民主国家なんですから。
所詮昔のことを引きずり出して、ヒステリ~を起こすバカ女と
あそこの国は変わらんのです。シカトですね。

これ読んでる人でもしかしたら
アメリカの戦争を押した日本はいけない!
さらに軍隊を持つのもいけない!って思ってた人いるでしょうか?
それは筋が通ってないんじゃないでしょうか?
どっちかに転ぶしか無いと私は思いますね。
私はどっちかと言えば、借金増やしても軍隊は持つべきだと思います。

男にも言える事ですけどね、自分と大事な人を守れる強さは
絶対に必要だと思います。世の中そんないい人ばかりじゃないですし
キチガイも山ほどいますから。それにキレイ事や言葉は通じません。
そんなもん、ナイフで一刺しで黙らされてしまいます。
だから国も私たち男も最低限の力って必要だと私は思いますね。

ちょっと話があちこち飛びましたが
一概にニュ~スの情報に踊らされて変な判断しないようにしてくださいね。
両方の立場にたって考える!これ大事だと思います。
また関係ない話になりますけどね、独自の切り込み!なんていらないんだよね。
あんなもん、なぜお前らの意見を聞かなきゃならんの!と。
できるだけ正確な情報をそのまま伝えるだけがいいですね。
どうとらえるかはその人次第なんですから。
それを独自の切込みだ!と、わけのわからんことをほざいて
みなさんを混乱させるようなのはいらないですね。
あんたらが意見をわざわざ言わないでも
私たち普通の民衆はバカじゃないですし
自分たちで判断できます。だから報道関係さん。
くだらん切り込みはやめてくださいね!
まあそのくだらん切り込みを、今、自分でしてますけど。(笑)

ホントひっさしぶりに良い乗りで書けました♪
日記は最近(11月11日現在)ホント腐ったしょ~もないことしか
書けてないですから。(笑)
これ読んでどう思うかは皆さんの自由ですが
共感してくれた人がいてくれたなら幸いです♪…ここでブログは終わっています。

この人のブログの最初の方も載せます。

あの戦争を皆さん、どう思ったかわかりません。
漫画でも書いてありましたが
戦争を起こすことによって、様々な被害が出ます。
特に一切関係の無い、国民に被害が被るわけです。
劣化ウランによる、半永久的なダメ~ジ・・・
苦しむ国民に、秩序を無くす社会・・・・
ちゃんとした証拠も無しに戦争を始めて
甚大な被害を出したアメリカが悪いと私も思います。

しかしですね、私は8対2でアメリカが悪いと思うんです。
10対0にはならないんですよ。どうしても。
もし裁判だったら確実な証拠も無いですし
10対0で負けるでしょうね。
でもですね、人情的なことも人には大事だと思うんですよ。

これを読んでる皆さん、大事な人っていますよね?
それが親だったり恋人だったり子供だったり。
きっと凄く大事な人っていると思うんですよ。
その人がね、余りに無茶苦茶な殺され方したらどうしますか?
つい昨日まで一緒に笑ってた大事な人が
どうしようもない理不尽な理由で殺されたらどうしますか?
私だったら、その相手を殺してしまうかもしれないですね。
何があってもそいつに制裁を自分で加えてしまうと思います。
みなさんもそう思うんじゃないでしょうか?
たしかに暴力では何も解決しないかもしれないです。
でも神様は人に危害を加えることのできる力と知能を
私たちに与えてくれてるんです。
それって必要じゃなかったらきっと与えられて無いと思うんですね。
きっとこういう時、無理に我慢して自分を辛く悲しく情けないところまで落とさないように
暴力というものが与えられたような気が私はしますね。

アメリカはアフガンから、わけもわからず飛行機を直撃され
何万という人を殺され、国に甚大なダメ~ジを与えられたんです。
それに報復するのはいいことではないですけど
してしまう気持ち、わかるじゃないですか?
イラクは直接には関わってはいなかったかもしれません。
でも裏で武器をアフガンに回したりしたことがあるのは
正しいらしいのです。
まあその証拠が出てきてないわけなんですけども・・・

でもですね、自分に置き換えてみると、わかると思うんです。
裏で誰かが自分の大事な人を殺した奴に力を与えてたんじゃないか?
と、予想してしまったら、そいつもやらなきゃ納得できないんじゃないですか?
じゃないと、またとんでもない目にあってしまうのは自分たちなんですから。
こんなこと二度と起こさないように!と、思うのも当然だと私は思いますね。
皆さん実感沸かないかもしれませんが
よく想像して欲しいんです。大事な人が理不尽な殺され方をし
我が家にまで被害を及ばされた時のことをね。

だからってアメリカが悪いことは揺るぎません。
あんなに無茶苦茶に戦争を仕掛けて、国の秩序をなくしたんですから。
今、イラクは無法者地帯になってる原因を作ったのも
間違いなくアメリカですから。
でも全てが悪い!って言えない気がしませんか?
やはり8対2くらいが正しい気が私はします。

そしてやはりむかつくのは、国のお偉いさんですね。
イラクのお偉いさんたちは、なぜ国民を戦地から逃がさないんでしょう?
自分で戦う!と、志願した人なら構いませんよ。
でもですね、そうじゃない人、無理に盾役にされた人って
報道されてないですけど、きっといっぱいいると思うんです。
普通の民衆に紛れてアメリカ軍を襲った兵士が数多くいるのが
とてもいい証拠だと思います。

なぜお偉いさんがたは、自分らを守るのが指名!みたいに
国民を見るんでしょうね?あなたたちが国を動かしてるのは認めますよ。
でもそれを支えてるのが国民です。
誰もいない山で一人、私が王様だ~!ってやる分には迷惑かからないですけど
あなたたちは、まがいなりにも国民からお金を頂き、生きてるわけでしょ?
その恩を仇で返すように、国を守れ!守れ!と強要し
遠くへ逃がさない。これ間違ってると思います。
普通の人は、自分を。大きくてせいぜい家族を守るのが精一杯です。
だからこそ、それなりの収入からお金を払って
あんたらお偉いさんに任せてるわけでしょ?
私たちがやりますから!と、立候補して立ち上がったわけでしょ?

(イラクはどういった体制で政治家を決めてるのかしらないので
ちょっと勝手に書いてます)

だったらそれには責任を持ってやり遂げ
自分を選んでくれた人のためにも、お金を払ってくれてる国民のためにも
自分たちで尻をぬぐうのが筋なんじゃないでしょうかね?
それを人にケツをふけ!と、平気で言えるお偉いさんたちって
何考えてるんでしょうかね?

だからこそ、罪の無い国民は絶対逃がすべきだと思うんです。
そういう発想がでない時点で、人がくさってる証拠なんですけど。…引用終り

■戦争は良くない、イラク戦争も8割アメリカが悪い、戦争を起こしている偉い人も批判、こういった人たちが「ただ(単純に)戦争はいけないと思って批判している人は、もう少し考えるべきだ」といい、「現実はもっと複雑なんですよ」といって、現実に起こりえないことを「こうなるんですよ、分かっているんですか」と“私は分かっている”といった態度で嘲笑的に非難する。

政府・マスメディアによる洗脳は、もうここまで来たか!と思わせるブログの典型である。

・反戦派はもう少し考えるべきだ。
・反対(与党を叩くこと)しか能の無い政治家(野党)。
・ニュ~スの情報に踊らされて変な判断しないよう。
・アメリカに守ってもらって今の日本の平和がある。
・アメリカが出て行ったら日本は攻められる。
・自衛隊では守りきれない。
・経済依存度の高いアメリカに協力しなかったら、貿易ストップで日本はすぐに潰れてしまう。

こう考える人はもっともっと勉強して色々な知識を身につけ、自分の価値観を持つようにして欲しい。

昨日のNHKニュースで、自衛隊の他国との海上共同演習を映していたが、演習している「かっこいい」艦隊を映し出したり、「アメリカの他にフランス、etc.も参加しての演習です」と「国際貢献」を強調し、国民の頭に「軍隊」を刷り込ませようとしている。(軍の活動が日常的出来事になっていく)

ナチス・ドイツ(独裁国家)を作り出す方法は「簡単です。どこの国でも有効です。」という言葉がこういったブログを見ていると「実感」される。

こういった人たちに私の日記の最初に書いたテーマ1~6をみてもらいたい、とつくづく思います。

軍隊云々の議論は別にしても憲法改正されるとどうなるか?の改正のポイント1~5は読んで下さい。(まだ見ていない人も)
ただ、軍隊が無ければ(又は、自衛隊では)国民の安全は守れない、と考えている人は、私の昨日のブログを見て「軍隊で国民の安全が保障されるのか?」をもう一度良く考えてみて下さい。






中村哲氏の言葉…その2

2007年10月15日 | Weblog
引き続き、中村哲氏の言葉を引用

中村哲(なかむらてつ)…医師。1984年、パキスタンのペルシャワール・ミッション病院に赴任、アフガン難民の診療等に携わる。現在はアフガニスタン北東部の三ヶ所の診療所を中心に医療活動を続け、2000年より大干ばつに見舞われたアフガニスタンでの水源確保のため、灌漑事業を継続して行なっている。

*日米安保(軍事同盟)がないと日本は生きのびられない、という言説もきちんと考える必要がありますね。

目先の利害だけに囚われると、見えるものも見えなくなってしまいます。
国を挙げて錯覚しているのではないでしょうか。

第二次世界大戦の際、「満蒙は日本の生命線」だと、国も国民も信じたし、信じ込まされていた。
文字通り国を挙げて錯覚していたのです。
そのときといまと、全く同じことを繰り返していると言えないでしょうか。

(注)満蒙は日本の生命線=日本が旧満州(中国東北部)や内蒙古地方に「持つ」と主張していた権利や利益を守るためのスローガン。1932年には、このスローガンをもとに、傀儡国家「満州国」を建設するに至った。

同盟国との、その瞬間の関係を保つことや、単なる景気回復等一時の利益のために憲法に手をつけるのは、破局への入り口だと断言しても良い

◎すべての戦争は守るために始まる。(守るため=国益のため、国体維持のため)

現実論として「憲法で禁じられているから出兵しない」というのは、誰に対しても非常に説得力のある答えではないでしょうか。

攻められたときの防御が必要だ、という意見があります。そのときに戦えなくてはいけないから武力を持つべきだ、と。

ここも参照して下さい

しかし、これまでのどんな戦争も「守るため」に始まった。

自国を守るため(今では「民主主義を守るため」との名目等含め)といった名目で外に出て行って非道なことをしているんです。
悪いことを始めるときに本当のことを言って始めるわけじゃないんです。

大儀名分を押し立てて始める。それが現実なんです。

戦争も突き詰めれば外交手段の一つです。
九条の主旨はつまり、武力による外交手段を放棄する、と言うものです。
ということは、武力に頼らない外交手段をあらゆる手を尽くして模索する、という宣言でもあるんです。
それをきちんと果たしてきただろうか。それがまず、大きな疑問ですね。

つい10年ぐらい前までは、直接の戦争体験者がいたので、自民党だろうが共産党だろうが、戦争の現実を知っていた。(従って、それを崩すことがどれほど危険なことか本能的に自明の合意のようなものがあった。)…略しています。

戦後ずっと自分たちが守られてきた、その枠組み。

その中に育ち、戦争を知らなくても、普通の考え方をしていたら、死ぬのがイヤなら、殺すのもイヤだと思うはず。
そのあたりは、人の命の尊さについての感覚が希薄になってきているんじゃないでしょうか。

安全性だとか、防犯だとかいうことには過敏になってとやかく言うのに、そのおおもとの命を大切にするということを(憲法を)ないがしろにしている。
議員を含め自分さえ良ければいい、という奇妙な考え方のように思えてならない…。

そういうことを放置しておいて、つまり自分の国もきちんと治められないのに外に出て行きたい、国際貢献をしたい、と言うのも疑問ですね。

太平洋戦争の際も「大東亜共栄圏」を唱え「東洋平和」を叫んで出て行きました。

そのときもいわば「国際貢献」を旗印にしたのです。

(注)大東亜共栄圏=大東亜(東アジア・東南アジア一帯を指す)から欧米の植民地支配を排除し、日本を盟主とするアジア民族による共存共栄を求める、という日本のスローガン。

軍事力を備え、戦争で何が達成できるかというと、目先の利害に過ぎないのです。
あるいはチッポケな民族の誇りだったり。

アメリカのつくったものの押し付けだとか、いろいろなことが言われますが、日本があの憲法を受け入れたのは、何より大きな犠牲を払った、その上での一つの結論だったのです。

その、ご先祖様の大きな犠牲の上に築いた、一つの大きな結論を、簡単に崩していいのでしょうか。

改憲派は「日本のために、日本人自身でつくる憲法を」と言いますが、それこそその「日本人」のご先祖様に対して失礼な言い分だと思います。…以上引用終り

要点だけ、と思って本から書き写したのですが、やはりご本人の言わんとするニュアンスも書こうとするとほぼ全文となってしまった。

今、憲法を変えようとしている政党(自民党等)は、最高裁も共産党も「合憲」としている自衛隊をアメリカに従って外に出て行って戦争できるようにしようといている、としか考えられない。

心ある人はアメリカの言いなりになって国民の血税を国益のためといって実はアメリカ軍のために散財している不甲斐無い政府に日本人としての怒りを感じ、色々なブログに書いている。

アメリカ軍の極東戦略に組み込まるだけだ、と国民が大反対した日米軍事同盟(安保)は同盟ではなく、片方の都合のみが通る従属規定となっている。
「年次要望書」?でも分かる通り、最初は「双方から要望を出し合って」であったが、今は軍事・経済共にアメリカからの一方的な要望(命令)書となっている。
ヤクザのように金銭を強要し、カネを出さないのなら軍を引上げると言われ、何の交渉(外交)もせずに国民の税金から慌ててカネを追加した無能な政治家たち。
「安保タダ乗り」と言われ、「拠出金を取り過ぎだ、そんなにこの戦争では使わない」とアメリカに怒鳴り込んだイギリスに対し、日本ではスグサマ拠出金を追加した。結局、戦争での収支ではカネが余ったはずなのに、軍備開発費かなにかは知らないが全てアメリカの懐に入ってしまった。
やはり政府のこういった対応を、過激に「売国奴」という表現をつかう人(ブログ)の気持ちが分かる気がする。

今の中小企業の営業マンでも、大手の取引先からの値引き要請にそのまま応じることはない、例え最終的に駄目でも、「10%値引きしろ」と言われても「うちも苦しいので、色々な努力はするが今回は3%で何とかお願い出来ないか」等の交渉(政治であれば外交)努力はする。

カネを出さないのであれば「軍隊を引上げる」と言われ慌てて言いなりになるのではなく中小企業の営業マンのように「財政内情も苦しいので(引上げられても)仕方ないですね」位の交渉経緯があっても良いのではないか。
例え、アメリカ軍が引上げたとして、前のブログでも書いたが、どこが何の目的で,
しかも国際社会で「村八分」になることも恐れずに、攻めてくるのか?私には答えが見つかりません。


今のアメリカに逆らうと日本も「ならず者」国家・テロ国家に指定されてしまう、と懸念される声がある。そんなにアメリカは暴君になってしまったのか。
ただそれにしてもアメリカの言いなりで「アメリカの51番目の州」と言われるように、「国家の品位」も「アイデンティティ」も何も無い外交四流国とした原因の大半は現政権政党にあると言って良い。日本の立場の主張が全く聞こえてこなかった。
その意味で民主党小沢代表の「テロ特措法」延長反対は久しぶりに日本国のために政治をしている議員の姿を見た気になった。といって、幹事長時代に憲法改正案を作成した小沢氏を支持しているわけではない。ただ、マスメディアが「政権を取るための策謀」的にこの問題を流すこと(どちらが国民のためになるか、ではなく与野党対立として報道していること)に日本国の未来に危惧を感じている。あなたは小沢代表が言い出すまで「テロ対策特措法」について知っていましたか?日本がこんなに「国際貢献」しているんだと初めて知ったのではないですか。
小沢氏が言い出さなかったら日本に対し、いろんな国から「国際貢献の継続、是非お願いします」と日本に頼み込んでくることは(ヤラセ的であるにせよ)無かったと思います。
「日本はカネを出すだけで何もしない国」の評価がそのまま続いていたことでしょう。








中村哲氏の言葉

2007年10月12日 | Weblog
昨日の続きとして、中村哲(なかむら てつ)氏の言葉を引用したい。(岩波ブックレットNo.657より)

中村哲(なかむらてつ)…医師。1984年、パキスタンのペルシャワール・ミッション病院に赴任、アフガン難民の診療等に携わる。現在はアフガニスタン北東部の三ヶ所の診療所を中心に医療活動を続け、2000年より大干ばつに見舞われたアフガニスタンでの水源確保のため、灌漑事業を継続して行なっている。

(引用開始)…多少原文を略したり、表現を変えたりしています。済みません。

「現地では『憲法9条』に実際に守られてきた」
20年前現地アフガニスタンに行き、その後ずっとわが身が憲法9条に実際に守られてきたことを肌身に感じます。中東においては第二次世界大戦中に日本の占領等の直接の被害に遭わなかったこともあり、広島長崎の被害への同情だけでなく、戦後復興を遂げたアジアの国として日本は一種の憧れの対象でした。

また、その後の歴史の中でも「羽振りのいい国」というのは大抵戦争をするものだけれど、半世紀にわたり経済的豊かさにもかかわらず、他国に戦争を仕掛けなかった国、平和の国・日本として親近感を持たれて来ました。

つまり、(私はアフガニスタンで)実際に戦争をしない国・日本の人間である、日本人である、ということに守られて仕事が出来た、ということが数限りなくあったのです。

「9条」というものを現地の人は知りません。しかし現実に「平和の国・日本」というイメージが浸透していたのは、意識・無意識の別なく国の方針としての9条の精神「交戦しない国・日本」が伝わっていたからだと思います。

日本人であるから命拾いした、助けてもらった、というのも9条のおかげだと思っています。

それが、自衛隊の海外派兵が始まってから、雲行きが怪しくなってきた。

日本人だからと守られてきたのに、日本人だから命を狙われる、という妙な事態になってきた。

九条を変えて「軍隊を派兵できる普通の国になるべきだ」と言う理論の、その「普通の国」の意味が良く分かりませんね。そんなことを言うのは“平和ボケ”した戦争(の実態)を知らない人たちの意見なのではないでしょうか。

よく、「理想だけではやっていけない、ちゃんと現実を見なければ」と言いますが、それこそが“平和ボケ”の最たるものです。
それは人の生死をマンガや空想の世界でしか考えられない(人の生死の実感を持てない)想像力や理想を欠いた人のいうことです。

現実を言うなら、武器を持ってしまったら必ず人を傷付け殺すことになるのです。
人が殺し合い、傷付けあうことの悲惨さを少しでも知っていたなら、武器を持ちたい、などと考えるわけがありません。

国際貢献をしたいなら、いろんなやり方があります。
それは本来、武力とは何の関係も無い! 理論的に考えても「軍隊をもってする支援」なんてあり得ません。

私はアフガニスタンで灌漑事業を進めていますが、別に軍隊に守られて作業しているわけではありません。
逆に、派兵している国の事業は攻撃対象になって作業は難航している。
普通に考えたら分かることだと思います。
武力に守られた支援が、歓迎されるでしょうか?…実例を挙げられていますが略…

現実を知らないから「軍隊に守られるのは危険」とか「軍隊の存在そのものが危険」という認識が持てないのです。

「丸腰の強さ」を現地にいると痛感します。

現実的に今の憲法をどうすればいいか。
とにかく、いじらず、その精神を生かす努力をすべきです。
他国との関係を考えても、経済的なことを考えても、それが現実的でしょう。

軍隊を持つこと、軍隊を動かすことが、いかにお金のかかることか、アメリカを見れば分かります。アメリカの財政が破綻していることは明らかですしね。
(無風注:日本に押し付け→その為、日本の財政は2015年に破綻とアメリカ経済アナリストの読み、その後、アメリカは資金源を中国に乗り換えると公言している)

国家の使命とは「国民を守ること」です。

自国の人の命を危険にさらし、他国の人の命をも危険にさらすことは、国家の使命と逆行します。

なぜ憲法9条が日本国で受け入れられたか、それをよくよく考えましょう。

憲法9条をないがしろにすることは、自国民だけでも300万人という大きな犠牲を払った、その死をコケにすることです。

いま日本の評価は中東で「アメリカに原爆を落とされた気の毒な、しかし努力して復興した国」から「アメリカの同盟国(軍)」へと変化しつつあります。
いづれ、他の同盟国と同じ運命をたどることになるでしょう。
まだいまは、現地には日本に憧れ尊敬してくれた世代が社会の中堅にいますが、この次の世代からはもう日本の見方が変わります。
おそらくアメリカと同様に攻撃の対象になるのではないか、と思わざるを得ません。…続きます。





「核を持てば核攻撃を受けない」との神話

2007年10月11日 | Weblog
昨日まで数日間、人のブログをそのまま載せてしまい申し訳ないと思っています。
自分が見て気に入ったブログ・気に留めたブログをワードにコピーして取り込んでおくのですが、その時、そのアドレスを取り込み忘れたため、私の日記に使いたい、でも、どこから取ったか分からない、いちいち調べなおしていたら書くのが進まない、え~い、全部そのまま載せてしまえ、という結果です。

数日前に見たブログで、私が10月4日に書いたブログの後押ししてくれる考え方が載っていましたので、それを載せます。

津久井進の弁護士ノート

毎回のように同じ津久井弁護士のブログを引用しますが、それだけ為になる意見が沢山載っているからです。

今回は、『M8(エムエイト)』 高嶋 哲夫 著を紹介しながらのブログであったが、この「地震」を「原爆投下(核攻撃を受けた)」と置き換えると、私が4日に書いた日記で言いたかったことと一致します。

(内容を少し紹介)
地震発生後に,首相が,閣議の場で,票にならない「防災」に淡泊だった大臣たちの前で悔やむ場面が出てくる。

「我々人間にできることは限られている。そして我々政府にできることはさらに限られている。法律を作り,予算を付ける程度だ。だが,我々は防災にいくらの予算を付けた?100億か,1000億か。使いもしない高速道路,ムダと分かり切っているダム建設と比べてどうなんだ。今回の東京直下型地震で推定38兆の被害が出ている。今後,今回の地震の影響で生じると考えられる経済損失は44兆だ。計82兆円。もし,この1%でも地震対策に注ぎ込んでいたら-。家屋の耐震化の補助金を増やし,消防設備をさらに充実し,地震対策に従事する専従職員を倍増していたら,被害は何十分の一に抑えられたはずだ。まさ本当にくるはずが-という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させた」

「地震は一瞬だ。その一瞬のために万単位の死者,数十万を超える負傷者が出て,ビルが倒れ住宅が焼ける。人々は行き場を失って途方に暮れる。以後,何年にもわたって膨大な損失を被り,様々な重荷を引きずっていかなければならない。この一瞬の被害を最小限にとどめることができれば。我々はこの一瞬のために,もっと税金を使うべきだった。努力を惜しむべきではなかった。全壊を半壊に抑える。一万人の死傷者を10分の1,100分の1に減らす。親をなくした子,子をなくした親を最小限にするためにもっと時間と金を費やすべきだった。それが真の政治というものだ」
 災害後の復興に平素から関心を持っている私としては,この首相のセリフが非常に印象的だった。
 このようなセリフを,政府要人が口にするというところは,アン・リアルである。巨大災害を前にして,こんなふうに適切な状況描写が出来るとは思えない。…引用終り

これを無風流にパロってみると、

核炸裂後に,首相が,首相官邸のなかで,金にならない「国民の安全」に淡泊だった大臣たちの前で悔やむ場面が出てくる。

「我々人間にできることは限られている。そして我々政府にできることはさらに限られている。法律を作り,予算を付ける程度だ。だが,我々は核シェルター(国民の安全)にいくらの予算を付けた?100億か,1000億か。使えもしない核ミサイル・戦闘機・原潜等,ムダと分かり切っている核迎撃ミサイルと比べてどうなんだ。今回の東京に投下された原爆で推定38兆の被害が出ている。今後,派生して生じると考えられる経済損失は44兆だ。計82兆円。もし,この1%でも核攻撃対策に注ぎ込んでいたら-。核シェルターつくりの補助金を増やし,自家発電設備をさらに充実し,核シェルターつくりに従事する専従職員を倍増していたら,被害(国民の死者数)は何十分の一に抑えられたはずだ。まさか本当にくるはずが…という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させた

「核爆発は一瞬だ。その一瞬のために100万人単位の死者,数千万人を超える負傷者が出て,ビルが倒れ住宅が焼ける。人々は行き場を失って途方に暮れる。以後,何年にもわたって膨大な損失を被り,様々な重荷を引きずっていかなければならない。この一瞬の被害を最小限にとどめることができれば。我々はこの一瞬のために,もっと税金を使うべきだった。努力を惜しむべきではなかった。全壊を半壊に抑える。1000万人の死傷者を10分の1,100分の1に減らす。親をなくした子,子をなくした親を最小限にするためにもっと時間と金を費やすべきだった。それが真の政治というものだ」
勿論これはフィクションです。現実の権力者(憲法を改正し正規軍・核をもち国民の安全を全く保障していない無駄な国防費を使おうとしている政権政党)がこの場面に遭遇しても上のような反省の言葉が出てくるわけが無いのです。…以上パロ終わり

もう一度、私の4日の日記を見て欲しい。…以下に転載

(ドイツに行ったときにヨーロッパの人たちは「核戦争は必ず起こる」との危機感から各工場に核シェルターを備えているといわれ、それを見せられて「こんなんじゃ放射能汚染に対応できない」と思いながら、欧州人の稚拙さを感じた私が、憲法改正し、外に攻めていける正規軍を持ち、核を持とう、核迎撃ミサイルを買い・巡航原潜を配備しよう、としている今の政府の言い分に?マークがついたのである。そんなことで国民の安全がはかれるのか?????)

*国民の税金を使って、国民の安全を守れない無駄な国防費、維持費、アメリカ基地への「思いやり予算」等々に毎年10兆円も使うのなら、まず先に全国民がすぐに避難できる「核シェルター」を作れ、といいたい。しかも、全国民が放射能汚染が無くなって外に出ても大丈夫と言われる状態になるまで生き延びられるシェルターでなければ意味が無い。国民を守るために軍隊・核保有が必要と考える人は、本当に国民の安全を守るためにはそれ(核シェルターの完備)が先とは考えないのか?

拉致問題・テポドン発射・核保有等で「何をやるか分からない」キチ○○将軍だ、として日本が攻められる「脅威」はある、と考えている人が、この核使用だけ「核抑止力理論」で、そんなことは無い(核を持てば、相手も核は使えない)と言った「常識」を信じている。相手は「何をやるか分からないキチ○○」ではなかったのか?
○○ガイだから攻めて来るに違いない、でもキチ○○でも核は使わないだろう、とほんとに自分に都合良くしか考えない「平和ボケ」した人たちである。…以上4日の日記より

「核を持てば核攻撃は受けない」と考えている人は、今年4月にバージニア工科大学で起きた銃乱射事件を思い出してください。

それはバージニア工科大学で2007年4月16日月曜日に発生した銃乱射事件である。32名(教員5名、学生26人)が死亡し、犯人も自殺した。アメリカの学校が現場となった銃乱射事件では史上最悪の犠牲者数となった。
アメリカで起きた乱射事件は、これまで最悪の死者を出したジョージ・ヘナード事件(1991年、22人死亡)、ジェイムズ・ヒューバティ事件(1984年、21人死亡)、テキサスタワー乱射事件(1966年、16人死亡)やコロンバイン高校銃乱射事件(1999年、15名死亡)などがあるが、今回の事件はそれを上回る過去最悪の事件となった。
ブッシュ大統領が緊急声明を出し、翌日には現場を訪れた。
緊急声明「今日、私たちの国は衝撃と悲しみに襲われた。学校は安全で保護された学問の場所だ。その聖域が侵されたとき、影響は全米の教室や地域社会に及ぶ」
自殺した犯人はテレビ局に犯行声明ともいえるビデオを送っていた。

「なにをやるか分からない国」の指導者(一個人)が上の犯人の様な心理状態(自暴自棄)になることは、これからの状況の中で「絶対ない」と言い切れるのか?

核抑止論を信じている人は、それこそ「M8」の首相の言葉「まさか本当にくるはずが…という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させて」いるのではないだろうか。

「正規軍を持たなければ」と考える人は、銃社会のアメリカで起きているこれらの事件が「一般の人が銃を持つことを禁止されている」日本で起きる確率はグンと低くなる、とは考えないのだろうか?