無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

「国民を向いた政治」をみずから放棄した日本国民

2010年07月14日 | Weblog
参院選の結果が出てから、テレビのニュース・報道番組を見るのを止めている。この日記も書く気がしなくなっている。残り少ない余生を花鳥風月を愛でながら過ごそうか、とそんな気になっている。

「日本がアブナイ!」どころではなく「日本はオシマイ!」となってしまったからだ。

日本を支配し国民の税金を私物化し甘い汁を吸ってきた連中の高笑いが聞こえてくる。

今、テレビ局・新聞社は「してやったり!」と笑いが止まらない状態だろう。

海外から「新しい日本の夜明け」と評された政権交代、即ち、半世紀以上続いた一党独裁政治から民主党による国民主権の政治への転換は1年もしないで潰えてしまった。

テレビ局・新聞社は国民による無血民主革命が成立した時、「民主党(国民)の思い通りにはさせないぜ。これからがわれわれ(マスメディア)の本領発揮するところ。われわれの出番だ!」と宣言し、国民が選んだ民主党政権つぶしに躍起となった。

国民はそんなテレビ局・新聞社の「反間の計」に乗せられ「政治とカネ」「普天間」「消費税」に騙されたすえに参院選で最悪の選択をした。破滅への道を選んだのだ。

衆参ねじれで、国民を向いた政治は終わってしまった。

この参院選で民主党が過半数を取って安定政権となっていたら、次の総選挙までの3年間で「旧悪」が少しずつ駆逐され、旧勢力である自民党的なものが一掃されたはずなのに、参院選で「何とか元の利権複合体体制に戻そう」と画策していたマスメディアの大勝利となった。
日本国民は傍観者的に「今度の参院選では民主党が大敗した」と思っているのだろうが、そうではない。日本の歴史的に見て、国民が今までの支配層に屈してしまったことを意味するのだ。

今まで、民主党政権に反発しながらも、半身で様子を見ていた官僚や大企業は、また自民党(+α)に寄り添う形となった。

「もうこっちのものだ」…旧勢力の完全復活である。


おさらいしてみよう。

民主主義制度は、今までの歴史から「権力は集中したり、長期化すると腐敗する」事を学び取り、権力の集中を防ぐために権力の分散(チェックアンドバランス)を考え、司法・立法・行政の三権分立の制度を確立させた。
また、権力が長期化することによる癒着・腐敗を防止するために4年毎の総選挙・議員の任期制限(米大統領の4年×2期まで、等)といった制度を設けている。

自民党政権時代の圧倒的多数による、どんな法律でも通せる状態が半世紀以上続いた結果、日本がどうなったか。(なるべく大局的に話そうと考えているので、立ち入った話は最後に「参考」として載せることにした。旧政権の“不埒な悪行三昧”については≪参考―1≫に述べている)

権力が交代しないとどうなるか。

次の選挙でも権力者が変わらないと分かっている状態では、国民は、その権力者に逆らうことは出来ない。
自分の生活に係わるからだ。
権力者のいうことを聞けばカネが少しは出るけれど、いうことを聞かなければカネを止められる。(権力者の意向に添った国会議員や知事が当選すれば、その国会議員・知事の公約の一つが「当選祝」として実施される。千葉県のアクアライン800円のように。)

前にも言ったように権力の交代が無いと分かっていれば、国民を向いた政治など必要ない。

“酒とカネと女”でマスメディアを権力者の味方に引き込んでしまえば、権力は安泰なのだ。

権力者はマスメディアを傘下に置くことで、まさに、“由らしむべし知らしむべからず”の政治が可能となる。
(注)「由らしむべし、知らしむべからず」=原意から転じ「為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」の意。

余談:自民党政権とテレビ局・新聞社との官房機密費(国民の税金)を使った「政治とカネ」の問題は他の民主主義国であれば毎日・連日連夜取り上げられる国中を揺るがす大問題であるのに、マスメディアは口を閉ざしたままである。
「ウチではそんな評論家は一切使っていない!」「ウチの記者は権力者から一切接待(酒と女)を受けていない!」と宣言するテレビ局や新聞社があっても良さそうなものだが、そんな国民への説明責任を果たしたマスメディア、即ち、官房機密費問題を取り上げ・追い駆けるマスメディアが皆無である。ということは推して知るべし、だ。
官房機密費を使った“酒・金・女”による権力者のマスメディア懐柔策(支配策)は長年の慣例となってしまっているのだ。例えば新聞社の上層部が“政治部”記者出身者で占められることから見ても、権力が長期化した日本での政治とマスメディアの癒着・腐敗ぶりが分かろうというものだ。
日本国の民主主義の基盤を根本から覆すような、この「政治とカネ」の大問題を取上げず、大相撲の「野球賭博」や「金賢姫」報道に明け暮れて国民の目を逸らし続けている。…余談終わり

余談の余談:115名も殺したテロリスト・殺人犯をまるで国賓待遇する日本国に海外メディアが首を傾げ呆れ果てている。…余談の余談終わり


国民は旧勢力と結びついたマスメディアにまんまと騙され、自分で自分の首を絞めてしまった。

≪参考―2≫として後に載せておこうと思ったのだが、ここで植草一秀氏のブログから抜粋引用しておく。

※1.これまでの日本政治は、

①米国による支配

②官僚による支配

③政治権力と大資本(テレビ局・新聞社・広告業者含む)の癒着

に特徴づけられてきた。

つまり、「米・官・業」が日本政治の支配者として君臨し続けてきたのだ。

米国による支配は日本の敗戦を背景にしている。すでに65年の期間にわたる構造である。

官による支配は、明治時代に確立された。

明治の官僚は「天皇の官僚」であり、官僚は支配者の一翼を担った。

※2.昨年の政権交代は、一言で言えば「小泉竹中政治の否定」だった。
 
小泉竹中政治によって日本社会は変質した。この変質に対する全面的な否定、これが政権交代を実現させた原動力である。
 
小泉竹中政治とは、

①弱肉強食奨励=市場原理主義=弱者切り捨ての経済政策
②対米隷属外交
③大企業(テレビ局・新聞社含む)と政治権力の癒着
④官僚利権の温存
⑤政治権力による警察・検察・裁判所・メディア支配

を基本特性とする政治構造だった。
 
この構造を刷新することが政権交代に託された次の五つの課題である。
 
①セーフティネット重視=共生重視の経済政策
②自主独立外交
③大企業(テレビ局・新聞社含む)と政治権力の癒着排除
④官僚利権の根絶
⑤警察・検察・裁判所制度およびマスメディアの近代化

である。

日本政治構造が刷新されれば、米国、官僚、大資本は、巨大な政治利権を喪失することになる。米・官・業のトライアングルは手先のマスメディア(酒・カネ・女で手先化)と政治屋(自民党議員)を総動員して、日本政治構造の刷新を阻止するために死に物狂いの活動を展開して参院選で成果を収めた。

※3.NHK初めテレビ局・新聞社等のマスメディアは「主権者国民の敵」であることを認識しなければならない。
第二次世界大戦中、マスメディア(新聞・ラジオ)は事実を報道しなかった。
主権者国民を欺き、日本を誤った方向に誘導した。正義も公正もないのが日本のマスコミである。
 
主権者国民は9月民主党代表選に向けて、まずマスコミとの闘いに勝たねばならない。

もっとも有効な方法は、マスコミの見解に耳をふさぐことである。
 
各テレビ局とも御用評論家、御用芸人、御用司会者しか存在しないが、これらの有害人種の発言に耳を貸さないことである。
 
真実の情報はネットと単行本にしかない。
あとは、口コミで真実の情報を伝播させるのだ。

10万人が共有するネット情報を一人が十人に、その十人がまた別の十人に、そしてその十人が別の十人に情報を伝播することで、一億人に真実の情報を伝えることができる。
 
悪徳ペンタゴンが電波を支配(テレビ局・新聞社を支配)している限り、主権者国民は口コミの輪を広げるしかない。
支配者に抵抗する主権者国民の力を見せつけねばならない。
主権者国民は、口コミの輪で悪徳ペンタゴンを粉砕しなければならないのだ。
…引用終り


※3.が私の言いたい結論(参院選結果で“もう遅い”感あり)でもあるのだが、話を元に戻して「官僚」についてもおさらいしておく。

官僚制の合理的な面については略す。知りたい人はマックス・ウェーバー(ベーバー)でも読んで下さい。
今回も、お偉い学者さんが考えた官僚主義の欠陥について書いておく。

官僚制度の欠陥は

獲得した予算は年度内に何としても全て使い果たし、次年度により多くの予算を獲得しようと毎年躍起となって終戦後でも60年間、予算を増やし続けてきた。その結果が不要不急のハコモノへの予算投入であり、自分のところでできる作業を「公団」を新設して「天下り先」を増やし、不要なポストを増やしていった。公益法人の半分は不要、と言われている所以である。
省庁の実態を内部告発した若林氏は「実質の仕事は1日15分程度だった」と振り返る。「あとは時給1000円のパートのオバサンがコピーを取ったり、他の部署に書類を運んだり、といった雑用をこなしていた」といった実態となる。若林氏が経理課で予算を節約し2億円を国に返したら厚労省からこっぴどく怒られた。「そんなことをしたら苦労して獲得した予算が来期削られてしまうではないか!」

「官僚組織は放っておくと自然と肥大化し凡俗化していく」

組織はどんどん大きくなり、それに従って無駄な仕事が増えていく。

≪パーキンソンの法則≫

●成長の法則

官僚と言うものは、実際にこなさなければならない仕事量に関係なく、官僚の数はどんどん増え続けていく性質を持っている。(官僚組織の肥大化の特質を示している。)

●凡俗の法則

成長の法則によって官僚が増えれば、その分仕事がなければならないが、それは実際に必要ではない仕事を創造することでまかなわれる。 (無駄な仕事ばかりが増えていく。)


この法則に従い明治以降140年に渡り肥大化した官僚は、本来、上の組織であるべき政府(政治家)を支配し、自分勝手にやりたい放題やってきた。(明治時代は「天皇の官僚」として)
法律・規則・やり方を良く知っているのは、政治家よりも担当部門の官僚であり、選挙で当選し新たに配属された内閣閣僚よりもよっぽど仕事内容が分かっているからである。
官僚は自分達で法律を作る。従って自分達の“法の抜け道”まで精通しているのは当然と言えば当然といえる。

次にこれも前に何回も書いた事の復習。=マートンが指摘した官僚の悪いところ。

≪近代官僚制のマイナス面≫

(1)規則万能主義(例「法律・規則に無いから出来ない」「前例が無いからダメ」)

(2)責任回避(例「それはウチの仕事ではない」「管轄が違う」「私の責任ではない」)

(3)秘密主義 (例「それは機密事項だ」)

(4)画一的傾向(例「役所窓口の冷淡な対応」「公営バスの運転手の横柄な態度」…M:昔は特にひどかった)

(5)権威主義的傾向・自己保身 (お上の意向に逆らうのか!=自己保身でもある)

[参考]権威主義

意思決定や判断において自分の頭で考えたり情報を集めずに「権威(上役)に盲従する態度」。
あるいは(意思決定の場において)論理的説明を省略し「権威に対する盲従を他者(国民)に要求する態度」

(6)繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例、指示文書だけでも数十枚に渡り、その保管整理に時間を費やしてしまう)

(7)セクショナリズム(例「縦割り政治」=同じ道路を何度も掘り返し、電気配管工事・上下水道工事・ガス管工事が別々に行なわれる等、各部署が勝手に行動したり自分の立場を主張し誇示する)
「俺の部署の関係する事なのに、俺に挨拶が無い」「俺の部署に話が無かったから認めない」、または「勝手にやったら…俺は知らん!」
「部署外だから関係ない」)
日本の道が悪い、と言われるのも、このセクショナリズムにより「都市計画」といった全体の計画性が欠如した縦割り行政のために道路がツギハギだらけになってしまうからだ。

これらは、一般に官僚主義と呼ばれているものである。例えば、先例がないからという理由で新しいことを回避しようとしたり、規則に示されていないから、上司に聞かなければわからない(規則万能・責任回避)といったようなものから、書類を作り、保存すること自体が仕事と化してしまい、その書類が本当に必要であるかどうかは考慮されない(繁文縟礼)、自分たちの業務・専門以外のことはやろうとせず、自分たちの領域に別の部署のものが関わってくるとそれを排除しようとする(セクショナリズム)というような傾向を指し示している。…引用終り


日本国民には自民党による長期独裁政権時代に酒・カネ・女で懐柔され旧勢力の手先になっているテレビ・新聞の言っている事・映しだしている事を全否定する見識が求められる。

しかし、私には参院選の結果で旧勢力の勝ち(完全復活)が決定してしまったように思える。

衆参のねじれ国会で国会運営が停止状態に→→旧勢力の手先テレビ局・新聞社は菅首相・民主党に政権能力なしと批判→→解散総選挙へ→→新党も含めた政党再編により旧体制派の完全復活。

もし、小沢氏が9月の代表選に出馬しても、検察審議会の2度目の「起訴相当」で小沢氏強制起訴が用意されており「起訴されるような人物を代表に選ぶ党など、前代未聞!」で潰される。

唯一、菅・民主党政権が生き残れるのは、ねじれで停滞する国会を見て、国民が「何故、野党はあんな理不尽な反対をするのか!」と反対する野党を非難してくれる事だけだが、腐敗した旧勢力の手先、マスコミが国民にそんな感情(野党が悪い!)を抱かせるような報道をするわけも無く、民主党による「国民を向いた政治」は壊滅し、昔の国民生活無視の癒着腐敗した支配体制に逆戻りする結果となった。

国民がこの選択の失敗(参院選の結果がもたらすもの)に気が付くのはいつのことか!

気が付いた時にはあとの祭りである。

大きな歴史の流れから今の日本国を見たら、上記のことが言えるのだ。
どのマスメディアもこういった視点(民主主義とは、権力とは、官僚とは、といった視点)で報道しない。

したがって、日本はオシマイ、となる。

今日はここまで、またね。

≪参考―1≫(人様のブログから抜粋引用)

小泉、安部、福田から麻生のたった8年間を検証。

・1人あたりGDP世界3位から19位に転落。
・OECD加盟国中、貧困率が第2位に上昇。
・年収200万円以下の世帯数が1千万を突破。
・生活保護過去最高、もうすぐ150万世帯突破。
・派遣労働法改悪で労働者の3割が非正規待遇。
・地方税+国税=約60兆円を全額、公務員とみなし公務員給与に充当。
・役人の天下り先を拡充し、補助金を年間12兆円(消費税相当額)拠出。
・「財政投融資」を継続し、年金・郵貯・簡保マネー推定450兆円を不良債権化。
・三角合併・時価会計・持株会社など法改正で東証企業6割が外資傘下に。
・国有資産の郵貯物件を時価評価60分の1で外資へ払い下げ。
・在日46万人へ生活保護を毎月17万の大盤振る舞い。
・小泉時代、僅か4年で国債を70%増発。発行額は1000兆円規模に達し財政破綻。
・超低金利政策によって預金者金利300兆円を銀行収益に付け替え。
・経団連から29億円の献金受け入れ再開。
・輸出払戻し税により、経団連系企業へ消費税の20%以上をキックバック。
・診療報酬引き下げにより全国で250以上の病院が倒産・廃業。
・定率減税撤廃・公的控除廃止・医療負担増など社会保障を削減。
・後期高齢者医療制度により75歳以上の高齢者1300万人を国民健康保険から排除。
・官民合算で米国債、ドルを約700兆円購入、75万を殺戮したイラク戦に戦費支援。
・定率減税、母子控除、育英会、ぜんぶ廃止。 
・自殺者年間平均3万人超(WHO算定基準では10万人)。
・純失業者700万人時代に1000万外国人奴隷輸入へむけ「移民庁」設立を提言。
…以上、抜粋引用終り


≪参考―2≫政治を取り仕切ってきた官僚(以前書いた私の日記より再掲)

官僚トップの次官クラスが政治を取り仕切っていた。
官僚が次官会議で「全員一致」したものだけを閣議に上げ、官僚が政治日程を決め、官僚が法案を作り、官僚が事前に提出される国会質疑の野党質問を見て答弁書を作り、質疑で問題のあるものについては官僚が根回しして“落しどころ”を決めていたのである。

本来、政府(行政)組織は、内閣総理大臣(国民が選んだ代議士)→各大臣(国民が選んだ代議士)→各省(政務次官=官僚トップ)以下の官僚といった組織図となっている。

例えば労働厚生大臣の下に労働厚生省(官僚)があるのだが、今までは実質、官僚トップである「次官」が全権を握っていた。

民間企業であれば社長を無視して部長クラス(取締役でもない)が全て決めていたことになる。

「脱官僚」とは、組織図通り、社長が部長を使っていくということである。

国民によって選ばれた政治家が官僚を使っていく、という当たり前のことが今まで出来ていなかった。

政治主導で官僚を使っていくのは当然の図式であり、その意味で「郵政社長人事」が「脱官僚」という公約に違反する、という野党・マスメディアの批判はあたらない。
政治家(社長)は官僚(部下)を使って(従えて)いくのである。
マスメディアは「官僚依存からの脱却」を「官僚を使わないこと」と勘違いしている。
いや、知ってはいるが、そういう報道の垂れ流しをして“国民洗脳に利用している”、といったほうが正解だろう。…引用終り

今日の話は昨日の続き(何のラジオ番組だったっけ?)

2010年07月02日 | Weblog
前回の続きである。

まず、下記の記事を読んでもらいたい。読んで「なるほどな」「その通りだな」と同調した人は完全にマスメディア(旧体制派)に毒されてしまっているのだ。


朝日新聞2010年(平成22年)6月24日朝刊一面

≪政策を選ぶ 熟考の時≫ 編集委員 星 浩

悩む選択である。

まず、民主党をどう評価するか。

政権交代を成し遂げたのは立派だが、その後は期待はずれだった。

首相、幹事長のツートップが資金疑惑にまみれ、そのうち小沢一郎氏は国会で一言も説明していない。

政策も「事業仕分け」などを除けば目立った成果がない。

支持率が落ちて、参院選が戦えないからという悲鳴が相次いだから「表紙」を代えた。

「民主党の再出発だ」と菅直人首相は胸を張るが、野党の言うように「小沢隠し」はありありだ。

通常国会の最終盤で、民主党が予算委員会の論戦を避けたのも情けない。


自民党はどうか。

若手を党幹部に登用したり、財政再建の道筋を示したり、努力の跡は見られる。

だが、いまだに派閥の会合で首相経験者らが得意げにあいさつしている姿を見ると「本当に変わったのか」と首をかしげたくなる。

民主党に落第点をつけるのか。いや自民党はまだ反省が足りない、もう一度民主党に期待してみようと判断するのか。

難しい選択だ。
…後略。(この後、普天間とか消費税とかの問題を『難しい選択』として取り上げているが、省略)


この記事は日本の全てのマスメディアの論調をウマく纏めて書いているので、違和感を感じる人は少ないのだろう。
しかし、これを読んで「そうだな、その通り」と思ったり「なるほど」と感心しているようでは「目覚めた有権者」たり得ない。

昔の朝日新聞の社説や天声人語を読まれてきた人ならすぐ気が付くであろうが、上記一言一句が“間違いだらけの”なんとやらである。

全体的に言えば、この記事を「公平な記事だ」と捉えた人はテレビ・新聞に洗脳されてしまった人なのだ。

この記事の一言一句全てを解析して説明している時間は無いが、少々コメントしておく。

■「悩む選択である」

最初のこの一言からして、本来の新聞記事・新聞論説からみて失格である。
党首討論をマスメディアが報ずる時の決まり文句は、すれ違い・不毛・平行線などと決まっているが、それと同じで、マスメディアは国民に自分の考えを押し付けている。
党首討論などは淡々と両方の言い分を流し、国民に判断を仰げばいいのである。今回の記事も朝日新聞が国民に悩みを押し付ける必要は無いのだ。私など少しも悩んでいないし「難しい選択だ」とも思っていない。

ジャーナリズムを考える時、テレビ局・新聞社の「真実を報道する」「公平な報道をする」は有り得ないのだ。なぜなら、

テレビ・ラジオ・新聞等ジャーナリズムの構成要素は『報道』と『言論』である。
テレビ局・新聞社のジャーナリズムを考える場合、『報道』だけをとりだして議論することはできない。

『報道』と『言論』はいつも寄り添っている。

というのは、A(テレビ局あるいは新聞社)があるテーマを報道しないのは、Aが、「そのテーマは問題ではない」と主張していることであり、別のテーマを取り上げて報道するのは、「そのテーマは問題である」と主張していることだからである。


※本来、ジャーナリズムは「政治はこうあるべきだ」と自分たちの考えを国民に提示するもの。
たとえ国民世論とぶつかっても、テレビ局または新聞社が正しいと信じる論調を掲げ、国民に呼びかけるものだ。
欧米のメディアはそうしている。※

前回書いた高速料金無料化実験に関する日本経済新聞の社説も「私たち(日経社の主張)は無料化に繰り返し疑問を呈してきた」と政府の無料化方針に新聞社として批判している。
また昭和43年(1968年)2月9日の朝日新聞社説でも「…政府の姿勢について、かりそめにも(国民に)不信感をもたせるような言動をとった閣僚に対しては、適切な処置をもってのぞむべきだろう。
この問題をうやむやにして審議を急ごうとするような態度では、佐藤内閣に対する(国民の)不信感を助長するばかりであると、われわれ(朝日新聞社)は考える。」と結んでいる。

まさに海外のメディアと同じく自社の立場・考えを明確に主張しているのだ。これが『報道』と『言論』はいつも寄り添っている、ということなのだ。

国民はマスメディアのこういった報道&言論から、自分で判断することが出来るのであって、最近の「悩み」や「難しさ」を押し付けてくる報道=言論は「ジャーナリスト失格だ」と考える。

朝日新聞(星浩編集委員)は「悩む」とか「難しい」といった自分の判断を国民に一方的に押し付ける報道(国民洗脳報道)はすべきではないのだ。

■「(民主党が)政権交代を成し遂げたのは立派だが…」

政権交代は国民・有権者が選挙によってなし得た成果である。小沢氏の手腕云々を言う前にこの観点から報道すべきジャーナリストが「(民主党が)政権交代を成し遂げたのは立派だが…」とする感覚が私には理解出来ない。

※報道機関(テレビ・ラジオ・新聞等)の報道は、国民に政治(施政・政策)に関する『判断材料を提供』し、国民の『知る権利に奉仕』するものであり、ジャーナリストの立場は、国権(立法・行政・司法)の立場に立っているわけでもなければ、特殊利益の担い手である企業や業界団体の利益を擁護する立場に立っているのでもない。

言うまでもなくジャーナリストは「国民の立場」に立っているのである。

「国民の立場」に立つというのは、「国民の基本的人権を守る」というのと同義語である。
この意味でジャーナリストは『国民の基本的人権の擁護者』という使命と役割を担っている。※

私が、政治が「国民をむいた政治」を打ち出しているのに、テレビ・新聞等マスメディアが「国民を向いた報道」を全くしていない、という所以である。

■「その後は期待はずれだった」

このようなマスメディアの「決め付け」「結論」は断じて報道=言論=主張ではない。
マスメディアの意見を国民に刷り込み、世論調査に利用する情報操作・世論誘導以外の何物でもないのだ。
党首会談を「お互いに貶し合うだけの不毛の言い合いで終わった。もっと政策論争を…」と決め付けて報道する。国民はその内容をじっくりと判断する機会を与えられずに、テレビ・ラジオ・新聞のこの表現を素直に受け入れマインドコントロールされていく。

この記事の次の一句以降も、全文に渡ってクレームを付けたいのだが、切りが無いので、次に進む。

ただ、こういった国民洗脳のための“上手い表現”として

「政策も『事業仕分け』などを除けば目立った成果がない。」の『など』を挙げておきたい。

この文章を読むと「民主党はほとんど成果を挙げていない」と読み取れる。

しかし『など』と入っているために、誰もこの主張にクレームをつけることが出来ない。
あれもやっているではないか、これもやったではないか、と誰かがクレームをつけても「だから『など』とつけているじゃないか」の一言で片付けられてしまうのだ。

政策も「事業仕分け」を除けば目立った成果がない。



政策も「事業仕分け」などを除けば目立った成果がない。

を比較して読んで下さい。

どちらも「民主党は目立った成果を挙げていない」と主張しているし、そのように国民の脳裏に浸み込むのですが、『など』の一言を付け反論に釘を刺している。さすが朝日新聞の編集委員であると感心させられる。

余談はさておき、

※マスメディアは国民の立場に立って、長期化や集中によって起る権力の濫用や横暴や腐敗を批判し、国民に知らせ警告を発する、いわゆる『権力の監視者』であるべきだ。※

その『権力の監視者』が、権力から酒・女・カネで買収されているのだ。その報道を国民が信じたらえらいことになる。



下記の新聞記事と較べて見て下さい。

「昨年の衆院選で国民が希望した政権交代は、今度の参院選で民主党が単独過半数を占めることにより初めて完成するのです。

いくら衆議院で圧倒的多数でも参議院で自民党はじめ野党が多数になれば、法案は1本も成立しない。

国民は政権交代の成果を得られません。…中略…」


(M:前回書いたように、国会の機能停止→マスメディアによる民主党の政権担当能力なしとの批判の嵐→衆議院の解散総選挙、の筋書きが待っている)

旧体制を残したい(旧体制にもどしたい)自民党や官僚・マスメディアは、盛んに消費税増税をクローズアップして民主党の過半数に待ったをかけようとしている。

選挙が終わればすぐにでも消費税が2倍に引上げられるかのようなムードを演出し、民主党への投票を妨害しようとしている。

だが、そんなことはあり得ない。

菅首相も枝野幹事長も、税率アップの前に「(少なくとも2~3年、もう少し時間が掛かるかも知れないが、案が出来たら)選挙で国民の信を問う」と公言している。

消費税増税の是非が問われるのは、その時だ。

今回の選挙の争点は消費税増税ではないのだ。
民主党に議席を与えて政権交代を完成させるのか、自民党(各新党含む)に議席を与えて時計の針を逆戻りさせたいのか。その一点なのである。

国民は騙されてはダメだ。

自民党は、昨年の衆院選で政権を明け渡すまで、この国と国民生活をムチャクチャにしてきた。
…数をたのんでやりたい放題やってきた。
民主党への投票をためらっている有権者は、そんな悪政が横行する世の中に戻したいのだろうか。

谷垣自民党総裁は「財政を立て直す」と…叫んでいる。
しかし、国と地方の借金(長期債務残高)は自公政権の10年間で200兆円以上も増えている。
諸悪の根源は、
成長戦略・景気回復のためと自分の息のかかった企業・業界・公団(高級官僚の天下り先)に『公共投資』をしたり定額給付金や地方振興券という“票目当て”のバラマキをして恥じない体質だ。

そんなデタラメな政党なのに、民主党が「子供は社会全体で育てる」という理念を抱えて実現した「子供手当て」についてはバラマキだなんだと批判するのだからふざけている。

この狭い国土(47都道府県)に97もの空港を建設し、3000ものダムを造ってきたのはどの党なのか。
官僚の天下り先確保を手伝ったり、身内の企業を太らせるためにさんざん無駄遣いを繰り返してきた挙句、国民に残されたものは、天文学的な数字に膨れ上がった借金と破壊された国土である。

福祉や医療も無残なものだ。
75歳以上のお年寄りを「後期高齢者」と切り捨て、勤務医よりも開業医を優先することで地域の核となる総合病院をズタズタにした。
救命医・産科医・小児科医が不足した医療の現場は、先進国とは思えないようなレベルである。


国民をないがしろにして、5000万件もの年金記録が宙に浮いているのに野ざらしになっていたり、『暫定』のはずのガソリン税が24年間(?)も続いていたりした。


【暫定税率とは】1973年~1977年度の道路整備五ヵ年計画の財源不足に対応するために、1974年度から「暫定措置」としてガソリンに『暫定税率』が適用され本来の2倍の税率となった。当初2年間で設定され、2年後「5年間延長・その後いわゆる”異議申し立て”がなければ自動延長」との法律が自民党の圧倒的多数で強行採決され今日に至っている。36年間国民は税金を倍取りされていたのである。自民党と大マスコミはこれを“道路に特定せずに一般財源へ”との論調で国民を無視し欺いていた。このことは記憶に新しい。

自民党の体質は衆院選前と少しも変わっていない。
自分達のバラマキや無駄遣いを省みたり謝ったりすることもなく、ひたすら民主党を批判している。
こんな連中に国を任せるわけにはいかないだろう。…

旧体制の利権をあぶり出し潰していく作業は端緒についたばかりだ。

この流れを止めれば、どん底まで衰退した国と国民生活の再生は不可能になる。…後略。


以上が、日刊ゲンダイ7月1日号の内容抜粋、次に同じく日刊ゲンダイ7月2日号の記事から。

と続けて書こうと思ったが、気力が萎えた。見出しだけ書いて筆を置く。

大マスコミも一緒に打ち砕くのが参院選の焦点

きょうはここまで、それじゃ、またね。