あれもこれも…本当に問題が多過ぎて、頭の中が纏まらない。
本題に入る前に忘れない内に今の世の中の「おかしいな?」と思うことを列記しておく。
(1)昨年までをみても、日本の大企業の決算は5年連続で史上最高の収益を更新している。一方庶民の年収は9年連続で減少している。政府は庶民の諸々の税を上げ、手当てを切り捨て(サラリーマン特別減税・生活保護等)、企業の税金を軽減している。
ついでに言うとこういった不満をいう国民に対し「景気浮揚策で企業減税を行なったのであり、その効果が出てきたからこれから庶民もその恩恵に浴する段階なのだ」と、もう少し我慢しろ的な言い方をする。
いざなぎ景気を越える「好景気」(庶民の実感が全くない好景気)の期間はどれだけあったのか! 小泉内閣時代の「国民も痛みを分け合ってほしい」といった“改革”と一緒である。
■無風注:話しがどんどん逸れてしまうので詳しくは書かないが「公務員も給料を5%カットする等、痛みを分け合っているではないか」といった意見があり、最近の公務員批判にブログで「公務員」の方から「働かない公務員といった心無い批判があるが、私達の現状は毎日夜11時過ぎまで残業し残業手当ても月3万円までに抑えられ…」といった意見が寄せられている。私にはこういった現状を訴える公務員も“庶民”であり、本来の庶民の官僚トップ批判が庶民同士の対立へとすりかえられている現象と思われる。「暫定税率を廃止してガソリン代を安くしろ」(庶民)と「地方はどうするのか」(地方)との「下の者同志」の争いへ刷り替えるマスメディアの世論操作と類似した最近の悪しき風潮(世の傾向)である。
(2)マスメディアの犯罪
マスメディアは、もう「国民に対する犯罪」を犯していると言った方が正確な表現になった。
私が「大本営発表しか流さない」とオーバーに書いていることを批判的に思った人も多いだろうが、最近の「政府寄り報道」(と言うより政府側報道)は世論操作と言うよりも国民に対する裏切り、犯罪行為と言った方が当を得ている。
全体には、天木氏のブログに書いてあるように…。
(引用開始)
いつも思うことなのだが、一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続くだろう。
■無風注:天木氏は、この後「こういったときこそ他のニュースに注目すべきだ」としている。国民の命運を分けるような出来事・ニュースが国民に問題視されないまま通過していく。これは今日のタイトルに絡む重要なことなので、後に詳しく述べる。
(引用再開)
日銀総裁人事の大騒ぎは何だったというのか
あれほど大騒ぎをした日銀総裁人事問題がすっかりニュースから消えた。
ついこの間までは、総裁人事が空白になる事など決して許されない、日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する、などと書き立てていたマスメディア(無風注:元は“経済記者たち”)も、空白が長期化する雲行きになっても、もはや今では無関心のごとくだ。何も書かなくなった。
■無風注:そして「国際的信用が失墜する」「日本経済が混乱する」を理由に…。
(引用開始)
マスコミは、従来反政権的だと見られていた朝日新聞が、一方的に民主党に譲歩を求めている。毎日新聞も朝日に引きずられたように、歯切れが悪いながらも民主党批判をしているし、読売・日経・産経などにいたっては、当然ながら民主党非難の大合唱だ。
大新聞(無風注:新聞だけでなくテレビ等マスメディア全体)は、いまや揃って自民党のタイコモチと化したかのようだ。
空席になる前から日銀総裁人事の大騒ぎの愚を「そもそも日銀総裁というポストが重要な仕事をしてきたポストであるのか、どんな責任をこれまで果たしてくれたというのか、と素朴な疑問」をぶつけている識者は多かった。
このような素朴な疑問は、何も日銀総裁人事だけに呈せられるものではない。
マスコミは、国民にかわって、素朴な疑問を、もっとどんどんと今の政治にぶつけなければいけない。
■無風注:国民に問題提起するのがマスメディアの使命であり、国民に代わって政府を監視するジャーナリズム精神を持っていることが要求される。
(引用再開)
考えても見るがいい。年金問題をはじめとして、守屋次官の疑惑問題、特定財源問題、公務員改革問題、ギョーザ問題、米軍基地問題、など、大騒ぎするだけで問題の本質は何も解決されないままだ。
我々はこのような政治家たちの無責任さを厳しく追及しなければならない。
騒ぎ立てるばかりで政治の責任を最後まで追及しないメディアに文句を言わなければならない。
政治家も官僚もメディアも、国民の事など考えていないのだ。…引用終り
(更に引用)
ガソリン国会について、テレビも新聞も、うんざりするほど同じような報道を繰り返している。
ガソリン価格が下がる事が、暮らしにあえぐ一般国民にとっていいことであるに決まっているではないか。
「その財源減をどうやって穴埋めするか」とか、「地方に財源をどうまわすか」とか「市場の混乱をどう防ぐか」などという事は、正しい政治指導による正しい政策を行えば、どうとでも解決できるものなのだ。
国民は、少しでも暮らしを楽にしろ、と政治家や官僚組織に訴えるだけでいいのだ。
そう私が書くと、物事が分かっていると自称する識者達からはガソリン価格だけに問題を矮小化するなと言う声が聞こえてきそうだ。
実際のところ「ガソリン国会」をどう見るかについて、大手新聞の社説はすべて、「福田首相も発奮したのだから、民主党も譲れ」と書いている。
自民党はわが意を得たりと、この社説を引用し民主党を攻撃する。
(中略)政府は、財務官僚のシナリオに踊らされている。
それを知ってか、知らずか、福田首相の提案をこぞって持ち上げて、今度は民主党に譲歩を迫るマスメディア(無風注:元は「大手新聞」)もまた、皆、官僚たちのお友達なのだ。
一般国民は気づかなくてはいけない。
ガソリン国会を巡る与野党の攻防の本質は、ただ一点。
官僚支配を突き崩せるかどうかだ。
戦後の政治を貫いてきた、自民党・官僚支配勢力と、その支配勢力に支配されてきた一般国民の最終的なせめぎ合いなのである。…引用終り
■暫定税率一つとっても、マスメディアの報道の仕方が狂っているのが良く分かる。
今日で期限切れ(マスメディアの表現)となるガソリンの暫定税率について全てのマスメディアが下記のように報道している。
*首相の「何で野党は話し合いに応じないのか」とのコメントを報道。
*首相は「安いガソリンで二酸化炭素の排出を助長する方向でいいのか。環境問題への取り組みを真剣に考えている国々に全く逆行する」と述べ、4月末以降に憲法の規定による衆院再議決で暫定税率維持を含む歳入関連法案を成立させる考え、と報道し、1ヶ月後には又衆議院の2/3以上の強行採決で税を2倍に戻すのだから、その期間、国民が混乱する、と又2年間だけ倍にしてといわれて成立した「暫定」税率を元に戻すのが当然で、その間の混乱を引き起こす民主党を「悪者」に仕立てる報道に終始。
有識ブロガーに評判の悪い産経の政治アナリスト花岡信昭氏の論評
■日本政治は危機的状況
いま、日本政治の危機はまさにその点にある。与野党が矮小化された低次元の攻防戦を展開していてすまされるはずはない。(無風注:マスメディアが与野党の低次元の攻防戦しか報道していない点に問題の本質がある)
福田政権は発足から半年。懸念された年度末決戦の渦の中で機能不全状態に陥ってしまった。
それもガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の「劣化」を指摘せざるを得ない。
政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる。…引用終り
■マスメディアの今の論調を代表する意見である。
*「ガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の劣化を指摘せざるを得ない」…そうだなア と思う前に、天木氏の次の言葉を思い出してほしい。
(引用開始)天木直人のブログ1月19日
「ガソリン」だけでよい
1月18日の朝日新聞の社説は、その日から始まった通常国会が「ガソリン国会」と異名がついた事を揶揄しながら「ガソリン」だけじゃない、という見出しをつけて、それ以外の問題も論じ合って政権選択の判断材料を国民に与えろと力説している。
そうではない。
ガソリンが4月1日から25円安くなるかどうか。
それができる政権はどっちか、それが最大の政権選択の判断材料であるのだ。
田中政権の時に導入された暫定税金が、既得権として道路建設業界にばら撒かれてきた。そんな事は今度の参院における与野党逆転でも起こらない限り永久に国民は知る事が無かったであろう。マスコミは報道しなかったであろう。
そのような異常なことが一党永久政権の下でどれほど繰り返されてきたことか。
暫定税率をなくせばその穴埋めの財源をどうするかと自民党は言う。ふざけるな。その為に国民は税金で給料を払って官僚を雇っているのだ。
それを考える(集めた国民の財産を管理・遣り繰りする)のが官僚の仕事であり、その官僚が国民優先の政策を作れるかどうかを監視するのが政治家の仕事なのだ。
政治家と官僚が結託して自らの利権を守ってきたから国民生活が苦しくなったのだ。
野党もそんな自民党の議論に応じて官僚的な言い訳をする必要はない。
財源などは、特別会計の無駄をなくせばすぐ出てくる、不必要な独立行政法人をなくすだけで膨大な予算が国民の手元に返ってくる、それをやってから物を言え、と真実を訴え続けるだけでいいのだ。
これまで政治は保守か革新か、右か左かなどとイデオロギー対立のごとく安易に色分けされてきた。
そして自民党は反対党をすぐに左翼だと決め付けイメージ毀損に走った。
しかし今や一般大衆の大半は日々の生活で精一杯だ。
一般大衆の喫緊の課題は自らの暮らしの安心である。
それに反する政治家や官僚の暴政を抑止してくれる新しい政治勢力を心から望んでいる。
そろそろ我々は自力本願で日本を再生する原点に立ち戻るべきではないか。
その時の唯一のイデオロギーは「一般国民の、一般国民による、一般国民の為の政治を実現すること」である。
その試金石こそガソリン引き下げが出来る政権ができるかどうかであるのだ。
「ガソリン」だけでよい。…一つ目の引用終り
(引用開始)天木直人のブログ1月22日
ガソリン暫定税率の是非をめぐる論評が一斉に始まった。うんざりさせられる。
これは態の良い目くらましに違いない。
私は19日のブログで今度の国会で野党がとるべき戦略は、ガソリン値下げの実現を迫るだけで十分だと書いた。それは勿論極論である。しかし、極論ではあっても正論なのである。
もはや普通の事をやっていてはこの国の政治の無力を打破することはできない。山積する諸問題を解決できない。庶民の窮状を救うことはできない。
「良識的」な人たちは言うかもしれない。たかがガソリン価格を25円引き下げただけで国民生活がどれほど楽になるのかと。それよりも年金、医療、格差、環境、特殊法人改革など、より重要な問題を国会で堂々と議論して解決することが先決であると。
これはもちろん机上の論理としては正しい。
しかしそれは、自公政権と官僚に支配されて来たこの国の政治の現実を捨象した空論である。
この国の国会論戦において、いまだかつて議論の優劣で政策が決まったことがあったか。
メディアが政治色抜きの正確な報道を国民に提供したことがあったか。
マニフェストといい、論争といい、国民がそれを詳しく聞いて政党の政策の是非を判断した事があったか。
決してそうではない。(中略)
問題山積の中で、政局争いに奔走している時ではないという声が巷に溢れている。しかしこれまでのあらゆる政治課題で、政争がらみでないものが一つでもあったか。
重要な問題であればあるほど政争と切り離せないのである。
自公政権にとってガソリン税率引き下げ問題は実は大問題なのだ。
自公政権は言う。暫定税率を撤廃すると2兆6000億円/年の税収減になると。
語るに落ちるとはこのことだ。
今までガソリン税(暫定)だけで、それだけの金額を国民から搾り取っていたのだ。
その金を餌にして建設業界を利権誘導してきたのだ。
民主党は「ガソリン値下げ隊」などと浮かれる。そんなパフォーマンスをしているから国民の心に届かないのだ。困っている庶民のために本気でガソリン値下げを実現しますという真摯な姿勢をしめせ。
社民党は環境税などという。環境も大切だ。
しかし今声をあげるのは、これ以上いかなる増税も許さないという主張ではないのか。
本気で庶民の痛みを感じているのか。
すべての経済政策について言えることであるが、一つの政策が与える影響は、経済的余裕のある層、その政策によって直接裨益する特定層と、日々の生活に追われている層、その政策から直接に利益を受けない一般層、との間によって受け止め方が違う。それどころか利害が反することすらある。だからこのガソリン価格引き下げ政策も、国民によって受け止め方は二分されるだろう。
しかし政治にとって重要な事は、多数の弱者の利益をまず守るという事でなくてはならない。
恵まれている国民は恵まれていない国民に思いを馳せなければならない。
今の日本に求められている事はその事だ。
もう一度だけ繰り返す。今回のガソリン国会で、ガソリン価格の引き下げ一つ実現できないようであれば、年金問題をはじめとしたその他のより重要な諸問題は、何一つ弱者の為になる方向で解決されることはないだろう。
政治家たちは、党利・党略、政権あらそいもいいが、その前に、まず一般庶民のための政治を実現してみせろ、ということである。
ガソリンからはじめよ、まずガソリンの価格を下げてみよ、である。…二つ目の引用終り
■マスメディアは話題性があるから、視聴率が上がるからと色々な問題を報道しても、それが解決するまで追求する姿勢(政府と対峙する姿勢)は示していない。
ガソリンよりもっと大きな問題があるじゃないか、(日銀総裁人事の対応等含め)野党民主党は何を矮小な問題を掲げて政争の具にしているのか!といった論調のマスメディアに騙されてはいけない、その大きな問題に対するマスメディアの対応で、何一つ“スッキリ”とした解決に導けなくしている。(全て中途半端のまま追求を止めている)
「二兎を追うもの一兎も得ず」であり、それが二兎でなく何十・何百となれば全てはぐらかされて終わりとなるのは目に見えている。
*「政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる」
「ねじれ国会」のせいで機能不全が起こった、と参院で民主党が多数を取ったことを悪いことの様に論じる。
では、ねじれ国会の前は「日本の存在感、発信力」があったのか?私は“ねじれ国会”の前から希薄であったと思っている。国連の常任理事国になれないのは「ねじれ国会」だからではない。
830兆円以上の財政赤字を生じさせ、日本円は「地方貨幣」と言われるようになったのも“民主党のせい”や“国民のせい”ではないのである。
■前に書いた私の子供の頃の「報道の仕方」のサンプルをもう一度載せておく。
「世論調査で国民の約7割が廃止を希望している34年前から倍とっていたガソリン税の暫定税率が民主党の反対で期限切れとなり、4月からガソリン価格が25円/㍑下がることになりました。ガソリンは石油会社からの出荷時点で税金が掛けられ、各ガソリンスタンドは1~2週間貯蓄できる地下タンクを有しているため、1日から対応出来るかは微妙で、A社とB社は4月1日から適用するが当面22円~23円/リットルの値引きに押さえストック分の暫定税率差額を回収する方針。
尚、政府はこの暫定税率を1ヶ月後の参議院審議期限切れを待って新テロ特措法同様、衆議院の2/3以上の賛成多数で強行採決する意向を打ち出している。
この政府(自公政権)による強行採決が行なわれると、国民は暫定的に34年間払ってきた年2.6兆円規模の税金を更に10年間負担し続けなければならないことになります。
形は憲法に則っている(参院で否決された法案は衆議院で2/3以上の賛成があれば再可決されるという規則に則っている)とはいうものの衆議院で圧倒的多数を有する政党のこの行為は、民主主義を無視した“数の暴力”と言わざるを得ない。」
私の子供の頃の報道は上記よりもっと国民の側に立って政府を批判していたように記憶している。
■本題(タイトル)に入る前に終わってしまいそうなので、タイトルのサワリだけ書いておく。
(先ほどの天木氏のブログの続き)
一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続く…。のあとの記述
しかし、そのようなニュースはどの記事も同じだ。どの解説も大差はない。そういう時こそ、他のニュースに注目すべきである。
たとえば28日の各紙が取り上げている、突然の文部科学省の学習指導要領の告示である。
2月に公表したばかりの改定案を一部修正し、郷土愛の文言を追加した。
君が代が歌えるようにと変更した。
東京新聞だけが大きく問題提起していたが、普通であれば大きな論争を呼ぶニュースだ。…引用終り
■政府がガソリン税を34年間も倍取りしていた事実をマスメディアが全く国民に問題提起しなかったのと同様、今回の上記ニュースを形だけ報道し、本来、国民に問題提起し大きな国民的論争を起こさなければならない立場のマスメディアが現権力者を恐がって沈黙を守っている。
「反戦な家つくり」さんが言っている。
ファシズムの扉を開いた文部科学省(3月28日ブログ)
詳しくは、次回の日記に書くが、「教育基本法改正」の時と同様、国民の目を逸らすような報道・政府の方が正しいような報道の仕方(例えば「まだ1日あるので最善をつくしたい」(2倍の税額を後10年、国民から取り続けようとする法案の成立に対してマスメディアはこういった映像しか流さない。誰に対して最善をつくすのか?決して国民に対してではない。)とか「野党の反対で暫定税率が一時的に25円下がると言う前代未聞の減税となる公算が大で国民が混乱する恐れがある」といった報道の仕方。(「前代未聞の出来事」というのは良い出来事には使わない表現であり、1ヵ月後の政府の強行採決を当然として混乱の恐れを演出した民主党を悪者扱いする報道の仕方、この報道の仕方を見てもマスメディアがどちらを向いて報道しているかが分かる)
マスメディアが国民に対して犯している犯罪行為については次回の記事を見れば納得すると思います。
次回に続く…。
本題に入る前に忘れない内に今の世の中の「おかしいな?」と思うことを列記しておく。
(1)昨年までをみても、日本の大企業の決算は5年連続で史上最高の収益を更新している。一方庶民の年収は9年連続で減少している。政府は庶民の諸々の税を上げ、手当てを切り捨て(サラリーマン特別減税・生活保護等)、企業の税金を軽減している。
ついでに言うとこういった不満をいう国民に対し「景気浮揚策で企業減税を行なったのであり、その効果が出てきたからこれから庶民もその恩恵に浴する段階なのだ」と、もう少し我慢しろ的な言い方をする。
いざなぎ景気を越える「好景気」(庶民の実感が全くない好景気)の期間はどれだけあったのか! 小泉内閣時代の「国民も痛みを分け合ってほしい」といった“改革”と一緒である。
■無風注:話しがどんどん逸れてしまうので詳しくは書かないが「公務員も給料を5%カットする等、痛みを分け合っているではないか」といった意見があり、最近の公務員批判にブログで「公務員」の方から「働かない公務員といった心無い批判があるが、私達の現状は毎日夜11時過ぎまで残業し残業手当ても月3万円までに抑えられ…」といった意見が寄せられている。私にはこういった現状を訴える公務員も“庶民”であり、本来の庶民の官僚トップ批判が庶民同士の対立へとすりかえられている現象と思われる。「暫定税率を廃止してガソリン代を安くしろ」(庶民)と「地方はどうするのか」(地方)との「下の者同志」の争いへ刷り替えるマスメディアの世論操作と類似した最近の悪しき風潮(世の傾向)である。
(2)マスメディアの犯罪
マスメディアは、もう「国民に対する犯罪」を犯していると言った方が正確な表現になった。
私が「大本営発表しか流さない」とオーバーに書いていることを批判的に思った人も多いだろうが、最近の「政府寄り報道」(と言うより政府側報道)は世論操作と言うよりも国民に対する裏切り、犯罪行為と言った方が当を得ている。
全体には、天木氏のブログに書いてあるように…。
(引用開始)
いつも思うことなのだが、一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続くだろう。
■無風注:天木氏は、この後「こういったときこそ他のニュースに注目すべきだ」としている。国民の命運を分けるような出来事・ニュースが国民に問題視されないまま通過していく。これは今日のタイトルに絡む重要なことなので、後に詳しく述べる。
(引用再開)
日銀総裁人事の大騒ぎは何だったというのか
あれほど大騒ぎをした日銀総裁人事問題がすっかりニュースから消えた。
ついこの間までは、総裁人事が空白になる事など決して許されない、日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する、などと書き立てていたマスメディア(無風注:元は“経済記者たち”)も、空白が長期化する雲行きになっても、もはや今では無関心のごとくだ。何も書かなくなった。
■無風注:そして「国際的信用が失墜する」「日本経済が混乱する」を理由に…。
(引用開始)
マスコミは、従来反政権的だと見られていた朝日新聞が、一方的に民主党に譲歩を求めている。毎日新聞も朝日に引きずられたように、歯切れが悪いながらも民主党批判をしているし、読売・日経・産経などにいたっては、当然ながら民主党非難の大合唱だ。
大新聞(無風注:新聞だけでなくテレビ等マスメディア全体)は、いまや揃って自民党のタイコモチと化したかのようだ。
空席になる前から日銀総裁人事の大騒ぎの愚を「そもそも日銀総裁というポストが重要な仕事をしてきたポストであるのか、どんな責任をこれまで果たしてくれたというのか、と素朴な疑問」をぶつけている識者は多かった。
このような素朴な疑問は、何も日銀総裁人事だけに呈せられるものではない。
マスコミは、国民にかわって、素朴な疑問を、もっとどんどんと今の政治にぶつけなければいけない。
■無風注:国民に問題提起するのがマスメディアの使命であり、国民に代わって政府を監視するジャーナリズム精神を持っていることが要求される。
(引用再開)
考えても見るがいい。年金問題をはじめとして、守屋次官の疑惑問題、特定財源問題、公務員改革問題、ギョーザ問題、米軍基地問題、など、大騒ぎするだけで問題の本質は何も解決されないままだ。
我々はこのような政治家たちの無責任さを厳しく追及しなければならない。
騒ぎ立てるばかりで政治の責任を最後まで追及しないメディアに文句を言わなければならない。
政治家も官僚もメディアも、国民の事など考えていないのだ。…引用終り
(更に引用)
ガソリン国会について、テレビも新聞も、うんざりするほど同じような報道を繰り返している。
ガソリン価格が下がる事が、暮らしにあえぐ一般国民にとっていいことであるに決まっているではないか。
「その財源減をどうやって穴埋めするか」とか、「地方に財源をどうまわすか」とか「市場の混乱をどう防ぐか」などという事は、正しい政治指導による正しい政策を行えば、どうとでも解決できるものなのだ。
国民は、少しでも暮らしを楽にしろ、と政治家や官僚組織に訴えるだけでいいのだ。
そう私が書くと、物事が分かっていると自称する識者達からはガソリン価格だけに問題を矮小化するなと言う声が聞こえてきそうだ。
実際のところ「ガソリン国会」をどう見るかについて、大手新聞の社説はすべて、「福田首相も発奮したのだから、民主党も譲れ」と書いている。
自民党はわが意を得たりと、この社説を引用し民主党を攻撃する。
(中略)政府は、財務官僚のシナリオに踊らされている。
それを知ってか、知らずか、福田首相の提案をこぞって持ち上げて、今度は民主党に譲歩を迫るマスメディア(無風注:元は「大手新聞」)もまた、皆、官僚たちのお友達なのだ。
一般国民は気づかなくてはいけない。
ガソリン国会を巡る与野党の攻防の本質は、ただ一点。
官僚支配を突き崩せるかどうかだ。
戦後の政治を貫いてきた、自民党・官僚支配勢力と、その支配勢力に支配されてきた一般国民の最終的なせめぎ合いなのである。…引用終り
■暫定税率一つとっても、マスメディアの報道の仕方が狂っているのが良く分かる。
今日で期限切れ(マスメディアの表現)となるガソリンの暫定税率について全てのマスメディアが下記のように報道している。
*首相の「何で野党は話し合いに応じないのか」とのコメントを報道。
*首相は「安いガソリンで二酸化炭素の排出を助長する方向でいいのか。環境問題への取り組みを真剣に考えている国々に全く逆行する」と述べ、4月末以降に憲法の規定による衆院再議決で暫定税率維持を含む歳入関連法案を成立させる考え、と報道し、1ヶ月後には又衆議院の2/3以上の強行採決で税を2倍に戻すのだから、その期間、国民が混乱する、と又2年間だけ倍にしてといわれて成立した「暫定」税率を元に戻すのが当然で、その間の混乱を引き起こす民主党を「悪者」に仕立てる報道に終始。
有識ブロガーに評判の悪い産経の政治アナリスト花岡信昭氏の論評
■日本政治は危機的状況
いま、日本政治の危機はまさにその点にある。与野党が矮小化された低次元の攻防戦を展開していてすまされるはずはない。(無風注:マスメディアが与野党の低次元の攻防戦しか報道していない点に問題の本質がある)
福田政権は発足から半年。懸念された年度末決戦の渦の中で機能不全状態に陥ってしまった。
それもガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の「劣化」を指摘せざるを得ない。
政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる。…引用終り
■マスメディアの今の論調を代表する意見である。
*「ガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の劣化を指摘せざるを得ない」…そうだなア と思う前に、天木氏の次の言葉を思い出してほしい。
(引用開始)天木直人のブログ1月19日
「ガソリン」だけでよい
1月18日の朝日新聞の社説は、その日から始まった通常国会が「ガソリン国会」と異名がついた事を揶揄しながら「ガソリン」だけじゃない、という見出しをつけて、それ以外の問題も論じ合って政権選択の判断材料を国民に与えろと力説している。
そうではない。
ガソリンが4月1日から25円安くなるかどうか。
それができる政権はどっちか、それが最大の政権選択の判断材料であるのだ。
田中政権の時に導入された暫定税金が、既得権として道路建設業界にばら撒かれてきた。そんな事は今度の参院における与野党逆転でも起こらない限り永久に国民は知る事が無かったであろう。マスコミは報道しなかったであろう。
そのような異常なことが一党永久政権の下でどれほど繰り返されてきたことか。
暫定税率をなくせばその穴埋めの財源をどうするかと自民党は言う。ふざけるな。その為に国民は税金で給料を払って官僚を雇っているのだ。
それを考える(集めた国民の財産を管理・遣り繰りする)のが官僚の仕事であり、その官僚が国民優先の政策を作れるかどうかを監視するのが政治家の仕事なのだ。
政治家と官僚が結託して自らの利権を守ってきたから国民生活が苦しくなったのだ。
野党もそんな自民党の議論に応じて官僚的な言い訳をする必要はない。
財源などは、特別会計の無駄をなくせばすぐ出てくる、不必要な独立行政法人をなくすだけで膨大な予算が国民の手元に返ってくる、それをやってから物を言え、と真実を訴え続けるだけでいいのだ。
これまで政治は保守か革新か、右か左かなどとイデオロギー対立のごとく安易に色分けされてきた。
そして自民党は反対党をすぐに左翼だと決め付けイメージ毀損に走った。
しかし今や一般大衆の大半は日々の生活で精一杯だ。
一般大衆の喫緊の課題は自らの暮らしの安心である。
それに反する政治家や官僚の暴政を抑止してくれる新しい政治勢力を心から望んでいる。
そろそろ我々は自力本願で日本を再生する原点に立ち戻るべきではないか。
その時の唯一のイデオロギーは「一般国民の、一般国民による、一般国民の為の政治を実現すること」である。
その試金石こそガソリン引き下げが出来る政権ができるかどうかであるのだ。
「ガソリン」だけでよい。…一つ目の引用終り
(引用開始)天木直人のブログ1月22日
ガソリン暫定税率の是非をめぐる論評が一斉に始まった。うんざりさせられる。
これは態の良い目くらましに違いない。
私は19日のブログで今度の国会で野党がとるべき戦略は、ガソリン値下げの実現を迫るだけで十分だと書いた。それは勿論極論である。しかし、極論ではあっても正論なのである。
もはや普通の事をやっていてはこの国の政治の無力を打破することはできない。山積する諸問題を解決できない。庶民の窮状を救うことはできない。
「良識的」な人たちは言うかもしれない。たかがガソリン価格を25円引き下げただけで国民生活がどれほど楽になるのかと。それよりも年金、医療、格差、環境、特殊法人改革など、より重要な問題を国会で堂々と議論して解決することが先決であると。
これはもちろん机上の論理としては正しい。
しかしそれは、自公政権と官僚に支配されて来たこの国の政治の現実を捨象した空論である。
この国の国会論戦において、いまだかつて議論の優劣で政策が決まったことがあったか。
メディアが政治色抜きの正確な報道を国民に提供したことがあったか。
マニフェストといい、論争といい、国民がそれを詳しく聞いて政党の政策の是非を判断した事があったか。
決してそうではない。(中略)
問題山積の中で、政局争いに奔走している時ではないという声が巷に溢れている。しかしこれまでのあらゆる政治課題で、政争がらみでないものが一つでもあったか。
重要な問題であればあるほど政争と切り離せないのである。
自公政権にとってガソリン税率引き下げ問題は実は大問題なのだ。
自公政権は言う。暫定税率を撤廃すると2兆6000億円/年の税収減になると。
語るに落ちるとはこのことだ。
今までガソリン税(暫定)だけで、それだけの金額を国民から搾り取っていたのだ。
その金を餌にして建設業界を利権誘導してきたのだ。
民主党は「ガソリン値下げ隊」などと浮かれる。そんなパフォーマンスをしているから国民の心に届かないのだ。困っている庶民のために本気でガソリン値下げを実現しますという真摯な姿勢をしめせ。
社民党は環境税などという。環境も大切だ。
しかし今声をあげるのは、これ以上いかなる増税も許さないという主張ではないのか。
本気で庶民の痛みを感じているのか。
すべての経済政策について言えることであるが、一つの政策が与える影響は、経済的余裕のある層、その政策によって直接裨益する特定層と、日々の生活に追われている層、その政策から直接に利益を受けない一般層、との間によって受け止め方が違う。それどころか利害が反することすらある。だからこのガソリン価格引き下げ政策も、国民によって受け止め方は二分されるだろう。
しかし政治にとって重要な事は、多数の弱者の利益をまず守るという事でなくてはならない。
恵まれている国民は恵まれていない国民に思いを馳せなければならない。
今の日本に求められている事はその事だ。
もう一度だけ繰り返す。今回のガソリン国会で、ガソリン価格の引き下げ一つ実現できないようであれば、年金問題をはじめとしたその他のより重要な諸問題は、何一つ弱者の為になる方向で解決されることはないだろう。
政治家たちは、党利・党略、政権あらそいもいいが、その前に、まず一般庶民のための政治を実現してみせろ、ということである。
ガソリンからはじめよ、まずガソリンの価格を下げてみよ、である。…二つ目の引用終り
■マスメディアは話題性があるから、視聴率が上がるからと色々な問題を報道しても、それが解決するまで追求する姿勢(政府と対峙する姿勢)は示していない。
ガソリンよりもっと大きな問題があるじゃないか、(日銀総裁人事の対応等含め)野党民主党は何を矮小な問題を掲げて政争の具にしているのか!といった論調のマスメディアに騙されてはいけない、その大きな問題に対するマスメディアの対応で、何一つ“スッキリ”とした解決に導けなくしている。(全て中途半端のまま追求を止めている)
「二兎を追うもの一兎も得ず」であり、それが二兎でなく何十・何百となれば全てはぐらかされて終わりとなるのは目に見えている。
*「政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる」
「ねじれ国会」のせいで機能不全が起こった、と参院で民主党が多数を取ったことを悪いことの様に論じる。
では、ねじれ国会の前は「日本の存在感、発信力」があったのか?私は“ねじれ国会”の前から希薄であったと思っている。国連の常任理事国になれないのは「ねじれ国会」だからではない。
830兆円以上の財政赤字を生じさせ、日本円は「地方貨幣」と言われるようになったのも“民主党のせい”や“国民のせい”ではないのである。
■前に書いた私の子供の頃の「報道の仕方」のサンプルをもう一度載せておく。
「世論調査で国民の約7割が廃止を希望している34年前から倍とっていたガソリン税の暫定税率が民主党の反対で期限切れとなり、4月からガソリン価格が25円/㍑下がることになりました。ガソリンは石油会社からの出荷時点で税金が掛けられ、各ガソリンスタンドは1~2週間貯蓄できる地下タンクを有しているため、1日から対応出来るかは微妙で、A社とB社は4月1日から適用するが当面22円~23円/リットルの値引きに押さえストック分の暫定税率差額を回収する方針。
尚、政府はこの暫定税率を1ヶ月後の参議院審議期限切れを待って新テロ特措法同様、衆議院の2/3以上の賛成多数で強行採決する意向を打ち出している。
この政府(自公政権)による強行採決が行なわれると、国民は暫定的に34年間払ってきた年2.6兆円規模の税金を更に10年間負担し続けなければならないことになります。
形は憲法に則っている(参院で否決された法案は衆議院で2/3以上の賛成があれば再可決されるという規則に則っている)とはいうものの衆議院で圧倒的多数を有する政党のこの行為は、民主主義を無視した“数の暴力”と言わざるを得ない。」
私の子供の頃の報道は上記よりもっと国民の側に立って政府を批判していたように記憶している。
■本題(タイトル)に入る前に終わってしまいそうなので、タイトルのサワリだけ書いておく。
(先ほどの天木氏のブログの続き)
一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続く…。のあとの記述
しかし、そのようなニュースはどの記事も同じだ。どの解説も大差はない。そういう時こそ、他のニュースに注目すべきである。
たとえば28日の各紙が取り上げている、突然の文部科学省の学習指導要領の告示である。
2月に公表したばかりの改定案を一部修正し、郷土愛の文言を追加した。
君が代が歌えるようにと変更した。
東京新聞だけが大きく問題提起していたが、普通であれば大きな論争を呼ぶニュースだ。…引用終り
■政府がガソリン税を34年間も倍取りしていた事実をマスメディアが全く国民に問題提起しなかったのと同様、今回の上記ニュースを形だけ報道し、本来、国民に問題提起し大きな国民的論争を起こさなければならない立場のマスメディアが現権力者を恐がって沈黙を守っている。
「反戦な家つくり」さんが言っている。
ファシズムの扉を開いた文部科学省(3月28日ブログ)
詳しくは、次回の日記に書くが、「教育基本法改正」の時と同様、国民の目を逸らすような報道・政府の方が正しいような報道の仕方(例えば「まだ1日あるので最善をつくしたい」(2倍の税額を後10年、国民から取り続けようとする法案の成立に対してマスメディアはこういった映像しか流さない。誰に対して最善をつくすのか?決して国民に対してではない。)とか「野党の反対で暫定税率が一時的に25円下がると言う前代未聞の減税となる公算が大で国民が混乱する恐れがある」といった報道の仕方。(「前代未聞の出来事」というのは良い出来事には使わない表現であり、1ヵ月後の政府の強行採決を当然として混乱の恐れを演出した民主党を悪者扱いする報道の仕方、この報道の仕方を見てもマスメディアがどちらを向いて報道しているかが分かる)
マスメディアが国民に対して犯している犯罪行為については次回の記事を見れば納得すると思います。
次回に続く…。