無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ファシズムへの道…その1

2008年03月31日 | Weblog
あれもこれも…本当に問題が多過ぎて、頭の中が纏まらない。

本題に入る前に忘れない内に今の世の中の「おかしいな?」と思うことを列記しておく。

(1)昨年までをみても、日本の大企業の決算は5年連続で史上最高の収益を更新している。一方庶民の年収は9年連続で減少している。政府は庶民の諸々の税を上げ、手当てを切り捨て(サラリーマン特別減税・生活保護等)、企業の税金を軽減している。

ついでに言うとこういった不満をいう国民に対し「景気浮揚策で企業減税を行なったのであり、その効果が出てきたからこれから庶民もその恩恵に浴する段階なのだ」と、もう少し我慢しろ的な言い方をする。
いざなぎ景気を越える「好景気」(庶民の実感が全くない好景気)の期間はどれだけあったのか! 小泉内閣時代の「国民も痛みを分け合ってほしい」といった“改革”と一緒である。

■無風注:話しがどんどん逸れてしまうので詳しくは書かないが「公務員も給料を5%カットする等、痛みを分け合っているではないか」といった意見があり、最近の公務員批判にブログで「公務員」の方から「働かない公務員といった心無い批判があるが、私達の現状は毎日夜11時過ぎまで残業し残業手当ても月3万円までに抑えられ…」といった意見が寄せられている。私にはこういった現状を訴える公務員も“庶民”であり、本来の庶民の官僚トップ批判が庶民同士の対立へとすりかえられている現象と思われる。「暫定税率を廃止してガソリン代を安くしろ」(庶民)と「地方はどうするのか」(地方)との「下の者同志」の争いへ刷り替えるマスメディアの世論操作と類似した最近の悪しき風潮(世の傾向)である。

(2)マスメディアの犯罪

マスメディアは、もう「国民に対する犯罪」を犯していると言った方が正確な表現になった。
私が「大本営発表しか流さない」とオーバーに書いていることを批判的に思った人も多いだろうが、最近の「政府寄り報道」(と言うより政府側報道)は世論操作と言うよりも国民に対する裏切り、犯罪行為と言った方が当を得ている。

全体には、天木氏のブログに書いてあるように…。

(引用開始)
いつも思うことなのだが、一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続くだろう。

■無風注:天木氏は、この後「こういったときこそ他のニュースに注目すべきだ」としている。国民の命運を分けるような出来事・ニュースが国民に問題視されないまま通過していく。これは今日のタイトルに絡む重要なことなので、後に詳しく述べる。

(引用再開)
日銀総裁人事の大騒ぎは何だったというのか
あれほど大騒ぎをした日銀総裁人事問題がすっかりニュースから消えた。

ついこの間までは、総裁人事が空白になる事など決して許されない、日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する、などと書き立てていたマスメディア(無風注:元は“経済記者たち”)も、空白が長期化する雲行きになっても、もはや今では無関心のごとくだ。何も書かなくなった。

■無風注:そして「国際的信用が失墜する」「日本経済が混乱する」を理由に…。

(引用開始)
マスコミは、従来反政権的だと見られていた朝日新聞が、一方的に民主党に譲歩を求めている。毎日新聞も朝日に引きずられたように、歯切れが悪いながらも民主党批判をしているし、読売・日経・産経などにいたっては、当然ながら民主党非難の大合唱だ。

大新聞(無風注:新聞だけでなくテレビ等マスメディア全体)は、いまや揃って自民党のタイコモチと化したかのようだ。

空席になる前から日銀総裁人事の大騒ぎの愚を「そもそも日銀総裁というポストが重要な仕事をしてきたポストであるのか、どんな責任をこれまで果たしてくれたというのか、と素朴な疑問」をぶつけている識者は多かった。

このような素朴な疑問は、何も日銀総裁人事だけに呈せられるものではない。
マスコミは、国民にかわって、素朴な疑問を、もっとどんどんと今の政治にぶつけなければいけない。

■無風注:国民に問題提起するのがマスメディアの使命であり、国民に代わって政府を監視するジャーナリズム精神を持っていることが要求される。

(引用再開)
考えても見るがいい。年金問題をはじめとして、守屋次官の疑惑問題、特定財源問題、公務員改革問題、ギョーザ問題、米軍基地問題、など、大騒ぎするだけで問題の本質は何も解決されないままだ。

我々はこのような政治家たちの無責任さを厳しく追及しなければならない。

騒ぎ立てるばかりで政治の責任を最後まで追及しないメディアに文句を言わなければならない。

政治家も官僚もメディアも、国民の事など考えていないのだ。…引用終り

(更に引用)
ガソリン国会について、テレビも新聞も、うんざりするほど同じような報道を繰り返している。
ガソリン価格が下がる事が、暮らしにあえぐ一般国民にとっていいことであるに決まっているではないか。

「その財源減をどうやって穴埋めするか」とか、「地方に財源をどうまわすか」とか「市場の混乱をどう防ぐか」などという事は、正しい政治指導による正しい政策を行えば、どうとでも解決できるものなのだ。

国民は、少しでも暮らしを楽にしろ、と政治家や官僚組織に訴えるだけでいいのだ。

そう私が書くと、物事が分かっていると自称する識者達からはガソリン価格だけに問題を矮小化するなと言う声が聞こえてきそうだ。
実際のところ「ガソリン国会」をどう見るかについて、大手新聞の社説はすべて、「福田首相も発奮したのだから、民主党も譲れ」と書いている。
自民党はわが意を得たりと、この社説を引用し民主党を攻撃する。

(中略)政府は、財務官僚のシナリオに踊らされている。
それを知ってか、知らずか、福田首相の提案をこぞって持ち上げて、今度は民主党に譲歩を迫るマスメディア(無風注:元は「大手新聞」)もまた、皆、官僚たちのお友達なのだ。

一般国民は気づかなくてはいけない。

ガソリン国会を巡る与野党の攻防の本質は、ただ一点。
官僚支配を突き崩せるかどうかだ

戦後の政治を貫いてきた、自民党・官僚支配勢力と、その支配勢力に支配されてきた一般国民の最終的なせめぎ合いなのである。…引用終り

■暫定税率一つとっても、マスメディアの報道の仕方が狂っているのが良く分かる。

今日で期限切れ(マスメディアの表現)となるガソリンの暫定税率について全てのマスメディアが下記のように報道している。

*首相の「何で野党は話し合いに応じないのか」とのコメントを報道。

*首相は「安いガソリンで二酸化炭素の排出を助長する方向でいいのか。環境問題への取り組みを真剣に考えている国々に全く逆行する」と述べ、4月末以降に憲法の規定による衆院再議決で暫定税率維持を含む歳入関連法案を成立させる考え、と報道し、1ヶ月後には又衆議院の2/3以上の強行採決で税を2倍に戻すのだから、その期間、国民が混乱する、と又2年間だけ倍にしてといわれて成立した「暫定」税率を元に戻すのが当然で、その間の混乱を引き起こす民主党を「悪者」に仕立てる報道に終始。

有識ブロガーに評判の悪い産経の政治アナリスト花岡信昭氏の論評

■日本政治は危機的状況

いま、日本政治の危機はまさにその点にある。与野党が矮小化された低次元の攻防戦を展開していてすまされるはずはない。(無風注:マスメディアが与野党の低次元の攻防戦しか報道していない点に問題の本質がある)

福田政権は発足から半年。懸念された年度末決戦の渦の中で機能不全状態に陥ってしまった。
それもガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の「劣化」を指摘せざるを得ない。

政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる。…引用終り

■マスメディアの今の論調を代表する意見である。

*「ガソリンの値下げをめぐる攻防が最大の焦点というのでは、日本政治の劣化を指摘せざるを得ない」…そうだなア と思う前に、天木氏の次の言葉を思い出してほしい。

(引用開始)天木直人のブログ1月19日

「ガソリン」だけでよい

1月18日の朝日新聞の社説は、その日から始まった通常国会が「ガソリン国会」と異名がついた事を揶揄しながら「ガソリン」だけじゃない、という見出しをつけて、それ以外の問題も論じ合って政権選択の判断材料を国民に与えろと力説している。

 そうではない。

ガソリンが4月1日から25円安くなるかどうか。
それができる政権はどっちか、それが最大の政権選択の判断材料であるのだ。

田中政権の時に導入された暫定税金が、既得権として道路建設業界にばら撒かれてきた。そんな事は今度の参院における与野党逆転でも起こらない限り永久に国民は知る事が無かったであろう。マスコミは報道しなかったであろう
そのような異常なことが一党永久政権の下でどれほど繰り返されてきたことか。

暫定税率をなくせばその穴埋めの財源をどうするかと自民党は言う。ふざけるな。その為に国民は税金で給料を払って官僚を雇っているのだ。

それを考える(集めた国民の財産を管理・遣り繰りする)のが官僚の仕事であり、その官僚が国民優先の政策を作れるかどうかを監視するのが政治家の仕事なのだ。

政治家と官僚が結託して自らの利権を守ってきたから国民生活が苦しくなったのだ。

野党もそんな自民党の議論に応じて官僚的な言い訳をする必要はない。
財源などは、特別会計の無駄をなくせばすぐ出てくる、不必要な独立行政法人をなくすだけで膨大な予算が国民の手元に返ってくる、それをやってから物を言え、と真実を訴え続けるだけでいいのだ。

これまで政治は保守か革新か、右か左かなどとイデオロギー対立のごとく安易に色分けされてきた。
そして自民党は反対党をすぐに左翼だと決め付けイメージ毀損に走った

しかし今や一般大衆の大半は日々の生活で精一杯だ。
一般大衆の喫緊の課題は自らの暮らしの安心である。
それに反する政治家や官僚の暴政を抑止してくれる新しい政治勢力を心から望んでいる。

そろそろ我々は自力本願で日本を再生する原点に立ち戻るべきではないか。
その時の唯一のイデオロギーは「一般国民の、一般国民による、一般国民の為の政治を実現すること」である。

その試金石こそガソリン引き下げが出来る政権ができるかどうかであるのだ。
「ガソリン」だけでよい。…一つ目の引用終り

(引用開始)天木直人のブログ1月22日

ガソリン暫定税率の是非をめぐる論評が一斉に始まった。うんざりさせられる。
これは態の良い目くらましに違いない。

私は19日のブログで今度の国会で野党がとるべき戦略は、ガソリン値下げの実現を迫るだけで十分だと書いた。それは勿論極論である。しかし、極論ではあっても正論なのである。

もはや普通の事をやっていてはこの国の政治の無力を打破することはできない。山積する諸問題を解決できない。庶民の窮状を救うことはできない。


「良識的」な人たちは言うかもしれない。たかがガソリン価格を25円引き下げただけで国民生活がどれほど楽になるのかと。それよりも年金、医療、格差、環境、特殊法人改革など、より重要な問題を国会で堂々と議論して解決することが先決であると。

これはもちろん机上の論理としては正しい。
しかしそれは、自公政権と官僚に支配されて来たこの国の政治の現実を捨象した空論である。

この国の国会論戦において、いまだかつて議論の優劣で政策が決まったことがあったか。

メディアが政治色抜きの正確な報道を国民に提供したことがあったか

マニフェストといい、論争といい、国民がそれを詳しく聞いて政党の政策の是非を判断した事があったか。

決してそうではない。(中略)

問題山積の中で、政局争いに奔走している時ではないという声が巷に溢れている。しかしこれまでのあらゆる政治課題で、政争がらみでないものが一つでもあったか。
重要な問題であればあるほど政争と切り離せないのである。

自公政権にとってガソリン税率引き下げ問題は実は大問題なのだ。

自公政権は言う。暫定税率を撤廃すると2兆6000億円/年の税収減になると。
語るに落ちるとはこのことだ。

今までガソリン税(暫定)だけで、それだけの金額を国民から搾り取っていたのだ。

その金を餌にして建設業界を利権誘導してきたのだ。

民主党は「ガソリン値下げ隊」などと浮かれる。そんなパフォーマンスをしているから国民の心に届かないのだ。困っている庶民のために本気でガソリン値下げを実現しますという真摯な姿勢をしめせ。 
社民党は環境税などという。環境も大切だ。
しかし今声をあげるのは、これ以上いかなる増税も許さないという主張ではないのか。
本気で庶民の痛みを感じているのか。

すべての経済政策について言えることであるが、一つの政策が与える影響は、経済的余裕のある層、その政策によって直接裨益する特定層と、日々の生活に追われている層、その政策から直接に利益を受けない一般層、との間によって受け止め方が違う。それどころか利害が反することすらある。だからこのガソリン価格引き下げ政策も、国民によって受け止め方は二分されるだろう。

しかし政治にとって重要な事は、多数の弱者の利益をまず守るという事でなくてはならない。
恵まれている国民は恵まれていない国民に思いを馳せなければならない。
今の日本に求められている事はその事だ。

もう一度だけ繰り返す。今回のガソリン国会で、ガソリン価格の引き下げ一つ実現できないようであれば、年金問題をはじめとしたその他のより重要な諸問題は、何一つ弱者の為になる方向で解決されることはないだろう。

政治家たちは、党利・党略、政権あらそいもいいが、その前に、まず一般庶民のための政治を実現してみせろ、ということである。

ガソリンからはじめよ、まずガソリンの価格を下げてみよ、である。…二つ目の引用終り

■マスメディアは話題性があるから、視聴率が上がるからと色々な問題を報道しても、それが解決するまで追求する姿勢(政府と対峙する姿勢)は示していない。
ガソリンよりもっと大きな問題があるじゃないか、(日銀総裁人事の対応等含め)野党民主党は何を矮小な問題を掲げて政争の具にしているのか!といった論調のマスメディアに騙されてはいけない、その大きな問題に対するマスメディアの対応で、何一つ“スッキリ”とした解決に導けなくしている。(全て中途半端のまま追求を止めている)
「二兎を追うもの一兎も得ず」であり、それが二兎でなく何十・何百となれば全てはぐらかされて終わりとなるのは目に見えている。

*「政権の機能不全は日本の存在感、発信力の希薄さにつながる」

「ねじれ国会」のせいで機能不全が起こった、と参院で民主党が多数を取ったことを悪いことの様に論じる。
では、ねじれ国会の前は「日本の存在感、発信力」があったのか?私は“ねじれ国会”の前から希薄であったと思っている。国連の常任理事国になれないのは「ねじれ国会」だからではない。
830兆円以上の財政赤字を生じさせ、日本円は「地方貨幣」と言われるようになったのも“民主党のせい”や“国民のせい”ではないのである。

■前に書いた私の子供の頃の「報道の仕方」のサンプルをもう一度載せておく。

「世論調査で国民の約7割が廃止を希望している34年前から倍とっていたガソリン税の暫定税率が民主党の反対で期限切れとなり、4月からガソリン価格が25円/㍑下がることになりました。ガソリンは石油会社からの出荷時点で税金が掛けられ、各ガソリンスタンドは1~2週間貯蓄できる地下タンクを有しているため、1日から対応出来るかは微妙で、A社とB社は4月1日から適用するが当面22円~23円/リットルの値引きに押さえストック分の暫定税率差額を回収する方針。
尚、政府はこの暫定税率を1ヶ月後の参議院審議期限切れを待って新テロ特措法同様、衆議院の2/3以上の賛成多数で強行採決する意向を打ち出している。
この政府(自公政権)による強行採決が行なわれると、国民は暫定的に34年間払ってきた年2.6兆円規模の税金を更に10年間負担し続けなければならないことになります。
形は憲法に則っている(参院で否決された法案は衆議院で2/3以上の賛成があれば再可決されるという規則に則っている)とはいうものの衆議院で圧倒的多数を有する政党のこの行為は、民主主義を無視した“数の暴力”と言わざるを得ない。」

私の子供の頃の報道は上記よりもっと国民の側に立って政府を批判していたように記憶している。

■本題(タイトル)に入る前に終わってしまいそうなので、タイトルのサワリだけ書いておく。

(先ほどの天木氏のブログの続き)
一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続く…。のあとの記述

しかし、そのようなニュースはどの記事も同じだ。どの解説も大差はない。そういう時こそ、他のニュースに注目すべきである

たとえば28日の各紙が取り上げている、突然の文部科学省の学習指導要領の告示である。
2月に公表したばかりの改定案を一部修正し、郷土愛の文言を追加した。
君が代が歌えるようにと変更した。
東京新聞だけが大きく問題提起していたが、普通であれば大きな論争を呼ぶニュースだ。…引用終り

■政府がガソリン税を34年間も倍取りしていた事実をマスメディアが全く国民に問題提起しなかったのと同様、今回の上記ニュースを形だけ報道し、本来、国民に問題提起し大きな国民的論争を起こさなければならない立場のマスメディアが現権力者を恐がって沈黙を守っている。

「反戦な家つくり」さんが言っている。

ファシズムの扉を開いた文部科学省(3月28日ブログ)

詳しくは、次回の日記に書くが、「教育基本法改正」の時と同様、国民の目を逸らすような報道・政府の方が正しいような報道の仕方(例えば「まだ1日あるので最善をつくしたい」(2倍の税額を後10年、国民から取り続けようとする法案の成立に対してマスメディアはこういった映像しか流さない。誰に対して最善をつくすのか?決して国民に対してではない。)とか「野党の反対で暫定税率が一時的に25円下がると言う前代未聞の減税となる公算が大で国民が混乱する恐れがある」といった報道の仕方。(「前代未聞の出来事」というのは良い出来事には使わない表現であり、1ヵ月後の政府の強行採決を当然として混乱の恐れを演出した民主党を悪者扱いする報道の仕方、この報道の仕方を見てもマスメディアがどちらを向いて報道しているかが分かる)

マスメディアが国民に対して犯している犯罪行為については次回の記事を見れば納得すると思います。

次回に続く…。









馬鹿にされ、騙され、虐げられても怒らない日本国民

2008年03月25日 | Weblog
少し書き込む暇がなく更新が途絶えると、書きたいことが溜まってどれから書くか考えが纏まらない。

二者択一の罠で書いたように、「2年間だけ倍のお金を下さい」と言って35年間も取っていた税金を元に戻そうとした時に、その財源をどうするのか!と民主党を責めマスコミもその論調一色だったが、オイルショックからバブル景気に入り法人税等で政府の税収は激増したはずである。2.6兆円も国民からだまって取り続けて好き勝手に使い放題だった政府なのに暫定税率を止めたら地方に金がいかない、財源はどうするのか!と野党を責め立てるが、国民はおかしいと思わないのだろうか?
本来、国(政府)の役割は国民の富(税金)を如何に公平に分配するか(国民の福祉に役立てるか)、ということであり、従って「財源をどうするのか」を考えなければいけないのは、野党ではなく、国民を騙して(国民に知らしめないで)二倍も取り立て続け詐欺まがいの行為を行なっていた国(政府)なのである。
第二次オイルショックという要因があったと認めても30年前には、やりくり(財源)を考えて暫定税率を廃止するのが「国民を向いた」政治の在り方だ。

天木氏が東国原宮崎県知事の民主党への「地方はどうするのか」発言を怒っていたが、これは野党に対して言うべき言葉ではなく、税金を適正・公平に国民へ還元する役割を担った政府に対し言う言葉である。

官僚主義をおさらいしておこう。(私の日記1月23日)

官僚組織は、
●実際にこなさなければならない仕事量に関係なく、官僚の数はどんどん増え続けていく(成長の法則)

●官僚が増えれば、その分仕事がなければならないが、それは実際に必要ではない仕事を作り出すことでまかなわれる。
つまり、無駄な仕事ばかりが増えていく(凡俗の法則)

●既得権益は死守すべきものとされ、予算を100%消化して、次年度、より高額の予算を獲得することが至上命題である。

もう一度、国民の税金(血税と言ったほうが私の今の状況にピッタリ)がどの様に使われているか、を載せておく。

(引用開始)
私が以前引用した「天下りの実態」や「暴走官僚~エリートたちが日本を食い荒らす」(文芸春秋1月号)の“税金ムダ使いの実態”等を読み返してもらいたい。

全省をあわせ月3兆円平均の支出が、期末の3月に何故18兆円/月に跳ね上がるのか?

期末に支払が集中するから? 少しはあるかも知れません。でも、「ムダ使いの実態」を見て下さい。
我々の「血と汗と涙で」稼いで払った税金がどのように使われているかを…。

(引用開始)
筆者は、厚生労働省関係に勤め、その内3年間経理課で働いた。
一言でいって“湯水のような公金浪費”の毎日だった。 ◎公金=我々が差し出した税金

例1:「労働経済白書」を毎年刷るが、増刷の要不要に関わらず、毎年3月になると、予算消化の為、版が余っていて増刷不要でも増刷し、刷り上るとそのまま廃棄業者にお金を払って捨ててもらっている。

例2:経理課のパソコンと銀行のパソコンを繋ぐ事になった。
契約しているシステム管理のA法人に相談すると4000万円位かかる、といわれた。
筆者は、いくらなんでも高過ぎると思い、別のシステム会社に相談すると「市販の4万円弱のソフトを買うだけでいい」ということだった。
課長に言うと「でもA法人に頼まないわけにいかないでしょ?」と、4000万円で契約しようとした。
A法人は、元大蔵事務次官で当時衆議院議員だったA氏が理事長を務める財団法人で、財務省や各省の元事務次官たちが理事として天下っている。
筆者は、結局、A法人に市販のソフトの“インストール”を頼み、440万円を支払った。

例3:筆者はその部署に割り当てられていた年間予算60億円のうち、2億円を節約して国に返した。
褒められると思っていたら、逆に厚生労働省からきつく叱られた」

「せっかく予算をとってやったのに、使い切らずに返すとは何事か!これでは来年の予算が削られてしまうではないか!」

この翌年、経理課長は全職員にわざわざ“経理通達”を出した。
「今年は必ず、予算を使い切ってください。決められた予算通りでなくても、言い訳が出来るなら目的外使用でもかまいません」(名目をこじつけてでも予算=我々の税金を使い果たせ!)

だから、年度末の3月になると、職員は予算消化に血眼になる。

例5:年度末には、庶務課員が「旅費が余っているから出張は無いか?」と聞いて回り、皆んなが“必要の無い出張”に出かける。
私(筆者)は、部長から「お母さんと旅行にでも行ってきなさい」といわれて現金10万円を渡され、本当に母と二人で九州旅行に行った。
「視察」と称して同僚とアメリカにいった年もあった。一人100万円を使って、観光・グルメ・ショッピングをした。

例6:何かと派手な、コネで入ったキャリア官僚の娘は、部長のお供で出張したとき、ナイヤガラの滝やヨセミテなど、アメリカ横断の国立公園めぐりをしている。

●これは、私の職場だけのことではない。どこの省庁でも同じである。…引用終り

[無風注:このあと他省の(あきれかえる)例が挙げられ、国土交通省・財務省等の3月支出の不要不急と思われる物品購入や工事がたくさんあった。と指摘]

役所が予算消化に躍起になるのは「ポストは予算についてくる」と言われ、予算が増えるに伴い管理職ポスト天下りポストが増えるからである。

逆に、予算が減ればポストも減ってしまう。

もう一度書くが、官僚組織は一旦確保した予算(既得権益)は死守すべきものとされ、予算を100%消化して、次年度、より高額の予算を獲得することが至上命題である

従って、各官庁にとって、我々の税金を節約して余らせるようなことは「とんでもない事」であり、最近マスコミが小金額のムダ使いを指摘して騒いでいるように「視察」と言う目的の旅行、健康器具の購入、道路視察の為と称して高級外車を購入し自家用車として使用、また、まだまだ充分使用できる職員宿舎等を建て替え高級マンション化している、といったムダ使いが全省庁で行なわれている。

上記の記事は「年数兆円のムダ使いである」と指摘しており、このムダ使いをなくせば、倍取りしていた暫定税2.6兆円など簡単に捻出される額なのである。

それを政府(政権政党)とマスメディアは、問題を「暫定税率維持か地方の切捨てか」、の二者択一にすり替え、暫定税率を廃止し地方の切捨てを画策し(政争の具とし)、政権交代を謀っているとして民主党を悪者にしている。

日銀総裁不在では「国際的信用が失墜する」「日本経済が混乱する」と言った騒ぎは、どこに行ったのか?
例えば、大企業で社長が一ヶ月海外旅行をしたからといって、運営が成り立たない会社など無いのと同じで(例が悪かったかもしれないが)、がっちりとした官僚組織があり、法的にも「副総裁が代行」と謳ってあるため、何の問題も無かった今回の人事に関する騒ぎである。

「政争の具にするな」として騒ぎ立てた政府・マスメディアはアジテーターである。

*政府の提示した「財務事務次官」を認めるのか、政争の具として反対し続け日本の国際的信用を失墜させ日本経済を混乱させるのか。

*消費税を上げて社会保障をするのか、税を上げずに社会保障を切り捨てるのか。

*敵に攻めてこられた時、あなたは家族(祖国)を守るために戦うのか、それとも家族(祖国)を見殺しにするのか。

*自衛隊員の差別を続けるのか、憲法を改正して自衛隊を正式に認めるのか。

前にも書いたように、こういった二者択一の罠にかからない様、心掛けましょう。

今日は、前に書いた事の繰り返しとなってしまった。
書きたいことはもっと他にあったのだが、今日はここまで、とします。

続々・最近の論調について

2008年03月17日 | Weblog
昨日の続きです。

国民に黙って2倍の税率を取っていたガソリン税(暫定税率)を10年間そのまま延長し国民に負担させようという法案を強行採決した政府自民党を責めないで、日銀総裁人事に反対する民主党を「政争の具にしている」と批難するマスコミ。
法案の内容とか、反対理由の検証とかをせず(国民に問題提起せず)、国民から遊離した与野党の駆け引き・攻防の「政治ショー」を垂れ流し、国民の愚民化を謀るテレビ局。「野党民主党はDNA作戦で対抗する考え」…マスコミはこんな報道が国民の為になると思っているのだろうか?国民をないがしろにするのもいい加減にしてもらいたい。

今日は、それに関するいろいろなブログを並べて載せておく。
今までのように誰々のブログで、「引用開始」「引用終り」といった区切りを入れるのも省く。

(まず、日銀総裁人事問題の経緯をおさらいしておく)

■「日銀総裁人事」について

政府・与党は3月19日に任期満了を迎える福井俊彦日銀総裁の後任人事について3月7日の衆参両院合同代表者会議に「武藤敏郎副総裁の昇格」を提案した。
これに対して、野党側は武藤氏が大蔵省出身であることから「財政金融の分離」の原則から難があることと、衆院で政府与党が予算案などを強行採決してしまったことで「与野党間の信頼関係は失われた。話し合いをする状況にない」と、態度を硬化させたことから「武藤氏の日銀総裁就任に不同意」の方針を固めた。
そして3月12日、野党が過半数を占める参院で武藤総裁案は否決された。

(各ブログの引用に入ります)

■マスコミは、従来反政権的だと見られていた朝日新聞が、日銀総裁問題では一方的に民主党に譲歩を求めている。毎日新聞も朝日に引きずられたように、歯切れが悪いながらも民主党批判をしているし、読売・日経・産経などにいたっては、当然ながら民主党非難の大合唱だ。大新聞は、いまや揃って自民党のタイコモチと化したかのようだ。

■「かみぽこ政治学」でいつも言っている「与党の横暴VS野党の怠慢」が、争点だということだ。
いや、ちょっと違うかな?「与党の怠慢VS野党の横暴」なのかもしれないね。今回に限って言えば。。。(苦笑)
政府・与党のコメントも「野党の不同意は信じられない」「不可解」だけでは、なぜ武藤氏なのか、よくわからない。
結局、ここでも「横暴か怠慢か」を争う、いつもの日本政治が展開されているというわけです。(苦笑)

ただ、そんな「日銀人事」の過程だけど、なにも意義がないというわけではない。

「日銀人事が初めて国民に注目された」

「これまで日銀総裁に財務(大蔵)出身者が何度も起用されていたことに国民が初めて注目した」

というようなことがあると思う。

要は、これまで何度か書いてきた「衆参ねじれ国会下における政治力学」つまり、参院を野党が抑えたことで政府・与党がこれまで長年、適当にごまかして通していたことがぜんぶ参院で

「野党の関所」

で引っかかるようになった。

防衛省でも厚労省でも法案が参院で引っかかってモタモタしているうちに、これまで自民党・官僚・業界によって長年行われてきた政治の恥部ともいえるスキャンダルがボロボロ出てきた。

ご存じのとおり、私は国会の機能不全については、もはや機能不全の自民党政権のウミを1回完全に出し切った方がいいと泰然と構えているわけですが。。。(苦笑)

まあ、この「日銀人事」については、ウミを出すというようなぐじゃぐじゃな話ではないとは思いますよ。
ただ、今回の人事をきっかけに一度「日銀総裁」の役割についてしっかり考えてみることは悪くないことだと思う。

えっ?

「そんな悠長なことを言っていて日銀総裁不在という事態になったら日本が国際的な信用を失ってしまう、どうするんだ?」

うん。。。

では、そもそも論なんだけど、日銀総裁って国際市場に対してプレゼンスってありましたっけ?
グリーンスパンのように、一言で市場を動かすようなメッセージ性ってありましたっけ?
ほとんどゼロの金利をコンマ数%上げるとか上げないとか、そんなことをやってるだけで国際市場になんの影響力があるんですかね?

そんなの、なんもないよ。。。

■なんとかして小沢を悪者に仕立てようとして、自公が悪あがきをしている。
その浅ましい姿ばかりが目について、そもそも、なんのために日銀総裁が「両院の同意」なのか、忘れられているのではないだろうか。

そもそも、日銀=日本の中央銀行の最大のお仕事は、お金を印刷することだ。
お札を刷って、普通の銀行に貸し出す。それを元手に、銀行は企業や個人を相手に、お金を貸したり、預金を集めたりする。

勘違いしやすいのは、日本銀行だから、刷ったお金がそのまま国のものになるのではないか、と思いがち。
これは、もちろんトンでもない話で、これをやってしまうと超インフレになり、国が破産するか戦争でも始めるしかなくなってしまう。

だから、日本銀行が国債を買う、というタコが自分の足を食うような真似はしてはいけないのだ、と昔々学校で習った。

日銀ホームページには、

「日本銀行における国債の引受けは、財政法第5条によって原則として禁止されています。
これは、中央銀行がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛らなくなり、悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるからです。そうなると、その国の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまいます。

これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためです。」

と、書いてある。

ところが、

「ただし、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、「財政法」第5条ただし書きの規定に基づいて、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借換えに応じています。」(日銀ホームページ)

という抜け道を作り、タコはせっせと自分の足を食っている。

日本銀行が買い入れた国債残高は、1996年には、20兆円ほど。
それが10年ほどで、70兆円ほどに。要するに、全国債の1割は日銀が買っているのである。

さらに、国債を担保にお金を貸すという裏技もやっており、これだけでも 37兆円もあり、しめて100兆円以上もタコは自分の足を食ってしまったのだ。
ちなみに、タコの1年間の予算は80兆円ほどであることは言うまでもない。

こうして、日銀自ら「長い歴史から得られた貴重な経験」と認める国債の引き受け禁止を、あっさりと破り捨てているのが実情だ。

さて、本題に戻る。なぜ日銀総裁は「両院の同意」が必要か。

そう、日銀自身の言うとおり、あまりにも現政権の言いなりでは「その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛らなくなり、悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるから」 に他ならない。

反対意見も多いときは、政権側の意見に流されては危険だ。 
悪性インフレは絶対に避けなくてはならない、ということだ。

で、今回の武藤という総裁候補は、この日銀の国債引き受けという禁じ手について、どう考えているのか。

武藤事務次官記者会見の概要(平成14年3月4日)

(日銀が、塩川財務大臣の言うとおり、買い切りオペを 8,000億から1兆円に引き上げたことについて問われて)

「当面あれだけの長期国債の買いオペをされるということは、私どもとしては大変評価している政策だということであります。
これ以外にも潤沢な資金供給というものを、10兆から15兆ですか、そういう潤沢な資金供給というものを年度末に向けて、そこは十分また弾力的に対応していくということもおっしゃっているわけなので、とりあえずは、今回の対応策は十分評価されるべき政策であるというふうに考えております。」

と、諸手をあげて賛成している
ちなみに、買い切りオペとは市中銀行が持っている国債を日銀が買うことで、日銀から国への迂回融資のようなモノ。

ニチギンソウサイがどうのこうのと、ニュースはやかましいけれども、本質はここにあることをよ~く見ておかないと、恐るべき地雷を踏むことになる。

■無風注:民主党が『財政・金融の分離』の立場から反対したこの人事を、上のブログのように“国民に知らしめる”報道をせずに、「政争の具にして」と民主党を責める報道に徹している。民主党が本当に政争の具に使っているとしても、上記の様な報道(民主党反対理由の検証)をしなくていい、ということにはならない。国民の目を逸らせてばかりの大本営発表ではマスコミは要らない。きっこの日記の投票結果を見てテレビ局・マスコミは猛省すべきである。

■(民主党の反対理由について)候補である武藤敏郎氏が、大蔵・財務省の元事務次官であり日銀の独立性を担保出来ないというのがその理由である。

もっともな主張だ。

武藤氏は、1966年に入省以来、2003年の退官まで、実に40年ちかく大蔵・財務省に勤務して、事務方トップにまで上り詰めた人物である。
鳩山幹事長の言うように、まさに「大蔵省そのもの」だ。

こういう人間が、総裁として、日銀の独立性を守っていくと発言しても、それを真に受けるひとは、まずいない。
実際、日銀総裁は日銀出身者と大蔵省出身者が交互に務めており、今回は政府の意向を反映させるための人事であるのは、間違いない。

武藤氏は、事務次官を最後に、財務省を退官し、そのまま、日銀副総裁となり、現在までその職にある。五年間、日銀のために働いたのだから、財務省とは、縁が切れているという詭弁を弄する向きもある。しかし、そもそも、財務事務次官が、日銀副総裁に横滑りしていること自体が、考えられない人事だ。

その人物を、さらに総裁に昇格させるというのだから、日銀の独立性を考えれば、「あり得ない人事案」と、言えるだろう。

これまでの日銀の金融政策とくに超低金利政策は、経済界の要請に耳を傾けすぎると言う点であまりにも政府・自民党寄りだった。その結果、物価の安定や貯蓄の便益など、日銀が目を配るべき重要な視点をあからさまに欠いてきた。

従って、人事案への民主党の反対は、日銀の金融政策をよりバランスの取れたものにするという点からも意味がある。

政府自民党が、もし「党首会談」など姑息な手段を使ってでも武藤氏を認めさせ、是が非でも「財務省ポスト」を確保するというのであれば、自民党は、政党というより財務省の「番犬」に過ぎない存在と批判されても仕方ない。

日銀総裁人事がどのような形に落ち着こうと一般の国民にとってはどうでもいい話だ。
こんな問題が連日のトップニュースになっている事自体が、日本の政治が国民から乖離している証拠である

(今回の騒動を与党と民主党の政権争い、とし、この騒動をどう見ればよいのかについて)
まず第一点。「能力主義で最善の人選をおこなえ」という建前論ほど馬鹿らしいものはないと言うことである。

そもそもこれまでの人事は、財務省(大蔵省)次官と日銀エースの交替人事であった。その業界の“最優秀の人物”が総裁になってきたはずである。

ところがその結果はどうだったか。

プラザ合意をきっかけに始まったバブル経済とその破綻。そして、債務問題に苦しんだ「失われた10年」を経て今日に至る経済停滞。

どれ一つとっても日銀総裁は何もできなかった。

プラザ合意を飲まされた前川総裁から始まって、米国の要求に屈してゼロ金利のきっかけをつくった澄田総裁、バブルを破裂させた三重野総裁など、日銀総裁は、ことごとく日本経済を悪化させたのではなかったか。

現総裁である福井氏至っては一体何をしたというのか。
日銀のプリンスとして登場した福井総裁であったにもかかわらず、ゼロ金利一つ解決できなかった。
インフレの番人であるはずの日銀(総裁)が最近の物価上昇に何一つ手を打てないでいる。

福井総裁と聞いて国民が思い出すのは村上ファンドで金儲けした事がばれて批判され、それでも辞任せずに粘った総裁ということぐらいだろう。

何故日銀総裁の人事がこれほど大騒ぎになるのか。それは一つには、天下り人事に固執する財務官僚の執念がある。

武藤副総裁は財務省にとってのエースであった。
本来ならば次官を辞めた後直ちに立派な天下り先のポストにつくはずが、世論の風当たりを受けて日銀副総裁にとりあえず身を潜めた。
しかしその時点で日銀総裁に復活することが財務省内では決まっていたのだ

もし、今回の騒動の結果、武藤氏が日銀総裁になれなければ、本人はもとより財務省にとって大打撃である。これ以上ないほどの挫折感を味わう事になる。人事がすべての官僚組織である。何が何でも武藤氏は総裁になりたい、財務省は総裁にさせたいのだ。

そんな財務省の強い要望を知っている自民党は、財務省に恨まれてまで武藤外しはできない。ましてや官僚との関係を重視する福田首相にとっては、これ以外の人選はなかったのだ。

(無風注:時々刻々と情勢は変化するので武藤氏の線をあきらめる前のブログであるが、内情が良く分かるブログなので載せた。)

今日はここで筆をおく。




続・最近の論調について

2008年03月14日 | Weblog
きっこの日記(3月9日)に「あなたは、もしもこれから死ぬまで、テレビかパソコン(インターネット)のどちらか片方しか使えなくなるとしたら、あなたはどちらを選ぶ」というのがあり、

1.テレビを選ぶ
2.パソコンを選ぶ
3.両方いらない

の三択投票の形をとっていた。

私は2.をクリックして結果を見るとテレビを選ぶ=7%,パソコン(インターネット)を選ぶ=88%と、私が思っていた以上にテレビを選ぶ人が少なかった事に驚くと共に、ホッとした。

というのは、毎日毎日こんなテレビの報道の仕方をされたら、国民は洗脳され愚民化される、と危惧していたからである。

きっこさんが言うように「どのチャンネルに替えても、薄気味悪いナンミョータレントだのインチキ霊媒師だのバカな芸人がウンチクを傾けてるだけで、もうウンザリ」だし、報道番組も政府の政策宣伝(政策賛成意見の人だけの討論会等)に終始している。

報道の仕方も、例えば
(引用開始)
「2008年度予算案は29日夜の衆院本会議で、民主党など野党3党が欠席する中、自民、公明両党などの賛成多数で可決、参院へ送付された。
今国会最大の焦点である揮発油(ガソリン)税の暫定税率維持を含む租税特別措置法改正案も併せて衆院を通過した。
これにより、福田内閣として初めて編成した08年度予算案は憲法の規定により年度内成立が確定した。
しかし、野党側は反発を強めており与野党対立が一段と深まった。
政府・与党は与野党の勢力が逆転する参院で、3月末で期限が切れる暫定税率を延長できるかどうか正念場を迎える。
野党側は、同日の採決で「徹底審議の上、年度内に一定の結論を得る」とした衆参議長あっせんが『ほごにされた』と受け止めている。(このクダリはOK)
民主党は、予算案と税制関連法案の参院での審議入りに応じない構えだ。…引用終り

そして、その後直ぐに起きた日銀総裁人事問題を続けて報道し、『日銀総裁人事に難癖をつけて政争の具にしている』とか『武藤氏は見識・人柄といい立派な人だ。それを財務省出身者だからと言って総裁はダメと“人格を否定”するとは民主党は何を考えているのか(政争の具と考えているのではないか)」との自民党の意見を映して、そこで報道を終わらせている

これでは、民主党が悪い。とのイメージを視聴者に植え付けてしまう。
又、各紙も下記のように…

(引用開始)
朝日新聞社説“日銀総裁人事 腑に落ちぬ不同意の理由”

注目の日本銀行総裁人事で、民主党は政府が提案した武藤敏郎副総裁の昇格に同意しないことを決めた。
他の野党も不同意の方針なので、きょうの参院本会議で人事案は否決される見通しだ。
福井俊彦総裁の任期切れが19日に迫っている。なのに政府は後任を決められない。なんとも異例の事態を迎えることになる。
私たちは民主党に対し、大局的な見地からこの人事を慎重に検討するよう求めた。きのう武藤氏らが国会で所信を述べてから時を置かず、不同意を決めたのは残念というよりない。

民主党には政局絡みの思惑があるのではないかとまで批判を展開しているが、穿ち過ぎだろう。

武藤氏不同意の民主党の決定を受け、福田首相は11日夜、記者団に「困りましたねえ。今度の人事は評判いい。専門家も経済界も賛成してます。本当に(反対の)理由がわからない。困ってます」と語った。…引用終り

民主党の反対理由:「財政当局からの独立性が保てない」『財政と金融政策の分離』が必要。(これについて詳しくは省く)

(もう一つ新聞より引用開始)

【主張】日銀総裁人事 民主は政争の具にするな(産経ニュース)

政府は次期日銀総裁に元財務事務次官の武藤敏郎副総裁を昇格させる人事案を国会に提示した。民主党は「武藤総裁」には反対の姿勢で、野党が多数の参院で同意が得られなければ、総裁ポストに空席が生じかねない。

 そのリスクを抱えながら、福田康夫首相は「政府としてベストの案」の提示を決断した。自らの責任で決着させる意思の表明として評価したい。

 民主党はこの問題を政争の具にすべきではない。独立性と中立性が求められる日銀総裁の人事を政局の駆け引きに利用している限り、参院第一党としての国政の責任は果たせない。

昨年の参院選勝利を「新しい民意」と強調したいあまり、反対のための反対を貫くなら暴論だ。執行部も一時は与野党合意を考えたのではないか。政府案受け入れの方向について、ぎりぎりまで党内調整を進めてほしい。

人事案は武藤氏のほか2人の副総裁候補に元日銀理事の白川方明京大大学院教授、経済財政諮問会議民間議員の伊藤隆敏東大大学院教授を提示した。財務省と日銀、学界の出身者を織り交ぜ、バランスに配慮した形だ。

民主党は次期総裁について、財政と金融政策を分ける「財金分離」が確保できるかどうかを判断材料にすると主張している。しかし、大事なのは政策決定の政治からの独立である。出身省庁と総裁としての資質を混同すべきではない。(無風注:この主張のおかしな点は他の機会に)

世界の金融市場は非常に脆弱(ぜいじゃく)な状況にある。米国の低所得者向けの高金利型住宅ローン(サブプライムローン)問題の余波で、株価や為替の動揺が続いているからだ。日本経済も平成14年からの戦後最長の景気拡大局面が終わりかねない岐路にある。財務省が発表した19年10~12月期の法人企業統計調査でも、企業の設備投資の低迷が明らかになった。

与野党対立を背景に総裁が20日以降、空席になる事態が起きれば、金融市場は政治と日銀の機能不全と受け止め、日本に対する世界の信任は大きく低下しかねない。市場の不安感はますます増幅されるだろう。
国会は早急に総裁人事を決着させる責務を負っている。事態打開に向けて、福田首相と小沢一郎民主党代表との党首会談も開くべきだ。…引用終り

(さらに“まともな意見”を載せているブログの人も、次の様に書いている。

Q:民主党は何故、日銀総裁人事に反対するの?

A:建前は、日銀の独立性の確保ですが、実体は平成20年度予算を自民党が強行採決したことに民主党が激怒して、対抗策として反対を掲げています。参院で多数派を確保しながら、これまでいいところ無しの民主党が、総裁人事を取引のカードにして自分たちの主張を通そうとしているのです。…引用終り

(前にも載せた天木氏のブログをもう一度引用)

(マスコミによる)猛烈な「論点はずし」が進んでいる。

その典型は菅直人と東国原宮崎県知事の道路財源論争をめぐる報道振りだ。

「地方を切り捨てるな」「地方の道路はどうしてくれるんだ」「暫定税率を廃止すれば財源はどうなるんだ」の攻勢の前に、菅直人は「道路をつくらせないとは言っていない」などと防戦一方だ。

あたかも「そのまんま東」が正しいかのような報道だ

ガソリン減税を言い出した民主党が悪者であるかのようだ

マスメディアの“殺傷与奪の権”を持っている政府が「中立」の報道を求めて以来、政府からの「中立」が必要だったマスメディアは、逆に、政府への「忠誠」を誓ってしまった。

本来、マスメディアの使命は「国民にとって重要な問題に対し、国民に判断材料を提供すること」にある。

従って、昔のマスメディアであれば、下記の様に報道していたと思われる。
(昔の報道の仕方は“世論調査”=国民の多数意見に基づいたものが多かった。)

「国民の68%(朝日調査・産経でも58%)が撤廃を求めている暫定税率(ガソリン税)を含む税制関連法案が今日衆議院で民主党等野党の欠席する中、自民・公明により『強行採決』されました。

このガソリン税はオイルショック時、2年間だけ税率を2倍にするという暫定法案であったが35年間という暫定とは思えない非常に長い間、国民の知らない内に延長されて来た。
今回衆議院で強行採決された税制関連法案は、国民が反対している『ガソリン税・軽油税の暫定税率』の継続を10年間延長する内容を含む租税特別措置法改正案などで、これが成立した場合、今後10年間にわたって総額59兆円の道路特定財源が確保される。」(無風注:この金額も古い資料を基に出した国民に対する詐欺的数字)

昔だったら、このような内容の報道になっていたと思われる。

更に、解説としてブログに盛んに書き込まれている、下記の様な記事も載ったはずである。

ガソリン税を倍とり続けたおかげで、下記の様なムダ金を使い放題使っているにも拘らず、道路特定財源は年7000億円~8000億円の“余り”が出ている。(会計報告)
また、国交省に設けられた改革本部が調べたところ、道路特定財源から50団体への支出は06年度で総額673億円。
同年度末時点での国交省からの天下りは1261人(非常勤、職員含む)だった。50団体のうち給与規定のある29団体を調べたところ、高いところでは年収
2000万前後、29団体の平均は1600万円だった。

年収1600万円もやや高めだが、天下りの場合、何年か勤めて数千万円の退職金を貰い、次の天下り先へと何箇所か渡り歩くケースも多い。

(灰色のベンチさんから引用)

天下り退職元役人リスト

(カッコ内は退職金)

以下の7人だけでも総額44億1640万円が、すべて税金&年金から払われています。

一人平均6億3090万円ですね。

(1)K氏(73歳)総額8億6680万円

厚生省時代4億668万円(8588万円)
+社会福祉・医療事業 団副理事長・理事長(1826万円)
+公害健康被害補償不服審議会会長1億6138万円
+健康力つくり事業団・全国国民年金福祉協会理事長 7712万円(1363万円)


(2)Y氏(76歳)総合計8億289万円

厚生省時代4億7135万円(8,523万円)
+環境衛生金融公庫理事長時代2億829万円(3,127万円)
+全国社会保険協会連合会理事長7425万円(1,115万円)
+国民年金協会理事長4,900万円

(3)YK氏(72歳)総合計7億9238万円

厚生省時代4億8919万円(8588万円)
+厚生年金基金連合会理事長2億419万円(3,066万円)
+(財)厚生年金事業振興団理事長9900万円(1,486万円)


(4)KJ氏(61歳)総合計5億3623万円

旧厚生省時代5億1148万円(8,423万円)
+年金資金運用基金理事長2,475万円(371万円)

(5)IM氏(61歳)総合計5億3096万円
役所時代5億1033万円(6,235万円)
+全国社会保険協会理事長2,063万円(310万円)
※IM氏は医師なのでキャリア官僚と同等として試算

(無風注:灰色のベンチさんは実名で公表)…以上引用終り

もう一度言います。すべて我々の税金と年金から払われています(無風)

無駄使いは色々報道されてご存知だと思いますが、

(引用開始)
1月29日のTBSは特定道路財源を使って国交省が大阪の地下駐車場を作っていた事を報道していた。多くの駐車場が既に多く存在する大阪市街の真ん中に、100億円もかけて200台の地下駐車場をつくっているのだ。一台あたり5000万円の建設コストはべらぼうに割高だという。しかもその経営が天下り先の財団法人である。税金でつくった駐車場の収益が国庫に返納されずに天下り役人の収入となって懐に入っているのである。こんな事は報道でもされない限り一般国民は誰も知らないであろう。知らないところで我々の税金が私物化している。
これこそが今の日本に蔓延している泥棒国家の実態である。(無風注:タバコの成人カードも同じ。わざわざ「日本たばこ協会」を作り収入源としている)…引用終り

道路特定財源で自動車が2千数百台/年購入されたが、その内の1000台が「道路視察の為」と称した高級自家用車(高級外車)を自分の車としている、といった使われ方なのだ。(国会で指摘され問題になったこと)
旅行とかマッサージ器具とかへの使用は周知の通り。(すべて氷山の一角)

■国民を無視して35年間も国民から倍取りしてきた暫定法を国民の文句が出ないように「10年間延長してしまえ」とした改正案を強行採決したのに、マスメディアはそれを少しも国民に開示しないどころか(批判しないどころか)、衆参両議長の斡旋案を無視した自公政権に対抗する手段をとった民主党を責める報道に徹している。

民主主義が崩壊しているのに何もそれを指摘しないマスメディア。

とんでもない世の中になったものだ。続きます。

最近の論調について

2008年03月12日 | Weblog
寄せられたコメントに対しては失礼だが返事をしないことを原則としている(要は、自分が年寄りで議論を交わすほど頭が回らない)のだが、多少返事をしたいコメントが来ていたので、書いてみる。

コメントの内容:私の日記に書いた「埼玉県の上田清司知事が言ったように『
自衛隊(軍隊)は人殺しの訓練をしており大変』なので…」に対して

上田知事はすぐに謝罪しています
さすがに「人殺しの訓練」なんて酷い事をおっしゃいましたからね
自衛隊を人殺しの訓練と言うのなら、警察官だって人殺しの訓練をしていますよ(射撃訓練等)
軍隊の目的は「殺人」ではありません
敵の脅威の無力化です
…中略…
無風老人さんは「人殺しの訓練」という発言を容認されているようですが、そのような発言を容認することは、自衛隊員(その家族)に対するいわれなき差別を生むということを何故理解できないのでしょうか?
今では少なくなりましたが、昔は自衛隊員の子供が学校の教師に差別されたという事が少なからずありました
「世界の平和」を望むが、自衛隊員は差別されてもかまわないという事でしょうか?…以上コメント終わり


私(無風老人)の意見です。

まず、最初に(これは大した事ではないのですが)、「上田知事はすぐに謝罪しています」といわれていますが、新聞記事等を見ると次の様に言ったのです。

「上田知事は記者団に『殺傷という言葉を使えば良かったかもしれない。分かりやすくなり過ぎて、きつい言葉となった』と釈明した。」…読売新聞

「殺傷」とは「(人を)殺したり、傷つけたりすること」と辞書にあり、上田知事の「考え方」は表現の差さえあれ何一つ変っていないのです。

それを「上田知事は謝罪している」と言って許していいものなのでしょうか?そして、その言葉を引用した弱者の老人を批難するのは「?」マークが付きます。

次に、下記のブログを見て下さい。

(引用開始)
■[軍事]ネットでよく見る自衛隊たたきへの反論

ときおりネットをなにげにぶらついていると奇妙なサイトに出会う。
具体的にはどのようなものかというと、かつて社会党が主張していたような「自衛隊とは別に災害派遣隊を創設せよ」といったような主張である。

未だにこのような主張をする人がいるのかと驚く反面、多くの人が様々な論拠を示してその人を諭そうとしているのを見て少し安心もする。

同じように多い勘違いは「自衛隊は人殺しの集団、暴力組織」というものである。
これに至っては呆れを通り越して怒りすら覚える。

目的と手段(それも手段におけるごく一部)を取り違えた上で、さしたる論拠もなく感情的に罵るわけである。
こういった人に限って、自衛隊についての知識は乏しい。
学校の偏った教育や、漫画・小説などのデフォルメされた軍人像を自衛隊に投影しているだけである。

これについても多くの人が様々な論拠を示して対話を試みているが、なにぶん思いこみで話す人が相手では理が通じることは少ない。

もちろん自衛隊に対する賛否に係わらず勘違いや記憶違いをしている人はいるのだが、どちらかというと賛成派の方が理にかなった疑問の呈し方と知識に対する客観的な見方を持っているように思える。

かくいう私もその職場に身を置きながら、未だに日々学ぶことの多き身であるから、偉そうなことを言うのも心苦しいのだが、ほんの少しでも自衛隊に対する理解を深めてもらい、その上で賛否の議論をしてもらいたいと思い、ここにすこし書き込むことにする。

もちろん自衛隊の中の人間の言うことなので、一部我田引水になるような面はあるかもしれない。またこちらがわかっているのでつい省略してしまい、ここを読んでくれている人には疑問に思える点などもあるだろう。
その点はコメントなりを活用していただき書き込んでいただければ、可能な限りお答えしたいと思う。
ただし職務上の守秘義務から一部回答できないこともあることをあらかじめお断りしておく。

○「自衛隊は違憲である」

よく見る意見であるが「違憲という意見もある」という段階にすぎず、現段階では「違憲」という政府の見解は取られていない。
憲法自体が英語を日本語訳したため、やや曖昧な表現が多いのは事実であるが、曖昧であるが故におこる勘違いといえる。
これに関係して憲法9条違反であるという意見もよくあるが

憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この中にある「国権の発動たる戦争」は、最初にある主語の「日本国民は」から考えると、普通は「日本自らの意志による国権の発動たる戦争」と解釈すべきであり、同様に「武力による威嚇又は武力の行使」も「日本が自らの国としての意志で行う武力による威嚇又は武力の行使」と解釈すべきである。なぜならば、相手国の戦争の意志の発動を日本の国内法で規制することは不可能だからである。

よって相手から攻められた場合の防衛行為として反応する戦争は条文からも否定されていないことになる。

こう読めば2項にある「前項の目的を達するため(中略)認めない」は、自衛のための戦力を持つことを妨げないと解釈できるわけである。

すなわち自衛を目的とした「自衛隊の存在」は違憲とはなり得ない。
(脱線:憲法解釈は「政府の都合で変えられる」とよく否定的に言われるている行為ではあるが、そういう否定的な意見を持つ人に限って、都合よく解釈を変更出来ない明確な憲法への改正を拒む。非常に不思議な行為である。)


○「自衛隊を災害派遣せずNGOや新組織の災害派遣隊で対応すべし」

 これについては、「もし出来るのなら理想かもしれないが、現実には実行が極めて困難、いやほとんど不可能な上に危険である」と言わざるを得ない。

以下、理由を述べる。

 なぜ自衛隊が災害派遣に用いられるのか?

 まず第一に「予算」の問題である。予算は有限である。

新組織にまわす予算がないなら自衛隊を削って災害派遣隊に、という意見もあるようだが本末転倒であると言わざるを得ない。

 自衛隊の本来の任務は「国防」であり、その規模・装備・訓練はこれを主体に決定されており、民生協力や災害派遣は副次的な任務として、前述の本来の任務に必要な規模から一時的に捻出している。

自衛隊の規模は「独立国として必要最小限の基盤的な防衛力を保有する」といういわゆる「基盤的防衛力構想」から成り立っている。

よって自衛隊を削減してその分を「災害派遣隊」にすると、非災害時における防衛に対する必要最小限を割り込んでしまうのでこれを減らすことは不可能なのである。

こうなると別立てで予算を取って「災害派遣隊」を設立することが必要になるが、現在の日本の財政状況ではこれが極めて難しいのは、自衛隊の中の人間よりも外にいる人たちの方が実感しているのではないだろうか。

 次に体制、能力そして規模の問題である。

 まず体制の問題であるが、災害はいつ発生するかわからず、これに即応するには常時待機する体制が必要とされるのは、昨年発生したいくつもの災害からも明らかである。

対応が遅れれば被害は飛躍的に拡大する。

すなわち「災害派遣隊」が編成され常時待機となった場合でも、不測の災害以外には何も使えないことを表している。

 第二に能力の問題である。災害派遣とひとくくりに表しているが、近年の大きな災害派遣だけでも見てみるとこれが単純なものでないことがわかる。

大きな所では雲仙普賢岳噴火、地下鉄サリン事件、兵庫県南部地震、東海村臨界事故、昨年では京都鳥インフルエンザ、幾つもの台風災害、中越地震、スマトラ震災など。

また細かいところでは日常的に行われる離島での救急患者の輸送、消火支援、豪雪災害支援などなど。

まさにあらゆる災害に対応している。

派遣名だけを見れば、対応できると思う人もいるかもしれないが、特に自然災害は単純なものではない。

台風が来れば風で停電し、雨が降れば地盤がゆるみ地滑りが起き道路は寸断され、いわゆるライフラインは途切れ、漏れたガスが爆発したり、詰まった下水道が衛生状態を悪化させたりする可能性もあるし、他にも予想できない2次・3次災害が発生する可能性があるのはおわかりなことだと思う。

実際、雲仙普賢岳噴火では、自衛隊の一部の部隊が火砕流に巻き込まれかかり間一髪で脱出する状況も発生している。

これら全ての状況に対応する能力を持つ組織を一朝一夕で立ち上げることが出来るのだろうか?

準備しているこの今現在でも災害は起こる可能性があるのだ。

 そして規模の問題である。

災害時は当然平常の状態ではない。ライフラインの寸断はもちろん、道路の状況によっては物資の輸送も滞る。

救助に使う器材が壊れても、持ち込んだら修理してくれる自動車工場などが稼動している可能性は低い。

水も出ないことが考えられるが、給水車も悪路を移動してくれば故障する可能性がある。

地域警察・消防なども被災地域に存在する以上、停電や道路の寸断、ライフラインの障害の影響は免れない。そもそも彼らの保有する各種車両や装備の大部分は、インフラが破壊された場所での使用は想定していないのである。

 このような状況で被災者に対して食料や応急的な生活環境を、可能な限り大規模かつ公平に提供するための災害支援に必要とされる人員の規模はどれくらいになるのだろうか?

上で述べた以外にも、被災者の捜索・救助、給水施設の運営、食料の炊き出し、救急医療、被災地以外との連絡の確保、2次災害防止のための偵察、行政との連携なども平行的に進める必要がある重要な仕事である。

しかもこれを継続するためには、救助する側はインフラを当てに出来ないばかりか、自体の交代要員などの予備が必要である。誰かが風邪で寝込んだり怪我をしたせいで給水できない、捜索できないというのは論外だからである。

普段は整った社会資本に任せきりになっている部分を、全て災害派遣隊やNGOで行わなければならないのである。当然被災者の支援を疎かにすることが出来ないのは自明の理だ。

これらを解決するには、極めて大きな規模の組織が必要となることがおわかりいただけただろうか。

自衛隊は現状これらに対してベターな対応が出来る組織である。

予算は防衛費として元から計上されており、体制は国防自体が常時待機なので変化はない。

自前で応急の浄水施設から土木機械、ヘリコプタ、医療能力まで保持しており、特別な体制を取らなくても自然に活動できる。

もともとが「有事」という緊急事態を想定しているから、インフラが破壊されていても活動能力は低下しない。

物理的な規模も、自衛隊の元々の任務が局地的災害対処ではなく、国家防衛戦争対応のためなので災害救助に必要な規模と比べれば十分大きく予備もある。

自前で悪路を踏破できる各種輸送力を持ち、ヘリコプタなどで道路が完全に崩壊していても活動が可能だ。海空の自衛隊も加えれば更にその能力は向上する。

そしてこれらの被災者支援をバックアップする装備・人員のための各種整備・補給の能力まで保有、そのキャパシティーは必要とあれば警察・消防までサポートできるほど十分な余力がある。

使えるものは効率的に使う、当たり前のことである。

早く動くことができ、多くの状況に対応可能で、人数も多く、様々なことが出来る。

しかも自前で食事・燃料・水まで用意でき、多くの場合自分たちの食べる分など後回しにしてその能力を被災者のために使用する。

おまけに追加の予算は基本的にかからない。

これだけ便利な自衛隊を使うことになぜ反対するのだろうか。

自衛隊は違法だから、彼らは軍隊だから、という妄言は現実の前に吹き飛ぶ。なぜならば被災地の住民に当座必要なものは、一刻も早い救助・支援であり、議論を尽くして「支援する側が」納得して出てくることではない。

彼らはまさにその瞬間に生死の境にいて、助けを求めているのである。

また場当たり的に支援を行った場合、下の「脱線」で書いたような一部マスコミの危険地域への取材のような結果になりかねない。

自らの身を様々な危険から守る術を持たないNGOなどが支援を行った場合、結果として危険を招くおそれがある。

イラク支援などで有名NGO等が撤退しているのは、そういった危険を冒してイラクで支援をするよりも、より自分たちの支援が安全かつ有効に機能できる場所へ全力を傾注するという意味、すなわち全世界的視点のNGO活動から見れば極めて妥当な判断である。

…中略…

○「自衛隊は殺人集団だ」

私も小学生の頃こういわれたことがある。今思えば日教組系の教師だったのだろうが、差別はいけない、平等が大事と言った口で「おまえは人殺しの子供だ」などと罵られた。(私は父親も自衛官である)

子供ながらにあまりの無体ぶりに「どんな証拠があるんですか」と反論しては見たものの「自衛隊は人殺しの訓練をしている、だから自衛官は殺人者で、その子供は人殺しの子供だ」と今にして思えば目をつり上げて口から泡をとばしてキンキン声で怒鳴られると、小学生ではいかんともしがたいものがあった。

さて上記の暴論に関しては既にネット上で同じような反論が無数にされているが、あえて繰り返させてもらえば、目的と手段の混同というものがその第一の原因となっている。

さらに言うならば、
 ・自衛隊は組織として殺人を行ったことはない。(歴史上の事実)
 ・自衛隊は訓練で殺人の訓練はしていない。(目的と手段の混同)
ということである。

自衛隊の目的、存在理由は「我が国の平和と独立を守り国の安全を保つ」である。


一般的に国という場合には、よく反対反対と叫ぶ人たちが言うような「国家体制」「政治家」「思想」などではなく「国民と国民の居住する国土」を指すものである。

つまり国民の生命、財産を守ることが主要な目的なのだ。

戦後60年、日本は戦火に見舞われずその時を刻んできた。

すなわち組織的な戦闘を戦後は経験していない。自衛隊は戦後生まれの組織なので当然戦闘は未経験で、戦闘していない以上人を殺してはいない。
やってもいない殺人の犯罪者扱いというのは侮辱ではなかろうか?

しかもこの後述べるが、戦争における敵軍に対する行為は殺人行為ではなく戦闘行為である。そもそも殺人という概念ではない。

殺人集団云々にいたっては大間違いである。
我々が行うのは戦闘(戦争)であり、そのための訓練である。

つまり戦死者と殺人の犠牲者(被害者)はまったく異なる。

まして自衛隊が戦闘をするのは日本防衛のためであり、防衛戦争である以上は相手から仕掛けられたはずで、当然相手の軍も武器を装備している。武器を持って攻撃してくる相手を倒すのは正当防衛である。

正当防衛と殺人は刑法上まったく異なっているのはお分かりだろう。
よって自衛隊が戦闘で相手を殺すのは殺人ではない。
(実際はこのような論法でなくとも殺人ではないのだが)

やってもいない行為をやったかのように叫んで非難するのを一般には

「誹謗中傷行為」

というのではなかろうか?

反対意見を述べる人たちは少なくともこれらの法律的事項を学んだ上で、意見を発していただきたいものである。

我々はどこでもない、法治国家日本の住人なのだから。

以上、ネット上で数多く見る行為について少し述べてみた。…以上引用終り

■「自衛隊は殺人集団だ」というところだけ引用しようと思ったのですが、ほぼ全文になってしまいました。略した処に興味のある話が載っていたが、私の意見を載せる前にブログの字数制限に引っかかりそうなので、割愛させてもらった。

話を本題に戻すが、この人が経験された“先生の言葉”はひどいものである。こんな先生がいたなんて本当に許し難い。子供を教育する資格のない教師失格者である。

私が子供の頃住んでいた市にも大きな自衛隊駐屯地?があって、私が通った小学校でも何人か自衛隊員の子供達と一緒だった記憶があるが、日教組と思われる先生達から、その様な態度は見て取れなかったし、逆に「親の職業により(その子を)差別してはいけない」といわれて育ったものである。しかもこれは自衛隊員の子供に向けたものでなく、当時は未だ貧富の差が大きかった故の先生の“教え”であったのだが…。

今の自衛隊員の人で、子供の時に先生から『殺人者の子供』と言われたことがある人は多いのだろうか? 上記、先生の言動は「信じがたい」言葉であり、子供に対して「あるまじき」行為である。

ただ、ここで言いたいのは、コメントで「差別」という言葉を使っていますが、この先生の場合は「いじめ」が正確な表現です。

何故、区別したかと言うと「差別」は差別・学歴差別等で分かるように、支配者層が体制維持・強化の為に被支配者層の中に弱者を作りだす施策から生まれてくるのです。

従って、例えば自民党が一党独裁的に政権を担い、長期化したため(政権交代が無かったため)に生じている腐敗した諸問題を批判し、だらしないし、やっているとは到底思えない「外交」を批難する行為を、あなたは自民党員に対する「差別」だ、自民党議員や自民党員が可哀相だ、と言いますか?

安倍前首相が真実を言っています。「私はこの国の権力の頂点にいる」そして、自衛隊も、その権力の頂点にいる内閣総理大臣が「総指揮権者」の組織なのです。

コメントされた方の自衛隊「差別」発言は、私が先日の日記で書いた「二者択一の罠」(3月5日)に直結します。

即ち、

自衛隊員の差別を続けるのか、憲法を改正し自衛隊を正規軍隊(自衛軍)にして差別を無くすのか、国民はどちらを選ぶのですか?


■自衛隊員の方たちは、殆どの方が掲載ブログの方のように「国民の生命、財産を守ることが主要な目的」と考えられて気概に燃えておられるものと思われますが、総指揮権を有する首相・政府(自衛隊は政府の指示によって動く)は隊員の意志・気概に反し、別の方向で使おうとします。

自衛隊の方の台風等災害時の活躍をニュースで見て育った私(それが“愛される自衛隊”のイメージつくりの為であろうが)は、風雨の中、危険が一杯の中で堤防決壊に備え土嚢を積み上げる自衛隊員の映像を見ながら、これが本当の「国民の安全を守る」行動であり、武器などではなく救助器具等を持った『科学レスキュー部隊』であったらいいのに、と子供ながらに思ったものです。

この「先生によるイジメ」は論外ですが、現在、自衛隊は最高裁でも合憲とされ、共産党も自衛隊は「合憲」としているのです。
それを、憲法を改正して…云々という政府や産経新聞の論調には「国民」として充分警戒する必要があります。

差別ではなく、自衛隊は「国民の安全を守らない」とするブログは多いので読んでみて下さい。

参考までに最近のブログを幾つか挙げて置きますので、クリックして読んでみて下さい。

きっこのブログ~東京大空襲

きっこのブログ~本当の加害者と本当の被害者

ニッポン チャチャチャ!~僕がこの国で戦争に反対する理由



日本人の秩序感覚1

2008年03月11日 | Weblog
私的に忙しく、日記を書いている暇もなくなっている。勿論、他のブログやニュース等を見ている暇もなくなっている。ただ「貧すれば鈍す」にならないように、今、寝る時に少しずつではあるが「近代日本の精神構造」(神島二郎著・岩波書店1961年初版)を読んでいる。

神島 二郎氏は、東大法学部卒の政治学者で丸山眞男と柳田國男に師事し、両者の業績を架橋したと言われる。戦争に敗れた衝撃から、近代日本の歩んだ道筋を追究した。神島が提唱した「第二のムラ」という概念は近代日本史を解くキーワードの一つと評価されている。

家永三郎が「造語と注釈が多く、何を言っているのかサッパリわからん」と評したように難解な書であり、神島氏の言いたいことを全部分かって応用することは困難だが、その大量の注釈には興味ある引用が満載である。

これからは、この本で「聞きかじった」いや「読みかじった」知識を利用して日記で「私の意見」として載せて行きたいと思っている。

今日は本に書いてあることのサワリのサワリ(注釈)をひとつ紹介しておく。

私の日記の最初の方で取り上げた「憲法」や「教育基本法」改正の是非の議論の中で、改正賛成意見の代表的のものとして下記意見があった。

戦後の日教組の左傾教育により教育が荒廃し「左翼の自虐史観」で自信を持てなくなった子供、公徳心を無くしてしまった子供が「自分の国を誇れるよう,愛国心教育・公徳心教育」を!

これが、教育基本法を改正しなければいけない、理由でした。

また、憲法については…

「憲法改正の根底にある考え方は、近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず「利己主義」に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、われわれとしては(日本国民一人一人の)共同体における責務を明確にする方向で、新憲法における規定を考えていく。」…政府の調査会

この「懸念」が憲法改正の根底にある理由です。(国民としては、“懸念”で権力を縛る憲法を改正され国民を縛る単なる「法律」にされたのでは、たまったものではありません。)

■50年近く前に書かれた同著には「明治の末年以来『道義の頽廃』『公共精神の欠如』『愛郷心の衰退』『国の元気の不振』『地方自治の不振』…(中略)…が言われ」と書かれてある。これだけ見ても教育基本法改正の根拠「子供の公徳心の欠如・愛国心の欠如が戦後の日教組による左傾化教育・自虐史観教育のせい」でないことが分かる。又、この本を読むと「家族や共同体の破壊」が起こったのが、決して今の憲法のせいでないことがよく分かるのだが、その詳しい内容は後ほど。

(同著の内容を少々…)

※いかなる時代の秩序感覚も、その時代時代の「経済的基盤」に基づいて形成される。
しかるに、明治維新によりヨーロッパ資本主義文明の摂取を余儀なくされ、それまでの日本古来の秩序感覚(自給自足的経済基盤からなる自然村的秩序感覚と支配側の武士道精神・倫理観)が置き去られてしまった。これが「国家の品格」藤原正彦氏の現在取り戻さなければいけない、としているものであるが、この点については後に回す。

※資本主義文明の摂取の仕方は、幕末維新には「和魂洋才」に求められたが、明治に入ってこれが「採長補短」となり、大正には外来文化の「同化」(消化)に進み、昭和には「日本化」を要求するに至る。…サワリのみ…終わり

無風注:上記「」した箇所にそれぞれ『注』がうってあり、章の終わりにひとつひとつ出典や解説が載っている。『注釈』だけ見ていても飽きない。

内容が豊富であり、又、日本政治思想史として体系立てようとしているが、完全に確立された著とはいい難く、更なる研究が必要な分野であるため、とても一辺に「こういう本です」と紹介することは出来ないが、今後、少しずつ使わして貰おうと思っている。

■ただ、ここで言っておきたいのは、藤原正彦氏が指摘するように「捨て去られた」のではなく、自然村的秩序は藩閥・学閥等に、又、武士道精神は軍隊や天皇制ファシズムの中に変形し脈々として残ってきたのであり、終戦後も同様である。

同著にも書かれているように、秩序感覚はその時代の経済体制を基礎にして出来上がるのであり、昔の「武士道精神」をまた現在に取り入れようとするのは間違った考え方であると言える。

今の新自由主義・資本主義経済のもとでの秩序感覚は西洋と同じ「民主主義」であり「立憲主義」であり「法治主義」でなければならない。
その精神を子供達に教育していかなければならない。そのためには利権ばかりをあさって法律を無視している政治家がまず範を示さなければ、公徳心・道徳・愛国心といった秩序感覚は育つはずもないのである。









「二者択一の選択肢」の罠

2008年03月05日 | Weblog
私の日記は「ものの見方・考え方」を書いて行こうと思って始めたので、毎日更新するような内容ではないのだが、毎日毎日マスメディアの報道の仕方や政府の言っていることを聞いていると、本当に多くのことを言いたくなって毎日の投稿になってしまっていた。

なるべく、基本的な考え方から述べていきたい、と思っている。

先ずは、伊藤塾の塾頭、伊藤真氏のブログから…。

(引用開始)

家族を守るために『戦うのか、戦わないのか』という質問の罠(伊藤塾 伊藤真)

先日、ある講演会でこんな質問を受けました。

「あなたは軍隊を持たない、戦わないというが、それでは、家族を見捨てるというのか。」

このたぐいの質問はよく受けますし、軍隊を持ちたいと考えている人にわりと多い思考方法ではないかと思います。

つまり「自分の家族(無風注:親・夫・妻・子・兄弟姉妹・親族・友達・恋人・日本人・国)を守るために戦うのか、それとも戦わずに家族(同注)を見捨てるのか。」という2者択一形式の質問です。

この質問形式はいろいろと応用されます。

「外国から攻め込まれたときに武器をもって戦うのか、それともみすみす見殺しになるのか」

「9条を変えずにこのまま中途半端なままで過ごすのか、それとも改憲してはっきりさせるのか」

「いつまでもアメリカの言いなりになっているのか、軍隊を持って真の独立国家となるのか」

など、いくらでも応用できます。

こうした質問をされるとちょっと怯(ひる)んでしまう人がいます。

まじめに相手の質問に答えようとすると、その質問の罠にはまってしまうからです。

実は、この質問の仕方は、自分の望む方向へ回答を誘導するときに使われる、ありきたりの使い古された手法です。

いわば、いかがわしい霊感商法や新興宗教の勧誘と同じなのです。

「この壺を買うか、それとも不幸になるか、あなたが選択してください。」

「私たちの教えに従って快適で希望に満ちた生活を送るのと、苦しい地獄に堕ちることが決まっている生き方と、あなたはどちらを選ぶのですか。」

無風注:「消費税を上げなければ社会保障が出来なくなる」
消費税を上げるか、社会保障を無くすか、貴方はどちらを選ぶのですか

    「暫定税率を廃止すれば地方に金が回らない」
…ガソリンを安くして庶民の負担を軽くするか、地方を切り捨てるか、あなたはどちらを選ぶのですか

暫定税率の問題は国民や地方に格差社会を作り出した政府(政権政党)が、マスコミの世論誘導もあり、財源をどうするのかと民主党を責め、その被害者である「庶民」と「地方」の対立にスリカエている。

天木氏のブログ:ごまかされるな!問題の核心は国民の負担を減ずる事だ

猛烈な「論点はずし」が進んでいる。

その典型は菅直人と東国原宮崎県知事の道路財源論争をめぐる報道振りだ。

「地方を切り捨てるな」。「地方の道路はどうしてくれるんだ」、「暫定税率を廃止すれば財源はどうなるんだ」の攻勢の前に、菅直人は「道路をつくらせないとは言っていない」などと防戦一方だ。あたかも「そのまんま東」が正しいかのような報道だ。ガソリン減税を言い出した民主党が悪者であるかのようだ。

(東国原知事に対し)ふざけるんじゃないぞ、どっちを向いてしゃべっているんだ。
お前が文句をいう相手は政府であり自公政権だ。
なぜ宮崎の道路が遅れたか。それは自民党、政府、建設省が宮崎県の道路を後回しにしてきたからだ。
宮崎出身の族議員が弱かったからだ。

お前が真っ先に文句を言うべき相手はそいつらだ。
予算編成権限もない野党の民主党相手に何を大声をあげているんだ

情けないぞ民主党。なぜガソリン減税一本で攻めないのか。国民の大多数が望んでいるのは減税だ。
野党が攻めるべきは官僚の税金泥棒それをかばい続ける自公政権だ。それこそが国民の渇望している事なのだ。それこそが政権交代の王道なのだ。

それにしてもふざけた話だ。20日の朝日新聞に「国際連帯税」などというあらたな税金を導入しようとする超党派の議員連盟が発足したという。
国際機関などの資金に充てるため、国境をまたぐ経済活動へ課税するという。

そういえば道路暫定税率を廃止するかわりに「環境税」を導入しろという意見を真顔で唱える国会議員が多かった。

もっともらしい名前をつければいいというものではない

税金は税金だ。国民が働いて収める血税だ。

税金はすでに十分すぎるぐらい複雑、多様化して国民を苦しめている。
これ以上一切の増税、新税を許さないというのが正しい政治だ。政治の原点だ。

政治家はどいつもこいつも本気で減税を行おうとする者はいない。なぜならば彼らこそ我々の税金で生活し、税金をつかった政策で飯をくっているからだ。金を使うのではなく頭を使って、少しは国民の為に良い事をやってみろ。

収入が増えないのに物価は上昇の一途だ。しかしそれでも国民はやりくりしている。生きていかなければならないからだ。政治家は甘えすぎている。政治家になろうとする連中は大きな勘違いをしている。…無風注:天木氏のブログを見られた方なら普段の冷静明晰な言い回しをする言い方と違ったブログだと感じられたはずである。これは天木氏の怒りの声である。…天木氏の引用終り

(伊藤塾のブログ引用再開)

内容はなんであれ、こうした質問の仕方がフェアではないということです。

ですから、こうした質問方式をとる相手は、注意した方がいいということです。

こうした質問方式は、回答者の思考を限定し、回答を一定方向へ誘導するときの常套手段です。

さまざまな条件を捨象していますし、勝手に一定の条件を設定してその中でしか回答を許しません。

これでは、回答者が第三の回答をしたいと思っていても回答できないのです。

冒頭の質問では「自分の家族を守るために戦う」ということが前提になっていますが、戦うことが本当に家族のためになるのか、戦死する危険を負う行動が残された家族のためになるのか、その前提に納得できない人は多いでしょう。

また「戦わずして家族を見捨てる」という後段ですが、ここも戦わないことが家族を見捨てることになるのか、いや、むしろ戦わないことが家族にとって安心であり、家族とともにいることがもっとも家族を守ることになると考える人もいるはずです。

こうした人はこの質問には2者択一では答えられません。
というか答える必要がありません。
ですが、ぐずぐずしていると、「それみたことか、答えられないじゃないか」とたたみかけられてしまいます。

「私は自分の家族を守るために戦わないという選択をします。逆に質問しますが、あなたは、9条を捨てて家族が戦争の犠牲になって殺されるのと、このまま家族が安全に暮らせる社会とどちらがいいですか。」と切り返せばいいのです。…引用終り

(無風注:最後の切り返しに納得の行かない人は「伊藤塾」の一連のブログを見て下さい。「武力による防衛」「改憲=戦争ではない、と言う人への反論」 「軍隊を持たないで攻められたらどうする、を検討する」等)

書いている時間がなくなったので、今日はここまで、とします。