無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

基本に戻れ!

2012年02月09日 | Weblog
書きたいことが一杯貯まって、何から書こうか迷って私の日記を見返してみたが、私の単純な頭のせいなのだろう、言いたい事(=「私の主張」)は極めて限られていることに気付いた。

そして、毎日のニュースに騙され=マスコミの土俵に上がらされて、あれもこれもと時事評論・マスコミ批判をしてみても“詮無き事”だと。

つまり、今書かなければならない一番大切なことは明治維新以降140年、戦後からでも65年間癒着腐敗した政官財の「財」の一員であるマスコミ報道の呪縛から日本国民を解き放つキーワードを見つけ出し発信することだ、と改めて確認できたのだ。

もうマスコミが撒き散らす病原菌に80%~90%の日本国民が感染してしまっている。
その症状例を挙げていったら切りがない。だが、病原菌を撒き散らすマスコミを退治しない限り日本国の治癒=破滅への道からの回復は有り得ない。そう「目覚めた有権者」=国民はまず第一にマスコミ退治から始めなければ何事も前には進まない、問題解決には向かわないのだ。

何回も掲載している戦後3~4年に書かれた「民主主義」(文部省作成教科書)は、戦前の軍国主義・全体主義の反省に立って書かれているため非常に示唆に富んでいる。青色で表示して引用しながら話を進める。(まだテレビの無い時代なので私が今風にアレンジして書いている)

今日の社会には世論を伝えるメディアがいろいろと発達している。
テレビ・ラジオ・新聞・週刊誌・オピニオン誌等の雑誌など。

しかし、 テレビ・新聞やラジオ・雑誌などのマスメディアは、用い方一つで世論を正しく伝える代わりに、ありもしない世論をあるように作り上げたり、ある一つの立場にだけに有利なように世論を曲げて行ったりする非常に有力な手段ともなり得る。

もしも、自分たちだけの利益を図り、社会の利益を省みない少数の人々(支配者層)が、酒と女と金でテレビや新聞や雑誌を買収し、一方的な意見や有りもしない事実を書き立てさせるならば、国民大衆が実際には反対する様な事柄を、あたかもそれを欲しているように見せかけることができる。

そうして、国民の代表者がそれに騙されるだけでなく、国民自身すらもが、いつの間にかそれをそうだと思いこんでしまうことも稀ではない。
人々は、その場合マスメディアの宣伝報道=プロパガンダに乗せられているのである。


戦前の国家体制・国民意識が生々しく残っている時に書かれた教科書であるが、今のマスメディアの国民に対する情報操作・世論誘導・マインドコントロール(洗脳)と通じるものがある。

だからマスメディアの報道の正体をよく摑み、それが本物であるか、偽者であるかを明らかに識別することは、民主国家の国民にとっての非常に大切な心がけてある。…

日本国民に大きな悲劇をもたらしたあの太平洋戦争でも、政府や軍部が権力と金とを使って宣伝報道したために、初めは「戦争をしたくない」と思っていた人々も、だんだんと「戦争をしなければならない」という気持になり、「戦争に協力するのが国民の務めだ」と信ずるに至った。

実際には負け続けてばかりいたのに、まことしやかな大本営発表などというものに欺かれて、“勝ちいくさ”だと思いこんでしまった。

戦争がすんで、これほどまでにだまされていたのかとわかっても、あとの祭であった。

政府・軍部・マスメディアによる宣伝報道の力の恐ろしさは、日本国民が骨身にしみるほどに知ったはずである。



社会生活の基本的な自然律を話す前に、「マスメディア退治」が今一番最初に国民がやらなければならないテーマなので、マスメディアの国民に対する大犯罪に気が付いて欲しいと思い最初に書いている。


現代の発達したマスメディアで一番大きな役割を演じているのは、テレビ・新聞・ラジオ・週刊誌である。中でもテレビ・新聞の持つ力は最も大きい。
テレビ報道・新聞記事は、世論の忠実な反映でなければならない。
むしろテレビ報道・新聞記事は確実な事実を基礎として、世論を正しく指導すべきてある。
しかし、逆にまたテレビ・新聞によって世論が捏造されることも多い。

(中略)テレビ報道・新聞記事にはそんな事情(←記述略)で嘘が書かれていることが多いとすれば、それを厳しく監督し、政府が前もって検閲して、そのような弊害(今で言う“風評被害”等)を防止すれば良いと思うかも知れない。
しかし、それはなお悪い結果になる。
何故ならば、そうすると、こんどは政府(支配者層)がその権力を利用して、自分の政策のために不利な論説や記事を差し止め、自分の立場(支配者層)にとって有利なことだけを書かせることになるからである。

それは、国民をメクラにし、権力者(支配者層)がマスメディアを独占する最も危険なやり力である。

言論機関に対する統制と検閲こそ、独裁者(支配者層)の用いる一番有力な武器なのである。


続いて、民主主義の多数決制度について記述している部分。

(民主議会制の)多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。
何故ならば、多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにたてまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ去って一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができるからである。

 もう一度、ドイツの場合を引き合いに出すことにしよう。

 第一次世界大戦に負けたドイツは、ワイマールという町で憲法を作って、高度の民主主義の制度を採用した。
ワイマール憲法によると、国の権力の根源は国民にある。
その国民の意志に基づいて国政の中心をなすものは、国会である。
国会議員は男女平等の普通選挙によって選ばれ、法律は国会の多数決で定め、国会の多数党が中心となって内閣を組織し、法律によって政治を行う。
そういう仕組みだけからいえば、ワイマール憲法のもとでのドイツは、どこの国にもひけを取らない立派な民主国家であった。

 ところが、国会の中にたくさんの政党ができ、それが互に勢力を争っているうちに、ドイツ国民はだんだんと議会政治に飽きて来た。
どっちつかずのふらふらした政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに国民を引っ張って行く、強い政治力が現われることを望むようになった。
そこへ出現したのがナチス党である。
初めはわずか7名しか仲間がいなかったといわれるナチス党は、たちまちのうちに国民の中に人気を博し、1933年1月の総選挙の結果、とうとうドイツ国会の第一党となった。

かくて内閣を組織したヒトラーは、国会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも与える法律を制定させた。

政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思う力ままに行うことができる。

議会は無用の長物と化する。

ドイツは完全な独裁主義の国となって、国民はヒトラーの宣伝とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戦争へ、そうして、まっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。


今日は今まで書いた基本的な考え方を誰にでも分かる様に「分かりやすく」まとめて書いていこうと思って書き始めたのだが、もう一つ脱線。もう何回目だろう、10回にはならないかな?下記の文言を書いて、今日の本題に入ることとする。

第二次世界大戦の敗戦国ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判で「なぜドイツはあのような無謀な戦争を始めたのか」との質問に対しヒトラーの側近=右腕であったヘルマン・ゲーリング元帥は、次の様に証言した。

もちろん国民は戦争など望んでいません。

でも実は戦争を起すことは簡単なのです。

一般国民に向かっては「我々は攻撃されかかっているのだ」と危機をあおり、

そして戦争に反対する平和主義者に対しては「愛国心が欠けている」と非難すればよいのです。

これを繰り返せば、国家など簡単に戦争に向かいます。

これはドイツだけの話ではありません。

このやりかたはどんな国でも有効です。



“このやり方”が今の日本で行なわれているのです。

最後にもう一つだけいつも書いているナチスドイツ時代の牧師さんの言葉を載せておく。

  ナチスが共産主義者を弾圧した時 私は不安に駆られたが
  自分は共産主義者でなかったので 何の行動も起こさなかった

  その次 ナチスは社会主義者を弾圧した 私はさらに不安を感じたが
  自分は社会主義者ではないので 何の抗議もしなかった

  それからナチスは学生 新聞 ユダヤ人と 順次弾圧の輪を広げていき
  そのたびに私の不安は増大した が それでも私は行動に出なかった

  ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた そして私は牧師だった
  だから行動に立ち上がった

  が その時はすべてが あまりにも遅かった



この牧師さんの直面した状況に今の日本国民が置かれているのです。

結論を先に書いたが、次回より基本的なものの見方・考え方に入る。
だからこれを読んだ人は、続けて次も読んでもらいたい。
そのため今日はいつもの「今日はここまで またね」は省略、To Be Continue.