無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日本人の秩序感覚…「全員一致」

2008年07月10日 | Weblog
最近のテレビ・新聞を見ていると、恐いSF小説を読んでいるような、またはSFサスペンス映画を見ているような気持になってくる。「ゼイリブ」や「タイムマシン」の主人公のような悪夢を見ている感じがする。
0.03秒という人の視覚では感知出来ない画像や、人の聴覚では聞こえない波長を使って洗脳(サブリミナル効果)を狙わなくても、一方的に押し付けられる画像等により、国民は無意識の内に一定方向の感情を植えつけられている。

国民はテレビを見ないように! 新聞(社説含む)を読まないように! と呼びかけたい。
インターネットの情報を見て、何が真実であるかを自分の手で探し出してほしい。

どこかのブログに、小泉から阿部に首相がバトンタッチされた当時の調査で、1日1時間程テレビを見る人の阿部前首相支持率が30%だったのに対し、1日3時間以上テレビを見ている人の阿部支持率は50%を越えていた、との話が載っていた。

今のマスメディアの報道の仕方、書き方を見ていて、“さもありなん”と思ってしまう。

政府は、以前よりマスメディアを使って情報操作を行なっているが、最近それが顕著になってきている。

他のブログでは「最近の世論調査は政府・マスメディアの“宣伝”(サブリミナル効果)の成果発表に過ぎない」と言っている。

何故、自衛隊(軍隊)の派遣(派兵)が『国際貢献』であり『平和協力国家』であるのか?

何故、それに反対する人は『一国平和主義』で、それが「国際的に許されない」ことなのか?

何故、『ねじれ国会』が悪い、民主党が悪いのか?参議院不要論を報道するのか?
同様に、参院で否決する民主党を「議会制民主主義を踏みにじる行為」という政府の意見を報道して、1年で20件近くの“強行採決”を行ない、また、参院否決法案の“再可決”を行い、更に、国会始まった以来の“首相問責決議案”の参院可決を無視する政権政党・政府に対して、少しも「議会制民主主義を踏みにじっている」と報道しないマスメディア。

切りが無いので、また別の機会にまとめて書くとして、今日の本題に入る。

人が生活していく中で、その場に人が2人以上いれば、そこには“政治”がある、と言われている。
その政治生活における日本の伝統的な意志統合の方法は「全員一致」であった。

市町村制の施行で今までの自然村的集落が統廃合されて(行政区割されて)、新たな行政単位となり、そこで「多数決の原理」が導入されたが、終戦後8年程経って書かれた書物に「こんにちでさえ、大抵の町村議会では、決をとって少数派を押さえるやり方よりも、話し合った上での全員一致を慣わしとしている」と書かれている通り、正式な決議の場(議会)では、少なくとも慣行的に全員一致をモットーにしていたと考えられ、その為、いたずらに「茶飲み話」等の“事前工作”がしげく行なわれていた。

全員一致の原理においては、一人の反対があっても議決は成り立たない。
従って、そこでは構成員“各個人の擁護”が徹底するけれども、この原理では集団としての意思決定が不能に陥る危険があり、その為、「村八分」の発動が、“ほしいままの反対”を牽制しこの全員一致の原則の欠陥を補っていた。

他方、議会制民主主義における「多数決の原理」では、集団の意思決定は“全員一致”に比べ、はるかに容易で機動性を持つけれども、その代り、ややもすれば「多数の圧制」となりかねない。
そこで「多数決の原理」の欠点を補う為に、「少数者の権利の擁護」があり、究極的には「抵抗権」の承認がある。

いずれの原理も、政治社会への参与の平等を前提としているが、最終的な集団の意思決定による少数者の不利が不可避のため、「救済原理」を含むことなしには存続し得ないのである。

ところが、多数決制の伝統の無い日本国に多数決制が導入された結果、それは少数者の権利を無視した「数の暴力」となってしまった。

すなわち、「多数決」のみが導入されて肝心の救済原理である「少数者の権利」を伴わず、逆に、旧来の「全員一致」制の救済原理である「村八分」と結びついてしまったのである。

日本国では、国会は二党制をとったが、源平の争いにも似た「敵党皆殺し」心理に基く一党論が底流にあり、多数決制が生まれてきた順序とは逆に「頭数を数える」どころか「ぶち割る」方向をとっていった。

こうした「議会制」は庶民の政治からの疎外を生ぜしめた。
国会は「数の暴力」を以って国民を支配できたが、他方では国民の議会制そのものに対する不信を培養した。

この国民の“議会制”に対する不信は、支配者側(権力政党側)からの議会制に対する敵意(M:今の“ねじれ国会”で緊急を要する政策が履行出来ない、と言った野党に対する敵意と同じ)と一緒になり、国民の名における「議会制の排撃」となった。
普通選挙施行されて以降、議会制の幻滅から、その排撃が決定的となった。
(M:神島二郎氏は、全員一致と多数決の原理の対決の悲劇的帰結の例として、五・五一事件の犬養首相の「話せば分かる」とそれに対する決起青年将校の「問答無用!」の一言を挙げている)

こうした“多数決の排撃”は、ナチス理論を援用しながらの“全員一致”の復活となり、日本国に全体主義・軍国国家の道を歩ませる結果となった。

この“全員一致”の秩序感覚は、現在も日本人の心の底流に脈々と流れており、自民党員であれば全員一致の「賛成の一票」となり、政権政党の「数の暴力」に繋がっている。

従って、例えば、後期高齢者医療制度の内容を全く知らないで“賛成”し、施行され問題化すると、わけも分からずに“いい制度”と言って“見直しだけでいい”と主張する何も考えていない(勿論国民のことも考えていない)質の悪い議員が大量発生することになる。

言いたいことが上手く言えないが、今日はここまで。またね。














日本人の秩序感覚・・・「服従=保護」

2008年07月09日 | Weblog
江戸時代、いやそれ以前の氏族制社会より、こんにちに受け継がれてきた日本人の秩序感覚に「服従=保護」の観念がある。今日はそれについて書いてみたい。

M:神島二郎氏の著書のウケウリが大部分だが、無風流解釈となっている。

江戸時代までの自然村的な農耕社会(豊作・凶作が“生きるため”の唯一の関心事)では村落共同体の利害は純一であり、それを協力して守ることが、唯一の生存の道であった。そのなかでは是非とも認めなければならない「服従」という条件があった。しかし、昔の人にとっては、むしろ“服従”は“保護”の別名であったと考えられる。

自然村は「家」を単位として「村落」を形成しているが、そのため、当然の様に、家々で貧富の格差があった。

飢饉でもあれば貧乏な家からまず死滅の危機にさらされるので、これが貧富の対立を導くことになっても当然と思われるのだが、実際には現実に存在する「貧富の格差」が「貧富の対立」とならなかった。それは何故か。

飢饉という最大の危機(現在で言えば大不況・大恐慌)にあって、これがどう処理されたかをみればわかるのだが、その答えは下記の通りで、

顔見知りの富家(金持・長者・おかみ)の「人にしのびざる惻隠の情」(“人情”というか“お情け”)

がこれを解決したのである。


■更に説明を加えると、

飢饉の危険が多ければ多いほど、この最大の危機(家族の死滅)における“保護”は、それだけで人(被護人)から日常的“服従”を導き出すことが出来たのである。

M:本家が分家のために「飢饉用上田」を配慮し、地主が不相応に多くの貯蔵米を用意したのは、どんな飢饉にも分家や小作人を餓死させまいとしたためで、これが地主の誇りでもあり、本家【総領】(分家統制権)の基礎でもあった。

こうして日本人には村共同体や権力者(おかみやお金持ち)の意志に“服従”しておりさえすれば、必ず“保護”が与えられるという秩序観念が培われてきた。

■この秩序感覚の変化について

しかし、大正以後決定的となった地主の「不在化」がこの“伝統”を一変させた。
地主は、もはや小作人に人間的な情感を覚えない。それにも拘らず小作人は先祖から伝えられた、このかすかな「黙契の記憶」(服従=保護)の故に、何か“地主”には「そむけない」義理を感じていた。

地主は小作人を顧みず、小作人はなおも地主にすがろうとした。そこに「温情主義」(床次竹二郎の造語)が機能する場があった。すなわち、この「温情主義」を媒介として、農民の“地主”依存が“国家”へと誘導され、地主・親分・本家の権威が失われて、“国家権力”がこれに取って替わることになる。⇒国家家族主義へ

こうして国家権力が、従来の「社会的権力」(本家・地主)に替わった形で、国民の「服従=保護」の秩序観念が再生産されることになった。

■どんなに世の中が激しく変わっても、人の心情は急激には変わらないのである。

♪どんなに時代が移ろうと どんなに世界が変わろうと 人の心は変らない・・・♪

「長いものには巻かれろ」「出るくいは打たれる」といった“日本的な”秩序感覚は幸か不幸か「捨て去られて」はいないのである。「全て否定され」てはいないのである。


■余談ではあるが、「国家の品格」の藤原正彦氏が日本人の原形を成すメンタリティとして“素晴らしい武士道精神”を挙げていたが、その中に“惻隠(そくいん)”の情が入っていた。

今まで読まれた方は、分かって頂けると思うが、昨日「日本での社会秩序は、江戸時代までは上からの「武士道精神」、下からの「自然村的秩序原理(国民意識)」により成り立っていた。」と書いた通り、武士道精神は支配者側の秩序原理であり、決して庶民・一般大衆のメンタリティ(秩序感覚)ではない。

“惻隠(そくいん)”の情=お上の“お情け” である。


話を戻すが、日本人の心の奥にある無意識とも言えるこの秩序感覚「服従=保護」は、逆に言うと「服従しなければ保護は無い」と言う考えであり、従って、岩国市が国家権力に服従しなかった為に保護(国が出していた補助金)を打ち切られ、新市長が服従するやそれまで以上に保護(補助金の追加)するといった国家権力の仕打ちを見ても、「服従=保護」の観念のしみついた日本人にとっては、当たり前の出来事と思えてしまうのだろう。

今日はここまで。 またね。

日本人の秩序感覚・・・「家族主義」

2008年07月08日 | Weblog
『国家の品格』の著者、藤原正彦氏はインタビューの中で、

「日本人はこれまでに、2回も過去を捨てさせられてしまっているんですよ。

最初は明治維新。

薩長が“封建制の圧政で庶民が抑圧されてきた”と大ウソを言って江戸時代までを否定した

(2回目は)第二次大戦後です。

今度はアメリカと日教組が、すべてが日米戦争につながったとして、戦前の日本を全否定した。」


「敗戦により戦前の日本の伝統文化を全否定され、過去を捨て去られた結果、日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。」

といっている。


右傾化(軍国主義・全体主義化)を思考する権力者は、“わが意を得たり”と同著にとびつき、

■今日の教育の荒廃は終戦の日を境に“左傾の連中”が、古来日本の良き精神までを否定し“左傾教育”をした結果であるとみる。
教育は50年スパンで国家形態に作用してくる。まさに今がその時期なのだ。
終戦と同時に、日本の良き道徳や精神論は全て否定。
個人の自由や所得倍増が人を豊かにするとばかりに教育指導してきたために、今日お年寄りをいたわるとか、公共の場では大声を出さないとか、とかく周囲に対して迷惑をかけないという道徳や精神が皆無となった。その結果が今日の教育現場の荒廃を招いていると思うのだ。

 即ち

 敗戦後、日本はアメリカと日教組によって戦前の日本を全否定され、『たゆまぬ努力によって築いてきた』伝統・文化を全部捨てさせられた(無かったものにしてしまった)。
          ↓
 日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。
          ↓
 愛国心を教育し、日本人としての誇りを持ち、伝統文化を重んじる『国家の形成者として必要な資質』を持った国民をつくらなければならない。

 言い換えると

 今の教育現場の荒廃は、左翼の自虐史観に基づく日教組の間違った教育によるもの、マスコミも偏った報道。
          ↓
 その教育により自分の国・伝統に誇りを持てない子供が育ち、結果、公徳心を無くし、又、お年寄りを労わるといった道徳心をなくし、利己主義に走り過ぎて、人の迷惑も顧みず傍若無人に振舞ったりしている。
          ↓
 従って、憲法・教育基本法を改正し「愛国心」を盛り込み、伝統と歴史に誇りを持てる「公共心」をもった子供をつくらなければならない。

と政府(国家)はテレビ・新聞等マスメディアを使って“宣伝”(国民を洗脳)し、国家権力を縛っていた教育基本法を「国民を縛る法」に変え、もう一つの国家権力を縛っている憲法も消して「国民を縛る法」に作り変えようと画策している。

自民党(憲法調査会)は「今の憲法が立脚する“個人主義”が戦後のわが国においては正確に理解されず、“利己主義”に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか」(との懸念)を「憲法改正をしなければならない理由」(改正の“根底”にある考え方)としている。

国民は騙されてはいけない。

前にも書いた通り、これらの問題は「現行憲法」のせいでも「日教組」のせいでもない。

50年前の書物に「明治末年以来『道義の頽廃』『公共精神の欠如』『愛郷心の衰退』『地方自治の不振』…(中略)…が言われ」と書いてあり、戦後の現行憲法が出来る前、戦後の「日教組」による教育が始まるズッと以前より取り上げられている問題であることがわかる。これらの問題の根底は他にあるのである。

昔、ソクラテスも「今の若い者は…」と嘆いたそうだが、それと同じで、いつの時代も「その時の若い者」が悪いのではない。 今の若者を嘆く前に、その時代時代の変化(特に経済基盤の変化)にマッチした対応(行政)が必要なのである。


さて、本題に入る。


前回書いたように、西洋では「こんにちに於いては、神は死んでいる。信者の心の中でさえも…」(サルトル)となり「神のもとの社会秩序」が維持できなくなって来ているのだが、それでは日本ではどうなのか。

日本での社会秩序は、江戸時代までは上からの「武士道精神」、下からの「自然村的秩序原理(国民意識)」により成り立っていた。

M:自然村的秩序原理は「シントーイズム・ジェロントクラシー・ファミリズム・フューダリズム・メンタルオターキーの5つから成っている」と、神島二郎氏は分析し、その一つ一つが幾重にも絡み合って変形し、社会秩序を構成しているのだが詳しい説明は略し、一部だけを取り上げて話を進める。

いかなる時代の社会秩序も、その時代の経済基盤に基づいて成立している

江戸時代のそれは、自給自足的共同体の中で出来上がっており、人々の関心事は「一所懸命」の家であり、土地であり、村落(共同体)であった。
その謂わば“閉鎖された社会”の中での社会秩序が、明治維新により、というよりは列強諸国による植民地化といった外圧のために、日本国は西洋文明の摂取を余儀なくされ、今までの経済基盤とは全く異なった資本主義経済(消費経済)へと急速に変容していった。

それでは、藤原正彦氏の言うように「明治維新により過去を全てを捨て去られた」のだろうか?


M:余談だが「国家の品格」の藤原氏は、取り戻したい過去を江戸時代の文化・武士道精神にまで遡らせている。
その結果、明治維新の封建制度からの脱却=「万機公論に決すべし」や、独裁政治・戦争を否定し「主権在民」をうたった現憲法も政府の「戦後レジュームからの脱却」の対象にされ、権力者の改憲による軍国独裁政治を目指すための強力な思想書となってしまった。
藤原氏は「慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば…(以下略)」と考えておられるが、藤原氏は、国が『国家の品格』の考え方を利用し、教育基本法をデリートし、国が国民に「愛国心を教育する」事態になったことや、国が国歌斉唱や国旗掲揚を強制して来ている現状をどう思われているのだろうか?
藤原正彦氏のお母さんが経験された様な事態が又日本国民にふりかかって来るのでは?とは考えないのだろうか。


話を元に戻す。本当に明治維新・終戦により「全てが否定され、全てが捨て去られた」のだろうか?

結論を先に言おう。答えはNO(ノー)である。

江戸時代の経済の仕組みから、資本主義経済の仕組みに急激に変っていった為に、それまでの社会秩序原理(道徳・倫理感)は変形を余儀なくされたが、決して否定され捨て去られた訳ではない。
変形はしたものの、現在まで脈々と続いているのである。

多過ぎて、一度に書けないので、これから何回かに分けて『日本人の秩序感覚』について書いていく。
今日はどれにしようか?と考えて「家族主義」を取り上げた。

これは今の核家族化した社会における個人の「マイホーム主義」のことではない。
江戸時代の村落共同体に於ける「家族主義」は大きくは国家家族主義として、また藩閥・学閥・同郷のよしみ・オヤコ(親分子分)・キョウダイ(アニキ分)といった肉親以外での家族的関係、又、企業内の組織秩序維持機能として脈々として続き“日本的なもの”として残っているのである。

私が昔、入社した会社でも「家族主義」をとっており、部署内での“家族的雰囲気”を大事にしていた。
新人歓迎会を始め、定期的に上司が部下を集めて飲みに連れていって“家族的な付き合い”(秩序)を作ろうとする。
今と違い、終身雇用制の頃は、部下は“立身出世”(給料が上がって、より良い生活ができること)を考えた場合、上司のその誘いを断れないのである。(M:今度実施される“裁判員制度”のようなもの=蛇足)
上司も身銭を切ってでも部下に飲み食いさせることによって、部下を掌握・統制できれば、自分の出世(地位の安泰)に繋がるのだ。

※この「酒と女」の利用は、いち早く部下を内輪に引き込み、“醜態を抵当にして”部下の意志を自由に操ろうとするものであった。(神島氏)

上司と部下は“親子も同じ”、先輩後輩は兄弟の関係といった企業の『家族主義』の中で、この断れない“お誘い”を新人は逆手にとって“上司の醜態(弱み)を握って出世に結び付けよう”と試みるが、百戦錬磨のベテランに敵うわけが無いのである。

福沢諭吉は「立身論」(1885年)の中で次の様に言っている。(M:現代風に意訳)

「立身出世の為には、上司を牢絡する手段として上司と一緒に不品行(酒と女)をするのがよいのだが、これは、ちょうど、子供が小さかったときの醜態を抵当にして父母に押さえられ、生涯、首を上げることができないようなものだ。」

上司を牢絡しようとして、一生、その上司に頭が上がらない結果となる。

自民党の森・元総理が自民党のドンといわれる背景には、上記の様に「酒と女(有名〇〇)」を利用して新人国会議員を内輪に引き込み、醜態(国会議員の場合はスキャンダルになる弱み)を抵当にして、若手議員の意志を自由に操っている(新人議員の頭が上がらない様にしている)、といった江戸時代から変形しながら続いている自然村的秩序原理の一つ「家族主義」(オヤコ関係=親分・子分の関係)があると思われる。

「ニッポンは自民党のシマ(縄張り)」といっているヤクザな政党である。あながち嘘とも言えないのではないか。

書き出すと、切りが無い。今日はここまで。またね。

デカンショの「ショ」

2008年07月01日 | Weblog
やがて老齢と経験とが 手をたずさえて


彼を死へとみちびいて行く。 その時 彼は


悟らされるのだ―――――――。


あのように長い  あのように苦しかった


精進であったのに、 自分の生涯は

              
みんな 間違っていたのだ、と。


                        ショーペンハウエル