無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

戦争か平和か…その2

2007年10月23日 | Weblog
私は憲法改正問題をなるべく九条以外に絞り、政権政党作成の新憲法案の問題点を取り上げてきて、「◎法作る人が権力握るなら、権力縛る法は消え行く」を説明し、国民が憲法改正に賛成することは「自分で自分の首を絞める行為である」といってきたが、やはり最大の争点は「戦争国家日本」にするのか「平和国家日本」にするのか、である。

自分の価値判断基準を持っていない人、悪いこと(不正)が行なわれているのに「正義感」の持てない人の逃げ道・言いわけは「世の中、そんなに単純じゃないんだよ」である。
複雑なことこそ、単純に見ないと結論を間違える。

人殺しはいいことか悪いことか」……自分の考え方を持っていない人はすぐに「正当防衛」や「緊急避難」を持ち出し、人殺しは悪いことだと言う人を自分が殺されそうなときに黙って何もしないでいるのか!そういった場合は相手(人)を殺しても罪にならないではないか!といって「考えが浅い」と馬鹿にし批判する。
こういう人たちは「ものの考え方」の原点が違っているのである。
人は自分が生きるために「人からされたら嫌だと思うことを人にするな」との自然法から「人を殺してはいけない」というルールをつくり社会生活を営んでいる。
ここから発想すれば、人殺しはいけないも正当防衛もどちらも理屈に合っているのである。

話は逸れるが、一つのことをやろうとすると、例外事例を盾にとって「それは出来ません」という人が多くなっている。(重箱の隅をつつくのと一緒)
昔、会社で生産管理をコンピュータ化して伝票・帳簿を打出すことになったとき、「コンピュータだと実際には、こういった『例外』があり、それが入れられないのでコンピュータ化出来ません。」という「従来の手書き伝票・帳簿」支持派が圧倒的に多かった。そしてコンピュータ化しようとしている人に「現実を知らないで」(=実際の作業内容・例外事例を知らないで)と批難が集中した。(私の体験談)
しかしコンピュータ化したあとは、不安で手書きの帳簿を引き出しに入れて二重手間を掛けていた事務員が多かったのだが、しばらくして皆無となり、作業効率は何十倍・何百倍にもアップしている。今ではどこでもやっていることだが、昔はこんな抵抗もあったのだ。今「手書きの帳簿をつけろ」と当時の現実を知らないと言って抵抗した人に言ったら、「なんでそんな大変な作業をさせるのか」と大反対されるだろう。
この「現実を知らない」「現実はもっと複雑」といって従来のやり方・方向性を改めたがらない考え方、良い方向に向かう努力をしない考え方は、「戦争」を肯定する考え方と似ている。

戦争をすることはいいことか悪いことか」……人を殺すことがいけなければ、「戦争」もいけないのであり、こういった基本的な(単純な)見方をしていかないと、前の載せたブログのように大学で講義を受け、勉強して知識が入れば入るほど、戦争は必要悪であり軍隊を持つのはやむを得ない、といった、戦争肯定論を展開することになる。基本の「自分が生きるためにはどう考えるべきか」、が詰め込まれた知識によって抜け落ちてしまい、頭でっかちの理論を振りかざし、“知らないだろう”と平和論者を馬鹿にすることになる。「日本が攻められてなくなるのを何もしないで見ている気か!」である。それこそ日本に生まれて良かったと思っている人が90%以上いるのに「愛国心教育をしなければいけない」との権力者に都合の良い考え方になって行く。

(数日前に引用した大学生のブログをもう一度引用)
誰しもが戦争って反対と思うんだけど、ちょっと本とかを読んで勉強した気になると戦争って場合によっては必要なのかもと感じることがある。一応最初に断っとくけど、俺ももちろんながら戦争には反対なわけで。じゃあなんでそんなこと考えるのかというと、世界情勢ってそう単純なもんでないってのが関係してるんだよね。
資本主義の基本的なこととして、”差”って考え方があると思う。皆平等なんてありえない。歴史上共和主義だっけ?俺の浅はかな知識でいうと、太平万国(だっけ?)みたいなもんは、最初は少しばかりうまくいってるような感じだけど、結局崩壊してるし。歴史に学ぶのであれば、やっぱり社会主義ってなりたたないんだよなぁ。
んじゃ世界を見渡してみて、その差ってどこに存在してんだ?説明すんの面倒だけど、まぁ簡単なところでいくと先進国と発展途上国みたいな。日本だって、俺らがこんな裕福な暮らしができてるのも、どこかで犠牲になってる人がいるからなんだよな。ほとんどの人そんなこと考えることないけど。っていうか考えてる余裕がない。こんな感じの世の中がうまく回るにはこの現状を維持していくために結構四苦八苦しなくちゃいけない。その手段の一つが、戦争

ひん曲がった考え方と自覚してるけど「戦争はんたーい!」って叫んでる人たちみると、なぜか素直に賛同できなくなる。自分も戦争反対なのに、なぜか一歩ひいてしまうっていうかなんというか。なんでだろ?って考えた時に、その理由となるのが、そういう人たちってじゃあなんで戦争反対なの?って聞かれたときに、あんまり納得のいく根拠ってものをあんまり持ってないように感じるんだよね

戦争は罪のない人たちを虐殺する、非人道的で許されることのできない行為だ!

うん、そんなの皆わかってんじゃん。でも戦争しないと世界はもっと混乱するんだよ、実はそうなったら命の数だけでいったら戦争で失われる数よりも多くなる可能性だってあるんだしそれってなんか偽善じゃない?誰だって戦争なんてしたくないよ。でも彼らも仕方なくやってるんだよ。しかたなくね。ある意味、先陣きって悪役を買ってでてるっていうようにも考えられない?
みたいな感じのことをついついシュミレートしてしまう。こんな自分に嫌気がさすこともしばしば・・・。でも実際望まれて起こった戦争なんて今まで一つもないっていう事実日本だって戦争してなかったら生き残れなかった戦争反対って声高に叫んで抵抗することもなく、そのまま滅んでいくっていう覚悟があるならそれは尊敬するけど、俺だったら絶対やだなぁ。自分のこと殺しにかかってくる相手に向かって、暴力はよくないよって言って殺されるのなんてまっぴらだし
な~んか話がだいぶ脱線した感があるけど、なんか戦争反対っていうことには、俺的には納得いく説明がされてないんだよね・・・。尊い命が失われること、それだけでこれ以上の理由なんてない。ってこと言う人もいるだろうけど、なんか感情的になってるような気もするし・・・でももっかい言うけど俺は絶対戦争反対。最近新書はアメリカとか戦争とか国際情勢に関するものが多く出版されてるけど、そんなのとにかく読んだのも、答えないかなぁってのがありましたよ。ええ。しかし、まだ納得いかん。
誰かすんごい論文ださないかな。核心を捉えまくった、もう有無を言わせないほどの理論を生み出してくれ~。そう願ってみたりする。こんなこと考えるにいたったのも、授業で9・11のことに関するものがあったからなんだけど、こうなると、大学の授業も結構捨てたもんじゃないのかもね。…引用終り

よくテレビで「大学教授」がいろいろな世界・社会情勢を政治・経済・軍事に亘り難しく解説しているのを見るが、全く政府の憲法改正・戦争への道の理論付けをしているだけの話が多い。この大学生が聞いた講義もその類だと言うのが分かる。
「9・11以降の日本の対応について」には、下記の様なものがある。(大学弁論部発表や岡本行夫氏の講演)

ここから「国際テロと日本」を見て下さい http://www.geocities.com/benronbu/n011104.htm

次の日記に続きますが、大学とは「自分で考える場」であり「受動的に知識を詰め込む場」でもなければ「教授や人の言葉を鵜呑みにし、知ったかぶりをして威張るところ」でもありません。
自分の「ものの見方・考え方」で自分の意見を持つよう心がけましょう。
引用したブログの大学生も、片側だけの理論ではなく、いろいろな意見・理論を調べて自分の意見を「理論武装」(私はこの言葉が好きではないが)しましょう。
あなたの「戦争はいけない」「人殺しはいけない」という「感情」には正しい理屈・「理論」があるのです。決して「感情的」な考えではないのです。色々なブログを見ているとそれが分かります。是非、努力(勉強)することを止めないようお願いします。