無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

「核を持てば核攻撃を受けない」との神話

2007年10月11日 | Weblog
昨日まで数日間、人のブログをそのまま載せてしまい申し訳ないと思っています。
自分が見て気に入ったブログ・気に留めたブログをワードにコピーして取り込んでおくのですが、その時、そのアドレスを取り込み忘れたため、私の日記に使いたい、でも、どこから取ったか分からない、いちいち調べなおしていたら書くのが進まない、え~い、全部そのまま載せてしまえ、という結果です。

数日前に見たブログで、私が10月4日に書いたブログの後押ししてくれる考え方が載っていましたので、それを載せます。

津久井進の弁護士ノート

毎回のように同じ津久井弁護士のブログを引用しますが、それだけ為になる意見が沢山載っているからです。

今回は、『M8(エムエイト)』 高嶋 哲夫 著を紹介しながらのブログであったが、この「地震」を「原爆投下(核攻撃を受けた)」と置き換えると、私が4日に書いた日記で言いたかったことと一致します。

(内容を少し紹介)
地震発生後に,首相が,閣議の場で,票にならない「防災」に淡泊だった大臣たちの前で悔やむ場面が出てくる。

「我々人間にできることは限られている。そして我々政府にできることはさらに限られている。法律を作り,予算を付ける程度だ。だが,我々は防災にいくらの予算を付けた?100億か,1000億か。使いもしない高速道路,ムダと分かり切っているダム建設と比べてどうなんだ。今回の東京直下型地震で推定38兆の被害が出ている。今後,今回の地震の影響で生じると考えられる経済損失は44兆だ。計82兆円。もし,この1%でも地震対策に注ぎ込んでいたら-。家屋の耐震化の補助金を増やし,消防設備をさらに充実し,地震対策に従事する専従職員を倍増していたら,被害は何十分の一に抑えられたはずだ。まさ本当にくるはずが-という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させた」

「地震は一瞬だ。その一瞬のために万単位の死者,数十万を超える負傷者が出て,ビルが倒れ住宅が焼ける。人々は行き場を失って途方に暮れる。以後,何年にもわたって膨大な損失を被り,様々な重荷を引きずっていかなければならない。この一瞬の被害を最小限にとどめることができれば。我々はこの一瞬のために,もっと税金を使うべきだった。努力を惜しむべきではなかった。全壊を半壊に抑える。一万人の死傷者を10分の1,100分の1に減らす。親をなくした子,子をなくした親を最小限にするためにもっと時間と金を費やすべきだった。それが真の政治というものだ」
 災害後の復興に平素から関心を持っている私としては,この首相のセリフが非常に印象的だった。
 このようなセリフを,政府要人が口にするというところは,アン・リアルである。巨大災害を前にして,こんなふうに適切な状況描写が出来るとは思えない。…引用終り

これを無風流にパロってみると、

核炸裂後に,首相が,首相官邸のなかで,金にならない「国民の安全」に淡泊だった大臣たちの前で悔やむ場面が出てくる。

「我々人間にできることは限られている。そして我々政府にできることはさらに限られている。法律を作り,予算を付ける程度だ。だが,我々は核シェルター(国民の安全)にいくらの予算を付けた?100億か,1000億か。使えもしない核ミサイル・戦闘機・原潜等,ムダと分かり切っている核迎撃ミサイルと比べてどうなんだ。今回の東京に投下された原爆で推定38兆の被害が出ている。今後,派生して生じると考えられる経済損失は44兆だ。計82兆円。もし,この1%でも核攻撃対策に注ぎ込んでいたら-。核シェルターつくりの補助金を増やし,自家発電設備をさらに充実し,核シェルターつくりに従事する専従職員を倍増していたら,被害(国民の死者数)は何十分の一に抑えられたはずだ。まさか本当にくるはずが…という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させた

「核爆発は一瞬だ。その一瞬のために100万人単位の死者,数千万人を超える負傷者が出て,ビルが倒れ住宅が焼ける。人々は行き場を失って途方に暮れる。以後,何年にもわたって膨大な損失を被り,様々な重荷を引きずっていかなければならない。この一瞬の被害を最小限にとどめることができれば。我々はこの一瞬のために,もっと税金を使うべきだった。努力を惜しむべきではなかった。全壊を半壊に抑える。1000万人の死傷者を10分の1,100分の1に減らす。親をなくした子,子をなくした親を最小限にするためにもっと時間と金を費やすべきだった。それが真の政治というものだ」
勿論これはフィクションです。現実の権力者(憲法を改正し正規軍・核をもち国民の安全を全く保障していない無駄な国防費を使おうとしている政権政党)がこの場面に遭遇しても上のような反省の言葉が出てくるわけが無いのです。…以上パロ終わり

もう一度、私の4日の日記を見て欲しい。…以下に転載

(ドイツに行ったときにヨーロッパの人たちは「核戦争は必ず起こる」との危機感から各工場に核シェルターを備えているといわれ、それを見せられて「こんなんじゃ放射能汚染に対応できない」と思いながら、欧州人の稚拙さを感じた私が、憲法改正し、外に攻めていける正規軍を持ち、核を持とう、核迎撃ミサイルを買い・巡航原潜を配備しよう、としている今の政府の言い分に?マークがついたのである。そんなことで国民の安全がはかれるのか?????)

*国民の税金を使って、国民の安全を守れない無駄な国防費、維持費、アメリカ基地への「思いやり予算」等々に毎年10兆円も使うのなら、まず先に全国民がすぐに避難できる「核シェルター」を作れ、といいたい。しかも、全国民が放射能汚染が無くなって外に出ても大丈夫と言われる状態になるまで生き延びられるシェルターでなければ意味が無い。国民を守るために軍隊・核保有が必要と考える人は、本当に国民の安全を守るためにはそれ(核シェルターの完備)が先とは考えないのか?

拉致問題・テポドン発射・核保有等で「何をやるか分からない」キチ○○将軍だ、として日本が攻められる「脅威」はある、と考えている人が、この核使用だけ「核抑止力理論」で、そんなことは無い(核を持てば、相手も核は使えない)と言った「常識」を信じている。相手は「何をやるか分からないキチ○○」ではなかったのか?
○○ガイだから攻めて来るに違いない、でもキチ○○でも核は使わないだろう、とほんとに自分に都合良くしか考えない「平和ボケ」した人たちである。…以上4日の日記より

「核を持てば核攻撃は受けない」と考えている人は、今年4月にバージニア工科大学で起きた銃乱射事件を思い出してください。

それはバージニア工科大学で2007年4月16日月曜日に発生した銃乱射事件である。32名(教員5名、学生26人)が死亡し、犯人も自殺した。アメリカの学校が現場となった銃乱射事件では史上最悪の犠牲者数となった。
アメリカで起きた乱射事件は、これまで最悪の死者を出したジョージ・ヘナード事件(1991年、22人死亡)、ジェイムズ・ヒューバティ事件(1984年、21人死亡)、テキサスタワー乱射事件(1966年、16人死亡)やコロンバイン高校銃乱射事件(1999年、15名死亡)などがあるが、今回の事件はそれを上回る過去最悪の事件となった。
ブッシュ大統領が緊急声明を出し、翌日には現場を訪れた。
緊急声明「今日、私たちの国は衝撃と悲しみに襲われた。学校は安全で保護された学問の場所だ。その聖域が侵されたとき、影響は全米の教室や地域社会に及ぶ」
自殺した犯人はテレビ局に犯行声明ともいえるビデオを送っていた。

「なにをやるか分からない国」の指導者(一個人)が上の犯人の様な心理状態(自暴自棄)になることは、これからの状況の中で「絶対ない」と言い切れるのか?

核抑止論を信じている人は、それこそ「M8」の首相の言葉「まさか本当にくるはずが…という我々の気持ちが,本気で考えることを躊躇させて」いるのではないだろうか。

「正規軍を持たなければ」と考える人は、銃社会のアメリカで起きているこれらの事件が「一般の人が銃を持つことを禁止されている」日本で起きる確率はグンと低くなる、とは考えないのだろうか?