無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

国民はテレビ・新聞の報道に疑問をもて!

2008年05月27日 | Weblog
今日も「憲法改正問題」に入れるか分からなくなった。
それほど、毎日毎日、テレビ・新聞等マスメディアによる国民洗脳報道がなされている。国民は騙されるな!と、つい、報道の仕方を咎める方を優先してしまう。

私の最も共感出来る「天木直人のブログ」から、最近のブログ内容を少し借用して私の考えを述べたい。

(借用コメント開始)

天木直人のブログ5月25日~新聞の社説を批判的に読む事の薦め

天木氏は新聞の社説をみんなが批判的に読むことを薦め、次の様に言っている。

かつて外務省の某OBは、イラク戦争がはじまった頃に行われた東京大学のシンポジウムにおいて、北岡伸一や田中明彦といった御用学者が『イラク戦争を支持するしかない』といった言説を繰り返していた事に言及し「昔だったら、東大教授がそう言っている以上、それで世論は納得したのに、今は世論が言うことを聞かなくなった」などとぼやいていたことがあった。

この言で分かる通り、そこまで国民はなめられているのだ。

この「東大教授」の言うことだけではなく「新聞の社説」まで世論が「もっともだ」と従うようでは、ますます国民はなめられてしまう事になる。…要注意!

■無風注:マスメディアの世論操作はかなり効果を上げている。前に挙げた様に、「憲法を改正しなければならない=賛成多数の世論」「国際貢献・人道支援の為、イラクに自衛隊を派遣する=賛成多数の世論」「日本の国益だから無償給油活動を行なう=賛成多数の世論」「国際貢献になるから新テロ特措法必要=賛成多数の世論」「給油停止は国際的に悪影響ある=そう思うが多数」「日本でもテロが起きる=85%の多数」「北朝鮮に脅威を感じる=90%以上の多数」「自衛隊がいつでも海外派兵出来るようにする恒久法必要=賛成多数の世論」「後期高齢者医療制度は説明不足=94%と多数世論(制度そのものが悪い、としない)」「後期高齢者医療制度は見直しが必要(見直すだけでいい)と思う=多数の世論」(制度廃止、としない)等々、マスメディアの情報操作により国民世論が間違った方向に向けられている例を挙げたら切りが無い。…以上、無風注終わり

新聞記者たちは「自分たちはエリートだ」と自認しているに違いない。
ましてや社説を書く記者は幹部になるような人たちだ。その幹部記者たちが衆知をこらして書くのが社説であるから、社説は「もっともな論説である」と考えるのが普通の考えであろう。昔から国民が大新聞の社説を信じてしまっているのは、そんな背景があるのだ。

ところが社説には一つの大きな制約がある。
それはその新聞社の政治的スタンスを色濃く反映するものであるという事だ。
論説委員、編集委員の意見が「社の方針」と異なれば、変えさせられるのだ。

もう一つの留意点は、そしてこれは比較的新しい傾向であるのだが、なぜか新聞記者たちが、自分たちは「エリートである」「権力者と友達である」という自意識を持つようになったため、社説そのものが国民世論の認識とかけ離れ権力者寄りのものになりつつあるという事である

その格好の例が後期高齢者医療制度に関する社説である。

社説のほとんどが後期高齢者医療制度の廃止を訴える民主党を批判しているのだ。
国民の圧倒的多数がその廃止を求めているのにである。

産経新聞や読売新聞が「野党は無責任だ」と批判していたのには驚かない。
この二つは社是として自民党政権を擁護する役割を担っているからだ。

しかし、産経新聞や読売新聞と対極にあるとされている「リベラル紙の雄」とみなされていた朝日新聞までもが、野党は財源問題を逃げるな、といわんばかりに「制度を元に戻せと言うだけでは問題は解決しない」と、新制度の骨格は維持すべきだという自公政権が喜びそうな主張を展開していた。

■無風注:最近の社説を要約して載せる。(色を赤に変えた部分が、嘘であり、騙し言葉であり、国民の目を逸らしたり目隠しする目的の言葉)

後期高齢者医療 混乱を増すだけの廃止法案(5月24日付・読売社説)

後期高齢者医療制度はその呼称を含め配慮を欠く面が目立つ。
不備や欠陥など問題点が多いことも確かだ。

しかし、新制度のすべてを否定して白紙に戻すというのは、混乱をさらに広げ長引かせるだけだろう。

野党4党が後期高齢者医療制度の廃止法案を参院に提出した。
ところが、新制度を撤廃した後にどうするのか対案がない
とりあえず、従来の老人保健制度を復活させるという。
これでは、あまりにも無責任ではないか

生じている混乱の原因は、厚生労働省や自治体の対応のまずさにある

主に75歳以上が対象の大きな制度変更なのに、高齢者に配慮した説明や準備を怠ってきた

そのため、感情的な反発が先行しているまずは冷静に、制度の長所と短所を検討の俎上(そじょう)に載せるべきだろう。
「ともかく廃止せよ、議論はそれからだ」という野党の姿勢は、拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ。…読売新聞社説引用終わり

■赤い部分を一つ一つ解説していく事は止めるが、社説の中で一番問題なのは後期高齢者医療制度がスタートして既に75歳以上のお年寄りの自殺・無理心中が27件も発生しているというのに「感情的な反発が先行」とこの制度に反対している大多数の国民を見下し「冷静に検討」するべき、として混乱の原因が“説明不足”にあり、廃止は「混乱をさらに広げ長引かせるだけ」としている点である。
「日銀総裁が1日たりとも空白になる事など決して許されない。日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する」と“混乱”を持ち出した日銀総裁人事と同じである。
国民の反対を“混乱”といい、その原因を民主党に擦り付けている。

今日の訓示

「混乱・混乱と言って“混乱”を作り出しているのは政府・マスメディアであり、国民は少しも“混乱”していない」

国民は、75歳以上の老人から保険金を取る、のは悪い制度との「冷静な」判断から反対しているのであり、社説の論調が如何に高慢で国民から乖離しているか(国民側から見ていないか)が分かると思う。

新しい制度(強行採決した悪しき制度)が施行されて混乱が起きたのだから、一旦止めて(元に戻して)考え直そう、とすることが、なぜ、混乱を鎮める事ではなく混乱を広げることなのか!

「拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ」の意味もきちんと解説してほしいものだ。話し合いが無視され強行採決された法案に対し、民主党が参院で多数党になったから廃止法案を提出した、という一つの行為に“拙劣”が二つも登場するのか!
もう一度言うが、財源を何とかするのは政府の責任なのである。廃止するのに対案などいらない。他の方策(法案)を考えて国会に提出するのは政府の役割であり、国会の野党は賛否を審議すればいいのである。政策を出すのは政府であり、野党は「無責任」でもなんでもないのである。参院選前の「多数党の横暴」で野党との話し合い無しに強行採決され施行されてしまった悪法を廃止するのに遠慮は要らない。参院選前、与党が話し合い(歩み寄り)無しに強行採決を続けてきた時に、それを少しも批判しなかったマスメディアが、参院選以降「何故話し合いに応じないのか」と民主党を責めている。その報道姿勢を国民はおかしいと思わないのだろうか。

余談だが、後期高齢者が保険料を払えなかったら発行される「資格証明書」。
この言い方一つとっても、政府が色々な事柄を「言い方」で誤魔化しているのが分かると思う。
「資格証明」とは、あることをするのに必要な身分・地位・能力・権利・免許があることを証明するものである。
従って、この場合は「資格を剥奪する」のであるから「資格剥奪通知」か、少し言葉を和らげて言っても「資格喪失通知書」が正しい「言い方」である。
「あなたは保険料が払えなかったので、あなたに“資格証明書”を発行します。今後医療費は全額あなたの負担です」とは、国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたい。…余談終わり

(朝日新聞5月25日 社説引用開始)

高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが

4月に始まったばかりの後期高齢者医療制度の廃止法案が、民主、共産、社民、国民新党の野党4党から参院に提出された。…(中略)…

廃止法案は、野党が多数を占める参院で可決されても、与党が多数の衆院では通る見込みがない。それでもあえて出したのは、この制度への不信や憤りを追い風に、福田政権を揺さぶることができると考えたからに違いない。
たしかに、新制度に対する反発はすさまじい。「うば捨て山のような制度だ」「ほとんどの人の負担が減るなどという政府の説明はうそばかりだ」という声がお年寄りだけでなく、多くの国民の間に広がっている。

年金が宙に浮いたり消えたりして不信感が高まっていたところへ、年金からの保険料の天引きが始まったのだから、怒りが爆発したのも無理はない。厚生労働省の担当者が解説書で「終末期の医療費を抑えることが大事だ」と無神経に書いたこともお年寄りの気持ちを傷つけ、怒りを広げた。

しかし、制度を「元に戻せ」と言うだけでは問題は解決しない。…(中略)…

(今までの制度では)お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった
こうしたあいまいな点をはっきりさせておこうというのが新制度だ。…(中略)…

(与党は)保険料が上がったり、治療が制限されたりするのではないかという お年寄りの心配を取り除く必要がある。…(中略)…

財源問題から逃げていては「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しない。…引用終り

■上記の2つの大新聞の社説は、国民の側に立っていない。政府政策(権力者)擁護の意見であり、国民の為を思っての意見ではない。目線は“国民”に無い。

民主党の反対=国民の反対を“政権取り”の為と民主党の党利党略に持っていき民主党を悪者にする論調もひどいが、朝日の社説で一番ひどいのは、制度廃止法案が「与党多数の衆議院で『どうせ』否決されるのに…」と多数党の横暴を全く批判しないどころか容認してしまっている点である。1年間で20件近い強行採決しかり、再可決しかり、『多数党の横暴だ』『民主主義の破壊行為だ』と国民に警告を発すべき新聞が、「問題をどうするのだ」と政権担当政党・政府に言うべき言葉を野党に押し付けている。

ガソリンの暫定倍取り税率は一旦廃止され、与党の手でもとに戻された。このときは廃止した野党が混乱を引き起こしたとされた。こんどの後期高齢者医療制度は、野党の手でもとに戻そうとするものだが、こちらは野党が混乱を引き起こしているとされている。

国民は気が付いてほしい。

暫定税率という倍取り税を30年以上も国民に黙ってとり続けていた政府を責めないマスメディア。それどころか国民の大多数がもとに戻すことに大反対していたのに、「財源はどうする、地方はどうする」と国民の意志そっちのけで民主党を責めるマスメディア。この言葉は国家の家計のやり繰りを任されている政府・政権政党に向けるべき言葉である。

830兆円の累積債務をつくったのは野党ではない。

暫定税率を復活させるときに福田首相は「(暫定税率復活の)大前提として、税金にムダがあってはならない。すべての支出で『ムダ・ゼロ』を目指し、公益法人の在り方や不透明な天下りを徹底的に是正する」と強調している。

大前提とは、それが行なわれて初めて(暫定税率の復活に)踏み切れる、ということである。色々やって見ましたが、どうしても2兆6千万円が捻出できませんでしたので、暫定税率を復活させてください、というのならまだ分かる。
暫定税率復活後、上記大前提の政策は打ち出されていない。マスメディアもそれを咎めないで国民の目から隠している。

色々な問題が山積みなのに、道路特定財源等を10年間継続させる法案が“再可決”で通った後、1ヶ月もある国会を“消化試合”と捉える政治記者たち。
上記大前提に対する政府対応等を追及せずに中国四川大地震の報道で国民の目から逸らし続けるマスメディア。新潟中越地震から見たら謂わば“他人事”の海外ニュースを、中越地震より長期間・長時間、より延々と毎日毎日報道を続けている。

国会が閉幕するまで続きそうだ。

本当に政府・マスメディアの世論操作の例を挙げたら切りが無い。
国民は、全ての報道・娯楽番組を“批判的”に見てほしい。

もう一つ、天木氏のブログを引用して次回に続けます。

天木直人のブログ5月26日天木直人のブログ5月26日「国会で審議をつくせ」と主張することの嘘

ねじれ国会の弊害を強調する与党やその支持者は、決まって野党の審議拒否をなじる。(M:一院制を主張したりする)M=無風注

「なんでも反対するのではなく、対案を示せ」と要求する。

さらには「政局ではなく政策を語れ」と言う。

これらに共通する考えは、国会は審議をする場所であり、政治家は国会で論戦を行うべきである、という考えである。

空転国会を繰り返すような政治家は、政治家としての本来の責務を放棄することだ、という。

それは一見すれば正論に聞こえる。(M:各新聞の論調がこれである)

しかし今の日本の国会審議の実態を知っている者にとっては、笑止千万な主張である。
そういう事を主張する者やメディアは、知っていながらそう言っているのだ。
官僚を経験した者であれば、今の日本の国会審議の八百長振りを知ってる。

明治以来の国会審議の中で、かつてはどうであったかは知らない。しかし少なくとも私が官僚を経験した1970以降の国会は、すべて官僚の書いた答弁を大臣が読み上げるのが国会審議となっている。
大臣が答えに詰まると、官僚が出てきて替わって答弁するのが国会審議であったのだ。

国会会期中の官僚の主たる仕事は、質問する国会議員から事前に質問内容を聞いて、大臣のために答弁を書く事である。

そして、国会審議の直前に、大臣を交えて即席の勉強会を開き、そこでどう答弁するかを振付けることである。

難しい質問であればその野党議員のところへ押しかけて交渉をする。
どういう答弁をすれば野党議員に華を持たせることが出来るか
そして納得して引き下がらせることが出来るかそのシナリオまで野党議員と打ち合わせるのだ。

だから私は「国会答弁などすべて八百長だ」と言ってきた。

国会事務局の人たちが次のように述べていた。

「国会は議論の場であり、与野党が真剣な議論を闘わせて最善のものを作りだしていく、というのは幻想」である「与野党の議員の職責はいかに自分たちの主張が正しいかをアピールすること」である。

そう言われてみて、確かに「なるほど」と頷いた。

国会審議とは、テレビの政治討論番組と同じように、自らの政党の主張の正しさを宣伝する場でしかない。そこで(国会審議で)見られるのは、何が国民にとって正しい政策であるか、という事ではなく、屁理屈を並べ立ててもいいから、強引に自分の政党の立場を擁護、宣伝する事なのである。

テレビの政治番組がそうであるように、国会審議もまた、野次と言いっ放しの一方的な言説の応酬でしかないのだ。

このような国会審議に意味があるはずはない。…引用終り

次回に続きます。


破壊された日本の民主主義

2008年05月22日 | Weblog
60年前に作成された文部省の教科書を基に、今日の日記を書いて見たい。

※印が60年前の文部省の「民主主義」という教科書の内容(多少わたしの手が加わっています)、■印が私のコメントです。

※民主主義の根本精神=すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心。

※民主政治=「多数決主義」と「選良主義」との長所を取って、それを組み合わせたような具合になっている。

※民主政治の落し穴=民主政治は「多数の支配」である。多数で決めたことが国民全体の意志として通用するのである。(天動説の様に多数が間違っているときもある)
それなのに、なんでも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないというふうになれば、それはまさに「多数党(長期政権担当政党)の横暴」である。多数決という方法は、用い方によっては「多数党(長期政権担当政党)の横暴」という弊害を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。

■今回の3回にわたる参院における法案の“否決”または“みなし否決”に対する衆院で圧倒的多数を誇る長期独裁政権担当政党の“再可決”は、まさに60年前に文部省が指摘した「民主主義そのものの根底を破壊するような結果」と言える。

(引用開始)…昨年度1年間に20件近くの法案が「強行採決」され成立したことに対しての津久井弁護士のブログより

今,国会は,異常です。

国会は,日本の民主主義の中枢です。
だから,今,日本の民主主義は,異常状態に陥っています。

民主主義は,国民の幸福の根幹です。
だから,今,日本の国民の幸福は,異常事態にあります。…引用終り


※「多数決」の上記の様な“弊害”を防ぐためには、何よりもまず“言論の自由”を重んじなければならない。

■「2006年、世界言論自由指数」ランキングで日本は51番目と民主制を採る先進国の中では最も“言論の自由”が乏しい国となっています。世界から見た日本国の現状です。

(以前書いた私の日記より再掲)
最近の日本では、権力者による「悪法の乱立」(強行採決)により、内容の分からない(「おおむね」等、適用範囲の分からない)法律が作られ、国民は何で逮捕され牢に繋がれるのか分からない不安な状態に置かれている。

まだ適用されない国民投票法で平和講演の後援を断る自治体が出る、等、曖昧な法とそれによる刑罰規定は、国民を愚民から国家の奴隷に変え、独裁社会成立後は人間的感情を出せない家畜にしていく。

   「民主主義」にとって最も大切な装置は「表現の自由」

   「表現の自由」にとって最大の脅威は「萎縮的効果」

   「萎縮的効果」によって脆く崩れるのが「民主主義」

上記は津久井進の弁護士ノートより、引用させてもらったもの。

*サウンドデモでの権力者の弾圧…道交法違反で逮捕

*反戦ビラを郵便受けに投函したビラ配り者の逮捕・拘留及び有罪判決…住宅不法侵入罪

*正規に届け出たデモ行進のデモの人数より多い警察隊の警備

*そのデモ参加者を“挑発”し公務執行妨害で逮捕、その弁護士も署内に入れず(会わせず)に尋問。

*平和集会の会場に入る人達を私服警官が入り口で一人ひとりチェックし写真をとる。

*自衛隊によるデモ・集会の監視・報告

これらは、国民に萎縮効果を与えるに充分である。…再掲終わり


※言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守る盾であり安全弁である。

従って、ある一つの政党がどんなに国会の多数を占めることになっても、反対の少数意見の発言を封ずるということは許されない。
幾つかの政党が並び存して互に批判し合い議論をたたかわせ合うというところに、民主主義の進歩がある。
反対党の言論を禁じてしまえば、政治の進歩もまた止まってしまうのである。

だから民主主義は多数決を重んずるが、いかなる多数の力をもってしても言論の自由を奪うということは絶対に許さるべきでない。

何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。



(以下は参考までに引用)
言論の自由ということは、個人意志の尊重であり、したがって、少数意見を尊重しなければならないのは、そのためである。
もちろん、国民さえ賢明であるならば、多数意見の方が少数意見よりも真理に近いのが常であろう。しかし、多数意見の方が正しい場合にも、少数の反対説のいうところをよく聞き、それによって多数の支持する意見をもう一度考え直してみるということは、真理をいっそう確かな基礎の上におく所以である。
これに反して、少数説の方が本当は正しいにもかかわらず、多数の意見を無理に通してしまい、少数の人々の言うことに耳を傾けないならば政治の中に射し込む真理の光はむなしく遮られてしまう。
そういう態度は、社会の陥っている誤りを正す機会を自ら求めて永久に失うものであるといわなければならない。

だから、多数決によるのは「多数の意見ならば正しいと決めてかかること」を意味するものではないのである。…参考引用終り

※要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ民主主義はうまく行かない。
国民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、うその報道・プロパガンダ・デマはたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。
高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と協力と、--立派な民主国家を建設する原動力はそこにある。
そこにだけあって、それ以外にはない。



■国民に対し問題提起をし、判断材料を与えて国民を啓蒙していくのがテレビ・ラジオ・新聞・雑誌等の使命であり、それによって国民(有権者)は賢明になり「真理に近い世論」を醸し出す事になる。
ところが、今のテレビ・新聞等マスメディアは政府協力機関となり、国民に目隠しをして世論操作を行ない、国民に「賢明な判断」をさせないように努めている。

今朝も舛添労厚大臣の「6月初めまでに後期高齢者医療制度の見直しを行なう」とのコメントを流し「骨子は変えずに批判の多かった低所得者層の負担軽減を考えている」と報道していたが、これはもう既に後期高齢者医療制度自体を認めた報道であり、「75歳以上の高齢者からカネを取る」制度そのものが間違いだ、廃止すべし、という野党の意見や国民の80%近い“制度反対”の世論を無視した報道でもある。

後期高齢者医療制度についても政府の「制度自体は良い制度」マスコミの「制度の説明不足」といったプロパガンダが功を奏し、廃止しろ=33%に対し見直せ!=53%と見直すだけでいいとの考えに国民を持っていっている。(そのままでいい、は7%)

2チャンネルは気持の悪くなる意見ばかりなので普段は見ないのだが、後期高齢者制度について「説明不足」で良く分からないという国民に理解できる説明がされていたので、2チャンネルから初めての引用をしてみる。

・・・つまり、後期高齢者医療制度とは、こんな制度。
①75歳以上(=後期高齢者)になったら強制加入!
②年金から保険料が天引きされる!
③保険料を滞納したら保険証をとりあげられる!
④保険で受けられる医療が制限される!
エライこっちゃ !!!

何も国民は政府の言うように「内容を全て理解」しなくても制度の本質を知ればいいのである。後期高齢者医療制度は上の通りの制度である。

年金制度改革の試算で「この場合、消費税換算で5%~13%のUpが必要」と単純に報道するのも、既に“消費税値上げも止む無し”と国民に刷り込んでいるのである。政府側の報道に徹している。
最近、少し身構えてテレビ・新聞を見聞きすると「もうマスメディアは“大本営発表”しかしていない」ことに気付く。

憲法改正賛成56%の人にも気付いてもらいたいと思う。


※議会(国会)といえども人間の集まりなのであるから、そこで制定した法律が常に必ず正しいとは限らない。
法律は憲法の趣旨に適ったものでなければならないのであるが、何らかの事情で憲法の規定に違反するような法律が制定されないとは限らない。
現憲法は、そういう場合を考慮して最高裁判所に法令が違憲であるかどうかを決定する権限を与えたのである。
これは、憲法の精神を守るために万全を期するための制度であって、その限りに於いては、
司法権の方が立法権よりも上の立場に立っているともいうことができる。

■日本国の現状はどうであろうか?

違憲立法審査権を持っている“司法”で「違憲判決」をした裁判官。

(1)長沼ナイキ基地訴訟で違憲判決を下した福島重雄札幌地裁裁判長は、違憲判決を言い渡した翌年、東京地裁の手形事件担当に異動。その後、福島と福井の家庭裁判所へ。裁判長として判決を書くことは二度となかった。
「…裁判官は憲法で身分が保障され、意思に反して免官、転官、転所されない、とされているが、そんなのは口先だけ。人並みの仕事もさせてくれない。ナイキ判決の後、ずっと辞めたかった…」
最高裁の長官や判事は、内閣に指名、任命される。「…その最高裁が下級審を操る。どうしても政府(行政)の意向に沿うような流れになります。誰だって冷や飯を食うのは嫌だし、流れに乗って所長にでもなったほうがいいと思う。そういう裁判所の体制にしてしまった…」

(2)大阪高裁竹中裁判官は、住民基本台帳ネットワーク運用をめぐる訴訟の控訴審判決の裁判長で11月30日、「拒絶している住民への適用は違憲」とする判断を示した。その後、首をつって死亡(自殺?)。

(3)イラク派兵違憲判決を下した青山邦夫名古屋高裁裁判長は、定年まで2ヶ月を残し依願退職。(依願退職しているから違憲判決が出来た?)

この判決に対し、福田首相は「傍論でしょう」、高村外務大臣は「大臣をやめて暇でもできたら読む」と暴論をはき、航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」と暴言をはきました。
政府(行政)は「(違憲行為を)このまま続ける」と司法を無視。
又、「日本の法律で裁かれるなら、裁かれてやろう」と法律を無視する、法律を作る立場(立法の府)の人。

いづれにしても、日本の三権分立は無くなってしまっている。
立法の府で成立した法律を行政で「来年度からは適用しない」と決め付たように、政府(行政)の思うがままである。

憲法改正賛成の人に分かって貰えるような日記を書こうと思って、筆を執る(キーボードに向う)のだが、そこまで行き着かない内に終わってしまった。次回は書こうと思います。

国営放送化したNHK

2008年05月20日 | Weblog
今日で中国四川大地震から一週間と1日が過ぎた。この間、NHKは毎日毎日ニュースのトップに掲げ、時間の大半を割いて悲惨な状況と日本の「国際」緊急救助隊の“活躍”を報じ中国側からの日本への感謝があった、といった国がやっていることの宣伝的な報道に明け暮れていた。

福田内閣は、矛盾だらけの道路財源特例法を議会制民主主義を無視して数の暴力で“再可決”し、野党は“問責決議案”を出す出さない、といった日本にとって歴史の曲がり角的な政局状況にあった。中国の地震が無ければ、この一週間は、この再可決問題・後期老齢者医療問題・年金問題・格差問題・防衛省汚職問題等々、政治問題でニュースが埋め尽くされたはずである。それほど今の日本は問題を多く抱えている。

このマスメディアのやり方は、岸内閣が警防法を成立させようとして国民の大反対(大規模デモ)に遭い倒閣寸前に追い込まれていた時、皇太子御成婚のニュースで報道を埋め尽くし政治問題を全く報道しなかったやり方に似ている。そのマスコミの国民の目を逸らす方策により、岸内閣は延命した。

私は、どちらも“ニュースにするな”、とは言わない。皇太子御成婚は国民にとって喜ばしいニュースであり、大きく取り上げられて良いと思っている。ただ中国の大地震の報道もそうであるが、裏にある、それだけを大々的に流し政治問題を葬り去ってしまう(国民の目から逸らす)という権力者とマスコミの意図に国民は気が付いてほしいのだ。

余談ですが、妻がNHKのニュースを見て「国営放送のようね」といった。妻も政治的にはノンポリである。

それはNHKが

*「(わが国は)“国際”緊急救助隊を中国へ派遣」(無風注:国連からの要請であれば“国際”を使っても良いが、中国の要請で派遣するのだから「“日本の”緊急援助隊を中国に派遣」の表現が正解では?)

*「(わが国は)最新の生存者検知装置を使用して生存者を探索」

*「(わが国)政府は5億円の緊急支援金を出す決定をした」(無風注:地震当日=再可決当日、その再可決ニュースを報道する前に“意図的に”流した。国民の生活に直結する日本国内(政治)のニュースが、海外ニュースに先行すべきと思いながらみていた。)

*「わが国の行動に中国が感謝」

まるでわが国(政府)を自慢する“国営放送”だ、と妻は感じたわけである。

一週間以上もトップニュースとして延々とニュース時間の大半を割いて報道、その少し前に起きたミャンマーのサイクロン被害のニュース報道と比べてみてもらいたい。また、日本の地震被害の報道と比べてみてもらいたい。死者数は異なるが個々人の悲惨さは同じであるはずである。また報道量が死者数で違うのであればミャンマーの被害の方が大きいのである。国民は「中国の地震報道」を“異常”と気が付くべきである。裏に揺曳している“意図”を感じ取る必要がある。

天木直人のブログ(5月15日)~引用

中国地震報道の“洪水”の裏で着々と進む「ねじれ国会」の幕引き

…しかし不幸な中国の地震は、福田政権にとっては幸いであったに違いない。
連日洪水のように流される報道の前に、本来であればもっと報道されるはずの国内政治の諸問題が、完全にかき消されている。

国民の目が中国地震ニュースに釘付けされている間に、窮地に立たされている福田政権が国会を幕引きし、態勢を立て直そうとしている。

国会が6月15日に会期延長なく終わる、と報道されはじめた。
それを知っている政治記者は、もはや一月足らずの国会は消化試合だ、などと言い出している。
…あれほど騒いだ年金問題も、道路財源問題も、後期高齢者医療制度問題も、そして天下り官僚の税金の無駄遣い問題も、どれ一つとして解決されないままだ。
格差問題も、公務員改革問題も、地方分権問題も、何もかも、解決に向けて進む気配は感じられない。…引用終り

NHKがこの一週間に流した政治関係のニュースは数少ない。

「道路特定財源を10年間維持するとした“道路特措法”が憲法の規定により衆議院の2/3以上の賛成多数で“再可決”されました。尚、これに先駆け、来年以降は適用しないとの閣議決定がなされました。」

「福田首相は、環境対策の地球温暖化対策の50%削減に向け、中期目標も必要との考えを示した。」

「政府の社会保障国民会議の分科会で、老後の基礎年金は今のような保険料と税金の組み合わせがいいのか、すべて税金で賄うのがいいのかの判断材料になる試算が示された。(…とし、後期高齢者医療制度のNHKの説明が不足していたと政府から怒られたのか、または、政府公報か、と思わせるほど政府の案を丁寧に説明)
全て税金で賄うとなると消費税5%~13%に相当する。
試算では“企業の負担は軽減される”。」

一週間のNHKニュース(政治関連)は、このぐらいなものである。

年金については、天木直人のブログ~「金を使うのではなく知恵を絞るのが政府の仕事だ」で次の様に警告している。

(引用開始)
(私が言いたいのは…)この試案の発表が「だから増税は避けられない」という心理的効果を国民に与える役割を果たしているのではないか、という危惧である。

増税がもはや規定路線のように語られ始めた。この試算が追い討ちをかける。

年金問題も、医療負担も、教育問題も、政府開発援助も、環境対策も、何もかも金が要る。
何よりも国は膨大な債務を抱えて国は倒産寸前ではないか。だから、国民が負担を分かち合うのは仕方がないではないか、という刷り込みである。恫喝である。

増税に応じる余裕のある層はいい。物価上昇に耐えられる所得層はいい。しかし、多くの国民はその余力はない。

それりもなによりも、金さえあれば誰でもどんな政策も実施できる(誰にでも出来る)と言うことを、国民はもっと声高に言わなければならないのだ。

金を使わずに知恵を絞る(家計のやりくりをする)、それが今の政治家や官僚に求められている仕事ではないか、と言わなければならない。

“金がなければ仕事が出来ない”というのが官僚の論理ならば、だったら今はしばし仕事をしなければいい、限を縮小するしかない、そう国民は要求しなければならないのだ。

そもそも、官僚の仕事の殆どは、“組織拡大”や“利権拡大”から作り出されてきたものが殆どだ。

今は国民生活に不可欠な仕事に集中し、余分な仕事は今は凍結すべき非常事態なのだ。

そうすれば、たちどころに国民の前にバレてしまう。
政治家はこんなに要らない。官僚はこんなに要らない。
ましてや天下りの巣くつになっている多くの独立行政法人の殆どは、いまこそ整理されなければならない事が。

しかし現実は政治家、官僚が金をもっとよこせと叫んでいる。

道路財源の一般化に伴い、壮絶な予算分捕り合戦が始まっている。

教育予算が多いか少ないかで、財務省と文部科学省が不毛な議論の応酬をしている。
防衛省は、日米軍事同盟強化の予算は減らせないという。それどころか対米軍事協力は増やさなければならないという。

月末に始まるアフリカ開発会議を外務省は成功させなければならないと言う。1兆円規模のODAをばら撒こうとしている。

洞爺湖サミットでは環境問題だ。温暖化対策だ。福田首相の支持率回復のために指導力を発揮しなければならない、という。

その一方で、国交省の阪神国道事務所は、その事務所の「50年史」を1部作るのに、800万円の予算を道路特定財源から支出している(20日読売新聞)。
まだこんなことが放置されているのだ。…引用終り


マスメディアの世論操作により、国民は一つの方向の道を歩かされている。NHKの国営放送化は、それを一段と押し進めることになる。

そのマスメディアの世論操作は前にも「マスメディアによる世論操作の現状」(2008年04月22日)で書いた通りである。

(再掲載する)
※「首相にふさわしい人」の世論調査(4/20)で,小泉純一郎氏がトップ。

※イラクに国際貢献・人道支援で自衛隊を派遣……派遣賛成55%、反対36%
 賛成の人の理由で一番多かったのは「国際貢献になるから」(賛成者の57%)。

※日本政府は、国民の70%近くが反対しているイラク派遣「延長」を数の力で断行、これに対してマスメディアは政府を追及することをしていない

※日本を対象としたテロへの不安…国民の85%が「日本でもテロが起きるのではないか」と不安に感じている(2004年3月世論調査)

※新テロ特措法…(1)給油継続 賛成47%、反対35% 賛成理由=日本の国益だから36%、テロ対策に主体的に取組む34%(日経新聞調査2007・10・29)
(2)新テロ特措法 賛成45%、反対35% 賛成理由=国際貢献のため必要54%(共同通信調査2007・10・29)
(3)活動停止は国際的に悪い影響 ある50%、ない37%(朝日新聞調査2007・11・5)

※北朝鮮に危険を感じている…国民の90%近く。…引用終り

今では、次の世論操作も加わった。

※後期高齢者医療制度=制度導入に向けた政府の準備や説明が「不十分だった」と思う人は94%

■説明不足で自民党が選挙に負けたように報道し、制度そのものは“いい制度”なのに、と国民に思い込ませてしまっている。「75歳以上のお年寄りからお金を取る」制度は悪しき制度である。「国民の福祉のために委託された権力を行使する」とある憲法の精神に違反する制度で“廃止”しかない。如何に説明されようと、いや、説明されればされるほど批判やデモが多くなっている。決して「説明不足」だったからではない。補選に負けた権力者の言い訳をそのままマスメディアが代弁し世論操作した結果の世論の数値94%である。

※「ねじれ国会」で審議が一つも進まない、民主党が悪い。

■「ガソリン税や日銀総裁人事での混迷は、民主党の硬直的な姿勢に大きな原因があった」~今日(5/20)の読売新聞社説より

■国会の一院制を目指す議員連盟が自民党の有志議員によって70名以上の参加で旗揚げされた。

設立趣意書
「世の中のスピードが早くなっているのに、一刻を争う国政上の課題が遅滞し、国民のコストは膨大だ」
「国家国民の損失は、両院による二重チェックや慎重審議の利点をはるかに上回る」

「憲法改正で二院制を抜本的に見直そう」(5/3日経新聞社説)

私の日記で文部省作成の教科書を読まれた方なら、世界に名立たる民主的なワイマール憲法の下で独裁国家を作り上げたナチスドイツを例にとった60年前の「警告」を思い浮かべられたことと思います。


※自衛隊の海外派遣をいつでも出来るようにする恒久法を必要と思う人は46%で、「そうは思わない」42%を上回った(読売)

憲法改正に賛成56%(朝日世論調査)

憲法改正賛成派では「国際貢献など今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから」の45%が最も多く2位は「憲法の解釈や運用だけで対応すると混乱するから」の32%

同じ世論調査で、憲法9条改正反対が66%であるにも拘らず、未だに憲法改正賛成が56%もいるのは、賛成理由をみて分かる通り、「マスコミと協力して」おこなった政府のプロパガンダの悪しき“成果”といえる。

権力者のプロパガンダに乗せられて憲法改正に賛成する人の考えを変えてもらう事が、今、政権交代同様、一番大切なことだと考えますので、前にも書いた事を次回まとめて書きたいと思います。

それでは、また…。

マスコミは国民の敵だ…その2

2008年05月16日 | Weblog
昨日より、過激なタイトルを掲げて書いているが、それは憲法記念日の世論調査で憲法改正賛成が56%も占めている結果が出たこと。賛成理由は現憲法が「今の実情に合わない」という点であり、マスコミのスリコミを未だに信じてしまっている、洗脳された人々が大勢いることに驚いたからだ。

60年前につくられた文部省の教科書「民主主義」は、次の様に言っている。

★テレビや新聞やラジオによって偽らない事実、国民が知らなければならない事柄を広く国民に伝えるのは、ぜひしなければならないことである。

そういうマスコミの正確な事実や情報を基礎にして、良識のある国民がこれはこうでなければならないと判断したことが、ほんとうの世論なのである。

しかし、マスコミ報道は悪用されると、とんでもない方向に向かって国民の判断を誤らせることになるのである。

だから、マスコミ報道の正体をよくつかみ、それがほんものであるか、にせものであるかを明らかに識別することは、民主国家の国民にとっての非常にたいせつな心がけであるといわねばならない。

マスコミ報道はしばしば悪用される。
そういう悪い意味でのプロパガンダとは、利己的な目的をわざと隠して、都合のよいことだけをおおぜいの人々に伝え、それによって自分たちの目的を実現するための手段なのである。
現代の発達したマスメディアで一番大きな役割を演じているのは、テレビと新聞とラジオである。中でもテレビ・新聞の持つ力は最も大きい。

テレビ・新聞は、世論の忠実な反映でなければならない。

むしろマスメディアは確実な事実を基礎として、世論を正しく指導すべきてある。

しかるに、そのマスメディアによって世論がねつ造されることも多い。…以下略…引用終り


未だに「首相にふさわしい人」のトップに小泉元首相が挙げられている。マスコミのB層を狙った「宣伝」効果が未だに国民に効いているのだ。

いつもは車通勤なので読まないのだが、5月14日にたまたま買った「日刊ゲンダイ」に次の様に書かれていた。意見の賛否は別として、マスコミはこの位、政府を批判して国民に判断を問うても良いのではないか、と思う。

(引用開始)
この国は役人と政治屋の共謀で潰される

全国の老人を泣かせている「後期高齢者医療制度」。
自民党が「平成の姥捨山」と呼ばれるこんな老人イジメの制度を始めたのは、高齢者の医療費を削減するためだ。
実際、制度を導入した小泉内閣は'03年3月「高齢者にも適切な保険料負担を求める」と閣議決定している。…制度を後押ししている連中も「年寄りは医療費が掛る」「このままでは日本の財政はパンクする」なんていっている。

しかし、高齢者の医療費はそんなに国の負担になっているのか?
「姥捨山」をつくらなければならないほどなのか?
答えはノーだ。老人医療費などタカが知れている。

日本の医療費は…略…そのうち後期高齢者に使われている税金は5兆円ほどだ。
GDPの1%にも満たない。(として、日本の医療費が先進諸国の中で最下位であることを指摘している。)

高齢者の医療費にしても、欧米の多くの国が75歳以上の医療費を無料にしている。日本だけが高齢者の医療費を過度に負担している、なんて大嘘だ。

なのに福田自民党は、老人を税金を食いつぶす邪魔者のように扱い、年金から保険料を強制的に徴収し始めたのだから許し難い。

5兆円位なら、老人をイジメなくても、無駄な予算を削れば、いくらでも捻出できるはずだ。

例えば…防衛予算である。戦争も無いのになぜ毎年毎年5兆円近くのカネが必要なのか。しかも防衛予算はムダだらけである。…(普通の支払いなら、それが適正かどうかチェックが入るが、「軍事機密」を盾に防衛予算は「聖域」になっている。その為ムダ金が多い。


「典型例が、米国から1兆円で導入した『ミサイル防衛システム』です。
“精度”に疑問があるのは“公然の秘密”。
さらに1隻1400億円もするイージス艦ですが、漁船が近づいてくることさえキャッチ出来ず衝突しているのですから無用の長物もいいところ。5隻も購入するなんてバカげています。
自衛隊は基地の中にゴルフ場を11も整備しているが、なぜ、税金で自衛隊員のゴルフの面倒まで見なければならないのか。
苦しんでいる老人を助ける方が先でしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)
 

防衛省は「思いやり予算」として米軍に毎年2000億円以上の税金を献上している。
米軍への思いやり予算があるのに、どうして老人への思いやり予算はないのか。
削れる予算は防衛予算だけではない…(略)…なのに福田自民党は防衛予算や道路予算には絶対に手をつけようとしない。
75歳以上の老人が泣き叫ぼうが、無理心中をしようが、あくまで老人に負担を押し付けるつもりだ。その理由はハッキリしている。

「道路予算や防衛予算を大幅に削減しようとしないのは、それが“政官財の利権の温床”になっているからです。
防衛省汚職事件で分かったように、4兆7400億円の防衛予算には政治家・官僚・軍需産業(財界)が群がり、甘い汁を吸っている。
毎年5兆2000億円が自然と入ってくる道路特定財源もまったく同じ構図です。
政治家は地元の土建業者に道路を造らせることでガッポリ儲けさせ、その見返りに献金と票をもらう。
官僚は両者をつなぐことで“天下り先”を確保する。
要するに、政・官・財で税金を山分けしているのです。」(本澤二郎氏)

…税金は国民の為に使われるべきじゃないのか。政治家や官僚、それに連なる業者だけが独り占めしているなんておかしい。


「日本は世界第2位の経済大国の(だった)はずです。税金が適切に配分されていたら、高齢者が老後に苦しむはずがない。
税金の使い方に歪みがあるのは明らかです。
国民がガソリン税の暫定税率の再可決に猛反対したのも、税金が無駄に使われたり、一握りの人間が私腹を肥やしていることに“不信感”を持っているからです。
国民はむやみに増税に反対しているわけではない。払った税金がちゃんと国民の為に使われるのなら、負担が増えても構わないと思っているはずです。
しかし、こんな使われ方をされていては、絶対に増税など認めないでしょう。」(立正大教授・金子勝氏)


血税を国民生活に回さず、自分達だけで山分けしているのは、政権交代が無く、50年間も自民党の独裁が続いているからだ。
税金を国民の手に取り戻すためにも、やはり政権交代が必要なのではないか。
さもないと、庶民の苦しみは永遠に続くことになる。…日刊ゲンダイの記事終わり

この三流紙(失礼!)の方が、四大全国紙と呼ばれている新聞各社より、よっぽどましである。

NHKもひどいものである。政権政党が、民主主義の根底を否定する道路特措法の再可決の暴挙に出た日(日本に民主主義が無くなってしまった日)のニュースを見て、唖然とした。午後7時のニュースはお隣り中国の大地震の被災をトップに扱い、15分以上も現地の悲惨な模様を映し出し、政府は5億円の援助を決めた、と報道。被災地はミャンマーにしても悲惨である、これは映像に映し出さなくても、容易に想像でき、理解できる。「子供を助けて!!」と泣き叫ぶ母親や瓦礫と化した家屋を延々と映し出していた。
それに対し、わが国の歴史の分かれ道ともなる、民主主義の危機については「憲法第○○条の規定に基づき、賛成○○票、反対○○票と2/3以上の賛成多数で再可決されました」と例によっておざなりの言い方しかしていない。
そして、閣議決定を、首相方針と10年間特定財源維持の矛盾(再可決)を解消したかのように問題なしと報道し、10年間維持する法律が国会(立法)で通ったのに、来年以降は適用しないと決め付ける政府(行政)のやり方に「間違いだ」との声を上げない。

報道の仕方のおかしな点については今日の「天木直人のブログ」に詳しい。

書く時間がなくなったので、中途半端ですが、又、次回に続きます。

マスコミは国民の敵だ

2008年05月13日 | Weblog
日記が長らく途絶えたのは精神的に書く余裕が全く無くなってしまったからだ。それほど大きな問題がわが身に起こったからであるが、憲法記念日の憲法に関する記事と13日の道路特措法の再可決のマスコミの取り上げ方についての問題点は書いておかなければと思い、筆をとった。(=キーボードを打った)
その前に、今の政府・マスコミの論調の根っこ=財源不足について書いておく。
少し書かないでいると、書かなければ…と思うことがたまってしまい、まとまらなくなってきているが、今日から何日か掛けて思いつくまま書いて行こうと思う。

◎民主主義は悪しき制度である。しかし、今までの他のあらゆる制度のうちでは最もましである。(W・チャーチル)

無風注:ブレナム宮殿という大邸宅で生まれ、英雄主義的な考えをもったエリートのチャーチルにとっては、民主主義の考え方など“クソ喰らえ”であったはずである。その今までのどの制度よりはマシな民主主義と言う制度を日本国も採用している。

民主主義を採用している国(政府)の重要な役割は、国民から集めた財産(税金)を管理し、国民の福祉の為に公平に分配する事である。

その国家の“家計のやり繰り”を任された政府(政権政党)は、850兆円近い累積赤字を作ってしまった。これは国民や野党の責任ではなく、政府の責任である。政府は国民の負託を裏切ったことになるのだ。

何故、そうなったのか?
いま政府・マスコミが理由にしているのは「少子高齢化」による財源不足だ。だから、政府やマスコミは野党が反対すると、「財源はどうするのか?対案も出さずに、政権を取ろうと何でも反対している無責任政党」と非難する。
果たしてそうだろうか?
会社が赤字になった責任は社長以下経営陣にある、これは世間の常識である。
国が赤字になった責任は政府・政権政党にある、この常識がマスコミによって国民の目から隠され「財源はどうするのか!」と野党非難に向けている。

余談だが、日本はアメリカ軍基地の「思いやり予算」に13兆2000億円、また、戦争拠出金1兆3000億円、さらにアメリカ軍のガム移転費用3兆円と血税をつぎ込んでいる。この戦争拠出金1兆3000億円は他の国が指摘したように“消えてしまった「使途不明金」”の額と同じである。即ち、戦争には使われずアメリカの懐に入った金であり、これで「国際貢献が出来る」とか、これが「日本の国益に適う」使い道であるという。私には納得出来ない。…余談終わり

前の日記で、官僚制の欠点について書いた。

※1.官僚は必要も無いのに肥大化する。(仕事の量に拘わりなくどんどん数が増え続ける。)

※2.官僚の数が増えた分、必要で無い仕事が作り出され、無駄な仕事ばかりが増えていく。

■無風注:前の会社でISOを取得する時、Aという書類・記録が必要となって作成した。そういった記録の保管管理が必要となり、その管理手続きを書いたB書類が必要となり、見直ししたかのC記録、最新版であることのD記録、記録の一覧表E、書類の保管場所のF記録、等々、上手く言えないが、A書類管理の為のB書類、B書類保管に関するC書類、C書類点検の為のD書類、といった仕事が増えていった。官僚の仕事もそれと似通っているのではないか。ISOの場合、必要性があるのでまだマシと言えるが…。

※3.官僚制度の欠点の一つ…セクショナリズムにより、ムダが多発する。

道路整備によりデコボコ道を平らな整備された道にした。その道路を掘り起こしガス菅を埋め込む工事を行ない、後を整備した。その道路を掘り起こし水道管の交換を行ない、後を整備した。その道路を掘り起こし下水工事を行ない、後を整備した。…等々

昔から「日本国の道路はデコボコだらけで悪い道」といわれていたが、日本のように、つぎはぎだらけの道路は先進諸国に類を見ない。

※4.官僚組織では、与えられた年間予算(既得権益)は死守すべきものとされ、その予算(税金)を何が何でも使い切り、次年度に、より高額の予算を獲得することが至上命題となっている。(2007年12月20日の私の日記参照)

その日記を引用(読まれた方は「引用終り」まで飛ばして下さい。

(引用開始)
筆者は、厚生労働省関係に勤め、その内3年間経理課で働いた。
一言でいって、“湯水のような税金浪費”の毎日だった。

例1:「労働経済白書」を毎年刷るが、増刷の要不要に関わらず、毎年3月になると、予算消化の為、版が余っていて増刷不要でも増刷し、刷り上るとそのまま廃棄業者にお金を払って捨ててもらっている。

例2:経理課のパソコンと銀行のパソコンを繋ぐ事になった。
契約しているシステム管理のA法人に相談すると、4000万円位かかる、といわれた。
筆者は、いくらなんでも高過ぎると思い、別のシステム会社に相談すると、「市販の4万円弱のソフトを買うだけでいい」ということだった。
課長に言うと「でもA法人に頼まないわけにいかないでしょ?」と、4000万円で契約しようとした。
A法人は、元大蔵事務次官で当時衆議院議員だったA氏が理事長を務める財団法人で、財務省や各省の元事務次官たちが理事として天下っている。
筆者は、結局、A法人に市販のソフトの“インストール”を頼み、440万円を支払った。

例3:筆者はその部署に割り当てられていた年間予算60億円のうち、2億円を節約して国に返した。
褒められると思っていたら、逆に厚生労働省から「きつく叱られた」!!
「せっかく予算をとってやったのに、使い切らずに返すとは何事か!これでは来年の予算が削られてしまうではないか!」

例4:例3の翌年、経理課長は全職員にわざわざ“経理通達”を出した。
「今年は必ず、予算を使い切ってください。決められた予算通りでなくても、言い訳が出来るなら目的外使用でもかまいません」(名目をこじつけてでも予算(我々の税金)を使い果たせ!)
だから、年度末の3月になると、職員は予算消化に血眼になる。

例5:年度末には、庶務課員が「旅費が余っているから出張は無いか?」と聞いて回り、皆んなが“必要の無い出張”に出かける。
私(筆者)は、部長から「お母さんと旅行にでも行ってきなさい」といわれて現金10万円を渡され、本当に母と二人で九州旅行に行った。
「視察」と称して同僚とアメリカにいった年もあった。一人100万円を使って、観光・グルメ・ショッピングをした。

例6:何かと派手な、コネで入ったキャリア官僚の娘は、部長のお供で出張したとき、ナイヤガラの滝やヨセミテなど、アメリカ横断の国立公園めぐりをしている。

●これは、私の職場だけのことではない。どこの省庁でも同じである。

無風注:このあと、各省庁の2006年度の月毎の支出推移が図で示されていて、「どの省も3月の支出が他の月とは桁外れに多い」と指摘。

(引用続き)
決算月に纏めて払う支出する(工事代金を年度末に払う)といった理由もあるが、それだけではない、年度内の予算消化のためである。
各省庁の2月の歳出合計は一般会計だけで3兆円、それが3月になると18兆円に跳ね上がる。

[無風注:このあと他省のあきれかえる例が挙げられ、国土交通省・財務省等の3月支出の不要不急と思われる物品購入や工事がたくさんあった。と指摘]

役所が予算消化に躍起になるのは「ポストは予算についてくる」と言われ、予算(税金の分配)が増えるに伴い“管理職”や“天下り先”が増えるからである。

(無風注:政府はいま、道路関係の独立行政法人50社を半分に削減しようとしているが、それだけ無駄な税金投入先が現存すると言うことだ。)

3月のムダな予算消化をやめるだけで、消費税4%分(9兆円)の増税が免れる。
増税に走る前にやるべきことは沢山ある。…引用終り

■マスコミは道路財源の無駄遣いの小さな箇所(「温泉旅行」「マッサージチェア」等)は指摘するが、兆円や億円単位の大きなムダ使いを指摘はしない。

新しい資料があるのに、古い資料をもとに59兆円の道路予算を要求し政府はそれを「都度、検討していく」として通してしまった。前にも書いたように、道路予算は採算が取れる計画に対して割り当てられるものであるのだが、実態は下記の通りである。

(朝日新聞5月12日朝刊より引用)

地方有料道、6割が赤字 76%が需要予測下回る

全国の地方道路公社が運営する有料道路の約6割が、通行料収入では建設費を返済できない「赤字路線」となっていることがわかった。返済のために重ねた借金の処理で、最終的に多額の税金を投入することになる恐れが強い。ずさんな交通量予測に基づく道路整備が各地で続いている実態が浮かんだ。

全国39の地方道路公社に、それぞれが運営する有料道路の06年度の実績を取材し、計125路線のデータをまとめた。
有料道路は、道路特定財源などを原資とする国からの借入金や銀行からの借入金などでまかなった建設費を、完成後原則30年間の償還期間内に料金収入で返済し、以後は無料開放する仕組み。
計画交通量を達成できず、想定した通行料収入が得られないと、新たに返済資金を借り入れる必要があり、雪だるま式に借金が膨らむことになる。
各公社によると、06年度の交通量が計画に達しなかったのは125路線中95路線(76.0%)。うち23路線は経費節減で支出を抑えるなどして、建設費の償還計画を守ったが、72路線(57.6%)は、通行料収入では足りず、新たに銀行から借り入れたり、黒字路線による内部留保資金から充当したりして返済資金をまかなった。

交通量の達成率の全路線平均は81.9%。50%に満たなかったのは28路線に及んだ。…中略

…残る70路線は新たな税金の投入や料金徴収期間の延長といった方策が必要となる恐れが強い。

これまでに無料開放された64路線の中でも、29路線は当初計画通りに借金を返すことができず、地元自治体が補助金や負担金などの形で肩代わりし、その総額は500億円を超える。
借金が膨らむのを防ぐため、償還期間の途中で大規模な税金を投じ、借金を返済し無料開放した例も少なくない。…後略…記事引用終り

■今回の道路整備59兆円について

国土交通省の道路整備計画(予算請求)は国勢調査の「交通需要推計」により「費用対便益」(道路をつくる費用とつくったことによる便益・メリット)分析の結果が1より大きい、あるいは1.2より大きい(メリットがある)ものについてのみ採用し、事業を実施する計画に入れ予算請求する。逆に国交省では道路の整備は「費用対便益」が1より大きくないと実施できないことになっている。

今回の国土交通省の59兆円予算の申請は平成11年度の国勢調査による「交通需要推計」により「費用対便益」を算出し1または1.2より大きいとした金額であった。
ところが、申請の元になる「交通需要推計」は平成17年度に行なった国勢調査で、平成19年3月に更新されていたのだ。

つまり、新しい「交通需要推計」があるにもかかわらず同省は古い推計を元に59兆円を確保しようとしたのである。
国交省はこのことをヒタ隠しに隠していた。
理由は簡単。新しい資料では将来の交通需要(推計)が著しく下落しているからである。道路族が道路を造り続ける根拠が根底から崩れてしまう。

こういう行為を、普通は「詐欺」と呼ぶ。=騙して国民の税金を分捕るのであるから、国民に対する詐欺、裏切り行為である。

今までも「費用対便益」が1.0~1.2(=メリットあり)として作られた道路の6割が「赤字」で地方財政を逼迫させてきた。

年金もそうだが、こうした国による詐欺をマスコミは国民に問題提起しない。
時間が無いので、次回に続きます。

話は変わりますが、今回の道路特措法について以下の事を考えてみて下さい。

(新聞記事)
今後10年間、ガソリン税収を道路特定財源に充てる改正道路整備費財源特例法が、衆院で3分の2以上の賛成多数で再可決され、成立した。

これに先立ち、政府は、特例法の「道路財源制度の規定は、2009年度から適用されない」とする方針を閣議決定した。

「10年間」とする法律と、「今年度限り」という政府方針との間には矛盾がある。…記事引用終り

法律を成立させたのは「立法の府」=国会である。
その法律を「今年度限りである」としているのは、「行政の府」=政府である。

もう一度、60年前の文部省作成「民主主義」を思い出してほしい。

★政府(行政)が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。
議会は無用の長物と化する

マスコミはこの重要な日本国の問題について、一つもコメントしていない。
「憲法の規定に基づいて、2/3の多数で再可決されました」

★なんでも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないという風になれば、それはまさに「多数党の横暴」である。

★多数決という方法は、用い方によっては多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある











続・続・独裁国家「日本」の誕生

2008年05月02日 | Weblog
最初に訂正があります。「テレビ」が出て来なかったり、「馬に乗って」との表現でおかしいな?と思い確認したら文部省が「民主主義」の教科書を刊行したのは昭和48年ではなく、1948年、即ち、今から60年前でした。

気が付いた箇所は訂正しておきましたが、古臭い表現を別にすれば、世の中をみる基本のところは、現在でも充分通用するものがあると思います。

★多数決という方法は、用い方によっては「多数党の横暴」という弊害を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。

新テロ特措法の「再可決」、ガソリン暫定税率の「再可決」、13日に予定している道路整備財源特例法の「再可決」

これらは、衆院で圧倒的多数を占める政権政党の「民主主義そのものの根底を破壊する」行為、であるにも拘らず、テレビ・新聞は全く国民に問題提起していない。

こんな国の大事を「憲法に則って」と言っているだけなのだ。
河野議長の閉じ込め作戦を「議会制民主主義の冒涜」とする報道番組。

考えてもみるがいい、衆議院で可決された法案が、参議院で否決された場合の憲法の基本的な考え方は「差し戻し裁判」と似ていて「問題のある法案だから、もう一度よく改正等を検討して採決しなさい」ということである。
憲法も一党で2/3の圧倒的多数を占めるとは考えていなかったのだ。それほど今の与党は「何でも出来る」圧倒的多数を占めてしまっている。

新テロ特措法が衆議院で否決されるや否や、待ってましたとばかり、再可決する政権政党。これが民主主義の破壊でなくて何なのか。

★何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども、民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。

★政府(内閣・行政)が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。議会は無用の長物と化する

■この圧倒的多数による横暴(民主主義の破壊)を全く国民に開示せずに…、

「税制関連法は衆院で可決後、参院に送られてから60日たっても議決されず、憲法の規定で否決したものとみなされた。
この間、賛否すら決することの出来ない参院は自らの存在を否定したようなものではないか。
とりわけ、参院第1党の民主党の責任は重い。」

と、野党を悪者にしている。本末転倒の社説である。
「今日は一日酔っぱらっては、いなかった」といった表現と同じことである。

無風注:見返してみたら言い足りなかったので、後から下記を追加した。

■「この間、賛否すら決することの出来ない参院」とは、この社説を書いた人は何を見てきたのか!
新テロ特措法を参院で否決するや否や「胸をホットなでおろし」「待ってました」と即日「再可決」した事実を見て来なかったのか!
参院否決による56年ぶりの「再可決」と報道されたはずだ。
今回、参院で否決したら、テロ特措法同様、即「再可決」されるが、報道は「また再可決されました。これは3ヶ月半ぶりの出来事です。」となってしまう。
だから野党としては「みなし否決での衆院再可決は56年ぶり2回目のことです」と報道してもらい、国民に政府の非道をアピールしようとしたのだ。
何が「賛否すら決することの出来ない参院」だ、何が「参院は自らの存在を否定したようなもの」だ、数の暴力で「再可決」という民主主義の破壊を行なって参院を否定しているのは、政権政党なのである。「権力の手先」になるのも、いい加減にしてもらいたい。マスメディアは昔の過ちを又繰り返しているのだ。…以上、追加コメント終わり

昔、子供の頃、電柱に張ってあった乱闘国会の写真と、それを起こした野党非難の「こんなことが許されるのか!」との見出しをみて、(野党は)「ヒドイね」と歳のはなれた兄貴に言ったら、「こうするしかない野党の理由もあるのさ」と兄貴が言っていたことを思い出した。その時は意味が全く分からなかった。多数による横暴(強行採決)に対抗する手段であり、今の裁決欠席と同じなのだ。乱闘も欠席も「多数による横暴」があって始めて実行されるものである。この「民主主義の破壊行為」を取り上げずに「欠席するとは何事だ。話し合いをしないとは何事だ。」と野党を責めている。

マスメディアが政府に金○を握られて言いなりになっている事は、私の2007年10月19日の日記「支配の構造」に書いた通りなので、省くが、(注:放送事業が「政府」の免許制であること、等が書かれています)国民は、政府・マスメディアの言うことを眉に唾をつけて聞くよう心掛けてください。

少し例を挙げる。

(ガソリン暫定税率)
福田首相発言「ガソリンが安くなると、国民に『自動車に乗ってガソリンを大いに使って』と奨励する雰囲気になる。環境問題を真剣に考えている国々が『逆行だ』と思うことはしたくない」

ガソリン税下げる→CO2増える→環境への取組みに対し日本の国際的評価落ちる

福田首相発言「政治のツケを国民のみなさんに回す結果となったことについて、心よりおわびを申し上げます」
各マスメディア「ガソリン価格が下がったと思ったら1か月で元に戻る。この騒ぎは一体何だったのか」=暫定税率を廃止して国民を混乱に陥れた民主党が悪い。(この前提には道路がつくれなくなった、財源をどうするのか、がある)

私には、暫定税率が廃止されたときに、ことさらに混乱を写し出し、1ヵ月後の「再可決」(民主主義の破壊)を当然の様にしてしまったマスメディアの罪は大きい、と思えるのだが…。
世論調査で分かる通り、実際は暫定税率廃止で国民は混乱していない。
国民の混乱は、通常に戻った税率を政府が民主主義破壊の数の暴力「再議決」で、再び税を上乗せした事によって生じたのである。
「4月から続いている混乱」といった、民主党が暫定税率を正常に戻したのが混乱の原因としようとしているマスメディアの言葉に騙されないで下さい。「財源」の話も同様です。

これについては、5月1日付けの「天木直人のブログ」がまとめて次の様に書いている。

(引用開始)

ガソリン減税の混乱を煽り立てるメディア

この国の政治を語る事は馬鹿らしく思えてくる。だから極力書かずにすまそうとしてきたのだが、これだけはどうしても書いておかなければならないと思った。

それはガソリン税をめぐる報道姿勢についてである。

世論の多くがガソリン減税を支持し、暫定税率復活に反対していた。
それにもかかわらず福田首相は復活させた。
国民に喧嘩を売っているようなものだ。どう考えても福田首相は反国民的である。

それにもかかわらず、メディアは福田首相への批判に向かわない。

ガソリン価格が下がったのはわずか一ヶ月間だ。

「また値上げが復活した、何のための価格値下げだったのか、混乱するばかりだ。」などと、あたかも民主党が反対した事が混乱の原因であるかのような報道ばかりだ

そんな情報操作に惑わされる事なく、我々は一連の税制改革について、それが国民のための議論ではなく、課税権限を手放したくない官僚と、その官僚に乗った自民党政治の税制改革でしかない、という一点を見逃してはならない。

それを教えてくれた貴重な記事を、4月29日の毎日新聞に見つけた。
財務省と総務省(旧自治省)が、地方財源改革をめぐって対立しているという記事である。

すなわち、財務省は地方への税源移譲を認めるのであれば、その代わりに国が一般財源から地方に配分する地方交付税を大幅に削減すると主張する。

しかし、総務省(旧自治省)は、地方交付税は自分たちが自治体を支配するための既得権であると捉えている。
だからはじめに地方交付税の削減ありき、という財務省の方針には徹底的に反発する。

実は福田首相が暫定税率復活にここまで固執する理由も、財務省と国交省(旧建設省)の対立という、国民不在の官僚支配にある

すなわち、暫定税率の名の下に道路建設予算を既得権益化している国交省と、その国交省から道路建設予算を既得権益化して配分してもらっている自治体は、一般財源化などくそ食らえ(大反対)なのである。

そんな官僚のエゴを抑えきれない福田首相の官僚依存体質こそ、ガソリン税復活に見せた国民不在の福田政治の正体なのである。

マスメディアがこの事を知らないはずはない。

この国民不在の、官僚による血税の奪い合いを放任している福田政治の本性を知らないはずはない。

しかし、マスメディアは、自民党・官僚体制を敵に回しては情報をもらえないとばかり、本当の事を国民に知らせようとしない。

国民から背を向けて、もっぱら自民党と官僚の方ばかりを見ている。

そんなマスメディアこそが国民の本当の敵であるのかも知れない。…引用終り

そう思ってテレビ・新聞を見るよう心掛けましょう。

タイトルを変えて次回に続きます。明日からの連休は所用で日記は書けないと思いますので、あしからず。


続・独裁国家「日本」の誕生

2008年05月01日 | Weblog
昨日の続きですので、4月30日の私の日記から先に見てください。

ガソリン代から通常の倍取りしていた暫定税率を政権政党が復活させた。

テレビの報道番組を見て開いた口が塞がらなかった。ここまで国民の目を逸らし、国民を馬鹿にするのか、と思った。

ある民放は、河野議長を閉じ込める作戦をした民主党を取り上げ「民主党は、この日、党員に“三ダメ”を指示しました。」と、クイズでよく見かける文字を目隠ししたテープを貼った、その最後に「…はダメ」を三行並べてあるパネルを写し出し、一枚ずつ剥がしていったのだが、最初「一張羅はダメ」二つ目「スカートはダメ」三つ目「動きの良くない服装はダメ」と順次剥がしていって「この三つです!」と民主党の“作戦暴露”?を行なっていた。

他の民放では、元国会議員“ハマコウ”の大きな写真パネルを掲げ、そのハマコウが国会に乗り込み?、議長閉じ込めは「議会制民主主義の冒涜だ」「民主党の平岡?を出せ!」とわめいた…云々と報道。

昨日の60年前の文部省作成の教科書「民主主義」を見られた方なら、誰でも、この報道の仕方は「おかしいな?」と思うはずである。いくら視聴者のウケを狙う、といっても、ガソリン代を払う庶民にとって深刻な増税(+原油高)をこんな報道で誤魔化していいものか? これで視聴者がウケると思っているテレビ局は国民を馬鹿にしきっている。

上記の「議会制民主主義の冒涜」についてのコメントをする前に、暫定税率復活についての新聞の社説についても載せておきたい。

その前に言っておきたいことがある。
私は「首相のコメントは、流石に優秀な官僚達が考えた文章だな」と感心した。
国民の70%が反対している“一旦廃止された倍取り税率”を復活させようというのであるから、あの位の文章を作らないと国民を騙すことは出来ないのだから当然と言えば当然なのだが…。

(新聞記事抜粋)
■(首相は、暫定税率廃止によって)「歳入不足が継続する無責任な状態の解消が必要だと判断した。国民が家計のやりくりに苦労している時に再び負担をお願いするのは、本当に苦しい判断だった」と理解を求めた。
「結果的に、政治の混乱のツケを国民生活に及ぼすことになった。便乗値上げが行われないよう、監視する。」

(日経社説抜粋)
厳しい財政事情や環境対策を考慮すると再可決はやむを得ないと考える
租税特措法案などは参院に送付されて2ヶ月以上経過したにもかかわらず参院が議決しなかったため、憲法59条に基づき、みなし否決の規定が適用された。みなし否決は56年ぶりの適用である。予算の歳入を確保するのは内閣の責任であり、憲法の規定に沿ってみなし否決、衆院の再可決を行うのは与党として当然である
ただし、政治の不手際によって1カ月の間にガソリン価格が大きく変動し、国民生活に混乱を与えたことは遺憾である。与野党の双方に深い反省を求めたい。(日経5月1日社説)

(読売社説抜粋)
ガソリン価格が下がったと思ったら1か月で元に戻る。この騒ぎは一体何だったのか。
今のガソリン価格は上がる。しかし、下げたままでは2兆6000億円という大幅な歳入欠陥が生じる。そのツケはいずれ納税者に回る
憲法の規定に基づいて、再可決で関連法を成立させたのは、政府・与党としての責務である。
(…どの新聞も首相の言う“一般財源化”を支持しているが、その部分は今回テーマと外れるので略す…)

税制関連法は衆院で可決後、参院に送られてから60日たっても議決されず、憲法の規定で否決したものとみなされた。
この間、賛否すら決することの出来ない参院は自らの存在を否定したようなものではないか。
とりわけ、参院第1党の民主党の責任は重い。暫定税率廃止を言うのなら、もっと説得力のある代替財源を示すべきだった。

ガソリン値下げを勝ち取ったと言っているだけでは、ポピュリズム(大衆迎合主義)の政治に堕しかねない。…後略…

(朝日社説抜粋)…朝日も一般財源化を支持しているが、それを置いて考えるとさすがに偏向新聞(ウィキぺディア風の注釈:“偏向新聞”とは、政府を批判する新聞につけられた愛称)の片鱗をみせている。

■福田首相は「毎日60億円の歳入が失われている。歳入不足の解消が必要だ」と、国民に理解を求めた。だが、これではとうてい納得できない。
政府や地方自治体が予定している歳入に穴が開くというのは、確かに大変なことだ。だが、この間の国会審議で明らかになったのは、この税収の使い方に根本的な問題があることだった。
それでもなお、一度廃止された税金を復活させたいと言うなら、無駄遣いや利権構造にどう切り込み、道路予算をどれだけ減らす覚悟なのか、具体的に示さねばならなかったはずだ。(中略)
与党は今月半ばにもう一度、衆院で道路特定財源を10年間維持する法案を再可決する方針だ。
それにしても、首相や与党がここまでガソリン税に熱心なのを見ると、やはり道路予算は聖域なのか、という思いを深くする。
聖域を守ろうとするのは、自民党の道路族議員たちだ。その下には建設業界や地方自治体の首長、議員らが連なる。道路は「土建国家日本」の岩盤であり続けてきた。
道路が住民の利便性だけでなく、公共事業という形で地域経済を底支えしている現実はその通りだ。だが、少子高齢化や財政の悪化を考えれば「道路は別枠」の考え方はもはや通用しない。まず一般財源化するのは避けられない選択だ。首相が「道路特定財源を09年度から一般財源化する」と言い切ったのは大きな決断だった。
それにもかかわらず、道路特定財源を温存する法案を再可決して成立させるというのは矛盾である。首相はこの法案を断念すべきなのだ。

今回の再可決は、小泉政権時代の郵政選挙で得た衆院の巨大議席があればこそ可能になった。当時の小泉首相は一般財源化を言っていたのに、それとは逆の方向にその時の1票が使われようとしている。釈然としない思いの有権者は多いに違いない。

福田内閣は自民党内の首のすげ替えで誕生し、その後、自民党政治は総選挙の審判を受けていない。
再可決の説得力のなさは、政権の正統性の乏しさをいよいよ浮き彫りにした。(朝日5月1日社説)


さて、無風老人の日記にもどるが、テレビ・新聞が取り上げていない、重要な点がある。
政府を監視し、国民に問題を提起すべきマスメディア、その全マスメディアの報道に、昨日の民主主義の見方が欠落しているのだ。

昨日の日記を見てもらいたいのだが、復習の意味で、多数決についての“教科書”の断片を載せておく。

★民主政治は、「多数決主義」と「選良主義」との長所を取って、それを組み合わせたような具合になっている。
★しかし、多数の意見だからその方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言い得ない。
★なんでも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないという風になれば、それはまさに「多数党の横暴」である。
★多数決という方法は、用い方によっては多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。
★多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにたてまつり上げ、一切の反対や批判を封じ去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができる。
★(ナチスドイツの様に多数決により、政府が立法権を持つという法律を通したが)政府(内閣・行政)が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。
議会は無用の長物と化する

これが、今の日本の現状である。

当初、政府が2年間だけのガソリン暫定税率を延長させようとしたとき、野党は猛烈に反対したが、多数の与党の強行採決により延長が決まった。(…と記憶しているが…?)衆参両院とも圧倒的多数の与党体制になってからは、世論に問うことも無く延長されてきた。
本来なら、国民の了解も得ずに税金を30数年間も2倍取っていたことに対し、マスメディアは一斉に政府批判をするべきではないか?
参院で野党が多数を占めて初めてこの「事実」が明らかになったのに「ねじれ国会」「政治を停滞させた」「国民を混乱に落としいれた」と政府と一緒になって野党を責める。

この“暫定税率”も、“医療制度”も、「財源はどうする」(対案も出さずに国民のウケだけを狙って(ポピュリズム)、政権をとろうとしている、と言う政府・マスメディアの意見)

これも、おかしな話なのだ。すでに、このプロパガンダにより、国民は「財源が無い」のを前提として考えている。

暫定税率でも「倍取り部分が廃止されたら、2.6兆円の歳入減となり、道路が作れなくなる」というスリコミが国民になされているが、どこのマスメディアも「今まで年間710億円の道路特定財源が570億円に減ります(宮崎県)」といった具体的数字を挙げずに、あたかも道路財源がゼロになるような言い方をして「地方自治体と庶民」の争いに持っていっている。

余談だが、権力者は自分への批判を避けるため=権力維持の為に弱いもの同志を争わせようとする。
詳しくは書かないが、「地方と庶民」「老人と若者」「超過酷労働の1割の公務員と庶民」(9割の超ヒマな公務員に対する庶民の批判に対し)等々…。(余談終わり)

さて、ここから昨日の「民主主義」の教科書の続きを載せます。

★今日の社会(35年前の社会)には世論を伝える道筋がいろいろと発達している。
(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等により)ある程度まで世論を知ることができる。それ(マスメディア)は国民に対して、現在どういうことが問題となり、どんな点に関心が持たれているかを知らせる道であると同時に国民の代表者たちに世論の傾向を判断させる有力な材料ともなるのである。
 
しかし、新聞や雑誌やラジオや講演会などは、用い方如何によっては、世論を正しく伝える代わりに、ありもしない世論をあるように作り上げたり、ある一つの立場にだけに有利なように世論を曲げて行ったりする非常に有力な手段ともなりうる。

もしも、自分たちだけの利益を図り社会の利益を省みない少数の人々が、巨額の金を投じて新聞や雑誌を買収し、一方的な意見や、ありもしない事実を書き立てさせるならば、国民大衆が実際には反対である事柄をあたかもそれを欲しているように見せかけることができる。

そうして、国民自身が、いつのまにか、それをそうだと思いこんでしまうこともまれではない。

人々は、その場合「宣伝」=プロパガンダに乗せられているのである。

(以降、宣伝=報道=新聞記事・テレビの報道番組と置き換えて読んでください)

報道機関を通じて行われる宣伝は、何も悪い働きだけをするわけではない。

偽らない事実、国民が知らなければならない事柄を、新聞やラジオや講演会によって広く国民に伝えるのは、ぜひしなければならない宣伝である。

そういう正確な事実や情報を基礎にして、良識のある国民が、これはこうでなければならないと判断したことが、ほんとうの世論なのである。

しかし、宣伝は悪用されると、とんでもない方向に向かって国民の判断を誤らせることになるのである。

少人数だけの計画していることが、金と組織の力を通じて議会を動かし国民に大きな不利益をもたらすような法律を制定させてしまうこともありうる。

だから、宣伝の正体をよくつかみ、それがほんものであるか、にせものであるかを明らかに識別することは、民主国家の国民にとっての非常にたいせつな心がけてあるといわねばならない。

宣伝はしばしば悪用される。そういう悪い意味での宣伝とは、利己的な目的をわざと隠して、都合のよいことだけをおおぜいの人々に伝え、それによって自分たちの目的を実現するための手段なのである。

たとえば、ある種のテレビや新聞がある政党と特別の関係を持っているとする。
それらのテレビや新聞がその党から金を出してもらっているという事実を隠して、この党の主張に有利なような論説や記事を載せるとする。
その場合、それらのテレビ・新聞雑誌はこの党の宣伝の道具になっているのである。

日本国民に大きな悲劇をもたらしたあの太平洋戦争でも、政府や軍部が権力と金とをつかって宣伝したために、初めは戦争をしたくないと思っていた人々も、だんだんと戦争をしなければならないという気持になり、戦争に協力するのが国民の務めだと信ずるにいたった。実際には負け続けてばかりいたのに、まことしやかな大本営発表などというものにあざむかれて、勝ちいくさだと思いこんでしまった。戦争がすんで、これほどまでにだまされていたのかとわかっても、あとの祭であった。宣伝の力の恐ろしさは、日本国民が骨身にしみるほどに知ったはずである。

そこで、たくみな宣伝によって国民がどんなふうにだまされるかを、もう少し立ち入って考察してみることにしよう。


<宣伝によって国民をあざむく方法>

せん動政治家、(中略)が決まって目をつけるのは、いつもふみにじられて、世の中に不平を持っている階級である。こういう階級の人たちは、言いたい不満を心ほど持っている。しかし、訴えるところもないし、自分たちには人を動かす力もない。それで、しかたなく黙っている。せん動政治家は、そこをねらって、その人たちの言いたいことを大声で叫ぶ。その人気を取る。もっともらしい公式論をふりまわして、こうすれば富の分配も公平に行き、細民階級の地位も向上するように思いこませる。自分をかつぎ出してくれれば、こうもする、ああもできると約束する。(中略)かれらの思うつぼである。そこを利用して政権にありつく。公約を無視してかってな政治をする。結局、一番犠牲になるのは、政治の裏面を見抜くことのできなかった民衆なのである。
 
扇動政治家が民衆を扇動することをデマゴジーという。日本では、略してデマという。日本語でデマを飛ばすといえば、いい加減なでたらめなことを言いふらすという意味である。デマがデマだとわかっていれば弊害はない。まことしやかなデマには、よほどしっかりしていないと大抵の人は乗せられる。自分に有利なデマ、相手に不利なデマ、それが入り乱れて飛び、人々はそれを信ずるようになってしまう。

これをもう少し分析してみると、宣伝屋が民衆をあざむく方法には次のような種類があるといいうるだろう。

第一に、宣伝屋は競争相手やじゃまな勢力を追い払うために、それを悪名をもってよび、民衆にそれに対する反感を起こさせようとする。保守的反動主義者・右翼・ファッショ・国賊・左翼・赤・共産主義者などいろいろな名称が利用される。今までの日本では、自由な考えを持った進歩的な人々が「あれは赤だ」という一言で失脚させられた。民主主義がはやり出すと「あれは反動主義者だ」といって、穏健な考えの人々を葬ろうとするだろう。それに、あることないこと取りまぜて言えば、いっそう効果があるに相違ない。
 
次はそれとは逆に、自分の立場にりっぱな看板をかかげ、自分のいうことに美しい着物を着せるという手である。真理・自由・正義・民主主義などということばは、そういう看板には打ってつけである。しかし、ひつじの皮を着たおおかみを仲間だと思いこんだひつじたちは、やすやすとおおかみのえじきになってしまうだろう。

三番めは、自分たちのかつぎ上げようとする人物や、自分たちのやろうとする計画を、かねてから国民の尊敬しているものと結びつけて、民衆にその人物を偉い人だと思わせ、その計画をりっぱなものだと信じさせるやり方である。たとえばドイツ国民には、民族というものを大変に尊く思う気持ちがあった。ナチス党は、そこを利用して、ヒトラーはドイツ民族の意志を示すことのできる唯一の人物であるように言いふらした。また、日本人には、昔から天皇をありがたいと思う気持がある。戦争を計画した連中は、そこをつかって、天皇の実際のお考えがどうであったかにかかわらず、自分たちの計画通りにことを運ぶのが天皇のお心にかなうところだと宣伝した。そうして、赤い紙の召集今状を「天皇のお召し」だと言って、国民をいやおうなしに戦場に送った。

四番めには、町の人気を集めるために、民衆の気に入るような記事を書き、人々が感心するような写真を新聞などに出すという手もある。たとえば、ふだんはりっぱな官邸に住んで、ぜいたくな生活をしている独裁者でも、労働者と同じように、スコップで土を掘っている映画を見せれば、人々はその独裁者を自分たちの味方だと思う。総理大臣が自動車で遠い郊外にでかけて、貧しい村の入口でうまに乗り替え、農家を訪問して慰労のことばを語っている写真を出せば、人々は、忙がしい大臣が自動車にも乗らずに民情を視察しているのだと思って感心する。

五番目は、真実とうそをじょうずに織りまぜる方法である。いかなる宣伝も、うそだけではおそかれ速かれ国民に感づかれてしまう。そこで、ほんとうのことを言って人をひきつけ、自分の話を信用させておいて、だんだんとうそまで本当だと思わせることに成功する。あるいは本当の事実でも、その一つの点だけを取り出して示すと、言い表し方次第では、まるで逆の印象を人々に与えることもできる。
その一例として、次のようなおもしろい話がある。

印度洋を航海するある貨物船で、船長と一等運転士とが一日交替で船橋の指揮にあたり、当番の日の航海日誌を書くことになっていた。船長はまじめ一方の人物だが、一等運転士の方は老練な船乗りで、暇さえあれば酒を飲むことを楽しみにしていたために、二人の件はよくなかった。ある日、船長が船橋に立っていると、一等運転士が酔っぱらって、ウイスキイのあきびんを甲板の上にころがしているのが目についた。船長は、それをにがにがしく思ったので、その晩航海日誌を書く時に、そのことも記入しておいた。翌日、一筆運転士が任務についてその日誌を読み、まっかに怒って、船長に抗議を申しこんだ。
「非番の時には、われわれは好きなことをしてよいはずです。私は、任務につきながら酒を飲んだのではありません。この日誌を会社の社長が読んだら、私のことをなんと思いますか。」
「それは私も知っています。」と船長は静かに答えた。「しかし、君がきのう酔っぱらっていたことにはまちがいはない。私は、ただそうの事実を書いただけです。

内心の不満を押さえて任務に服した一等運転士は、その晩の航海日誌に、「きょう、船長は一日じゅう酔っぱらっていなかった。」と書いた。次の日にそれを見て怒ったのは、船長である。
「私が酔っていなかったなどと書くのは、けしからんではないか。まるで、私は他の日はいつも酔っぱらってでもいるようにみえる。私が酒を一滴も飲まないことは、君も知っているはずだ。君は、うその報告を書いて私を中傷しようとするのだ。
「さよう。あなたが酒を飲まないことは、私もよく知っています。しかし、あなたがきのう酔っていなかったことは、事実です。私は、ただその事実を書いただけてす。」と一等運転士はひややかに答えた。
航海日誌に書かれたことは、どちらも事実である。しかし、言い表わし方のいかんによっては、事実とは反対の印象を読む人に与えることがこれでわかるであろう。

 もう一つ、忘れてならない重要なことは、民衆がよほど注意しないと、宣伝戦ではいろいろな立ち場の党派が金をつかって世論を支配しようと努め、一番多くの資金を持っている者が勝を制するということである。たとえば、ある党派が、企業の国家管理のように、企業家にとって不利な法案が議会を通過するのを妨げようとして運動し、それがうまく行かないとみると、こんどは、その法律をほとんど骨抜きにするような条文を入れようと努力する。もしも、そのような企てが金の力で成功したとするならば、民主主義は、それだけ金権政治に道をゆずったことになるのである。


  宣伝機関

 現代の発達した宣伝技術で一番大きな役割を演じているのは、新聞と雑誌とラジオである。その他、ポスター・ビラ・映画・講演などもよく利用されるが、今言った三つは特に重要であり、中でも新聞の持つ力は最も大きい。新聞は、世論の忠実な反映でなければならない。むしろ新聞は確実な事実を基礎として、世論を正しく指導すべきてある。しかし、逆にまた新聞によって世論がねつ造されることも多い。

 新聞が宣伝の道具として持つ価値が大きいだけに、これを利用しようとする者は、巨額な金を投じて新聞を買収しようとする。あるいは、自分の手で新聞を発行する。その新聞がどんな人物により、またどの政党によって経営されているかがはっきりしていれば、読む人もそのつもりで読むから、大した弊害はない。しかし、それをそうと見破りにくいような名まえの新聞でじょうずに宣伝をやると、国民の考えを大きく左右することができる。違った名まえの幾つもの新聞を買収すれば、いっそう効果がある。そのようにして、外形だけは民主主義の世の中にも金権政治が幅をきかせる。「地獄のさたも金次第」という。金が万能の力をもって世論を思う通りに動かすようでは、ほんとうの民主主義は行われ得ない。

また、文字制限に引っかかってしまった。私のコメントなしで終わるが60年前なので、新聞・ラジオは出てくるが、現在主流のテレビが出てこない。「新聞」や「雑誌」を今風に「テレビ」に変えて読むと実感が沸くのかも知れない。