他のブログ・サイトにずっと以前に書いたことを乗せておく。
ネットを見ていると、頭がおかしいのではないか?と思わせるブログに出くわす。
例1:「子どもが歴史の本を読んでいて,母親に『おかあさん,この世界大戦ってなあに?』と訊き,母親が『昔,世界中がお互いに殺しあって2000万人以上の人が死んだのよ』と答え,それに対して子どもが『ふーん,そんな馬鹿なことをしてたときもあったんだ』という、そんな時代が来るといいですね。」 という意見のブログ(?)に対し、「ご安心下さい。 そんな世界は人類が滅亡するまで来ません。あなたも子どもにそんな間違った教育をするのはやめましょう。」(言葉はもっと茶化した,汚く罵るような馬鹿にした言い方だったと記憶している)
例2:文字の変換を間違えたまま投稿(?)した人の意見に対し、「誤字があるような人の意見は間違っている」と,馬鹿にした汚い罵る口調で,その人の意見の内容には触れずに否定しているブログ。
例3:戦争はいけない、でも現実は…といって、現実を知らない、と戦争反対派を嘲笑し馬鹿にしているブログ。(前に載せた大学生のブログはまだマトモ)
現状を自分にかかわることとして捉えていない。「他の国を攻撃するという馬鹿げたことは今の若者はしない」といって国の手で行なわれることになった愛国心教育を危惧する声を「左翼」とか「日教組の自虐思想の影響」といい、自分が巻き込まれるとか組み込まれる、といった意識が欠如している。
全く「他人事」と見ている。傍観者的意見、即ち観客席から舞台の内容に意見を言っている様なものである。
何故、こういった頭がおかしい考えをするようになったのか。
(1)テレビは一方通行であり、ドラマにしても災害や戦争の実況中継にしても、その現場の痛み等の臨場感覚は伝わらないし、視聴者側から意見等のフィードバックも出来ない。赤ん坊のときからテレビを見て育ったからか?
(2)テレビで視聴者参加番組やコント55号らのお笑い番組を見ていて明治生まれの親父から「そんな番組ばかり見ていると,一億総白痴(日本国民全員バカ)になってしまうぞ」とよくいわれたが、その世代が親になったからか?
……文章の一部に不適切な言葉がございましたが作者(当時の言い回し)の意図を尊重し,そのまま掲載しました。
(差別用語については,たくさん言いたいことがあるが,またあとで)
(3)どこかの学者が,ドラクエやFF等のゲームをやっている最中の子の脳波を調べたら「重度の精神障害者」(実は上と同じ言葉)の脳波と同じだったと発表していたが,子どもたちがゲームをやりすぎたせいか?
日本の子供の学力で「読解力」が41カ国中14位に落ちてしまったのは,そのせいか?
(4)速水氏のいうように「本来,努力して,しかし挫折して悲嘆に暮れている人に対して、援護的慰めと再起の言葉として向けられるべき『Only One』という言葉が、なんの努力もしていない人にまで蔓延して根拠の無い『仮想的有能感』をもってしまい、他人の能力や実力を先行否定することで、事前の自己防衛と位置的上位感を実現する。」といった人が増えているからか?
*仮想的有能感を持った人の特徴
・やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる
・根拠のない有能感に浸る
・自分に甘く、他人に厳しい
・努力せずに結果が欲しい
・「悪い」と思っても謝らない…以上、「他人を見下す若者たち」速水敏彦著
今の日本人(特に若者)の間違った考え方の例をいくつか挙げておく。
・(他のブログより)その日も昼休憩に一旦帰宅すべく駐輪場に向かうと、ウチの原付の近くに駐輪してある原付にまたがってなにやらしている女子高生が二人。
よく見るとミラーが取れたようで、必死で『なんでつかへんのじゃー』と言いつつ取り付け作業をしている。『あらら、取れたか。』と内心思いながら、我が原付へ。ふと気づくと、ウチの原付にあるはずのミラーがない。
周りを見渡すと、先ほどの女子高生二人組が目に入る。その手にしているのは間違いなくウチの原付のミラー。
ウチはその女子高生に詰め寄った。「こら!なんで人のミラー盗んで自分のにつけようとしているんだ」
女子高生二人はハァ?って顔をしてから「これ私らのや!!」とのたまわった。
「さっきから必死でつけてるみたいやけど、車種、メーカーともに違うヤツやから付く訳ないだろう!お前らの物って言うんだったら、そんな苦労しないだろうが!」そしたら、この女学生、こともあろうか。
「私これから用事があって行かなあかんねん。その為にはコレがいるねん!」
(あきれて、しばし沈黙)
それはお前の都合だろうが!
「それはお前の都合であって、俺の都合じゃ無いだろうが!!なんで俺がお前みたいなのに無償でミラー提供しなきゃいけないのか!」
それでも、一人の女学生の方は
「そんなん私には関係ないやん!」
あー、ダメ。同情する余地もなくなった。…以下略。
■万引きで捕まると「金払えばいいんだろ!」と開き直る若者が多いと聞く。「ジコチュウ」と罪の意識が無い。
自転車泥棒が多い。盗んだ人は上の女子学生のように罪の意識がないのだろうが、盗んだ人は、自転車を盗まれたことによって、「持ち主の人生が変わってしまうことも起こりえる」と考えたことはないのだろうか。例えば重要な待ち合わせを予定していた持ち主が、自転車で何分かかる、と予定して駅に着いたところ自転車が無い、携帯を持っていない、タクシーも来ない、お金も持っていない、等々で時間に間に合わなくてその持ち主の人生に大きな影響を与えることもあり得るのだ、と「罪の意識無く、盗んでいる人」は思わないのだろうか。気楽に盗んだことで、その持ち主が自殺に追いやられることも起こりえないとはいえないのだ。
昔、イタリア映画「自転車泥棒」を見た。内容は忘れてしまったが、アントニオが自転車を盗み、皆んなに追いかけられた時、子供ながらに「何とか逃げて!」と願ったものだ。捕まったときの親子のシーンが頭に残る。
ウィキペディアより「自転車泥棒」の内容紹介
第二次世界大戦後のイタリア(戦争に負けて不景気状態のイタリアの悲惨な日常)
2年間職に就けなかったアントニオ・リッチは、職業安定所の紹介で役所のポスター貼りの仕事を得る。
仕事に就くためには自転車が必要だと言われるが、生活の厳しいアントニオは自転車を質に入れていた。 妻のマリアが家のベッドのシーツを質に入れ、その金で自転車を取り戻す。
新しい職にうかれるアントニオを見て、6歳になる息子のブルーノも心を躍らせる。
ブルーノを自転車に乗せ、意気揚々と出勤するアントニオ。 しかし仕事の初日、ポスターを貼っている最中に自転車を盗まれてしまう。 警察に届けるも「自分で探せ」と言われる始末。 自転車がなければ職を失う。新しい自転車を買う金もない。アントニオは自力で自転車を探し始める。
友人のバイオッコに相談した結果、翌朝に広場のマーケットへ探しに行くことに。 ブルーノを連れて、マーケットへ向かうアントニオ。 広場には大量の自転車が売りに出されていたがアントニオの自転車は見つからない。 息子ともに途方に暮れている中、アントニオは犯人らしき男が老人と会話しているのを見かける。 男を追いかけるも逃げられてしまい、続けて老人を追う。 老人は「何も知らない」と言い張るが、食い下がり老人についていく。 老人は施しを行う教会に入った。 アントニオとブルーノも中に入って老人を問い詰め、さっき話していた男の住所を聞き出すが、目を放した隙に逃げられてしまう。 老人に逃げられたことをブルーノに責められ、アントニオはブルーノの顔をぶってしまう。
ブルーノを慰めるために、高級レストランに入るアントニオ。 周囲が豪華な食事をする中、肩身の狭い思いで食事をする。 ポスター貼りを続けられればもっと生活が楽になるんだ、だからなんとしても自転車を見つけたい、とアントニオは息子に語る。 昨日までインチキだとこき下ろしていた占い師にも頼ってみるが、「すぐに見つかるか、出てこないかだ」としか言われず何の進展もない。
貧民街で犯人とおぼしき男を見つけたアントニオは、激しく男を問い詰める。 しかし男は何も知らないと言う。 昂ぶった街の男たちに取り囲まれたアントニオの元へ、ブルーノが警官を連れてくる。 警官とともに男の家を捜索するが、自転車は見当たらない。 証拠もなく、証人もいなければこれ以上の捜査はできないと警官が言う。 アントニオはあきらめ、住民に激しくなじられながら貧民街をあとにする。
あてもなく歩き、サッカーの試合を開催しているスタジアムの前で座り込む二人。 目の前には観客が乗ってきた大量の自転車。 背後には人気のない通りに一台の自転車が止まっている。 アントニオは立ち上がり、何度も振り返って一台の自転車を気にする。 やがて試合が終わり、退場する観客で通りが混雑し始める。 何か思い立った表情のアントニオは息子に金を渡し、先に帰って待っていろと言う。 そして背後の通りへ恐る恐る歩いていく。
人気のないことを確認し、自転車を盗むアントニオ。 しかしすぐに気づかれ、追いかけられる。 数人の男に追われながら、必死に逃げるアントニオを、バスに乗り遅れたブルーノが見つける。 アントニオは捕まり、男たちに取り押さえられる。 泣きながら父にしがみつこうとするブルーノ。 男たちが警察に突き出す相談にしているところへ盗まれた持ち主が現れる。 ブルーノを見た持ち主は、今回は見逃してやると言い、アントニオを解放する。
弱々しく歩くアントニオ。次第に涙がこぼれ始める。 父の涙を見たブルーノは、強くアントニオの手を握る。 手をつないだまま、親子は街の雑踏の中を歩いていく。…引用終り
昔の子供は純粋だったのか、感情移入が素直に行なわれ、他人の気持ちになれた、気がする。
一例だけで終わってしまったが、次回に続きます。
ネットを見ていると、頭がおかしいのではないか?と思わせるブログに出くわす。
例1:「子どもが歴史の本を読んでいて,母親に『おかあさん,この世界大戦ってなあに?』と訊き,母親が『昔,世界中がお互いに殺しあって2000万人以上の人が死んだのよ』と答え,それに対して子どもが『ふーん,そんな馬鹿なことをしてたときもあったんだ』という、そんな時代が来るといいですね。」 という意見のブログ(?)に対し、「ご安心下さい。 そんな世界は人類が滅亡するまで来ません。あなたも子どもにそんな間違った教育をするのはやめましょう。」(言葉はもっと茶化した,汚く罵るような馬鹿にした言い方だったと記憶している)
例2:文字の変換を間違えたまま投稿(?)した人の意見に対し、「誤字があるような人の意見は間違っている」と,馬鹿にした汚い罵る口調で,その人の意見の内容には触れずに否定しているブログ。
例3:戦争はいけない、でも現実は…といって、現実を知らない、と戦争反対派を嘲笑し馬鹿にしているブログ。(前に載せた大学生のブログはまだマトモ)
現状を自分にかかわることとして捉えていない。「他の国を攻撃するという馬鹿げたことは今の若者はしない」といって国の手で行なわれることになった愛国心教育を危惧する声を「左翼」とか「日教組の自虐思想の影響」といい、自分が巻き込まれるとか組み込まれる、といった意識が欠如している。
全く「他人事」と見ている。傍観者的意見、即ち観客席から舞台の内容に意見を言っている様なものである。
何故、こういった頭がおかしい考えをするようになったのか。
(1)テレビは一方通行であり、ドラマにしても災害や戦争の実況中継にしても、その現場の痛み等の臨場感覚は伝わらないし、視聴者側から意見等のフィードバックも出来ない。赤ん坊のときからテレビを見て育ったからか?
(2)テレビで視聴者参加番組やコント55号らのお笑い番組を見ていて明治生まれの親父から「そんな番組ばかり見ていると,一億総白痴(日本国民全員バカ)になってしまうぞ」とよくいわれたが、その世代が親になったからか?
……文章の一部に不適切な言葉がございましたが作者(当時の言い回し)の意図を尊重し,そのまま掲載しました。
(差別用語については,たくさん言いたいことがあるが,またあとで)
(3)どこかの学者が,ドラクエやFF等のゲームをやっている最中の子の脳波を調べたら「重度の精神障害者」(実は上と同じ言葉)の脳波と同じだったと発表していたが,子どもたちがゲームをやりすぎたせいか?
日本の子供の学力で「読解力」が41カ国中14位に落ちてしまったのは,そのせいか?
(4)速水氏のいうように「本来,努力して,しかし挫折して悲嘆に暮れている人に対して、援護的慰めと再起の言葉として向けられるべき『Only One』という言葉が、なんの努力もしていない人にまで蔓延して根拠の無い『仮想的有能感』をもってしまい、他人の能力や実力を先行否定することで、事前の自己防衛と位置的上位感を実現する。」といった人が増えているからか?
*仮想的有能感を持った人の特徴
・やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる
・根拠のない有能感に浸る
・自分に甘く、他人に厳しい
・努力せずに結果が欲しい
・「悪い」と思っても謝らない…以上、「他人を見下す若者たち」速水敏彦著
今の日本人(特に若者)の間違った考え方の例をいくつか挙げておく。
・(他のブログより)その日も昼休憩に一旦帰宅すべく駐輪場に向かうと、ウチの原付の近くに駐輪してある原付にまたがってなにやらしている女子高生が二人。
よく見るとミラーが取れたようで、必死で『なんでつかへんのじゃー』と言いつつ取り付け作業をしている。『あらら、取れたか。』と内心思いながら、我が原付へ。ふと気づくと、ウチの原付にあるはずのミラーがない。
周りを見渡すと、先ほどの女子高生二人組が目に入る。その手にしているのは間違いなくウチの原付のミラー。
ウチはその女子高生に詰め寄った。「こら!なんで人のミラー盗んで自分のにつけようとしているんだ」
女子高生二人はハァ?って顔をしてから「これ私らのや!!」とのたまわった。
「さっきから必死でつけてるみたいやけど、車種、メーカーともに違うヤツやから付く訳ないだろう!お前らの物って言うんだったら、そんな苦労しないだろうが!」そしたら、この女学生、こともあろうか。
「私これから用事があって行かなあかんねん。その為にはコレがいるねん!」
(あきれて、しばし沈黙)
それはお前の都合だろうが!
「それはお前の都合であって、俺の都合じゃ無いだろうが!!なんで俺がお前みたいなのに無償でミラー提供しなきゃいけないのか!」
それでも、一人の女学生の方は
「そんなん私には関係ないやん!」
あー、ダメ。同情する余地もなくなった。…以下略。
■万引きで捕まると「金払えばいいんだろ!」と開き直る若者が多いと聞く。「ジコチュウ」と罪の意識が無い。
自転車泥棒が多い。盗んだ人は上の女子学生のように罪の意識がないのだろうが、盗んだ人は、自転車を盗まれたことによって、「持ち主の人生が変わってしまうことも起こりえる」と考えたことはないのだろうか。例えば重要な待ち合わせを予定していた持ち主が、自転車で何分かかる、と予定して駅に着いたところ自転車が無い、携帯を持っていない、タクシーも来ない、お金も持っていない、等々で時間に間に合わなくてその持ち主の人生に大きな影響を与えることもあり得るのだ、と「罪の意識無く、盗んでいる人」は思わないのだろうか。気楽に盗んだことで、その持ち主が自殺に追いやられることも起こりえないとはいえないのだ。
昔、イタリア映画「自転車泥棒」を見た。内容は忘れてしまったが、アントニオが自転車を盗み、皆んなに追いかけられた時、子供ながらに「何とか逃げて!」と願ったものだ。捕まったときの親子のシーンが頭に残る。
ウィキペディアより「自転車泥棒」の内容紹介
第二次世界大戦後のイタリア(戦争に負けて不景気状態のイタリアの悲惨な日常)
2年間職に就けなかったアントニオ・リッチは、職業安定所の紹介で役所のポスター貼りの仕事を得る。
仕事に就くためには自転車が必要だと言われるが、生活の厳しいアントニオは自転車を質に入れていた。 妻のマリアが家のベッドのシーツを質に入れ、その金で自転車を取り戻す。
新しい職にうかれるアントニオを見て、6歳になる息子のブルーノも心を躍らせる。
ブルーノを自転車に乗せ、意気揚々と出勤するアントニオ。 しかし仕事の初日、ポスターを貼っている最中に自転車を盗まれてしまう。 警察に届けるも「自分で探せ」と言われる始末。 自転車がなければ職を失う。新しい自転車を買う金もない。アントニオは自力で自転車を探し始める。
友人のバイオッコに相談した結果、翌朝に広場のマーケットへ探しに行くことに。 ブルーノを連れて、マーケットへ向かうアントニオ。 広場には大量の自転車が売りに出されていたがアントニオの自転車は見つからない。 息子ともに途方に暮れている中、アントニオは犯人らしき男が老人と会話しているのを見かける。 男を追いかけるも逃げられてしまい、続けて老人を追う。 老人は「何も知らない」と言い張るが、食い下がり老人についていく。 老人は施しを行う教会に入った。 アントニオとブルーノも中に入って老人を問い詰め、さっき話していた男の住所を聞き出すが、目を放した隙に逃げられてしまう。 老人に逃げられたことをブルーノに責められ、アントニオはブルーノの顔をぶってしまう。
ブルーノを慰めるために、高級レストランに入るアントニオ。 周囲が豪華な食事をする中、肩身の狭い思いで食事をする。 ポスター貼りを続けられればもっと生活が楽になるんだ、だからなんとしても自転車を見つけたい、とアントニオは息子に語る。 昨日までインチキだとこき下ろしていた占い師にも頼ってみるが、「すぐに見つかるか、出てこないかだ」としか言われず何の進展もない。
貧民街で犯人とおぼしき男を見つけたアントニオは、激しく男を問い詰める。 しかし男は何も知らないと言う。 昂ぶった街の男たちに取り囲まれたアントニオの元へ、ブルーノが警官を連れてくる。 警官とともに男の家を捜索するが、自転車は見当たらない。 証拠もなく、証人もいなければこれ以上の捜査はできないと警官が言う。 アントニオはあきらめ、住民に激しくなじられながら貧民街をあとにする。
あてもなく歩き、サッカーの試合を開催しているスタジアムの前で座り込む二人。 目の前には観客が乗ってきた大量の自転車。 背後には人気のない通りに一台の自転車が止まっている。 アントニオは立ち上がり、何度も振り返って一台の自転車を気にする。 やがて試合が終わり、退場する観客で通りが混雑し始める。 何か思い立った表情のアントニオは息子に金を渡し、先に帰って待っていろと言う。 そして背後の通りへ恐る恐る歩いていく。
人気のないことを確認し、自転車を盗むアントニオ。 しかしすぐに気づかれ、追いかけられる。 数人の男に追われながら、必死に逃げるアントニオを、バスに乗り遅れたブルーノが見つける。 アントニオは捕まり、男たちに取り押さえられる。 泣きながら父にしがみつこうとするブルーノ。 男たちが警察に突き出す相談にしているところへ盗まれた持ち主が現れる。 ブルーノを見た持ち主は、今回は見逃してやると言い、アントニオを解放する。
弱々しく歩くアントニオ。次第に涙がこぼれ始める。 父の涙を見たブルーノは、強くアントニオの手を握る。 手をつないだまま、親子は街の雑踏の中を歩いていく。…引用終り
昔の子供は純粋だったのか、感情移入が素直に行なわれ、他人の気持ちになれた、気がする。
一例だけで終わってしまったが、次回に続きます。