本当に「国民を戦争に駆り立てるのは簡単です」とヒットラーの右腕として有名なゲーリング元帥が証言した通り、マスメディアの誘導により、日本国民の半数以上が継子扱いされている「崇高な使命を担い、命を懸けて国を守っている自衛隊」を憲法を改正し正規の自衛軍(国防軍)として認めてあげようじゃないか、と考えてしまっている。
これらの人々はマスメディアの報道によって
戦争は悪だけれど現実は戦争が起こっている。
だから、相手に攻めてこられたら自分も身を守るために戦うだけの軍備は必要だ。
と考えるに至っている。
あなたはもう一度、頭の中をサラにして、下記3点について考えてほしい。
①憲法って何だろう?
②緊急避難・正当防衛?(自由と正義と民主主義を守るための戦争)
③相手が軍隊を繰り出して日本に攻めてくる、または核ミサイルを日本に打ち込んでくる理由(条件)
また、ショートコメントで済ませたいために今日は②の緊急避難・正当防衛について
この「緊急避難」「正当防衛」は“戦争を否定しない人達”の理論の根拠です。
人は「生きたい」とする生存本能があります。食欲や性欲(子孫を残す)・睡眠欲等がこの生存本能についています。
従って自分は「死にたくない」「殺されたくない」から社会の中に真っ先に「なんじ殺すなかれ」といった戒律が出来上がります。
同様に「自分は死にたくない」から“カルネアデスの板”(船の遭難で浮かんでいる板に摑まっていた人が同じくその板に摑まろうとしてくる人を“二人摑まったら二人とも沈んで溺れ死んでしまう”と相手を蹴飛ばして沈めてしまったとしても罪に問われない、というもの)といった「緊急避難」や殺そうとしてやってくる相手を反対に殺してしまっても罪にならないという「正当防衛」の考えが生じます。
日本の法律でも「緊急避難」や「正当防衛」は認められています。
ただこれは個人でもよく見受けられる様に直ぐに「強迫観念」により「過剰防衛」となり易いものです。
支配層やマスメディアはここを突きます。
アメリカがイラク戦争を始めた時の宣言が良い例です。(前にも載せましたが再掲します)
ならずもの国家とテロリスト達が大量破壊兵器を持ち、アメリカに対してその大量破壊兵器を使う可能性が増している。
われわれは、ならずもの国家(イラク)が我々を脅したり合衆国に対して大量破壊兵器を使用できるようになる前に阻止しなくてはならない。
ならずもの国家の目的を知った以上、合衆国はもはや今までのように受身の態勢にのみ頼っているわけにはいかない。
今日の差し迫った脅威、我々の敵が選ぶ兵器によって引き起こされるかもしれない被害の規模を考えれば、そのような(座して死を待つような受け身の)選択は許されない。
我々は敵に最初に攻撃させる訳にはいかないのだ。(2002年6月1日ブッシュ大統領)
これがアメリカのイラク戦争突入の口実です。結果、大量破壊兵器などどこにもなかった。
(余談)世界情勢に疎い私は、このイラン戦争の時、テレビにより「イラクのフセインは極悪非道の独裁者で民主主義の敵であり、フセインをやっつけたら虐げられていた国民は歓喜の声でアメリカ軍を解放軍として歓迎するのだろう」と思い込まされていた。
しかし某国会議員(一兵卒)が『軍事力で他国の政府を倒すことはできても、その国の民を治めることはできない』とアメリカのこの戦争に『賛成できない』と言ってご主人様(アメリカ)の怒りを買い潰された?人がいましたが、まさにその通りの様相になっている。
日本のマスメディアは「自爆テロ」と報道しているがその基の言葉を翻訳すれば「自爆攻撃」であり、日本の特攻と同じで、軍事力で圧倒的に弱いものが強いものに対して攻撃を仕掛ける非常手段なのだ。何故彼らがジハード(聖戦)と呼んでいるか?あなたは理解しているのか。
「戦争や嫌だけど国が無くなってしまうのも…」
「戦争は嫌だけど黙って殺されるのも嫌だし…」
「国益が損なわれようとしているのに!国益を守るために戦わないのか!愛国心が無いのか!」
そして戦争になったら「あなたは自分の家族が親兄弟が恋人が子供が殺されようとしているのに、戦わないのか!黙って殺されるのを見ているのか!」となる。
「○○人に自分の家族を殺された」といった相互に「憎悪の連鎖」も起こる。
「戦争を仕掛けられた場合に、少しでも被害が少なくするようにするのが政治の責任」なのではありません。
「政治家の最大の使命は戦争を防ぐ努力をすること」(亀井静香氏)なのです。
私が“カルネアデスの板”状態にあっても、それが自分の子供だったらその子供を板に摑まらせて自分は沈んで行ったでしょう。
また逆にどうしても生きて恋人のもとに帰りたいとの生への執着があれば、摑まろうとして寄ってくる人々を片っ端から沈めて行ったかもしれません。
生への執着で思い出しましたが、子供の頃「到底こんな行為は私には出来ない」と強烈な印象を受けたお釈迦様の前世の話(マハーサットヴァ王子の話)があります。
(概要)
昔、マハーラトナと言う王があり、三人の王子がいました。
ある日、三人の王子達は林の中で遊んでいました。
その林の中には、二頭の子を連れた母虎が棲んでいましたが、長い間獲物にありつけなかった母虎は飢えに責められて二頭の自分の子虎を食おうとしていました。
三人の王子のうち二人の兄王子は逃げ去ろうとしましたが、末のマハーサットヴァ王子は、虎の前に我が身を投げ出しました。
飢えた母虎は、マハーサットヴァ王子の体に食いつき、二頭の子虎は命を救われたのでした。
末の王子が虎に食われた事を知った父王と王妃は林へ行きマハーサットヴァ王子の遺骸を見た二人は悲しみの余り気絶しました。
その王子は、父母の前に姿を現わし「父王よ、私は我が身を捨てて飢えた虎を救った功徳によって兜率天に生まれました。
存在するものは必ず無くなり、生あるものには決まって死が訪れます。
これが生きとし生けるもののさだめなのです。」と語った。
続いて凄い生き方だなと思ったマハトマ・ガンジー氏の話(私と意見の食い違うブログのガンジー氏の部分を盗用)
ガンジー氏はイギリスの植民地支配のインドで、イギリスの不当な圧政に「非暴力・非服従」運動を展開し、徹底的に「抵抗した」のである。
武力を振るわず、敵を憎まず、人徳の力で戦った彼には多くの民衆が続いた。
アムリトッサル虐殺事件では軍隊が武器を持たない民衆の集会に発砲、400人以上が死亡した。
ガンジーは「私の仲間に、一人でも背中に銃弾を受けた者がいるなら見せてくれ」と言った。
つまり背中を撃たれるというのは、背を向けて逃げた証拠だから。そして、死体は全て胸に銃弾を受けていたという。
真の「非暴力」はかくも激烈なのである。
ショートコメントがどんどん長くなるので前にも何回か書いたことを並べて筆を下ろしたい。
◎今までに『正しい戦争』とか、『間違った平和』というものは在ったことがない。(ベンジャミン・フランクリン)
◎もっとも「正しい戦争」よりも、もっとも「不正な平和」を選ぶ。 (キケロ)
◎憎しみに激怒で立ち向かうなら 戦(たたか)いも争(あらそ)いも終わらない
許すことがすべての憤(いきどお)りと妬(ねた)みを終結し あなたを永遠の至福に導く(仏教の教え)
◎誰が何と言っても戦争って汚くて、むごたらしく、嫌ぁなものです。
これも人生の必然ならよろこんでしなければならないんだが…。
ウソッパチの新聞武勇談みたいなことは現代の戦争にはないと思いなさい。
僕には許されても(ウソの武勇談なんか)書けないよ、さいなら (「きけわだつみのこえ」より戦没学徒兵の手記)。…多少無風の修正あり
◎いかに多くの罪悪が《国家のために》(国益のため)という美名の仮面のもとになされたことか。(マクドナルド)
◎戦争は国民の生活問題を何一つ解決しません!何一つ!
それは働く者(国民)のみじめな状態をさらにみじめにするだけだ。(マルタン=デュ=ガール)
◎国家は祖国ではない。
それを混同させるのはそれによって儲ける連中だけだ。(ロマン・ロラン)
◎勝利に終わる戦争と言えども,常に一つの悪であると私は考える。
政治は民衆をそれ(戦争)から守る努力をしなければならぬ。(オットー・フォン・ビスマルク)
◎往時においては母国のために死ぬことは心地よく,ふさわしいものであると書かれたが、近代戦争では戦死が心地よくふさわしいものは何もない。
諸君は犬のように死ぬであろう。(犬死するだけだ)(ヘミングウェー)
◎戦争とは、最も罪深い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいう。(トルストイ)
◎暴力に拘わることには全く参加せず、あらゆる迫害に苦しむことを覚悟すれば戦争は無くなるであろう。
それが戦争をなくす唯一の方法である。(フランス「散歩場の楡の木」)
◎私は人を斬ることが嫌いで、一人も斬ったことが無い。ひとに斬られても自分は斬らぬ、との覚悟だった。
(勝海舟)
◎如何に必要に感じようが、如何に正当に感じようが、戦争を「犯罪でない」と考えてはならない。
◎真実の非暴力を貫かずして、誰の開放も有り得ない。(マハトマ・ガンジー)
◎悪い平和は、良い戦争よりも良い。(ロシアの古い諺)
◎戦争は死です。 (ローマ法王ヨハネ・パウロ二世)
◎戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。
(内 村鑑三)
◎どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。(ドラえもん)
◎戦争は悪である。たとえ相手が悪だとしても (ジミー・カーター)
◎人類から愛国主義者をなくすまでは, 平和な世界は来ないであろう。(バーナード・ショウ)
◎我々の平和とは? アメリカの武器によって強いられたパックス・アメリカーナではない。
墓場の平和, 奴隷の安全でもない。
それは人々が子供達のためにより良い生活を築く希望のある真の平和。
永続する平和。
それを不可能, 非現実的というのは敗北主義である。(戦争は無くならない、戦争は必然と考える者の事)
人間がもたらした問題は人間が解決できるはず。
結局の所, 我々は皆この小さな地球に住み, 同じ空気を吸い, 子供の未来を思いやりながら, 命を終えるのだから。(ジョン・F・ケネディ)…こんな考えだから暗殺された?
◎世界平和のために出来ることですか? 先ず家に帰って家族を愛しなさい。(マザー・テレサ)
今日はここまで、またね。
これらの人々はマスメディアの報道によって
戦争は悪だけれど現実は戦争が起こっている。
だから、相手に攻めてこられたら自分も身を守るために戦うだけの軍備は必要だ。
と考えるに至っている。
あなたはもう一度、頭の中をサラにして、下記3点について考えてほしい。
①憲法って何だろう?
②緊急避難・正当防衛?(自由と正義と民主主義を守るための戦争)
③相手が軍隊を繰り出して日本に攻めてくる、または核ミサイルを日本に打ち込んでくる理由(条件)
また、ショートコメントで済ませたいために今日は②の緊急避難・正当防衛について
この「緊急避難」「正当防衛」は“戦争を否定しない人達”の理論の根拠です。
人は「生きたい」とする生存本能があります。食欲や性欲(子孫を残す)・睡眠欲等がこの生存本能についています。
従って自分は「死にたくない」「殺されたくない」から社会の中に真っ先に「なんじ殺すなかれ」といった戒律が出来上がります。
同様に「自分は死にたくない」から“カルネアデスの板”(船の遭難で浮かんでいる板に摑まっていた人が同じくその板に摑まろうとしてくる人を“二人摑まったら二人とも沈んで溺れ死んでしまう”と相手を蹴飛ばして沈めてしまったとしても罪に問われない、というもの)といった「緊急避難」や殺そうとしてやってくる相手を反対に殺してしまっても罪にならないという「正当防衛」の考えが生じます。
日本の法律でも「緊急避難」や「正当防衛」は認められています。
ただこれは個人でもよく見受けられる様に直ぐに「強迫観念」により「過剰防衛」となり易いものです。
支配層やマスメディアはここを突きます。
アメリカがイラク戦争を始めた時の宣言が良い例です。(前にも載せましたが再掲します)
ならずもの国家とテロリスト達が大量破壊兵器を持ち、アメリカに対してその大量破壊兵器を使う可能性が増している。
われわれは、ならずもの国家(イラク)が我々を脅したり合衆国に対して大量破壊兵器を使用できるようになる前に阻止しなくてはならない。
ならずもの国家の目的を知った以上、合衆国はもはや今までのように受身の態勢にのみ頼っているわけにはいかない。
今日の差し迫った脅威、我々の敵が選ぶ兵器によって引き起こされるかもしれない被害の規模を考えれば、そのような(座して死を待つような受け身の)選択は許されない。
我々は敵に最初に攻撃させる訳にはいかないのだ。(2002年6月1日ブッシュ大統領)
これがアメリカのイラク戦争突入の口実です。結果、大量破壊兵器などどこにもなかった。
(余談)世界情勢に疎い私は、このイラン戦争の時、テレビにより「イラクのフセインは極悪非道の独裁者で民主主義の敵であり、フセインをやっつけたら虐げられていた国民は歓喜の声でアメリカ軍を解放軍として歓迎するのだろう」と思い込まされていた。
しかし某国会議員(一兵卒)が『軍事力で他国の政府を倒すことはできても、その国の民を治めることはできない』とアメリカのこの戦争に『賛成できない』と言ってご主人様(アメリカ)の怒りを買い潰された?人がいましたが、まさにその通りの様相になっている。
日本のマスメディアは「自爆テロ」と報道しているがその基の言葉を翻訳すれば「自爆攻撃」であり、日本の特攻と同じで、軍事力で圧倒的に弱いものが強いものに対して攻撃を仕掛ける非常手段なのだ。何故彼らがジハード(聖戦)と呼んでいるか?あなたは理解しているのか。
「戦争や嫌だけど国が無くなってしまうのも…」
「戦争は嫌だけど黙って殺されるのも嫌だし…」
「国益が損なわれようとしているのに!国益を守るために戦わないのか!愛国心が無いのか!」
そして戦争になったら「あなたは自分の家族が親兄弟が恋人が子供が殺されようとしているのに、戦わないのか!黙って殺されるのを見ているのか!」となる。
「○○人に自分の家族を殺された」といった相互に「憎悪の連鎖」も起こる。
「戦争を仕掛けられた場合に、少しでも被害が少なくするようにするのが政治の責任」なのではありません。
「政治家の最大の使命は戦争を防ぐ努力をすること」(亀井静香氏)なのです。
私が“カルネアデスの板”状態にあっても、それが自分の子供だったらその子供を板に摑まらせて自分は沈んで行ったでしょう。
また逆にどうしても生きて恋人のもとに帰りたいとの生への執着があれば、摑まろうとして寄ってくる人々を片っ端から沈めて行ったかもしれません。
生への執着で思い出しましたが、子供の頃「到底こんな行為は私には出来ない」と強烈な印象を受けたお釈迦様の前世の話(マハーサットヴァ王子の話)があります。
(概要)
昔、マハーラトナと言う王があり、三人の王子がいました。
ある日、三人の王子達は林の中で遊んでいました。
その林の中には、二頭の子を連れた母虎が棲んでいましたが、長い間獲物にありつけなかった母虎は飢えに責められて二頭の自分の子虎を食おうとしていました。
三人の王子のうち二人の兄王子は逃げ去ろうとしましたが、末のマハーサットヴァ王子は、虎の前に我が身を投げ出しました。
飢えた母虎は、マハーサットヴァ王子の体に食いつき、二頭の子虎は命を救われたのでした。
末の王子が虎に食われた事を知った父王と王妃は林へ行きマハーサットヴァ王子の遺骸を見た二人は悲しみの余り気絶しました。
その王子は、父母の前に姿を現わし「父王よ、私は我が身を捨てて飢えた虎を救った功徳によって兜率天に生まれました。
存在するものは必ず無くなり、生あるものには決まって死が訪れます。
これが生きとし生けるもののさだめなのです。」と語った。
続いて凄い生き方だなと思ったマハトマ・ガンジー氏の話(私と意見の食い違うブログのガンジー氏の部分を盗用)
ガンジー氏はイギリスの植民地支配のインドで、イギリスの不当な圧政に「非暴力・非服従」運動を展開し、徹底的に「抵抗した」のである。
武力を振るわず、敵を憎まず、人徳の力で戦った彼には多くの民衆が続いた。
アムリトッサル虐殺事件では軍隊が武器を持たない民衆の集会に発砲、400人以上が死亡した。
ガンジーは「私の仲間に、一人でも背中に銃弾を受けた者がいるなら見せてくれ」と言った。
つまり背中を撃たれるというのは、背を向けて逃げた証拠だから。そして、死体は全て胸に銃弾を受けていたという。
真の「非暴力」はかくも激烈なのである。
ショートコメントがどんどん長くなるので前にも何回か書いたことを並べて筆を下ろしたい。
◎今までに『正しい戦争』とか、『間違った平和』というものは在ったことがない。(ベンジャミン・フランクリン)
◎もっとも「正しい戦争」よりも、もっとも「不正な平和」を選ぶ。 (キケロ)
◎憎しみに激怒で立ち向かうなら 戦(たたか)いも争(あらそ)いも終わらない
許すことがすべての憤(いきどお)りと妬(ねた)みを終結し あなたを永遠の至福に導く(仏教の教え)
◎誰が何と言っても戦争って汚くて、むごたらしく、嫌ぁなものです。
これも人生の必然ならよろこんでしなければならないんだが…。
ウソッパチの新聞武勇談みたいなことは現代の戦争にはないと思いなさい。
僕には許されても(ウソの武勇談なんか)書けないよ、さいなら (「きけわだつみのこえ」より戦没学徒兵の手記)。…多少無風の修正あり
◎いかに多くの罪悪が《国家のために》(国益のため)という美名の仮面のもとになされたことか。(マクドナルド)
◎戦争は国民の生活問題を何一つ解決しません!何一つ!
それは働く者(国民)のみじめな状態をさらにみじめにするだけだ。(マルタン=デュ=ガール)
◎国家は祖国ではない。
それを混同させるのはそれによって儲ける連中だけだ。(ロマン・ロラン)
◎勝利に終わる戦争と言えども,常に一つの悪であると私は考える。
政治は民衆をそれ(戦争)から守る努力をしなければならぬ。(オットー・フォン・ビスマルク)
◎往時においては母国のために死ぬことは心地よく,ふさわしいものであると書かれたが、近代戦争では戦死が心地よくふさわしいものは何もない。
諸君は犬のように死ぬであろう。(犬死するだけだ)(ヘミングウェー)
◎戦争とは、最も罪深い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいう。(トルストイ)
◎暴力に拘わることには全く参加せず、あらゆる迫害に苦しむことを覚悟すれば戦争は無くなるであろう。
それが戦争をなくす唯一の方法である。(フランス「散歩場の楡の木」)
◎私は人を斬ることが嫌いで、一人も斬ったことが無い。ひとに斬られても自分は斬らぬ、との覚悟だった。
(勝海舟)
◎如何に必要に感じようが、如何に正当に感じようが、戦争を「犯罪でない」と考えてはならない。
◎真実の非暴力を貫かずして、誰の開放も有り得ない。(マハトマ・ガンジー)
◎悪い平和は、良い戦争よりも良い。(ロシアの古い諺)
◎戦争は死です。 (ローマ法王ヨハネ・パウロ二世)
◎戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。
(内 村鑑三)
◎どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。(ドラえもん)
◎戦争は悪である。たとえ相手が悪だとしても (ジミー・カーター)
◎人類から愛国主義者をなくすまでは, 平和な世界は来ないであろう。(バーナード・ショウ)
◎我々の平和とは? アメリカの武器によって強いられたパックス・アメリカーナではない。
墓場の平和, 奴隷の安全でもない。
それは人々が子供達のためにより良い生活を築く希望のある真の平和。
永続する平和。
それを不可能, 非現実的というのは敗北主義である。(戦争は無くならない、戦争は必然と考える者の事)
人間がもたらした問題は人間が解決できるはず。
結局の所, 我々は皆この小さな地球に住み, 同じ空気を吸い, 子供の未来を思いやりながら, 命を終えるのだから。(ジョン・F・ケネディ)…こんな考えだから暗殺された?
◎世界平和のために出来ることですか? 先ず家に帰って家族を愛しなさい。(マザー・テレサ)
今日はここまで、またね。