◎ジェイド・タブレット-外典-11-10
◎世界樹-8
◎五大にみな響あり
ユダヤ教のセフィロトの10球は、結局五大が基本であった。五大は有の世界のことであり、無を包含していないので、7チャクラあるいは、7ボディが無を包含しているのに比べると、世界樹と同様に十全性を欠くように思う。
まずは、空海の声字実相義。
五大にみな響あり (五大皆有響)
十界に言語を具す (十界具言語)
六塵ことごとく文字なり (六塵悉文字)
法身はこれ実相なり (法身是実相)
五大とは、地水火風空のことで、それぞれにバイブレーションがある。
十界とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界であり、死の世界も含めたあらゆるボディの世界。それぞれの世界にリズムとメロディがある。
※仏界はニルヴァーナ。
六塵とは、色・声・香・味・触・法のことで、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るなどの感覚刺激の対象や、思考の対象のこと。それぞれにシンボルとしての文字がある。
こうした現象の現れも実相である窮極の真理である。
このように空海も、現象が五大から展開すると見ている。それが十界というそれぞれの宇宙という場で、感覚や思考の対象となる現象を形成、変動させているのだと。仏界にも響きがあるのだろうかという疑問はあるが、五大では全体とし有の世界を説明しているので、セフィロトと同次元のことを語っている。
さて出口王仁三郎は、空海は、宇宙の根源はア字から出てきたという阿字本義を唱えたが、実はス字本義が正しいと主張した。
どうしてそういうことが起きるのだろうか。古事記の万物の根源の葦牙(あしかび)は、アだったり、スだったりするということなのだろうか。