◎ジェイド・タブレット-06-20
◎青春期の垂直の道-20
◎人工的イメージの匂い
金峯山秘密伝によれば、天智天皇の御世に、役行者が金峯山の大峰山頂で修行をしていた。役行者は、末法の世にふさわしく、濁世に現れる魔物を退治できる強力な仏の登場を祈願したところ、まず過去仏として釈迦が現れ、次に現世仏として千手観音が現れ、次に未来仏として弥勒菩薩が出現した。
役行者はこの三仏の出現に納得せず、更に祈念を凝らしたところ、突然忿怒の顔をした青黒い蔵王権現が出現したので、これを降魔の尊像としたとされる。
一方最も早く金剛蔵王が登場するのは、天平の頃。
天平19年(747年)大仏の鋳造が開始された。その時、聖武天皇は良弁法師に、「金峯山の土地は皆黄金だという噂なので、金剛蔵王に祈って金を手に入れて、大仏鋳造に役立てたらどうだ」と申しつけた。
良弁は、早速金峯山に登って祈願したところ、金剛蔵王が夢に現れて、この山の黄金は採掘してはならぬと禁じたという。
このようにして当時から様々な人の潜在意識下に登場したはずの蔵王権現であるが、その彫像を見るとほとんどすべてが右手を上げ右足を上げたスタイルなのはどうしたことだろうか。
霊界の永続するイメージとして蔵王権現が存在しているならば、いろいろな人が、生き生きと活躍する蔵王権現を見て、その塑像が作成されているはずだが、そうではなくこのポーズだけである。その理由としては、見た人が良弁や役行者に限られ、蔵王権現を見なかった人が説話から想像のみで制作してしまったか、あるいは、実際蔵王権現のビジョンを見た人がいないか、どちらかではないかということである。
蔵王権現は、元は金峯山のローカル神霊ではあるが、鎌倉から南北朝にかけていろいろな説話が付け加えられてはいるが、全くポーズが同じということから、人工のイメージの匂いを感じてしまう。単純に忿怒ポーズのバリエーションが少ないということでもないと思う。
古神道には忿怒尊はなく、なにより図像はない。ちゃんとした密教もなかった当時で、どうして密教由来っぽい神霊を殊更に用いるのだろうか。