◎ジェイド・タブレット-外典-11-4
◎世界樹-2
◎世界樹に吊り下がっている人間の姿
イグドラシルには、世界が倒立しているニュアンスはない。そこで万神の主宰者オーディンが登場してくる。
オーディンの箴言から、
『箴言138.
わしは、風の吹きさらす樹に、九夜の間、槍に傷つき、オーディン、つまり、わし自身に我が身を犠牲に捧げて、たれもどんな根から生えているか知らぬ樹に吊り下がったことを覚えている。』
(エッダ-古代北欧歌謡集/谷口幸男訳/新潮社P38から引用)
九は数の窮極であり、「九夜」とは、長さを計れないほど長い時間または時間を超えた世界。時間を超えた世界であるから、もはや個性をも超えた世界を指す。
「槍に傷つき」とは、クンダリーニというエネルギー・コードに刺し貫かれていること。
「わし自身に我が身を犠牲に捧げて」というのは、自分というものがない絶対者(神、仏)のレベルに至っていること。絶対者においてレベルなどはないが、ここはわが身を捨てるのだ。
このあたりは、古神道の出口王仁三郎が、本来の自己である本守護神を奉斎させたのと同じ。
「誰もどんな根から生えているか知らぬ樹」とは、根っこが絶対者のこと。天である絶対者という根っこからあらゆる人間、動物、生物、無生物というエネルギー・コードの枝葉が伸びている。逆に人間の側から見れば、根っこに向かって上昇していくように見える。
このようにこの箴言は、クンダリーニ・ヨーガ型の冥想体験で、絶対者(オーディン)に到達して、その後絶対者の側から、エネルギー・コード(クンダリーニ)にぶら下がった人間の姿を「世界樹に吊り下がっている人間」の姿と見たものであることがわかる。
つまりこの箴言の視点は人間の視点からではないが、この風景はいつもおなじみのタロットカードの「吊るされた男」で見かける風景であった。