☆虹の身体-1
◎ナムカイ・ノルブの説明
(2014-08-19)
虹の身体とは、七つの身体のどこに位置づけられるのだろうか。虹の身体とは、通俗的な説明をすれば、チベット密教行者が、この世を去るにあたって、7日間密室にこもり、その肉体を虚空に霧消させ、爪と髪の毛だけを残すこと。これだけの説明では、世界の転換もなく、精神性のかけらもない。
以下はナムカイ・ノルブの説明。
『しかしゾクチェンの場合、ただ一回の生で悟ることができるだけでなく、〈虹の身体の大いなる転移〉という特別な悟りが可能になるとされている。この特別な悟りは、パドマサンバヴァやヴィマラミトラ(Vima-lamitra)、あるいはボン教の伝統においては、タピフリスタが成就したものである。
肉体的な死を経過することなしに、身体がふつうの生きものの目から見えなくなり、さまざまな元素の光り輝くエッセンスに変容し、あるいは再吸収される。
たとえ生きているうちに、この虹の身体を悟ることがなくても、死後においてその悟りを成就することができる。現代でも、チベットにおいてこの悟りを成就したゾクチェンの行者は、たくさんいる。この悟りにいたるには、ゾクチェンの特別の修行法が不可欠なだけではなく、師からの伝授が根本的な重要性を持っている。』
(ゾクチェンの教え/ナムカイ・ノルブ/地湧社P67-68から引用)
更に
『虹の身体を成就することはゾクチェンの究極の悟りだ。虹の身体は、報身の本尊とは違っている。虹の身体を成就した存在は、他の生きものと直接に接触し、積極的に助けることができるからだ。虹の身体はまるで肉体のようなものだ。物質的な構成要素はその本質である光に吸収されているが、その微細な側面における元素の集合体として生き続けているのである。
それに対して、報身の神々は受動的だといえる。光のたわむれに満ちた本尊の姿を見るだけのヴィジョナリーな力を持っている者でなければ、接触は不可能だからだ。
悟りは何か人為的に作りあげるものではない。行為や努力から生まれるものでもない。』
(ゾクチェンの教え/ナムカイ・ノルブ/地湧社P82-83から引用)
これだけ読むと、報身の神々よりも虹の身体は微細ではないことはわかる。虹の身体は物質ではないので、肉体でもなく、半物質のエーテル体でもない。他の肉体と意識的にコンタクトできるということなので、アストラル体なのか、メンタル体なのかということになる。
もうひとつ。肉体死を経過しないというのであれば、プロセスとしてどうして一つの悟りと言えるのかという疑問は残る。