◎まず死から
(2014-08-20)
更にナムカイ・ノルブのチベット密教の虹の身体の作り方の説明だが、ダイジェストするとこのようになる。
1.まずその修行者は死ぬ。
2.肉体が五つの原質(地・水・火・風・空)の真の本性の中に溶け入っていく
3.この結果数日~一週間たつと、肉体は、その最も不浄な部分である髪の毛や爪を残し消える。髪の毛と爪だけになるまでの途中では、肉体は縮んでしまうことが知られている。
4.しかし肉体は消えても、その形や特徴は五色の光(五つの原質)の中で保たれる。これを虹と見る。
(叡智の鏡・ナムカイ・ノルプP147による。)
これは、我が意志のままに肉体を虚空に溶け込ませる技術を持ったという証明なのだろうが、その人がどんな悟りにあるのかはさっぱりわからない。技術的にすぐれていることはわかるが、それが単なる達観だったのか、本当の至福にあったのかわからないのだ。
その点で、髪の毛も残さなかった禅僧普化は、ひたすらすごいのひとこと。
『顕教にも、身体が消える悟りはある。ゾクチェンにおいても、テクチューの修行をつうじて、こういう成就が生じることはある。ただし、この場合には、特に、原質のエッセンスの再融合が起こるというわけではない。また、空性を行じ、それをつうじて、不二の境地にとどまる修行をおこなった場合や、密教の修行においても、身体が消える悟りは存在する。
このような悟りは、チベット語では、ルー・ドゥルテンというふうに呼ばれる。
「ルー」というのは肉体、「ドゥル」というのは原子、微塵という意味である。「テン」というのは、この原子、ないし微塵の状態に入っていくという意味だ。徐々に、ゆっくりと、空性のなかに消え去っていくのである。けれどもこれは、虹の身体とは別ものである。
- 虹の身体
虹の身体というのは、肉体が五つの原質の真の本性のなかに入り、そのことによって消える、ということだ。五つの原質というのは、五色の光だ。したがって、肉体は消えても、その形や特徴は、五色の光のなかで保たれたままなのである。
グル・パドマサンバヴァを虹の色で描いたタンカがある。それが虹の身体だと言う人もいるけれども、これは正確ではない。虹の身体の場合、鼻や目の形は、全部もとのままだ。ただ、ふつうの人は、それを見ることができないのである。なぜなら、すべて、原質のエッセンスのなかに消え去ってしまっており、わたしたちには、それを見る能力がないからだ。すこし進歩し、いささかなりとも光明が増せば、虹の身体を見ることは可能だ。光明があれば、虹の身体は見えるのである。
虹の身体であることを示すしるしの一つは、爪と髪の毛が、あとにのこることだ。爪と髪は、肉体の不浄な部分だ。肉体は、純粋な次元に入る。ただ、その不浄な部分は、あとにのこされるわけだ。
ポワ・チェンポ、すなわち大いなる転移という悟りもある。これは、ふつうの虹の身体とは異なっている。伝承によるとガラップ・ドルジェは、この大いなる転移の悟りを得たのだという。しかし、ふつうの虹の身体の悟りを示したという伝承もああ。いずれにせよ、伝記によれば、ヴィマラミトラとグル・パドマサンパヴァは、この大いなる転移の悟りを示したとされる。この場合、死という現象も、ないことになる。
ふつうの虹の身体の場合、まず最初に、死ぬ。その後、肉体がしだいに融解していくのである。たとえば、ひとかけらの氷を太陽の光のなかに置いておくと、 ゆっくりゆっくり、小さくなり、溶けていく。それと同じように、肉体、物質の身体が、原質のエッセンスのなかに溶け入っていく。このエッセンスは、そのまま維持されており、形はのこるのである。したがって、まず最初に死があり、それから一週間、ないしそれ以下の時間がたつと、虹の身体があらわれることになる。』
(叡智の鏡/ナムカイ・ノルブ/大法輪閣P147-150から引用