☆虹の身体と幻身の違いについて
(2014-08-18)
これについては、ナムカイ・ノルブが明快な見解を出している。要するに、幻身は、アストラル体かメンタル体のことであるのに対し、『虹の身体』とは、七つの身体の呼称ではなく、肉体を捨て窮極とコンタクトしつつ別の微細ボディに生きるアートのことなのだと思う。
『ゾクチェンの修行によってもたらされるジャリュ(ja-lus)すなわち虹の身体の悟りは、無上ヨーガ・タントラの密教の修行による「ギュリュ」(sgyu-lus) すなわち「マーヤの身体」ないし「幻の身体」の悟りとは別のものだ。幻の身体は個人の微細なプラーナをもとにしているが、ゾクチェンにおいて、プラーナはつねに相対的な次元だとみなされている。そのため、幻の身体の悟りは、完全な悟りとは見なされないのである。
これに対して、ジャリュ、つまり虹の身体の悟りは、ロンデとメンガギデの成就者たちがもっとも好んで示した悟りの形である。非常に短期間、相承がとだえたことはあったけれども、現在に至るまでずっと、この悟りをあらわす成就者たちは存在している。たとえば、わたしのラマだったチャンチュプ・ドルジェのラマも、このレベルの悟りを成就した。チャンチュプ・ドルジェは、その時現場に居あわせた。だから、それが作り話ではないことを、わたしは知っているのである。
チャンチュプ・ドルジェは、自分のラマだったニャラ・ペマ・ドゥンドゥルが、それまで全部は与えていなかった教えをすべて伝授したいと言って、弟子たちを全員、近くに住むものも、遠くに住むものもすべて呼び寄せた時のことを話してくれたことがある。ニャラ・ぺマ・ドゥンドゥルは教えを伝授し、それから全員で一週間以上も、供養のガナ・プジャをおこなった。ガナ・プジャはラマと弟子、あるいは弟子同士のあいだの障害をなくす、すぐれた方法である。
そうやって一週間が過ぎると、ニャラ・ペマ・ドゥンドゥルは、弟子たちに、死の時が来た、近くの山頂をその場所に選ぶつもりだと告げた。弟子たちは死なないでくれと泣いて頼んだ。だが、時は来た、それを変えることはできない、というのがラマの答えだった。そこで、弟子たちは彼について山の頂上まで登っていったのである。
ニャラ・ペマ・ドゥンドゥルは、そこに小さなテントを立てた。それから、弟子たちにテントを完全に縫い合わさせ、完璧に自分を封印させた。そして、それから、七日間のあいだ静かにほうっておいてくれるように言ったのである。
弟子たちは山を降り、ふもとで野営しなから、七日間待った。その間じゅうものすごい量の雨が降り、たくさんの虹が立った。七日後、弟子たちは山頂に一戻り、テントを開けた。テントは弟子たちがそこに置いて山を降りたときと同じで、縫われたままになっていた。そして、その中に弟子たちが見いだしたのは、ラマの服と髪の毛、そして爪だけだったのである。彼の服は俗人のものだった。それが、彼の坐っていたところに、真ん中にベルトをつけたまま重ね合わされ、残されていた。ニャラ・ペマ・ドゥンドゥルは、ちょうど蛇が皮を脱ぎ捨てるように、その服を残していったのである。
わたしのラマはその現場にいて、わたしにこの話をしてくれた。だから、わたしはそれが事実であり、またそういう悟りは可能だということを知っているのである。』
(虹と水晶/ナムカイ・ノルブ/法蔵館P175-177から引用)