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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

地下鉄サリン事件26年とオウム真理教

2025-03-21 13:10:27 | マインド・コントロールneo

◎何も変わっていない

(2021-03-21)

 

オウム真理教事件があってから、世に宗教勧誘と聞けばそれだけで拒否反応を起こされるケースが多くなり、ヨーガ教室や能力開発セミナーなどの形で、カルトの勧誘は地に潜ったと言える。

いまや半島系などの新興カルト信者も、家庭を作り子供を持ち、二代目信者三代目信者ができてきており、時々社会面をにぎわす事件報道として出ることがある。カルトの世襲の時代ということになる。

日本では政教分離。国家神道が国家総動員、治安維持、戦争遂行の重要なエンジンとして機能した時代の教訓から政教分離となったのだが、某政党が公然と政教分離していないのは、これまではアメリカの意向があったのだろう。これからは知らない。

カルトでは、百パーセント終末思想(世の終わり、末法)で人を脅し、十中八九現世利益で人を釣り、その宗教に加入する以外のベストな選択はないのだと思い込ませる。そして、家産を教団に思い切って寄付できた人間が、教団の幹部にのし上がるなどの構図があった。その中で、一旦内部の信者となってしまえば、宗教教義や道徳が必ずしも優先するわけではなく、組織維持と組織締め付けの論理が優先されてしまう。

その典型例がオウム真理教であって、殺人もテロも組織の命令として信者に実行させたようだ。

長年オウム関連本を読んで来て思う謎は、

  1. なぜ無差別テロを行わなければいけなかったかという理由が未だに明らかになっていない。教団自らハルマゲドンを起こすなどというマンガチックな説明がなされているが、組織も人もそんな動機では無差別テロを起こさない。

 

  1. 覚醒剤工場を作ったり、自動小銃工場を作った目的が不明である。それはまず宗教的動機ではない。そしてそれらはすべて信者が作ったことになっているが、資材・原料調達にしても、工程管理にしても、設計にしても「新入社員」が何百人集まっても短期間にできるものではない。別にプロの顧問団がいて、彼らが高学歴信者を隠れ蓑にしていた可能性があるのではないか。

 

  1. 信者にLSD入りドリンクなどをふんだんに提供しているが、材料、製造管理、保管、用法用量など、これまた実際の利用の側面では、「新入社員」では手に負えないのではないか。アドバイザリーがあったのではないか。

 

  1. チベット密教教義では、一般に初歩の生起次第は明らかであるが、ハイレベルな究竟次第は公開されていない。それにしても、真に覚醒を求める教義であれば、魔境を避ける教義になるのではないか。

 

  1. オウム真理教事件は、教祖周辺の13人が死刑執行され、後継団体も監視継続で一応の決着は見たことになっている。だが当時から政治家やマスコミ関係者、他の宗教関係者、反社などの関与が噂されてはいたが、表面化していない。

 

他にも謎はいろいろあると思うが、大まかに言って、終末思想と現世利益で一旦人を信者にしてしまえば、思想規制と行動規制と組織の論理で信者を奴隷となし、政治家やマスコミ関係者を取り込めば、同様の事件は起こせるのだろう。

当時に比し、世界の事態は更に深刻となり、クロスボーダ-勢力が真剣に世界の終末実現を企図していたり、スマホでもって万人の金と思想と行動を監視し操作しようとしていたりする。

今般のLineデータが中国韓国に流れていたなどは、如何に政治家を含め日本人が日本に敵意を持つ国家や、他人を悪意を持って利用しようとするグループに対し、脳天気かという証左であり、オウム真理教事件がまた起こる素地が変わっていないということである。

 

なお、このブログは何年も多くの宗派の本を漁っているので、オウム系の読書録も少々ある。

真相不明のままのオウム真理教事件(麻原の最終解脱の真偽など)

NHKスペシャル未解決事件「オウム真理教」(気が弱い人々)

オウム真理教特番〔オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画〕(松明に火がついたけれど何も変わっちゃいない)

 

オウムの薬物乱用と記憶抹消(従順な仔羊信者たちの悲劇)

私にとってオウムとは何だったのか(組織宗教の悪しき面の露見)

革命か戦争か (価値観の転換の効用)

 

地下鉄サリン事件から15年 (同床異夢)

さよならサイレント・ネイビー (求道のモチベーション)

疑いなき、清よ明き心(出家信者たちが描いた疑念)

 

オウム真理教 無罪主張と死刑(アンチ・テーゼは呈示されたが)

オウム真理教 偽りの救済(天国と地獄の結婚に至らず)

グランド・クロスの世代(疾風に勁草を知る)

 

日々冥想を。

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オウム真理教事件とは何だったのか?/一橋文哉

2025-03-21 13:02:55 | マインド・コントロールneo

◎オウムの闇は日本の闇

(2021-03-28)

 

『オウム真理教事件とは何だったのか?/一橋文哉』。この本は、麻原が最初から宗教詐欺のカモを集めるためという意図も持って組織宗教を立ち上げ、最後は、教団がどうなっているかを描き出した衝撃の本。

著者が問題にしているのは、百億円単位とされる資金と、製造されたり、輸入されたりした大量の武器と薬物、そして細菌兵器とレーザー砲、核兵器の行方である。

これらは、本来の宗教とは、全く関係のない部分だが、この教団が、立ち上げ以前から暴力団と関係を有し、1995年の最盛期もその後もその関係は切れていないらしいこと。ロシアのエリツィン政権とは、深い関係を有していたこと。教団武装化の過程で、ロシア、欧州、アジアの闇商人との関係があり、特に北朝鮮との関係があること。

ただこうした大きな構図はオウム・プロパーの人間だけではできないので、暴力団を含め、各方面の政治・兵器・外国など闇社会のプロの人間が各所にいて、全体を操作するオウムの外の『司令塔』がいたこと。

要するに、資金も物の流れも人の流れも、官憲からの規制の緩い宗教団体は、一万人も信者がいれば、様々な闇社会のフロントとして機能できたのだ。無差別テロが官憲の手入れの分水嶺となったのだが、実は無差別テロでなく、クーデターまで狙っていたという話もある。

著者は、この本は、そうした「驚くべき真実」を公開する先駆けであると謙遜しているが、十分に全容と将来がわかる本になっている。

オウム真理教事件以後、新興宗教の信者が増えないというが、それは、却って幸運なことだったかもしれないと思わせる書である。

だが、貧困化が進み、頼るべき者を求める若者たちが、権力志向で反日の本心を隠した教祖による『スマホ教』みたいな宗教が万人規模で立ち上がれば、温存された資金や薬物や兵器も出てくるのだろう。

結局、オウムの闇とは日本の闇だったのだ。

このブログでは、求道心とそれを利用されたかわいそうな信者たちという視点からの取り上げがメインだが、眼を覚まさせられた思いである。

また南シナ海と台湾の一触即発の危機の中、今度は日本の貧困が、別のカルトを生む土壌になっていく可能性をはらむように思う。

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グランド・クロスの世代

2025-03-21 12:58:24 | 時代のおわりneo

◎疾風に勁草を知る

(2019-08-25)

 

1950年代後半生まれの人々にはグランド・クロス(大十字)がある場合が多い。

海王星(天秤座か蠍座)、天王星(蟹座か獅子座)、これが90度であってグランド・クロスの材料となる。これに更に反対側に十字型に惑星が入るとグランド・クロスが完成する。

グランド・クロスを持つ人物は公私ともに結構なプレッシャーを受けながら暮らしていくものだが、世代全体として、それはどういうことを意味するのだろうかと昔から疑問に思っていたものだ。

いま、精神世界オタク、スピリチュアルヲタクとして馬齢を重ねてみると、それはこのようなことであったと思う。

 

1.カルトその1

朝鮮系新興宗教の勧誘が盛んに行われ、その対象となった中心世代であって、「青春を返せ」裁判まで引き起こしたカルト全盛の時代。この宗教の関係では、集団結婚のために6千人以上の日本の適齢期レディが朝鮮半島に渡ったとされ、今はどうなっているのやら。今は、2世代目にもなっているケースもあるらしい。

 

2.カルトその2

オウム真理教の中心世代はまさにこの世代であって、のちに被害者5千人以上を出す地下鉄サリン事件を起こすに至った。

 

3.北朝鮮への拉致

拉致の対象となった世代はこのグランド・クロスの世代である。報道はされなかったが、新潟に限らず、当時から海辺の地域では北朝鮮への拉致があることは口コミで伝わっていたらしい。

 

今思えば、正師に出会うか邪な師に出会うかは自分次第とは言っても、縁によって起こるのであるとすれば、それこそ自分の力ではどうしようもない部分があることを痛感せざるを得ない。

善い環境であれば善男善女が輩出し、悪い環境であれば、自分のメリットにばかりさとい地獄が現出し善男善女は稀にしか出ない。

1970年は、モーレツからビューティフルへと言われ、物質的価値から精神的価値への転換点だったし、OSHOバグワンが出たのもほぼ70年代。学生運動は沈静化したが、その後カルトが猖獗を極めたところをみると、日本人はほぼ半熟にもなっておらず、チャンスはあったかもしれないが、うまくいかなかったのだろう。

カルトの隆盛と定着、そして新たな細々とした奥山の沢のような流れは並行して進んできた。その細い沢は知られているとは言えない。(道は多く、通る人は少ない;OSHOバグワン)

第三次世界大戦など夢想と思っていた大多数の人が、その花火を見ることは不可避であると感じた頃は既に手遅れなものだ。

今振り返れば、グランド・クロス世代の人は、チャンスは十分にあったと言われるだろう。何しろ生活が安定した時代だったのだから。

唐末で、仏教禁止になって、禅僧も生きるのに困窮したが、却って純禅は研ぎ澄まされた。そういう反面はあるものの自分も含めて甘かったと反省せざるを得ないところはある。

疾風に勁草を知るというが、疾風なくして勁草となるのがベターであるが、そうはいかないものなのだろう。

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疑いなき、清よ明き心

2025-03-21 12:54:24 | マインド・コントロールneo

◎出家信者たちが描いた疑念

(2018-12-01)

 

『オウム真理教を検証する/井上順孝/責任編集 春秋社P121-129』に出ている、信者が脱会するきっかけになった情動(出家信者たちが描いた疑念のパターン)の分類をまとめると、以下。

 

1.度が過ぎている。

暴力容認、殺人など手段を選ばないなど。

 

2.嘘、矛盾、言行不一致

人は、嘘、矛盾、言行不一致があると、その師やその組織に疑いを持ち始めるものだ。

 

3.宗教者としての麻原や幹部たちの能力への疑念

麻原には空中浮揚などの超能力、予言能力、神通力があるとされていたが、空中浮揚写真はあっても、麻原は空中浮揚を人前で実演することはなかった。

スパイが誰かを見抜けなかった。予言は外しまくり。

 

4.一部の人だけ特別扱い

教団内で性行為を禁止していたが、特別扱いされる人たちがいた。

 

まとめは以上だが、更に「教団の外に出ると様々な恐怖がある」と煽っているので、なかなか脱会に踏み切れないというのが、マインド・コントロールの構図。

 

オウムの出家者というのは、全財産を教団に寄付したりしているので、のっぴきならない立場での生き方だが、それでもこのような情動で、その生き方に疑念を抱く。

翻って、人と人とが争いを事とし地獄的と言われるこの世がこうしたカルトの一種であると見立てれば、『この社会からの脱出』は、『カルトからの脱出』とメカニズムは似ている。

まず、この世、この社会を疑うことから始まり、本音と建て前により騙されていることに気づき、超能力があるスーパーな人などいないことを直視し、万人が幸福ではなく極く一部の人だけがいい目を見て幸福になっていることを見れば、疑団は確実となる。

瞑想生活、冥想を組み込んだ生活に入るというのは、こうした疑いを持たれては続かないし、広まらないのだろうと思う。また社会生活をするには常に社会から疎外される恐怖がつきまとう。それは社会で生活する以上は払拭はできない。そこで『迷いのままに悟る』という姿勢しかないのだと思う。坐るのに適当な場所も時間もなく、今ここで坐るしかない。

古神道ではそういうのを含めて清よ明き心と言うが、黄泉の国から帰還して、両性具有を伊都能売として実現して初めて清よ明き心である。清濁の清だけで清よ明き心と言うわけではない。

 

※超能力はあるが、覚者の超能力は恣意的には使うことはできず、天意・天機に沿った行使しかできないとつくづく思う。ここは敢えて超能力はないと書くが、出産なんかは、実に超能力のようなものだ。

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地下鉄サリン事件から15年

2025-03-21 12:49:43 | 密教neo

◎同床異夢

(2010-05-03)

 

一連のオウム事件で感じたのは、若者のまともなスピリチュアリズムへの渇望であった。事件の総括もあるのだろうが、当時盛んに論じられた「どうして若者がまともでない新興宗教(カルト)に惹きつけられるのか」という点の総括については、必ずしも結論めいたものが社会の共通認識としてできたとは思えない。若者をとりまくその状況は、悪化しこそすれ、ほとんど変わっていないのではないか。

『オウムを生きて「元信者たちの地下鉄サリン事件から15年」/青木由美子編/サイゾー』では、松本死刑囚の娘や信者たちの体験談など盛られている。一連のオウム事件が起きて、宗教界からの反省もあって、もっと情報公開しなければならないということで特にチベット密教関係の書籍が沢山出版された一方で、真言密教や天台密教で著作が増えたという様子でもなかったように思う。

おかげでチベット死者の書は何種類が出版された上に、観想法を中心としたチベット密教の冥想テクストが多数出版されて、チベット密教の様子が大分わかったのはありがたかった。問題となったポアについては、いわゆるターミナル・ケアの延長線で行われている死に行く人への誘導をポアと呼ぶ場合と、本当に修行の延長で死の世界を覗きにいく場合があるのがわかったが、後者については、頭頂に物理的に穴があくみたいな妙な話しか残っておらず、そのものズバリの真相は、ヒントはあるものの、文書にはほとんど書かれていないようだ。

また印象に残っているのは、ダライ・ラマの悟境であって、見神・見性の体験は間違いなくある人であると確信している。彼の著作は多いが、妙なことは書いていないし、真理や善などの観点からぶれることがないし、チベット密教の教理や修行の実際についてもかなり迫真のことまで説明してくれているからである。

その後日本にもリンポチェと呼ばれる高僧も来るようになったし、チベット密教が観想法を中心とする修行体系のまともな伝統宗教であって、中国により祖国を追われたことも多くの人に知られるようになって、チベット密教の本当の姿が知られるようになったのは大きかった。

 

『オウムを生きて』については、サリン事件被害者5千人の影が全体として重く差しているのは隠れようもないが、クンダリーニ・ヨーガを修行の中心としてやっているとしているところは気になった。いまだに超能力志向のようだし、現世利益を否定しないようだし、それでは人間の哀しみとどう向き合っていくのか疑問に思った。人間はどうしようもなく、結局救われることのないものだと思い知るから、サハスラーラ・チャクラから脱身するのではないだろうか。人間は救われることがないという立場では、現世利益はもう通用しない。

クンダリーニ・ヨーガという言葉は、本来チベット密教でも真言密教でも天台密教でも(クンダリーニは軍荼利)共通語彙である。当然冥想メソッドも観想法を中心とするもので、肉体チャクラからエーテル体チャクラ、アストラル体チャクラへと進む順路があるはずなのだが、妙な指導者の手によって進路が曲げられることはあるのだろう。それはチベットでもあったこと。

肉体チャクラのことしか知らない人は、クンダリーニ・ヨーガ指導の看板を出してはいけないと思う。悟った人だけが法を説く資格があるからである。クンダリーニ・ヨーガで窮極を極めた人は、いま日本に一人でもいるのだろうか。

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革命か戦争か

2025-03-21 12:39:59 | 密教neo

◎価値観の転換の効用

(2010-06-06)

 

『革命か戦争か』(野田成人/サイゾー)の著者は、元オウムの幹部だった人で、またも東大物理の人。

この方は資本主義ではないなんらかの価値観への転換で、時代がなんとかなるといまだに思っていらっしゃる。価値観もイデオロギーも思想も、本当にぎりぎりのところでは誰も救済できやしない。でもこの方は思想や価値観以外の何かがあるとは気づいていないようである。思想や価値観以外の何かとは、もちろん霊能力や超能力や霊言や終末予言でもない。

『では麻原が真剣に仏教等の実践に励みながら、そこからなぜ道を踏み外してしまったのでしょうか?私は、麻原が「空」についての理解をしそこなったからではないか、と考えています。麻原自体、大乗仏教の「空」について研究していたことは間違いありません。しかし「空」とはつかみ所のない難解な教えです。麻原はその難解な「空」について、「完全に理解した」と誤解したところから転げ落ちたのではないか、と考えます。』(『革命か戦争か』(野田成人/サイゾー)P132から引用)

空って理解する対象なのだろうか。学者さんならそうかもしれないが、今やフツーに職場でメンタルヘルス健康診断を義務づけられるほど精神的に病んだ現代社会の住人にあっては、ラスト・リゾートというか最後の一線みたいなものなのではないか。つまり理解するのではなく、それを生きるもの。

チベット密教もクンダリーニ・ヨーガの一つ。世の中のクンダリーニ・ヨーガを教えると称する人や団体には、せいぜいエーテル体チャクラ止まりのクンダリーニ上昇を教えるものが大半のようである。それらの、中心太陽への突入に至らないクンダリーニ・ヨーガの「教え」は、人間の苦悩を本質的に救済できるものなのだろうか。それがただの気分転換や健康法止まりのものであっても良しとするのだろうか。

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さよならサイレント・ネイビー

2025-03-21 12:33:53 | 時代のおわりneo

◎求道のモチベーション

(2010-04-07)

 

さよならサイレント・ネイビーは、地下鉄サリン事件でサリンを地下鉄にまいた豊田容疑者の友人が書いた本。豊田容疑者は東大の物理の人。

結局豊田容疑者がどのように洗脳されたかは、はっきり書いていなかったし、かれがどのようにオウムに入信したかもはっきり書いていなかったが、ほぼ拉致同然に教団施設に連れて行かれ、麻薬と視聴覚による洗脳を受けてああなってしまったらしい。

事件から15年以上たつが、豊田容疑者は洗脳から抜けたが、洗脳から抜けていない幹部も少なくないのは、洗脳の恐ろしさを十二分に物語る。悟りは心理ではないとはいえ、それに至る道程は心理なのだから、道程を誤れば人生全体を台無しにする。ところがその道程は正師によってしか示されないのだから師匠選びは重要だ。しかし、その師匠を見分ける目を、いまだ悟らぬ我々は持たない。

洗脳には洗脳する側と洗脳される側がいる。洗脳する側は誰が洗脳を仕掛けているかを承知して、情報の真偽を取捨選択して取り扱う。官僚や国会議員やマスコミは、洗脳を仕掛ける側であるから、新聞やテレビで流す情報は信用しない。敢えていえばその情報についての利害関係者が語る情報しか信用していないものだ。

若い時分にそういうことを知る機会があったが、テレビや新聞や週刊誌の情報を信用しないで生きている人は、世間にはそんなに多くはないものだ。

さよならサイレント・ネイビーを見ると、第七サティアンの位置が三県の境に位置するなどその犯罪をすることを目的とした高度な玄人情報に裏打ちされていることから、まず先にサリンなどの犯罪をしようとする知られざる巨大で高度な組織があって、それがオウムをして実行せしめたという外形に気がついている。

オウムが如何に高学歴集団であったとしても、せいぜい30才そこそこの若者が数百人集まってもにわかに高度な組織犯罪をできるものではないだろうというのは、ベテランの社会人なら想像がつくものだと思う。

こうした集団を組成できた本質は、「自分のメリット」を求めることを正当化する社会通念そのものにある。自分が向上する、すっきり納得して生きたい、願望を実現したいなどの快適さを求めるニーズに対して、超能力の魅力と地獄への恐怖を煽ることで洗脳して入信せしめるという手口はこの本にも書かれている。「自分のメリット」を求める以上、いつでもカルトにつけ込まれる可能性があるということ。

現代の求道は「自分のメリット」を求めないことでスタートしなければならないが、そんなことでは、求道のモチベーションにならないというとんでもないジレンマがある。しかしそのジレンマを克服しないと次の時代はない。

現代で最大の洗脳は、「人間が肉体であると思い込んでいること」であると考えている。法律や経済もその原則でできてはいるんだけれど。

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オウム真理教村井秀夫

2025-03-21 12:26:39 | マインド・コントロールneo

◎虹の階梯は物質科学レベルのものではない

(2021-03-23)

 

オウム関連書籍は、どうしても存命中の死刑囚や元信者の証言を元に構成するので、早々と暗殺されたオウム真理教ナンバー2の村井秀夫への印象は薄くなりがちだ。

村井秀夫と言えば、TVカメラの動いている前でオウム真理教本部前において刺殺され、その際に『〇〇〇にやられた』と言ったことが現場にいたマスコミから伝えられている。

村井秀夫の役割を大きく評価しているのが、心理学者のリフトン。リフトンは、朝鮮戦争後に米兵の多数が中国共産党の独特の思想洗脳にやられていることを指摘した人物。まさかリフトンがオウム事件に関する研究をするのかと、彼の「終末と救済の幻想 オウム真理教とは何か/ロバート・J.リフトン/岩波書店」が出て来た時は、驚いたものだった。

 

この本で示す村井秀夫像は、次のようなものである。

1.麻原も激賞するほど、自分を空しくして麻原に同化することができるほどに帰依しており、宿舎で残飯を食べたり、寝にくいベッドで寝たりできた。

2.幼少時には超能力獲得に情熱を燃やしていた。

3.オウムで展開していたあらゆるマッド・サイエンスの元締め。サリンなど生物化学兵器や自動小銃、あるいはマントラを正確に電気信号によって表す装置、磁場を使ったクンダリーニ覚醒の装置などの開発を指揮し、科学で釈迦の教えを証明できたなどと主張していた。

 

 つまり妄想めいた麻原の考えを科学の衣で現実化してきたのが村井だったのである。

よって周囲からは、村井は教団の武器開発、殺人などの暴力行為、対外向けの欺瞞的な宣伝のすべてを知っている人物と目されていた。

だが、教団のエンジンの片方が村井であったことが、サリン事件を始め大きな被害者を出した原因の一つとなったのだろう。

問題となるのは、グルを見る目だが、未悟の者にそれを求めるは酷だろう。だからと言って、グルにほとんど同一化すれば、グルが本物かどうかはっきりわかる瞬間が何度もあったはず。

そして物質レベルの科学で悟り・成就を追うのはそもそも無理筋だと思わなかったのだろうか。虹の階梯は明らかに物質科学レベルのものではない。

 

まことに、鞭を見ただけで走る馬と、鞭で叩かれなければ走らない馬はあるものである。

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私にとってオウムとは何だったのか

2025-03-21 11:22:48 | マインド・コントロールneo

◎組織宗教の悪しき面の露見

(2016-10-29)

 

「私にとってオウムとは何だったのか/早川紀代秀 川村邦光/ポプラ社」は、オウムの主要幹部早川紀代秀の回顧録。

オウム信者の回顧録は何冊も出ているが、不幸な生い立ちだったり、数奇な事件に遭遇したのがきっかけで入信した人物が多い中、早川は順風満帆な人生を送りながら純粋な求道心により入信してきた人物であるところは珍しい。

地下鉄サリン事件発生時に、彼は国外にいて事前謀議には加わっていないものの、坂本弁護士一家殺人事件の実行犯でもあり、教団内の多くの犯罪に関与してきたことを明かしている。

どうしてもオウム本は地下鉄サリン事件をピークに描くのだが、本書はわりに教団内で行われていた各種修行が体系的に記述されているので、そこについて気のついた点は次のようなところになる。

まず食事を少なく与え、栄養失調にしておいて、マントラ念唱、五体投地、結跏趺坐での観想など、体力、精神力の極限までの長時間修行をさせることで、思考力を奪うのはカルト教団の定番。ただし、まともな組織宗教でもそういう側面がないことはない。

冥想を長時間強制的にがっつりやらせたことは、それ自体はすごい部分があった。ただし、それに見合った覚醒者が続々と出たかどうかについては、世間もよく承知しているところである。

またこれだけ強制的にやらせると、精神のバランスを崩す人も相当数出るものだろうし、まともな教団ならば専門病院に送り込むところが、そうした人が初期には殺害されたりしている。その殺人が次の殺人を呼んでいった。

冥想修行は一気にいけるスーパーエリートみたいな人もいるのだろうが、ほとんどの人は行きつ戻りつで、人生上のバランスや精神面でのバランスをとりながら進むもの。怖いものはこわいし、できないものはできないというところはある。それができるようになる時節があるし、そこを調整指導するのが正師というもの。

 

それと「成就」と呼ばれる悟りと思われる基準がゆるいこと。魔境あるいは欲界定ぐらいのを「成就」認定していたことが描かれている。古来から悟っていないものは人を指導してはいけないのだが、恐ろしいことである。

 

温熱修行では、47度のお湯に15分入るのだそうだが、何人もがこれで亡くなったそうだ。教団崩壊までこれを続けていたとのことだが、こういうのもやめなかったところは、「命の悲しみ」を感じない所業といわざるを得ない。

 

LSDについては、早川がロシアから原材料を購入したことが書いてあるので、教団内ではふんだんにあったのだろう。ソーマであっても準備のできていない者に与えるのは、思わぬ霊道が開いて本人も希望しない好ましからざる世界に入る可能性があるので、カスタネダに代表されるソーマヨーガの世界でも投与には慎重を期しているものだ。この教団では、金と引き換えにどんどん与えていった雰囲気だが、その効果はどうだったのだろうか。

 

思わぬ霊道が開くデメリットについては、「チベット魔法の書/デビッドニール/徳間書店」に詳しいが、この本を獄中で読んだ早川も推薦していたのは皮肉なこと。

 

悟りは難しいし、いわんや悟る人を出すことも難しい。禅では一人の正師が打ち出す悟った弟子のノルマは一人あるいは半人などというように、覚者を大量に打ち出すのは悟ったマスターであっても簡単ではない。この教団がそういうチャレンジだったかどうかは知らないが、この事件の後、既成宗教が自らの姿勢を見直し始めたという効用はあったかも知れぬ。

それから略20年、時代は、日本が外国からの侵略による亡国の危機に瀕し、国民は貧困化に苦しみ、国民精神は、あらゆるメディアからの情報洪水により、無思考化、白痴化した。

結局この事件は、組織宗教の悪しき面を露見させ、かえって人を宗教から遠のかせる結果になっただけと思う。

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オウムの薬物乱用と記憶抹消

2025-03-21 11:17:37 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo

◎従順な仔羊信者たちの悲劇
(2017-07-16)

最近オウム関連本を何冊か読んだ。

1.未解決事件オウム真理教秘録 NHKスペシャル取材班/編著 文藝春秋
2.オウム事件17年目の告白/上祐史浩/扶桑社
3.検証・オウム真理教事件/瀬口晴義/社会批評社

オウム関連本をまとめて読む人はそう多くはないだろう。というのは一冊一冊が刺激が強すぎて、一冊読めば他のことも想像できるみたいな気分にさせられるからである。

特に気になったことは2点あり、その一つは、LSD(と覚せい剤)入りドリンクを信者に大量に飲ませたが、その影響からか、サティアンでは統合失調みたいになった人を時々見かけたという点。教団内では、こうした人たちに十分なケアは与えられなかっただろうから、この人たちはその後どうなったのだろうか。

もう一つは、ニューナルコと呼ばれる薬物(睡眠導入剤?)と脳への電気ショック+洗脳情報強制投与による記憶抹消を施術された人数は約100人で、一人で20回以上やられた人もいること。

これをやられると、ある期間の記憶の一部が欠落して、人生上のセンシティブな部分が荒廃してしまう。

この記憶抹消をやられた人は、教団の殺人やサリンなどの犯罪を偶然知ってしまった人たちであって、素直で従順な信者であったがゆえにこのような目にあった側面があり、結構古参信者が多いことも目に付く。

グルへの絶対服従は、法治の観点からすれば、信者の人権無視人権侵害にあたる。だが、たとえば観想法でいえば、カトリックでも正教でもチベット密教や比叡山でも、何か月も籠って観想やマントラをやらせる修行法はあるものだ。また道教でも魏伯陽が、弟子二人に毒を飲ませることを強要した事件もある。

だからグルへの絶対服従がだめとは、一概には言えない。
宗教の修業は、生死を賭けるものだから、出家修行では、日常生活は捨離される。

よってオウムではグルが問題だったということにはなる。

古参信徒の中には、グルの悟境を見極めてさっさと脱会した人もあるという。さもありなんである。

ことほど左様にお人よしの多い日本人。正師とは悟った人のことだが、悟っていない人が師匠や教祖が悟っているかどうかを見極めることなどまずできない。

その行為が合法であっても善行であるとは限らないし、最も厳しい見方では、悟っていない人間の行為などほとんど悪という見方すらあるのだ。

それでも坐る。

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オウム真理教 無罪主張と死刑

2025-03-21 11:03:03 | マインド・コントロールneo

◎アンチ・テーゼは呈示されたが
(2019-09-08)

オウム真理教裁判で、教祖が最後の数年は行為能力に疑問を持たれるような状態で、拘禁反応か何かだろうと推測されていた。独房に長期間入ると拘禁反応は出やすいものらしいが、戦後最大の被害者を出した事件の首謀者らしい人間がそのような状況で、何年も裁判を続けるのは、傍目にも異様に感じられた。

オウム真理教事件関連本を精密に読んでいるわけではないが、どうして教祖がそうなったかは、『オウム死刑囚 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり 魂の遍歴』などを読んで思い当たることがあった。

教祖は一貫して自分の無罪を主張し続け、いわば弟子たちの暴走が事件の構図であったというような主張を裁判ではし続けたのだが、教祖の裁判において最愛弟子井上嘉浩が、教祖の指示によって犯行が行われたことを証言したことをきっかけに拘禁反応が強く出ることになったようだ。孤立無援を実感したのだろうか。

井上嘉浩がこれを証言した時に、法廷で教祖からは「地獄に落ちるぞ」みたいな恫喝的発言があったらしい。その頃から、他の弟子たちからも一連の犯行が教祖指示によるものだという証言が増えてきたようだ。それはますます教祖自身の拘禁反応を強めたのだろうと思われる。

地獄に落ちるぞというマインド・コントロールを振り切って教祖の指示による殺人などを証言するのは、帰依が深ければ深いほど、容易なことではなかっただろう。

オウム真理教が公安審査委員会の観察処分対象となる以前の時期、オウム真理教は、いわばマスコミの寵児だった。TVの報道番組では、しばしばオウム真理教の宣伝VTRが流され、優れた修行者として井上嘉浩の他の信者とのなごやかな会食シーンの動画が流されたことは、なごやかであったがゆえに印象的に記憶している。

どんな修行をしていたかには関心があったが、彼は空中浮揚という名の膝ジャンプの修行をやらされていたようだ。宗教はすべからく、善いことをして悪いことはしないもの。正師に出会えなければ、修行は正しい方向には進まないもの。

一直線に大悟覚醒に至る者は稀にいるが、出生してくる人で、幼児は別として、生まれながらにして大悟している人間はいない。大悟する人間であっても、まず人生航路上で紆余曲折を経てそれに至る。

出生時に牛のしっぽを捕まえて生まれてきたとしても、牛に乗るまでは時間がかかるものだと思う。白牛だと思ったら、カルトの黒牛だったということもある。

『オウム真理教 偽りの救済/集英社』の著者瀬口晴義氏も似たようなことを言っているが、最初に誤った師に出会っていれば、我らもかの死刑囚になっていたかもしれないという、ヒヤリとする感覚はぬぐえないところがあるものだ。

オウム真理教は、求道とは、外的力による世界変革でもなく、超能力でもなく、神秘体験でもないというアンチ・テーゼを呈示した。その教訓を踏まえた先は、天国と地獄の結婚となるが、それは現代社会の論理の止揚という水平的展開の地平では見つからない。その辺が、事件後25年以上経つが、事件が教訓とはなり得ていない部分である。

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オウム真理教 偽りの救済

2025-03-21 10:52:38 | マインド・コントロールneo

◎天国と地獄の結婚に至らず

(2019-09-06)

 

人に『悟りとは何か』とか『救済とは何かと』問えば、ほとんどの人は口ごもったり、ちゃんと説明などできるものではないだろう。

 

『オウム真理教 偽りの救済/瀬口晴義/集英社』は、網羅的ではあるが、実によくわかっていて、緻密に組み上げられている本だという印象を受けた。何が本当の問題だったのかがわかる本に仕上がっている。

 

教団内では、救済とは、地獄から天国への救済であるとして、そこで救済してくれるのは教祖の力であるとし、信者にLSD、覚醒剤などを投与して、意識レベルを低下させて、リアル地獄を体験せしめた。

 

著者は、そのリアルな地獄体験を有する人が今の中堅幹部だと指摘する。地獄体験の恐怖がいまも厳然として影響を与え続け、それが信仰をサポートしているであろうことは想像できる。

 

まともな宗教では、平素の生き方は勿論善を行い、悪をしないという天国的なものを志向する。だが、そのような現世的天国に飽き足らぬ情熱が、天国をも地獄をも突き抜けようとする方向性があるものだ。

 

西洋ではそれは、両性具有者の原人間アダムカドモンだったり、楽園追放以前のアダムや、天国と地獄の結婚として現れ、古事記では、女性天照大神が男神を生み、男性素戔嗚神が女神を生み、それを交換してみせることで、両性具有、天国と地獄の結婚である伊都能売を示唆する。

 

クンダリーニが上がるだけでは悟りではなく、破天荒な神秘体験をするのが悟りではない。悟りは人間の聖性ではあるが、社会性の縁に腰かけているところはあるものだ。人間の苦悩と無力さ、絶望は、天国と地獄をも越えて行かざるを得ないと結論できるものなのだと思う。

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オウム真理教特番〔オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画〕

2025-03-21 10:33:37 | 時代のおわりneo

◎松明に火がついたけれど何も変わっちゃいない。
(2015-02-22)


夜、テレ朝で、オウム真理教特番〔オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画〕。あれから20年たったが、いわゆるまともな宗教が大きく育つことはなかった。当時は、事件後に、既成組織宗教が実質宗教していないことの反省や出版界のバブル景気もあって、まじめで善い書籍の出版が相次いだというような動きも確かにあった。

しかしオウムが出てきたことの根本は、わが自分勝手な欲望を実現する現世利益を追及する事を是とする、宗教にはあるまじき宗教が世の中で隆盛を極めていることである。宗教組織が現世利益を認めるのは宗教の自殺行為。自分というものを徐々に希薄にしていこうという方向性が本来のまともな宗教の方向性なのだが、この基本中の基本が、日本にあってはほとんどないがしろにされている。

オウムにあっては、それは超能力の追及、神秘体験の追及という形で現れたが、その方向性は彼らの思惑とは異なり、実は我欲の延長であって、神・仏の側を向いていたわけではない。金がもうかる宗教、生活水準が向上する宗教、願望が実現する宗教は、基層はあまり豊でない層が支えていたのだと思うが、1億総中流だった生活水準はどんどん低下し、1億総下流になろうとしているから、こうした感心しない宗教がまたどんどん出てくる可能性はむしろ広がっていると思う。

今やその日本民族劣化策の主戦場は、宗教破壊についてはほぼ完了し、いまやあらゆる側面での依存症形成に移ってきている。その依存症とは、買い物依存症、ブランド依存症、インターネット・ゲーム依存症、スマホ依存症、パチンコなどのギャンブル依存症、薬物依存症、ネット・ポルノ依存症、アルコール依存症などなど日常のちょっとした『欲しい』気持ちを捉え、様々なジャンクになるように品揃えされている。こうして人は自分にとって何が一番大切なことなのかを感じたり考えたりする時間を失っていき、気が付いたら亡国になっていたりするのではないだろうか。

さて春節は新年だが、春節に巨大な松明(トーチ)を燃やして、新たな局面の始まりを知らせた。youtubeを見ると5フロア以上に延焼している。1室50百万円以上のマンションらしいが、火事が出た物件はこれから難しいでしょうね。
2015年2月21日アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで21日、高さ約330メートル、79階建ての超高層マンションで火災が発生した。上層階で延焼が広がり、焼けた窓ガラスや建材などがビルから周囲の路上に落下。マンション住民を含め、周辺地帯に住む数千人が避難した。このビルは、住居用マンションとしては最も高いビル「ザ・トーチ」。2011年に建設され、約700戸の住居のほか、店舗なども併設されている。

ドバイの松明(トーチ)に火がついたけれど、生活は平均的には低下した一方、人々の本質は何も変わっちゃいない。

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NHKスペシャル未解決事件「オウム真理教」

2025-03-21 10:29:09 | 時代のおわりneo

◎気が弱い人々

(2012-05-27)

 

教団の武装化と暴走の原因を探るという視点からのドキュメンタリー。

古参信者の女性の方は、ニューナルコという記憶喪失処置を10回も受けさせられたからこそ、無事だったのだろう。

 

印象に残ったのは、麻原に対して宗教教団設立を進めた人物の麻原に対するアドバイス「気の弱い人間が宗教には集まってくる。そんな連中を魚釣りのようにどんどん吊り上げればいい」。

 

麻原にとって教団は、権力欲を実現するための手段であって、ハルマゲドンもポアもサリンもそのプロセス上のアイテムに過ぎなかったわけだ。

 

気の弱い部分とは、自分の感性に誠実であるという部分であって、気が弱いと往々にしてこの世を渡りづらいことになる。しかし、無常を感じるというのは、他の現代人から見れば気が弱いと見られがちである。なぜならば、現代人は人を功利性、自分へのメリットの有無の点から見がちだからである。

 

しかし人は、その柔弱な部分なくして、「本当に生きる」という方向に向かうことはないのではないか。

 

一連のオウム関連事件から既に17年も経つが、真相は明らかにされていない。番組では、1988年後半から麻原の念頭に武装化があった可能性を指摘していた。同年上九一色村の3県県境に本部を設置。

 

たとえば上九一色村の3県県境に本部を立地するのは、警察の手入れを受けにくいというのは当時からテレビでも言われていたことであって、そういうような専門の警察知識、化学兵器製造・使用、武器製造、テロなどの軍事知識、資金や部材調達と決済、対マスコミ・対政界対策など広範で専門的な情報を与えうる組織がその頃から深く関与していたのであろう。高学歴でも素人の集団が為しえる技ではない。そうしたことが事件後20年にもなろうとするのに真相が明らかになっていない原因なのだろう。

 

求道方面でいえば、悟っていない者が本物のグルを見分けるのは困難であることを改めて思った。充分な社会常識や少々の宗教知識や少々の無常感を持っていたあなたであっても、その人が悟った人かどうかを断定することはできないのだ。また悟っていない者同士が大勢集まってもリーダーが悪いと暴走することがある。

 

この一連の事件の結果、かなりの人が現代宗教、宗教教団、そしてその教祖についての欺瞞性を知ることになった。教団を維持していく以上は必ず商売の部分(信者からの金の吸い上げなど)があるのだが、そこを強調して、宗教すべてが宗教商売であるとか、無名のグルの宗教はカルトだみたいな先入観を世間に与えることになったのは、遺憾なことだった。

 

1995年はちょうど、OSHOバグワン、クリシュナムルティなど、20世紀をリードした覚者たちが亡くなってまもない時期であり、実にタイミングが悪いと思うと同時に、グル・マスター・師匠をあてにせず、本当に自分自身が悟りに向かわねばならないのだと考えさせられたものだった。

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真相不明のままのオウム真理教事件

2025-03-21 10:05:52 | 時代のおわりneo

◎麻原の最終解脱の真偽など
(2011-11-22)

オウム真理教事件は真相解明のないままに、裁判が終結した、と報道されている。

冥想オタクとしては、麻原某が悟っていたかどうかが最初のキーポイントとなる。
それについては、何人もの元信者たちが感じていたとおりだと思われるので、ここに脱会した古参信者の例を挙げる。

『古参信徒Aの事例

Aは入会前に「米国の瞑想団体」で共同生活を送った経験があった。これを評価してのことだろう、セミナーの際、麻原から風呂に誘われ、直々に「サンガ」(後の出家制度)の設立に向けて協力を要請されたという。

入会後は、シャクテイパットなどによっていわゆる神秘体験をし、「本物」を確信した。「このまま死んでもいい」くらい強烈なものだったという。麻原は会員一人一人を大切にしていたし、メンバーも和気あいあいとしていたと感じていたのだが、しかしAはわずか一年たらずで退会している。

その直接的契機としては「スパイ事件」を挙げている。猪疑心の強い麻原がAの友人でもあった会員を「スパイ」とみなしたようで、Aに「正体」について問うたため、でまかせに「フリーメーソン」と答えたところ、麻原は満足した様子を示し、動向を見張るよう指示された。

こうした麻原とのやりとりで、自身の目的から逸脱した出来事に振り回されることにうんざりしてしまった。彼が言うところのこの「スパイ事件」は決定的であったが、Aはこれ以前より、かねがね麻原や教団(神仙の会)に対して不信感を募らせていたようである。

Aが入会して間もなくのこと、ヒマラヤから帰国し「最終解脱した」と語る麻原に、「ほんとうに解脱したのか」と問うた会員がいた。それを受けて麻原は、石井久子に是認を促したのだった。極めて個人的で心的な「解脱」という状態について第三者に訊ねる態度は理解に難く、「嘘をついているのではないか」と訝ったが、同時に「まさか」という思いもあった。

やがて入会当初は数万円程度だった修行コースは数十万となり高額化の一途を辿った。多くの会員が離脱したが、麻原は「このくらい出さなければ解脱はできない」と意に介さなかったという。麻原の宗教的知識もなにやら怪しげに感じた。当初はヨーガのみだったのに、次第に密教色が濃くなっていった。仏教については少々知っているように見受けられたが、他の宗教に関してはほとんど無知とも言えるほどで、Aが教義上の矛盾を指摘すると黙り込んだり、話題を変えてしまったという。

また取り巻きの言動も目に余るものがあった。Aより後に入会した新実が、出家中の身でありながら「偉くなったら彼女を迎えに行く」とAに打ち明けたのだ。(新実は)「出家の意味が解っていないのでは?」と甚だ疑問であった。麻原のおよそ宗教者に相応しからぬ言動も気になっていた。「尊敬するのは(世俗の政治家である)毛沢東」と述べたときには驚かされた。Aは、宗教的知識がある者ほど早々に辞めていったと述懐している。』
(情報時代のオウム真理教/井上順孝/春秋社p347-348から引用)

この麻原が自分が最終解脱したかを石井に問うシーンは他の書籍にも出てくる有名なところであり、それについては麻原自身も自信がなかったのだろう。

このブログでもマスターの真偽を見分ける方法をサジェストしているが、悟っていない自分が、他人が悟っているかどうかを見分けようとすることには、自分が悟りの何たるかを知らないからして、そもそも無理がある。

そこで真正のマスター、グルに出会うには「縁」に依ると、議論の矛先をずらさざるをえないところがある。求道の情熱、本当に生きたいという気持ちの強さだけが、真正の覚者に出会う機縁をもたらすのだ信じて日々坐るしかないのだと思う。

2008年のリーマン・ショックは、100年に一度の危機と言われたが、5年たたないうちに、「100年に一度」の規模の欧州発の経済恐慌が起きようとしている。
オウム真理教が自ら社会を攪乱するまでもなく、今や「終末」である。

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