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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

私は私という心身の異郷の客

2023-02-01 12:28:23 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎何一つ見知らない悲しみ

(2015-12-11)

 

12月11日は、知る人ぞ知るダンテス・ダイジの命日。

 

人は、覚醒した世にもまれな人物に出会えば、テレビの突撃リポーターよろしく、なんでも質問しようとするものだ。

 

そうした心理を見越してか、ダンテス・ダイジは自作の著作を用意してくれている。その一冊についてでもきちんと最後まで同一の実感をもって感得できたり、あるいは知的理解でもできたりしたら、その読者はほとんど覚者だろう。

要するに普通の人は一冊読み通せないだろうと思う。

 

以下の引用文は、彼の「今でない今、ここでないここで」という詩の一部。

 

『一刹那の生涯でよい

神の御意のままに生き

神の御意のままに死にたい

一刹那の神の御意は

すべての生命たちの生涯と

すべての生命たちのそれぞれの宇宙であった

 

神のみが絶対無の中に

久遠の安住を続け

あくび一つも神には無縁だ

 

私は私という心身の

異郷の客であり

何一つとして

私のかつて見知った事柄はない

この悲しみが

人間に理解できるだろうか』

(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版P118から引用)

 

教条的に、「人間とは、すべての世界が一つながりになったアートマンと合体できるし、統合している」などと語ることはできるが、その実感を語りえる者だけが真正の本物の超越者である。その悲しみを語った者がかつてあっただろうか。

 

人間はその悲しみを知りたがるほどに近づいてきた。

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OSHOの誕生日

2023-01-15 16:33:08 | 冥想アヴァンギャルドneo

 ◎あなたはブラフマンの夢 そしてあなたは私自身

(2010-12-11)

 

12月11日は、OSHOの誕生日である。またこの日がダンテス・ダイジの命日でもあることは、知る人ぞ知る。

これによって、この二人が全く無関係ではないことに、薄々気がついている人もいるだろう。

誕生が、子宮を選定し、そこにダイブするという、バンジー・ジャンプばりのイベントであるように、逝去も肉体の頭頂ないし他の部位から脱出するという偉大なパフォーマンスであり、占星学的にわざわざ射手座のこのポイントを使って来るのは、それぞれ、誕生と逝去という違いはあっても無視できないファクターであると思う。

京都に一条戻り橋の伝説があるが、ゾディアック(十二宮)上にある、聖者専用の、あるいは転生が終りに近づいた人間のための、あるいはまたアトランティス以来のさる使命を持った人間が往還するための、一条戻り橋みたいなポイントがこの日なのだろう。天球上の愛のポイント。


ダンテス・ダイジの詩。
『そしてあなたは私自身

幾度も幾度も繰り返される夢
夢見つづけるブラフマン
無数の意識の流れ
輪廻し 上昇しあるいは再び下降し
そして帰り着こうとする流れ

眠り続けるブラフマン
一人の人間の中にある無限の宇宙
あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙 
夢見つづける宇宙

久遠の時の中の遠い遠い夢
うつし世の胸高鳴る甘美な悦び
そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見つづけるブラフマン
目覚めることのない久遠の夢
すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海

全智全能を内包した一つぶの砂
アガシャの想念の海を泳ぐ無数の生命達
あらゆる想念を具現しまた破壊する
ブラフマンの化身シヴァ
破壊と殺戮の神シヴァ
そして私自身なるシヴァ
私の手は無限の宇宙を握りつぶし
私の足は永遠の歴史を踏み倒す

シヴァなる私は踊り狂う
眠り続けるブラフマンに気使うことなく
夢の宇宙に私は踊る
モンゴルの平原にさまよう旅人も
私の酒くさい一息が
その全身に吹きかかれば思い出す
すべてを旅人は思い出す
あなたはブラフマンの夢
あなたはシヴァの化身
時には あなたはブラフマンそのもの
そしてあなたは私自身 』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版社P72-74から引用)

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OSHOとクリシュナムルティ

2023-01-15 16:28:07 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎入国拒否など

(2009-07-07)

 

OSHOとクリシュナムルティ。どちらも欧米を舞台に活躍したインド人の覚者。クリシュナムルティは、早くから欧米のハイソサエティを中心に受け入れられたが、OSHOは多くの信者はいたものの、最後は、イギリス、アメリカ、ギリシアなど多くの国の官憲から入国拒否、滞在不許可を受け続けるようなひどいことになってしまった。

 

その違いはどこにあったのだろうか。

 

それはクリシュナムルティは、教団という組織を作らなかったのに対して、OSHOは教団を組織して、オレゴンにコミューンまで作ったところにあるように思う。

 

クリシュナムルティは、周辺に世話をしてくれる人はいたが、信者の組織みたいなものはなかったようだ。それが彼のスタイルだった。

 

OSHOは、それに対して、信者を集めて、組織を作って、プチ独立国家みたいなものまで作った。それがコミューン。それが彼の選んだスタイル。

 

どこの民主国家でも法と秩序をモットーにやっているので、国家主権エリア内で、コミューンのような治外法権のようなことをやられると、為政者からみると甚だまずいことになるので取り締まられたというのは理解できる。しかし、コミューンがあったわけではないアメリカ以外の国までが、入国拒否のオンパレードをやったのは、いささか神経質に過ぎたように思う。

 

OSHOは、アメリカでは毒まで呑まされたと自分で語っていたと記憶しているので、随分ひどい目にあったものだ。

 

クリシュナムルティはクンダリーニ・ヨーガ関係の発言はまずしないが、OSHOはよくそれを語るという違いはあるものの、「それ」(ニルヴァーナ)についてはほとんど同じようなこと語っている。

 

社会が冥想についてほとんど無理解である以上は、そろそろと細々と進めていかざるを得ないと思うのは、自分が悟っていないせいなのかも、とも思う。

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OSHOの悟後

2023-01-15 16:24:06 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎長き沈黙
(2009-07-06)

OSHOが悟りを開いた直後は、「それ」を見守ることしかできず、誰も破ることのできない沈黙が2年間続いた。だがその2年間、彼の内面には大きな喜びが存在し続けた。

家族も友人もそんな彼を見て発狂したと思い込んでいたが、一人だけ彼のそんな状態についての理解者がいた。それがマグカップしか持ち物を持っていない乞食、マッガ・ババだった。

マッガ・ババは、他人が食べ物やものを恵む時はそのマグ・カップに入れてもらい、その金やものを不心得者が持っていこうとうしても、とがめず、むしろ喜んでいる風でもあったという。

マッガ・ババもずっと沈黙していたが、時に意味のない言葉を話すことがあったという。

マッガ・ババはOSHOに出会った時に、OSHOに起こったことを肯定してみせた。それがきっかけで、OSHOは再び他人と話すことを始めるようになった。

悟る前も修行に専念できる環境づくりが必要になるが、悟った後も悟後の修行に打ち込める環境が必要になる。環境が用意されていなければ、単なる発狂者として、精神病院送りになったり、面倒なことになる。さもなければ大燈国師のように鴨の川原で乞食を何年もやらなければならないはめになる。

既成の宗教組織に依って修行を進めれば、その組織の傘の中で、悟る前も悟った後も生活の面倒を見てくれるのだろうが、組織の外の社会では、そういった理解を示してくれて世話をしてくれる人がそうおいそれといるわけではない。

これも現代社会の、邪境性みたいな部分である。

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OSHOの前世と今生

2023-01-15 10:03:53 | 冥想アヴァンギャルドneo

 ◎いきなりニヒルな人生展開

(2007-06-08)

 

OSHOは7百年前に前世があった。前世の最後、106歳のこと、OSHOは、21日間の断食に取り組んでいた。残り3日になった時、OSHOは、殺されて、結局21日間の断食行を完成することはできなかった。

 

この3日間で、断食が完成していれば、OSHOは再び転生することはなかったという。そしてこの3日間で達成するはずであったことをOSHOは21年かけて達成することができた。

 

時節を逸すると、その時にやっておけば一日で済むことが何年もかかることがあるものだ。

 

今生では、生れ落ちてから、事情があって母方の祖父母に7歳の時まで育てられた。7歳の時に祖父が話をすることができなくなって、医者やアユールヴェーダの治療師もいない村だったので、牛車に載せて24時間かけて32マイル離れた街に運んで行った。OSHOは、牛車に同乗して、言葉を失い、次に聴覚が失われ、目を閉じてと、緩慢に進む死の姿を真近にみた。

 

街に着いた時は、祖父は呼吸をしているだけで、3日を生きて、そして死んだ。

 

これ以後他人に対する愛着はなくなり、OSHOは一人でいることが彼の本質になったと述懐している。七歳にして、既にネガティブな世界観、諸業無常の人生を生きることになったのだ。

 

覚者、聖者は、往々にして、こうした露骨なニヒルな人生を選ぶ。この人生の展開も自分自身で選んで生きてきたものだろうが、あらゆる転生、あらゆる人生の実感を経験した者でないとこのような生き方を選び採ることはないだろう。

 

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OSHOの死の見方

2023-01-15 06:31:08 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎肉体の死と自我の死

(2007-06-06)

 

『戦場では死ぬ者もいるが、一方助かる者もいるために、生き残る可能性もわずかだがある。そのためにある恐怖が残る。

 

だが死の領域では、その僅かの可能性すら存在しない。死の瞬間には「私は肉体だ」という幻想は突然消える。

 

死の恐怖が消えるのは、そこに逃げ場がないからだ。その時肉体が死んでいくという事実は確かなもの、逃れられない運命になる。それこそが肉体の宿命だ。それを救う道はない。』

(神秘の次元/OSHO/日本ヴォーグ社p97から引用)

 

死には肉体の死と自我の死があって、覚者、聖者たちの説明は、まず肉体死が自我の死ではないことを認識させることを第一に置く。

 

その次に生きながら自我の死を目指すべきことを説く。

 

現実の問題として、自分の財産、人権、家族、友人、社会的な名声・信用などほとんどのものが肉体の生存にくっついているのであるから、肉体の死は、日常の生活感覚からすれば別格、別次元の奇怪な存在として立ちはだかる。

 

バラエティ番組で心霊は扱うことはあっても自分の死を扱うことはまずない(自殺防止はある)。今の社会では、他人の死はイベントとしてあっても、自分の死があるのは知っていてもなきが如くして生きるのが今風なのである。

 

こうやって自分の死が近づくと周章狼狽、あたふたとしたり、がっくりきたりすることになるのである。死も自分の人生の一部。あなたは、この人生を何をするために生れてきたのだろうか、そして死んでいくのだろうか。

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OSHOも木から落ちる

2023-01-15 06:25:35 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎霊魂は肉体と別にあり

(2006-02-11)

 

OSHOがいつものように木の上で冥想していると、冥想に入れ込みすぎて、自分の肉体が、木から落ちたのにすぐには気づかず、突然自分の肉体が地面に横たわっているのを発見した。明るい一本の線、銀色に光り輝くひも状のものが、横たわっている肉体のへその部分から出て、木にとまっているOSHOにつながっていた。銀色に光り輝くひも状のものとは、クンダリーニのことで霊線とか、玉の緒とも呼ばれる。木の上にいる自分はアストラル体のことだろう。

 

自分の肉体を外側から見る体験というのは、臨死体験ではよく語られる事象である。これは、OSHOにとっても初めての体験だったので、当惑しているうちに、人間の肉体と魂は別の存在であることを悟り、肉体の死が自分の死であるという恐怖はなくなったと言う。

 

肉体とアストラル体が分離したまま、夜明けを迎えた。近くの村からミルクの缶を頭にのせた女の人がふたり通りかかり、そこに横たわっているOSHOの肉体を見つけた。OSHOは、冥想していた木のてっぺんから、彼女らが落ちている肉体を見ているのを見ていた。彼女らはその肉体に近寄ると、かたわらにしゃがみこんだ。彼女らの手がOSHOの額に触れたとたん、まったく磁石に引きつけられたかのようにして、OSHOは自分のからだに戻り、そして目を開いた。

 

その後6カ月の間に、このような体験は6回起こった。起こった事象としては、クンダリーニのエネルギー・コードに乗ってサハスラーラ・チャクラから肉体次元を脱出する本格的なものでなく、『へそ』経由で肉体とつながったいわゆるアストラル・トリップ(体外離脱)と考えられる。OSHOはこの六回の体験で寿命が10年縮まったような気がしたと言っているので、最近見聞きする体外離脱体験ファンには心する点ではあるまいか。

 

OSHOは、深い冥想性トランス(サマディー)の中で、男性の肉体が霊魂と分離してしまうと女性の手助けなくしては肉体に戻れない。また逆に 女性の肉体が霊魂と分離してしまうと男性の手助けなくしては肉体に戻れない。男性と女性のからだが接触するやいなや、そこに電流が流れ、電気回路が閉じて、その瞬間、肉体に離れていた霊魂が戻る。だから、インドの精神世界の先達は、深い冥想性トランスや死の修行では、女性と一緒に修行していたのだと述べている。

 

ラーマクリシュナは、肉体をよく離れていたようだが、ラーマクリシュナは、女性が近づくのが嫌いだったようだ。だからこのOSHOの説が一般に妥当なのかどうか、もうひとつわからないところはある。

(参考:反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社)

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マンションの高層階に暮らす

2023-01-15 06:19:00 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎OSHOが木の上で冥想

(2006-02-10)

 

OSHOも修行時代は、高い木に登って冥想をした。京都栂尾の明恵も木の上で冥想した。大本教の出口王仁三郎は、マンション高層階などの大厦高楼に暮らして然るべきである人は、人間の中では貴顕のみであると考えており、一般庶民は、高い建物で生活すべきではないと述べている。

 

昨今は住宅事情が許さないので、高層階に住んでいる人も多い。人間は、天地の間に生きており、肉体は地に属し、霊魂は天に属しているので、天地のバランスをとって暮らすとは、1階に住むことである。これが本来の庶民の暮らしの場というべきものだろう。

 

OSHOは、冥想修行者が山で冥想することを、木の上で冥想することと同列に捉えている。マンションの高層階に暮らすのは、より精神的な力が自ずと強化されることになることになる。高層階住民は、無意識にそういう生活を選んでいるということになり、時代的なテーマである肉体だけの世界観の超越ということに、生活の場所からまず取り組んでいるとでも言おうか。

 

但し、それは冥想の場としての地上から離れたポジションということであり、冥想の習慣のないまま、単に地上から離れた高層階に住むというのは、むしろ肉体と精神のバランスという点で害があることを出口王仁三郎は指摘しているように思う。

 

以下OSHOの説明。

『わたしはよく木のてっぺんにすわって、夜中に瞑想していた。地面にすわって瞑想すると、からだの方が強くなりすぎて優勢になってしまうと感じることが何度もあった。おそらく、肉体は大地からできているからだろう。ヨギたちが山頂やヒマラヤの高峰に行くという話はけっして根拠のないものではなく、明らかに科学的な原理にもとづいている。肉体と大地との距離が大きければ大きいほど、肉体の物理的な力、あるいは圧力は減少し・・・・・内なる諸力が増大するのだ。わたしが高い木に登って、毎晩瞑想にふけったのはそんな理由からだった。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P120から引用)

 

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狂人ノート-2=和尚バグワン

2023-01-15 05:57:51 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎転生の終焉

(2011-06-27)

 

和尚バグワンは、先年亡くなったが、それが最後の人生であることを、生前から予告していた。

この文の<実存>とは神のことだが、二度とこの世に生まれてこない人間とは、十牛図で言えば第三図程度の“ちらと見た”だけの人なのか、それとも第八図まで行った人なのかという疑問がある。

“ちらと見た”だけでは、菩薩であり、この世にやり残したことは少なくはないだろう。

 

肉体を持って感じ取れる数知れぬ実感により、人は熟成を重ねていく。あらゆる実感を味わい尽くしたところにたどり着かないと<実存>はないだろう。

 

『怖れからは何もしてはならない。

わたしの体の心配はしないこと。大丈夫だ。

わたしの体の言うことを聴くのではなく、私に耳傾けなさい。

わたしの体はいつもちょっとおかしい。おかしくならざるをえない・・・・

 

ひとたび目覚めたら、体は意識をつかまえておくことができなくなる。

ひとたび目覚めたら、人はもはやこの世のものではなくなる。

 

<覚醒者>が死んだらふたたび生まれこないのはこのためだ。

彼には生まれくることができない。それは不可能だ。

 

彼には肉体をもつことはできない。

これは、わたしの最後の肉体だ・・・・・

 

おまえたちは最後の肉体のなかにいる人間とともにあって幸運だ。

わたしはふたたび在ることはない。私は<実存>だからだ。

ひとたび<実存>であったら、人間は二度と生まれてくることはできない。

 

大事なもの、それは<実存>だ。

永遠なるもの、それは<実存>だ。

肉体は来てはまた去る。<実存>はとどまる。

肉体は生まれてはまた死ぬ。<実存>は生まれることも死ぬこともない。』

(狂人ノート/和尚/和尚エンタープライズジャパンP7-8から引用)

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狂人ノート=和尚バグワン

2023-01-15 05:53:50 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎何百万ものブッダ

(2011-06-26)

 

バグワンの狂人ノートは、初期のセッションのものだろうが、聴衆のレベルの高いことが見てとれ、ちょっとした詩集のような仕上がりとなっている。

 

『わたし以外は誰でも狂うことができる。

なぜならわたしはすでに狂っているからだ。

 

私はほぼ一世紀の四分の一狂ってきている。

もし、おまえたちが助けてくれるなら、わたしは一世紀は頑張れる。

頑張れるが・・・・・自分一人でではない。

自分一人でとなったら、私は卵の殻でできた人形でしかない。

 

しかし、もしおまえたち皆が助けてくれるなら、

わたしは、一世紀くらい楽に頑張れる。

 

私の父は七五まで生きた。

私の父親は八十まで、父の父親の父親は九十まで生きた。

このレースで、私にだって彼らを負かすことができる。

 

 

もしおまえたち皆がエネルギーを合わせたら、

おまえたちは、ひとりのブッダが世界中に何百万のブッダを創るのを助けることができる。

私は狂っている

 

さもなければ、ひとりのブッダのことを考えるだけで充分だ、

が、わたしは常に、何百万ものブッダについて考える。

それ以下では充分ではない。

 

わたしは常に、大きく考える。

わたしたちは、何百万ものブッダを創造しなければならない。

そうしてこそ初めて、新しい人間が誕生できる。

その時に初めて、キリスト教徒を消え去らせ、キリストたちを出現させることができる。』

(狂人ノート/和尚/和尚エンタープライズジャパンP162-163から引用)

 

和尚バグワンは、教団組織での布教を目指したから、布教目標として何百万人のブッダを掲げざるを得なかった。そのこともアメリカでカルト扱いされて、猛毒タリウムを飲まされる遠因となる。

 

現代社会に適応して生きていくのは、ちょっとノイローゼでないといけない。自分が狂わないと、この狂った現代社会に適応して生きてはいけないのだ。狂った社会が自らのことを正気と思い込んで、和尚バグワンのことを見れば、狂人に見える。そのことを和尚バクワンは、私は既に四分の一世紀狂っていると自嘲する。

 

世界人口60億人の3%ならば、1億8千万人で、とてもではないが何百万人でも追いつかない。

その勢いはあるのだろうか。

 

そのことについて、和尚バグワンひとりでではできないと主張している。それがアクアリアン・エイジ。

 

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OSHOバグワンの父親

2022-12-30 05:08:38 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎はた目からは大不運を幸運として謝す

OSHOバグワンの父親は、息子が教団立ち上げ後に、彼の死を見取り、頭頂に手を当てて、父が肉体をサハスラーラから出たことを確認したシーンで知られる。

OSHOバグワンの父親は、貧しく無学だった。彼は非常に苦労してお金を工面して初めての家を建てた。家は完成した。

ところが、引っ越す前に雨が降って家は倒壊し、幼児だったOSHOバグワンはとてもがっかりした。

彼の父は、倒壊した新居にやってきて、町の人々にお菓子を配り、「私は神に感謝している。もし家が引っ越した後に倒壊していたら、子供は全員亡くなっていただろう。」と語った。父は新居が早く倒壊したことを生涯幸せに思っていたという。
(ディヤン・スートラ―瞑想の道 OSHO/P173)

同じような話が出口王仁三郎にもある。

神戸の空襲で家を焼け出された某氏が、出口王仁三郎を訪ねて、家を焼かれたが身体は無事だったとお礼を申し上げた。すると出口王仁三郎は、「お筆先に、今度は身体一つ助かったら一番のおかげとあるだろう」と教えた。(新月の光)

そして旧約聖書のヨブ記。

そのような雰囲気の時代である。
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人を偏見なく見る

2022-12-28 15:31:30 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎精神の高みを見る

学歴もなく教養もなく金もないが、悟っている人はいるものだ。例えば浄土真宗に妙好人として南無阿弥陀仏の連唱だけで覚醒した市井のそうした人がいることは知られている。

いまでもそのようにお題目教団や念仏教団のまじめな平信者のおばさんの中にそうした人はいるし、カルト教団の平信者の中にすらもそういう人がいないとも限らない。

神仏は、そうした覚者を教団の底辺とか辺縁部に配置することがあり、教団そのものの伝法、真理の伝承は時にそういう形で護持されていくことがある。

伊勢神宮が応仁の乱後にほとんど断絶寸前になった時に寄進の音頭をとったのは、有名神道家でなく、なんと仏教徒のおばさんだったことは有名だ。

スワミ・ラーマの支援者の一人アン夫人は、親族で知的障害をもつキティおばさんの世話を長年にわたってやってきた。アンにとっては、キティおばさんは、厄介者であり、キティおばさん自身にとっても知的障害を持って生きることは不幸なことだと感じているに相違ないと思い込んでいたのだが、意外なことにスワミ・ラーマは、チビで知的障害のあるキティおばさんは既に相当な覚者であることを示唆した。(キティおばさんは、スワミ・ラーマに5柱のサポート神霊のあることを見抜いた)

丹波哲郎の霊界探訪の「霊界旅行」では、光の存在に導かれて、バスが崖から転落した事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う。その中で知恵遅れの若い女性が強姦されたことでシングル・マザーとなるのだが、同時に不慮の死を遂げた25人の中では、彼女が最高の境涯にあった。

このように知的障害とか知恵遅れと精神の高さは連動しない。また精神障害ですらも精神の高みと連動しないのだろう(ヘルダーリンみたいに神を見ても統合失調というのはある)。

もっともここは知的障害、精神障害の社会性のなさを否定するものではなく、求道者としては、彼らの精神の高みを偏見なく見るべきだということである。
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世界的な言語の統一について

2022-12-27 16:11:27 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎英語から言霊へ

明治初年頃に活躍した朝鮮の神人姜甑山は将来世界的に言語が統一されることを予言している。

しかしながら出口王仁三郎は、世界的な言語の統一ということは言っていない。ただ七十五声の言霊の活用ということは語る。

現代は、まさに英語が世界言語として君臨している。日本語であれば、少ない字数で済むものを多くの単語を必要とする英語。世界的な言語の統一とは、日本語が英語にとって代わるということではないと思う。

これについて、出口王仁三郎は、動物や虫、魚、草木、岩石に至るまで言葉を発しない者はないとする。古人は、すべてこれらの言語を諒解していたことは、中臣の祓に『草の片葉をも言止めて云々』とあることでわかるとする。

これに対して、外人は虫の声が聞こえないということは仄聞するところである。

ラッパ(無生物)はタチツテトのたった五音で軍隊を動かし、三味線(無生物)はパピプペポ、タチツテトの十音を以て一切を語り、牛はマミムメモ、馬はハヒフヘホ、猫はナニヌネノ、犬はワヰウヱヲというように、おのおの特定の言霊を使用することで、自分の意思を完全に表現する。その上で、足りない所は、目を働かせ身体のしぐさでもって補い、また声の抑揚や沈黙などで、その意思を明かに表示する。

出口王仁三郎は、自分の耳を澄まして聞き慣れれば、これらを聞き分けることが
できるという。さらに動物はおぼろげながら人語を理解できるのに対し、現代人の方は逆に禽獣草木の声が理解できないのは恥ずかしいことだとまで言う。(霊界物語第32巻第1章 万物同言)

すなわち動物や虫、魚、草木、岩石の声がわかることが言霊を駆使する基礎なのである。そこで初めて言霊の意義と活用の実地と理論が理解できようというもの。

英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、中国語などの語学が堪能にならなくとも、動物や虫、魚、草木、岩石の声が聞き分けられるレベルなら、外人との会話は、アーウーだけでもできるとする。

このように世界的な言語の統一とは、語学の統一ではなく、万人が動物や虫、魚、草木、岩石の声が聞き分けられるほどに感性が精妙になることなのだと思う。それが成るためには、愛がなければできはしない。

旧約聖書に、バベルの塔崩壊後に他人の言語が聞き分けられなくなったとあるが、それはこうしたレベルでの言語の話なのだろうと思う。これも霊的文明の相。
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Bluetoothとルーン文字

2022-12-13 11:52:21 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎アトランティス滅亡から神代文字まで

私のイアホンは、Bluetoothが出始めた頃から無線なので、私は結構古いBluetoothユーザーなのだが、初期のBluetoothで音楽を聴くとカスカスなひどい音ではあったが、今は有線イアホンと遜色ないまでに進化し、Bluetooth専用スピーカーが登場するまでになった。

Bluetoothのアイコンは二つのルーン文字の組み合わせ。私のような北方転生系は、ルーン文字に本能的に関心が高く、いろいろとルーン関連書を読んでみたが、あまり感心できるものはなかった。

ルーンでは地表に露出している石にルーンが彫られているものを資料として扱うことが多いのだが、断片的でもあり、1万2千年前のアトランティス滅亡時からの経緯を示唆するようなものはないようだ。

また石碑は、好太王の碑や、群馬の多胡羊大夫の碑のように土中に埋まっていたり、風化していたりするので、大量の事績を伝えるには向かないと思う。

するとアイヌのユーカラや古事記(稗田阿礼が口述)のように人間の記憶術を記憶媒体として口承するというのも大容量記憶の有力選択肢だった可能性がある。先進国だった古代ローマの記憶術の記述を見ると、ますますその可能性を感じる。

Bluetoothのアイコンは、10世紀のデンマーク国王、ハーラル・ブロタン(Harald Blåtand)の頭文字のHとBのルーン文字を一つに合体させたもの。

1万2千年前のアトランティス滅亡時に、エジプト、北中米、北欧、インドなどに残党が脱出。それぞれの国で、この21世紀の至福千年の始まりに向けた神話を創造して残した。それらが、エメラルド・タブレットであり、旧約聖書であり、古事記であり、マヤ・アステカの神話であり、北欧神話、バガバッド・ギータなどである。救世主入門というのは、そうしたものの一種と見ることもできる。

明治初期の文章であっても、現代ではもう読みにくいように、言葉は、文字も含めて千年2千年で考えると全く変わってしまう。

古事記以前は公式には日本は無文字だったということになっているが、神社の神璽などを見ると神代文字を見る場合があり、古事記以前は神代文字が日本の国字であった可能性がある。

平仮名片仮名漢字以外のものを全部神代文字と分類しているが、神代文字は何十種類もある。ハングル似のもある。

出口王仁三郎の見るようにアトランティスの系流のスサノオは当初ユーラシア全体を支配していたが、その後領地を次第に縮小し、最後は日本だけになったとみれば、神代文字は、その何千年にもわたって使われてきた文字であって、神代文字そのものも時代とともに変化してきた。

663年白村江の大敗から日本への唐の干渉きつく、ついに神代文字を放棄することを迫られ、その約50年後に古事記が編まれ、万葉集という明らかに別言語を漢字表音で充てた歌集が作られたというシナリオは可能性があると思う。

ルーン文字も何千年使われてきたのだろう(ルーン文字も何種類もある)が、呪術的なシンボルらしい程度のことしか今はわかっていない。
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孤独な生活と身だしなみ

2022-11-26 07:01:19 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎心の社会性と正気

現代社会では、衣食住さえ安く手に入れば、ほとんどリアルな人と接触せずに日々を過ごすことができるほどに文明の利器はそろった。

そんな中で、通勤も通学も結構な量の家事もないとなれば、人は自分を飾ることを放棄するようになる場合がある。

すると、奇妙なことではあるが、その人間の本性とも言うべき潜在意識が表面に出てくる。

具体的には、深い意識に根付いた欲望が驚くほどストレートに現れた状態で、露出する。性欲、支配欲、金銭欲等々。

これを社会規範や法律や道徳やしつけなどで、厳しく自己規制しようとするモチベーションが働くと、更に大きなストレスが高じて、逆に先に挙げたような欲望がより強く呼び起こされて自分をコントロールしづらい状態にまでなることがある。

このような状態は、ひきこもりや出家生活など孤独な生活では出現しがちな状態である。

古来宗教家たちは、この状態のコントロールは心得ていて、オーム、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などのマントラを繰り返し念唱させて、すべてがマントラになりきる一念専心やすべてがマントラである世界までもっていくとか、心に浮かんでくるあらゆる想念を相手にしないとか、消えていく姿であると見るとか、激しい身体運動とかで肉体を消耗させて後坐らせるとか、空性の観想とか、様々な手練手管を用意していたものだ。

身だしなみとは社会性のことであって、着るものとか持ち物などファッションだけが社会性ではない。

このおひとり様が三分の一にも達しようとする時代、心の社会性こそ身だしなみである。心の社会性とは、真に厳密な意味で正気であることだが、ちょっとノイローゼ、ちょっと偏執的なのがまともとされるこの時代に、誰が真の正気を見分けられるのだろうか。
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