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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ウパニシャッドの輪廻転生

2024-02-11 09:47:48 | 冥想アヴァンギャルドneo
◎説明をはぐらかす
 
古代インドのカタ・ウパシャッドでは、子供のナチケータスは、父親によってその身を死神ヤマに布施として与えられようとしていた。

ナチケータスは、自分たちを死神の家の前で3日も待たせた償い(三つの恩典)として、死後のメカニズムについて説明してくれるように、死神ヤマに求めた。

『「死んでいった人について、次のような疑問があります。―――『彼は(死後の世界に)存在している』という人々もあり、他方『彼は(どこにも)存在しない』という人々もあるのです。このことについてわたしはあなたに教えられて知りたい。(三つの)恩典のうちの第三の恩典はこれです」(20)

「この点については、古来神々でさえ疑問をもっていた。それは理解しやすいことではないから。この事柄は微妙である。ナチケータスよ、他の恩典を選ぶように。私を悩まさないでほしい。それ(を教えること)を私に免れさせてほしい」(31)』
(世界の名著 バラモン経典原始経典/中央公論社P134から引用)

このやりとりの後、死神マヤは結局説明させられるのだが、その内容は我ら俗人が期待するような内容ではなく、本来の自己たるアートマンを奉斎することで、かの恒常なるものに至ることを勧めている。


さて、死後の成り行きについて、我々が期待するようなことを説明することは、百害あって一利ないことを彼らは知っているから彼らはまともには説明してこないのではないかと思った。

というのはオーディンの箴言にこんなのがあったからである。
『誰でもほどほどに賢いのがよい。賢すぎてはいけない。誰も自分の運命を前もって知りはしない。知らない者は心配がなく、平穏な心でいられる。』
(エッダ-古代北欧歌謡集/谷口幸男訳/新潮社P31から引用)

つまり、ほとんどの人は、現在只今において、自分の末路について受け入れる勇気も覚悟もないのが現実だろうからである。キュブラーロスの指摘するように、自分の死を受け入れるのには準備と段階が必要なものだ。
 

蛇足だが、カタ・ウパニシャッドのこの説明の中でアートマンは心臓内の洞窟に親指大で存在していると死神マヤは説明しているが、「魂の科学/たま出版」でスワミ・ヨーゲシヴァラナンダも同じようなことを言っている。

そうなのかも知れないが、これは七つの身体論について霊がかりな解釈を惹起しそうな説明ではある。

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記憶術からコンピューターまで

2023-10-21 10:57:51 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎奥の深い魔法

(2012-04-15)

 

記憶術は、古代ローマの昔から、単なる思い出以上の利用価値あるものと展望されていた。

事実我々は日常生活の中で、様々な家電、PC、自動車、携帯電話などで、ロム上のメモリーをフル活用して生活している。

ジョルダーノ・ブルーノは、まず頭の中に大きなリングを作り、その上に5つの同心円のリングを置く。この6つのリングには、様々な記憶の一つ一つを置く。これによって、リングを回転させれば置かれている記憶を取り出すことができる。そして6つのリングがそれぞれ回転すれば、バラバラだった記憶が結びついて新しい知識が得られると考えた。

もともとのこの着想は、スペインの錬金術師ライムンドゥス・ルルスに由来すると言われる。また、それから100年後のライプニッツは、これをヒントにいくつもの同心円盤から成る初期の計算機を作った。

更にブルーノは、『「奥の深い魔法は、結合点を発見したあとに正反対のものを引きはなす」。ふたつの正反対のものは「結合点」で一致し、そこを出ると正反対に分かれて「反対」となるというのだ。』

(メンデレーエフ 元素の謎を解く/ポール・ストラーザン/バベル・プレス社P125から引用)

 

この奥の深い魔法のことは、世界の始まりと終わりを見た者しか言えないことを言っている。ジョルダーノ・ブルーノは、世俗的には決して恵まれなかったが、相当のところまで行っていたように思う。

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くそと黄金

2023-10-08 12:33:16 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎くそへ ここたくの罪を天津罪とのりわけて

(2016-12-09)

 

世の中には、巨富を持っている人がいる。マイクロソフトの創業者のデビッド・ゲイツとか、投資家であるウォーレン・バフェットとか、ジョージ・ソロスとか英国女王ファミリーとか、日本にもそういう人もいる。

彼らは、人もうらやむ年棒のプロ野球の大谷翔平の百倍どころか万倍の資産を有している。サッカーのメッシやクリスチアーノ・ロナウドなどの千倍以上でもある。持てることに満足するまで増やそうと努力するのだろう。

けれども何兆円もの個人の財産は、本人が亡くなった瞬間、彼にとって何兆トンもの糞に化ける。

フロイトの夢判断では、黄金がくそに変ずる話が出てきて、黄金がくそと同義なのは潜在意識の常識であり、神々の常識でもある。

神々が不死の霊水アムリタをおしっことして与えようとした如く、神々にとっては、糞尿に対して変な羞恥心はない。日本国の神聖なる大祓詞にも「くそへ」が登場し、その天津罪を祓うべく毎日敬虔に全国で奏上されている。

一方で話が自分の金を出すことに及ぶや貧富にかかわらず性格が急に獰猛になる人は多いものだ。羨望なく巨富を見れる人だけが、求道の道を進む。

金融教育をしないと騙される人が増える。それはそうだが、金に使役される人を増やすことが人間社会の幸福増進につながるのだろうか。

金で得た幸福は一時的なものであり、部分的幸福であり断片的幸福である。だが、そういう冷静な説を冷静にみれなくなりがちなのが貧困であり、世の中の非正規労働者は4割なのだから4割が貧困なのだろう。

イエス・キリストも貧困層だったし、釈迦も貧困層だったし、中国の禅者趙州も貧困層だったし、まともな宗教者は必ず貧困である。

ことさらに繰り返しくそと黄金の説を説かねばならぬほど世の中の迷蒙は深い。

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静御前は愛に死し、祇王は仏を見る

2023-08-03 19:33:04 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎仏もむかしは凡夫なり

(2022-05-25)

 

2022年5月22日のNHK 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝以下が鶴岡八幡宮に参集し、義経の愛人にして絶世の美女静御前(石橋静河)の辞世の舞を観覧した。その装束は、水干に、立烏帽子、白鞘巻と男装であって、歌って踊る。それだけでも当時はインプレッションのあるものであったろう。宝塚歌劇団の男役の走り。

 

仇敵となった鎌倉方の有力武将が居並ぶ前で、義経が彼女と「しづや、しづ」と交わした睦言を披歴して、悲恋を慨嘆したことは、女が恋に死ねることを示す。(しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな

:おだまきの糸を巻き戻すように、義経様が「しづや、しづ」と恋しく呼んでくれた当時に時間を巻き戻したいものだ。)

 

ところで平清盛の愛人だった祇王。祇王も白拍子だったが、新たな愛人の仏御前に清盛の寵愛を奪われ、憮然としつつ清盛の何回もの呼び出しにすねつつ応じた今様。

 

仏もむかしは凡夫なり

我らも終(つひ)には仏なり

いづれも仏性具(ぶっしょうぐ)せる身を

へだつるのみこそ、かなしけれ

 

寵愛のことしか胸中になかった彼女でも、「釈迦ももともと凡夫であって、私たちもついには仏となる」と歌うほどに、これが社会通念だったことに驚かされる。

 

現代社会もこの程度のことが社会通念となれば、社会のギスギスは大きく変わると思う。平安時代から鎌倉時代初期と言えば、方違え、陰陽道全盛で、霊が病気や異常気象などの現象に作用するなどの軟弱スピリチュアルの時代と見られるが、むしろ現代人より人としてまともだったかもしれない、と思う。

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自分を守らない勝海舟

2023-07-05 16:48:23 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎身に寸鉄を帯びず逃げない

(2020-07-11)

 

勝海舟は、剣の達人だったが、あの薩長と攘夷派などが入り乱れて暗殺合戦している時代に、身に寸鉄を帯びずどこへでも出かけて行った。これはなかなかにできることではない。

鳥羽伏見の戦いの時は、勝海舟宅を官兵が取り囲んだこともあった。勝海舟は幕臣だったが、幕府の中にも勝海舟は幕府を売る者として殺そうとした者は一人や二人でなかった。

彼が官軍の西郷隆盛と品川で談判した帰り、赤羽根橋を過ぎたあたりで銃弾が鬢をかすめていった。だが海舟は、あわてて駆け出したりせず、馬を降り轡をとって、静かに歩き、四つ辻から再び馬に乗って帰った。

 

また彼は、しばしば脱走した歩兵を説得することがあったが、九段の靖国神社あたりで説得している時に、銃弾が提灯を貫いた、続いて目の前の歩兵が別の銃弾に倒れ、自分の身代わりになったこともあった。

また彼の家には護衛も壮士もおらず、代わりに女中2、3人がいるだけだった。その理由は、女性ならば襲いはすまいということだったと説明しているが、わが身のガードをしていないということには変わりはない。

こういう日常生活は、誠に生死一髪。勝海舟は写真を見ればやさ男だが、若年から生死を見切った人物であって、見性くらいは楽にしている人物だと思う。

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日本の猫、世界の猫

2023-05-28 10:26:54 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎冥界の王

(2008-08-08)

 

1.仙台・田代島の猫神社

漁業の島で人口が120人位だが、猫の好物の魚が豊富だったのだろう。おまけに犬禁制だとか。

 

2.高知県 須崎市の猫神社

元々は、漁撈生活と縁の深いものだったのだろうが、招き猫を奉納してもねえ・・・・。

 

3.江戸・回向院の猫塚

二両を盗んだ濡れ衣を着せられて殺された猫の塚あり。

 

4.江戸・三光稲荷神社。

失せ猫が戻るという神社。人形町通り三光新道の途中にある小さな稲荷。江戸時代由来のものは人情の機微に触れるものが多いですね。

 

5.古代エジプトの猫女神

古代エジプトの猫女神バステト女神(喜びと愛の神)の神殿のあったブバステス(猫の家の意味)。猫はバステト女神の使いとされ、とても大切にされ、猫が死ぬとミイラにしてブバステスの墓に埋葬される慣習もあった。

エジプトのベニ・ハッサン遺跡からは、猫の遺体30万体が見つかったこともある。

 

6.北欧神話の愛と喜びの女神フレイア

フレイアは地母神だが、その乗る馬車を引くのが、超マッチョな2匹の猫。バステトのイメージとかぶります。

 

7.出口王仁三郎の玉鏡から引用

『猫は魔の王であるから、家に猫を飼うておくと悪魔が来ない、猫を抱いて寝て居れば魘(おそ)はれるやうな事はない。』

へーえ、本当ですかねえー。なぜですかねえ?

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七仏通戒偈

2023-05-04 15:14:13 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎マハーヴィーラの出家の誓い

(2008-08-02)

 

仏教とほぼ同時代に発生したジャイナ教に、祖師マハーヴィーラが、「私はすべての悪いことをしないようにしようと考えて、平静の行を行なう」と出家に際して、過去の完成者に敬意を払って、5掴みの髪を抜いて、決然と誓った言葉がある。(参考:ジャイナ教渡辺研二/論創社)

 

この誓いは、出家前のものだから、悟りを開く以前のものだろうが、過去の祖師の意向を踏まえたものと考えられる。

 

そこで、釈迦以前の過去6仏と釈迦に共通する見解である七仏通戒偈を見ると、

 

諸悪莫作

衆善奉行

自浄其意

是諸仏教

 

もろもろの悪を作すこと莫(な)く、もろもろの善を行い、自ら其の意(こころ)を浄くせよ、是がもろもろの仏の教えなりとあって、悪事をしないことと心のコントロールをしようとするところはマハーヴィーラと共通している。

 

人は、遠回りにみえるけれど、地道に悪事を犯さず、善行を積む。そのプロセスの中でいろいろあるけれど、心のコントロールを冥想で行なっていく。これがいつの時代にも求道者の基本。

カルマ・ヨーガとメディテーションのセットが定番メニュー。人にもよるが、超能力、霊能力の飛び道具のことは、気にも留めない。 

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宗教と道徳が壊れていく過程で

2023-04-28 20:24:46 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎邪境と魔境

(2020-09-19)

 

宗教と道徳が壊れていく過程といえば、まず万人が神知る至福千年の時代には、自ずと宗教はなくなり、そこから発する道徳というものもなくなる。なぜならば、人の行動に悪は見られず、善行のみ行われるからである。よって、そんな世界を見ている人が現代を見れば、時に「バカどもの生きている狂った世界」というような一見理解不能な表現をとることがあり、一般の常識的社会人は面食らってしまう。

 

だが宗教と道徳が壊れていく過程といえば、歴史上に有名なのは、ロシア革命の時代と中国の文化大革命の時代か。これは、万人が神知るとは逆方向の時代であって、ともすれば人間の善意、自己犠牲などあらゆる神性に連なる美点をどんどん排除していった時代。

 

悪い面に注目すれば、具体的には、社会の人々全体が、愛と善意、健全な感情が卑しく頽廃的なものと考え、廉潔であることは悪いことだとされた。行動面では、破壊、特に公共物の破壊は奨励され、道徳的で丁寧な挙措は忌むべきこととして批判されもした。

 

こうした礼儀正しく道徳的な行為をせず、歪んだことや過去何年も築き上げたものを破壊することは、文化財破壊や親子家族の紐帯を切ることまでよしとする風潮を生んでいった。

 

中国では文化大革命中の10年(1966-76)は、全国的にそのような時代であったが、流石に人倫に悖りすぎることからやや揺り戻し、それが以後の経済発展の原動力にもなったことは承知しておくべきだろう。その間の政治的な変動については政治好きの人に任せておくとして、中国人は文化大革命によって、礼儀と公衆道徳を失い、親子家族への信頼も薄められ、「善」を行えば、周辺に糾弾され排除される時期が必ず来ることを学んだ。

 

その結果、中国に見るべき文化財がほとんどなくなって、自然遺産ばかりになっている。

 

中国の歴史と言えば、ネットでは天安門事件のタブーのことばかり言われるが、中国人の精神にとって、文化大革命の悪夢の10年の方が影響が大きかったのではないか。

 

ロシアについては、ロシア革命の時期もしかりだが、1991年のソ連崩壊後大半の人が失業したと言われ、自殺者も激増した時代があるのだが、その方が現代ロシア人の精神性に影を落としているのではないだろうか。

 

いずれにせよ、共産主義国では、神仏の視点から見て「悪を奨励し善を貶める」大衆運動が組織された時期があり、それは共産主義洗脳の一環なのだろうと思うが、大きく国民の精神性と行動にネガティブな影響を与えているように思う。

 

中国人が単に拝金なだけでなく、道徳無視なところを日本でも見かけることがあると思うが、それはそういう時代背景を過ごしてきた影響があり、かつチベットやウイグル、最近ではモンゴルなど少数民族への抑圧も、その発想の基本に「悪を奨励し善を貶めてもよいのだ」という考え方が仄見える。

日本では知られていないかもしれないが、日本だって、中国から見れば大和族という中国に服属すべき少数民族の一つにしか見られていないという面もあるのだ。

 

かつてダンテス・ダイジは、文化大革命の中国を邪境と評し、冥想の古典テキスト摩訶止観で天台智顗は、冥想中に魔境あることを示した。

 

事程(ことほど)左様に、人は神仏を知らねば何が正しくて何が邪なのかはわかるものではないと思う。

 

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臨死体験での人生回顧

2023-03-10 16:59:03 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎見ることでちりあくたを浮かび上がらせる

(2011-10-15)

 

人には堪えられる出来事と堪えられない出来事がある。死のプロセスにおいてはそれに向き合わねばならないシーンがあることが知られている。

 

これは、臨死体験でのパノラマ現象。この人の記憶の遡行は今生だけにとどまった。

 

『7 人生の回想

 

「その光の存在は私を包み込み、私の人生を見せてくれました。これまでしてきたことをすベて見て、反省するわけです。中には見たくないこともありますけど、みんな終わったことだと思えば、かえってほっとします。とくによく憶えているのは、子供のころに、妹のイースター・バスケットを横取りしてしまったことです。その中のおもちゃが欲しかったものですから。でも、あの回想のときには、妹の失望やくやしさを自分のことのように感じました。

 

私が傷つけていたのは私自身であり、喜ばせてあげていたのも、やはり私自身だったのです」』

(臨死からの帰還/メルヴィン・モース、ポール・ペリー/徳間書店P7から引用)

 

カルロス・カスタネダは、臨死体験ではなく、その冥想修行の中で、人生に別れを告げるという修行をやらされた。彼の師匠であるドン・ファン・マトゥスは「自分の人生を反復すると、ちりあくたが残らず表面へ浮かび上がって来る」と説明した。

 

良かったこと、悪かったこと、なつかしかったこと、恐怖におののいたこと、自分の邪悪に片目をつぶったこと、自分の無力さをかみしめるしかなかったこと、などなどいろいろあるだろう。

 

この引用文では、妹のことを自分のことにように感じたとしているが、この体験のような修行をカルロス・カスタネダはあらゆる愛着と別れを告げる修行としてやらされたのだ。

 

修行が深まれば深まるほど、自分の見たくないものに直面させられることになる。人生も老いれば老いるほど見たくなかったものを見せられるのに似ている。

 

パノラマ現象で人生回顧させられると言っても、見ている人の感受性の深浅高低により、その体験の評価には、実はかなりのバリエーションがあるのではないかと思う。浅い人は浅くしか見れないし、深い人は深く見るのだ。 

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かもめのジョナサン最終章

2023-03-01 18:48:50 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎かもめの事上磨錬

(2014-09-28)

 

30年位前にかもめのジョナサンを読んだ。問題のエンディングは、尻切れとんぼだったが、十分に後の展開を予想し得るものだった。その尻切れぶりは、きちんと描写されたエンド・シーンがあった場合よりも、その後のダイナミズムを生むための十分なエネルギーを与えるものだった。

 

ここにきて、最終章である第四章が追加されたわけだが、かもめたちの飛ぶ世界に新たな地平が発見されたわけではない。カモメのジョナサンは、陽明学流の言い方では、かもめ版事上磨錬物語だった。

 

別世界、別次元は、万人から真に希求されるものではないが、「人間の日常に真に向き合えば、それまでに見えていたものと異なる全く違う世界に生きていることに気がつく」と、老子、道元など只管打坐系の覚者は口を揃える。

 

別世界、別次元というオカルティックなものが最重要ファクターなのではなく、「退屈な日常」という起爆剤にどの程度エネルギーが詰まっているかが、結果のバリエーションを生み出しているようだ。

 

一旦かもめのジョナサンの世界に入ってしまえば退屈な世界などはない。しかし覚醒の瞬間は一瞬であり、悟りとは、その覚醒の瞬間であるという体験至上主義では、二度目三度目の体験を追い求めるばかりとなる。

 

禅僧趙州は「十二時の歌」で素寒貧な生活を描写してみせるが、これこそ体験至上主義でなく、「悟りとは態度だ」を地で行っているのだと思い当った。「悟り」は入り口から覗けば理解することは簡単そうだが、多くのファクターがあり過ぎて、理解するのすら難しい。簡単ではない。

 

悟りとは、態度でも、体験ですらもないが、それでも「悟りとは態度だ」と言わざるを得ないシーンはある。

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まだ準備のできていない魚

2023-02-27 17:43:10 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎情報だけは提供される

(2012-02-01)

 

世界観の変貌には2段階あって、まずは肉体だけが世界ではないという変貌と、世界は自分だったという変貌である。

 

ドラッグも、統合失調症における変化した世界観も、霊能力の開顕も、お題目や念仏を死ぬほど唱え続けたマントラ・シッディも、突然肉親を奪われるというような不条理に直面するという事件も、まずは肉体だけがこの世界ではないという世界の裂け目を見せてくれる。

 

その裂け目に出会うのは、まずは一瞥は一瞥であって、自分・自我は温存されている。通例そのステップを踏まないと次のステップには進まない。

 

20世紀初頭に心霊主義の時代というのがあって、世界中でブラバツキー夫人やら、ルドルフ・シュタイナーやら、出口王仁三郎が盛んに霊だ霊界だとやった。残念ながら心霊はいまだにワイドショーネタでしかないが、その先に行くには、時代全体としては欠かせないステップなのだったろうと思う。

 

心霊ネタというのは、霊がかりではあるが、人間は死後どこへ行くか、死後どこかへ行く自分とは何なのか、この世に生まれる前の自分は何なのか、自分はこの世に何のために生まれてきたのか、という課題へのとっかかりにはなる。

 

しかし心霊主義のような第一ステップへのきっかけですらまだ準備のできていない人たちがいる。

 

『酸素をふがふが吸う魚のことは、過去に何度か冗談のネタにしたことがある。奇妙なこいつのおかげで進化が促された。だが本当のことを言うと、酸素を吸うところまで至っていない魚もたくさんいる。

 

自分のことかどうか、大半の魚は分かっている。

 

たとえばLSDを初めて摂取した者はパニックを起こしやすいという。まだ準備のできていない魚を、私が早まって岸へ誘い出してしまったとしたら、それは悪いことをしたと言わざるをえない。招待状を出す相手は、もう少し注意して選別するべきだったのだろう。

 

現状では残念ながら精神変容をもたらすすべてのドラッグの価値と危険について、正確でアップデートされた情報とアドバイスを提供することは、とても難しい。』

(死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社p126から引用)

 

これからの時代は、最終的にはその両ステップの準備のできた者だけを相手にしていくことになるのだろうが、情報提供だけは万人にもれなく行われるのだろう。

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魂はこの世に生まれて男や女に扮するが

2023-02-27 17:11:23 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎男でもなければ女でもなく神である

(2022-02-20)

 

男と女を比べれば、女の方が生きやすいとダンテス・ダイジは言っていた。それが証拠に平均寿命は一貫して女性の方が長い。

 

日本では、武家社会、近代国家と進んでも男性優位社会が維持されている。1970年以降ウーマン・リブ運動があって日本でも男女同権が叫ばれ、男女雇用機会均等法もでき、福祉面では男女ほぼ同等になっている。

 

出口王仁三郎は、大正期にあって男女同権を唱え、女が先に湯に入ってはいけないという法はないと説く。天照大神と素戔嗚尊は姉弟だが、天の安の河原での誓いという陰陽合体、すなわち厳の霊(男性)天照大神と、瑞の霊(女性)素盞嗚尊の合体の秘儀により男女同権を示す。

 

キリスト教の聖書では、アダムの肋骨から女性を作ったなどと書くから、西洋では、女性の側からの揺り戻しが、東洋に比し激しいのではないか。

 

ユクテスワは、『「睡眠中は、だれも自分が男であるか女であるかを知らない」先生は言われた「ちょうど男が女に扮しても本身はあくまで男であるように、魂はこの世に生まれて男や女に扮するが、魂は依然として魂であって、男でもなければ女でもない。

魂は不変にして変幻自在な神の似すがたなのだ」』

(あるヨギの自叙伝/パラマンサ・ヨガナンダP132から引用)

 

このような認識を前提にダンテス・ダイジが前世の一つで娼婦だった時に、女としてセックスした時の「感じ」を語るシーンは、若い時分にはぞっとするものがあった。

 

だが冥想では、男性の側の冥想が多いのも事実である。

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三、四月。大難を無難に。ウラルの嵐

2023-02-21 12:59:28 | 冥想アヴァンギャルドneo

〇あおり予言、はずれ予言、当たり予言。

(2022-02-27)

 

出口王仁三郎は、出口ナオも共に、「日本が大峠に遭って、みろくの世を実現する」という幻視をしたので、二人で協力して一つの教団を立ち上げることにした。

 

大本神諭では、日露戦争以前の段階で、日本とロシアが戦って日本が敗戦するという予言を出して、1905年の日露戦争から1945年の敗戦までの40年間、(日露戦争で日本は負けなかったので)代表的なはずれ予言とみなされていたが、第二次大戦後は当たった予言として評価が逆転。

 

『〇ソ連襲来

 

二月に露国から攻めて来る。

(昭和19年正月中旬)』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光/木庭次守編/八幡書店P131から引用)

 

これもソ連による満州侵攻は、1945年8月9日だったから、はずれ予言の一種と見られているのだろう。

 

そこで、

『○日本の立替の時

 

問 日本の立替はいつですか。

答 お筆先に三、四月、八、九月とあるだろう。開祖様が神様に「世界の大難を無難にして下さい」とお祈りになったが、神様は「どうしてもある」と言われるので、開祖様はいつも「どうしてもあるのなら三、四月、八、九月にあるように、それでないと助かる者も助からないから」とお願いになったのや』

(上掲書P267から引用)』

 

二月を三、四月と祈っているわけだ。

 

まず、あおり予言にひっかからないように。だが一見はずれ予言でも真正の聖者が出してきているものは、意味があるので、よくよく感じてみることが必要だろう。

 

また、もともと予言は、予言した時点とその後の「今」では状況が変わるので、基本的に「予言はズレル」の法則があることも意識すべきだろう。

 

ロシアが、ウクライナで地上戦を行っている今日も、冥想を。

 

いつの日かウラルの嵐 日本の空に向かって吹かむとするも(霊界物語第62巻/出口王仁三郎)

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天国と地獄

2023-02-12 16:41:55 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎ダンテス・ダイジの初期の説法から

(2014-09-11)

 

ダンテス・ダイジの説くところは、彼の説法の初期においては悟りと無関係な、「その人らしく生きる、その人の天命を生きる」(ライフ・スタイルの悟り)といったものでも良しとしていた。これが、末期になると、悟りと無関係な、いわば能天気な生き方で良しとする方向性はなりを潜め、悟りはどんな人間にでも必須のプリンシプルであるということが通底していた。

 

それでも初期の説法の中にも時間を越えた見解が随処に散りばめられている。

 

慈悲、安心、感謝、そういうものは、天国的なものである。それ自体崇高、純粋な境地の属性であり、求めるべきあり方である。ところが天国がある以上は地獄がある。完璧に天国的なものに到達しようとする直前になぜだか、釈迦のケースでもイエス・キリストのケースでも悪魔が登場する。

 

これは天国だけの悟り。

 

別の場所で、悪魔・サタンを越えた悟りは、高みを極めた悟りだが、深さにおいて欠けるところがある。深さとは、天国と地獄を包含した悟り。それを「自由の悟り」という。人には天国の悟りが通用しないシチュエイションの人がいて、例えば最愛の人、子供や愛人配偶者と死別したような人。そうした完全な闇にある人がその状態をクリアした場合に天国と地獄を越えた悟りとなる。禅の悟りがそれ。

 

ちまたでは、この天国の悟りと「天国と地獄を越えた悟り」の区別を知的理解している人も多くはないが、基本である。

 

『「サタンていうのは、天国を大切に守ろうとしている人にだけ現れる。たとえば、イエス・キリストがさ、荒野で自分を本当に高めようとしたときにさ、高めるっていう方向があるときにサタンは現れるわけ。それから釈迦が成道しようとしてさ、成道するっていうのは、天国的な方向に向かおうとする努力なんだ。そしてそれは絶対に必要なことなんだ、人間にとって。より素敵なものに向かうっていうのは。

 

そしてその方向に向かってるとき、突然サタンが現れるわけ。それも、釈迦のサタンていうのは、いかにも釈迦っていう人をよく表していてさ、奴の自意識の豊かさっていうのをよく表現してるよ。まだ素朴だよ、キリストのサタンの方が。汝を帝王にする、とか。石をパンに変えてみよ、とか。崖から落ちて飛び降りてみよ、とかさ。その代りにこの世の一切の権力を与えようとかさ、やるじゃない。

 

で、釈迦の場合に現れたものって言ったら、何のことはない、古女房が現れてきてさ(笑い)、ヤスダラっていうのが女房で、子供がラーフラか。ラーフラを抱きながら、その女房が現れるわけよ。』

(ダンテス・ダイジ1978年の東京是政での説法から)

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救世主入門

2023-02-05 06:16:51 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎君がすでに死んでいることを学ぶ

(2020-09-30)

 

救世主入門は、かつてのベストセラーであるリチャード・バックのイリュージョンの中にその断片がいくつか出てくることで知られる。

 

後にダンテス・ダイジは、何期かあったアトランティス時代の末期に、“愛”を忘れた当時のアトランティス人のために出版した本が「救世主入門」であるとする。そしてリチャード・バックは、当時ダンテス・ダイジと会ってさえもいるという。

 

そこでダンテス・ダイジが原典救世主入門を復刻してみせた。その中から気になる数節を。

 

『君の幸福と不幸は

君が死ぬことから来ている

君は間違いなく死ぬ

君の人間としての生涯は

君がすでに死んでいることを

学ぶためにある』

 

『人間というものはどこにもいない

人間というものが

君のイメージの一つにすぎないように

時間の持続としての永遠もまた

永遠の夢にすぎない

永遠とは

場所も

時間もない

君自身のことである』

 

『君が現実から顔をそむけなければ

あらゆる現実が

君の夢であることがわかる』

 

原典救世主入門には、誰にでもすらっと読める部分と、簡単に読み進めない部分があった。若い時は簡単に読み進めない部分は読み飛ばしたが、今ならわかるような気分がする。

永遠も死も救世主も現実も夢も、同じところから来ているからである。

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