詠里庵ぶろぐ

詠里庵

イギリスでベレゾフスキー

2007-09-15 02:05:11 | コンサート・CD案内
の演奏を聴きました。ソロでなく室内楽ですが、ぜひ生で聴きたい人の一人でした。Dmitri Makhtin(1975生)のバイオリン、Boris Berezovsky(1969生)のピアノ、Alexander Kniazev(1989Moskow Conservatory卒)というロシア人ばかりのトリオです。

1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝したときのベレゾフスキー、テレビで見た演奏は鮮烈でした。どんな曲も完璧。迫力ある音量で圧倒するかと思えば「鬼火」を目にもとまらぬ速さで均質なppで弾きます。目が隠れてしまう長髪からのぞく口元はクールなスマイル。不可能という文字を知らなさそうな青年。その後出たショパンエチュードのCDはさぞテクニック全開だろうと思って買ったら、意外に詩的な演奏。

Wigmore Hallは1階だけで500人ほど収容する19世紀風のシックなホール。ここで演奏した人の写真が廊下やロビーに飾ってありますが、ピアノではチェルカスキーやハフ、バイオリンはジョシュア・ベル、チェロはイッサーリスの写真がありました。イッサーリス知らないところでしたが田中さんに教えてもらっておいてよかった。ホールは2階を含めほぼ満席。オーケストラはとても乗っからない小ぶりのステージにスタインウェイのフルコンが蓋全開でドーンと置いてあります。半開でなくて音量バランス大丈夫なんでしょうか。

さて現れた三人、ベレゾフスキーを中央に山の字で挨拶。ベレゾフスキーは比較的短髪で今回は目元までハッキリ見えましたが、ペライアをハンサムにしたような顔立ち。口元だけでなく目鼻も動員したスマイルは一層自信に満ち、凛々しい立ち姿もスーパーマンのようです。ベレゾフスキーがそばに立つと小柄に見えてしまうバイオリニストは一番若く真面目そうな青年。武田鉄矢を彷彿とさせる人生経験豊富そうなチェリストは髪型顔立ちがイッサーリス風。

やがて始まった第一曲目はラフマニノフ17才の作曲になるOp.posthの単一楽章ピアノトリオ「エレジー」ト短調。「偉大な芸術家の思い出」を思わせる冒頭からラフマニノフらしいねっとりした旋律。一般的には習作に分類されるでしょうが、そうとは思えない多量の音符と完成度。この三人、みな音量豊富で、熱演ぶりもイッサーリストリオ風。バイオリニストとチェリストは初めて知る名ですが、蓋全開ピアノのベレゾフスキーでもかき消すことのない充実した音量。オーケストラのような豊饒な響きを作っていました。

それにしても日本より演奏中に咳をする人が多いですね。真後ろの人など肝心のppのところで大きな咳をしたあと、あわててクシャクシャと何かノド飴のようなものを取り出してカプっと口に含む音まで立てる始末。日本の聴衆より年齢分布が高齢まで層が厚いこともあるのかもしれません。こんな中でもものともせず集中度の高い演奏を聴かせる三人はさすがです。まあ咳だけでなく、演奏後の拍手も日本より激しいですね。

 続く2曲目はショスタコーヴィチの傑作、1944年完成になるピアノトリオ第2番ホ短調Op.67。これは今夕の白眉、信じられない名演、最高の集中度。同じショスタコーヴィチの交響曲のように深い世界。第1、2、3楽章についてはそれぞれ第5交響曲と雰囲気が似たテンポ・曲想ですが、さらに一般受けを無視したようなショスタコーヴィチ独自の世界に浸っています。第4楽章に至っては勝利・歓喜とは真反対の狂気と絶望。プログラムによるとユーモラスに聞こえる部分はホロコーストを前にダンスをさせられたユダヤ人達のダンスとあるが、そうかもしれない。そうでなくとも、一貫して悲劇性に満ちた音楽の裏返し部分です。この曲では、鬼火スラスラとは違ったベレゾフスキーを見ました。そして彼にひけをとらず対峙・協奏するバイオリンもチェロも素晴らしかった。この人たちのことをなぜ知らなかったのだろう。
 依然としてちらほら聞こえる客席の咳の度にいだいた聴衆の理解に対する一抹の不安は、消え入るような曲の終了とともに吹き飛びました。私も手が痛くなるほどの頭上拍手を止めることができなかったのですが、ふと気がつくと回りも拍手の嵐。まだコンサート終わっていないのに演奏者は何回も出て来てそれに応えなければなりませんでした。ベレゾフスキーは例によって自信に満ちたスマイル、チェリストは宙を見て満足顔、バイオリニストは、そんなにいいと思われたんだというようなびっくりした顔で客席を見回していました。そうですよね。咳は体調上止められなかっただけで、この最高の曲と最高の演奏に飽きたはずはないですよね。

 休憩の後はラフマニノフ20才の作品になるピアノトリオ「エレジー」ニ短調Op.9「偉大な芸術家の思い出」のはずでした。この曲はチャイコフスキーがルビンシュタインに対してしたのと同じことをラフマニノフがチャイコフスキーに対してしたわけです。ショスタコーヴィチのトリオも実は友人へのオマージュです。さてステージに現れた三人。と、ベレゾフスキーが突如「Ladies and gentlemen」と流暢な英語で切り出しました。さてはこの人も青柳さんのようにコンサートで話すのが好きなのかと思ったら、そうではありませんでした。「我々三人もロシア人ですが、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチならチャイコフスキーですよね、彼の『偉大な芸術家の思い出』に変更します」と言ってピアノの前に座りました。ラッキー!と同時にラフマニノフも聴きたかったなぁと少し複雑な気持ち。
 さてこれがまためくるめく名演奏でした。この曲、長いですよね。音符の量が多く、パターンの繰り返しがしつこいですよね。途中で満腹になってもかまわず音符が押し寄せてきますよね。しかしです。飽食をもてあますことなく、充実のうちにこの長い曲があっという間に過ぎてしまったのです。
 またダイナミックレンジの広いこと。それ以上弱く弾いたら音が途切れるでしょうというほどの弱音から強音までオーケストラのような色彩感でした。しかもどんな強音でも深く、柔らかいのです。いやあピアノトリオというのはどの作曲家も力を入れて作るものですね。ベートーヴェン、シューベルト以来の伝統でしょう。
 結局3曲とも消え入るように終わる曲ばかりとなりました。いいですねえ、間髪を入れず拍手というのでなく、最後の音が消え無音の間が絶妙の時間続いてから拍手が噴出する。この絶妙の間を紡ぐ聴衆も演奏に参加したようなものです。結局アンコールはありませんでしたが、室内楽はまあそういうものでしょう。しかし聴衆の反応はさすがだと思いました。この割れんばかりの拍手、曲によって雰囲気が違います。チャイコフスキーのときは共感的、ショスタコーヴィチのときの方は驚嘆的な拍手でした。

ベレゾフスキー、やはりただものではない。今回改めて凄いと思ったのは、ショパンエチュードのCDで多少予感はあったものの、単なる技巧派ではなく、音色がきれいで、柔らかく、深く、繊細だという点です。こんなに音量のある人がピアニシモも繊細に弾けるなんて、ずるい。「やっぱりピアニシモは大味だね」という面を残していて欲しい、などとは言いませんが。
コメント (5)
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