詠里庵ぶろぐ

詠里庵

捏造事件(2)

2007-02-25 09:23:12 | サイエンス
 自分で実際にパフォーマンスしていないのにそれらしいデータを揃えて自分の作品として発表してしまう点、近年ときどきニュースになる研究論文捏造事件と根は同じです。それで有名(infamousというべきですね)になってしまった人をとりあげたドキュメンタリーがNHKでもこのところ3本ほど番組がありました。西洋人、韓国人、日本人一人ずつです。

なぜこのようなことが起こるのか? 本人が悪い、と当たり前のことを言って終わるのでは問題の解決にならないでしょう。CDの方はまだ動機不明で解明はこれからのようですが、科学研究の方は「成果主義のプレッシャー」が一因だろうと言われています。だろうというのは、追及された側が証拠を突きつけられてもfakeを認めないことが多いためです。今回のCD事件も現時点ではそうのようですね。韓国の教授は認めたようですが。

成果主義のプレッシャーが一因というのは正しいとは思いますが、では成果主義を捨てれば良いかというと、それはダメでしょう。ほとんど全ての人は成果主義のプレッシャーのもとで正しい行動をとり、それは社会的にプラスに機能しているのですから。

同じ成果主義でも、ろくに検証をやらず書類上しか見ない成果主義は良くないのだと思います。その最たるものは、どんな論文誌に発表しているかより論文の数しか見ないような場合とか、逆にとにかくN.....誌かS......誌に載った論文ならダントツに素晴らしい研究と見なしてしまうような場合です。検証には手間ひまをかけるしかないでしょう。ある研究者や研究プロジェクトに関し重要な評価を行うとき、評価者は書類だけ見るのでなく、少なくとも現場を見に行くくらいのことは必要ではないでしょうか。特に被評価者を知らないような場合はなおさら。また、常々科学の分野には芸術における「評論家」に相当する職業がないのを不思議に思っていますが、これが社会的存在として認められるようになると良いと思っています。この意見は20年前から雑談では言って来たことですが。

あとは愛すべきピアノヲタク達(私もそれに含まれることを望んでいますが)のような存在が各分野に居て、ブリタニカに対するWikipediaのように、権威付けされなくても、完璧でなくても、ネットの威力で絶大な検証力を発揮するようになると良いのですが。
コメント (2)
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