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詠里庵ぶろぐ

詠里庵

楽譜の値段

2006-07-18 07:30:56 | 日々のこと(音楽)
というのは不思議なものです。ページ当たり(音符当たり)の値段に随分差があります。

中学も終わる頃、ピアノの師であった石渡日出夫先生に「次はガヴェールのソナチネをやりなさい」と「ヴェ」にアクセントを置いて言われ、「ガヴェール?」と聞き返すと、「ガヴェール知らない?これだよ」と言われて楽譜を出してくれました。見ると、なんだラベルのことではないか。そんな本格的なフランス語の発音勘弁してよと思いつつ、先生のお宅を出たその足で日本楽器に向かいました。さすが日本楽器、すぐ見つけましたが、値段を見て飛び上がりました。この一曲だけで650円! これがどんなに高いか、その頃食堂で数十円のラーメンが食えたといえばわかるでしょうか。あるいは、「展覧会の絵」全曲が全音楽譜で250円だったといえばいいでしょうか。

たまたま650円ほどの大金を持ち合わせてはいましたが、すんなりとは買えませんでした。いや、買うしかないのですが、別に裕福な家庭というわけでもない中学生の分際でそんな買い物していいのだろうか、と逡巡して、エイヤッと買いました。

出版社の名前は、ご存じ、Durand(デュラン)。フランスはサラベールといい、なんでこんなに高いんだろう! Petersか全音あたりが安く出してくれればいいのにと思いました。コストパフォーマンス最低の「ソナチネ」と最高の「展覧会の絵」、ボロボロになった今でも大事に持っています。

その後さらにコストパフォーマンスの悪い楽譜も見つけました。サティのグノシェンヌはもっとすごく、第1番のみ2ページで800円。さすがにこれは買わず、廉価版の(といっても決して安くありませんが)サティ集が出るまで耐えて待ちました。

今まで買った楽譜の中で最もコストパフォーマンスが悪い楽譜は何でしょうか? それはなんといってもジョン・ケージのピアノ曲(?)「4'33"」820円と「0'00"」460円です。こうなると私も意地で買ったみたいなもんです。これらの曲の何たるかは検索すればすぐわかります。一応有名曲ですが、解説するのもアホくさ。コストパフォーマンスは無限に悪いと言ってよいでしょう。大体この値段はいったいどんな根拠でつけられたんでしょう?(出版社を見ると、意外にもPeters!)
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リゲティ、岩城宏之

2006-06-14 05:46:40 | 日々のこと(音楽)
に合掌。リゲティは一昨日、岩城宏之は昨日亡くなったそうです。偉大でした。リゲティーについてはまた書きましょう。初演魔などと自分を茶化していた岩城宏之-実際彼によって日の目を見た日本の現代音楽がどれほどあったことか。このブログで去年紹介した矢代秋雄のP協等のCDも彼の指揮でした。

ところで伊福部昭が昨年亡くなったときのブログ記事、消してしまったようなので、もう一度転載しておきます。
   ◇ ◇ ◇    ◇ ◇ ◇
伊福部昭が亡くなりました。91才だったんですね。この訃報で知りました。日本作曲界の大家・巨匠です。ゴジラのテーマの作曲者と言えば「ああ、そういう人なの」と思うかもしれませんが、れっきとした正当派作曲家です。黛敏郎、矢代秋雄、三木稔他有名作曲家を教えた教育者でもあるといえば、そのすごさがわかるでしょう。私が最も好きな作品は

「リトミカ・オスティナータ」(1961)

外国人演奏家も演奏する名曲です。ピアノ協奏曲と言ってよいでしょう。激しく演奏困難な曲です。でも、ことさら音楽に凝っている人でなくても引き込まれるでしょう。一番よい演奏は小林仁(Pf)若杉弘指揮読売日響でしょう。もう30年以上前になるでしょうか。

若いころの歌曲も心にしみ入ります。たとえば

「ギリヤーク族の古き吟誦歌」(1946)
「サハリン島先住民の三つの揺籃歌」(1949)
「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」(1956)

滅び行く民族の歌謡。しっとりした情感の中にも明るかったり力強かったりする内容で、一層悲哀をそそります。サハリンの歌などは、フォーレのバイオリンソナタみたいな高貴さ。私のピアノの師匠・石渡日出夫の歌曲と裏表でカップリングされたLPレコード・・・私の宝になっています。
合掌
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ワイン

2006-05-24 01:47:29 | 日々のこと(音楽)
が好きです。というと、ほほう、それは語り合いましょうという人がたいていいて、話し込むことになります。が、私の方は実はワインにそれほど詳しいわけではありません。よく、この人こんなに音楽が好きなのにどうして曲名を覚えてくれないんだろう、とか、この人こんなにピアノを弾くのにどうしてピアニストを知らないんだろうという人がいますが、私はワインのそれです。

つい先日、妻と空けたワインは、ビスケルトというチリのワイン産出地のカベルネ・ソーヴィニヨン種の赤ワインで2004年ものでした。このワインがどのくらいのものであるのか知らないのですが、なかなか結構な薫りと味でした。最近は値段のわりに楽しめるワインによく出くわします。薫りのよいワインの場合、私は口にする前に長いこと薫りを楽しむ(それが常道?)のですが、この赤ワインも大変香りが良かったので、口につける前に結構な時間薫りを楽しみました。

  ◇  ◇  ◇  

話は変わりますが、「この人こんなにピアノを弾くのにどうしてピアニストのことを知らないんだろう」という人って本当にいるのですか?想像の産物ではないですか?と言われるかもしれないので、その実例の話をしましょう。

私の旧知の知人で今は一流大企業の理事という大出世をしている人がいます。実はつい先日ひょんなことから久しぶりに会ったので、その人のことを思い出したのです。彼は若い頃のピアノ仲間で、「悲愴」を十八番にしていました。特にその第二楽章は暖かく、聴いていて安らぎを覚えるいい演奏でした。

ある日彼が息を弾ませて「いやー、感激しました。昨日ピアノリサイタルに行ったんだけど、プロってこんなすごい演奏するものかとびっくりしましたよ」と言います。もともと目の細い人ですが、それをあまり大きく見開いて感激しているので、プロのピアノコンサートに初めて行ったんですか?と訊くと、そうなんです、というのでこちらはおったまげ。その興奮がなかなかさめやらぬ風だったので、「いったい誰のコンサートに行ったの?まさか今来ている・・・」と訊いたらそのまさかで「たしかアルゲリッチとかいう女の人」というので、二度おったまげ。そしてしきりに「いやあ、プロってすごい」と感激しっぱなし。あのー、プロが全員アルゲリッチみたいな演奏するわけじゃないんですが、と言ってもはじまらないので言いませんでしたが。

仮にも「悲愴」を他人を楽しませる程度に弾く人がアルゲリッチを知らない、というのも驚きですが、初めて行ったコンサートがテクニック的に全盛期のアルゲリッチだったというのもすごい話です。それが彼にとって幸せなことだったのか?いやまあ幸せなことだったのでしょう。その後プロのコンサートに行っているのか知りませんが。

彼がこのブログ読んでいる確率は0.1%もないと思いますので安心して暴露しているわけです。まあ彼ならこれを読んで怒ることもないでしょう。
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大島ミチル

2006-04-20 07:43:17 | 日々のこと(音楽)
という作曲家知ってますか? NHKの主題曲を多く手がけています。つい先日の新聞に小随筆を書いていましたが、世界各国に行ってニュース番組を見ると、そのテーマ音楽にお国柄・国民の気質が現れていて面白い、ということでした。その内容は繰り返しませんが、なるほどと思える視点でした。今度出張があったらもっとその点に注意しようと思った次第でした。そもそも、同じドキュメンタリーでもバックに暗い音楽を流すか軽快な音楽にするかでイメージは全く違ってきます。

映像と音響の関係は、考えると面白いものがあります。話は飛びますが、アメリカはスミソニアンの博物館を訪れたときのこと、「アインシュタインプラネタリウム」というのがあって、これは楽しめました。特に惑星に接近するときの映像(特撮です)が美しく、迫力がありました。目の前を通り過ぎる土星や海王星。神々しさを表すようなゴォーッという音が近づいては遠ざかります。次々迫って通過する惑星の圧倒的な迫力。

でもなんか変ですね。だいたい実際に宇宙旅行をしたら全く無音のうちに星は近づき遠ざかるはずです。映画スター・ウォーズなんかも同じ。冒頭、視界の後ろから前にジェダイの宇宙船がキーンと逃げ去り、それを追う帝国の巨大な宇宙艇がグォーッと地響き?を立てて我々に覆い被さります。しかしジェット機と違って宇宙空間では音なんかしないでしょうって。

こういうときに本当は音が無いからって何にも音響効果を入れなかったら、娯楽映画としてはやはりつまんないんでしょうね。2001年宇宙の旅みたいな少しサイエンティフィックな映画はその点変な音は入れていませんが。

何でも現実の音にすればいいというわけでもないですね。場面にマッチした架空の音の方がいい場合の方が多いように思います。コンピューターのエラーアラームとかメール到着の音とか。最たるものはデジカメのシャッターの音でしょうね。これなんか、音を本物のシャッターにするだけでなく、手に伝わる振動まで作りつけたらいいのではないかと思いますが。

そのうち何が本当の振動で何が人工的振動なのかわからなくなりそうです。
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ミシェル・ベロフ

2006-04-05 23:06:34 | 日々のこと(音楽)
が昨晩NHKのスーパーピアノレッスンの講師として出ていました。これだけでも私には驚きなのですが、思い出すと、その前はアレクサンドル・トラーゼ、ジャン・マルク・ルイサダ、フィリップ・アントルモンといった面々が講師でした。その前の「趣味のピアノ」ではシプリアン・カツァリス、ゲルハルト・オピッツ等々が講師でしたね。

ううむ、NHKってそんなにすごい力があるのか。大体、このところ大河ドラマの主題曲はアシュケナージ指揮です。かわいそうなアシュケナージ。それもN響指揮者の契約のうちでしょうか。

ところでピアノレッスンの番組、たまたまやってたら見る程度ですが、それでも非常に面白いです。ピアノ演奏上有益ということはもちろんですが、上記のピアニストの「ステージやCD以外の側面」が見えるからです。もちろん音楽以外の側面はまだ見えませんが。レッスンとして素晴らしいと思えたのはベロフ、ルイサダ、カツァリス、オピッツでした。特にルイサダは昔マズルカを聴いていまいちかなと思ったものですが、レッスンを見て、ああ、こんなに思慮深い人だったんだということがわかりました。これからファンになりそうです。ベロフ、カツァリス、オピッツは演奏の素晴らしさと同じようなレッスンぶりでした。トラーゼは演奏は好きですが、レッスンぶりはちょっとまだるっこい感じでした。アントルモンのレッスンは残念ながら見ていません。この人は私の若いころブレンデルと同じく廉価版(千円)レコードの音源にされていて、音楽批評にもさっぱり登場しませんでしたが、私はいいピアニストと思っていました。その後ブレンデルと同様、名を上げて行きました。カツァリスは音楽以外の面(女性観など)も番組に現れていて面白く思いました。

で、ベロフが教えたのは「亜麻色の髪の乙女」。印象深かったのは下から上がっていく音型が繰り返されるところで、それぞれのフレーズの最後をフッと消え入るように指示したこと。うーん、効果的です。学生の時弾きましたが、そのときこれを知りたかった。そして最後のフレーズは逆に最後輝くようにということでした。これは分かっていましたが、私が弾いたときは、わざとその逆をやってみました。それも好きなのです。近々拙演を今週の一曲にアップします。

NHKの受信料を払うのに私は全く文句は言えないですね。
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2005年

2005-12-30 05:54:23 | 日々のこと(音楽)
もあと少しで終わります。去年に引き続いて今年も世間ではいろいろ天災人災に見舞われた年でした。自分の職場・親戚はというと、つつがなく過ぎました。それに感謝しつつ1年のしめくくりに除夜の鐘でも聞くとしましょう。気が向いたら「ノスタルジックな小品」(解説)の除夜の鐘をピアノで模した部分でも聞いていただければ。108回でなく4回しか鳴りませんが、その部分以降をここ(2:42)にアップします。
よいお年を。
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今朝のニュース

2005-11-17 08:04:18 | 日々のこと(音楽)
で「高校の統廃合を機に新しいスタイルの校歌で学校をアピールする高校が増えつつある。たとえばサビの部分が英語の校歌は生徒達に人気だ。売れっ子の作家やポップス作曲家の作詞作曲もある。学校名や地域名が歌詞になく一般への普及の可能性のある校歌もある」など。聞いてみると少しポップス調。そういえば昔ユーミンのF dur(いやFメジャーというべき?)の歌を校歌にした小学校がありました。

元ページのここにも書きましたが、甲子園大会で聞く校歌の画一性やつまらなさに辟易します。次世代以降でこれが改善されると、本当に文化自体も変わるんだろうなと思っていましたが、案外早くそれがやってくるかもしれませんね。常々「社会は個人より速く変化する」と思っていますが、またそれを感じた次第。
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オープンリール

2005-08-15 06:42:14 | 日々のこと(音楽)
テープデッキの修理をしてもらいましたが、ちょっとしたノスタルジーに浸っています。ホコリを被った箱から何十年ぶりにテープを取り出すと、磁気テープの甘い香り・・・メーカーによって違う独特の香りは少しも変わっていない。テープをヘッドに回して巻き取りリールにセットする手つきも、昨日のことのように慣れたもの。バシャッという機械音とともに再生スタート。ダイナミックに回る二つのリールと躍動するメーターの振れ。ちゃんといい音で聞こえます。透明で滑らかなアナログの音。こんなテープもあったんだな。あんな録音も。しばらく週末の余暇の楽しみになりそうです。

直したのはTEACの重ね録音用4チャンネルデッキ(TASCAMシリーズ)とSONYのアウトドア用2トラックデッキ(通称オープンデンスケ)。TEACの方は驚かれもしませんでしたが、SONYの方は素晴らしいもの持ってますねと言われました。SONYはすぐ直って来て預かり保証代だけという超安値でしたが、理由がありました。「修理センターによればもう部品ないので応急措置で済ませたそうです。部品交換必要な故障が起きたら次は諦めてください」とのこと。応急措置って何?と訊いても店番の人はよくわからない感じ。棚に並ぶ修理依頼品を見ると最近のハイテク家電ばかり。新しく生まれるテクノロジーあれば死んでいくテクノロジーあり。一方TEACは店番から修理まで初老の痩せオヤジが一人がやっているようなアパートの一室(なんとたまたま私の自宅から近い!)。修理に1ヶ月かかり値段も3万円も取られたけど、ゴルゴ13が修理頼みそうなテクニシャン風オヤジは「こことそことあそことどこを交換しといたよ。ヘッドも交換できるけど、まだ大丈夫だね」と、慣れたもの。仕事場にはハイテク製品に混じって散らかる懐かしい機器。帰り際に「またどうぞー」ですと。来ないで済めばその方がいいのだけれど。製造企業の性格を知りたければ修理部門を見よ、という感じでしょうか。
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串田孫一って

2005-07-09 05:55:23 | 日々のこと(音楽)
哲学者だったんですか。詩人だったんですか。山の随筆家だったんですか。東京外語大の先生だったんですか。知りませんでした。人って亡くなるとわかることってあるんですね。FM東京の音楽番組「音楽の絵本」の語り手としか知りませんでした。あの独特の、城達也と吉田秀和を足して2で割ったような素朴な語り口、懐かしいですね。吉田秀和はフガフガ言っていて、「今のは○○○の演奏でした」といっても、え?何て言ったの?と急いでボリュームを上げても聞き取れない感じでしたが、串田孫一は同じような雰囲気でありながら城達也みたいな明瞭感がありました。合掌。
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