演劇をしていた頃-3

2019年07月29日 | 演劇

私がやる「最後の金時計」という芝居の相手役の老営業マンは、
劇団の最年長のMさん(40歳ぐらいだったかな)だった。
演劇歴は長く、過去にヨーロッパのある国で芝居をやったこともある人だと教えられた。
私はそのことだけでも気後れしてしまった。
その芝居には、最後のほうでレストランのウエイターが出るのだが、
セリフも少ししかないので、稽古には参加しないで、Mさんと私だけでやった。
30分ほどの芝居なのですが、2人だけなのでセリフが多かった。
私はまず、全部のセリフを覚えられるかな、と不安だった。
でも稽古をして、家や電車の中で台本を読んでいるとセリフはなんとか覚えられた。
芝居の稽古をしていてなんといっても辛かったのは、私の“茨城訛り”だった。
茨城の人間の話し方の一番の特徴は、語尾が上がることです。
私がどんなに気をつけてセリフを言っても、茨城のイントネーションと訛りが出てしまった。
演出のK坂さんに、演技のことよりもいつも茨城訛りのことを注意された。
「茨城訛りのアメリカ人なんていねぇだろう!!」
いつも芝居の稽古中には、k坂さんに怒鳴られていた。
それまでの暮らしで、あんなに他人から怒鳴られることはなかった。
人間やめたくなった。
緊張すればするほど、茨城弁になった。
週に2回の稽古が9月から3回になった。
9月に入り、私は芝居をやめようと決意した。
芝居の公演は10月だった。                     -つづく-


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