演劇をしていた頃-4

2019年07月30日 | 演劇

劇団中野Kをやめるつもりだと、劇団で一番仲の良かったK塚に話した。
彼は、もう1つの芝居「バーサよりよろしく」の
セントルイスの娼婦バーサの恋人を演じていた。
背は高く頭は天然パーマでカッコよくて、声がよく通った。
彼がバーサの恋人ということには、まったく違和感がなかった。
それに比べて私は“アメリカの茨城人”だった。
「キューさん、そんなこといわないで公演まで一緒にやろうよ」
私は、劇団では“キューさん”と呼ばれていた。
そりゃせっかく役も与えられたんだから、本番までやりたい気持ちはあった。
しかし、稽古のときにいつも演出のK坂さんに怒鳴られていては、
芝居をすること以前に、生きていることが厭になっていた。
他の団員からも「やめないで」といわれた。
10月公演なのに9月で私がやめては、
公演そのものが出来なくなるかも知れない、という話もあった。
そんなことになっては他の劇団員に申し訳ない、と思った。
それで私は、“恥を忍んで”続けることにした。
私の心の中で“アメリカの茨城人”でもいいんじゃないか、と居直る気持ちも出てきた。
アメリカドラマの黒人の吹き替えなど、田舎の言葉で喋るものがあった。
公演までできるだけ茨城弁にはならないようにしようとがんばってみるが、
茨城訛りが出てしまったらそれはそれでいいんじゃないか、と私は考えた。
何が何でも芝居の公演までは劇団をやめないで続けようと覚悟を決めた。
                                 -つづく-

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