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女のいない男たち

2022年03月01日 | 小説 エッセイ

今日、「女のいない男たち」(村上春樹著 文藝春秋社刊)を読み終えた。
この歳になると、なかなか文章を読むことが面倒くさくなっている。
小説を読むことは好きです。
それよりテレビを観ることがもっと好きな自分がいる。
これは、ちょっと哀しいなと思う。
ピアノの練習もしなければならない。
ケーナも吹きたい。
尺八もやらなければ、いやギターだって弾きたい。
現在も、1日に5,000歩は歩いている。

「女のいない男たち」の本の中には、次の短編小説がある。

1 ドライブ・マイ・カー  「文藝春秋」2013年12月号
2 イエスタデイ  「文藝春秋」2014年1月号
3 独立器官  「文藝春秋」2014年3月号
4 シェエラザード 「MONKEY」2014年2月15日発行・Vol.2
5 木野  「文藝春秋」2014年2月号
6 女のいない男たち  (書き下ろし)

私の正直な気持ちを書きます。
今日、最後の「女のいない男たち」を読了した。
その前に読んだ他の短編の内容を覚えていないことに愕然とした。
69歳になった私の、これが現実です。
「ドライブ・マイ・カー」のことは、2/15の九想話に書きました。
「イエスタデイ」のことはまったくどのようなストーリーだったか覚えていない。
「独立器官」は、52歳の独身の医師が多くの女性と付き合っていたという話だった。
彼は恋なんかしないで、自由に生きたいと思っていた。
しかし、ひとりの女性に恋をしてしまい、死んでいく。
「シェエラザード」は、一度性交するたびに、不思議な話をしてくれる女性の話だ。
「木野」は、1日早く出張から家に戻ったら、妻とその男が裸でベッドで寝ていて、
主人公は妻と離婚して、会社を辞め「木野」といバーを開いた。
そこでのエピソードが書いてある。
「女のいない男たち」は、夜中1時過ぎにかかってきた電話で、
1人の女性が死んだことを知らされる。
その女性は14歳のときに知り合った女性だった。
そっから男がうだうだいろんなことを思う。
この本にある短編小説を、私は好きです。




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「ドライブ・マイ・カー」追記

2022年02月16日 | 小説 エッセイ

昨日の九想話「ドライブ・マイ・カー」に、小説を読んでいたときに
ぜひ書きたいと思ってメモしておいたことを、書くのを忘れてしまっていた。

>高槻は妻が性的な関係を持った男たちのリストの末尾に位置していた。

友人がほとんどいない家福が、高槻と飲み友だちになろうとする。

>家福に言わせれば、世の中には大きく分けて二種類の酒飲みがいる。
>ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない
>人々であり、もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲ま
>なくてはならない人々だ。そして高槻の飲み方は明らかに後者だった。
> 彼が何を取り去りたいのか、家福には分からない。ただの性格の
>弱さかもかもしれないし、過去に受けた心の傷かもしれない。ある
>いは今現実に抱え込んでいる面倒な問題かもしれない。そういうす
>べての混合物かもしれない。しかし何であるにせよ。彼の中にはそ
>ういう「できれば忘れてしまいたい何か」があり、それを忘れるた
>めに、あるいはそれが生み出す痛みを和らげるために、酒を口にせ
>ずにはいられないのだ。家福が一杯飲むあいだに、高槻は同じもの
>を二杯半飲んだ。かなりのハイペースだ。

私の酒の飲み方は、どっちだろう?


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ドライブ・マイ・カー

2022年02月15日 | 小説 エッセイ

映画「ドライブ・マイ・カー」の原作を読んだ。
短編集「女のいない男たち」(村上春樹 著 文藝春秋社 刊)の中に、
「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」
「木野」「女のいない男たち」の6編が所収されている。

家福(かふく)は俳優で、週に6日、舞台に出演している。
地下鉄もタクシーも好きじゃない彼は、車を運転して移動する。
車の中でかけている台本を録音したカセットテープにあわせて、台詞を読み上げて覚えた。
ところが先日接触事故を起こし、運転免許停止となった。
警察の指定した眼科医の検査を受けたら、緑内障の兆候が見つかった。
それで家福は専属の運転手を捜していた。
それを知った修理工場の経営者の大場が若い女性ドライバーを推薦してくれた。
名前は渡利みさきといった。
20代半ばの、ぶっきらぼうで、無口で、むやみに煙草を吸う女性だった。
2日後家福は、黄色のサーブ900コンバーティブルの助手席に乗り、
女に近くを運転してもらった。
みさきは翌日から家福の専属運転手となった。
大場の保証したとおり、彼女は優秀なドライバーだった。
みさきは口数が少なく、質問されない限り、口を開こうとはしなかった。
しかし、家福はそのことをとくに気にしなかった。
彼も日常的に会話をすることがあまり得意ではなかった。
気心の知れた相手と中身のある会話をするのは嫌いではないが、
そうでなければむしろ黙っていられた方がありがたかった。
彼は助手席に身を沈め、通り過ぎていく街の風景をぼんやり眺めていた。
いつも運転席でハンドルを握っていた彼にとって、
そういう視点から眺める街の風景は新鮮に感じられた。

家福は助手席に座っているとき、亡くなった妻のことをよく考えた。
みさきが運転手を務めるようになって以来、
なぜか頻繁に妻のことを思い出すようになった。
妻はやはり女優で、彼より2つ年下で美しい顔立ちの女だった。
家福は彼女を愛していた。
29歳で会ったときから強く心を惹かれたし、妻が死んだ49歳まで心は変わらなかった。
しかし妻の方は時折、彼以外の男と寝ていた。
その相手は全部で4人だった。
どうして彼女が他の男たちと寝なくてはならないのか、家福には理解できなかった。
それは彼と妻は夫婦として、良好な関係を常に保っていたからだ。
周りの人々も彼らを仲の良い理想的なカップルとして見ていた。
それなのになぜ他の男たちと寝たりしたのか、
その理由を妻が生きているうちに思い切って聞いておけばよかったと彼は考えた。

ある日助手席の家福が、車を運転しているみさきに話した。
10年ほど前に、同じ俳優で妻と寝ていた6・7歳年下の男と、飲んで話すようになったことを。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

この先を書いてしまっては、これから読む人に対して申し訳ないです。
先をどんどん読みたくなる作品でした。
この短編小説を読んで、映画にしようと思った濱口竜介監督の気持ちが嬉しい。
「ドライブ・マイ・カー」の他に、同作が収められている短編集「女のいない男たち」
の中の「シェエラザード」「木野」も映画のモチーフにしてあるそうです。
映画のあらすじをネットで読みましたが、原作とはかなり違うようです。
小説はよかったですが、私は映画も観たくなりました。


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ルーティーンズ

2022年01月15日 | 小説 エッセイ



「ルーティーンズ」(長嶋有著 講談社刊)という本を読んだ。
下記の小説があった。
「願いのコリブリ、ロレックス」
「ルーティーンズ」
初出
「願いのコリブリ」 群像2021年2月号
「願いのロレックス」文學界2021年2月号
「ルーティーンズ」 群像2021年8月号

久しぶりに長嶋有さんの小説を読んだ。
よかったです。
この小説は“私小説”といってもいいんですかね?
「願いのコリブリ」は、愛する自転車を盗まれた妻が一人称で書いている。
「願いのロレックス」は、ロレックスの時計の、日付が変わるところをみたい夫の話だ。
この男が昔つきあっていた女がいう。
「ロレックスの日付表示は二十三時五十九分五十九秒までその日の日付で、
 ○時○分○秒を指した瞬間、パチン、と日付が切り替わる」
それを聞いてから、
男はロレックスの日付が切り替わるところをみてみたいと思うようになった。
(今日気づいたのだが、長嶋有さんは「見る」を「みる」と表記する)
「ルーティーンズ」は、この夫婦の“俺”と“私”が交互に語っていて、
「1・四月二日 俺」から「16・五月十八日 私」「17・同日 俺」で終わっている。
新型コロナで生活が変わったことが書いてある。

この夫の「ナガシマ」は小説家だ。
奥さんは漫画家です。
ナガシマは、はじめの結婚で失敗し再婚した。
そして子どもが生まれた。
コロナの影響で保育園が休園し、子どもを預けられなくなり夫婦が交代で世話をして、
お互いの仕事をしている。
私は現在の長嶋さんが、このような暮らしをしているのかな、と思ってしまう。
(でも、これはあくまでも小説だからフィクションだとは思う)

私が40代前半の頃、長嶋さんと同じ句会で俳句を作っていた。
そこには川上弘美さんもいた。
どちらも芥川賞をとり、私は何もなくただ生きてきた。
私が40歳の春、パソコン通信のAsahiネットができた。
そして筒井康隆を中心として「パスカル短編文学新人賞」が生まれた。
私は、それに投稿したくてパソコンを買い、Asahiネットに入った。
その「パスカル短編文学新人賞」の第1回の受賞者が川上弘美さんです。
「パスカル」のオフ会があり、私が最初に話した人が川上弘美さんでした。
待ち合わせ場所の池袋駅にいたときに、彼女から話しかけられた。
それから居酒屋にみんなで行き、楽しい時間を過ごした。
Asahiネットには「パスカル会議室」というものがあった。
そこに作品を投稿し、それを批評し合った。
「パスカル」が終わってから、その中の何人かで「第七句会」という句会ができた。
その句会になぜか私は誘われた。
その句会の人たちと私は、10~20歳以上離れていた。
いつもはネット句会ですが、何ヶ月に1度はオフ句会をした。
オフ句会で私は、よく長嶋さんと話した。
彼は漫画が好きで私に「ブラックジャック」を読むように勧めてくれた。
あるときは、「ブラックジャック」の「第52話」のコピーを持ってきてくれた。
(今、あらためてこの漫画を読みましたが、素敵な話です)
今回、長嶋有さんの「ルーティーンズ」という小説を読み、
あらためて長嶋有さんはがんばって書いているな、と思った。
私も、これまで何度も小説を書くことに挫折してきたが、また書こうと思いました。
読んでいて、そう思わせてくれる小説だったのです。
こんどのがんの手術が終わったら、小説を一所懸命書きます。


あの頃、ラジオで「ブラックジャック」を放送していたのです。
私の息子たちへメッセージも書いてくれました。


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友の同人誌

2021年11月24日 | 小説 エッセイ

今日、スマートレター(小型特定封筒)というもので、富山の友人から同人誌が送られてきた。
さっそく友人の小説を読んでみた。
主人公の生まれた富山には、盤持ち祭りというお祭りがあった。
その祭りは、120kgの白石と150kgの蒼石があり、
それを肩まで持ち上げるという盤持ち大会というものがあった。
その祭りへの主人公芳樹の思い、祖父、父、妻、子どもとのかかわりが書いてあった。

23・4歳のとき、その友人とは東大駒場にあった生協で一緒に働いていた。
そこにいた小説と映画の好きな3人で、同人誌を作ろうとなった。
そしてガリ版刷りの小冊子を作った。
それからまもなくして、友人は富山に帰り、私は東大本郷に移籍になった。
友人とはそれからも手紙の交換をしてつきあってきた。
2004年から同人誌「辰草」が送られてくるようになった。
富山の友人が参加している同人誌です。
彼は現在、その同人誌の代表になっていた。
私は、軽井沢に住んでいた2016年の夏、富山の入善町に住む友を訪ねた。
そこには20代のときにも行っていた。
2016年07月14日九想話「40年ぶりの入善町

友には頭が下がります。
20代から小説を書き続けているのです。
私はだめです。
ここ何年か、きちんと小説を書いてない。

 


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無用の人

2021年03月17日 | 小説 エッセイ

3月15日(月)午前1:05放送のラジオ文芸館(NHK ラジオ深夜便内)
原田マハ作「無用の人 Birthday Surprise」(← クリックすると朗読が聴けます)を聴いた。
(2021年3月22日(月) 午前2:00配信終了)

関東近郊の小さな美術館で学芸員を務める羽島聡美の職場に、茶封筒が届く。
差出人は1ヶ月前にがんで亡くなった、聡美の父だった。
その日は、聡美の50歳の誕生日。
差出日は2月1日、亡くなる直前に娘に荷物を送ったのだ。
スーパーの従業員でうだつのあがらなかった父、リストラされ、
母にも離婚され世間から「無用の人」扱いされていた父。
聡美が大学で美術を学ぼうと思ったのは、
18歳のときに父が読んでいた文庫本を読んだからだ。
岡倉天心が書いた「茶の本」という本で、
美学書、哲学書であり、茶の論理、日本の美意識について書いてあった。
送られてきた茶封筒を開けると中には鍵が入っていた。
1ヶ月後、聡美は茶封筒に書いてある住所、新宿の西早稲田を訪ねてみた。
そこには、父が若い独身の頃住んでいたと思われる、木造2階建てのアパートがあった。
書いてあった住所の部屋の鍵穴に、送られてきた鍵を挿すと、ドアが開いた。
その部屋は空っぽで何もなかったが、部屋の中央に1冊の文庫本があった。
岡倉天心の「茶の本」だった。

私もこの聡美の父親と同じく「無用の人」のようなもんです。
社会の隅っこを生きてきました。
この聡美の父親の気持ちが、痛いように分かります。


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金木犀が匂う

2020年10月08日 | 小説 エッセイ













九想庵の「小説のページ」に載せていた私が30歳頃に書いた小説です。
現在、九想庵はトップページしかありません。


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ツバキ文具店

2020年10月04日 | 小説 エッセイ

先週の金曜日に、「ツバキ文具店」(小川糸著 幻冬舎刊)を読み終えた。
鎌倉にある小さな文具店を経営している女性を書いた、素敵な小説だった。
文具店をやっているといっても代書屋が本業のようです。
いろんな依頼人からのむずかしい手紙の代書を引き受けている。
主人公はポッポちゃんとみんなから呼ばれている雨宮鳩子という女性。
先代(祖母)に対して、屈折した感情を抱いている。
鳩子は、6歳から筆を持たされた。
そのときから鳩子は、先代に代書屋になるための修業をさせられた。
ポッポちゃんは、高校2年の夏、先代に対して本格的な反乱を起こした。
「うるせぇんだよ、糞ババァ、黙ってろ!」
「てめぇの人生を、押しつけんな!」
「何が今どき代書屋だよ? バッカじゃないの」
それを境に、ポッポちゃんはわかりやすい形で不良になった。
高校卒業後に専門学校に入ってデザインの勉強をした。
先代が亡くなって、すべてが嫌になり海外へ逃げていたときもあった。
そして鳩子はスシ子おばさんが亡くなったのを機に、
鎌倉に戻ってツバキ文具店を継いだのである。
まわりの登場人物がみな魅力的です。
バーバラ婦人、パンティ、男爵、モリカゲさん、QPちゃん。
代書するときに使う筆記具、紙などの描写がいい。
素敵な風景、お店、鎌倉に行ってみたくなりました。


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小説「ステップ」

2020年08月07日 | 小説 エッセイ

昨日、「ステップ」(重松 清著 中公文庫)を読み終えた。
私の大好きな小説の1つに入れたいと思います。
先日、所沢のブックオフに入ったときにこの文庫本があり買った。
その理由は、作者が重松清で、最近映画になったとラジオで知ったからです。
この前、NHKの再放送で「とんび」を観た。
そんなことも本を買うときの背中を押した。
いい話でした。
>  一年前、とてもたいせつな家族の一員が、不意にいなくなってしまった。
> 結婚三年目、まだ「ママ」という言葉もはっきりとは言えない一歳半の美紀をのこし、
>三十歳という若さで、朋子は逝った。
こうしてこの物語は始まる。
トップクラスの営業マンだったが、人事担当の部長や役員に直訴して、
“僕”は残業のない総務部に異動させてもらった。
1歳半の美紀を毎朝保育園に連れて行き、夕方迎えに行く。
家での食事も作らなくてはならない。
そんな“僕”と美紀の10年間を描いている。
そこに大きな存在となる亡くなった朋子の両親と兄夫婦との関係。
私は、双子の息子たちを育ててきたが、妻は健康で力強い存在でありがたかった。
もし、女房がいなかったら私は息子たちを育てられたか?
おそらくできなかったでしょう。
小説のあちこちで私は胸を熱くして、涙が出そうになりました。
子どもを育てるということのたいへんさを思い返してみて、私は泣きました。
そういうことを文章で表現できる重松清という作家は、すごいと思った。


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銀河鉄道の父

2020年07月25日 | 小説 エッセイ

今日、「銀河鉄道の父」(門井慶喜 著 講談社刊)を読了した。
この小説は、宮沢賢治の父を主人公として書いたものです。
久しぶりに読みごたえのある小説でした。
私は、20代のときに宮沢賢治の詩・童話はほとんど読んでいると思う。
そして私なりの宮沢賢治像はある。
それが、この小説を読んでことごとく打ち砕かれた。
私は、宮沢賢治という人は、やさしくて真面目で
自分のことより他人(ひと)のことを考えて生きているような人間と考えていた。
「銀河鉄道の父」の宮沢賢治という人は、
あまりまわりの人のことを考えない自分中心のわがままな人という感じです。
ただ妹トシのことは大切に思っていて、頭は優秀な人のようです。
妹トシが結核で死んでいく。
賢治は最後まで介抱する。
世の中を生きることには不器用な人みたいですね。
若い頃はほとんど実業のことを考えていた。
29歳の頃、人造宝石を売る会社をつくろうとした。
病気で寝ている妹トシに、読み聴かせるために童話を書いた。
そしてその作品が地元の新聞に認められて掲載される。
賢治は物書きでは収入は得られないのだけど、学校の先生を辞めてしまう。
そういう息子を父政次郎は、いつも経済的にも精神的にも援助してきた。
ただ宮沢賢治は、父に甘えなかった。
自分の文章で生きていこうとした。
私は、あらためて宮沢賢治の詩・童話を読んでみようと思いました。
あ、忘れてた、この小説は、第158回 直木賞受賞作でした。


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