Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

安倍晋三、真打ち登場!

2006年08月20日 | 一般
戦争は臆病者のすること。

貴戸朋子(かんこ・ともこ/産婦人科医。日本人として初めて「国境なき医師団」に参加した人。ボスニア・ヘルツェゴビナで働いた)

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ミロシェビッチが死んだ。獄中での自然死だった。ハーグ国際戦犯法廷が旧ユーゴスラビアにおける戦争犯罪と人道に対する罪を裁こうとしたけれど、言いたい放題、司法もお手上げだったようだ。たしかに彼は、大衆の心をつかむのが上手だった。不満と不公平感を植えつけ、嫉妬心と恐怖心を駆り立て、独自の歴史解釈を引用してセルビア民族の誇りを煽り、「君のお金を隣人の異教徒が盗んでいるのだ。われわれの生活を脅かしているのは彼らだ」とキャンペーンを張ったのだった。

旧ユーゴ時代のボスニアには、他民族他宗教の人々がモザイク状に入りまじって暮らしていた。内戦勃発前夜、東ボスニアの古都スレブレニツァの病院で、セルビア人の看護婦がイスラム教徒の病人の世話を拒否したそうだ。腕を組んで動こうとせず、病気の伯父を看ようとしなかったと、友人のファティマが話してくれた。

病院の救急車の運転手だったイスラム教徒のオマーは、開戦前には長閑(のどか)な農村地帯の町に住んでいた。ある夜、周囲のセルビア正教徒の家々の電灯が消され、蝋燭が灯されているのに気づいた。正教の日でもないのにおかしいなと気味が悪くなり、理由はわからないまま、とにかく自分の家でも電灯を消し、蝋燭を灯した。

すると翌朝、裏口にカラシニコフ(銃)が一丁置いてあったそうだ。権力掌握と武力行使を目的に情報操作が表と裏で着実に進行していた時期だった。それでもオマーは、ふつうのセルビア系隣人が、宗教は違うけれど、ともに暮らしてきた自分たちを追い出すはずはないと考えていた。が、そのカラシニコフを見て事の深刻さを覚った彼は、車に家族を乗せ、イスラム教徒が大半を占めるスレブレニツァに逃れてきたのだった。

その直後、ボスニア・ヘルツェゴビナは、美しい大地を「民族浄化」の血で染めることになる。殺しの先鋒に立ったのは正規軍ではなく、極右勢力の民兵だったということだ。ふつうの市民であったはずの人たちが、虐殺の請負人であり、ふつうの人々を殺していった。武器は銃とナイフとレイプだった。そしてその後に報復を受けたのは加害には加わらなかったまっとうな人々だった。

戦いが終わって時が経った今日、ボスニアの人々に「なぜ戦ったの?」と訊いてみても、当の本人は首を傾(かし)げてしまう。「狂ったように殺し合いをして、悪魔にでも憑かれたように戦ったけれど、あれは何だったんだろう」と。

マーシュは内戦のあいだ難民生活を送り、戦後は孤児施設で育った。高校生になる彼が言ったことは、「あの戦争は、話し合いに失敗した大人たちの暴力沙汰だ。イラク戦争も石油を独り占めしたいという動機を持った(ルナ註:マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」によると、軍事産業会社ユナイテッド・ディフェンス社を擁するカーライル社の役員であったブッシュ(父)元大統領、石油発掘会社、ハリバートンの役員、ディック・チェイニーなどのつながり…)、話し合いのできない人間による破壊行動だ。戦争は臆病者のすること。アメリカこそ世界で一番臆病者の国だ」。

戦後7年経って、スレブレニツァを再訪した。町は寂びれて、サラエボ近郊かっら強制移住させられてきた住民は不幸そうで、かつて負傷者や病人やお腹を空かせた人々でごったがえしていた市民病院は閉鎖されていた。外来診療所だけが開いていたが、医者も患者もいなくて、玄関脇で看護婦がけだるそうにタバコを吸っていた。わたしを見て「戦争が残したもので、よいものは何ひとつないわ」と、彼女は吐き捨てるように言った。

人間の創りだしたインスティトゥーション(機構、仕組み、制度、慣習といった意味)というものは不条理だ。人間社会は不公平で正義に非ず、だ。わたしたち庶民を捨石にすることこそあれ、決して護ってはくれない。他人を破壊するには高等な武器は必要ないし、我が身を護るにはどんなに高い壁を築いても、また最新兵器で武装しても決して足りることはない。

安全や平和というのは、案外多種多様な人々が、モザイク状に混在することにあるのかもしれない。意図的に流されるインチキな情報を鵜呑みにし、その結果不安にさせられたり、煽られたり、騙されたりしないこと。権力の構造のトリックにはめられないように思考を巡らし、多様性と異質なものに寛容な、自由人であることが安心をもたらすのではないか。社会の表舞台に立てない人々、差別されていると感じている人々、傷つけられた人々、不当に扱われている人々の存在を知り、思いをはせ、共感することが、人間社会を少しでもまっとうにしてゆく道筋だと思うのだが…。



(貴戸朋子/ 「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」/ 高橋哲哉・斉藤貴男・編・著)

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情報操作が大衆の、特に不安定な生活を強いられている人々を動揺させる。不安が妬みと猜疑心を膨張させる。そこで論を尽くす環境が用意されていれば、それ以上の悲劇的な展開には至らないものを…。ある時きっかけが演出される。最初に行動が起こされ、犠牲者が生じる。目の前で家族や愛する人を無残な仕方で失った人たちは怒りを抱き、怒りは憎しみにまで醸成される。憎しみに猛り狂った心は冷静な思考・判断の余裕を奪い去る。それが、「狂ったように殺し合いをして、悪魔にでも憑かれたように戦う」という事態を引き起こす。日本人は戦争の狂気を特に味わい知った国民であったはずなのに。

声高に中国や北朝鮮の脅威が報道され、不安を煽られているわたしたち。小泉式「構造改革」は格差社会の方向へ舵を切る。生活の不安定な人々を作り出すために。めざす「地」は、現在のアメリカのような不平等で野蛮な競争社会。そこでは、失業したまま就職にありつけない貧困層が、ただ一つ残された就職口を選択する。選択せざるを得ない。軍に入隊する。イラクへ行かされる。そして…。日本も憲法全面改「訂」しようとしている。小泉さんは先鞭をつけた。そして真打ち登場。安倍晋三。憲法9条第2項が変えられれば、自衛隊が今までできなかったことができるようになる。つまり、アメリカ軍とともに戦闘を行うこと。

どうしてそこまでアメリカに追従するの? 財界主導の政治って放置していては危ないのはなぜ? 

憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」は、こうしたことを、とってもわかりやすく説明してくれています。日ごろから活字慣れしている人なら、半日で読み終えることができます。これはとくに、今のあまり活字に親しまない若者層向けに書かれた本です。ぜひ、一度お読みになってみてください。非常に易しく書かれているので、日ごろ本を読みつけない人でも、よーく理解できます。面倒でも、こういうことは大切なことです。なぜなら…。

安全や平和のためには、意図的に流されるインチキな情報を鵜呑みにし、その結果不安にさせられたり、煽られたり、騙されたりしないこと。権力の構造のトリックにはめられないように思考を巡らし、多様性と異質なものに寛容な、自由人であることが安心をもたらすのではないか。社会の表舞台に立てない人々、差別されていると感じている人々、傷つけられた人々、不当に扱われている人々の存在を知り、思いをはせ、共感することが、人間社会を少しでもまっとうにしてゆく道筋…だからです。

憲法が変えられてしまったら、教育基本法が変えられてしまったら、もとに戻るのはかなり困難になります。エホバの証人時代のように、自分の望まないことを「喜び」と自分に言い聞かせなければならない時代、上層階級の満足のために大衆の命と人間性が消費される時代になってしまってからでは…。





「(格差社会の)底辺に生きる人たち、彼らはそれより上の社会を守るために進み出る。彼らに代わって率先して命を投げ出す。彼らの自由を護るために。

階級社会は貧困と無知を土台にしてのみ可能となる。戦争の努力が目的とするのは、社会を飢餓状態に保つためだ。戦争は支配者が被支配者に対して行うもの。その目的は、自分たちに有利な社会体制を無傷で維持することである」(「華氏911」/ マイケル・ムーア・監督)

この社会はアメリカでは現実です。日本では近未来の予想図です。すでに始まってはいるんですが…。





わたしは、拒否します、そんな人生!


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