かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

元の姿

2014年03月21日 23時35分10秒 | 医者仕事
結局前の家を片付け終わったのは6時過ぎ。1時間ほど眠った後はアルバイトに行かなければならなかった。眠いことこの上なく、電車で座ってしまうとそのまま寝てしまいそうでずっと立っていた。ただ、立っていてもうつらうつらとしてしまいそうになり、ただ事ではなかった。
今日は祝日ということもあって、アルバイト自体もひまであり予定より1時間も早く終わった。帰ってくると嫁さんが業者の人に掃除を進めてもらっていて、特に心配するようなことは何もなかった。新居の片付けも少しずつ進んでいる。
掃除が終わった後で、私も前の家を見に行った。さすがにプロだけのことはあり、3年前に初めてあの家に足を踏み入れたときの姿にほぼ戻っていた。壁紙が一部はがれていたりすることを除けば、だが。この家とももうお別れだ。

お引っ越し当日

2014年03月20日 23時15分12秒 | 一般
いよいよ引越の日を迎えた。嫁さんはいつも通り仕事でいないので、私が一人で色々やらなくてはいけない。今日にしたのは明日が祝日でもあり後片付けがしやすいということと平日で少しは安くなるだろうということだったのだが、準備は夜中までかかって大変だった。
しかも、NTTと東京ガスもきたので今日一日はてんてこ舞いといった状況であった。引っ越し先は同じマンションの違う部屋というだけなので、移動自体はスムーズに済んだ。
今日のところは大きな家具だけを運んでもらう腹づもりだったので、他の細かいことについてはひとまずおいておくような感じになった。
エアコン・洗濯機の移設や照明器具の移設も無事に済み、新居もだんだん我が家らしくなってきた。
夜に第二の送別会があった。今回は神経内科のささやかな歓送迎会で、私の後任の先生も来てくれて、酒を飲みながらおしゃべりといった感じで楽しかった。一緒に仕事をするのもこれが最後となるといささか寂しい気持ちもある。
これで今の病院でのイベントは本当におしまい。名残尽きせぬところはあるが、一区切りである。
帰った後は明日の大掃除に備えて、クローゼットの中の物も全て運び出さなければならない。これは一仕事だ。いつまでかかることやら。

引越準備

2014年03月19日 23時12分30秒 | 一般
外勤は本業とは関係なくあるので、今朝はいつも通りの時間に出かけて外勤だけやって家に帰ってきた。明日は引越なので、大事なのはクローゼットの中以外の物は全部移しておかなくてはいけないということである。仕事の都合でどうしても始動が遅くなり、まだまだ残っているのでこれらはなんとしても明日の朝までに終わらせておかなくてはいけない。今夜は夜なべ仕事になりそうである。

大送別会!

2014年03月18日 23時59分10秒 | 一般
今日は昼間に退職手続きを病院の事務でやってきた。持っていた名札やIDカード、保険証を返し、書類を出してそれで終わった。最後に内科事務室によってPHSとロッカーの鍵を返した。これでこの病院での手続きは全て終わり、もうこの病院に来ることは当面ないだろう。
夜に送別会を開いてくれた。送別会をしてくれるとは聞いていたが、30人以上が来てくれたとみえ、これほどの規模とは思いもよらなかった。1年目研修医は全員が来てくれ、2年目の内科研修医もほぼ全員が来てくれた。さらに3年目や4年目も忙しい中でかなりたくさん駆けつけてくれて、本当にありがたかった。
寄せ書きをくれたが、色紙3枚にわたる寄せ書きは初めてだった。これほど多くの人々が送ってくれるとは、なんと言っていいものやら、その当座も、そして文字に起こす今の段階になっても、ふさわしい言葉が出てこない。
これほどの規模で送ってくれた皆様には、ただただ感謝の言葉しかない。
1年半前に将棋の駒同然で動かされて赴任した今の病院だったが、行って本当によかったと思った。

最終出勤日

2014年03月17日 23時54分41秒 | 医者仕事
当院内科では1年以上勤めた場合には退職前に2週間の休暇をもらえるという内規があり、私は1年と5ヶ月ちょっと勤めているのでめでたく2週間の休暇を最後にもらえることになった。そのため、今日が最終出勤日になった。
月曜日はもともと何もない日なので、最後だからということでカメラを持って行き記念撮影をいくつかさせてもらった。皆は相変わらず忙しそうで、そんななかで記念撮影をお願いするのは何となく申し訳ない感じがしたが、お願いすると皆快く引き受けてくれた。
そして、最後に大事なのは医局の自分の机の片付けである。本棚に詰まった本を持ち帰るために段ボール2箱とカートを用意していったところ、ぎりぎり2箱とちょっとでなんとかおさまったが、えらく重かった。車に乗せるところも一苦労で、帰ってきた後で車から箱を出すのもまた大変だった。ただ、1日できれいさっぱり片付いたのでそれでいいだろう。
これで外病院での勤務は事実上終わった。お世話になりました。

運び込み

2014年03月16日 23時57分29秒 | 一般
新居の鍵を受け取ったので、少しずつ今の家から本などを運び込んでいくことにした。さしあたって、今日は午前中に何も用事がなかったのでどんどん本棚の本を箱に移して動かしていった。本が入った箱は重くて動かすのが特に大変である。まして、日頃肉体労働などやっていない体ではことのほか堪える。
重くて大変だったが、これからも時間をかけて少しずつやっていかなくてはいけないだろう。
午後のアルバイト中に電話がかかってきて、引越後の部屋の清掃のスケジュールも決まった。これからいよいよ引越に向けて動いていくことになる。

最後の当直続き

2014年03月15日 23時49分25秒 | 医者仕事
日付が変わった後の話。
2日前に発熱で救急外来にかかった人からまた熱が出て救急車を呼んだという連絡があって、夜中に呼ばれた。
救急車からは元気に歩いて降りてきたので、インフルエンザのチェックだけして帰せるかと思っていたら、透析のシャント部が赤く腫れあがっていることに気がついた。押してみると痛いというし、触ってみると熱を帯びている。シャント感染となれば話は変わり、いかに元気であろうと家に帰すわけにはいかない。しかも熱が出ているので血液培養もとらなくてはいけない。研修医はいないので久しぶりに自分で採取した。最近とんとやらないものだから手つきが若干怪しかったような気もするが、昔取った杵柄、大丈夫であったろう。
そんなことがあり、なかなか寝付けなかった。
夜が明けて当直は終わり、すばらしい解放感とともに昼に帰宅した。
今日は新居の鍵を受け取る日で、早速受け取りに行ってきた。これからがんばって物を運ばなくては。

最後の当直

2014年03月14日 23時44分25秒 | 医者仕事
日帰りで大阪に行ってきた後はまた当直である。3月に休みをくれるのはいいが、それまでの間にいつものdutyは全部済ませなければならず、そのせいで当直も過密スケジュールになってしまうというわけである。
救急外来に意識消失発作で搬送されていた人がいて、来院時にはとくになにも異常がなかった。とはいっても、もう2回目ということもあって念のため入院させることにしてCTを撮った後で一般病棟に上げようとしたら、あろうことか搬送中にけいれん発作をおこしてしまった。コードブルーがかかり何事かと思っていって見ると、そんな状態で少々驚いたが、けいれん発作自体はこちらにしてみれば慣れたもので、全身状態には問題がなかったので入院病棟を変更してそのまま入院させた。
他にももう一件コードブルーがかかり、今日はどうも不穏な夜である。ただ、今日の病棟当直はすばらしく頼れる人なので、何も心配はいらないだろう。

日帰り訪阪記

2014年03月13日 23時32分43秒 | 医者仕事
今日は学会に行くために大阪に行ったのだが、仕事の都合で日帰りで行くことになった。朝一番の新幹線で新大阪に着いたときには、外は雨が降っていた。タクシーで直接会場に向かうことにして、ポスターを携え会場に着いたのが9時前くらい。受付をしてポスターを貼ったらだいぶ荷物が軽くなった。発表は夕方なのでそれまで少し外に出ようかと思っていたのだが、外はずっと雨でやむ気配もない。
そのため中で口演を聞くことにした。脳卒中の基礎研究にはだいぶ縁遠かったので興味を引かれてしばらく聞いていたら、色々と面白そうな話が出ていた。種々の神経変性疾患でおこる神経細胞死と脳血管障害で起こる神経細胞死は細胞死という点ではつながっているとも捉えられるわけで、自分の中で少し距離のあった両者の間に新たなつながりができたようにも思った。今現在一番興味を抱いている疾患はALSなのだが、それとは別に脳血管障害も興味を持っていて、神経細胞死を食い止めるような研究ができればと思っているところだったので、虚血からのアプローチも面白いかもしれないと思った。
ランチョンセミナーで昼食は確保できたので、あとはいくつか発表を聞いて時間をつぶした。
ポスター発表は今回が初めてだったが、聴衆の数も口演よりずっと少ないが顔が直接見えて、面と向き合って話をしているような感じだった。私の発表は大したインパクトもなくあっさりと済み、大した質問もなかった。いい経験であった。
発表を追えた後はすぐに帰ることにした。新大阪駅までタクシーで向かい、新大阪駅でお土産をいくつか見繕って新幹線に飛び乗った。何があるかわからないので一応最終の指定席を用意しておいたのだが、杞憂であり早い時間のものに変えてもらった。
帰宅したのは10時過ぎ。思ったより早かったが、大阪への日帰りは思ったより疲れた。これで一つ大きな任務が片付いた。
明日はがんばってまた仕事である。

そわそわとして

2014年03月12日 23時29分27秒 | 医者仕事
外勤から戻った後も平和な一日だった。今日はずっと今ひとつ落ち着かないのは、明日大阪に行くことになっているからで、半分ははしゃいでいて、半分は緊張しているのであろう。一応水曜日の内科症例検討会も今日が最後なのだが、明日早いのをいいことに今日はさっさと帰ることにした。明日は5時過ぎには家を出なくてはいけない。