二重否定は強い肯定という意味になると教わります。まあ、「~でなくない?」というのは二重否定ではありませんがね。この場合は言いたいことは「~でない」ということですから。「~でないことはない」となると、~でないことなどあり得ないというニュアンスになります。訓読調にいうと「~セズンバアラズ」ですか。他には、ぼかしていうときに使うことがあります。たとえば、「なくもないね」なんていうときは「ある」というのを婉曲に表現したものです。これらの例を見ると、否定の否定は(程度は違え)肯定という原則が背後に隠れています。
さて、否定という概念は論理学ではやや高等な概念になります。「ならば」とか「かつ」などよりは高等な概念ということになりましょうか。記号論理ではある命題から推論規則を適用していくと矛盾が導かれるとき、その命題の否定を導くことができます。これが背理法とは違うことに注意してください。では、最初の命題がある命題の否定だったらどうでしょうか。もとの命題が導かれますか?単純にそうとは言えないのです。ある命題の否定の否定が導かれるだけです。最初からルールとして二重否定則を認めれば、別に問題ないのですが、もし認めない公理系を採用していると、ここから直ちにもとの命題を導くことはできません。ここを巡っていろいろ議論があったのですがそれは割愛するとして、結局何がいいたかったのかというと、言葉は一面だけを捉えて否定の否定は肯定とすることができるのではないかということです。そこが、言葉の面白いところでも難しいところでもあるような気がします。
さて、否定という概念は論理学ではやや高等な概念になります。「ならば」とか「かつ」などよりは高等な概念ということになりましょうか。記号論理ではある命題から推論規則を適用していくと矛盾が導かれるとき、その命題の否定を導くことができます。これが背理法とは違うことに注意してください。では、最初の命題がある命題の否定だったらどうでしょうか。もとの命題が導かれますか?単純にそうとは言えないのです。ある命題の否定の否定が導かれるだけです。最初からルールとして二重否定則を認めれば、別に問題ないのですが、もし認めない公理系を採用していると、ここから直ちにもとの命題を導くことはできません。ここを巡っていろいろ議論があったのですがそれは割愛するとして、結局何がいいたかったのかというと、言葉は一面だけを捉えて否定の否定は肯定とすることができるのではないかということです。そこが、言葉の面白いところでも難しいところでもあるような気がします。