明日から仕事なので、今日のうちに、これまで書こうとして書きそびれたことをいくつか、書いておきます。
Takは今日小児科を受診したら、もう治っているこの段階で「流行性耳下腺炎(おたふく)」の診断はできない。ただの「耳下腺炎」としか診断できない。なので、登園許可証を発行する必要はなしとのこと。
そして、年末に仕事がないと言われた職場ですが、明日からまた別の業務の研修を受けて、とりあえず3月までは、食い繋いでいけそうです。
画像は、おたふく療養中「マダガスカル」を観るTak
■低温やけど
11月中旬頃だったか、湯たんぽで低温火傷を負いました。
しかも2、3日空けて片足ずつ。
左足中指と、右足の甲の火傷が、まだ治っていないのです(T_T)
低温火傷ってコワイです。
低温のぶん、たぶん、じっくりと皮膚の奥深くまで浸透するようで、表面はたいしたことなさそうに見えるけど、水膨れが治ったあとも、ず~~~っと、打撲のように、触れたり押さえたりすると痛い状態が続きました。いまだに右足の傷口が当たる靴が履けません。
ブーツもスニーカーも履けないので、今年の冬はパンプスのみ。しかも、1足の靴を何日も履き続けているのです。部屋では、スリッパも縁が当たって痛くて履けませんでした。
ようやく、ゆる~いブーツをはける程度に治ってきました。
低温やけど、あなどれません!
■Takのおねしょ
Takは、最近やっとおねしょをしなくなりました。
昨年秋頃までは、ほとんど毎晩だったので、家では紙パンツでした。
夏のお泊り保育のとき、どうするか…個人面談で相談したりもしたのでした。
家ではよくても、おともだちと一緒の夜に自分だけ紙パンツっていうのは、「恥ずかしい」と思う年齢だし。
実家の母からは、精神的なことが原因と言われ、帰省するたびに毎朝、「今日はどうだったの?」と問いつめられ、夜中に起こしてトイレに連れていくようにとうるさく言われました。母は本人に対しても、おねしょをすることは恥ずかしいことと、これでもかと言い聞かせ、失敗したら、とても冷たい態度、おねしょをしなかった日は、ニコニコ顔で誉める…ということをやっていました。
これが母のやり方なのです。考え方の違いや、今の医学的なことをいくら説明しても彼女は自分のやり方を押し通すことしかできないのです。
私は、このこともあって帰省は憂鬱でしょうがなかったけれど、Takとの生活では、一切叱らず、寝ている間のことは、わざとじゃないんだから、いつか必ずしなくなるから気にするなという態度を貫いてきました。
でも、正直いって、このトンネルはあとどれくらいで抜けるんだろう…と、先の見えないことに不安はありました。小学校になっても治らなかったら…とか、さらにもっと続くのか…とか。
結局、小学校になっても治らなければ何らかの対処を考えようと思っていたので、それまでにこの問題が解決に向かって、ホント、よかったよ。
これで、Takが小学生になるにあたって心配なことはすっかりなくなりました。
健康で、偏食もなく、平仮名もなんとか読めるようになったし A^_^;)
ああ、すっかりでもないか…。それについてはまた後日。
■ 風化
今年は、Takの「おたふく」で、誰にも会わず、子供にお年玉をあげる機会がありませんでした。
みなさん、子供にいくらお年玉をあげますか?
3日に、突然Takの父親が来ました。えっ、そんな話、きいてないよ!?!?
3日は、本来なら、Takは前日からK家にお泊りして、私のもとを離れて遊んでる予定だったんだけど。なんだか、メールでのやりとりで私が見落としていたらしい。Takの父親は、実家のじーちゃん、ばーちゃんからのお年玉を預かってきて、Takにあげました。
私は、はっきりいって父親の実家との接触は金輪際したくなかったのです。離婚当時の、いや~~~~~な思いが払拭できず、とにかく、心から離す、考えない、思い出さない…という方針で今後もやっていくつもりなのです。
けれど私だって人の子。もらったお年玉のお礼は、ちゃんと本人から言わせなくては。
「たくみです。あけましておめでとうございます。お年玉ありがとうございました。」これだけ言う練習させて、父親の携帯から電話をかけさせました。我関知せず…ってなカンジで、事前事後の処理は父親に任せました。
電話口には、おじーちゃんが出たようで、クリスマスに自転車を貰ったこと、部屋までサンタさんが持ってきてくれてたこと、おたふくになったこと…など話しているらしい。
ぼんやりと聞きながら、「ああ、、なんだか私のあの当時のほとんど憎悪ってな気持ちも、4年近くも経って、風化してきたのかなあ」という思いでした。
どんな嫌悪感、怨念、憎悪…なども、時間が経てば薄れていくものなんだろうな。
「決定的なあの一言」が信頼関係をズタズタに壊してしまう…ってことが、たまにあります。
人生の中で、多くても5回ぐらい?…であってほしい。 一度もない幸運な人もいるかも…
壊れたものは元に戻らないし、一度言った言葉は取り消すことができません。
でも、それでも「風化」して、その当時の、嫌悪、憎しみなどの感情が、砕けて砂になって風に吹き飛ばされていく…みたいなことってあるかも。
そうでなければ、憎悪をそのまま封印して、いつまでも心の中に持って生きていきたくないもんね。それでも「私はそんなマイナスの思いや感情は抱きません」とは言い切れません。
イヤな思いには、なるべく捕われず、心から離すようにしてます。そのうち時間が風化してくれるって、自分ではなにもしなくていいって、楽だな。これは神様のワザなんだろうな。
でっ、お年玉ですが、Takには、600円。来年は700円。歳×100円です(^_^;)
これなら高校生になっても1500円で済むもんね(^_^;)
しっかし、本当にお年玉って、いくらあげたらいいんでしょうか??
Takは今日小児科を受診したら、もう治っているこの段階で「流行性耳下腺炎(おたふく)」の診断はできない。ただの「耳下腺炎」としか診断できない。なので、登園許可証を発行する必要はなしとのこと。
そして、年末に仕事がないと言われた職場ですが、明日からまた別の業務の研修を受けて、とりあえず3月までは、食い繋いでいけそうです。
画像は、おたふく療養中「マダガスカル」を観るTak
■低温やけど
11月中旬頃だったか、湯たんぽで低温火傷を負いました。
しかも2、3日空けて片足ずつ。
左足中指と、右足の甲の火傷が、まだ治っていないのです(T_T)
低温火傷ってコワイです。
低温のぶん、たぶん、じっくりと皮膚の奥深くまで浸透するようで、表面はたいしたことなさそうに見えるけど、水膨れが治ったあとも、ず~~~っと、打撲のように、触れたり押さえたりすると痛い状態が続きました。いまだに右足の傷口が当たる靴が履けません。
ブーツもスニーカーも履けないので、今年の冬はパンプスのみ。しかも、1足の靴を何日も履き続けているのです。部屋では、スリッパも縁が当たって痛くて履けませんでした。
ようやく、ゆる~いブーツをはける程度に治ってきました。
低温やけど、あなどれません!
■Takのおねしょ
Takは、最近やっとおねしょをしなくなりました。
昨年秋頃までは、ほとんど毎晩だったので、家では紙パンツでした。
夏のお泊り保育のとき、どうするか…個人面談で相談したりもしたのでした。
家ではよくても、おともだちと一緒の夜に自分だけ紙パンツっていうのは、「恥ずかしい」と思う年齢だし。
実家の母からは、精神的なことが原因と言われ、帰省するたびに毎朝、「今日はどうだったの?」と問いつめられ、夜中に起こしてトイレに連れていくようにとうるさく言われました。母は本人に対しても、おねしょをすることは恥ずかしいことと、これでもかと言い聞かせ、失敗したら、とても冷たい態度、おねしょをしなかった日は、ニコニコ顔で誉める…ということをやっていました。
これが母のやり方なのです。考え方の違いや、今の医学的なことをいくら説明しても彼女は自分のやり方を押し通すことしかできないのです。
私は、このこともあって帰省は憂鬱でしょうがなかったけれど、Takとの生活では、一切叱らず、寝ている間のことは、わざとじゃないんだから、いつか必ずしなくなるから気にするなという態度を貫いてきました。
でも、正直いって、このトンネルはあとどれくらいで抜けるんだろう…と、先の見えないことに不安はありました。小学校になっても治らなかったら…とか、さらにもっと続くのか…とか。
結局、小学校になっても治らなければ何らかの対処を考えようと思っていたので、それまでにこの問題が解決に向かって、ホント、よかったよ。
これで、Takが小学生になるにあたって心配なことはすっかりなくなりました。
健康で、偏食もなく、平仮名もなんとか読めるようになったし A^_^;)
ああ、すっかりでもないか…。それについてはまた後日。
■ 風化
今年は、Takの「おたふく」で、誰にも会わず、子供にお年玉をあげる機会がありませんでした。
みなさん、子供にいくらお年玉をあげますか?
3日に、突然Takの父親が来ました。えっ、そんな話、きいてないよ!?!?
3日は、本来なら、Takは前日からK家にお泊りして、私のもとを離れて遊んでる予定だったんだけど。なんだか、メールでのやりとりで私が見落としていたらしい。Takの父親は、実家のじーちゃん、ばーちゃんからのお年玉を預かってきて、Takにあげました。
私は、はっきりいって父親の実家との接触は金輪際したくなかったのです。離婚当時の、いや~~~~~な思いが払拭できず、とにかく、心から離す、考えない、思い出さない…という方針で今後もやっていくつもりなのです。
けれど私だって人の子。もらったお年玉のお礼は、ちゃんと本人から言わせなくては。
「たくみです。あけましておめでとうございます。お年玉ありがとうございました。」これだけ言う練習させて、父親の携帯から電話をかけさせました。我関知せず…ってなカンジで、事前事後の処理は父親に任せました。
電話口には、おじーちゃんが出たようで、クリスマスに自転車を貰ったこと、部屋までサンタさんが持ってきてくれてたこと、おたふくになったこと…など話しているらしい。
ぼんやりと聞きながら、「ああ、、なんだか私のあの当時のほとんど憎悪ってな気持ちも、4年近くも経って、風化してきたのかなあ」という思いでした。
どんな嫌悪感、怨念、憎悪…なども、時間が経てば薄れていくものなんだろうな。
「決定的なあの一言」が信頼関係をズタズタに壊してしまう…ってことが、たまにあります。
人生の中で、多くても5回ぐらい?…であってほしい。 一度もない幸運な人もいるかも…
壊れたものは元に戻らないし、一度言った言葉は取り消すことができません。
でも、それでも「風化」して、その当時の、嫌悪、憎しみなどの感情が、砕けて砂になって風に吹き飛ばされていく…みたいなことってあるかも。
そうでなければ、憎悪をそのまま封印して、いつまでも心の中に持って生きていきたくないもんね。それでも「私はそんなマイナスの思いや感情は抱きません」とは言い切れません。
イヤな思いには、なるべく捕われず、心から離すようにしてます。そのうち時間が風化してくれるって、自分ではなにもしなくていいって、楽だな。これは神様のワザなんだろうな。
でっ、お年玉ですが、Takには、600円。来年は700円。歳×100円です(^_^;)
これなら高校生になっても1500円で済むもんね(^_^;)
しっかし、本当にお年玉って、いくらあげたらいいんでしょうか??