ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

忘れられる権利

2014年11月16日 | 社会派らぼ
欧州連合の定める「一般データ保護規則」には「忘れられる権利」が明文化されていると言います。個人データの管理者は、データ元の個人から請求があった場合、データの削除が義務付けられます。データの削除を求める個人と、報道の自由をうたうグーグルとで意見が対立してきていましたが、運用には慎重さが求められるとはするものの、データの削除を認める判決も出ているようです。

「デジタルタトゥー」という言葉も最近良く聞かれます。一旦、インターネット上に公開されてしまった書き込みは、一度拡散してしまうと、後から消すことが非常に困難になってしまう状況を、入れ墨に譬えた表現です。本人がSNSなどに書き入れたコメントや写真は、たとえ本人が削除しても、ネット上で急速に拡散されてしまうことがあります。本人の意思に関わりなく、広まってしまうのです。

だからこその「忘れられる権利」でしょうか。確かに、管理者側が削除すれば、関連する書き込みを消すことも可能になってきます。が、想像するに、削除依頼が果たして妥当な請求かどうかの判断をすることが非常に難しい気がします。既に、グーグルでは15万件近いリクエストを受け、50万件近くのURLについての評価を実施していると言います。そのおよそ4割について、実際に削除を行われたということです。

良く考えてみると、これはグーグルからの削除ですから、本来の記事そのものが削除されているわけでは無く、検索で引っかからなくなったというだけの代物です。それでも検索の術が無くなるということは大きいことになります。

一方で、web上の情報の質を上げる努力というのは必要のない事、もしくは不可能な事なのでしょうか。SNSの流行(?)によって、連絡を取り合う手段としてウェブ活用する腕は随分上がりました。が、永年残しておくべき情報とは言い難いものです。また最近web検索をしても、個人的な意見等を述べている箇所は幾つも見つかる…反面、正しい知識をキチンと体系立ててまとめてある、いわゆるホームページにはなかなか行き当たらなくなりました。ピンポイント的な情報の羅列でしかない(しかも信憑性があるかというと、その保証もない)情報は山のように転がっているのに、永年保存すべき内容には正直あまり行き当たらないのです。

「忘れられる権利」が今やっと言い出されたところですが、実は削除すべきものを探すのでなく、保存する価値のあるものを探し、キチンと保存することの方が重要なのかも知れません。逆にそれ以外は、必ず3年経ったら抹消されるようなシステムもアリかも知れないnと秘かに思いました。



変換モードのボタンが無くなった

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。なお、メールアドレス変更しております。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿