ぱそらぼ (ぱぁと1)

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美しいこと

2017年07月04日 | 命の生き方
またまた、更新があいてしまいました。先日の所用は1年近くも前から予定していたものでしたが、今回は急きょ…ということで、大雨の影響で新幹線が軒並み遅れたあの渦中に移動していました。平生の生活に戻るのに、手間取っています(笑)。

麻央さんが逝かれました。元々、国民のだれもが知っている方でしたが、進行癌の病床にあって「なりたい自分になる」というメッセージと共にブログを再開し、更に多くの人々に知られる存在となりました。元々「闘病記」という性質のものは、人々の興味を惹き易く、多くの方が「同じ病に苦しむ人のために」手記を残すケースは良くありました。麻央さんの「KOKORO.」の反響があまりにも大きかったために、今後も同じような形で「自らの存在」を確かめる試みにさらに拍車がかかるのではないだろうかと想像します。

それぞれの人に葛藤があり、それぞれの人に人生があります。有名だから…でなく、本当に頭の下がる人生を「確かな形」で残す事にはそれなりに大きな意味を感じますし、そこから私たちが学ぶことは多いかと思います。だからと言って、誰もかれもが「そのような形」を求める必要は無いのだと思います。

麻央さんのブログは、ただひたすら「美しかった」事が印象的です。それは、そのまま彼女が「美しい人」であったことの証です。病というものは、決していつでも「美しく」いる事を許してはくれないはずです。恐ろしくて、醜悪で、辛く苦しいものです。にも関わらず、麻央さんはその辛さや苦しささえ「美しく」伝えることのできた人のように思うのです。

世の中には「正しい事」が大手を振って自己主張をします。多くの人が、それぞれの正義感や倫理観に照らして「正しい」事を貫こうと努力を惜しみませんし、「正しい」事のために戦っている人が大勢いるのです。「正しい事は正しい」と、微塵も揺らがない人々には頭の下がる思いです。ですが、私は「正しい事が正しい」とは思いません。「正しさ」ほど曖昧なものはありません。もしも「正しい」事がたった1つの真理なのだとしたら、世の中に戦争やいさかいが起こる事などあり得ないはずです。立場によって「正しさ」は異なっているものだと思います。

「正しい事は美しい」。私はそう思っています。遅かれ早かれ、人には終焉というものが訪れるのだとしたら、彼女のように「美しく」生きたい(逝きたい)と痛切に思います。但し、それは本人の平安とは無縁かも知れません。幼い子どもを残して逝かなければならなかった彼女の悔しさと苦しみは想像して余りあるものがあります。ブームのように騒いで、彼女の「美しさ」を汚さないでおきたいと思います。合掌。

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