「人にものを伝える」のはトテモ難しいと感じますが、「人の話を聞く」ことはモット難しいと思っています。
あるインストのアシストを務めた人から相談を受けたことがありますが…。講座中、質問をいただくことはよくあります。そのインストは質問に「それはね…」とその場で答えるのですが、明らかに聞いている内容とは違ったことを答えているらしいのです。休憩時間に「○○のことを聞きたかったんじゃないですか?」とアシストが声をかけると、質問者は嬉しそうに「そうなんです!」。で、食い違いを伝えるのだけれど「あ、そう。」の一言だけしかない…。
これは極端な例ですが、「聞いている」振りはしているけれど、本当に「心から気持ちを聞いてはいない」ことはありがちです。上の例で言うなら「質問者の迷いをなくしてあげたい」と思って聞くのと、「答えられなかったら困る」と思って聞くのとでは全く違ってくるということです。インスト側は「授業中の質問にその場で答える」ということが目的ですから、質問者の戸惑いが放置されたことについては気にする内容ではなかったのでしょう。
相手の立場になって話を聞いていないと、ツイ自分の土俵の上でものを考えてしまいます。質問を伺うときは、努めて自分の頭を空っぽにします。状況説明をされるとおりに、場面を自分の頭の中で想像して組み立てていきます。その上で答えると、お気持ちに沿った答が返せる気がしています。たとえ、そこで正しい答が導けなくても「○○のことをおっしゃってるんですよね」と確認するだけでも、トテモ救われた顔をされます。相手の土俵が不明な時は「ご質問の意味を私がよく理解できていないと思うんですけど…」と、再度お伺いする場合もあります。
人の話を理解する「聞き方」ができないと、自分の話すことを理解していただく「話し方」も稚拙なような気がします。講座は奥が深いです。
「圧縮ファイルを解凍する」
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。
あるインストのアシストを務めた人から相談を受けたことがありますが…。講座中、質問をいただくことはよくあります。そのインストは質問に「それはね…」とその場で答えるのですが、明らかに聞いている内容とは違ったことを答えているらしいのです。休憩時間に「○○のことを聞きたかったんじゃないですか?」とアシストが声をかけると、質問者は嬉しそうに「そうなんです!」。で、食い違いを伝えるのだけれど「あ、そう。」の一言だけしかない…。
これは極端な例ですが、「聞いている」振りはしているけれど、本当に「心から気持ちを聞いてはいない」ことはありがちです。上の例で言うなら「質問者の迷いをなくしてあげたい」と思って聞くのと、「答えられなかったら困る」と思って聞くのとでは全く違ってくるということです。インスト側は「授業中の質問にその場で答える」ということが目的ですから、質問者の戸惑いが放置されたことについては気にする内容ではなかったのでしょう。
相手の立場になって話を聞いていないと、ツイ自分の土俵の上でものを考えてしまいます。質問を伺うときは、努めて自分の頭を空っぽにします。状況説明をされるとおりに、場面を自分の頭の中で想像して組み立てていきます。その上で答えると、お気持ちに沿った答が返せる気がしています。たとえ、そこで正しい答が導けなくても「○○のことをおっしゃってるんですよね」と確認するだけでも、トテモ救われた顔をされます。相手の土俵が不明な時は「ご質問の意味を私がよく理解できていないと思うんですけど…」と、再度お伺いする場合もあります。
人の話を理解する「聞き方」ができないと、自分の話すことを理解していただく「話し方」も稚拙なような気がします。講座は奥が深いです。
「圧縮ファイルを解凍する」
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。
でも、後で声をかけるということは、ネグレクトしなかったよ。ということだけでも相手に伝わって安堵感を与えるのでその人は救われた思いになると思います。現在の学校の先生も親も子どもに対し「聞く」態勢をとり、無視していないことを伝え、安心させると子どもたちも、もっと気が楽になると思うのですが・・大人も子どももみんな寂しい現在、やさしさやふれあいに餓えているのかもしれません。
子どもさんに対しては何より安心感は大切だと思います。思春期、そうでなくても生きてることの意味に苦悩する時期、複雑な今の社会の仕組みの中では、尚はぐれてしまう時だって多いでしょうから、シッカリ抱きしめて育てることは大切なんだと思います。
そうした環境は当然保証した上でで、尚結果を出していかねばならないのがプロの役目で、そういう意味でプロは「専門の分野に長けていることは当然、あらゆる分野にバランスが取れた人」であるべきなんだと思っています。
ビジネスのやり取りと、家庭の中は微妙に感触が違ったりするもので…。一方的な押し付けで時に強圧的ではね返せないほど親の有難味は、子ども自身が又人の親となった時、しみじみと噛み締めるものだったりすると思います。
息子が高校生の頃は、くどくどとお説教するのは避けてました。反発を食うだけですからね。でも、「そういうの、お母さんは嫌いだからねっ!」の一言は一番究極の「押し付け」だったでしょうね。
今子育て中のお母さん方は、時には強圧的な親であっても良いと思いますよ。どこかでシッカリと抱きしめてあげていれば…ね。(反省を込めて)
「この人は、二つのうちのどちらを言おうとしているのだろう...」と、頭の中で自問自答したり...相手の話を理解しているのに、していない人...と思われたり...口下手、質問下手?
巧く言えないのですが、「こま」があるじゃないですか。お正月のこまネ。私はあんまりこま回しとかで育ったわけじゃないのですが、「こま」がきれいに回っている時は、心棒が真っ直ぐ立っていて殆どぶれません。「こま」が止まりかけてくると、「味噌擂り運動」って聞いたことあります? 真っ直ぐ立っていて動かなかった心棒の先が円を描き始める。だんだんその円が大きくなって、こまは傾き、ついには止まってしまいます。
自分の頭がどこか高い空のある一点からスッと引っ張られるているような、それによって自分の背筋が嫌でもスッと伸びるような感触。それこそが「迷いない」コマの回り方のように思えています。(わかるかなぁ…)
じゃ、そのある一点ってどこからなの? 何に背筋を正しているの? それこそがrococoさんの「目指すもの」なんですよ。その心境でズット居続けるということは実は難しくて、真っ直ぐのつもりがいつか円を描いていたりします。けれど本当にきれいに回れると、迷いは一瞬なくなってしまう。
私は「教祖様」じゃありません。でも、ここに書いたことは「本当の私の感想」です。大切なrococoちゃんに贈ります。
とてもとても難しいことです...何故だか?涙少し出ちゃった。
先生が、すぐ近くの現実の人であるなら、どんなにか良いだろう...有難う♪ございます。
私は、少し遠いかも知れませんが(滋賀県)、確かな「現実の人」です。(足、ちゃんと2本あるよー 笑)