昨日の夜は昨年暮れに知り合いになったD&Cご夫妻と夕食に出た。3時間ほどたっぷりと食し、話に花が咲いた。何気ない話から、本質へ進む。
私はコントロールされることが好きではない。したがってコントロールするのもできるだけ避けてきた、というような話をする。できるだけ自由に、囚われなく生活できれば最高だと考えているという話も。私の上(天を指す)には存在はいらない、と言った時、それは « Ni Dieu Ni Maiître »(「神もなく主人もなく」) ではないか、と反応した。Léo Ferré も歌っている (歌詞)。anarchiste に近いのでは、という分析である。やや険悪な雰囲気を感じ、ただ天には意思 Intention があると私は信じているということは付け加えておいた。
例えば、何かをしようとして力を尽くしてそれがうまくいかない時は、そこには意味がある、その Intention を考える傾向がある。ある意味、なるようにしかならないという考えに近いのかもしれない。Dはそれは fataliste typiquement japonais だと直ちに反応した。日本人特有の運命論者だ、というわけである。彼の場合は、一つがうまくかなくても、それが得られるまで何度でもトライするというのだ。すごいエネルギーである。
巴里を離れ、スイスに20年、そして今東京。このご夫妻のこれまでの経験から出るのだろうか。最後には、人生においては旅が重要という言葉 "Il faut voyager." が奥様から出てきた。旅をするということは、結局は自分に出会うこと、自分を開いていくことになる、というお話で意見が完全に一致してディネはお開きになった。
この夜は、私の中にある要素を西洋の言葉で規定されて少し驚いた。いろいろな人と話をしてみるものである。
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2006-8-06 禁欲主義者あるいは快楽主義者 SUIS-JE ASCÉTIQUE OU HÉDONISTE ?