フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

昼と夜 LE JOUR ET LA NUIT

2006-03-08 20:35:15 | 科学、宗教+

昼と夜がある。天文学から見るとすぐに理解できる。普通はそれで終わる。しかし、なぜ昼と夜があるのか、と問い始めると一気に哲学の色を帯びてくる。それはこの宇宙は一体どうしてこういう創りになっているのか、という疑問に繋がるからだ。その根っこにはこの宇宙が偶然にこうなったのか、何かの意思が働いたのかというおそらく有史以来の大問題があることに気づく。

昨年の年末に来た LE POINT に宗教と科学に関する特集が出ていた。"DIEU, LA SCIENCE, L'ORIGINE DU MONDE" 「神、科学、世界の始まり」。なかなか難しいのだが、哲学や宗教の世界が科学で説明できそうなところまできているのでは、という印象を持った。いずれ私の理解できるところをまとめてみたい。

それはさて置いて、昼と夜の違いをいろいろなところで感じている。たとえば、私のブログを昼に (仕事が行われるような [!] 環境、理性の環境で) 読んでみると、この暇人何を一体ぶつぶつ言っているのか、と自分でも受け付けない。しかし夜、あるいは一人の環境で読み直すと自分に中にすんなり入ってくるのだ。それは昼と夜の違う自分がいるということを示しているのだろう。光と音が変化した環境に身を置くと、脳の中の開く窓が異なってくる、そんな感じである。この二つの間でバランスを (取りながらではなく) 崩しながら人生を歩んできたような気がする。今までは昼が優性であったのが、ここにきて少し夜の部分が勝っているようにも思えてきた。いずれにしても人は夜を必要としている、それが今日の結論だろうか。

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2 コメント

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Unknown (unknown)
2006-03-16 09:50:03
ピンホール おぼろに 風景映し出し



16日ですがマーキングされていた日付の心模様を読んで

昨夜の月が浮かびました。

墨を流した闇に それはそれは明るく澄んだ透き通る光が

貼ってありました。そのせいでしょうか、冷たい底なしの

黒ではなく、和紙のやわらかさとぬくもりを感じてしまいました。夜中にネギラーメンなんぞを食べた後だったから

余計あったかく感じたのかもしれませんが(^_^;)

光が和紙ににじんでいくような味わいの夜でした。
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名月 (paul-ailleurs)
2006-03-16 12:47:15
訪問ありがとうございます。また素敵な句もお土産にいただいてよろしいでしょうか。この日曜日の夜でしたか、久しぶりに足慣らしをするために外に出た時、美しい満月を見ることができました。空の色もご指摘のように深い藍に近い黒でなかなかの眺めでした。最近、夜の空に浮かぶ雲も非常に味わいのあることに気付き、夜の散策も捨てがたくなっております。
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