フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ハインリヒ・ハイネとフランス HENRI HEINE ET LA FRANCE

2006-03-02 23:26:06 | 俳句、詩

LE POINT の文化欄にハインリヒ・ハイネの没後150年を記念して、"Heine, Poète et Prophète" と題する彼へのオマージュが出ていた。「ローレライ」の作者として以外、ほとんど何も知らない存在。実生活には不自由なく、現実離れした夢見る人だと思っていた。しかし、実はこの世と深く絡み合い、最後まで複雑な精神状況の中にいた人であったことを今回初めて知る。

Heinrich Heine; Henri Heine (Fr.) (1797-1856)

彼はユダヤ人であった。したがって、ドイツにおけるユダヤ人という問題を抱えていたことになる。分野は違うが、カール・マルクス、フロイト、アインシュタインなどと同じ運命を担わされる。亡命、そして外国での死。マルクスとフロイトはロンドン、アインシュタインはアメリカで、そしてハイネはデュッセルドルフに生まれ、巴里で亡くなっている。

彼が巴里に移り住んだのが1830年7月革命の余韻が残る1831年5月。当時、いろいろな国が独立するということで自由の雰囲気が世界に溢れていた。フランスでも反動的なシャルル10世からフランス人の王となるルイ・フィリップ1世へ。フランスでは盛り上がっていたのだがドイツではその影響がほとんど感じられなかった。ハイネは検閲などの問題があり、1831年5月1日にハンブルグからフランスに移り住み、Die Allegemeine Zeitung の特派員となった。

しかし1843年、ドイツへの郷愁耐えがたく、13年及ぶ亡命の後、故郷への旅をする。この時の想いを "Deutschland. Ein Wintermärchen" ("Allemagne, un conte d'hiver") という長編の詩にまとめている。旅の初めは巴里との別れ。"L'adieu à Paris" の冒頭は次にように始まる。

Adieu, Paris, ma chère ville,
Aujourd'hui, je dois partir.
Je te laisse en abondance
De joies et de plaisirs.
Le cœur allemand dans ma poitrine
Souffre d'une soudaine maladie.
Le seul médecin qui puisse le guérir
Habite au nord, dans mon pays.

・・・

Adieu, Français, mes joyeux frères,
Adieu, adieu, peuple si gai.
Une nostalgie insensée me pousse,
Mais très bientôt je reviendrai.

彼はドイツに深く捉えられていた。その後亡くなるまでフランスで暮らしたにもかかわらず、一言もフランス語を残していないという。彼の人生がどんなものだったのか、その心の内は?いくつもの疑問が沸き起こる。この複雑な人間に興味が湧く。

まずこの長編の詩から入って、少し調べてみたくなってきた。

コメント
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