昨日の余韻を残しながら。地元のT氏が松島、塩釜まで案内して下さるとのことで、朝10時から出かける。裏松島、大高森の山に登り、松島を一望する。登り急にして、風強し。それから五大堂(国重要文化財)、瑞巌寺(国宝)へ。お寺の参道に入った途端に高く伸びる杉の林が独特の空間を醸し出す(今日の写真)。その林の中を気合を入れて本堂まで歩く。体調の変化は生ぜず。寺を出て南部鉄瓶を見る。昼食はT氏お薦めの塩釜の寿司屋で。地酒をお供に、骨と愛嬌がある親仁のにぎる寿司を味わう。そこを出て近くの小さな市場で「粒うに生造り」と「えびジャン辛」という瓶詰めを仕入れる (いずれも身がしっかりしていて出し惜しみがない、旨い、安い、肴にもってこいの買い物となった)。T氏お抱えの一日、感謝感謝。
東京に着いてからどういう訳か、今日も詩集へ引き寄せられる。息子を若くして失った仏文学者篠沢秀夫が四半世紀後に初めてそのことを詠うことのできた 「彼方からの風」。その巻頭の詩。
「野原を走る」
子供のぼくが
死んだぼくの子供と
半ズボンで 野原を走る
手をつないで 走る
まじめに走る
それは息子だ
同じ背だ
そして生きている娘が
ぼくたちの妹になって
うしろを走る
皆まじめな顔で
草を踏む 草を踏む
風が涼しい 風を切る
ここは軽井沢
死の冷たさ
煙の汽車が ゴボーッと唸る
負けた祖国が
負ける前の
清澄な空気の中で
ゴボーッと呻く
後ろに置いて来たものがある
子供も自分もそして祖国も
流れる風がそれを知っている
ああ またいつ会える
置いて来た子供に 自分に 祖国に
そして、このように始まる 「白い波」 で終わる。
誰そ彼に 波は沖を横へ走る
白い手を振りかざして横へ走る
海が飲み込んだ我が子は
白い波と化して遠く沖を走る
村人よ 浜辺の砂に線香を立てるな
息子はあそこに遠く横に走る
今 帰ったよ 面白かった
そう言って我が子は帰って来るのだ
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