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一九八四年、読了

2010-02-11 | 読書【読了】

ジョージ・オーウェル「一九八四年」(ハヤカワepi文庫)を読了。

時代背景やら何とか主義だとか、私には難しい言葉はさておき、

スラスラと読了しました。

結末は…







予想に反して、







全く救いのないものでした。

ディストピアという言葉がぴったりの小説でした。

ストーリー展開が「ブレードランナー」な香りがしたのは言うまでもありません。


そういえば、1Q84のBOOK3が出るらしいです。

私はど~せ読みませんけど。

むしろ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返したいと

思ってはいるのですが、部屋のどこにあるのか分かりません。









私は忘れない、読了

2010-01-30 | 読書【読了】

有吉佐和子「私は忘れない」(新潮文庫)を読了。

硫黄島の近くの黒島(鹿児島県)での島の生活と辺境教育を扱った小説。

著者の初の新聞小説でもあるそうです。(映画化もされたようです)

実は黒島という場所は前から知っていたのですが、

小説(1960年代)の背景となる島の様子は中々衝撃的です。

現在は、観光によって生活の様子は変わったのでしょうが、

岩がゴツゴツとした断崖に囲まれた島という感じは変わらないのでしょう。

いつか南に浮かぶ島々には行ってみたいという願望はあるのですが、

実行には至らないのです。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(岩波文庫)もおすすめです。






罪と罰、読了

2009-12-06 | 読書【読了】

ドストエフスキー「罪と罰」(光文社古典新訳文庫)を読了しました。

3巻はほぼ一気読みでした。

売れているのか、本屋を何軒か梯子しないと見つからなかったです。






ここから感想です。

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タイトルから予想されるように、二面性を扱ったテーマであることがわります。
人生の不条理を扱っている小説として私が一番に思い浮かぶのは、ヴィクトル・
ユゴーの「レ・ミゼラブル」。時代の閉鎖感(貧困)が非常に似ているので、同時
代なのかなと思って調べてみると、レ・ミゼラブルは1862年、罪と罰が1866年と
ビンゴ。ただ、似ているかというと、そうではない部分ももちろん多々あるのですが、
公約数はいくつかあるのではないかと思います。

全6部からなる話の展開は恐ろしいほどにゆっくりでやきもきする所もあります。
訳者の解説にあるように、メタファーが多過ぎて、素人に読み取ることができる
ことはわずかしかないです。それでも、たくさんの(気狂いな)登場人物の中で、
ソーニャとスヴィドリガイロフの二人が主人公ラスコーリニコフの影となって、
物語は収束していきます。エピローグにおいて、ラスコーリニコフとソーニャの
邂逅が、物語の救いとして読者に与えられるのですが、果たしてこれは本当に
救いなのかと考えさせられます。

ラスコーリニコフの心の揺れは、前半は犯罪者の心理として忠実であり過ぎるの
ですが、中盤以降から、重要人物が作中から少しずつ消えていくにつれて、徐々に
その軽快な語りとともに沈黙していきます。しかし、第6部の最後には、頑な
ラスコーリニコフの心が、ソーニャのはじめから崩壊しているはずの存在(意義)に
なぜか負けてしまう。読者はなぜ負けてしまうのかを分かっているはずなのに、
それがなぜかを忘れてしまう。だからこそ、この小説が何度も読み返される理由
なんだろうと思います。


さて、実はこの小説を読む動機のひとつに、この小説をいつ読むのが一番いいの
だろうかということがあります。今までのイノセントを捨てて、あるがままの世界
の存在を信じると決めたとき、果たしてこの内容をそのままのものとして受け止める
ことができるのでしょうか。人をなぜ殺してはいけないか、ということを論理に
よって打ち砕くにはこうすればいいという作者の意図を越えた部分の境地に、誰も
がすんなりとたどり着くことができるのだろうかという疑問です。言いかえると、
物語の中で【ラフコーリニコフ】が見ようとしなかった【ソーニャ】の中の矛盾した
“良心の側面”の意味するところを理解できるかということです。利己的、自己中、
KYといった言葉が意味するところは、自分では世界の枠組みというか、外枠が全く
見えておらず、“自己”の存在を何よりも誰よりも限りなく大きなものとして、観ている
ことにあると思います。そして、その絶対的なものの見方を相手に強要することで、
相手も自分と同じように見えている、つまり相対的なものの見方を自分はしている
んだと勘違いしていることにあるのではないかと思うのです。人生の主役であり、
物語の主人公であるはずの絶対的な“自己”が、裸の王様に過ぎず、恥を知ること
によりはじめて他者とのコミュニケーションを実行できる程度の哀れな“自分”しか
持ち合わせていないことを忘れてしまっているのです。そういう意味では、この世界
に生きていることに対して、恥を知ったときに読むべき1冊なのかもしれません。

誰からも後ろ指をさされない人生というのは不可能でしょうが、だからといって、
それを理由にすべてを怠っていい、という「いいわけ」にはならない。“気付く”
ことで新たな理解が生まれる。それが、コミュニケーションの本来の目的であり、
電子の羅列によって、理解できるはずのない、心の揺らぎなのではないかと思います。
“自己”と“他人”が違うことを理解した上で、もう一度、世界の姿を見る力が
必要なのではないかと思います。


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今日は久々の長文となってしまいました。

(この駄文がだれかの感想文になる、ってことはないですよね…)

日々、色々と考えることは、尽きないなと思う次第です。







ラン、読了

2009-11-07 | 読書【読了】

森絵都「ラン」(理論社)を読了。

昨年に出た本ですが、何時になっても、図書館で貸し出し中だった一冊で、

ようやく、読むことができました。


内容は「カラフル」と同系列といっていいと思います。

なぜ【ラン】、走るのかについては、ネタバレになるので書けません。

(少々、強引な展開ではあるのですが…)

個々のキャラクターの造詣が印象的でした。

どこか平安寿子「グッドラックららばい」(講談社)を読んでいるような

感じがしました。



今年もあと2ヶ月。

昨年よりは読み終わった本の数は多いのですが、

積み残しの本があり過ぎて、ダメダメです。

ブックリストをもう一度見直して、読書計画を立て直さないといけません。






f植物園の巣穴、読了

2009-10-12 | 読書【読了】

梨木香歩「f植物園の巣穴」(朝日新聞出版)を読了しました。

新刊だったのですが、買わず仕舞い。図書館から借りてきました。

欲しかったのですが、大して話題にもならず、

(1Q84と時期が重なっていたからかもしれませんが)

これだけ時間が経ってしまいました。


感想としては、今この作品をなぜ書きたかったのか、

という着眼点が見えないお話でした。

長さも長編というよりは中篇といった感じです。

川と死などありふれたモチーフですし、

白木蓮、椋の木もどこか借り物のイメージがつきまといます。

この作家に対してもある種の期待度が高過ぎるのかな、と

自分自身の方に少し反省するところがあるかもしれません…。


さて、続いてはドストエフスキー「罪と罰1」(光文社古典新訳文庫)に挑戦。

(でも、岩波新書に逃げるかもしれません。)

(もしくは、他の未読本に逃げるかも)

追い詰めていかないと、名作は読む気が続かないので、

秋の読書をもうちょっと深めていきたいと思います。





追想五断章、読了

2009-10-04 | 読書【読了】

米澤穂信「追想五断章」(集英社)を読了。

何だかんだで買ってしまいました。

本当は買うつもりはなかったのですが…。

(でも、即効で読み終わってしまいました。)


あらすじを知ってから違和感があっただけに、

う~ん、この程度か、というどこか冷めた読後感が残りました。

それは前作「羊たちの~」でも感じたことだったのですが、

作者に対する読者側の期待が高過ぎるからではないでしょうか。

もっと、この作家はおもしろいものが書けるはずなのに…、という期待が。

読者層を大人向けにしたといっても、

登場人物は相変わらず青年ですし。

どこかその壁を突き抜けることのできない制約が

まだ残っているということでしょうか。

誰からのものかは分かりませんが。


そして、古典部シリーズも新シリーズの連載が始まるようです。

前作の(悪く言えば)安易な結末からどう進むのか、

そこが見物です。


読書は岩波新書ばかり読んでいたのですが、

吉本隆明・桶谷秀昭・石牟礼道子「親鸞 不知火よりことづて」(平凡社ライブラリー)を

読みながら、

ついに、ドストエフスキー「罪と罰 1」(光文社古典新訳文庫)に手を出すことに。

心のどこかでロシア文学は20代後半からと思っていたので、

そろそろ解禁してもよいのではないかと、期待を大にしているところです。






そばかすの少年、読了

2009-09-06 | 読書【読了】

DQ9をやりながらも、ジーン・ポーター「そばかすの少年」(光文社古典新訳文庫)を読了。

解説を読んでいてようやく気付いたのが、作者は女性であるということ。

名前がポーターなので男性かと思って読んでいたのですが、

中身はこんな内容を男性が書けるのか、と思っていたので納得。

シートンなどの動物モノの影響を受けていることも納得。

(竹宮恵子により漫画化しているのは知りませんでした。)

結末は悲劇からハッピーエンドになるあたりが、無理あり過ぎですが、

こういう話ならこの救いはあってもいいのかな。


今年出た本の中では、一押しです。

会話のやりとりの中に、厳しさがたくさん隠れていて、元気が出てきます。

著者の別の作品の「リンバロストの乙女」も新訳で出てくれると嬉しいな。

(ロンドンの2作が出たように出る可能性はあるのでしょうか?)

う~ん、こればかりは、わかりません。






六番目の小夜子、読了

2009-04-19 | 読書【読了】

一週間が早過ぎる…。

う~ん、何かやばいなと思う。

(何かは分からないけど)

そんな中、この休みで恩田陸「六番目の小夜子」(新潮社)を読了。

NHKのドラマとは設定が異なるようで、高校の話でした。

ジャンルはホラー小説なのだそうです。

最後、謎は残るので、何だか未消化で気持ちが悪い。


忙しさの中にも大事なのは会話だよ、

と思ってはいるのですが。

う~ん、何だかな。





荒野、読了

2009-03-19 | 読書【読了】

桜庭一樹「荒野」(文芸春秋)を3時間程で読了。

ハードーカヴァーを被ったただのラノベでした。

これといったドラマやストーリーはなく、主人公「荒野」の微妙な成長が描かれている。

(森絵都「永遠の出口」をイメージすればおおよそあっているのでは…。)

この本は、話のテンポと細部を楽しむものなのだろうと思う。

直木賞受賞後第一作という触れ込みは置いといても、

この文体でいいのかな、という気がしないでもない。


ただ今のところ「私の男」、「ファミリーポートレイト」の2冊を読む気は全くしない。





秋期限定栗きんとん事件、読了

2009-03-10 | 読書【読了】

上巻に続き、待ちに待った

米澤穂信「秋期限定栗きんとん事件 下」(創元推理文庫)を

また1時間ちょっとで読了。

(ちなみに、最終ページをフライングしないで読む方がよいですよ)

春期・夏期と2冊の内容を忘れていた人はかならず、読み返したくなると思います。

それぐらい、この「小市民」の描きたかったものが何なのかが、

上巻から下巻の流れの中でよ~やく見えてきます。

小市民シリーズの、「小市民」の意味合いがよく分かった上・下巻でした。

結末もしっかりハッピーエンド。でもそうでもない部分を含みながら、

おそらく最終巻である「冬期~」に続くのでしょう。

前作・前々作を読み返して見ると新しい発見がありそうです。

ミステリー的には、相変わらずよくわかりませんが、

犯人は、たぶんそうだろうなと、思ったとおりだったので、今回は簡単なのかな?