蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

左眼が真っ赤、検査では特に心配なし、そしてまた近所で人が死んだ10月

2013-11-06 09:57:47 | 朽ちゆく草の想い

8月最後の週、9ヶ月振りに自転車を再開、近所をチョコっと走ってて帰ってきたら、左眼が真っ赤だった。しかし、翌日には治まっていた。

9月もチョコチョコ走って、10月からはほぼ毎週100km程度を走っていた。
街にも野にもキンモクセイの香りが漂い、その中を走るのは爽快だった。

そして先々週、台風の週、後半はズッと雨だと思っていたのに、木曜は終日曇りとの予報。
それなら少し走ろうと、学園都市~農業公園前~R175~大久保IC前を通って魚住まで来たら、パラッと降りだした。

台風はまだ遠くにいるらしいが、その影響で雨が降っても文句は言えない。予定では海沿いの自転車道をノンビリ走ることにしていたが、とにかく急いで帰らないと。
R2を必死で漕いだ。明石までは路側帯の狭い箇所も多く、沢山の大型車両にも追い抜かれ、久しぶりのR2はコワかった。少し大げさだが、まさに必死。

幸い“本気”に雨は降らなかったが、また左眼が真っ赤になった。

翌日は雨の中カサさして3ヶ月振りに床屋へ行って、土曜は雨が上がり、午後出かけようとすると、駐車場からマンション建屋をくぐり、表通路に出る手前の垣根の側が、何か異様な雰囲気。
A型バリケードと呼ばれる仮設のフェンスで囲まれたスペースがあって、若い警官が1人、見張っている。そのスペースは濡れていて、ちょうど人、ひとりが横たわれるほどの広さ。

1時間後帰ってくると、とある部屋の前に警官が群がっており、改めて駐車場から眺め直すと、その部屋はあの濡れたスペースの上に位置していた。

つまり、とある部屋のベランダから誰かが飛び降りた、とほぼ全ての人は推理出来る。

翌日曜日、出かけるついでにあの濡れたスペースを観察した。A型バリケードは撤去されて、当然見張りの警官もいなかった。
まだ少し濡れたアスファルトの砂礫の窪みに、赤黒いモノが残っていた。

この“低所得者救済マンション”が完成した時から30年間住んでいて(とは言え、5年程前まではただ寝に帰るだけだったけど)、飛び降り自殺が2件、落下事故が1件あったはずだ。
自殺者は近所の女性で外部階段から駐車場へ飛び降りて、落下者は子供でベランダから1Fの専用庭に誤って落ちて、若い母親は「ワタシ、夫にコロされるぅ」と、泣き叫んでいたそうだ。

入居して直ぐ、自治会だか管理組合だかの集まりに呼び出された。しかし何を自治するのか、何を管理するのか。
修繕積立金とか管理費は入居時に決まっている。修繕計画とか管理内容はこのマンションが計画された時に決まっていたはずだ。
ただ、このマンションの価値を上げる方法を考えンとアカン、と発言していたオヤジがいた。ナゼか不機嫌で不満気なオヤジだった。
このマンションの価値?、少しでも高く売ろうとしたいの?、半分は投機目的なン?、なに考えとンネン、このオッサン。マンションの価値、ウンヌン言いたかったら、三ノ宮以東へ行かンと、但しお金、倍以上いるけど。

安月給なので最長のローンを組んでいたワタクシ、転売など考える余地はない。とにかく年間100万程の返済を維持できるよう働くだけ。
このオッサンには、よく判らない“慾”の様なモノを感じた。そして、多くの同席者はその“慾”に納得した様だった。
しかし、強いて役員や理事になろうとする同席者は、一人もいなかった。
また、ナンヤカンヤ、管理組合に無理な要求をする住人が多く、管理人が続かないマンションと言う事で有名だったそうだ。“低所得者救済マンション”なのに、無理を言ってはいけません。

そして、30年で4人の死者。そう言えば昨年も、別棟だけど寝タバコで焼け死んだ痴呆老人がいた。まぁどうでもエエけど。

ワタクシの左眼は週が明けても赤いままだった。4日経っても治まらない。眼の奥が痛くなったことが何度かあったが、モノが見える、見えないの変化はなかった。しかし気味悪い。

仕方なく、歩いて10分程の、娘の同級生のお母さんがやっている眼医者に行くことにした。10年振りだった。

午前の受付が終わる30分前だったせいか、待合室にいる患者は数人だった。
視力、眼圧、眼底の検査をして、目ん玉を詳しく診てもらって、結果は角膜の内出血、原因は加齢で目ん玉表面の粘膜の張りが無くなって、ヨレヨレになり、それがマバタキ等で角膜を擦った、と言うことだった。視力は矯正すれば1.0は視えるので問題なし。
自転車に乗っていて、つまりサドルより低い位置のハンドルを握って、首を反らした姿勢で数時間運動していた影響については不明、と言うか、そんな非日常的な姿勢をご理解頂けなかった様だ。

ただ、そんな非日常的な姿勢により“圧”が上がって“奥”が出血しているかも知れないので、それを検査すべき、しかし、検査機が故障中、昼から修理するので午後の診察になるとの事。ナンカよく判りませんが、色々事情がややこしい。
いずれにせよ、午後の診察とは16時以降、ワタクシに取ってはそろそろ呑み始める時間。
「明日にします」
「薬で瞳孔を開いて検査しますので、終わっても瞳孔、しばらく開いたままで、ボヤけて見えるので、明日は車の運転とか出来ませんヨ」と、最後に看護婦サンから念を押された。

帰って来たらエレベーターで近所の奥さんと遭遇。
「また誰か飛び降りたンですか」
「あそこの部屋の人らしいです」、この奥さんには“井戸端”連絡網で、情報は常に入っている。
「男の人らしいですよ、管理人サンの話では、ナンカおとなしい感じの人やったそうです」
「しかし、よう人の死ぬマンションですねぇ」
「 ・ ・ ・ ・ ・ 」、あまり触れたくない話題、ワタクシ、余計なコト、言いました。

翌朝、9時半過ぎに行くと待合室は満員、10人以上のお年寄り、1人が呼ばれ診察室へ入ったので座ることが出来た。
他にも同じ様な検査を受けようとしているジイサンがいる様だ。瞳孔の開き具合を看護婦サンが確認していた。そして、ワタクシにも眼薬を注した。
30分程で周りがボヤけてきて、診察室へ呼ばれ、眼底写真、網膜の断面写真を撮られた。

結果は“奥”で出血はなし。
眼底写真では高血圧の状態も判るそうだが、特に高い様にも見えないとの事。
ただ白い濁りがあり、断面写真の位置をずらして撮ると、それはどうも以前のキズが治った後だそうだ。
結局、加齢でヨレヨレになった粘膜で擦られた角膜の内出血のみ。しかし、真っ赤な眼を治す薬はないそうで、時間を掛けて散らすしかないらしい。要は放ったらかしでいい訳だ。

「眼の奥が痛かったコトあったンですが」
「それは出血痛、出血するときの痛みです」
「要するに、フツーに見えとったら、問題ないちゅうコトですか」
「まぁそう言う事ですね、でも何か気になったら直ぐ検査に来て下さい」

それから1週間たったが、左眼まだ真っ赤なままだ。去年の10月、自転車のパンク修理でぶつけた左親指の爪は、完治したのが3月だった。これは内出血が散ったと言うワケではなかったが、今回の内出血が完治するのは何ヶ月後なんだろうか。