おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

なんやかや。

2005-07-15 18:00:00 | 我思う、故に書くなりよ。
放浪中の身でもあるので、ご無沙汰気味のブログではあるが、その間にもちょろちょろと書き溜めたものがあるのであげて置く。

★メガネが欲しい…。

顔、デカイんだよ、おじたん。は。でまぁ、目も悪いので、メガネは必需品であり、シャワー浴びても外さないと言うか、外せない。外すと怖いのである。見えなくて。

メガネを選ぶ基準に、耐久性と視界の広さって物が最低条件でもあるのだが、これだと流行とかムーブメントからは全く外れてしまうので、自分で見てもいい加減ダサい。まぁ、可能な限り大きなフレームを選んだりするのは病院勤務時代に感染症を恐れた予防的な意味合いもあるんだけれど、普通の人が掛けたりすると、えらく大きいので顔のデカ差がイヤにもなるのである。実用本位だから仕方ないと言えば仕方ないんだけど。レンズ面が大きい事で視界も良くなるんだけどねぇ。

何年かおきに、度が合わなくなるので作り変えるんだけれど、左目が既製品のレンズじゃ合わない特殊な目玉なので、高くついてしまう。おまけに、フレームも流行とかムーブメントに沿ったモノでは気に入らない場合が多いので、何となくメタルのオーソドックスな形に納まってしまうのだが、それでいて満足しているワケじゃない所が「あーもう!」なのである。

メタルじゃないフレームも多々選んでは来たのだが、あれは眉間の所で真っ二つになるアクシデントが多く、そうなるとスペアが用意されていないと生活が出来なくなってしまう。でまぁ、そのスペアがメタルだったワケで、度も合わないし、いい加減飽きたのだ。

「メガネは顔の一部です…」

そんなCMが流行った当時はメガネがうっとおしくて、そんな事たぁねえーぞ…と思っていたのだが、今じゃまさしくそれ。寝ていても掛けていたいほどに無くてはならないモノなのである。

「んじゃあコンタクトにすれば?」

これはかなり魅力なのだ。好きなサングラスが幾らでも選べる事は、常々まぶしい事に悩まされている身としてはすげえありがたい。今の技術ならば、私の目でも合うコンタクトが作れると言う。慣れてしまえば苦も無いと言われるのだが、メガネを掛けていない自分がちょっと不満でもある。

結局、どーするのか決め兼ねているままなのだが、眼鏡屋さんをしばらく覗いてもいない事に気がついた。ちょっと物色しないといけないな…。どんなのが欲しい…って漠然とした物も決まっていないのだけれど、とりあえずメガネは新調したいなぁ…。

★パンツを買う…。

バリバリの右翼なので、普段好んで着ているファッションはミリタリーな私である…。

ま、これは冗談でも、冗談とも付かない怪しさはあるのであるが、本当は着心地が良いからである。所持品としてはアウターが多かったのだが、必要な所に必要なだけあるポケットとか、動きやすさ、機能性とかを含めて着心地が良いものが多いからである。放出品とかであっても、中古ってのはちょっと抵抗があるので、なるべく新品を探して買うのだけれど、同じ機能やデザインと考えると、他のブランドよりもかなり安い場合が多いのもウレシイ。

一般的に「野戦服」と言われる上下のウェアは「BDU」とも言い、本物か、本物に近いレプリカだと、かなり快適に過ごせたりする。これは素材から考えられているし、デザインもダサいが実用に適ったモノであるからという事が大きいのだろう。レプリカならばサバゲーのアイテムとして安く買えたりするし、冬はちょっとだけれど、3シーズンは気兼ねなく着ていられるし、ヤワな物でもない。元々が「クールビズ」の発想で研究開発された衣料なのだから、単なる野良着じゃなかったりする。

そんなワケで、OD(オリーブドラブ)な「緑おじさんファッション」が着心地良くて、ここ数年愛用していたのだが、パンツが擦り切れてお尻が丸出しになってしまった。これはちょっと悲しい。先日買った高機能クールビズ対応Tシャツと組合わせれば、かなりジメジメのムシムシであっても快適な事この上ない物なのだが、お尻丸出しは誠に遺憾である。

で、新たにパンツだけ探したのだが、サイズが無い。米軍の放出品ならば日本人のサイズよりも遥かに大きめだったりするのが普通なのだが、流通している物の殆どが日本人のMサイズ。私の場合はLかXLじゃなければ入らないのだから、幾ら安く売られていても意味は無いのである。

で、やっと探し出した、価格と折り合いの付くパンツが「6ポケットカーゴパンツ」。今まで履いていたパンツとデザインは一緒だが、柄が付いたし、生地がちょっと普通。本当ならリップストップと言う裂けても裂け広がらない工夫のされた生地で作られたパンツが欲しかったのだが、サイズから探すと無かったのである。そうであったとしても、擦り減って「お尻丸出し」なのだから、関係無いと言う実例の元に選ばれたワケだし。

届いたのはホンジュラス製なんだけれど、縫製が細かい所までしっかりしているので、これはちょっとウレシイ。中韓製のダサダサな作りに「そんなもんだろう…」って諦めムード全開な場合が多かったりするのがレプリカの宿命だったりもするんだけれど、ホンジュラスやるじゃねぇか! ってくらいに「良い仕事」しております。レプリカであっても、規格を厳密に守って作られている場合はしっかりしているんだよねぇ…。これはちょっと予想外にウレシイ。

ちょっと柄付きになったので「下だけ迷彩緑おじさん」になってしまうが、お尻丸出しよりはいーか…。上下これの、坊主頭で目つき悪く街中を歩くとなると、自分で想像してみても「ヤバイ…」。BDUならば上下セットも珍しくないけれど、今回はパンツだけの購入。

注文した後で、ホームセンターで作業ズボンでも買っておけば良かったんじゃないかと気が付いたが、形は同じでも素材が違ってたりすると、この快適さは履き馴染んだとしても同じにはならないだろうと思う。幾度か洗って糊が落ち、ヨレヨレっぽくなった頃の感じはたまらない物があるのが、野戦服ならではなのだ。汚れてもジャブジャブ洗えるし、何か特別な配慮をして洗う必要も無い。不快指数を下げるために乾燥も早く済む様な素材だし。

こうした感じも含めて民生用として「作業ズボン」にしてくれればいいのに、妙なアレンジが加えられたりして、形ばかり真似した感じがぬぐえないでいるのは、ちょいと悲しい物がある。

ファッションとしてのミリタリー、迷彩、カモフラージュ…って物も、ちゃんと選ぶとかなり実用に適ったものであると、もっと評価していいと思うんだけど、思想がどーだの、軍国主義がどーだのってのが絡んでつまらない評価なんだよねぇ…。まぁ、別に素材や作りが同じなら柄はどーでも構わないんだけど、ストリート系…ってくくってしまうには惜しい程のアイテムになれるハズだと思うんだけどなぁ…。

★日本でのテロを考える…。

イギリスが大騒ぎだったんだけど、日本も他人事じゃ済まされないだろうと思う。

でも、増えたとは言え、まだまだ外人さんは目立つ存在でもあるし、違和感をそこに覚える世代も多いワケだし、自爆出来るほどの爆薬を揃えるのも難儀だとすれば、ちょいとテロを起こすのも難しい。ロンドンだからこの時期に出来たって条件が重なったからだとも思うが、日本でテロを起こすとしたら、どーすんのか?

そんな「危ない考えはしなくてよろしい…」って考えが多数なら間違いなく似た様なテロはこの国でも起きる。考え付くだけ考えておいた方が、防ぐ力は大きくもなるのである。まぁ、普通に生活している我々は残念ながら巻き添えにはされても、それを回避するなんて事は無理だとも思うけど、もしかしたら普段より多くを目で見て行く事で避けられるかもしれない。

んじゃテロだが、大きな被害を与えなくても、小規模でも同時多発なら目的は達成出来るんじゃないかと思う。死傷者が出なくても、その心理的な効果は絶大な物になるだろうし、爆竹よりも少々演出過多であれば、簡単にパニックは起きるんじゃないだろうか。そうした環境の整った空間がどんどん増えているのが首都でもあるし、主要地方都市でもあったりする。超高層ビルのワンフロアでドカンドカン連鎖爆発が始まってみた事を考えたら、それがガラス1枚割れなくても煙の充満だけで心理的な効果は絶大になる。下か上かどちらかにしか逃げられないし、911で見た映像の記憶は下に逃げる以外に助かる術は無い事を示した。

まぁ、日本じゃビルが倒壊するほどのテロは難しいのが現実だけれど、恐怖心はあまり変わらないと思う。

生物や化学物質によるテロも容易い様に見えるが、地下鉄サリン事件で人の目は意外に敏感になった事もある。その後の生活の中で、あの恐怖を忘れてしまったとすると、その目は鈍るかも知れないが、さすがにあれだけの被害を出しているケースだから、同様な手口は難しいだろう。

何気ない安全を突くとしたら…。

送電線や変電所の一斉破壊とか、水道水への毒物混入とか、毒ガスを噴霧しながらトラックで走り回るとか…やられそうでもある。ま、考え出せばキリは無いのだけれど、普段は普通に眺めて済んでしまう所、重要なんだけど関心の行かない所を狙われていると考えた方がまだいいのかもしれない。

この時期で言えば、花火大会とかね。特大尺玉3000発乱れ射ちに乗じてやられたら「キレイだ…」なんて口あけて夜空を眺めてるワケだから、被害甚大、阿鼻叫喚も容易い。ま、これはかなり不穏当な発言ではあるけれど、誰かしらの目がそこに注がれる事が大切なんだと、考えても悪くないと思う。

★DVDドライブ増設。

HDDがいっぱいになっちゃって、捨てるには惜しいデータなんだけど、CDRじゃ収まらない…。
んで、DVDドライブを増設する事にしたのだが、なんだってこんなにメディアの種類が増えてるかなぁ…。

一応、RAM以外のメディアは対応できるドライブを選んだのだけれど、ちょっと離れている間にプラスだのマイナスだの2層だの増えていやがる。何したらこんな事になるのか見当も付かないのだけれど、これをすんなり理解出来てる人がうらやましいぞ…。

まぁ、ドライブだけ買うのが精一杯な生活なので、メディアはおまけでもらった1枚の-RWだけなんだが、実のところ、何を買って良いんだかサッパリなワケ…。容量的には2層の8GBくらい焼けそうなのを選ばないと、当面の目的は達成できないみたいなんだけど、ドライブとの相性ってもんがこの複雑さに加わる事を考えると、引くなぁ…。萎えるなぁ…。

世の中の人はこれ、判ってんのかな? オヤジ的にはベータかVHSかって位にシンプルにしてくれねーとサッパリだぞ…。義弟が新調したデスクトップにもドライブ付いてたけど、あれは判ってねーだろーしなー。扱えるメディアが豊富になったって事は確実に便利になった方向性は感じられるが、利便性とか実際はどーなんだろうか? ブルーレイだのなんだのって言う以前に「玉砕気味…」な感じがユーザーに漂うのもいかがなものか…。複雑化することで便利になる方向性ってのは、先行きどうなんだろうねぇ? 玉砕気味で万歳クリフなのはオレだけなんだろーか? 整理してシンプルに考えればそんな事も無いのかな…。

★百聞は…

トロツキーだか言うおっさんが昔ソビエトにいたんだが、スターリンだかフルシチョフだかの顔が気に入らなかったのか、メキシコに亡命したとさ。で、メキシコで消されちゃったんで世間は大騒ぎになったんだけど、その時の凶器の「アイスピック」がこのほど見つかったとか言うニュース。

「アイスピック」って言うからバーテンやスナックのママとかが氷をザクザクしながら細かくする細く尖ったものだとばかり思っていたんだが、写真を見たら全然違ってんだ、これが。

「これは登山に使う何て言うんだか…確かピッケルとか言うんじゃないの?」

まぁ、そんな感じの物だったワケで、世界的にはこれは「アイスピック」と言うのか、どうなんだか? って疑問が渦巻いちゃってるワケだよ。

私の想像にある「アイスピック」でトロツキーなるおっさんを襲撃すると言う暗殺的葬り方はなかなか理に適った物なんだが、写真で見る「アイスピック」で襲撃するとなると、かなり豪快な葬り方となり、あんまりだぜベイビーでハラショーにニエットな事になるのである。

まぁ、どっちにしてもおっさんは頭をやられて殺られちゃったワケなんだけれど、記事だけ読んで想像してると実際とは豪快に違ってたりするのも、今の時代どうなのよ? って事。

ネットで見るニュースなどでは、見出しだけで取捨択一なんて場合も多いんだけど、ワケのわからない見出しが目に付くのもなんだかよぉ…。ウケ狙いならまだいいんだけど、そうでない場合にも目にするので、ひどい場合はどっちが加害者で被害者なのかなんだか判らない物もあったりする。

まぁ、情報の送り手もおじたん。とあまり変わらない世代がやってんだろうから、自分を省みれば何となく判るんだけど、信頼性を損なっては報道とは言えないんじゃなかろーか。

★アスベスト・パラダイス

父の肺がんもこれじゃねーかと思ってはいるんだが、今更確かめる術は無い。

建築関係者にはありふれた製品に数多く使われていたので、疑うだけの余地はあるんだけれど、こうなると判って使っていたワケでも何でも無いからこそ、今後の成り行きが心配されるんだよねぇ…。

吸い込んで直ぐに病気になるワケでもないし、どーしたものなんだか困ったものなんだが、それよりも困ったのが「国の対応」である。一応は「早急に調査して…」とか「かなり踏み込んだ対応で…」とか大臣や官僚が言ってたりするが、裏を返せば「とっとと死んでくれ…」と言う意味と同じ位に何も現実的な対応を取らないのが常態化している。

国なんてそんなもんだし、役所なんてそんなもんさ…ってのに慣れちゃってる社会が完成しているんだと思うのだが、徹底的に弱者救済を目指す国家的主導者が現れないのも仕組みの1つだからなのではないだろうか。

「うちの党が政権政党になったら、無駄な税金は全てこっちに回す勢いで対処するぜ!」

ってのが出て来てもおかしくないのだけど、60年程度の社会じゃまだ無理なのかなぁ。こういう災害にも似た国民の損失には、政党だの政権だのの関係ない所でバッチリ解決してくれないと困る問題だと誰も考えないのかねぇ…。大臣や官僚が変わる度にどこまで、どれだけって肝心な部分までが変わってしまうんじゃ困るんだよなぁ。

ちょっと前も、TVで日本じゃ手術が出来ない病気の方のための募金を募っていたが、先進国として情けなくないか? 自国民を自国の医療で命が救えないんだぜ? そうした技術の無い後進国なら話も判るけど、日本だぞ、ここ。郵便局の改革もいいけど、国民の命を救い易くする改革の方が先じゃねーのかな? 自腹で1億用意しないと助からないなんて、死ねってのと同じだろーが。そうした不幸にして弱者となってしまった人を助けるのがお上の役目なんじゃないのかね?

と言う壮大な疑問は昔からあるワケで、改めて言った所で変わらないんだろう。後、何年したら変わるかなぁ…。小学生でも、ちょっと考えれば「おかしい…」と判る、命に関わる問題をほったらかしにする社会を、政府や役人が作っているとしたら、いつの日かしっぺ返しが訪れるんだろうな。そう言った自浄作用が長らく起きないでいるのも、社会としては問題なのかもしれない。

まぁ、少数の国民の命を救うよりも、無駄な高速道路を1本でも多く作った方が金儲け出来ると考えてるんだから、ダメだろーけどな…。

★託された意味。

父は私が生まれた40年前には既に1眼レフカメラを使っていた。キャノン製のキャノフレックスRMと言うカメラだったが、趣味で使おうとしたのか、新婚生活の必需品と考えたのかは知らない。ところが、あまりこのカメラを使っている父を見た覚えが無い。当時の5万円が今のどれだけの価値なのか判らないけれど、コンパクト・カメラが普及する前の話だから、贅沢品のひとつには違いないのだが、私が生まれて、それどころじゃ無くなったのかも知れない。

私が小学生の頃になって、カメラに興味を持ち出すと、あまり使われなくなったカメラではあっても触ってみたくなる。だが、あまり触らせてはくれず、滅多に使われない事から、カビに侵されてしまう。それでも大事にしまわれて、陽の目を見る事は少なかった。ようやく許しを得て持ち出せるようになったのは小学校の修学旅行の時だった。

一応、露出計らしいものは付いていたのだけれど、どうやって使うかも判らず、父も忘れてしまったみたいだったので、その場の明るさを読んで露出を決めるなんて事を小学生ながらにやっていた。ほとんどが「カン」だけれど、なかなか上手く撮れていた。当時は110カメラ全盛期だったワケで、友達のほとんどは労せずにキレイな写真が撮れるなか、重いカメラをいじっている楽しさのアドバンテージだけが誇りでもあったのだな。

今にして考えると、大量のアサヒカメラが家にあったので、やはり趣味として続けたかったのだと思うが、コンパクト機のちょいと良いカメラを父は使い出すと、往年の名機も「ジャンク」になってしまう。カビはそれだけでなく、腐食ももたらすのでね。私が写真学校に通っている間にメーカーに持ち込んで点検をしてもらった覚えがあるが、その時点で再起不能と判定され、オブジェにしかならなくなっていた。

で、私が高校に入学すると、自分のカメラを買ってもらう事になり、父にならってキャノンを選んだ。当時、カメラロボットと呼ばれたA-1である。これは写真学校に進んでからも使っていたのだけれど、先行きニコンにする必要が出て来たので友人に売却する事になった。あれはあれでなかなか良かったのだけれど、電子頭脳の塊みたいなカメラはその電子頭脳をフルに使って撮る場合には高性能なんだけれど、手動一筋の道を歩むには使い勝手が違ってくるワケで、あのまんまデジカメにしたら今でもまんざらでは無いと思う。

その先代にあたる「AE-1」が、今、目の前にある。シャッター優先AEと言う画期的な機能で世界的に大ヒットした名機。「連写一眼」のキャッチコピーは覚えている人も多いかな。後にプログラムAEの付いたモデルも出るが、目の前にあるのは付いていない。

しかも、大変にキレイな状態で、使用感はあるものの、使い込んだ…と言う痕は無く、機能も問題ない。

父が入院先の病室で、同じ病気を患う人から頂いたモノだと言う。入院中でもあるし、対価を差し上げる事が出来ない事を申し出ると…

「じゃあここに捨てるから拾ってくれ…」

とさえ言われたそうである。奇特な人がいるもんだと、思ったのだけれど、父も病室じゃ使う事もないし、旧式の1眼レフを使う事もままならない体となってしまっているので、私の手元にやってきたのである。

父にしてみれば、通販で買ったオートフォーカス1眼レフなんかひっそりと持ってたりするので、今更要らないんだろうけれど、そこまでして父に貰って欲しかったカメラだと思うと、無下にほったらかすのも気の毒な感じがする。捨ててくれてやるほど、程度の悪いものじゃないし、定期的に補修を受けていなければ、劣化の末にボロボロとなる部分もキレイなまま。真意は判らないが、いつとは判らないが、命を限られてしまった身である元の持ち主はまだ余力のある父にこれを託したのだと思うんである。

父は父で、これからゆっくりと、趣味の世界に浸ろうと考えていたんだろうと思う。でなければ、デジカメじゃ無いにしろ、1眼レフなんか買う必要も無い。趣味らしい趣味も無いままだった父が、やっと自分の時間を得たと思う矢先の癌の宣告。交換レンズも揃えて新調したのが、今となっては痛く悲しい。体を蝕む癌のスピードに、今はそれどころじゃ無いと思うが、好きな写真を撮らせてあげたいと思う。残念ながら、託されたカメラは父が扱うには難し過ぎるので、私が使う事で託された役目を務め様と思う。それが何であるのか定かじゃ無いけれど、オークションに出したり、眺めて楽しむって意味じゃ無い事だけは判っているつもりである。

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ああっ終わってた…。(まんが、アニメ、コミックを想う…)

2005-07-15 00:42:34 | 我思う、故に書くなりよ。
なにげに木曜日なのでビデオをセットして気がついたが、何となく見始めて欠かさず見ていたアニメが先週で終わってた…。

「ああっ女神さまっ」って古くからあるアニメと言うか、コミックなんだけれど、そう言うコミックがある事は知っていたのだけれど、見るとか読むとかって行動が起きないままずーっと時間が流れ、この歳になって初めてアニメで見ていた。その前にやってた「ジパング」の流れで見続けていたという話もあるのだが、妙にのんびりとした内容で、まぁ出て来る「女神さま」がのんびりしているものだから、のほほんとして面白かったんである。

深夜のアニメなので、エロだのグロだの…って物が割りと多い中、そう言う心配の要らない内容だったのでもう少し続いて欲しい気持ちも正直あるのだけれど、コミックはまだ連載が続いているワケで、長々と作ってもいずれ追いついてしまったりすると何かと差し障りがあったりするんだろう。

ここのところ、特別編成とかで放送時間が変わったり、休止になったりしていたので、最終回を見逃してしまったかと残念がったりしていたのだが、ビデオに録っていたので、1週間遅れで見たワケです。

これがまた絵に描いたようなハッピーエンドなんだけれど、本当に絵に描いた…エンディングがほのぼのと言うか、のほほん…とした雰囲気を出していて、視聴率何%か知らないけれど、ちゃんと作ってあるのがまたニクイんだなぁ…。まぁ、DVDで販売って兼ね合いもあるんだろうけれど、作り手が作品に対する愛着とか、そんな感じのモノがしっかりと見て判るのはウレシイく思うし、また面白く思う。

放浪中に、夫婦揃ってアニメおたくって家庭にお邪魔した。関連グッズで溢れた生活の場を想像していたのだが、そう言ったモノは見当たらず、怪しいといえば5台のHDDレコーダーくらいしか見当たらない。だが、DVDやらVHSやらを含めたメディアのストックは膨大な量であり、きちんと収納されていて、ほとんどが未開封だったりする。見るのが追いつかないらしい。

そんな夫婦の会話はやっぱりアニメばかりなのだが、聞いていて特に苦にならない。今でこそ当たり前だけれど、古いアニメであっても「作品」として捉えて話しているからである。それは、映画のそれとなんら変わりないものであって、極端な嗜好性の強い会話でも無く聞こえる。

ここで、おじたん。は戸惑うのである。自分の中でアニメとかコミックが映画と同等の評価を得られたのはさほど昔の事ではない。幼少の頃に見ていたアニメはどう比較しても映画と対等な関係には成れないモノであって、同じ位置づけにする事に戸惑いがあったのは事実。

「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」と言ったストーリー性の強い作品も劇場版映画となって、劇場で見たワケだし、コミックも読み漁ったワケだけれど「まんが映画」の域を自分の中で越えていなかった。それが少しづつ変わるキッカケとなったのは「AKIRA」や「オネアミスの翼」だったと思う。原作が劇画とか小説ならば、まんがとはちょっと違うんじゃなかろうか…って曖昧な感じの線引きが何となく出来ていたんだろう。目に留まって、ツボに入れば「お気に入り」って事なんだけど、「まんがじゃん…」で見過ごしていた「作品」も実に多い事に気がついた。「まんが」に始まる表現を「ごみ…」と捉える世代と「作品」として捉える世代の過渡期の人間なんだろうなぁ…。

そんな話を夫婦にすると「うる星やつら ビューティフルドリーマー」と言う劇場版を見せられた。
そういうコミックとアニメが長く続いていた事も知っているが、ツボにはまらなかったので全く見ていない。簡単な説明をしてもらって見てみたのだけれど、そこに描かれるパラドックスが痛く気に入った。

「おじたん。の好きな攻殻機動隊の押井さんの作品なんですよ。」

奥さんに教えられて、何となくイノセンスと通じる所があると判る。だが、この作品は原作とは掛け離れた所にあるために、賛否分かれる作品だとも教えてもらった。原作がどうなのか見てないし読んでもいないのでどう違うのか判らないのだけれど、ドタバタしてれば同じってワケでは無いらしい。

うむぅ…。そんなこんなを聞いているうちに、見過ごしたアニメがひどく惜しく思えて、かなり悔しい所に自分がいたりする。だけれど、受け入れられないアニメも自分の中では実に多い事も事実。

「手塚治虫と宮崎アニメとディズニーが全くだめなんですよ…」

おそるおそる白状する。あの絵が全く駄目で、鉄腕アトムやらナウシカやら、ツボにはまらない事を打ち明けた。片や「伝説」とも「伝統」でもあり、片や「旬」でも「頂点」でもある。

「あ、それは誰にでもありますから、いいんじゃないでしょうか。例えば、原作とアニメじゃ画が違ったりするんですけど、そう言うの駄目な人も多いですし…。」

手塚治虫に限って言えば、昔、同級生のお父さんが持っていた「全集」みたいなモノに載っていた短編なんかは結構気に入っていて、大人向けの作品ではあったけれど気に入った作品が多く、よく覚えている。だけれど、アトムやジャングル大帝なんかはツボにはまらない。宮崎アニメで言えば、もう全てが駄目。ディズニーも同じだし、TDLで黒鼠とケンカした思いも重なる。何度かトライしては見たのだが、世間の評価とは全く一致出来ないんである。例えるのもおかしいが「タイタニック」見て全く感動しない人なのである。自分の中では「駄作」の烙印がバッチリなのだ。

「少女コミックとかアニメは駄目ですか?」

内容からすると、とても少女コミックとは思えないのだが、青池保子の「エロイカより…」にはハマった。少女コミックでNATOだのレオパルドA1だのG3だのバンバン出て来るし、その描写も緻密でなかなか正確だったワケで、あの世界だけは「冷戦」が続いて欲しいモノだと思っているくらいに好きな作品である。それ以外には見てもいない。

「えっ? コミックだけ買って読み始めたんですか?」

週刊誌だか月刊誌だか知らないが、少女まんが誌に連載されている事は知っていたが、自分がどうしてそれを最初から読み始めたか全く記憶に無い。当初はとんでもなく耽美な泥棒と学生だかの話で始まるのだが、回を重ねるうちに、NATOの情報将校と泥棒の話に置き換わるんである。途中、部下の話に置き換わったりもするが、そこまで読んでいたのはどーしてなのか? 今でこそ当たり前に近いとは思うが、当時の男子高校生が書店でその手の書籍を買う勇気といったら、イヤラシ本の自販機の前で数十分悩む事よりも恥ずかしさは大きかったのである。毎週なのか毎月なのか、開き直りなのか、絶対心なのか、無意識のうちに書店で買い求めていた奇行でもあったのだろうか…。

てなワケで、少女コミックが全く駄目ってワケでもない。意外にも「きんぎょ注意報!」なんかはアニメで見入っていた。が、その世界で名作と言われる「エースを狙え!」とか「ガラスの仮面」とか「ベルサイユの薔薇」だとかは触手が全く動かない。

多くのアニメやコミックを見過ごした悔しさとか、惜しさと、相当な偏食ぶりとが入り混じって何とも不完全燃焼な放浪だったワケだけれど、新たな価値観を頂けたと思っている。そうした点においても「女神さまっ」はもうちょっと見続けたかったなぁ…と思うのである。一度は「写真」と言う映像表現を学んだ身でもあるワケだが、なんだか「まんが」から始まった表現を理解していない自分がまだまだいる事が悔しい。

悔しいのだけれど、どうしても受け入れられないモノがある…と言うジレンマ。漫然と受け入れて、作品として消化していけるだけの度量の無さ。木を見て森を見ず…。うむぅ…。

「酢豚にパイナップル入れんなっ!」

って感じがぴったりなんだなぁ。「どーして入れちゃってるのよっ?!」って感じで不快感たっぷりなまま、忘却の彼方のまんが、コミック、アニメを想い、新しく始まる「苺ましまろ」をどうするんだか悩むのである…。この奥の深さを堪能せずに世を去っても良いものかどうか…。マグロの握りは好きでも、山掛けに入っている筋たっぷりのブツ切りは食えねーぞ、オラッ! って態度で接して良い物かどうなのか? 

他に考えなくちゃイケナイ事は山ほどあってもだな、とりあえず悩むのであるのだな…。

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