おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

見られたもの、見られなかったもの。

2005-07-30 20:44:58 | 我思う、故に書くなりよ。
夜中に不審なガサゴソ音…。

あまりに近いので飛び起きると、子供の手を広げたぐらいの大きさのクモが…。
ハエ叩きも、シューーも手元に無いので、エアガンで始末しちゃった…。途中、装弾不良で慌てふためいたりしたが、手入れはちゃんとしておかないとダメだなぁ…。

でまぁ、翌朝、四散したクモを片付けないと色々と支障も出るので、掃除機でンゴォ~っとしてたら、珍しいお客さんがレースのカーテン越しにいた。

とかく、自然の豊富なまま開発の進まない所に住んでいると、こうした来客も珍しくは無いと思うのだが、あにはからんや、このお客さんは生まれて初めてこの地で見る者。かつて、東京の麻布台に住んでいた時には珍しくも無いほどに来客としてお目に掛かったものだが、幼少の頃から変わらぬ自然に恵まれたこの地ではなかなかお目に掛かれていなかったのである。

先日は千葉へ行くのに早起きして出発を待っていたら、ひらひら…っと何やら飛んでいる。新聞配達の兄ちゃんが不思議そうに私を見ていたが、私が不思議だったのは「ひらひら…」の主の方で、紛れも無い「こうもり」。

これだって、いておかしくないこの地でありながら、ここで見たのは生まれて初めてである。

その代わりに、全く見なくなった者もいる…。

今年はカエルの合唱が聞こえない。昨年はほどほどに聞こえて来てはいたのだが、今年は皆無。この時期になれば、うるさいほどの合唱が当たり前だったのに。

また、この時期の雑木林は宝の宝庫でもあった。ちょいと早起きするなり、夜更かしするなりして雑木林に入れば、カブトムシやらクワガタは虫かごいっぱいにゲット出来た。

まぁ、これらは雑木林を壊してモータープールなんぞが出来た頃からパッタリといなくなってしまったので、急に…ってワケでは無いけれど、寂しいものである。

かつては、夜の網戸にホタルが飛んで来て、幻想的な光を見せてくれたりもしたのだけれど、小さなドブ川でさえコンクリートで護岸されてから消えてしまった。

挙句の果てには、その小さな川でさえ、ダイオキシンで汚染されたと、ワイドショーが取材に来てしまう程になってしまってからは、アメリカザリガニすら姿を消してしまう。

田畑や雑木林を壊して、産廃の最終処分場やモータープールを作ったからといって近所が格段に便利になったという事は無い。人の便利さすらなっていない上に、貴重な自然がボロボロなんである…。見た目だけではなく、そこに住んでいた「住民」をも消えてしまった。

なにもかも失われてしまうんじゃないか…って恐れはあったのだけれど、だからと言ってどうする事も出来ない事が、致し方ない事だと、何もしてこれなかった、何もしなかったのはやはり間違いだったのかも知れない。

そう考えると、新しいお客さんの来訪も僅かな救いなのかも知れないなぁ。
どうせヒマなんだから、何が出来るか考えてみようかな…。

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うなぎのやじちゃん。

2005-07-30 02:28:11 | 我思う、故に書くなりよ。
誰でも一度は漫画家を目指すのが、小学生の頃の流行でもあった。

土用の丑の日の1日前に、うなぎの蒲焼重を食べた。なんで1日前なのか知らないが、翌日はうなぎに群がる庶民の姿がテレビで流れており、かつて味わった老舗の様子を懐かしく見た。勤務先から程近く、かつて担当していた地域でもあったので、老舗がそこにある事も知っていたし、何度かご馳走になった事はあったが、自腹で食べた事は無かった。

と、同時に、小学生の頃に見た、友人の描いたマンガを思い出した。

「うなぎのやじちゃん」

どんな話だったか、どんなキャラクターだったか、さっぱり覚えてはいないのだけれど、タイトルだけは記憶に残っていた。描いた友人は、秀才と呼ぶのが適当だろう。そんな人だった。絶えずバカらしい事を繰り広げながら、勉強はあっさりと出来るし、百科事典が丸ごと頭に入っていそうな人だった。

今はどうしているのか、これもさっぱり判らない。まさか、マンガを描いているとは思えないのだけれど、秀才はそのままだと思う。

天才みたいなヤツもいたっけ。

小学生で万葉集を訳無しで読んでいたので、よほどのヤツだったんだけれど、今どーしているんだかなぁ。財務省で官僚でもやってんじゃないだろうか。脳味噌の出来の違いがあからさまに見せ付けられた6年生の夏…。

さて、うなぎは美味しく食べた。どこのだか知らないけれど、しっかりと焼かれており、タレも出来合いのものとちょいと違う。

老舗で食べた蒲焼が思い返される…。

江戸時代の庶民の食生活なら、まんざらでもないけれど、今の世の中、うなぎを食べたくらいで体がどーなる…って事も無いだろうと思うが、一緒に働いていた同僚が長らく続いていた体調不良を、これで1発解消しちゃったと言う伝説が生まれた事もあって、けだるそうな顔で果て無き労働に明日が見えないバイト君を1名おともに、老舗に足を運んだのである。

「相当高い」

とは何となく判っていたが、注文する時までちゃんとした値段を知らず、2人であっけに取られたが、ご馳走してやる手前、こうなりゃ自棄だ! 一番価格の高い「ハ」(だったと思う…)を頼んだ。まかり間違えば「息子」ほど歳が離れているバイト君に懐具合を心配されたりもしたが、うなぎが江戸前なら、こっちも心意気は「江戸っ子」でぇい。

暫くして出て来た「うな重」を見て、あっけに取られるアゲイン。

うなぎの大きさもビッグならば、数も2匹。しかも重に入りきらず、はみ出ている上に、折り畳んであり…

「これでもかっ!」

ってモノだった。こりゃ値段相応と言うか、お値打ちと呼ぶのが相応しい。

何が「江戸前」なんだか知らないけれど、あまり深く考えずに「美味しい」と言う所が「老舗」たる所以でもあるんだろう。能書きはどーでもいいから喰ってみな…って逸品だと思う。デカけりゃ美味いのか? って次元に無い。丁寧に焼かれたうなぎはこーなるのか…と言うのが眼と舌で味わえる。

さて、豪華なうな重にまみれた2人の労働者がその後どーなったのか、書いておかねばなるまい。翌日からパワーに溢れて生産性が向上した…なんて事は無かったが、陰鬱とした気分からは解放された様ではある。臨機応変とはかけ離れた所でコロコロと変わる営業方針に嫌気が刺しまくっていたので、会社に従属する気にもなれず、さりとてその場を離れるのも何かきっかけが無く澱み切っていたワケだけれど、若干だけ、そうした気分から離れた感じはしたなぁ…。

まぁ、1食で何とかなる様なものじゃ無いだろうし、そもそもなんで「うなぎ」なんだか微妙でもあるし、江戸時代を考えたら「なまず」の立場も熟慮してやった方がいいと思ったりもするのだが、取り敢えず「土用の丑の日」はうなぎとして終わった…。

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