おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

太陽にほえてきた。

2005-07-18 13:31:39 | 我思う、故に書くなりよ。
まぁ、せっかくお友達が来ていて、家でゴロゴロも無いもんだから、ちょいと出掛けたんだけど。

出掛けて初めて世間が連休だと知った次第。ここ1年半は連休状態なので、どーでもよいのだが。
で、まぁ葉山海岸辺りをてろてろとさすらっていたのだが、磯とも湾ともつかない海上に、ぽつんと灯台が見える。

「あれは、ひょっとしたら石原裕次郎灯台?」

遠目で見てもそうとは書いてないし、定かではないのだけれど、おそらく間違いないだろう。

昭和40年生まれの私であっても、石原裕次郎って人は「ボス」と「小暮課長」くらいしか覚えが無い。それだって、全てを見ているワケでも無いし、たまになぜか大き目のブランデーグラス片手にマイクを握る姿をチャンネルのザッピングの途中で見た記憶があるくらい…。だいたい、部下にはちゃめちゃやらせておいて、「よっ!」で何事も済ませてしまう警察官はどこにもいねーだろ…って見解で私が若かりし頃の認識は一致していた。その部下にしたって、ソウドオフのショットガンでヘリから狙撃して1発で犯人を倒すワケだし、そんなのを連射しまくりだし、ガルウィングのパトカーやら、スカイラインに機関銃積んでいたりもするわけだから、「危ネーおやじ連中の頭(かしら)」って人だった。

まして、連れ立って来ているコンパニ子や、その友達に至っては「誰それ?」って感じだし、東京都知事の弟で、気象予報士のおじさんで、日本の映画界・芸能界で語るのを避けて通れないほどの「スター」だと説明しても判らず、東京都知事は未だに「いじわるばあさん」だと思っていやがるヤツが2名もいるし、「あの気象予報士はSMAPの手下じゃないか?」ってのもいたし…。

そういう時代になっておるのも間違いないが、目の前にちょん…とある灯台は、この海を愛してやまなかった裕次郎さんの思いを残すためにわざわざ建てたものである。元々は無かったのか、あったんだが朽ち果てたのか知らないが、小さな灯台であっても無いよりはマシなのである。ちゃんと光るし。

そんなこんなでワイワイしてたら、おばさんグループがやって来て、ワイワイガヤガヤ始まった。

「おにいさん達も灯台見に来たの?」

ちょいと品の良いおばさんに声を掛けられて、それとなく返事をしておいた。別にこの灯台を見に来たワケではなく、何となく来たら「あった…」って話をする必要は無いだろうし…。

「今日は命日だからねぇ。裕さんもウレシイだろうねぇ…」

ええっ!? 17日って命日なの? あー。そー。奇遇だなぁ…。石原軍団はどーしてるんだろう?
と、ちょっと驚いたんだけれど、おばんさんに教えてもらった情報では、ちゃんとお寺で法要をやっているらしい。そっちは人で溢れちゃっているだろうから、おばさん達はこの灯台を見にやって来たんだと言う。静かに手を合わせ、光の海に拝んでいる姿は、我々にはちょっと理解の出来ない物かもしれない。今年で18年、19回忌とか。

もうそんなに経つのか…。どこぞの病院の屋上だかで、カメラに向かって手を振る姿は、病に倒れた「ボス」であり「課長」であり「グレさん」だったのをテレビで見た覚えがある。それから程無くして世を去ったワケだが、途中の大騒ぎも含めて曖昧な記憶でしかない。

昨年はテレビドラマで生涯を綴ったのをやっていたけれど、私は関心が無く見ていない。単なるドンパチドラマの親分ではない姿がそこにあったのだろうけれど、それが印象に強すぎて「嵐を呼ぶ男」辺りのイメージと重ならないのである。何か大きな「隔たり…」って物がそこにあるようで、解せない。

その辺を、放浪先に帰ってから調べてみた。

日本映画で絶対に外せない「スター」でもあったのだが、映画産業自体が傾くと「スター」ではあってもその活躍の場が限られてしまう。また、単に「俳優」で納まる器に無かった人でもあり、自身の撮りたい映画を製作する事にもなるのだけれど、作品の評価は高くても、興行的に成功するかは別の問題でもあり、ひいては後に「石原軍団」とも呼ばれる個人事務所は逼迫してしてしまう。

そんな最中、活躍の場をテレビに移して「太陽にほえろ!」が生まれるのであるが、これは日本じゃ知らない人がいない位にヒットとなり「西部警察」や「大都会」も生まれた。

映画人でありながら、映画に思うようには恵まれなかった時期が、私らの知っている「石原裕次郎」を作り上げたのかも知れない。これはそれ以前から知っている人と比べたら、雲泥の差となってしまうほどに、大きく違うかもしれないのだ。

そうした意味で「黒部の太陽」や「栄光への5000キロ」を見ておかねばならないと思う。そこにいる「石原裕次郎」は「ボス」でも「課長」でも無い。きっと、映画界の頂点を「スター」として極めた人間がさらなる「頂点」を目指している姿が見られるのだと思う。

残念な事に、どちらも私は見ていないし、今現在「見られる」状況にあるのかどうかも疑わしい。詳しい事は知らないが、フィルム以外のメディアとしてレンタルやらセルと言った形にはなっていないらしい。私がこの2つを知っているのは、若き日の父が映画館で求めた「パンフレット」とそれに挟まる新聞の切り抜き記事を遠い昔に本棚の百科事典の間に見つけたからである。それとて、もう記憶の中にしか残っていない。欠けてはイケナイ作品であると思うのだが、ある意味「パブリック」では無いようだ。映画スターとテレビスターを繋ぐ物だと思うだけに残念だと思う。

そんなこんなも、つまるところは「過去」。石原裕次郎と言う人が生きた証のひとつは、見て来た「灯台」なのである。これとて、彼の死後に建てられたものだそうで、彼が建てたワケじゃない。

でも、それに向かって静かに手を合わせるおばさん達の姿に、世代を超えたスターが本当にいた事を私らは知るのである。

「すごいね…おばさん泣いちゃってたよ…」

昭和の終わりに生まれた娘達には、おばさん達の心は一生掛かっても判らず終いで終わるかもしれない。心から手を合わせて、在りし日を想う「スター」が我々にはいるのだろうか? 娯楽もメディアも溢れるだけ溢れきっている中、星の如く散在するスターの中に、我々はそうした人物を見出す事が出来るのだろうか?

失ったものを悲しんだり、懐かしむ事は容易く出来る。失った物から得られた計り知れない大きさを感じたり、改めてその大きさの意味を噛み締める事はなかなか出来たりしないもんだ…。

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