おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ああっ終わってた…。(まんが、アニメ、コミックを想う…)

2005-07-15 00:42:34 | 我思う、故に書くなりよ。
なにげに木曜日なのでビデオをセットして気がついたが、何となく見始めて欠かさず見ていたアニメが先週で終わってた…。

「ああっ女神さまっ」って古くからあるアニメと言うか、コミックなんだけれど、そう言うコミックがある事は知っていたのだけれど、見るとか読むとかって行動が起きないままずーっと時間が流れ、この歳になって初めてアニメで見ていた。その前にやってた「ジパング」の流れで見続けていたという話もあるのだが、妙にのんびりとした内容で、まぁ出て来る「女神さま」がのんびりしているものだから、のほほんとして面白かったんである。

深夜のアニメなので、エロだのグロだの…って物が割りと多い中、そう言う心配の要らない内容だったのでもう少し続いて欲しい気持ちも正直あるのだけれど、コミックはまだ連載が続いているワケで、長々と作ってもいずれ追いついてしまったりすると何かと差し障りがあったりするんだろう。

ここのところ、特別編成とかで放送時間が変わったり、休止になったりしていたので、最終回を見逃してしまったかと残念がったりしていたのだが、ビデオに録っていたので、1週間遅れで見たワケです。

これがまた絵に描いたようなハッピーエンドなんだけれど、本当に絵に描いた…エンディングがほのぼのと言うか、のほほん…とした雰囲気を出していて、視聴率何%か知らないけれど、ちゃんと作ってあるのがまたニクイんだなぁ…。まぁ、DVDで販売って兼ね合いもあるんだろうけれど、作り手が作品に対する愛着とか、そんな感じのモノがしっかりと見て判るのはウレシイく思うし、また面白く思う。

放浪中に、夫婦揃ってアニメおたくって家庭にお邪魔した。関連グッズで溢れた生活の場を想像していたのだが、そう言ったモノは見当たらず、怪しいといえば5台のHDDレコーダーくらいしか見当たらない。だが、DVDやらVHSやらを含めたメディアのストックは膨大な量であり、きちんと収納されていて、ほとんどが未開封だったりする。見るのが追いつかないらしい。

そんな夫婦の会話はやっぱりアニメばかりなのだが、聞いていて特に苦にならない。今でこそ当たり前だけれど、古いアニメであっても「作品」として捉えて話しているからである。それは、映画のそれとなんら変わりないものであって、極端な嗜好性の強い会話でも無く聞こえる。

ここで、おじたん。は戸惑うのである。自分の中でアニメとかコミックが映画と同等の評価を得られたのはさほど昔の事ではない。幼少の頃に見ていたアニメはどう比較しても映画と対等な関係には成れないモノであって、同じ位置づけにする事に戸惑いがあったのは事実。

「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」と言ったストーリー性の強い作品も劇場版映画となって、劇場で見たワケだし、コミックも読み漁ったワケだけれど「まんが映画」の域を自分の中で越えていなかった。それが少しづつ変わるキッカケとなったのは「AKIRA」や「オネアミスの翼」だったと思う。原作が劇画とか小説ならば、まんがとはちょっと違うんじゃなかろうか…って曖昧な感じの線引きが何となく出来ていたんだろう。目に留まって、ツボに入れば「お気に入り」って事なんだけど、「まんがじゃん…」で見過ごしていた「作品」も実に多い事に気がついた。「まんが」に始まる表現を「ごみ…」と捉える世代と「作品」として捉える世代の過渡期の人間なんだろうなぁ…。

そんな話を夫婦にすると「うる星やつら ビューティフルドリーマー」と言う劇場版を見せられた。
そういうコミックとアニメが長く続いていた事も知っているが、ツボにはまらなかったので全く見ていない。簡単な説明をしてもらって見てみたのだけれど、そこに描かれるパラドックスが痛く気に入った。

「おじたん。の好きな攻殻機動隊の押井さんの作品なんですよ。」

奥さんに教えられて、何となくイノセンスと通じる所があると判る。だが、この作品は原作とは掛け離れた所にあるために、賛否分かれる作品だとも教えてもらった。原作がどうなのか見てないし読んでもいないのでどう違うのか判らないのだけれど、ドタバタしてれば同じってワケでは無いらしい。

うむぅ…。そんなこんなを聞いているうちに、見過ごしたアニメがひどく惜しく思えて、かなり悔しい所に自分がいたりする。だけれど、受け入れられないアニメも自分の中では実に多い事も事実。

「手塚治虫と宮崎アニメとディズニーが全くだめなんですよ…」

おそるおそる白状する。あの絵が全く駄目で、鉄腕アトムやらナウシカやら、ツボにはまらない事を打ち明けた。片や「伝説」とも「伝統」でもあり、片や「旬」でも「頂点」でもある。

「あ、それは誰にでもありますから、いいんじゃないでしょうか。例えば、原作とアニメじゃ画が違ったりするんですけど、そう言うの駄目な人も多いですし…。」

手塚治虫に限って言えば、昔、同級生のお父さんが持っていた「全集」みたいなモノに載っていた短編なんかは結構気に入っていて、大人向けの作品ではあったけれど気に入った作品が多く、よく覚えている。だけれど、アトムやジャングル大帝なんかはツボにはまらない。宮崎アニメで言えば、もう全てが駄目。ディズニーも同じだし、TDLで黒鼠とケンカした思いも重なる。何度かトライしては見たのだが、世間の評価とは全く一致出来ないんである。例えるのもおかしいが「タイタニック」見て全く感動しない人なのである。自分の中では「駄作」の烙印がバッチリなのだ。

「少女コミックとかアニメは駄目ですか?」

内容からすると、とても少女コミックとは思えないのだが、青池保子の「エロイカより…」にはハマった。少女コミックでNATOだのレオパルドA1だのG3だのバンバン出て来るし、その描写も緻密でなかなか正確だったワケで、あの世界だけは「冷戦」が続いて欲しいモノだと思っているくらいに好きな作品である。それ以外には見てもいない。

「えっ? コミックだけ買って読み始めたんですか?」

週刊誌だか月刊誌だか知らないが、少女まんが誌に連載されている事は知っていたが、自分がどうしてそれを最初から読み始めたか全く記憶に無い。当初はとんでもなく耽美な泥棒と学生だかの話で始まるのだが、回を重ねるうちに、NATOの情報将校と泥棒の話に置き換わるんである。途中、部下の話に置き換わったりもするが、そこまで読んでいたのはどーしてなのか? 今でこそ当たり前に近いとは思うが、当時の男子高校生が書店でその手の書籍を買う勇気といったら、イヤラシ本の自販機の前で数十分悩む事よりも恥ずかしさは大きかったのである。毎週なのか毎月なのか、開き直りなのか、絶対心なのか、無意識のうちに書店で買い求めていた奇行でもあったのだろうか…。

てなワケで、少女コミックが全く駄目ってワケでもない。意外にも「きんぎょ注意報!」なんかはアニメで見入っていた。が、その世界で名作と言われる「エースを狙え!」とか「ガラスの仮面」とか「ベルサイユの薔薇」だとかは触手が全く動かない。

多くのアニメやコミックを見過ごした悔しさとか、惜しさと、相当な偏食ぶりとが入り混じって何とも不完全燃焼な放浪だったワケだけれど、新たな価値観を頂けたと思っている。そうした点においても「女神さまっ」はもうちょっと見続けたかったなぁ…と思うのである。一度は「写真」と言う映像表現を学んだ身でもあるワケだが、なんだか「まんが」から始まった表現を理解していない自分がまだまだいる事が悔しい。

悔しいのだけれど、どうしても受け入れられないモノがある…と言うジレンマ。漫然と受け入れて、作品として消化していけるだけの度量の無さ。木を見て森を見ず…。うむぅ…。

「酢豚にパイナップル入れんなっ!」

って感じがぴったりなんだなぁ。「どーして入れちゃってるのよっ?!」って感じで不快感たっぷりなまま、忘却の彼方のまんが、コミック、アニメを想い、新しく始まる「苺ましまろ」をどうするんだか悩むのである…。この奥の深さを堪能せずに世を去っても良いものかどうか…。マグロの握りは好きでも、山掛けに入っている筋たっぷりのブツ切りは食えねーぞ、オラッ! って態度で接して良い物かどうなのか? 

他に考えなくちゃイケナイ事は山ほどあってもだな、とりあえず悩むのであるのだな…。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 癌という病気とどう向かい合... | TOP | なんやかや。 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。