おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

歩く人。

2004-11-25 15:53:15 | 我思う、故に書くなりよ。
散歩が鬱にいいからと、散歩ばかりしていても「不審者」と間違われるワケで…。

で、これ見よがしにでかいヘッドホンで音楽を聴きながら歩いている。上るのもかったるい坂道も音楽付きだと気にならないで上るとか、他の効用もあるみたいで「人体の不思議」の1つだったりする。

んで、あまり嵩張らないMDウォークマンが重宝しているワケだが、最初に買ったウォークマンの事を思い出した。小柄だが重い「プロフェッショナル」モデルで結構な値段だったと思う。それまでは似非ウォークマンで、聞いた事のある国の聞いた事の無いメーカーの類似品を使っていた。当然、MDではなく、カセットテープがメディアだ。

中学2年だったかなぁ、突然それは現れた。中学生が飛びついて買える値段ではなく、親にねだって見ても無駄な値段だったし、戦意喪失も甚だしいのだが、とても欲しかった。友人の幾人かは購入しており、自転車に乗りながらオレンジ色のヘッドホンでYMOを聞いている姿がひどく憎たらしかった。

その後、時代は一気にウォークマンとなる。各メーカーがいろんなモデルを出しまくり、音質の向上や軽量化が一気に進んだ。自分が働いて買う頃は、オーディオに凝っていた時でもあったので、音質重視で重いモデルを選んだのだ。だがこれも持ち歩くうちに壊れ、再生専用の軽量モデルを何台か使った後に、CDウォークマンにスイッチしてしまう。

レコードをカセットにコピーする。この儀式に情熱が傾けられた青春でもあった。少しでも良いプレーヤーとカセットデッキを手に入れ、メディアの変換に勤しんだ高校時代。手に入れられない場合は友人にその儀式を託すわけだが「あ、ドルビーCでね…」とか、似非ウォークマンでは要らない技術を平然と当たり前にさりげなく注文する所が似非「通ぶり」を気取っていたのでもある。

CDがレコードに取って代わってからも、このメディアの変換儀式は行われた。普通に聞くにはこだわる必要が無い音質をCDは持っており、ワンタッチでカセットに録音出来る時代が来ていた。この頃になるとカセットテープにこだわり、テープはメタル、筐体はセラミックと言う真白い高級なのを愛用していた。シースルーのプラケースのカセットを完全に「見下し」、愛用のウォークマンに入れる事さえ拒む差別主義に変貌する。今考えると笑ってしまうが、当時は真剣だった。

以後、CDが主流となり、持ち歩いて聞くスタイルもCDがメインとなり、カセットは再生装置と共に私の目の前から消えた。PCの進化と共に、家庭でCDのコピーが出来る様になった事は、CDメイン主義を絶対的な物に変える。再生装置も薄く、軽く、丈夫になり、その再生時間も長い通勤時間に充分な物となった。

平行して、MDと言うメディアが誕生していたが、CDで間に合っていた事もあり、飛び付かなかった。MDを購入したのは、家電製品の修理受付を専門とする職に就いたからで、使い方ぐらい知らないとマズイ気がしたからである。持ち歩く機器なので、故障も多く、修理依頼も結構多かった。実際に使ってみると小さくてなかなか良いし、メディアの入れ替えもCDよりは大袈裟でなくて済む。

オーディオから離れ、ポータブルで用が足りる現在では、CDとMDを併用しているが、メインはCDかな。散歩するにはより小さいMDが便利だが、CDからのメディアの変換儀式が必要となる。デッキサイズの機器があればワンタッチなんだろうけど、ポータブルのみだとあれやこれやケーブルだらけとなるのでうんざりする。

時代はシリコンオーディオやHDDオーディオ。いずれメディアを気にしなくなる時代が訪れるのだと思う。PCで作品を受け取り、それをポータブルに移して持ち歩く。デジタルな信号以外にメディアが存在しないオーディオの世界が現実に広まっている。電車の中で、CDやMDを入れ替える作業も見られなくなる。その必要も無い程の容量がそこにあるからだ。同時に、音質さえも大容量の記憶装置が備わった事でかなり良い物になっている。

まだ、私は飛びついていない。そろそろかな…とは思うが、踏み切れない理由の1つが「儀式」的な要素を体が欲しているからだと思う。メディアが無いのだから儀式もPC上での事だけだと思う。そこが不満に感じているのかもしれない。どうだっていい事にこだわるあまりに、新しいものから置き去りにされるのかと思うと、

あー。おれも本当におじさんなんだなぁ…。

と、歳を感じてしまうので、誰かクリスマスのプレゼントに型落ちでいいのでiPod下さい。

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