アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「貧乏=不幸」…です…よね?

2011年11月20日 | Weblog
 ブータンへ行ってから、「幸福」という言葉に敏感になっています。
 「幸福とは何か」法政大学大学院の坂本光司教授率いる研究チームの「生活・家族部門」「労働・企業部門」「安全・安心部門」「医療・健康部門」の4部門を10段階評価して、そこから総合点を算出…。それも、もちろん幸福。冷静にこの4部門を見ると、「お金がある=幸福」となります。
 この幸福都道府県ランキングで、最下位の大阪府の人で、「幸福だ!」とおっしゃる方も当然おられる。そういう方は、お金持ちの方?そうでないこともあるから…。

 ブータンでは、「金持ち≠幸福」「社会的地位≠幸福」「便利≠幸福」のようにみえましたが…。今日ブータンへお帰りになるブータン国王も、慶応大学での講演ではっきり言っていました。

 アリストテレスは、「幸福は行為である」と言いました。それを知った星野哲郎が、「365歩のマーチ」を作詞し、水前寺清子が歌った。どういう意味だって?「幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね…」。水前寺清子が、アリストテレスに近づいた…?

 私の師匠の一人であるフロイトは、「人間の価値判断は無条件に、幸福の願望に導かれている」と。ボンヤリ聴いていると、「さすがフロイト、難しいことを言うなあ!」となりますが、よく考えると、当たり前のこと。冒頭の、坂本教授の研究と符合する点が多いのがフロイト説。 

 「不幸も幸せも複利で増えていく」これは、ベラン・ウルフ。日本ハムのピッチャーかって?それは、ブライアン・ウルフ。ベラン・ウルフは、オーストリアの精神科医。銀行員ではありません。「複利で増える」これは、ホント、その通りですね。幸福の複利増殖は嬉しいが、不幸の場合はありがたくない。しかし、それが現実。

 「幸せは、…時には不幸という帽子をかぶってやってくる」これは、坂村真民(しんみん)さんの言葉。「念ずれば花ひらく」で世界的に有名になられた。
 「不幸という帽子をかぶって…」深いです。幸福と不幸は表裏一体ともとれます。格調高い言葉に対してふざけて申し訳ないが…帽子に、「不幸」と書いている人がいたら、その人は幸福な人。
 なお、私は、何度も念じているのですが、なかなか幸福を実感しません。しんみんさーん!自分の言葉に責任持ってくださいよーっ!

 ゲーテはどう言っていたか?「幸福は世にあるものだ」そ、そ、そんなこと赤ちゃん以外誰でも知っている。ゲーテを出したからには、シラーも出さなければ不公平。 
 シラーは、「幸福には翼がある。つないでおくことはむずかしい」。これは、ゲーテよりカッコイイんじゃないの!現在幸福であっても、いつまでもその幸福が続くわけではない。幸福は生きているということか。
 ボージョレ・ヌーボー解禁の時節なので、「シラー」と聞くと、詩人より、赤ワイン用のブドウの品種を思い浮かべる人が多いかな。

 「罪と罰」のドストエフスキーは、「人間が不幸なのは、幸福であることを知らないからである」いわゆる一つの禅問答。分かるようで、分からない。

 希望の光は、ショーペンハウエルですね。「人生の幸福にとっては、人柄こそ、第一の要件」。人柄の良い人は、幸福になるキップを手にしている。私など、お金なし、地位なし、しかし、人柄の良さは自分自身が認めています。本人以外は誰も認めていないんじゃないかって?…そ、そうかも。 

 野田首相の「どじょう」で人気復活の相田みつをは、「幸せはいつも自分の心が決める」。ま、これが幸福観を語り合う結論でしょうか…。