アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

みんなが通る道 老化・要支援・要介護

2008年12月30日 | Weblog
 介護職員の労働条件が問題

 「100歳父の殺害容疑で娘を逮捕」という見出し!とんでもない娘だ!しかし、父親が100歳ということは、犯人である娘が20歳ってことはないだろうなあ…71歳でした…。71歳になって、100歳の父親を殺さなければならなかった。どうして?「介護疲れで、無理心中しようとした」という。父親の腹部などを包丁で刺し殺害し、自分も死のうと首や腕などを刺して重傷を負ったが死ねなかった…。
 
 78歳の男性が死亡しているのが見つかった事件で、71歳の妻が殺人容疑で逮捕された。男性は糖尿病や肺気腫を患い、自力歩行が難しくなっていた。容疑者である妻は、夜中に頻繁にトイレに付き添うなど、介護に追われていたという。容疑者は、うつぶせに横たわっていた男性の首を後ろからスカーフで絞めて殺害。殺害後自分も死のうと、風呂場へ行き、包丁で左手首などを切ったが軽傷だった。

 二件の殺人事件、偶然容疑者が71歳。無理心中未遂…悲しいです。
ハインリッヒの法則を当てはめると、2件の無理心中未遂が起こったということは、今現在の日本で、「老老介護」に疲れ果て、いつ無理心中を実行してもおかしくない人たちが、58組。無理心中を考えている人たちが、600組いるということです。実際は、もっともっと多いでしょう。ハインリッヒには、「ハインリッヒ老老介護の法則」を見つけだしてもらわなければなりません。

 さすがの私もジョークを言っていられません。老老介護の悲惨な結末の問題。そして、この悲惨な結末は間違いなく右肩上がり。しかも、あと30年は続く。
誰にでものしかかってくる問題です。
 介護は、経験したことがない人にはその辛さが分からないものです。いつ解放されるか全く分からない。解放されたときというのは、亡くなったとき。老老介護の場合、どちらが先に逝くかわからない。介護している人が先に亡くなることもある。精神的にも、肉体的にも疲れ果てて、死んだ方がどれだけ楽か…となったとき、残された道はただ一つ「無理心中」。

 どうする?あなたも通る、私も通る。みんなが通る道ですよ。

 病院にお願いする?入院3週間までなら…。病院としましては、長く入院させておくと収入が、ガクンと減ります。3か月も入院させようものなら赤字になります。ですから、長くても1か月で、「退院勧告」となります。身内を入院させている人は、次の病院を探すのに躍起になっています。病院のたらい回し。
 介護の施設にお世話になる…皆さんが介護施設に頼ると、日本国がやっていけなくなる。そのため国は、「自宅での介護」を推奨している・・・。

 国が破綻するかも知れないということは分かる。しかしそれでも、介護施設は、強い強い味方です。
 ただ…大きな問題が二点あります。

 1点目は、私だけが問題だと考えているものかもしれませんが…介護を食い物にするというか、介護で金儲けをする輩の存在です。訪問介護事業の顧客数が国内最大だった「コムスン」が、介護報酬不正請求が明るみに出て、厚生労働省から介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受けました。その後、コムスンは介護事業から手を引きました。「介護は今後ますます需要が伸びる。ビジネスとしておいしい」このような、不埒な考えで事業所を開設する。搾りとれるものは搾り取ろう。搾られるのは、「国」です(介護保険)。ということは、国民の金です。そして、単なる商品として扱われるのが、「介護が必要な人たち」なのです。もちろん、正しい道を歩んでいる介護施設もあるでしょうが・・・。腹が立ちますよ。必要のない介護の内容をどんどん増やして請求する。請求の書類が整備されておれば、何の問題もなく通ってしまう。「介護を金儲けにしてはなりません」…全く通じないでしょうね。

 2点目は、介護・福祉に直接携わる…ケアマネジャー、社会福祉士、介護福祉士、ホームヘルパーなどの待遇の悪さです。NHKの朝のドラマ「だんだん」の主人公が、「介護福祉士になる!」と、言っています。これで、介護福祉士を目指す若者がすこしは増えるかも知れません。若い人が「介護福祉士に」というのを聞くと、凄く暗い気持ちになります。夢が叶って、介護福祉士になり、1年も勤めると、辞めてしまう。「重労働と、薄給に耐えられない」というのです。辞めたところで、次に採用してくれて、優遇してくれる職場などありません。ただブラブラ、そのあとは、軽微な犯罪からはじまり…、という実態を見ています。ですから、「そうか!介護福祉士になりたい!そりゃあいい。ガンバレ」などとは、間違っても言えません。あまりにも無責任ですから。2009年度から、介護職場で働く人たちの処遇が改善されることになりました。「常勤で、月2,000~3,000円の給料アップになるかどうか」、小規模事業者は、「あまりにも少ない、職員の賃金に反映できない」と、言っていますが。

 仕事の肉体的なきつさや労働実態に見合わない「低収入」から、介護福祉士の志望者減に歯止めがかかりません。「間尺に合わない」と考えるのは、私だけではなかったようです。養成校で大幅な定員割れが続いている…。
 大学・短大、専修学校など国が指定する介護専門職養成校の定員に対する入学者の割合は…
 2006年・・・・・72%
 2007年・・・・・64%
 2008年・・・・・46%
 低下の一方です。2004年に約100万人だった介護サービスの職員数。2014年には140万~160万人が必要とされています。現状では、全く無理。そのため、外国人を採用する発想がでてきたのですが・・・。

 世の中にある数少ない平等の一つ「老化」。ピンピンコロリと行けばいいのですが、そうは行かない。あなたも私も、介護していただかなければならないかも知れない。
 無理心中は何とか逃れたい。
 施設で、一商品の扱いをされたくない。
 施設で、介護してくださるのが、外国人…。人種国籍を問わず、親身に介護していただければ万々歳です。

 今年も暮れていきます。生きて終えられそうです。
 5月から始めた本ブログ、積算で、約7万人の方に閲覧していただきました。新年は、還暦ではなくなるので現在の、「還暦パパ」では、「タイトル偽装」。タイトルを変えるか、スパッと打ち切るか、正月休暇中に考えます。「毎日休日のくせに、正月休暇はないだろう!」って?自分でも心苦しいです。次回は、平成21年1月5日に書きます。

マックのマーケティング手法はバンシーから?

2008年12月29日 | Weblog
  食品宣伝サクラとは古式豊かな

 日本マクドナルド!興味深い!おもしろいことをしてくれました。
 新商品「クォーターパウンダー」を販売する店舗、臨時店舗で、「盛り上がりを演出するため」、サクラを開店前から並ばせ、商品を購入させるなどしたという。
 サクラは、東京、大阪合わせて、概算で1,550人(日本マクドナルドは数字を公表していないが、東京550人。大阪1,000人という報道。得意の暗算で合計すると、この数字になる)。
 マック側は、「発売日を盛り上げたかった。アルバイトに並んでもらったのはマーケティング手法の一つ」サクラじゃないかとの批判については、「サクラの定義がないので何とも言えない」
 並んだアルバイトは、客として商品を買い、時給や購入代金はマクドナルド社が負担したという。
 「大変な盛況の中、多くのお客様に魅力をお楽しみ頂いた」とも、コメントしている。本当に買いたい客が、時間がない中、あちこちへ、「遅れます。すみません」と、電話をかけて、1,000人ものサクラの列に並ばされる!これって、客に迷惑をかけていると思うが、魅力をお楽しみいただいたの?いただいてない、いただいてない!

日本では、「サクラ」というが、マックともなると、「マーケッティング手法」だって!勉強になります。さらに、「サクラの定義を示せ」だって!そこまでは言ってないか。
 まずサクラの定義ですが、広辞苑では・・・
1 芝居で、役者に声をかけるよう頼まれた無料の見物人。
2 業者と、通謀し、客のふりをして、他の客の購買心をそそる者。
 マックの、マーケッティング手法は、間違いなく「サクラ」です。罪になるのか?警察官派出所勤務の人の裏に住んでいた私が思うに、罪状としては、「私人の行動を遅らせた罪」ですね。忙しい人も暇な人も、マック側が雇ったサクラに混じって並ばなければならなかったのですから。

 興味を惹かれましたねえ!「マックがサクラを雇うということは、アメリカのマックがサクラを雇うマーケッティング手法をとっているからではないか?」と考えたから。
 アメリカはサクラの本場らしく、サクラを表す単語が、3つもありました。「confederate、decoy、claque」どれも似たようなものですが、マックの手法に一番近いのは、「claque(クラック)」だと思います。日本における「サクラ」の語源は、「桜が咲くと人が集まるから」というのが当たっていると思います。

 葬式の時、「泣き役」を頼むのも、サクラの一種です。日本でも、戦前までは、風習として残っていた地方があったようです。今は…ないと思いますが。母に聞かされた話では、朝鮮半島から連れて来られた人たちの葬式では、「泣き女」を雇って泣いてもらう。「泣き役の風習」、これは大陸から来たものですね。サクラに泣いてもらっても、悲しさは晴れないでしょうけど。「大声で泣く、泣きわめく」これって、送葬の原風景のような気がします。

 泣き役…バンシーと、似ていませんか?アイルランドの死の妖精、バンシー。中国とヨーロッパ、別の文明ですが、人間の考えることって大体同じなのです。しかも、バンジーも報酬をもらって、「泣き役」をした・・・サクラです。
 これで、私の壮大な仮説がまとまりました。どのあたりが壮大かって?グローバリーじゃないですか!
 アイルランドの「サクラバンジー」を雇う文化が、メイフラワー号に乗って、新大陸へ渡った。アメリカにおいて、「サクラ」は、「マーケッティング手法」として、広く使われるようになった。よって、マックも何のこだわりもなく使った。これが私の説です。

 今年、アメリカ大統領選挙がありました。中央に大統領候補者がいて、後方に人々がいる映像、誰しもが何度も見ています。後方の人々ですが・・・「白人、黒人、ヒスパニック、モンゴロイド、お年寄り、子供、女性、男性・・・」バランスよく配置されています。「人種差別だ、なんだかんだ・・・」と、批判されないように入念に考えられています。これって…サクラです。「大統領候補者サイドと、通謀し、支持者のふりをして、投票する人々に一票を投じるようそそる者」アメリカは、サクラの文化だったんですねえ!

 「クォーターパウンダー」で、なぜ大騒ぎしなければならないのかがよく分からない。アメリカでは40年も前から売られていた、「クォーターパウンダー」が、なぜ、今頃日本で?(実は、今回が日本初ではありません。米軍基地のある所などでは扱っていました)。私は、マックへ行くと、「クォーターパウンダー」を食べていました。見栄を張るなって?ホントホント。理由は、「マックの肉は、ミミズ」との噂の最盛期でしたから。ミミズを食べるよりは、牛肉100%のクォーターパウンダーを食べる方がいいと考えたからです。この度も、「クォーターパウンダーは、牛肉100%」を謳っていました。わざわざ、牛肉100%のパティを強調するということは、ほかのパティは、牛肉100%ではないということ…。都市伝説だかなんだか知りませんが、ミミズ、猫、ネズミ、四本足のニワトリ…あのー、鳥類は二本足ということでお願いします。なお、自慢ですが、ネズミの肉の缶詰を食べた経験があります(昭和42年)。缶詰は、輸出向けでした。現存する日本人で、ネズミの肉の缶詰を食べたことがある人は、かなり少ないと思います。缶詰のラベルには、「STAR」と、ありました。「RATS」と表示してしまうと、気味悪がられて売れそうもないので、逆さまにして、「STAR」としたのです。「ネズミ」と「星」では、大変な違いですからねえ。「ラッツ&スター」という歌を歌うグループがおりました。彼らの命名は、ネズミ肉の缶詰ラベルからヒントを得た?「RATS&STAR」、きっとそうだ。
 
 「クォーターパウンダー」つまり四分の一ポンド(113g)の牛肉を使ったパティ。540カロリーある。私は、1食600カロリーという制限付きなので、それを1個食べたら・・・。フライが…マックのフライ、外はカリカリ、中はモチモチ。シェイク!いいですねえ。バニラが一番いいかな。マックサラダ、焙煎ごまドレッシングが香ばしい。おーっと!カロリーオーバーだー。

結果を返すのも、知る権利も当然

2008年12月28日 | Weblog
  非公開で学力はつきません

 年の瀬、このタイミングにどうして?秋田県の寺田典城知事が、全国学力テストの結果を公表した。昨年度と本年度の秋田県内全25市町村別の平均正答率。県のホームページにも掲載されています。世界中の人が、見ることが出来ます。都道府県がすべての市町村別データを公表するのは全国で初めて。

 寺田知事は、「公教育はプライバシーを除いて公開が基本だ。県の成績は公開されているが、市町村が公開されないというのは不合理。有益な情報が県民や一般の教員に知らされていないのはいかがかと思う。秋田の子どもたちの生活、学習習慣の素晴らしさが公表の勇気を与えてくれた。情報を共有することが教育の向上につながる」と、述べた。
 公表を受け、塩谷立文部科学相は、遺憾のコメントを発表、秋田県市町村教育委員会も反発を強めている…。どんな言い分か。
 八峰町(千葉良一教育長)・・・「公表する必要はない」
 三種町(大塚強教育長)・・・・「自由競争も行き過ぎると弊害が多い」
 八郎潟町教委(課長)・・・・・「学校の序列化につながる。残念だ」
 塩谷立文部科学大臣・・・・・「公表は遺憾。事情を確認したい。教育委員会の意に反した公表にどのような意図、ねらいがあるのか、教育上の観点からプラスに働くものかどうかも含め、事情をしっかりと確認していきたい」

 一か月前の、新聞では、「8割の国民が公開賛成」だったはず?現在、形勢として寺田知事が四面楚歌の状況に置かれている。ここは、寺田知事に強く生きていただきたい。全国学力学習状況調査に関しては、何度か書かせていただきましたが、「公開すべき」ものです。
 それを、「競争は、悪い」「序列化に繋がる」と理由をつけて反対。八峰町の場合、「公表する必要はない」と、言っています(必要がない理由は、公表されていない)。思うに、本音は、「どっちだっていい。世論として、非公表に追い風が吹いているから必要なしとしておこう」と言うことでしょう。なぜそう思うか?八峰町は、秋田県のトップ。言い換えると、日本一。余裕しゃくしゃくです。風向きを見て、コメントしておればいいのです。 それにしても、文部科学大臣…確認してくださるそうですが、どうして公表が遺憾なのか、2日前に、「2009年度の実施要項で公表を禁止」と発表したからかな。朝令暮改ということわざもあります。舌の根が乾かないうちに、変えたっていい。21世紀ですから、それくらいのスピードで対応してほしいものです。
 河村建夫官房長官は記者会見(12月26日)で、秋田県が市町村別の全国学力・学習状況調査の結果を公表したことについて「各市町村の結果の開示は、あくまでも現場の教育委員会の判断に委ねるべきではないか」と述べました。 官房長官の記者会見の直後、文科大臣は、「情報がどんどん公開されると(市町村教委の)参加が少なくなることも考えられる。情報公開条例に対抗するためには法律みたいなものを作らないといけないのかなと思う」と、述べました。
 つまり、「公開する都道府県に対する脅し?」そのように受け止められますよ、「法的規制を視野に入れる」というのですから。文科大臣がそこまで公開を嫌う?是非納得のいく説明をしてほしいです。「一度禁止と言ったから、もう変えないもんね」じゃなくて。

 そもそも、全国学力テストはどうして約40年ぶりに再開されたか?「学力低下の実態を調べる」ためです。調べてどうするか?「対策を立てるのです」上位市町村の実践を知ることにより、効果的な対策が講じられるはずです。自分の所の点数だけ知って、対策が立てられますか?もし、立てられるというのであれば、テストの前にとっくにやっているでしょう。
 「テストをさせておいて(競争)、結果は非公開」、そのことが全くの間違いなのです。
 もう一点、「知る権利は何よりも尊重すべきもの」ということです。日頃、「知る権利」を、なんとか教のお題目のように唱えておられる方々が、全国学力テストの結果公表になるとその権利を棚上げ。

 「点数比較だけが興味本位で取り上げられ、地道な教育活動を阻害する」・・・地道な教育活動をしているのなら、学力ついているだろうが!
 「過度の競争を招く」・・・公開しなければ、適度な競争になるんだぁ?
 「市町村の成績が悪いと、そこの教員が悪いと見られ、意欲低下を招く」・・・自業自得。学校は、教員への慈善事業じゃないんだから、授業の中身については、厳しくしなければなりません。「意欲低下?」非公開なら意欲が高揚するのか!?それでいいと思い、何もしないでしょう。
 「序列化、差別化が進む恐れがぬぐえないから公開反対」・・・これらは、試験を受けさせておいて結果を返さない理由にならないでしょう。19円のもやしを買っても、レシートくれますよ。「刺激に対しては反応する」これが社会の常識です。序列化?いいと思います。序列が下位の学校でも、やる気のある教員が3人おれば、這い上がってこられます。差別化は、あり得ないです。もしあるとしたら、児童生徒の学力とは無関係の要素による差別化です。すり替えないでいただきたい。
 「公開した際のデメリットをカバーする方法はあるのか?」・・・ピグマリオン効果を御存知でしょうか?アメリカで、実験的に立証されている効果です。日本でも昔から、言われているものです。早い話が、「ほめる」ことです。「ほめられると伸びる」、子供だけではありません。大人も同じです。デメリットなどと言わずに、メリットにすればよいでしょう。公開は、ほめるチャンスですよ。

 …なんとか非公開にしようと、屁理屈ばかりつけているが、肝心の知る権利はどうしたの?非公開は、知る権利と矛盾するでしょう。2年間で、135億円使っているんだから、知ろうよ。

駅名で地域活性化

2008年12月27日 | Weblog
  極楽駅には足湯が似合う

 明知鉄道(岐阜県)の新駅、「極楽駅」が開業した。駅名は市民(恵那市)から公募。近くに極楽寺跡があり、極楽寺という地名がある。そんなわけで「極楽駅」に決定。江ノ電の「極楽寺駅」からのパクリではありません。
 似た名前に、南海電鉄の「極楽橋駅」があります。ちなみに、今、日本には、「天国駅」、「地獄駅」は、ありません。(「天国の駅」という映画は、ありましたが)

 インパクトのある駅名で、「売り上げの向上をねらう」、これはいいと思います。楽しいから。かって、「愛国駅」「幸福駅」(いずれも北海道広尾線の駅でしたが、廃線に伴い廃駅に)が、話題になったことがありました。収益は、たかがしれていたと思いますが。

 極楽駅の思惑は・・・
1 「極楽」という名で、マニアらによる切符の売り上げが期待できる。
2 駅に隣接してスーパーマーケットやホームセンターなどの商業施設が集中しており、スーパーの客の利用が見込める。
3 乗車券と極楽駅入場券の3枚をセットにした「極楽駅開業記念切符」(800円)やオリジナルグッズ「極楽駅ストラップ」(600円)を販売して収益アップ。
 極楽駅との直接の関係はないが、10km離れた東野駅に、小規模多機能型居宅介護施設(鉄筋3階建て)がある。2、3階は高齢者専用賃貸マンション。ここの住人も、極楽駅へ来て買い物をするかな。
 「極楽駅」、繁盛しそうな気がします。待合室に足湯を作るのもいいんじゃないでしょうか、「極楽、極楽!」ということで。猫の駅長は二番煎じなので、「極楽鳥」を駅長にするのもいい。え?「それなら、駅鳥だ」だって?駅長が駅鳥!名案だと思うのですが。採用されたら、発案者の私に、極楽駅入場券1年分を…辞退します。

 インパクトのある駅名…
 予土線(高知県)の、「半家(はげ)駅」。こ、こ、これって、列車が構内に入ると、放送で、「はげー、はげー!」と大音量で流れる?…無人駅なので、その楽しみはありません。どうして半家か?この地に平家の落人が住み着いた。地名を「平家」にしたかったがそれでは、源氏にバレてしまう。追討を逃れるために「平」の字をちょいと変えて「半」にした。半家は平家だった…。
 半家の対極にあるのが、留萌線(北海道)の「増毛(ましけ)駅」ですね。利用すると御利益があるというのなら行きますが。

 日豊本線(宮崎県)に、「土々呂(ととろ)駅」があります。電車を「猫バス」のようにすると、客を呼び込めると思いますよ。

 合格祈願関係では、紀州鉄道(和歌山県)の「学門駅(問ではなく、ゲートの門)」、茨城交通湊線の「勝田(勝った)駅」、などがあります。それぞれ、「合格祈願ストラップ」を発売するなど工夫を凝らしています。なんでも商売にして、1円でも売り上げを伸ばしたいということですね。そりゃあ、あこぎだって?「阿漕(あこぎ)駅」もありますよ紀勢本線(三重県)。

 小浜線(福井県)の「小浜(おばま)駅」、オバマ氏を応援した小浜市の駅です。小浜市は、オバマ米次期大統領の当選祝いに、若狭塗の箸を贈る・・・その役目を、麻生首相に頼んだ。オバマ氏夫妻と2人の娘さん用の4膳箸、それぞれのネームを入れた、「マイ箸」なのだそうで。首相は、「おれを宅配便代わりに使うのか」と、ジョークを飛ばして快諾したという。

 英語で人をバカにする悪い言葉に、「アーッソウ(アースホール)」があります。もっとも下品に罵る言葉かも知れません。ドイツでは会話に、「アーッソウ」が頻繁に出てくる。はじめは、「バカにされているのかな」と思いましたが違いました。ドイツ語の「アーッソウ」は、日本語にすると、「ああ、そうですか」という相づち。さすが同盟国、相づちが共通なんですねえ!麻生首相がメルケルさんと話したとき、「私が、麻生です」「アーッソウ」…これは、今、私がでっち上げた会話です。
 紀勢本線(きのくに線のほう、和歌山県になる)「朝来(あっそ)駅」。ここも、残念ながら無人駅のため、「アーッソウ、アーッソウ」という構内放送は聞かれないが、車内では「アーッソウ、アーッソウ!」と、運転手さんが言う。アメリカ人は「運転手、喧嘩売ってんのかコラ!」と、怒る。ドイツ人は、「いきなり、あいづちかい?」と不思議がる…ん、なわけないか。


窮地にある人は救う 武士道の発露

2008年12月26日 | Weblog
  心温まる若者の自己犠牲の行為

 どういう育てられ方をしたのか、どういう教育を受けてきたのか、厚労省でも文科省でもいいので、詳細に調査していただきたい。そして、子育て、学校教育に行かせるよう指導していただきたい。
 誰のことか?火の中へ飛び込んで、寝たきり老人を救助した高校生、線路へ落ちた人を救助した高校生のことです。

 府中市での民家の火災。出火時、家には80歳代の夫婦がいた。近所に住む高校生が、「おじいちゃんを助けてくれ」の声を聞き、バケツの水を約3杯かぶって家の中に飛び込み助け出した。

 この高校生、どんなコメントを発表したか。「これまで、お年寄りの皆さんのおかげで、自分たちが成長してきたのだから、今度は自分が恩返しする番だと思いました」何と、素晴らしいコメントか。テレビのニュースで本人を見ました。むしろひ弱な印象。優しく素直な高校生であることは間違いありません。
 「とにかく助けなければと、無我夢中でした。おじいちゃんを助けた後、すごい足が震えたりしていた」…無我夢中、分かります。やけどしたらどうしよう。服が燃えたらどうしよう。などと考えていたら、家の中へ入るどころか、水をかぶることも出来ません。このような高校生がいることが嬉しい限りです。

 東武鉄道春日部駅のホームへ転落した全盲女性を救出した高校生3人組にも感動させられました。電車を待っていた際、白い杖をついた女性が、3人の手前で誤って線路に転落。ホームに電車が近づくアナウンスに3人は、「これは行くっきゃない」と、判断。とっさの分業プレーで、女性を救出。電車は落下現場から約30メートルの所まで接近していた。
 この3人のコメントもいいですよ。「「『危ない』と思ったから、とにかく無我夢中で線路に飛び降りた。当たり前のことをしただけです」

 「無我夢中」は、人間の本性が出ます。とっさの時の「判断力、行動力」これは、親が言い聞かせても、教室で教わっても高いレベルで体得出来るものではありません。
 ですから、火災の中へ飛び込み、人命救助した高校生、迫る電車がいるなか、ホームから転落した人を救出した高校生について、どういう育てられ方をしたのか、どういう教育を受けてきたのか、厚労省でも文科省でもいいので、詳細に調査していただきたいのです。調査で得た資料から、大人が、そして教育機関がなさなければならないものが浮き上がって来ます。

 電車の車掌と、小学校の校長の喧嘩の仲裁に入った高校生がおりました。この高校生、いいですよ。仲裁に入られた校長が、その高校生を殴った。情けない校長です。

 自分の命を顧みず人を助ける高校生がいる、大人の喧嘩の仲裁に入る高校生がいる。その反面、罪を犯す高校生も多いです。警察官から、拳銃と手錠を奪った高校生もおりました。高校生に拳銃を取られないでよ…。
 
 判断力で問題にしたいのは・・・修学旅行先のロスで集団万引した例です。21人がロサンゼルス国際空港の免税店で、財布などを万引した。国内の万引きもダメだけど、アメリカまで行って万引きするなよ。ホント恥ずかしい。ここで、問題にしなければならないのは、21人もの生徒がやったということです。これじゃあ、「泥棒学校」ではないですか。ハインリッヒの法則を当てはめてみると、21人の万引きの影に、「盗ろうとして一旦は手にしたが思いとどまった生徒」が、609人。「盗りたいと思った生徒」が、6,300人ということになります。(ハインリッヒの法則:災害の発生確率の理論。別名を「1:29:300」の法則。1つの事故の背景には、29の小さな事故があり、さらにその背景には300の「危な~い!」がある)
 「万引きはしてはいけない」ということは、21人全員が知っているはず。しかし、やってしまった。無我夢中で?「法を破ってはならない」ということが、骨の髄まで染みてないからこうなるのです。どうやったら骨の髄まで染みるかです。
 人命救助の高校生は、「窮地に立たされている人は救う」ということが、骨の髄まで染みていました。本能的に動いたのです。
 ハインリッヒの法則に当てはめると、300人は、「火の中へ飛び込んで、人を助けたい」と思っている。また、900人は、線路に落ちた人を助けたいと思っている。高校生、頼もしいです。

 民家の火事で、いったん逃げ出した高校生が、携帯電話を取るため戻り、行方が分からなくなってしまいました。結果的に携帯電話のために命を落とした形に。煙を吸ってしまうと、瞬時に意識が無くなるのです。バケツの水をかぶって救助した高校生もたいへん危険だったと思われます。線路に降りて救助した高校生たちも、危険にさらされていました。無我夢中の行為も命を落としてはなりません。プロスポーツ大賞の高校生(石川遼さん)も、「無我夢中でやって来ました」と、受賞の会見で言っていました。「無我夢中」、高校生の口から聞き、あらためていい言葉だなあ思います。

 「明暗を分けるとっさの判断力」を、どう育てる?毎日の武士道精神涵養の積み重ね…これが肝心です。厚労省、文科省が調査する前に、答えを書いてしまたが、とっさの危機における判断力は、「服従」という基盤の上にあるものです。

日本のクリスマスは日本の習慣

2008年12月25日 | Weblog
 日本が豊かになったお祝いがクリスマス
 
 我が家のカーナビ、大変頭がよい。エンジンをかけたら、いきなり「メリークリスマス!」。日本は、本当にいい国だとつくづく思います。仏教・儒教・神教・キリスト教・イスラム教・・・何でもござれ、自由自在に適応・対応している。こういう国って、ほかにないんじゃないかなあ。日本が誇ってもいい文化です。

 このことについて批判する輩もおります。
 「花祭りも知らず、クリスマスを祝うのはおかしい」
 「深い信心がないことの証」
 「葬式は坊さんに頼み、初詣は神社へ。キリスト教徒でもないのにクリスマスを楽しむ」
 「仏教徒なのに、キリスト教の教会で結婚式を挙げる」
 「宗教に対する無節操ぶりは目に余る」

 このように「おかしいぞ日本人」と、合唱しながら…クリスマスケーキ食ってんじゃないの!?おかしいと思うなら、ひたすら自分の宗教を貫けばよい。世の中を憂いて批判する必要は何もない。そういう人たちの批判をオマエはしているじゃないかって?私の場合は、独断・偏見・少精義・平妥ですから、いいのです。少精義と平妥は、ワープロの変換ミスじゃないかって?少精義は、「とりえなし」、平妥は、「くだらん」です。昨夜読んだ本に出てきました。昨夜学習し、今朝すぐ使う!多精義ですね。コラ!有森裕子!ってか?(注:有森裕子さんが、「自分で自分を褒めてあげたい」という名セリフを残しました。本ブログでは、自分で自分を褒めることを「有森裕子」と表現しております)

 日本人とクリスマスについて、評論家、似非評論家、受け売り評論家などなど、このテーマは大賑わいです。
 一般的には、日本人の宗教観から真面目に論じられているものが多いです。お坊さんのお経の最後は、「・・・恐み恐みも白す(カシコミカシコミマヲス)」と、なっています。この部分は、黙って聞いていると分かります。ほかは、返り点なしで読むものですから…私には分かりません。「カシコミカシコミ…」は、神主さんのセリフ。七五三のお祓いでも言います。ということは、お経と、のりと(祝詞)に共通部分がある。そうなんです。日本の仏教は、「崇仏VS廃仏」の抗争を経て、神道と融合・共存させ、「独自の仏教」として発展してきたのです。
 このあたりから、日本人は異宗教に対して「寛容」になっているというのです。また、研究者の中には、神道は「八百万神(やおよろずのかみ)」つまり、多神教。山海草木に至る迄、ありとあらゆる物に「神性」を見いだす。仏教は、多種多様な如来・菩薩を信仰するわけで…キリスト教、イスラム教・・・に全く抵抗がない。このような見方もあります。
 よって、何の抵抗もなく、クリスマスを祝う。私のまとめ方も上手いが(あ、有森裕子やっちゃった)、論として興味深いものがあります。

 「日本人が、クリスマスを祝うのはいかがなものか」これ自体、すでに間違っています。
 祝ってなどいません。口では、「メリークリスマス!」そんなものカーナビでも言う。みんなが言うから言うのであって、クリスマス本来の意味で言うのは日本人の1%でしょう。

 では、なぜ日本人はこの時期張り切るのか?日本人が、クリスマスをかくも盛大な行事に仕立てたのは、戦後20数年経ってからです。わざわざ聖徳太子の、「崇仏」までさかのぼらなくてもいいのです。

 終戦後、オギャーと生まれたアラカン世代は、とにかく「食うもの」がなかった。所謂、「粗食」に甘んじなければならなかった。ただ、粗食が実は、換言すれば「豪勢な食」だったのですが…。言っていることが分からないって?本題から逸れますが、何をもって粗食とするかです。「イモとカボチャ」の昼食と、「彩りよく、おかずの品数が豊富、楽しい楽しいコンビニ弁当」の昼食。どっちが粗食でどっちが豪華?

 還暦前まで、イモやカボチャは、貧乏人の食い物で質素、だから粗食。一方、夢一杯のコンビニ弁当は、豪華、贅沢!と、思っていました。今は、違います。なぜ、半病人の私が…ではなく全病人の私が還暦まで生き長らえたか?それは、体の基礎基本を作る時期に、「イモ、カボチャ」を毎日食べていたからです。つまり、粗食が実は、大変贅沢な食事だったのです。現在のカラカンが、アラセブンテイになってもアラエイテイになっても強いですよ。イモ、カボチャという豪華・贅沢で育っていますから。その点、アラフォーより若い世代は、健康での長生きを期待できない人が増えますよ。贅沢な食事をせず。インスタント食品、酸化防止剤たっぷり食品、コレステロールてんこ盛り食品、高カロリー食品、偽装食品…分類がめちゃめちゃですが、これらを食べている可能性が高いですから。

 戦後の日本は、世界が驚く復興を遂げてきた。どんどん豊かになった。イモとカボチャの昼食は、インスタントラーメンに変わった。(これが日本の失敗だったのですが)アメリカから入ってくるものは、皆きらびやかで、あこがれるものばかりだった。
 サイフにゆとりができはじめると、「年に一度くらい無駄遣いしてもいいんじゃないか」という風潮が席巻し始めた。海外を経験する日本人も増え始め、「クリスマス」が広められた。

 昭和36年(1961年)には、コカコーラの登場。「オレ、コーラ飲んだぞ!」が、自慢になった。高校生でも、年に数回コーラを飲めるほど豊かな国になってきた。コーラの空きビンなど、お部屋のインテリアでした。コカコーラで弾みがつき、日本のクリスマスの内容は怒濤のごとく進化発展。「ケーキを食べて、トリの足を食って、炭酸飲料を飲んで、みんなで騒ぐ」…日本独自の文化となってきた。年々新趣向が加わり、現在に至っている。
 名前はクリスマスですが、宗教は全く関係なく、「日本(人)が豊かになり、無駄遣いできるようになったことをお祝いする行事」です。それでは名前が長すぎるので、「クリスマス」と呼んでいますが。クリスマスとキリスト教の関係を知らない女子大生が話題になりましたが、それでいいのです。日本の行事ですから。

日本人による英語での英語教育に思う

2008年12月24日 | Weblog
 教育は心のコミュニケーション

 文部科学省が公表した(12月22日)高校の新しい学習指導要領案で、「英語の授業は、基本的には英語で行うこと」が盛り込まれています。
 まず、高校とひとくくりにいっても、生徒の学力はバラバラなんてもんじゃない。日本語で授業をしても、「英語の学力がつかない」いわゆる底辺校、学習指導要領に謳われる訳ですからその学校も英語の授業は英語で行う。生徒は、ますます分からなくなる。底辺校の中には、生徒の能力に応じ、中学校の内容をゆっくり教えて成果を上げているところもあります。そういう実践が引き続き出来る学習指導要領にしなければ。
 
 文部科学省指定の、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールの顔ぶれ、豪華絢爛、日本を代表する有名進学校揃いです。それらの高校の場合、教師の力というものを考えなければ、英語による英語教育である程度の英語力はつくと思います。底辺校も、スーパー・イングリッシュ校も一緒にするのはよくない。生徒の力をよく知っている、「高校の裁量にまかせる」。こうするのがいいのではなく、こうしなければならないと思います。

 英語で指導する単語数は、中学校で1,200語、高校で1,800語(合計、3,000語)になった。中国、韓国並みになった。30年前は、そのくらいあったのですが、減らしたのです。この度は、増やしたというよりは復活させたということです。どのくらい復活させて1,800語にしたか?500語です。これって、法外でしょう。

 次に、英語教員ですが、TOEICで900点、自信満々の人もいるでしょうが、「やっていけないんじゃないか」と心配な人もいるでしょう。どちらのタイプも、日本人。日本人が、外国語である英語を、英語のみを使って授業する(複雑な文法は日本語で教えることも認められる)。
 「アメリカ人教員が、日本語のみを使って、アメリカの子供達に日本語の授業をしている」想像してみてください。日本語を流ちょうに話すアメリか人でも、危なっかしくてしょうがないと思いませんか?

 今年のノーベル賞、日本人が4人も受賞しました。受賞された4人の方々は、高校時代にどのような英語教育を受けられたでしょうか。「グラマー・トランスレイト・メソッド」ですよ。「文法と、和訳」です。その基礎の上に、素晴らしい研究が乗っかったと言ってもいいでしょう。
 今の日本の英語教育は、「コミュニケーション能力を高める」、それはもちろんよいことですが、「文法、和訳」を化石扱い。コミュニケーション能力は、いわば「個」と「個性」の問題ですから、英語のコミュニケーション能力だからといって、英語科だけで培われるものではありません。日本人の英語学習で、大切なのは、文法と和訳です。そこに立ち返らなければ、ペラペラと英語を話すが、英語圏で信用されない日本人を作り出すことになってしまいます。ペラペラ話すが、日本の文化は何も語れない人より、訥々(とつとつ)と、下手くそきわまりない英語だが、一生懸命「忍者」の説明をする人が信用されるでしょう。

 日本の大学を出てから、短期間の英語研修のつもりでアメリカへ行き、結局、マサチューセッツ州立大を卒業した知人は、「…英語を日本人に教える?そんなこと出来ません。無理無理」。4年半アメリカで暮らした。しかも、大学で講義を聴き、レポートを書き…単位を取って卒業。それでも「母国語ではない英語を教えることは出来ない」という。
 幼少時から、セネガル、アメリカで暮らしてきた実業家は、「英語でのやりとりは、ネイテイブ並に見えるかも知れないが、実際はネイティブに遠くおよばない。それは自分が一番よく知っています。さらに、その先に乗り越えられない大きな壁があります。これは如何ともしがたい壁です」と。 
 文科省が高校英語に、「国際的な実業家の育成」を求めてはおりません。では、「英語で行う英語の授業」に何を求めているか?
 「英語に触れる機会を充実、授業を実際のコミュニケーションの場面とするため授業は英語で行うことを基本とする」
 つまり、日本人教員の英語に触れる機会を充実させる…。これが、危ういのではないか?

 では、高校の英語教員をネイティブスピーカーにする。出来るわけないが、出来たとしてもダメです。英文法の解説も、和訳もままならないでしょう。(そうなると、ノーベル賞は期待できないかも)。日本の英語教育は、日本人教員でよいのです。ただ、「英語のみを話す」ということに、否定的考えを持っていますよということです。そして最後に、英語の時間は、英語だけを教える時間ではないのです。
 「眠そうだな、昨夜何やってたの」
 「土曜日の試合、応援にいってたんだぞ。あのときの武士道精神、天晴れだったよ」
 これらの生徒への言葉がけ、学校教育にはこれが最重要と言ってもいいほど大切なのです。日本人同士の心のキャッチボールです。英語では伝わりません。





自分の味覚が不安な時代

2008年12月23日 | Weblog
  脱脂粉乳から見える味覚

 同世代の悪口は、天にツバするようなものですが・・・
 アラカンが小学生の頃、学校給食の走りで、「脱脂粉乳」が出ました。美味しかったです。非常に腹立たしいのは、「まずい」という評価。50年経った今でも、いい歳をしたジジ・ババが、「アレはまずかった!」。テレビに出る有名人も言います。それを言うことによって、世論を味方につけたつもり?「脱脂粉乳=まずいものの代表」この、等式に逆らうと、非国民かのようですよ。私は、美味しかったです。あまのじゃくではなく、私の味覚で。

 味覚は、「口へいれるものに応じで認識される感覚」。改めていうまでもないですね。生理学的には、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本味に位置づけられている。そのことにも異存は…ない。
 
 味覚神経は・・・ここからが問題
舌の前のほうにある「味覚」の細胞は、「顔面神経」を伝わり、直接中枢神経に伝達する・・・・ヒエーッ!ですね。味覚に顔面神経が暗躍していたとは!
 舌の後ろ殻の情報は、舌咽神経、迷走神経を介して延髄に連絡する。迷走とはこれまた!
舌触りなどの刺激は、三叉神経が介入する。音叉とか夜叉とかは…関係ないか。
 
 人体において、「味覚」は特別だったのですね。顔面神経、舌咽神経、迷走神経、三叉神経→大脳皮質味覚野へ。と、いうことは、どれかの神経が劣化すると、味覚障害が起こるということですね。

 どうして、面倒くさい神経の話しを持ち出すか?脱脂粉乳はまずいというアラカンどもに、ガツンと言っておかないと・・・はい、私は、了見が狭いんです。

 年金生活者の仕事の一つに、「テレビを観る」ことがあります。やたら多い番組が、「食」関係。午前中は、料理番組。昼頃は、各地を回って食べる番組。夜は「まいうー」の巨漢やら、元グループサウンズやら、ためしてガッテンやら…もう食いまくり。「おいしーい!」が一日中こだましています。グッチなんたらまで、あの腹でエプロンして出てくる!脱脂粉乳が出たら、「まずい~!」の大合唱なんでしょうねえ。
 地方の料理など、試食するタレントやらアナウンサーやらの反応を、地元の人が固唾をのんで見守る。「おいしーい!」と言うと、地元民は鼻の穴をふくらませて、「おいしいでしょう」と、ダメを押す。あの場面、「まずーい!」とは、決して言えませんよ。ソフトな拷問ですね。試食者にだって、得意な味と、不得意な味があると思うのですが。

 何度も使っている例ですが、食品偽装の本家(?)ミートホープが、内臓と血を混ぜて挽いたものを牛の挽肉と偽って売っていた。消費者は、食べても気づかなかった。それどころか、贅沢気分で食べていた。「牛」だと思いこんで食べると、牛の味がするものなのでしょう。
 飛騨牛も、地鶏も・・・、「味なんて分からないだろう」と、偽装を得意とする社長さんがマスコミへ言い放っているんですから!
 顔面神経、舌咽神経、迷走神経、三叉神経を、総動員しても、「飛騨牛の5等級と4等級の区別などつくはずがない」これって、正解でしょう。

 「あそこの、シュークリームがおいしい」
 「あそこのピザ、マルゲリータがおいしい」
 よく耳にするセリフです。「靴のクリーム(シュークリーム)をたべるの?」と、ボケルと、「コイツ、バカか?」と、軽蔑した目で見たり、ピザとビザの区別が曖昧だったり、マルゲリータには、ワニの肉が入っているんだというジョークをジョークだと思わない。「なるほど、ワニだからマルゲリータですか!」と、納得?
 まあまあそのような状況で、何が「あそこの○○がおいしい」だ!と、敵意が、ムラムラと湧いてきます。ところで、マルゲリータとワニの肉…本人は、マルゲリータとアリゲータを混同していたのでした。

 問題は、「○○がおいしい」という情報にマインドコントロールされて、自分の迷走神経は迷走し、三叉神経は、五叉にも六叉にもなり、顔面神経は、けいれんのしっぱなし…自分の味覚を失ってしまっているところにあります。そうなんです。今日言いたいことは、「味覚をマインドコントロールされるなよ」ということなのです。味覚をステレオタイプにしないで!と換言してもいいですね。
 
 結構多くの皆さん、食品添加物をたくさん摂取して神経が劣化し、自分の味覚に自信が無くなっているのではないでしょうか。誰か声の大きな人が「旨い!」と言えば、それに逆らわないのが安泰ということでは・・・。
 舌で味わわず、目、耳、鼻、打算、事なかれ主義、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰、みんなで渡れば怖くない…で、味わっている。
 それなのに、少数派に対する攻撃は露骨です。「脱脂粉乳が美味しい」これを、人前で言うと、島流しか牢屋(何時代じゃ!)ですね。

 顔面神経、舌咽神経、迷走神経、三叉神経…一番衰えていないのは?赤ちゃんです。脱脂粉乳を美味しそうに飲みますよ。自信あります。


アイ キャン ノット スピーク・・・何が可笑しい?

2008年12月22日 | Weblog
  アイ キャン ノット スピーク・・・文句あるか!

 ノーベル物理学賞に選ばれた益川敏英先生がストックホルムで受賞記念の講演をされました。
 冒頭、「アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ」と、言って笑いを取った・・・。
 実に賢いと思いました。いくら英語が上手いといわれても、所詮は、日本人の英語。それならば潔く、「アイ キャン ノット…」、スマートだと思います。スピークは苦手でも読み書きはできるわけで…事実、1978年に、東京で行われた国際会議で英語で発表しているそうです。それが大変流ちょうで、話題になった…。と、いうのは私の脚色で、実のところは「早口」で原稿を読み上げたということで…。質問を受けずにとっとと帰っちゃったらしいです。
 大学院入試に英語があるだろうと思ったのですが、益川先生は、ドイツ語で受験したそうです。私は、「日本人として、同盟国の言語であるドイツ語で受験した」ということが、素晴らしいと思います。なお、真偽の程は不明ですが、「ドイツ語の答案を白紙で提出した」という。「まさか!」とは思わせないところが凄い。

 益川先生、英語に敏感なはずです。間違いありません。名前が「敏英」ですから。(山田く~ん!座布団二枚!)

 私の例で申し訳ありませんが、英語を話して笑われたことがあります。
 ボストンの日本料理店がラジオのコマーシャルを流すことになった。コマーシャル作成で、「英語が下手な日本人ウエイターの役」が必要になり、私が抜擢された。スタジオでの録音・・・私のセリフに他の役のアメリカ人が笑いをこらえることが出来ずに…一人が噴き出したら、ほかの3~4人もこらえきれず大笑いとなった。日本人の英語がいくら下手でも、ネイティブの人が「あざ笑う」ことはない…。つまり、私が演技で奇妙な英語を話したと思ったのです。実際は、「ちょっと上手すぎるかな?」と思いながら、話したのですが。

 私の場合は、「演技」と思われて、笑いを取ったのですが、益川先生の、「アイ キャン ノット…」の場合、会場の皆様は、何がおかしくて笑ったのでしょうか。
 考えられる理由
1 英語が話せないのにノーベル賞を受賞したのがおかしかった。
2 「英語が話せない」と、「英語で話した」からおかしかった。
3 「アイ キャン ノット・・・」を英語だと思わず、同時通訳が、「I can't speak English.」と、訳したので、「日本語って英語に似ているんだなあ」と思いおかしかった。
4 同時通訳が、益川先生の言ったことと違うおもしろい通訳をしたので笑った。
 どうでしょう?1なら、嘲笑ですから、1ではない。ほかはありですね。 

 益川先生の講演は、小学生のころの回想。父親との思い出がテーマだった。いつも、父親と銭湯へ行った。その道すがら、「科学、天文」などを父親に話してもらい、理科の面白さを知ったいう。
 銭湯の道すがら…これがいいです。タオルをマフラーにして、歩いたでしょう。小さな石けんが、カタカタなったでしょう。(ツッコミを入れてくれましたか?「それは神田川!」と)。
 好奇心の塊だった益川少年は、父親の話がたのしくてたまらなかったでしょう。知識を得る喜びに目を輝かせたでしょう。

 昨年実施された国際数学・理科教育動向調査の結果が公表されました。平均得点は、どの科目でも前回と同じかやや上回ったため、文部科学省は、「学力低下に歯止めがかかった」との見方を示しました。ただ、OECD調査では、科学的、数学的な応用力でいずれも順位を下げているんです。大きな問題は、(特に中学生で)「勉強は楽しい」と答えた割合が極端に低いということです。
 益川敏英先生は、「本来みんなが持っている好奇心が、選択式テストの受験体制ですさんでいる。教育汚染だ」と。
 では、どうすれば、「勉強は楽しい。次の時間が待ち遠しい」となるか?
 実は簡単。先生が、益川先生のお父さんのような授業をすればよいのです。おもしろくて、おもしろくてたまらない授業。思考力、応用力がつき学力が上がります。

 英語に敏感な益川先生、英語で発表しても、質問を受けずにとっとと帰ってしまうところが、クレバーですね。
 なぜかって?講演の原稿を読み上げるにしても、その原稿の英語が間違っているかも知れない。同時通訳を立ても、学説が妙なことになるかも知れません。
言語の変換は、半分は真意が伝わらないと思ってもいいですよ。
日本の刃物会社が、米国での販売で添付した「注意書き」・・・Caution: Blade extremely sharp. Keep out of children.と載せたことがあったのだそう。「子供に触らせないで」という意味のつもりだったのですが、この英文、一見、「子供を離せ、つまり近づけるな」に思えますが、よく見ると、「注意:刃が凄く切れるので、子供から遠ざかってね」という意味になります。子供から遠ざかってどーする?
 
 益川先生は、「先生と呼ぶな!」とおっしゃっていました。「益川クン、と呼んで」とのことで…。

OKは、ユーモアから生まれた世界共通語

2008年12月21日 | Weblog
  カが名字、「メハメハ大王」だった!

 「八反安未果」という名前。名字が「はったんやす」で、名前が「みか」かと思いました。実際は、「はったん・あみか」という歌手なのだそうで。1999年には、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞していた。そういう経歴の人を知らなかった。大変失礼しました。芸能界を去って3年も経つものですからる(←ジョークですから)。どこで切って読むか?難しいです。

 さすがNHKアナウンサー、「綺羅、星のごとく」と、少々極端に発音していました。「確かに綺羅で切ったからねー。クレームつけないでねー」というところでしょう。時代と共に、「綺羅星」という星があるかのようになり、市民権さえ得て…辞書に載るようになりました。しかし、元々、「綺羅星のごとく」は、「綺羅」で切るのが正しいです。

 一時大評判になった、アナウンサーの読み間違い。「1日中山道を行く(イチニチジュウヤマミチヲイク)」と、読んだ。原稿は、「旧中山道を行く(キュウナカセンドウヲイク)」だった。切る場所を間違えると、「中山道」が「山道」になってしまう。

 切り方で失礼な例は、大庭カメさん。名字で切らずに読むと、「オオバカメ(大馬鹿メ!)」。これは、失礼です。
 友人の千葉兼弘(ちばかねひろ:本名)くんは、「ち」で切って呼ばれ、「チ、バカネヒロ(ち、馬鹿ねひろ)」と、からかわれていました。本人は意に介さないのでいじめにはなりませんでしたが。え!50年も経ってから、いい子になるなって?当時のいじめの定義は、「複数人が一人に対し、身体的な危害を加えること」でした。「バカ」「アホ」は、挨拶代わり、いじめでも何でもなかったです。口を開けば、「誹謗中傷」、休み時間は取っ組み合いの喧嘩。「不登校?」そんな子はいませんでした。「学校は、何が何でも行かなければならないところ」でしたから。不登校傾向を示そうものなら、まず、親から「折檻(せっかん)」されます。一族郎党が、「この恥さらし!」というわけで、引きずって学校へ連れて行きます。今は、不登校は、あたかも学校に責任があるような風潮。親は、まるで他人事。一族郎党も、知らんぷり。

「キリマンジャロ」は、「キリマ・ンジャロ」。「キリマ(Kilima)」は「山」、「ンジャロ(njaro)」は「輝く」。日本人は、「ン」で始まる単語があるなど考えませんからねえ。

 ハワイ出身のALT(アシスタント・ラングェージ・テエィチャー)が言うには、「カメハメハ大王」の読み方は、一気に「カメハメハ」と読むのや、「カメ・ハメハ」と読むのは間違いなのだそう。正しくは、「カ・メハメハ」だって!私は、息子たちと、「ドラゴンボール」を観ていました。「亀仙人」やら、「カメハメ波」が出てくるので、一気読みの「カメハメハ」で何の疑いも持っていませんでしたが。「カ」が姓で、「メハメハ」が名前だとのこと。役に立たない知識を増やしました。

 「OK」は、すでに日本語。非英語圏でもOKは、OKです。OKって何の頭文字か?何の略か?気になっていた人は、結構多いと思います。そして、「Okay」の「OとK」だろうというところで落ち着きます。Okayだとして、どうして、たった4字の単語なのに省略する?どうして、半分で切ったの?そのまま使ってもいいのに…釈然としませんね。

 実は、OkayがOKになったのではなく、OKのあとから、Okayができた。OKは、1839年に、ボストングローブ(新聞社)が、「all correctをoll korrect」と、スペリングミスをしたのがその始まりというのが本家のようです。
 こういうものは、本家・本舗・分家・別家やらがあるもので、本舗説は、アンドリュー・ジャクソン大統領(第7代:20ドル札の肖像)が、ボストングローブと同じ間違いをした。いずれにしろ、「oll korrect」から来ているということですね。
 アンドリュー・ジャクソン元大統領がこのような間違いをしたことは、記録に残っている事実だそうです。本人は、「オラ、字の読み書きが苦手」と、公言しておられたようなので、「記録を削除しろ」とは言わなかったのですね。
 OKの発祥は、新聞社でも大統領でもいいですが、間違いが世界共通の言葉になっているところが楽しいです。all correctですから、ACとなるべきところなのでしょうが、ACよりOKの方が言いやすいですし(それは慣れているからか!)、ACならエアコンみたいですから。

 OKは、ユーモアから生まれた世界共通語ということですね。間違いを笑いものにするのではなく、ユーモアでフォローする・・・日本人が見習うべきところがまた洗い出されました。でも、あまり多いとフォローしきれませんよね。