アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「競争」が日本を救う

2011年11月17日 | Weblog
 私は、「競争」が大好きです。ところが、ここ10年ほど前から、「競争は悪」という考えの人達が台頭して来ている。そういう人が教員の場合、教え子たちは当然、「競争しなくてもいいよ」といわれ続けてきた。

 今、そのツケが来ている…。
 社会人になった若者たちが、「競争しなくていいと言われてきたのに、今になって突然、競争、競争と言われる。会社で、競争という言葉を聞くたびに、嫌な気分になる」のだという。ほーらみろ!「競争しなくてもいいよ」と、子どもをスポイルさせたツケが、若者を社会から脱落させる結果になっている。

 グローバル化、超円高、ギリシャ、イタリア、TPP…国や企業の競争力がますます問われる。個人間の競争も激化している。競争に勝たずして、現在の窮地から脱却することなどできない。「競争しなくてもいいよ」「頑張らなくていいよ」と、緩いことを言っている場合ではない。

 理屈と膏薬はどこにでも付くもので、幼少時から「競争は悪」を教え込まれてきた若者の言い分は…
 1 競争に勝てば責任が増えるので嫌だ。
 2 競争は仲間割れを生む。
 3 勝ち組は偉そうなので、勝ち組にはなりたくない。
 はいはい、どーぞ遠慮無く「競争は悪」と、言い続けて生涯を終えてください。

 これまで、「競争否定派」に対抗してきましたが…電通総研が行った「世界価値観調査」を見て、「およよっ!」(←桂三枝のファンではないけどね)。「競争否定派」に対抗するまでもなかったのかと…。つまり、「競争肯定派」のほうが多かった!

<「競争は好ましい」と、考えている人>
 1990年・・・65.6%
 1995年・・・67.8%
 2000年・・・76.3%
 2005年・・・78.3%
 2010年・・・77.2%

 <「競争は人間の悪い面を引き出し、有害である」と、考えている人>
 1990年・・・18.1%
 1995年・・・23.1%
 2000年・・・15.6%
 2010年・・・13.7%

 よかったよかった!日本人の多くが、競争の悪い面よりも良い面を受け入れている。今は死語になっていますが、「勝ち組」「負け組」という流行語がありました。それが、2006年。時系列で見ると、なにやら動いていることが分かります。「競争」に対する意識の変化があります。これは、「競争は悪」への変化ではなく、「格差」が目に見えてきた。この格差に対し、多くの人が嫌悪感を抱きはじめたと考えられます。競争の勝ち負けが、収入格差になってしまったのではたまらない。そういう心情の表れでしょう。

 都市伝説に、「競争は良くないので、運動会の徒競走ではゴール前でみんな揃って一斉にゴールイン」というのがありました。それって、「競争」と「競走」の区別がつかない人達の仕業。そうゆう奴らのツケを…悔しいです。

 競争は突き詰めると、「自分との競争」です。自分の弱点、欠点、無能さを痛いほど知らされ、「謙虚」になることができます。
 一方、自分と競争したことがない人は、身の程を知ることはない。ねじれた自己肯定感だけ。思い通りにならないことを、誰かのせいにする。

 どんどん競争しましょう、させましょう。え?「格差」。必死で競争すれば、格差は縮まります。