アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

コーヒー占いをさせない男…

2009年12月31日 | Weblog
今年も今日で終わり。書くことがなくなったらとっとと撤退する予定のブログが604日目になりました。…何のために?何を求めて?まあ、惰性ですね。打算はゼロです。ただ、没後、つまり投稿者が灰になっていても、少しの期間インターネット上に書いたものが残っている…これって、ちょっとおもしろいかな。

 トルコ…古くから生きてきて、世の中がかなり分かってきたオヤジ(私)の目にも、新しいものがたくさんありました。アイワルクというところからトロイまでのオリーグ畑…これは凄いとか広いとか…そんなもんじゃない。視野に入る風景の100%がオリーブ畑。
 で、オリーブをどのように収穫するか?…敷物を敷いておいて、棒で叩き落とす。小豆島のオリーブ収穫も同じだって?だけど…野口さんが宇宙でゴハンを食べている時代に、棒でオリーブを叩き落としている!原始的でしょうがーぁ!
 「それならどのように収穫すると納得するんだ」って?そ、そ、そりゃあ…ぼ、棒でいいと思います…。

 サクランボの収穫期の価格は、1kgで100円。(オリーブから急にサクランボかよ!)サクランボ農家の月収は、7~8万円。トルコの平均的世帯では、月20万円近く必要。サクランボだけでは暮らしていけないのでどうしても共働き…これはしょうがないけどね。なお、サクランボは、棒で叩き落とす収穫方法はない。

 折からビートの収穫期で、砂糖工場周辺には集荷されたビートで山脈ができていた。トルコの皆さんは、砂糖を大量に摂取する。チャイにもトルココヒーにも、たっぷりの砂糖。スイーツ類は、文字通り、「甘過ぎ!」。しかし、肥満体をあまり見かけない。これはどうしてか?「自家用車が少ない」…。道路が整備されているのに、車が走っていない。車に頼らないから、摂取したカロリーを、「動くことで消費できる」。これはいいところを突いていると思いますよ。

 トルコのコーヒー占いについてですが…
 トルココーヒーは、鍋にコーヒーの粉末と砂糖を入れて煮る。それを、コーヒーカップにそのまま注ぐ。粉が下に沈むまで待って、静かに上澄みを飲む。…コーヒーカップも小さい。コーヒーぐらいガブガブ飲ませろよなーぁ。
 さて、飲み終わったらカップの底に粉が残っている。その状態を見て、飲んだ人の運勢を占う。そんなもん当たるわけないでしょうー!私の場合、占い師が困ってしまいました。なぜなら、私は粉が沈むまで待っていられないので、粉ごと飲んじゃいましたよってに…。

 トルコの大晦日の過ごし方…日本と殆ど同じ。東洋の文化が息づいている。
 家族が集まり、(自宅で)豪華な夕食を楽しむ。大晦日料理の定番は、もちろん「七面鳥」…だからトルコはターキー(七面鳥)なのかって?…うーん、それはなんとも言えない。多分違うと思う。大人達は、「ラク」を飲む(いいなあー!)。夕食のあとはテレビを観るのだそうです。
 「PTT」という言葉があるのだそうです。Pはパジャマ、Tはスリッパ(トルコ語のスリッパはTで始まる)、もう一つのTはテレビ。つまり、「パジャマを着て、スリッパをはいて、テレビを観て過ごす」
 私が、「おおっ!」と驚いたのは、トルコに門松があるというのです。新年を迎えるために、「松の木を飾る」…門松ですよ!やはり、トルコと日本は同じ文化の流れをくんでいたのでした。松は常緑樹なので、おめでたい。
 年賀状はないのかって?ないみたい。しかしBUT!年末ジャンボ宝くじは売り出される。…ホント!おもしろい!トルコ!

 2010年、皆様にアンビリーバブルな幸運が訪れますよう今夜一晩中祈っております。

「回教」って何?どうして豚を食べない?

2009年12月30日 | Weblog
トルコの西半分を巡って、モスクの多さが印象的でした。99%の人がイスラム教徒。日本のお寺並に、そこここに「モスク」がある(識者によりますと、モスクとお寺とは違うのだそうですが…)。モスクの目印としては、「ミナレット(尖塔)」。ミナレットには、スピーカーが取りつけてあり、「アザーン」が流される。「コーランじゃないのか?」って?スピーカーから流されるのは、「おーい!コーランの時間だぞー」というお知らせ(アザーン:召喚)。私もこの度はじめて知ったのですが、コーランではない…。
 「お祈りはモスクで」という決まりはないので、街の中で敷物を敷いて熱心にお祈りをしている人たちも見かける。トルコ人の15%~20%が、1日5回お祈りをするという。なお。トルコのモスクの牧師は、公務員。国から給料が出ている。そりゃあ、日本のお坊さんとは違うわなあ。

 イスラム教は、お祈りしなくても、罰則はない。酒は飲めない宗教と思っていたのに、おかまいなしで盛大に飲む。ラク、ビール、ワインを作っていますから。女性は顔を隠す…隠す人もいるがむしろ少数かな。そのように自由な宗教だった…実に意外でした。

 「コーラン」は、114章、6,666節から成る。「人はどう生きるか」を教えている。その第1節に書かれているのは、「学校へ行きなさい」。これは素晴らしい宗教ではありませんか!いの一番に、「学校へ行きなさい」という宗教ってほかにありますか!
 同じイスラム教でも、タリバンは、「学校へ行くな」という教え。学校がテロ攻撃の対象になったりしております。タリバンは、良くないですね。イスラム教のイメージを傷つけております。

 真面目そうなオジサンが、「イスラムの教えは、みんなでなかよくして、よりよい暮らしをしようというものだ」と、教えてくれました。私など、「目に目を、歯には歯を」から、「やられたとおりにやり返せ」という過激な宗教だということが頭にあって…。「目には目…」旧約聖書からの流れは、キリスト教ですが、ハンムラビ法典からだと、イスラム教。キリストは、「山上の垂訓」で「目には目を」を引き合いに出して復讐の禁止を教えています。「山上の垂訓」は、トルストイが絶賛しています。

 だんだんイスラム教に対する無知からくる誤解が解けてきました。
 イスラムには、「人を殺してはいけない」という教えもある。「えー!マジッスカ?」しかし、家族を守るときはOKなのだそうで…。
 女性が、黒服で身をかため、目だけ出す・・・そんなことは、コーランに書かれていないそうです。「長老さん達が自分たちに都合がいいようにつくったんだ」と、オジサンは言っていました。多分オジサンが正しいと思います。
 「妻は4人までとする」これも長老さん達に都合がいいからなのだそう。自分たちのいいように決まりを作ってしまうんだから!

 1年の半分は、土日祝祭日でお休み。2010年は、140日も休みがある。ラマダン(1か月間、日中は断食)のあとは、「あまいもの祭り」で10日間休み…あまいものを食べ続けて10日間?ラマダンの減量効果ないだろう!

 で…、私どもの世代は、イスラム教のことを「回教(かいきょう)」と、習ったのですが…。
 念のため某有名出版社の本で、「回教」を調べますと…「回(=ウイグル)民族の住む中央アジアにイスラム教徒が多かったところから、イスラム教の別名」とある。有名出版社に、ケンカを売るつもりはありません。しかしBUTですねえ…

 トルコにコンヤという町があります。今朝行ってもコンヤ(今夜?)です。このコンヤがイスラム神秘主義、独特の旋回舞踏で世界的に有名なメヴィラーナ教団の総本山だった。早い話が、メヴィラーナさんの出身地。旋回舞踏は、白い衣装で、クルクルと回る。見る人が、「風が当たって寒い!」と、訴えるほど回る。つまり、回る宗教だから「回教」。これ…有名出版社の、「回回とは、ウイグル(回鶻、回紇)を指して用いられていた。回回教がつまって、回教となった」というものより説得力があると思うのですが。

 私の内心でイスラム教の好感度がアップしました。回教の語源も明確になった(?)ことですし。
 では、オチに入ります。イスラムでは、なぜ豚を食べないか?ただ、これもイスラム教の元々の教えではないんです。元々は、豚を食べていたのです。それでですね、長老さん達がなぜ豚を食べたらダメにしてしまったか?
 解答→牛や羊は反芻する。しかし、豚は反芻しない。反芻しない豚は、エサがないと、自分の糞を食う…。だから、豚の肉は豚の糞からできている。そんなもん食えるかー!と、いうわけで豚を食べないことにした。
 オチになってないだろうって?品を落としてしまったのでオチってことでよろしくお願いいたします。

トロイの木馬は実在したの?

2009年12月29日 | Weblog
 どう考えても分かりません。トロイの遺跡を見てきた今、まだ分からない。
 何が分からないかというと、トロイ戦争の終結のいきさつについてです。トロイ戦争は、ギリシア神話上の戦争。ホメロスの叙事詩に書かれている。「ホメロスの創作…」と、考えるのが普通でしょう。ところが、ドイツの考古学者であり実業家であった、ハインリッヒ・シュリーマンは、普通ではなかった。
 シュリーマンは、ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、「ヒサルルクの丘」にあると推定した。1870年に発掘をはじめ、1873年に伝説の都市トロイを掘り出した。つまり、トロイは実在した。そんなことってあるのか?!…あったんですけどね…。

 かくして、伝説上のものと思われていた古代都市が発見された…。それから136年後、私がその都市を歩いてきた。トロイは、確かにあった。

 では、トロイ戦争自体はどうだったのだろうか?本当にあったのだろうか?トロイの遺跡をめぐっていると、遺跡の地層が9層になっていることがはっきり分かるところがある。御丁寧に地層に番号まで付いている。紀元前3000年も前からの都市だけに、どんどん埋まって地層になってしまった。

 今のところ、第7層の時期(紀元前1200年中期)にトロイ戦争があったという説が有力。
 破壊や火災のあとがある地層は、第2層、第6層、第7層(1層が一番下、つまり古い)。その中で第7層の時期にトロイ戦争があったとする根拠は、第7層の都市は、火災が都市全体を覆っていることのほか、発見された人骨の中に人為的に傷つけられた…つまり戦争の犠牲者と思われるものがあるからなのだそう。
 では、第2層、第6層の火災の跡は何か?考えられることは、流行病のまん延阻止のため都市を焼き払ったということでしょう。それはないだろうって?紀元前1200年ですから、季節性インフルエンザでも国が滅びてしまいますよ。  

 トロイは実在していた。戦争があったこともほぼ間違いない。それらは納得した。まだ私が分からないのは、戦争の勝敗を決定づけた「木馬」です。私としては、トロイはあった。トロイ戦争もあった。しかし、木馬はないだろう…話をおもしろくするために登場させたのだろう…なのですが。

 遺跡の中に、「木馬が通った坂」とされている坂があった。これは、あとから付け加えた話だと思うが…。遺跡の入り口に復元された木馬が展示されていた。中へ入ることもできた。「復元?」見た人は誰もいないのに?「復元」とは。
 それにしても、木馬の制作過程を詳しく書いた書物もある(トリピオドーロスの「トロイア落城」)。木馬は本当にあったのか…。

 旧約聖書(創世記)に、ノアの方舟がある。「そんなもの、実在したはずないだろう」と思っていた。私が創作と決めつけていたノアの方舟…アララト山(トルコの東方)中腹に方舟の痕跡があるという。紀元前3000年の木造の舟の痕跡などあるわけないべ…とも言えない状況になっている。それが本当だとすると、トロイの木馬も本当の話…?なぜ、こだわるかって?神話が本当なら、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も実在したことになってしまう。神話は神話として、大切にしておきたいのですが…。

 なお、この度、トロイ戦争の本当の原因が分かりました。
 ギリシャは、トロイの港がほしくてたまらなかった。しかし、戦争を仕掛ける理由がなかった。そのため話をでっち上げて戦争の口実をつくった。つまり、戦争は、港を手に入れたいという「欲」だった。これは、実によく分かる話です。
 しかし、木馬は事実だったのか?どう考えても分かりません。

チャイ売りオヤジの不幸 ~海峡クルーズにて~

2009年12月28日 | Weblog
トルコはチャイです。トルココーヒーがよく飲まれているのかと予想していましたが、予想が見事に外れました。チャイは、「仕事中に一休みするとき」「仕事をしていない人も一休みで」「仕事中も」「食後にデザートと一緒に」…日常の様々な場面で、実によく飲まれておりました。

 チャイは、紅茶を煮出したもの。「ウサギの血」という呼び名もあるほど濃い。陶器のカップではなく、ガラスのコップで飲む。砂糖を入れる…。飲みだすと、クセになります。私も、休憩の度に飲んでいました。

 地中海のイスタンブル(以下IST)側を、エーゲ海と呼ぶ。エーゲ海は、ダーダネルス海峡へつながる。海峡を抜けるとマルマラ海がある。その先が、ボスポラス海峡で、ボスポラス海峡は黒海へ続いている。

 ISTから、ボスポラス海峡クルーズが出ている。野次馬としては、もちろん乗り込んだ。12月のISTとしては暖かい日とのことで、2階のデッキへ出ていられた。橋の上からの釣り人や、岸に連なる釣り人を眺めていた。
 60歳前後のチャイ売りのオジサンが、お盆に10杯ほどのチャイを載せて売りに来た。たちまち売り切れた。私もいただいた。ボスポラス海峡で飲むチャイは、熱く甘く…実に美味い。「チャイ」という音が、田舎者の年寄りには心地よく響きます。たかが、砂糖入りの紅茶なのですが。

 チャイ売りのオジサン、大いに気を良くして駆け足で階下の厨房へ戻った。そして、新たに煮出した10杯ほどのチャイを売りに戻ってきた。ドジョウはそれほどいなかった。2杯だけ売れ、残りをもってすごすごと引き上げた。正確には引き上げようとした。
 右手にチャイの盆を持ち、左手でデッキから下へ降りるドアを開けようとした。なかなか開かない。見かねた私が手を貸そうとしたら、微笑みながら制止した。そして、勢いよく開けようとしたら、こともあろうにドアが外れて倒れてきた。驚いたオジサンは、当然抑えようとしたが、船のドアは鉄製で50kgは十分ある。片手で押さえられるようなものではない。よって、オジサンは、右手も使った・・・。しかし、ドアは倒れ、分厚いガラスが飛び散った。相前後して、チャイのガラスコップもソーサーもド派手な音と共に砕け散った。ブチ撒かれたチャイが惨めさを一層引き立たせた。
 
 ナスレディン・ホジャは、このチャイ売りオヤジのいきさつをどの価値観でとらえるだろうか…
 1 欲を出すと損をする
 2 片手でドアを開けるな
 3 人の好意は受け入れろ(私がドアを開けてあげようとした)
 4 チャイの出張販売はやめろ

 彼は、この日、「ISTで最も不幸なオヤジ」だったと思う。
 しょんぼりと、ガラスのかけらを片付けるオヤジ…泣いてはいなかったが…。チャイのガラスコップはそれほどの臨時出費ではない。問題は、船のドアのガラス。彼が弁償しなければならないとなると、給料1週間分には相当するだろうなあ…。

鍋が子を生んだり、死んだりする・・・

2009年12月27日 | Weblog
 日本で、「とんち話」といえば、一休さんに代表される。しかし、日本各地に、「とんち者」がいた。実在した人物もいれば、民衆が作り上げたケースもある。トルコにも、一休さん並の人気がある「とんちおじさん」がおられた。
 トイレ休憩で立ち寄った店に、トルコのとんちおじさん、「ナスレディン・ホジャ」の日本語訳の本があった。ちょっとだけ興味があったが、本は重いので買わなかった。
「ホジャ」というのは、聖職者への尊称。日本でいうところの、「先生」。ナスレディン・ホジャは、さまざまなとんちで難問を解決する。そして毎日を笑って楽しく暮らす。トルコの人々にとって、心の安心を得られる理想的なおじいさん。今も、トルコの人々に愛されています。

 駐車場に、ロバに後ろ向きにまたがったナスレディン・ホジャの巨大な像がありました。この様子にまつわる話は…
 子供達がホジャに聞きました。「おじさん、どうしてロバに後ろ向きに乗ってるの?」ホジャは答えました、「ロバは後ろが見えないから、ワシが代わりに見てやってるのじゃよ」。
 このような他愛ない話のほか、人の欲をからかう話も…

 ホジャに鍋を貸したが、1か月経っても返してくれない。鍋の持ち主カンは、思い切って、「オジサン、鍋を返してよ」と返却を迫った。ホジャは、貸した鍋のほかに小さな鍋をつけて返してくれた。「オジサン、貸したのは大きな鍋だけですよ」と、カンは言った。
 するとホジャは、「1か月借りているうちに、鍋が子供を生んだんじゃよ」と、言った。カンは、鍋を1つ貸して、2つ手に入れてしまった。
 しばらくして、ホジャがまた鍋を借りに来た。カンは、また小さい鍋を付けて返してくれると思って貸した。1か月ほど経った。カンは、「鍋を返して」と、催促した。するとホジャは、「あの鍋は死んだよ」と言って、鍋を返してくれなかった。

 話は、これでおしまい。どこがおもしろいんだって?カンは、「鍋が子供を生んだ」は、信じたふりをして、まんまと小さな鍋をもらった。そのカンが、「鍋は、死んだ」を信じないのはおかしいということになる。つまり、カンは欲張って小さな鍋をもらってしまったので、大きな鍋をとられてしまった。ホジャは、小さい鍋をカンへやったが、代わりに大きな鍋を手に入れた。(分かりましたか?なお、実際の話には、カンという名前にはなっていないと思います。カンは、私が勝手に登場させました。どこから引っ張り出した名前かって?この話を教えてくれたトルコ人の名前が、カンさんだったのです)

 私など、日々の暮らしで、「神様って不公平だなあ」と思うことがよくあります。「頭が良く、スタイルがよく、心も良くて、お金持ち」の人がいるかと思えば、「頭悪ッ、足短ッ、根性悪ッ、貧乏ッ」という人もおられる。神様って、非常に不公平なのです。ホジャの話に、やはり神様は不公平であるという話があります。ホジャって、私の縁戚かなあ…

 ホジャが、お菓子を子供達に分けることにしました。子供達に、「神様の分け方で配るのと、人間の分け方で配るのと、どっちがいい」と聞きました。子供達は、「神様の分け方!」と声を揃えました。ホジャは、すこぶる不公平に分け与えました。当然少なくもらった子供達から不満が…「おじさん、どうしてこれが、神様の分け方なの?」
 ホジャはニッコリと笑って答えました。「神様ってのは不公平なもんなんだよ」
 
 なお、このほどお亡くなりになった日本画の平山郁夫さんが、昭和41年にトルコを訪れています。4か月滞在していました。そのとき、目やにを出した子、目が腫れて開かない子たちに軟膏(たぶん、抗生物質が入ったものだと思います)をつけてあげた。劇的に子供達の目が良くなった。頭痛の人に薬をあげたら、これまた劇的に頭痛が消えた。この一件で、平山さんは、土地の人々から、「ホジャ」とよばれるようになったそうです。
 そんな話をどこから仕入れるのかって?平山郁夫さんの、「私が歩いた道 自伝素描集」を読みましたから。

夜の家

2009年12月26日 | Weblog
 アンカラの町を出て南東へ。カッパドキアへ向かっていると…。なんじゃこりゃ?という風景が飛び込んでくる。
 どんな風景かといいますと…傾斜地や崖にへばりついたような小さな家の集落。断続的に数十キロメートル…もっとか。かなりの歳月が経過しているので廃虚然としている。明らかに人為的に破壊されたものもある。
 これらの家々は、「夜の家」と呼ばれている。予習してトルコへ行ったが、「夜の家」について書いてある本にはお目にかからなかった。唐突に出現してくれただけに、びっくりしたり嬉しかったり。今、私が書いている「夜の家」が日本における数少ない「トルコの夜の家情報」だったりして。

 なぜ、このような家が・・・。
 夜の家が出来た理由は、「日没から夜明けまでに建てられた家については、その土地と家の所有権を認める」という法があったのだそう。そのために、移動してきた民族が、自分の土地と家を手に入れるべく、夜を徹し10時間ほどで家を建てた。平地に割り込むスキはなかったらしく、傾斜地やら、崖っぷちに建てた。夜のうちに建てたので、「夜の家」と呼ばれているわけ。現在もその家に住んでいる人がいた。
 金持ちの人々が、夜の家の買収し解体して、大きなアパート(日本流に言うとマンション)の建設を進めています。夜の家は、あと10年もしたら姿を消してしまうかも知れません。見たい方は、今のうちです。

 「10時間で家が建つのか?」という、低レベルな質問をしてみた。
 「そりゃあ、仲間で協力して土台の石を並べ、外側だけを何とかしたのさ。土地の所有が認められればこっちのもの。あとは時間をかけて内部を作っていったのさ」ということであった。日本でいうところの、「結(ゆい)」ですね。
 流浪の民が、協力して自分達の土地を得ていった。

 夜の家地区を走っていると、雨が降ってきた。例年なら雪になってもおかしくない時季だという。本降りの雨の中で、子供達がサッカーをして遊んでいた。「雨だから、家へ入ろう」というそぶりは全くなかった。この風景が新鮮でした。学校が休みの日の子供達の遊びは、「外遊び」。家の中で、ピコピコと電子ゲームをして遊ぶなどということは考えもつかない(見たこともないでしょう)。びしょ濡れで、クタクタになるまで外で遊んで遊んで遊びまくる。本人達には普通のことでしょうが、日本人のアンティークなオヤジから見ると、「とても幸せなことで、人生の基盤を作るすばらしいこと」です。

衛兵がガラスケースに入る…首都アンカラ

2009年12月25日 | Weblog
トルコの首都は、アンカラ。人口約400万人。首都とはいっても、静かな田舎町といったたたずまい。
 1930年より前までは、「アンゴラ」と呼ばれていた。私の世代(アンティーク)は、「アンゴラ」でピンと来るものがある。「アンゴラウサギ」「アンゴラヤギ」「アンゴラネコ」です。これらの動物は、アフリカのアンゴラではなくトルコのアンゴラ原産のものです。
 
 アンゴラヤギといっても、若年層は、「何それ?」でしょう。「モヘヤ」だよと言うと、「エー!ホント?」と少し反応があるでしょうか?現在でも、モヘヤの生産量は、トルコが世界一です。
 アンゴラウサギの毛は、「アンゴラウール」。「羊の毛の7倍の暖かさ」なのだそうです。私には2倍なのか7倍なのかぜんぜんわからないが、そういうことを計算する人がいるのですねえ。
 アンゴラネコ、つまり「ターキッシュアンゴラ猫」は、現在、アンゴラヤギやアンゴラウサギを抑えて知名度が一番高いかも知れません。利口なイヌのような性格のため人気が高い。私が驚かされるのは目で、形は、「大きなアーモンド型」。色は、「青、緑、琥珀色」がある。それで・・・通常目の色は左右同じのはず。しかし、ターキッシュアンゴラ猫の場合、左右の目の色が違うことが多い(猫業界では、左右の目の色が違う個体を珍重する傾向があるのではないか?)。そして、「青い目のある側の耳は聞こえない(右目が青ければ、右耳が聞こえない)」。遺伝子が関係しているようです。

 アンカラは、ローマ領に編入されたことがあります(紀元前25年ごろのこと。エジプトやトルコを旅行すると、紀元前25年など、つい最近の感じがします。紀元前4000年とか3000年が普通ですから)。ローマ人は、アンゴラをローマ都市として整備するため、大劇場、大浴場、神殿などを建てた。それらが今も遺跡として残っています。

 びっくりしたのは、アタテュルク廟です。検問を過ぎてからやや走らなければ建物に着かない(検問では、車の下まで調べられました)。広大な敷地。建物の前には、球場より広い石畳の庭。衛兵が数カ所に立っている。外の衛兵は雨になると、な、な、なんとガラスケースに入る!これには、衝撃を受けました。日本には、「箱入り娘」がおりますが、アタテュルク廟には、「ガラスケース入り衛兵」がいる。建物もバカでかい。国の威信をかけたものです。

 アンカラ駅には、レストラン、売店、トイレがありました。趣がなんともノスタルジック。高層ビルではなく、古めかしい平屋の駅舎。駅なのに、人影がまばら。
 改札口らしきものはあるが、無用の長物。勝手にホームへ入ってみた。アンカラ~イスタンブール間を走る列車、「アンカラ特急」が停車していた。567kmを9時間30分で走る。特急にしては遅いって?遅いですよー。「アンカラ鈍行」です。ゆったり旅をしたい人には、いいと思います。ちなみに、車ならおよそ6時間。列車の乗客は、ほとんどが日本人団体客とのこと…。日本人は、こういうところでトルコに貢献していたのですね。いいぞ!日本人。

 先日(12月中旬)、オリエント急行が営業を終えました。その昔、カレー発イスタンブル行きは、「カレー~パリ~ストラスブール~ミュンヘン~ザルツブルク~リンツ~ウィーン~ブダペスト~ベオグラード~ニシュ~ソフィア~イスタンブル」というルートでした。列車から降りて、黒海を渡った時代もありました。そんなはずないだろうって?よく調べるとわかりますよ。本当の話です。
 アンカラ特急とオリエント急行、どちらにも乗ったことがない私には、イメージがダブるんです…。オリエント急行なき今、アンカラ特急には生き続けてほしいが…。

トルコには、トイレチップなし

2009年12月24日 | Weblog
 トルコのお勉強ですが…
 国土面積は日本の倍で人口はおよそ半分。トルコに、「広大な国土」というイメージはなかったのですが広い広い。北海道など赤ちゃんみたいなものです。カッパドキアのあたりは起伏に富んでおりましたが、30分も南下すると地平線が見える大平原。360度地平線という体験ができます。道路は整備されているが、車が少ない。ガソリンスタンドもたくさんあるので、ガスケツの心配もない。しかし、ガソリンは日本より高い。一般道の速度制限は、時速90km。
 あと、警察に止められることがある。タコメーターのディスクを調べられている運転手もいた。「速度違反していないか?」ということらしい。話が通じないとなると、「もう、行ってくれ!」というジェスチャー。日本の「ネズミ捕り」とは、方式が違いました。

 トルコの産業について、チャイを飲んでいたオジサンが口から泡を飛ばしながら話してくれました。
 マルマラ海地方・・・麦とひまわり
 エーゲ海・地中海地方・・・オリーブのほか何でも穫れる(野菜、果物)
 黒海地方・・・世界の80%のシェアを誇るヘーゼルナッツ。紅茶、米、鰯
 アナトリア地方(中央部)・・・麦とビートの二毛作
 東トルコ・・・綿が穫れる。半年は雪で覆われる
 食料は、ほぼ自給できるとのことです。そういうことを英語で説明できるのだから、オジサンはただ者ではないですねえ。家に帰ると、ブログを書いていたりなどして…?「今日は、野次馬の日本人に、トルコの産業について説明してあげた。彼は、感激していたので日本へ帰ってブログに書くだろう」とか…。

 トルコを走っていると、羊の群れを見ることが出来ます。1つの群れに1人の羊飼いがついている。正しい羊飼いは、「皺の深い日焼けした顔で、2メートルほどの棒を持っている」。邪道の羊飼いにも遭遇した。身長190センチ、体重100キログラムほどなのに、痩せこけたロバに乗っていた。というか、またがっていた。トルコの人って足が長い。ロバが小さいため両足が地面に着いていた。だから、乗るというより、またがっているといった感じ。ロバ虐待です。エジプトで見た、ロバに乗った憎らしい肥満児を思い出しましたよ。ロバにまたがるだけでも問題なのに、邪道の羊飼いは棒を持っていなかった!
 手には何があったと思いますか?何と、携帯電話です。羊飼いにも、携帯が普及しはじめている…。困ったことです。そんなの、羊飼いの勝手だろうって?私の羊飼いのイメージが壊されました…オジサンのイメージなどどーでもいいですね。はい。

 教育は、6-3-3-4制。日本と同じ。文盲率は8%。その殆どが老人。英語教育は、小学4年生から。ですから、中学生なら英語が通じます。少しですけどね。 大学進学率は、何人かに聞いてみましたが、「ワカラナイ」でした。
 大学卒の初任給は、10万円。この情報は、イスタンブル大学卒の人から。

 海外旅行でトイレに入って、チップを請求されても小銭がないとき少々困ります。高額紙幣しか持ち合わせがない場合、オツリをくれないのではないかと心配しなければならないし。35年前(古ッ!)、カラチの空港で…トイレから出ようとしたらドアを抑えている奴がいたので振り払って出た。そうしたら数人の男達に押し戻されました。その時は、「トイレチップ」の知識がなかったので、「強盗か!」と、思いましたよ。その危機をどう乗り越えたかって?ほかの人がトイレへ入ってきて、小銭を皿へ入れて出ていった。マネして脱出しました…。1ドル札を入れてしまいました。当時は、1ドル=360円でしたから…奴ら大儲けでしたね。

 トルコには、「トイレチップ」の習慣はありません。トルコへ行かれた経験がある方は、「そりゃないだろう。0.5リラ払ったぞ」などと、おっしゃるでしょう。それは、チップではなく料金です。トイレの入り口に、料金が表示されています。料金ですから、オツリもきちんとくれます。領収書はくれません。無料のトイレもあります。(トイレット博士か、私は!)
 なお、日本人男子諸君、トルコの小便器には御注意。「高い!」何が高いか?料金ではなく、取りつけ位置が高い。よって届かないことがある。はじめから大便所で小用をたすことをオススメします。トルコの人って、長身で、身長の半分が足ですから・・・。

トルコで最も旨いもの

2009年12月23日 | Weblog
 誰が決めたか、「世界三大料理」というものがある。「中華料理」「フランス料理」までは、皆さん予想がつく。ではもう一つはどこの料理か?これがなんと、「トルコ料理」。

 11月から12月の中旬までの旅行でしたが、トルコでは野菜が豊富でした。豆の種類が豊富、トマトとキュウリはいつも山盛り。ほかにナス、タマネギが。ミント、イノンド、イタリアンパセリなどのハーブ類も多い。果物は、リンゴ、ミカン(日本のミカンと同じ味)、オレンジ、グレープフルーツ(小ぶり)、ブドウ、アンズ(干したもの)、サクランボ(シロップ漬け)、メロン、イチジク(干したもの)、レモンなどこれまた豊富。

 トルコ料理がどういうものか…メインデッシュは、よく分かりません(説明されても聞き取れない。相手は、こちらが随分通じるものだと思って普通に話すもので…)。前菜のようなものは特徴的であることと、何度も食べたので少しは説明できます。五大前菜は次の通り。
 ○ オリーブの塩漬け
 ○ 野菜や豆をペーストにしたもの。大福状にしてある(エズメ)
 ○ ピーマンなどに米や肉を詰めたもの(ドルマ)
 ○ ブドウやキャベツの葉で米や肉を包んだもの(サルマ)
 ○ 小麦の皮にチーズなどを巻いて揚げたもの。早い話が揚げ春巻(ビョレク)

 デザートというか、スイーツというかが豪華絢爛!
 ○ ハチミツ漬けのナッツのパイ(バクラヴァ)
 ○ ライスプディング(ストラッチ)、
 ○ 日本のギュウヒ(求肥、牛皮、牛肥)のような菓子(ロクム)
 レストランでは供されなかったが、「のびるアイスクリーム」がありました。「ドンドゥルマ」と呼ばれているもの。日本のテレビで紹介されたので、知っている人が多いでしょう。ドンドゥルマ売りは、パフォーマンスで客を笑わせる。コーンにバスケットボール大のアイスクリームのかたまりを載せて受け取らせようとしたり、地面に落とすそぶりをしてハラハラさせたり…。売り場周辺は爆笑の渦。

 ケバフについては書かないのか!という声が聞こえそうです。私も実は楽しみにしていたのですが、ケバフは期待しない方がいいかもしれません。シシュケバブ(串焼き。日本ではシシカバブ)も、まずいとは言わないが…あまり好まない。江利チエミ(これまた、申し訳ないほど古い)の歌に、「焼きたての、シシカバブ・・・」というのがある。その歌が脳裏にあったから期待したのですがね。ドネルケバブ(屑肉を塊りにし、回転させながら焼いたもの)は、羊肉の臭さが気になる(私は、たべものの好き嫌いがないことで有名な人物。ゲテモノも食べるし、羊肉も好きです。その私が気になるので、結構多くの人が苦手とするのではないか。もっとも、体験として食べるのは何の問題もない…)。

 では、私がトルコで食べたもので最も美味しいと感じたものは何か?
 「サバサンド」です。
 どんな料理かって?そのまんま、サバ(鯖)のサンドイッチです。パンは、バゲット。サバを焼いてバゲットにはさんだだけのもの。味?薄味です(好みに応じて塩でも振りかけると良い)。旨いよー!万人に指示される味だよー!街のあちこちで売ってるよー!イスタンブルの人は、歩きながらたべるんだよー!

イスタンブルの魅力は「釣り」

2009年12月22日 | Weblog
 イスタンブルについてですが…年配の日本人は、「イスタンブール」と言います。庄野真代の「飛んでイスタンブール」の影響でしょう。若い人たちは、「イスタンブル」。それもそのはず、高校の教科書の表記は「イスタンブル」。現地の発音はもちろん、「イスタンブル」。70歳以上の方には、「コンスタンティノーブル」の方が通りがいいです。トルコ革命までは、コンスタンティノーブルと呼ばれておりましたから(1930年以降、イスタンブルに)。

 トルコの人口は、7,200万人。そのうち、1,500万人がイスタンブルに住む。大都会です。
 イスタンブル観光は…
 アヤソフィア…巨大なモスク。モスク好きの人にはいいでしょうが、仏教徒の私には、「ああそうですか」といったところ。オススメ度60%。
 ブルーモスク…青いモスクかと思ったが、外観は特にブルーではない。内部のタイルなどがブルーっぽい。ミナレット(尖塔)が、6本というところが世界で一つなので特徴的。オススメ度58%。
 グランドバザール…5,000軒の店が入っているというので、凄く楽しみでした。しかし、店員がしつこくて辟易。売っているものは99%ニセモノ。言い値の80%引きで買うべし。オススメ度55%
 エジプシャンバザール…香辛料の店がおよそ40%を占める。観光客が、樽に山のように積まれた香辛料を買いますか?買わないと思うよー!見学する分にはおもしろくないわけでもないけどね。
 香辛料屋の子供が、「こんにちは」と日本語で声をかけてきた。すると父親らしき店主と思われる男が、「いいの、声をかけなくていいの。オジイサンは、買い物しないから」と、日本語で言った。
 嫌な気分でしたよ。私のことを、オジイサンだって!「オマエのような孫をもったおぼえはねえ!」と、言ってやりたかったです。それに、どうして日本語で「声をかけなくてもいい…」と、言うのよぉ!子供に言うならトルコ語で言えばよい。明らかに私への挑戦です。あんな男の一人や二人、「必殺出足払い」で、1秒でやっつけることができます。日本人に嫌みを言う前に、自分の子供を学校へ行かせろよ!イスラム教徒なのだろうコラ!とも言ってやりたかった。イスラムの教えの第一番が、「子供を学校へ行かせよう」ですから。エジプシャンバザールのオススメ度は、50%。つまり、行かなくてもいいし、行ってもいいし…ってところ。

 トプカプ宮殿…ここは何度行ってもいいでしょう。一つの建物を想像していたのですが、敷地面積が70万平方メートルですよ。日本の皇居の敷地面積(115万平方メートル)には比べられませんが、建物を比べるとトプカプ宮殿が大きいです。陳列されている宝飾類には、唖然とさせられます。ロンドンで見た、ばかでかいダイヤモンドに匹敵する大きさのダイヤモンドもありました。ハーレムも見る価値あり。別途入館料が徴収されますがね。オススメ度90%

 私がイスタンブルで最も気に入ったのは、「釣り」です。中国の故事に、「一生楽しみたければ釣りをしろ」というものがあります。この故事、「一日楽しみたいなら…」「1年楽しみたいなら…」の「…」の部分はいろいろあるが、「一生楽しみたいなら」だけは、「釣りをしなさい」で完全に統一されている。「釣り」というのは、人間にとってそれほど大きな位置を占めるものです。

 イスタンブルの市民は釣りをしています。特に、ガラタ橋という橋の上からの釣りが私には印象的でした。夜明けから、暗くなるまで、一日中橋の上で釣り。食事は、屋台の食べ物屋やらチャイ屋が橋の上に店を出しているので心配ない。釣りエサがなくなったり、仕掛けをなくしてしまったらどうするかって?それも心配ない。釣り道具屋が、橋の上で屋台の店を出している!一日中橋の上で釣りをする環境が完全に整っている。トイレはどうするかって?そのときは、橋の端まで走って行けばよい(ウマイ!)。
 ガラタ橋は、金角湾にかかる可動式跳ね橋。2層になっており、上層は道路、下層はレストラン街(中程にある橋脚近くまで)になっている。
 上層の道路の歩道から釣り糸を垂らす。下層のレストランから、釣り上げられる魚が見える。サビキに15~20cmほどの大ぶりなアジが、時には針の数だけかかり、レストランの客が歓声をあげていた。

 イスタンブルを取り巻くように、地中海から続くエーゲ海、ダ-ダネルス海峡、マルマラ海、金角湾、ボスポラス海峡がある。感心させられるのは、海の豊かさ。ガラタ橋はもちろん、岸壁にも釣り人が鈴なり。それが365日(閏年では366日)、毎日。しかも魚は釣り人全員に釣れている。ボウズでスゴスゴ引き上げる人などいない。魚が湧きだして来るのでしょうか!アジアとヨーロッパの境なので、人種も入り交じっている。そのため魚種も豊富なのかな(んなわけないね)。